五日間の接近禁止。
それが未来に下された罰だった。
(……ひどい戦いだった)
アリア・B・ラッドノートは思い出すたびに腹が立つ。たかだかこの国の【宮内庁異端審問――ええい面倒くさい! 宮内庁に異端審問機関がある訳がない!
ともかくあんな奴『気取り』の光に灼かれた自分が、あの光で多幸感のままに自分へトドメを刺した未来の事が、そもそも未来が死んだと思い込んだ事で品性も外聞もなく取り乱してしまった事が――ともかく、あの戦いにまつわる全ての事が腹立たしかった。
しかし、事実として敗北は敗北であり、その責任全てを未来に押し付けるのは、夜を統べる貴種としての誇りが、許せない。
それゆえの、五日間の接近禁止だ。時に互いに距離を取り、冷静になる時間が必要だとアリアは考えたのだ。それを言い渡した時、未来はまだなおあの威光とお言葉による多幸感に浸っていたのが、また何とも腹立たしかったが。
その五日が終わっても、未来はアリアの元に姿を現さなかった。
薔薇園。
未来と契約を結んだ薔薇園である。曇天の下、アリアは一人だった。
C2バトルの始まる前、彼女が自分に見せつけてきた戯言を思い出す。美化された私、美化された未来。
あの時のように、薔薇に手を伸ばす。薔薇の棘がささやかに白い指先を傷つけ、血の玉が浮かぶ。アリアはそれをぼんやりと見つめている。
誰も、訪れる事はない。分かりきっている。こんな曇り空の日に好き好んで薔薇園を訪れる変わり者など、自分か、あるいは――
(……馬鹿馬鹿しい)
何を、何を期待しているというのだろう。こんな事をしたって、あの日のように彼女が――
「馬鹿馬鹿しい!」
強いて口に出し、下らない考えを切って捨てた。
どうせ、眷属としての契約は切れていない。少し念じてやれば未来は自ら飛んでくる。吸血鬼と眷属とはそういう関係性だ。
だから今だって、そうしてやれば良い。当たり前のように、彼女を呼ぶ。そうすれば未来は、あの間抜けな笑みをぶら下がってすぐにアリアの下にすっ飛んでくるに決まっているのだ。
ただ、そうする事は躊躇われる。何故って、自分で言い渡した接近禁止期間が切れた瞬間に呼び出したら、まるで……
(……私が未来に会いたいみたいじゃない)
そう思った瞬間、C2カードが新たな対戦相手の接近を告げた。カードに浮かんだ名前を見る。七坂七美。
目を細める。妄りに振るう事は躊躇われるが、アリアの貴種――吸血鬼としての力を使えば、大した相手ではない。それとも兵器と称してまた紫外線照明装置でも持ち込んでくるだろうか? 別にそれでも構わない。日焼け止めだって塗ってるし。
「綺麗な薔薇ですね」
つまらなさそうに日傘をくるくると回して来客を待ち構えていたアリアにかけられたのは、そんな言葉だった。
そちらを見るまでもない。車椅子の女に、(アリアの与り知らぬ事だが)セブンカードと呼ばれる何人かの護衛。
「やるの? 今、下僕がいないからあまり気が進まないのだけど……」
「その下僕さんは、呼んでも来ないんじゃないですか?」
しかし、アリアはその言葉までも無視する事はできなかった。紅い瞳を車椅子の女――七坂七美へ向ける。護衛が身構えかけ、七美が手を掲げそれを制した。
「巡夜未来さん。それがあなたの眷属の名前でしたね。契約のきっかけはただの事故。ラッドノートの家の名に傷つく事はしていない」
「……貴女」
「でも、未来さんは今、あなたの元にいない。そして、彼女が来る事もないでしょう」
「未来に、何を」
それだけで人を射殺せそうな視線を突きつけられ、七美はなおその相好を崩す事はない。
曇天の下、アリアの血を吸った薔薇がはらりと散った。
「――せ! ――せ! ――せ!」
うるさい、と思った。頭が、体が、痛い。
「――せ! ――せ! ――せ!」
体、背中が焼けるように痛い。宙に浮いているようだ。
「――せ! ――せ! ――せ!」
腕は後ろに回され、跪くような恰好で、裸で吊られて――嗚呼。
「殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!」
喝采が何を叫んでいるか分かる頃、未来は改めて自分の置かれた状況を思い出した。
ここはどこぞの地下空間である。小さなホールのような構造で、舞台には鎖で拘束された裸の未来。彼女に対して殺せと叫び続ける十数人の観衆は、皆ローブ姿で顔も見えない。彼らは皆儀式の参加者である……何の儀式か? 反異種を掲げる国際組織『黄金の同盟』のだ。
