音楽ライブやプロスポーツに使われる、都内のドーム
――今日はここで、テレビ局主催による大食い大会が開かれていた。
「がつがつ、もぐもぐ、くちゃくちゃ、ばりばり……」
かぶりつく。貪る。飲む込む。ダボハゼのように食う。
他の参加者たちが青い顔をしながら料理を詰め込む一方、けろっとした顔で二位と五倍以上もの差をつけるフードファイター。
読者のみなさんならばご存じであろう――C2バトルの参加者、蟹原和泉である。
「うわぁ……」
「おい、どうするんだアレ……」
そんな蟹原の様子を遠目に眺めてため息を吐く、番組プロデューサーとスタッフ。
今話題のC2バトル参加者を迎え入れれば、視聴率アップ間違いなし――その目論見は、あまりにも甘かった。
蟹原は圧倒的すぎたのだ。
「これじゃあ番組が成り立たないですよ……」
「お前、行って止めてこいよ」
「僕がですかぁ!?」
「プロデューサー命令だ、行け」
冷や汗を浮かべながら、半ば蹴りだされるような形で蟹原へと近づくスタッフの男。
「あのー、蟹原和泉さん?」
「もぐもぐ、もぐもぐ」
「すいませーん、食べるのを一旦やめていただけると……」
「もぐもぐ、もぐもぐ」
「……蟹原さん、失格です! 失格!」
「もぐもぐ、もぐも……えっ、なんですか?」
「あなた、食べ過ぎなんですよ! これじゃ番組として面白くないの! 撮り直しするから、もう帰ってください!」
「ええー? いっぱい食べてお金までもらえるって聞いてきたのに……」
「そうは言われましても、我々の運営する大会ですから、権限はこちらにあるんですよ!」
「あ、じゃあ賞金はなくてもいいですから、ごはんだけでも」
「他の選手が食べる分がなくなっちゃいます!」
「とにかく、蟹原さんは失格ということで――」
確かに限度を超えているとはいえ、蟹原は何もルールを破ったわけではない。
このまま番組側の一方的な都合により、彼女は失格の憂き目にあってしまうのか――
その時である。
「馬鹿もん! それでもお前さんがたはフードファイトを愛する者かぁ!」
突如上がった怒声に、蟹原、スタッフ、プロデューサーが三者とも振り向く。
その先にはマスクを被った割烹着姿の男が、腕を組んで仁王立ちしていた。
隙間から覗く眼光は鋭く、彼がいくつもの修羅場をくぐり抜けてきた料理人であることを窺わせる。
「あ、あなたは……突如高熱を発し体調を崩した調理師の代役として急遽入った、通りすがりの謎の覆面料理人!」
「よいか……食とは喜び。食とは命の糧。食べたがっている相手が目の前にいるなら、満足いくまで食わせてやるのが筋じゃろうっ!」
「なんて経験を感じさせる含蓄深い言葉なんだ……人生の荒波……目には映らない豊かさ……」
「ふ、なに。若い頃に少し異世……ゴホンッ、海外で、肉は片面だけ焼くよりも両面焼いた方がおいしいことを広めただけじゃよ」
「プロデューサー! 9月19日が敬老の日であることを顧みても、ここはもはや彼に全権を任せるべきでは……」
「よしっ!この場の進行、この大は……通りすがりの覆面料理人が預かる!」
覆面料理人の高らかな宣誓――ともあれ蟹原にも、どうやらもっと食べさせてもらえそうだぞということはなんとなくわかった。
「すまんかったのう、蟹原和泉さん――
今日は必ず、お前さんがもうこれ以上は絶対に食べられない、限界だというところまで食べさせてやるからのう」
「わあ、ありがとうございます、おじいさん!」
なんて親切なおじいさんなんだろう。和泉はすなおにそうおもった。
ちなみに謎の覆面料理人が彼女の名を知っていたのはエントリー名を見たというだけで、
決して何一つ不自然なことなどない。
「そのかわり、これだけは約束しとくれ」
覆面料理人は指を立て、神妙に語る。
「――好き嫌いは絶対になしじゃぞ」
蟹原は笑顔で頷いた。
『フードファイターたるもの、食べ物の好き嫌いはあってはなりません!』
「おー!」
蟹原は右拳を力強く上げ、実況の声に応えた。
ここからは当初予定されていた進行を離れ、謎の覆面料理人の提案によるゲテモノサドンデスフードバトルが始まる。
「ハチの子炒めじゃあ!おあがりよ!」
「おいしー!」
幾人かのフードファイターたちの手が止まる。だが蟹原は意に介さず、そのクリーミーな味を堪能する。
「激辛ワサビ寿司50貫じゃあ!!」
「からーい!水ください」
これにはさすがに歴戦のフードファイターたちも苦戦。だが、蟹原は一向にペースを落とさない。
「ラード!!」
「べとべとする」
蟹原以外の手が止まった。蟹原もなんだかへんだなあとおもったが、すききらいはよくないのでたべました。脂っぽかったです。
「フグのキモ!!」
「ピリピリするなあ」
醤油で食べました。おいしかったです。
「バジリスク石化毒ジュース!!」
「ごくごく」
冷たくておいしかったです。
「鉄塊!!」
「歯ごたえ抜群~~~」
おいC。
なんだか危険そうな響きの料理が続くが、よもや一流の料理人であるはずの覆面料理人に限って間違いなどはあるまい。
仮に名前の通り多少の毒素を含んでいたとしても、適量の酒が健康を促進するのと同じように
バジリスク石化毒も少量であれば薬と同じなのだろう。蟹原の身体はなんだかポカポカ温まってきた。
また、鉄分を摂取することは貧血予防にも効果的だ!
