第四回戦SS・山岳その1

 不死(ふじ)山――標高3776mを誇る日本最高峰の山であり、日本の象徴とされることも多い。
 青空に白い光の尾を引き、何かがその山頂へ接近する。飛行機にしては異様に小さく、そして速いそれは近づくにつれ減速し、そしてその場へと降り立った。

「ふむ……これが不死の景色かぁ~」

 わざとらしく腰に手を当て下界を眺める老人、大原吉蔵その人である。
 眼下には青々とした樹海。
 高尾山と同じ感覚でK2に登頂し、火星のオリンポス山まで制覇した経験もあるこの老人だが、意外にも83年の生涯で不死山に登った――登ってはいないが――のはこれがはじめてのこと。

「そう言えば、ここで不死の霊薬を燃やしたんじゃったか……」

 古来霊峰と謳われ、平安時代、時の帝は月の都の姫から授かった不死の霊薬を「姫のいない世界で不死などいらぬ」とこの山頂で焼いたと伝えられている。
 この火口からの絶えることのない噴煙は、その霊薬が燃える煙なのだという。

「もったいないことするのう、昔の人」

 吉蔵を「定命の者よ」などと軽んじてくる不死者には人生で何度か出会ってきたが、しかし吉蔵自身は妻・千代子と共に老い、生涯を終えるつもりでいた。
 その範疇で長生きしたいとは思っているが……。

 しかし、今の吉蔵は若干、いや彼らの気持ちがよくわかる。


「さて……来たようじゃな」

 眼下数百m先……八合目を越えたかどうかというところに1人の青年の姿があった。
 登山用のウェアに身を包んだ体格のいい男はここまで登ってきた疲れなど感じさせず、こちらを睨んでいる。
 この日、この不死山周辺には避難勧告が出され、一切の立ち入りが禁じられている。飯綱火がロープウェイを使わず登ってきたのも運転が停止しているためだろう。

「飯綱火誠也」

 地下魔人格闘リーグ・M-1のチャンピオン。
 1回戦、黄連雀夢人に敗れ、2回戦で鮎坂千夜を、3回戦で芹臼ぬん子を撃破している。
 初戦で自分を倒した五色那由他と同年代と思しき若者を、吉蔵は爛々とした瞳で見つめた。

「やろうや……若いの」

 吉蔵はダッと、その場から身を投げた。


――大原吉蔵……!

 山頂にて噴煙と見紛うオーラを纏いこちらを見下ろしていた老人、互いの視線が交わるや否や、吉蔵は崖から身を投げる。
 落ちてくる。
 飯綱火は思い、直後、間違いであることを思い知らされた。
 白炎に包まれた吉蔵の体は一条の矢となり瞬く間に接近、飯綱火のいた八合目へと突き刺さった。

「なっ!?」

 軌道上の山肌が大きく抉られ、着弾地点には隕石でも落ちたようなクレーターが形成される。
 飯綱火は反射的に跳躍。
 飛び散る石片による被弾確率を最小限に留める姿勢を取る。
 LIMIT UNLIMITED――神経伝達速度強化、制約は運動能力低下。
 感覚器官からの情報を処理し、判断を下し、随意筋へ命令する、今の飯綱火はそれら神経を介した働きを通常時の数倍の速度で可能となる。
 運動能力は低下しているし空中なのでほとんど動きようはない。飯綱火は文字通り全神経を、吉蔵がいかに動くかに集中する。
 ゆっくりと飛散する土砂や石礫、舞い上がる粉塵の中、白炎を纏った老人がこちらを見て嗤っていた。

 その右手に白炎が収束する。

「セイクリッドアロー!!」

 一直線に迫る炎の矢に対し、飯綱火は回避行動を取らない。
 空中で姿勢を変える手段はいくつかあるが、この矢はそれで躱せる速度ではない。避けることが叶わないなら、喰らっても死なないことに思考時間を費やす。
 飯綱火のニューロンは死を回避すべくさらにその速度をあげた。
 炎弾が直撃。
 後方に吹き飛ばされ、山肌に叩きつけられるタイミングで能力を解除。
身体能力を取り戻すが、その場に踏みとどまろうとはしなかった。山肌を抉りながら後退し、滑落するか否かというところでようやくブレーキをかける。