先の戦いの後、あの輝きに漂白された多幸感が醒め、アリアに会えない嘆きと直面した未来は、色あせた日常を過ごしていた。
たかが五日、されど五日。
彼女の血を舐めてからいつだってベッタリしていた未来にとって、永遠にも長い時間。彼女はほとんど落胆して、周囲にも心配される程だった。
そしてそんな事だから、彼らに誘拐された。彼らの持つ黄金の腕輪を嵌められ、抵抗する力は奪われている。
「ではこれより、穢れし血の浄化を行う!!」
自分の傍らに立ち、この『儀式』を取り仕切る司教の言葉を聞き、未来はぎゅっと目を閉じる。瞬間、吊り下げられた自分の背中に、銀の長剣が突き刺さった。
「……ッ!」
「おお、苦しんでおる……苦しんでおる! 見よ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
剣は痛みに耐える未来の身体の中を進み、腹へと貫通する。まだ終わらない。更に一本、更に一本。
「おお――おお見よ! これほどの責め苦に耐えるこの娘が、嗚呼、まだ人である訳があるまい!?」
よく言う、と未来は歯を食いしばる。声を上げたら上げたで、こいつらは歓喜して、穢れゆえに痛み苦しむのだとかのたまうのだ。
つまり、これは魔女裁判だ。何だって良い。自分を――吸血鬼の眷属たる自分をいたぶることができれば、それで良いのだ。
剣が抜かれ、おびただしい血が流れ落ちる。今度はそこに、司教が液体をかける。
「――ッ、あ、ぁッ! ああッ!」
今度は、耐えられなかった。傷口にその液体が滲み、表現し難いほどの苦痛が走る。
「見よ、見よ! 苦しんでおる! 我らの黄金の聖水を受け、これほどにも!」
何が聖水だ。匂いで分かる。これは硫酸だ。こんなの、誰が受けたって苦しむに決まっている。
しかし、その痛みも永遠には続かない。剣で空けられた穴はじわじわと埋まり始める。アリアの眷属であるがゆえの、再生力を見て。それを見て、奴らは――まるで邪悪の最たる証を目撃したかのように――興奮して、声を上げるのだ。
「殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!」
「……穢れし血の娘よ。おお、聞くが良い、我ら黄金の同盟の慈悲ある言葉を」
そして、お決まりのこれが来る。司教が杖で痛みの残る背を叩き、脂ぎった顔を顔に近付けてくる。
「契約を捨てよ。忠義を捨てよ。さすれば罪深き貴様を――世の人の目に恐るべきその力を見せつけた罪を赦し――人として葬ってやる」
アリアへの愛を捨てよと、囁いてくる。
「何故契約を守る? 忠義を守る? 痛いだろう、辛いだろう、苦しいだろう――その苦しみは、お前が奴に血を飲まされたからだ」
「違……ッ!」
反論のために口を開いた所、再生の終わった背中に改めて銀の剣を突き刺された。歯を食いしばるしかない。
「あの小娘への否定を、ひとつ口にすれば良い。そうすればお前は楽になれる」
下らない妄言だと、未来は思っていた。必死で思っていた。しかし、身体に激烈な痛みを叩きつけられるたびに思うのだ。
――アリアの眷属にならなければ、こんな思いはしなくて済んだのではないか、と。
(ごめんなさい、ごめんなさい……!)
そしてその思いに至るたび、それを打ち消す勢いで、心の中で謝罪を叫ぶ。アリアに向けて。自分に向けて。二人で過ごした日々の思い出に向けて。
「……フム。仕方なし。ではこれより、回浄の儀を行う!!」
オオオオ、と歓声が上がる。これも、いつも通り。儀式の観衆が順に舞台に上がり、未来の背へ剣を刺し、抜き、聖水をかける。個人個人でグリグリと抉ったり、刺す場所を変えたりといったアレンジを加える事もある。
ひたすらに、ただひたすらに、未来を痛めつけ、辱めるためだけの儀式。一時間ほどそれを繰り返すと、彼らは姿を消す。
しかしその間も未来への責め苦は続く。五分に一度、十秒ほど、強力な電流が流されるのだ。おかげで未来はろくに眠る事もできない。
そしてまた、彼らが姿を現し『儀式』を行う。
これが未来の新たな日常だった。誘拐されて三日しか経っていないが、未来からは既に日付の感覚は失われていた。
(ごめんなさい、ごめんなさい……!)