「うっぷ……ふう、まだまだいけますよー」
「ぐ、ぐぬぬ……!」
悔しそうに唸る老人――料理人の矜持にかけて、目の前の相手を満腹にさせてあげられないことがそんなにも辛いというのか!
なんたる崇高な職人精神!
「老師! 用意していた食材も、老師が持ってきたものも、既に尽きかけています!」
「ま、まだじゃ……まだ出せるはずじゃ……!」
もはやこれはフードファイターと料理人の、互いの矜持をかけた戦いだ!
状況は蟹原に優勢――だが、覆面の奥の眼はまだ死んではいない!
その時だ――サングラスと風邪マスクをつけた痩せた老人が、ドームの通用口から姿を現した。
「おういっ!! 吉っ……謎の覆面料理人、待たせたのう!!」
「貞……謎の食材調達人!?」
「最高級のやつを用意したぞ、受け取れい!!」
痩せた老人が駆け寄り、担いでいたクーラーボックスを床に置く。
覆面料理人がその蓋を開けた――中から覗くのは、宇宙の暗黒に形を与えたかのような禍々しき物体!
「こ、これは……!!」
「これがワシの必殺料理……反物質のカルパッチョじゃあ!」
『おおっと!? こ、これはぁー!?』
反物質は核融合実験などによって僅かな量が得られるだけの、捕獲レベルにして100をゆうに超えるレア食材であると同時に、
調理に際して非常に繊細さを要する特殊調理食材でもある!
並の料理人では、調理しようとしただけで絶命を免れ得ない!
それを、この謎の覆面料理人は……カルパッチョにしたというのか!?
「ば、馬鹿なあ! 反物質を調理などできるはずがない……老師、いったいどんな魔法を……」
「ホッホッホ……コレを使ったのじゃよ」
謎の調理人が手をかざすと、ボウ、と音を立てて白い炎がその両手を優しく覆う。
「あ、あれは……そうか、祝福の聖なる炎!」
「なるほど、あれなら反物質によるダメージを最小限に抑えながら調理が可能……さすがです、考えましたね」
「さあ、おあがりよ!」
「うわあ、おいしそう!いただきまーす!」
反物質へと豪快にかぶりつく蟹原――吐血! 腹に風穴が空く!
(な、に……こんな料理、初めて食べる!)
辛みが味覚ではなく痛覚であることはあまりにも有名だ! なるほど、反物質とはからい食べ物なのか!
4000年の歴史を持つ中華料理の真髄が辛さにあることもまた自明――食が止まらない!
(うおォン わたしはまるで人間原子力発電所だ)
かぶりつく! 右足消失! 貪る! 左足消失! 飲む込む! 内臓消失! ダボハゼのように食う!両腕消失!
「も、もう食べられないよぉ~~~」
「限界か!? 蟹原和泉よ!!」
「限界です~~~~」
「ワシの勝ちじゃあああ!!」
老人の叫びがドームにこだまし、蟹原和泉は爆発四散した!
おそらく不運な人体自然発火現象のたぐいだろう、なんたる不運!
「ホッホッホ……お粗末!」
余談であるが――偶然にもこの日、同会場にはC2バトル参加者である大原吉蔵が居合わせていたようで、
戦闘開始判定中に蟹原和泉が死亡したことで、C2バトルのルールに則り大原の勝利と判定された。
【蟹原和泉vs大原吉蔵/勝者:大原吉蔵】