「はっ……! はっ……! はっ……!」

 粉塵をあげながら飯綱火は立ち上がる。
 初撃をどうにか耐え凌ぎはしたが、耐火素材でオーダーメイドした登山用ウェアに安全靴も一発でほとんど焼けてしまった。
 浴びせられた白炎の多くが運動エネルギーに費やされていたためまだ使わずに済んでいるが、それはそれとして負傷も激しい。
 LIMIT UNLIMITED――再生力強化、全身に負った生傷が通常の数百倍の速度で治癒していく。
 この再生の制約で、登る前に食い溜めしたスニッカーズフライのカロリーはほとんど尽きたと見るべきだろう。
 そしてもちろん、この間にも吉蔵は距離を詰めてきている。
 飯綱火が踏み留まらなかったのは強引に停まっても即座の追撃で仕留められる可能性が高かったからであり、今はどうにか猶予を稼げているため判断は正解と言ってよかったが、それもコンマ数秒の話だ。
 遠方から不死山を眺めた者は、青い山肌に白い光が走っていくのを目にすることだろう。

「あれで死なんか!! なら次で死ねいっ!!」

 哄笑!
 火の玉と化した老人はセイクリッドアロー第二射を放つべく、また右手を構えた。
 直後。
 LIMIT UNLIMITED――スピード強化。制約はタフネス低下。
 出し惜しみはできない。
 魔人を超えた速力を手にした飯綱火は、吉蔵へ向けて駆け出した。足下が爆ぜる力で大地を蹴り、裂けた足の皮を強化した再生力が治癒する。

「ほおっ……速いの!」

 吉蔵は第二射を放たなかった。躱される、と踏んだのだ。
 高速で駈ける両者はそれまで以上の速度で接近、互いを間合いに収めた。

 同時に。
 スピード強化解除。
 LIMIT UNLIMITED――MAX。
 1分間限定で全能力を爆発的に引き上げる技。自分が吉蔵を上回れるとすれば、これしかない。
 対する吉蔵は掌を翳し、セイクリッドファイアを通常状態で放つ。

――上等。

即死する威力の技以外は躱さない。
この状態なら、焼け死ぬ前に殺してみせる。
 飯綱火は渾身の打拳を繰り出した。
 が。

「っ!?」
「ほっほ」

 自身も白炎を纏った吉蔵の蹴りがいとも容易くカウンターを取り、飯綱火の腹へと突き刺さる。

――なっ……。

 不意の蹴りに飯綱火はゴムまりのように跳ね飛ばされた。
 骨を砕かれ、内臓へもダメージがあった。しかしそれを、白炎の力が一瞬にして消し去る。

――これは……!?

 セイクリッドファイアの治癒効果。
 飯綱火はさきほど自分が停まった地点まで蹴り飛ばされ、破壊痕をさらに大きくした。その際に負ったダメージもやはりすぐに消えてなくなる。

「ほっほ……」

 笑みを浮かべる老人を飯綱火は苦々しく睨んだ。
 傷を治されたことについて怒りがあったのではない。むしろそれが、一つの攻撃だと気づいていた。
 吉蔵の蹴りは速く鋭かったが、強化をMAXにした自分がカウンターを取られるほどではない。
 飯綱火の体からはLIMIT UNLIMITED――の効果が消え去り、通常状態へと戻っている。この白炎に能力封じの効果まで持つのか。
 そうではない。

――制約を、外された……。

「お前さん、自分に負荷をかけるのを代償に強化する能力じゃないか?」
「っ!?」
「今までの試合に、重ちゃん……ああ、友だちに見せてもらったアンダーグラウンドでお前さんの試合を見た。
何かしらデメリットを負う代わりに自分を強化する能力じゃろう。能力を使う度にちーっと顔をしかめる。
そういうのの中には、デメリットを消すと、効果も消える……ってパターンもあるからの。まあ、確証はないが試しにな」
「っ……!」

 見抜かれていた。
 LIMIT UNLIMITEDは制約あっての強化能力だ。
 この白炎の治癒効果は凄まじい。自分がかけた制約による肉体へのデメリットは即座に回復、あるいは発生すらしないかも知れない。
 それを脳より先に体が感じたからこそ、能力が途中解除された。
 強制付与された治癒という名の鎖。
 能力によるブースト抜きでは、吉蔵は到底戦える相手ではない。
 唯一通用する武器を奪われた。鳥肌が立つのを感じながら、飯綱火は笑う。

『誠也くんに追い詰められた私はただ焦って、笑えなかった』

病床の志津屋は悔いていた。あなたは笑ってと言っていた。自分が死んだ後も戦い続けるだろう戦友には、逆境に笑える者であって欲しいと。
一度は折れてしまった自分だ。それでも、強がって笑ってみせる。

「トドメじゃ……」

 右手に白炎が収束、炎を越えてプラズマと呼ばれるところまで高まる。
 吉蔵が繰り出すは治癒効果を無視して触れたものを蒸発させる、聖光を纏った手刀。

 強制敬老白滅閃!