痛みに堪えながら、声に出さず、謝り続ける。
……誰にだろう。何にだろう?
何度も何度も謝り続けると、何故謝っているのか分からなくなる事はある。未来も時折、そんな状態になった。朦朧とする意識の中、言われるままに首を縦に振りたくなる。この痛みに解放されるのなら。
その度に、走馬灯じみてアリアの顔を思い出す。その肌に触れた事を、その血の味を思い出す。痛みからの解放という甘美な誘惑に抗う力を取り戻す。
――ただ、そうやって力を取り戻す頻度も、減ってきた。
限界が来ているのだ、という客観的観測も、未来はもはやできない。
ローブの人影が未来の目の前で立ち止まった。その人影は小声で呟く。
「醜悪な事だ」
「……?」
私の事だろうか、と未来は思った。人影は儀式用の銀の剣ではなく、ローブの下、腰から提げた剣に手をかけた。
「……待て、お前。お前は一体」
司教がそう言った時には、もう遅い。剣が抜かれ、その一閃で鎖が切断される。倒れ掛かる未来の身体を、人影の逞しい腕が抱きとめた。
「え……?」
「なっ……何をする! 何者だ! 名乗れ!」
それは司教の魔人能力『名を名乗れ不埒者!』の発動トリガー。名を尋ねられた者は、必ず名乗らなければいけない。時に真名が重大な弱点となる悪魔や悪霊――そして吸血鬼と戦うには、非常に有効な能力である。
そして人影も、その効果を受けた。彼は名乗る。ローブを脱ぎ捨てながら。
「七坂銃匠CEO、七坂七美の近衛部隊『セブンカード』が筆頭――七坂七鬼。悪いが彼女は、連れ帰らせてもらうぞ」
「始まったようね」
「そう」
黒光る高級車の後部座席で、七美とアリアは静かに紅茶を飲んでいた。少し見れば、年の差のある令嬢同士の茶会にも見えたかもしれない。だがしっかりと観察すれば、アリアがそわそわと落ち着きない事が分かる。
巡夜未来の失踪が警察に届けられ、七坂グループは早々にその居場所の特定にかかった。
しかし、その主たる特定方法は監視カメラの録画データに基づくもので、未来がどこでさらわれたかは分かってもどこに連れて行かれたかを特定するには、時間がかかったのだ。
結局それが特定できたのが、未来が姿を消して三日後の事。それからすぐに、七美はアリアへコンタクトを取り、七鬼は黄金の同盟へと潜入した。
そしてとある『条件』の下、未来を助け出す事を約束したのだ。
時刻は黄昏時。
二人を乗せた車は今、山間に止まっている。未来を連れ去った黄金の同盟の拠点――変電所地下の基地にほど近い地点だ。
当初、アリアは自ら未来を助けに(彼女は「回収しに」という表現を意固地で使った)行く事を主張したが、七美は止めた。
「多分、貴女が行ったら全員殺してしまうから」
そんな事はない――という主張も一応はしたが、結局アリアは七美に従った。そして待つ事にしたのだ……が。
「……まだ?」
「始まって五分も経ってないわ。相手の中には魔人もいると聞いている。まあ、七鬼の相手が務まるとは思わないけれど……」
「……」
そう言われても、アリアはそわそわと落ち着かない。絶品のクッキーを乱暴に噛り、その破片をドレスにぽろぽろと零してしまい、それを払うくらいの余裕もない。
「貴女にとって、未来さんはどんな人?」
「どんな……」
七美からすれば世間話のような振り方であったが、その問いはアリアの胸に重く沈む。どんな人。どんな人だろう? 度し難い変態で、信じがたいロリコンで、呆れるくらいのバカで……
(アリア様)
いつだって私の事を見て
(アリア様!)
