第三回戦SS・河川その1

 理想都市はこの世界へ、新たな人造人間を送り続けている。送り込まれた者は時に大人、時に子供、時に男、時に女として社会へ溶け込んでいく。
 彼等人造人間の記憶には、自らが理想都市に生まれたことと都市の風景が残されている。そして、それとは別に個体ごとに異なる記憶を有している。
 彼らは自らの使命として理想都市の完成にその身を捧げるが、この世界で死んだところで、彼らの人生が終わるわけではない。死が訪れる直前、同期していた記憶のバックアップは理想都市内で目覚め、死に直面した者は新たな生を授かるのである。

 死亡の経験がある人造人間はそれ以降、一人の住人として理想都市で理想の生活を謳歌する。故に、彼らは何より都市に尽くし、死を恐れない。

 それは本来、傀洞グロットも享受できたはずの幸福だった。しかし現在、状況は少しだけ違う。

 まず一つは、C2カードの存在。これが無かったならば、グロットが死亡したとして新たな市長代理が送り込まれたことだろう。大原吉蔵にたたみかけられた猛攻により、彼は既に一度死んでいる。

 そしてもう一つ、パン屋の娘の存在。彼は今、この娘を自らの住まう都市に移住させようと苦心していた。今の彼女はほんのイタズラでもポキリと折れてしまいそうなほどに脆い。早急にストレスから離れて療養できる環境を整えたい。そのような思いがあった。そして、今彼女が心を許してくれているのはグロットただ一人であり、一人だけ死んで理想都市に行く、などといった無責任なことはできないのだ。

 ポツリと、青年の頬を雨が濡らした。空は暗い。雲の流れは速い。

 しかし、先の試合を娘が見なくて良かった。悍ましく薄暗い闇の中で家族失った娘だ、自分が死ぬ光景も目に入ったならきっと応えたことだろう。そう思わないとやって行けそうになかった。

 彼にはもう強者としての意識は無い。ただ、負けるわけにはいかない。C2バトルはまだ続く。まだ避けられない闘いはあるだろう。
 それなら、もう強者相手に戦うのはやめだ、馬鹿らしい。どうせ自分と同じく負け続けの相手がいるなら、その相手と戦えばいい。どうせそのような者でも、C2カードを持っている時点で強者であることに間違いは無い。住人にするにはそれぐらいで十分だ。

 目を瞑り、心を遠く飛ばす。念話で指令を出すのだ。遠く、遠くの仲間まで。多く、多くの仲間へと。


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 鮎坂千夜のC2カードが闘いの徴を見せたのは、夕食の材料を買い込んだ、スーパーマーケットからの帰り道だった。住宅街を漂うカレーや焼き魚の香りで、日常への回帰を実感していた彼女が、そのタイミングに困惑しないということも無かった。何よりその重い荷物。彼女だけでなく、一緒に暮らす友人達全員分の食糧である。
 本来は戦う予定も無い友人の誰かにおつかいを任せるべきだったのだ。しかしこの鮎坂千夜なる女学生、無駄に義理堅い所もあり、大会中は一切家事当番をしないというのには気が引けた。今回はその配慮が、不運に繋がってしまったのだが。

「うわっバトルのやつ来た…… こんなタイミングで来るモノなんだ。えー、何々。名前:傀洞グロット 性別:男 か。
 そおれにしてもなんだろう、買い物はネット通販を使えってことなのかね? おちおち買い物にも行けないなんて」

 とはいえ、彼女も一応は闘いに挑む決意を決めた魔人、多少のアクシデントにも即時対応することが可能だ。適当に、一番近くの家のインターフォンを押す。

  ピンポーン

 「はい吉田です」
 「あ、すみません、しばらくこの荷物預かっておいて下さい。後で取りに来ますんで。
 あ、なま物はできれば冷蔵庫にお願いします。突然異能バトルに呼び出された可哀想な女の子やて思ってお願いします。
 あとでまたお話ししましょう」

 何も事情を知らぬ一般人は無防備な状態で千夜の魔人能力に晒された。
 『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』、鮎坂千夜の言葉が特殊な魅力を持つようになる、特殊な魔人能力である。そして、この能力には、このような利用法が隠されていたのだ。なんとも便利な能力である。

 荷物を適当に預けて、千夜は走った。目指すのは、だだっ広い河原だ。
この近くには、一度有名ドラマの撮影現場となって以降、親しい者同士で殴りあって友情を確かめ合うスポットとなった河原がある。一年に一回、二人ペアで参加し、友情を育む『殴り愛大会』の第一回が開催されたのも、当然ここの河原だ。

(えーーーと、傀洞 グロットって言ったら、女の子に大食いで負けて、その後おじいちゃんに殴り殺されたあの人だよね……)

 特に本人に目立つつもりは無かったにしても、グロットは今、戦う気があるのかないのか分からない参加者として、一部界隈で有名になっている。人質だのなんだのは大原吉蔵への直接の攻撃とみなされておらず、テレビには映されていないから、尚更である。その場面が映っていたら映っていたで簡単に工作員が蹴散らされているということでネタにはされていただろうが、どちらにしろ良い評価とはなり得なかったはずだ。

 魔人のみに許される、中距離スタミナ非消費ダッシュにより、千夜は河原へ到達した。喧嘩には調度良いと評判の、平らな大地が広がっている。
 見晴らしは良く、だからと言って狙撃できるような高い建物は周囲に無い。人が隠れられるような陰も無い。何より声が良く届く。
 千夜は、両手の平を内に向け、それを拡声器のようにすると、胸いっぱい吸い込んだ空気を言葉にして吐き出した。
 相手が耳栓などをしていても大丈夫だ。この能力は千夜の話をもっと聞きたくさせる能力のため、聞き取りづらいと思った者は自分から耳栓を外す。この能力への抵抗は、強固な意志によってのみ達成できるのだ。