 ――パンッ――

「っ!?」

 今度は吉蔵が目を見開く。
 唐竹に振り下ろしたはずの手刀は合わせて打ち込まれた左の裏拳によって巧妙に逸らされる。
 空振った手刀から走った光は山肌を走り、麓の樹海までもモーセの如くに斬り裂いた。

 予期せぬ一打を横から受ければ軌道が逸れるのは不思議ではない。
 おどろくべきは飯綱火の拳の速さだ。
吉蔵の目にも見えない、打たれてから気付く神速。
 セイクリッドファイアの強制治癒は、たしかにLIMIT UNLIMITEDの大部分の制約を封じることができる。
 だが、それが全てではない。

 今度は飯綱火が右の縦拳を顎めがけて繰り出した。
裏拳よりいっそう速く、やはり反応を許さずに突き刺さる。
 五色那由他の十七条拳法も死後退位拳も、軌跡を辛うじて捉えることはできた。
 だがこの拳は那由他より吉蔵より速く、そして。

――軽っ!

 速さ優先の打撃は体重が乗らず威力がない、にしてもあまりに。
 寸止めでもなく、文字通りの雷速で打ち込まれたというのに、運動エネルギーを全く感じさせない。

 LIMIT UNLIMITED――パンチスピードの強化、制約は威力の低下。

 先の裏拳は不意に横から当てて手刀を弾けるギリギリの重さを残して、今度はそれすら削ぎ落として。
 効かないパンチをわざわざ打ったのはダメージを与えるためではないからだ。
 ()()へと繋げるためには、顎に拳を「置いておく」だけでよかった。

 それとは即ち――発剄。

 軽すぎるパンチが生む困惑、刹那の隙、拳を捻じり上げるようにして勁力を撃ち込む纏絲勁(てんしけい)

――どう、だ!?

 脳を揺らせれば、結果この白炎の治癒効果が一時でも消えれば、今度こそ再発動する。
 効果のほどを確認して攻め手を選べるほど、飯綱火に余裕はない。
 頭を引き込んで膝蹴りへ繋げるべく、勁を打ち込んだ拳を滑らせ――。

「――強いっ……!」
「っ!?」

 拳を引くより先に、吉蔵の下顎によって挟み込まれ、固定されていた。老人の細い首にこけた顎が、しかし拳が軋むほどの力で抑えこみ逃がさない。
 にたり、と吊り上がった口角。
吉蔵の口中には聖なる白炎が、収束して滅びの威光が生み出される。

 天孫降臨撃滅光!!

 宝永の大噴火から約300年。
 その時を上回るエネルギーの奔流が不死山に吹き荒れた。
 天に立ち上った光の柱が上空の雲を消し飛ばす。その光景に遠方の観測者はこの世の終わりを予感させた。

 奔流の中心地――砂塵の中に男はいた。
 エネルギーの奔流に刺激されたのか、山が震えていた。

「はっ……はっ……!」

 先ほどとは逆の光景だった。
 今度は吉蔵が殴り飛ばされたように巨岩にめり込んでいる。
「はっはっは……」

 吉蔵は生きていた。顎を砕かれ、自ら吐いた熱線で32本の歯は半分ほど消し飛んでしまったが、命に別状はない。
 足下には、飯綱火の右手首が転がる。そこから下は消し飛んでしまった。
 では、吉蔵の勝利か?
 いや。

 砂煙の向こう、隻腕となった飯綱火が荒い息を吐いている。
 LIMIT UNLIMITED――パンチ力強化、制約は右腕切断。
 飯綱火は自ら右腕を捨てて吉蔵の拘束を逃れ、強化した左拳で撃滅光の噴射口にフックを見舞ったのだ。