いつだって私のために全力で
(アリア様……)
いつも私のそばにいて、いつだって私の名前を呼んで、いつだって私の――
「――ただの眷属よ」
「そう」
つん、と顔をそむけるアリアを見て、七美はくすりと笑う。ただの眷属。その言葉が真実なら、答えを出すまでに十秒も時間をかけたりはしないだろう。
「……気に入らないわ」
そしてそれに気付いたアリアは、僅かに頬を朱らめ、車のドアを蹴るように開いた。
「行くの? 確かに、そろそろ良い頃合いだと思うけれど」
「約束を反故にしたりはしないから」
「ええ、心配していません」
優雅に、けれど早足で歩くアリアの背を見て、七美はポールフリで後に続く。
「……未来」
「アリア様……!」
果たして、七鬼の救出活動はほぼ想定通りに完了していた。未来は誘拐された時に着ていた制服姿で、アリアを見るなり猛進して彼女に抱きつこうとし――
「へぶ!」
畳んだ日傘でこかされた。
「か、感動の再会! 感動の再会は~!?」
「どさくさ紛れに粗相をしようとしないで」
「うー、アリア様……っ、そうだ、そうだごめんなさいアリア様!」
転んだ状態からノータイムで土下座態勢に入る未来。
「……何が」
「接近禁止期間が終わったのにアリア様に会いに行けませんでした! それと捕まってる最中、なんていうか色々あって……」
「良いわ」
「アリア様の事、私……へ?」
「許すって言っているの。顔を上げなさい」
言われた通りに顔を上げる未来の頬を、しゃがみこんだアリアが撫でる。
「頑張ったわね」
「~~~~ッ!」
声にならない叫びを上げ、アリアに飛びつこうとする未来。それを再びアリアがこかす。
その様子を少し離れて見ていた七美の元に、七鬼が戻り、使っていた剣を差し出した。
「全員の捕縛は完了。セブンカードに警察へ送らせる。これを使う価値のある敵はいなかった」
「そう」
交わされる言葉は短い。
「再会は済んだでしょう!」
七美はアリアに向け、声を上げる。
「約束の時よ」
それを聞き、アリアは七美に身体を向けた。にわかに漂う殺気を、未来が敏感に感じ取る。
「あっ、アリア様! もし戦うんなら、私が」
「いいえ、違うの」
七鬼が七美の手を握る。『七転七移』。身体能力が七美へ移り、七美が立ち上がる。
「この戦いは私のものよ」
アリアと七美――正確には七鬼だが――の身体能力を比べた時、優位に立つのは当然アリアである。それも、圧倒的な。
だから20mは離れていた双方が駆け出した、と思った数瞬後には、七美は数歩も歩かぬ内にアリアの攻撃を受ける羽目になった。
「……さすが、夜の貴種」
「反応できるあなたも大概」
当然ただで受ける訳ではない。七鬼が黄金の同盟潜入に持ち込んだその剣で受けている。奇妙な紋様のようなものが刻まれた、優美なデザインの西洋式ロングソード。
もはや七美にそれを宣言する余裕はないが、それは特別武装群のうち慈愛を司る第四『レーヴァテイン』である。これを開発した通称『第四部』の正式名称は、退魔技術開発管理部である。
すなわち、その効果もまた、魔を退けるもの。
「……!」
剣が炎を噴いた。いや、正確には剣に刻まれた紋様がだ。僅かな熱を予兆と感じたアリアが退いたが、七美もそれを想定していたかのように追撃にかかる。振り下ろし、逆袈裟への斬り上げ、鋭い刺突。アリアはステップでそれをかわすが、体格の小ささが仇となり、回避に専念しなければならない。刺突を凌いだ後、大きく風に乗って飛び、アリアは距離を置く。そして自分の手を見る。
チリチリと小さく、しかし収まる事なく燃えていた。
「何故古来より炎が魔を退けるとされているか……」
七美は両手で握ったグリップを右上に掲げ、燃える刃を斜め下に構えながら静かに近付いてくる。
「それは、燃えているものが再生する事はないからです。木であれ、人であれ、魔であれ」
「……だから燃やし続ける、っていう武器なのね」
剣に刻まれた紋様には特殊な高粘性の燃料が塗られており、握り方一つで発火・鎮火するようになっている。そしてこの炎に触れれば、炎と共に燃料が接触点に移り、燃え続ける事になる。その傷は決して癒える事はない。現在のアリアの炎は少し触れた程度のものだから大した傷にはなっていないが、斬られても、刺されても、その傷は燃え続け、やがて広がり、どれほど強い再生能力を持っていようといずれは致命傷へ至る。