「傀洞グロットさーーーーん、いたら返事をして……」

 千夜は、用意していた言葉を最後まで言い終えるができなかった。特に思わぬ敵に殴られたからという訳ではない。目の中に飛び込んで来た風景に、呆然としたのだ。

 探していた男、傀洞グロットが、テレビで見た男が、年端も行かぬ少女に、拳を打ち付けられていた。ここは確かに、殴り愛の名所である。しかし、今目の前にあるのは、一方的な殴打。暴力と言って差し支えないものだ。
 やがて雨が降り出した。昨日も降り続いていたが、今日も降るというのか。今日の朝の天気予報では一日中曇りだったはずなのに。殴る少女、殴られる青年の姿が、白い帳にかくされていく。

 とにかく見ていられないので、千夜は二人を引き離すと、雨宿りのできる橋の下へと引っ張った。身体がグシャグシャに濡れるが、今は構っていられなかった。


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「それで、どうしてこうなったの?」

 千夜は問い詰める。目の前の二人は、明らかに狼狽している。狼狽えたいのは自分だ、という気持ちを飲み込み、彼女はじっと返事を待った。問い詰めるだけが問答ではない、答えを待つのも問答だ。

「僕が悪「私が悪いんです……」

 遂に口から出てきた言葉も、二人の話し出そうとしたタイミングがぶつかり、やがて尻すぼみに消えていった。
 また無言と静寂が橋の下の空間を満たした。雨音が煩い。

 もう何も聞き出せないか、と千夜が諦めかけた時、目の前に急に三人の人間が現れた。老婆、新入社員と思しき若い男性、そして千夜よりいくらか若い女学生。

「この中で誰が一番説明が上手いのじゃ?」「ううん、僕は自身が無い」「じゃあわたしがやる!!」

 何かよく分からないところで、女学生がことの顛末を説明することになっている。グロットは俯き、彼を殴っていた少女は、千夜を含む、グロット以外のこの場の人物に怯えているようだった。

 女学生が口を開いた。

「これはとても簡単な原因だけど、簡単には解決できないものがたりなのよ……」


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 傀洞グロットがC2バトルの相手として選んだのは鮎坂千夜、彼と同じく、連敗を喫する参加者だった。他に参戦している者は、一応試合中継の際に激しい戦いを見せてくれた闘士たちだったが、鮎坂千夜はグロットを除く参加者の中で、まだ暴力的手段を以て戦っていない唯一の参加者だった。
 洗脳能力のようなものを持っているのは読み取れたが、対戦相手の様子を見るに、抵抗手段は十分にあるようだった。現に彼女は、二回も洗脳を解かれ、二回も負けているのだ。どちらかというと強くない魔人のレッテルを貼られるのも当たり前と言えよう。

 さて、それでは標的を鮎坂千夜に絞ったグロットであったが、ここに問題が生じる。鮎坂千夜は関西人だった。
 今回のC2バトル、戦ったという結果を出すには、まず戦士同士が半径一キロメートルに入るよう近づかなくてはいけない。そして、そのためにはグロットが現在のパン屋を離れ、遠い関西の地へ向かわねばならないということになるのだ。
 その場合、娘を置いていったならば、社会能力を失っている娘が一人で十分な暮らしをできるわけもなく、また、前試合の彼のように人質を取るような魔人に狙われる恐れがある。

 と、いうことで、パン屋は一時的に休業、娘は関西に連れていくことになったのだ。

 ああ、それにしても魔京関西、東京とはまた違う騒々しさ。娘が神経をすり減らすことを危惧したグロットは、回復するまでは、とにかく観光に時間を費やすことに決めたのだ。


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「それで、私の寮にも近い『殴り愛』スポットに来た訳なの……?」

「グロット様はあなたに出くわすとは正直思っていなかった、というよりも、観光に夢中で、一時的にC2バトルのことを忘れていました」

「一方的に殴られてたのは?」

「一応ボクサーの拳ぐらいは威力があるし、そもそも彼女を殴れるわけないでしょう…… だそうです」

 よく見れば、グロットの顔には傷一つ無い。先ほどの一見暴力は、実際じゃれていただけということになる。

「……最後に質問ね。なんでこんな回りくどい伝言で答えるの?」

 女学生が、グロットの方を見た。回答を求めているらしい。しかし、グロットは覚悟を決めたような表情をすると、女学生と千夜の間に立ち、やっと口を開いた。

「そんなの、恥ずかしいからに決まっているでしょう!!」

 突然の大声は、たった六人しかいない橋の下で、良く響いた。


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「それでどうする? 闘う?」

 つい熱くなって、戦士二人で、己の今の心境と実際の状況、この戦いの意義、自分の望みなどを述べ合った後のことだった。鮎坂千夜の能力は素晴らしい。パン屋の娘も、グロット以外の人間から、久しぶりに興味を持ちながら話を聞いていた。しかし、グロットの語る話にも千夜を惹きつけるものがあったのは確かである。

 恥という恥をさらしあった後の、なんだか爽やかな気分だった。

「僕が勝ったら千夜さんが住人に、千夜さんが勝ったらぼくがカードを渡す、と」

「決着はどうつける?」

 言わずとも2人はこぶしを握り、次の瞬間、なぐりあっていた。







 さすがにボクサーの拳が勝ったが、二人の心境は穏やかな友情に満たされるのだった

最終更新:2016年09月18日 00:10