「はっ……はぁーーっはっはっはぁーー!!」

 たかが83年生きた程度で、人生悟ったようなことを言うものじゃない。不死を求める者たちの気持ちがよく分かる。
 生きている限り、こんな強者に出会えるチャンスがいくらでもある。

――婆さん、間違っとらんかったな、儂。

 家で応援してくれている妻に届かぬ言葉を投げた。

「強い、強いのう……お主()

 賞賛の言葉に、片腕の飯綱火は表情を綻ばせるでなく、ただただ変わらず目でこちらを見ていた。「残心」の気力さえ整っていないが、紛れもない戦士の眼差しだった。

「じゃが、最強は「俺だ」」

 飯綱火の言葉に遮られる。

「世界最強は、俺だ……。あの世で桐ちゃんにリベンジするまで、俺が世界最強だ」
「ロマンチックじゃなあ~」

 大言壮語。
 すでにお互い、一敗している身だ。
 自分を破った者たちが、今まさに雌雄を決しようという時だ。
 それでも言っていいのだろうか。最強などと
 いいのだと、お互い知っている。知っているから戦ってこれた。
 我こそは最強と、誰もが嘯いてきた。
 本当の最強なんて決めようがない。それでも俺はお前より強いと、言わずにいられなかった。

「つけようか、決着」
「ああ」

 最強のために拳を握る、2人の男が駆け出す。


――やることは、決まってる……!

 飯綱火の失った右腕、切断面はすでに治癒している。
 吉蔵の課した治癒効果は未だ継続中。
 かけられる制約はなくはないが、少ない。
 吉蔵もダメージは大きいはずだ。砕いた顎はやはり炎の力が癒やしているが、それでも身に纏う炎自体の総量は大きく減っていた。
 飯綱火と吉蔵、どちらが有利か。
 それでもやはり吉蔵だろう。
 飯綱火自身は万事ゴチャゴチャ考えてしまうタイプだった。
 それは戦いでは強みでもあるが、性格もあって小心、臆病にもなり得る。ただ今は、できることをする。これをすれば勝てると、愚直に信じ抜くしかない。
 LIMIT UNLIMITED――パンチ力強化。
 一発の拳を、ただひたすら強化する。

『他に攻撃をしてはならない』『敵の攻撃を避けてはならない』『フェイントを入れてはならない』『3秒以内に実行せねばならない』

 思いつく限り、どれほど軽い制約でも課していく。
 体内の、生命維持に直結しない臓器が活動を停止。吉蔵を倒すことに無関係なあらゆる生体機能を制約として削ぎ落とした。
 聴覚嗅覚味覚を喪失。無音の世界で、倒すべき男が迫ってくる。


 吉蔵が纏っていた炎が消失。
 全ては、ごく小さな火種となって、その右拳に宿っていた。
 超圧縮したセイクリッドファイアを打拳を通じて打ち込み、敵を内部から焼き殺す奥義・魔王炎殺拳。
 戦国時代にタイムスリップした際、織田信長を本能寺ごと滅ぼした技だ。その火柱は京都中を昼間と見まごうほどに照らし出した。

 2人の男が、再び互いを間合いに収める。
 一切の防御も回避も見せず、ただ拳を振りかぶった。

――いくぞ、大原吉蔵!
――飯綱火誠也!
――最!
――強!
――最強!!

 互いの全てを乗せた拳が、真正面からぶつかる。

 2016年、9月28日。
 不死山は309年ぶりに噴火した。

 溶岩を噴き上げる火口に目もくれず、飯綱火誠也は立っていた。
 目の前には、左半身を吹き飛ばされ、立ったまま崩御した大原吉蔵の姿があった。

「はあっ……は……」

 胸に火が灯っているのを感じた。
 吉蔵の打ち込んだセイクリッドファイアの火種が飯綱火の体内にて解き放たれようとしている。
 間もなくこの体は業炎に飲まれ灰と化すだろう。

 ――制約で死ぬのと、どっちが先かね。

 制約――パンチを撃って5秒後に死亡。
 残り少ない命を振り絞り、飯綱火は、肘から先が消し飛んだ左腕を高々と突き上げる。

「最強……最強……最――」

 300年ぶりに火を噴いた不死の山。
 避難する周辺市民は、溶岩と並ぶように天を焦がすもう一つの火柱を見たという。

C2トーナメント第4回戦
飯綱火誠也対大原吉蔵
勝者:飯綱火誠也

最終更新:2016年09月25日 01:53