これこそが終焉をもたらす炎の剣。これこそが退魔剣。これこそが慈愛の一振り。
(そう、だから私にあんな事を……)
消えない炎の熱を感じながら、アリアは薔薇園での七美との会話を思い出していた。
「戦え?」
「そう。未来さんを助けた暁に、です」
七美とアリアが正面から、一対一で戦う――それが七坂グループが未来を助ける条件だった。
「……どうして」
「それが七坂グループの理想のためだから……と言っても分かりませんか。歩きながら話しません?」
そう訊いて、七美は勝手に薔薇園の中を進み始める。アリアは不本意ながらそれに続いた。
「率直に言って、私は貴女を勝ちたいのです」
「八百長しろって?」
「いいえ。貴女も当然、本気を出してもらわなければ困る。本気の貴女を倒してこそ……いえ、言い換えましょう。本気の吸血鬼を倒してこそ、意味があるのです。そしてそれは、貴女にとってもメリットである」
「……何よ、それ」
「未来さんを拐ったのは、反異種組織、黄金の同盟。彼らを始めとして、世界には多くの反異種組織……吸血鬼、悪魔、魔人、道産子。そのようなものを恐れる者たちがいる。何故だと思います?」
アリアは答えない。いくつか答えは思い浮かぶが、それよりも七美に話させたほうが早いと思ったのだ。未来の事もある。
「……恐ろしいからです。貴女たちが。あるいは、私たちが。自分たちの力の及ばない圧倒的な恐怖……災害のような存在から身を守るため、人々は結託して、時に過激な行為に走る」
「それで?」
「もしも私たち七坂グループの『武器』で。誰もが手にすることのできる武器で、貴女たちを退ける事ができれば、その恐れを大きく減ずる事ができると、そうは思いませんか?」
「……そうすれば、私が世間に受け入れられる?」
「すぐさまとは言いません。ですが少なくとも、七坂の武器にそのような力があり、誰もがその武器を手にする事ができれば……」
その言葉を聞いて、アリアは七美が放送で打ち上げていた『全国民の武装義務化』という理念を思い出していた。
「武器は力です。誰もが力を持てれば、異種とそうでない人との力の差は必然的に縮まる。そうすれば、恐れもなくなり、」
「吸血鬼と人間が共に歩む事ができる……とでも?」
「私はそう信じています」
結局、アリアはそれに乗った。七美の言葉を信じた訳ではない。どちらにしても未来を助ける必要は……必要じゃないかもしれないけど、まあいるに越した事はないし、ともかく楽に助けられるならそうした方が良いと思ったのだ。
だから今だって、本気で戦っている。戦うとなれば勝つ。一人の吸血鬼のプライドとして。
(だけど……厄介!)
身体能力はアリアのほうが格段に上である。だが踏み込めばあの炎の剣が来る。アリアは特別な訓練を積んでいる訳ではない。C2バトルに参加して戦う事も想定したりしたが、それは実の所、自身の再生能力の大きく依存していた。それをそのまま封じてくるあの剣は、かなりキツい。
七美は攻撃の手を緩めない。アリアの行動は『七欲七聞』によりおおよそ見切る事ができ、それに合わせて剣を振るうだけだ。縦一文字に、跳ね上げ突くように、大きく横に薙ぐように。一撃一撃が大きいのも、アリアが守勢に回っているからである。やはり再生能力を封じる炎は、恐ろしいか。
しかしそれでも、決定打には到らない。いかんせんアリアの身体能力が高すぎるのだ。なるほどたしかに、人々がいたずらに恐れるだけの事はあるか。
(……ならばあれを抜くか)
アリアが大きく距離を取った所で、七美は剣を片手に持ち、背のホルスターから拳銃を抜いた。銃器。アリアは銃口が向かう先を見て冷静に対処しようとするが、
「喚ぶは忠義を司る第一……その刻銘を『第七天魔』!」
宣言と同時、拳銃が音を立てて展開した。それらは物理法則を超えた――つまりは魔人能力による一種のプログラムによって組み代わり、七つの小型拳銃へ。一つは七美の手に握られたままで、残る六個は自動浮遊する。これが特別武装群、最後の一つ。
突然の警戒対象の増加に、アリアの反応は遅れた。七美が引き金を引くと同時、七発の銃声が響いた。七美が引き金を引く前後、タイミングを敢えてずらしながら六個の自動浮遊銃身――便宜的にサブ銃身と呼ぶ――が火を吹いたのだ。標的の動きを解析して次々放たれる七発の銃撃。これが『第七天魔』第一の機能、回避不能の『七段撃ち』!
「つっ」
突き刺さる弾丸は、言うまでもないとばかりに銀の弾丸である。陽光と同様、アリアは銀に対してもある程度の耐性を得ているが、通常の攻撃よりは当然痛い。再生が遅れる。つまり傷が重なる。距離を詰めなければジリ貧だ。
「アリア様!」
「見てなさい!」
痛ましい未来の叫びを、アリアは一言で黙らせる。その気になれば、『B.compact』により未来の状況判断力やアドバイス力を強化して、彼女に助言をさせる事はできるだろう。
だが、アリアはそれをしない。彼女は今ここで、一人で戦う事を己に課していた。ブラッドノートの誇りのため、アリア個人の意地のため、未来の――未来という少女と過ごす、理想的な未来のため。
未来を一つ叱った事で、アリアには却って余裕が生まれた。焦る事なく、更に距離を置く。変電設備近くの鉄塔を跳ねるように登り、送電線の上へ。たわむケーブルの上のアリアに向けて、七美は七段撃ちを繰り返すが、先程の地上での射撃に比べれば、明らかに命中精度が落ちている。
(やっぱり、そうなんだ)
拳銃の射程というのは意外に短く、良くて10m、どんなに訓練しても30m程度が限界とされている。小口径で特殊な構造の『第七天魔』は、実の所更に短い。アリアにそんな知識はなかったが、直感でそれを見破ったのだ。
七美はにわかに焦る。乱射すれば弾切れを起こそう。だが時間をかければこの身体能力は失われる。それは致命的な隙である。
(……なら)
七美は銃撃を止め、鉄塔に向かった。駆けながらこれからの行いにより発生する被害額を考え……止める。何はなくとも勝たなければならない!
「は――っ!」
鉄塔の脚の一つに向け、七美はレーヴァテインを振り下ろした。七鬼の身体能力は当然剣術も収めており、さらに燃え盛る炎がその鉄骨を脆くする。
つまり、斬れる。
「……一つ!」
まるで枝でも払うかのような気軽さで次々に鉄塔の主要部を切り払う七美。鉄塔は傾き、倒れ始める。電線が千切れ、スパークが迸る。
(これなら彼女も降りてくる……!)
轟音と共に始まった鉄塔の倒壊から免れ、それから電線から飛び降りたアリアを追った。よりによって背を向けている。ならばここで致命打を与える。サブ銃身の動きが代わり、七つの銃口が一点に向けられた。全ての銃口で正確無比なる同時攻撃を仕掛ける第二の機能、防御不能の『七点バースト』の構え!
引き金を引く直前で気付く。その欲望が漏れ聞こえる。『未来を助けたい』……?
「あっ!」
それに気付いた時は遅かった。七発の銀の弾丸は、アリアの急所を背後から貫いた。
戦いの終幕だった。
こうして、七坂七美とアリアの戦いは、アリアが千切れた電線から未来を守ろうとしたために隙を晒し、そこに七美がつけ込むという幕切れとなった。
七美としては非常に不本意な結果だった。結果だけ見れば一帯を破壊した上に小さな少女が友人を守ろうとした不意を突いたという行為が全国に放映された事で、株価は目に見えて下がったし、幹部たちの嫌味を長々聞く羽目になったから。
アリアとしても非常に不本意な結果だった。あのまま正面から戦えば当然勝つつもりだったし、何よりあれ以来、未来ときたら『アリア様が身を挺して私を助けに来てくれた!』と更に調子づいているのだから。
ただ。
ただひとつ、良かった事もある。
それは吸血鬼が人間に、人間への愛ゆえに敗北する事がある、という結果が世間に知られた事だ。
これは悪人にとっては、吸血鬼を撃破する重大な糸口として知れ渡る事になるかもしれない。
しかし多くの善良なる人々にとって、この事実は恐らく、吸血鬼への恐怖感を人々が見直すきっかけとなるだろう――