第四回戦SS・駅その2

●病院 霊安室

 死体の腐敗を避けるためかひどく寒い霊安室。
 その真中に、顔に白い布を被せられたヤスリがいた。
 今、ここに居る人間は仙波透だけだ。
 他の人には帰ってもらった……ヤスリは、もう、物言わぬ死体だ。
 頬に手を触れると、外気とたいして変わらぬひんやりとした温度が伝わってきた。その温度が、ヤスリが死んだという単純な事実を透に実感させた。
 無力感が涙となり、透の目からこぼれていく。
 最初は点々と、やがてとめどなく涙が溢れていく。こぼれ落ちた涙がヤスリの頬を濡らした。
 ぴくり、と、ヤスリの肌が動いた。
 透は、その動きを見逃さなかった。
 もう一滴、涙が落ちる。さっきよりも大きく、ヤスリの肌が動いた。

「ヤスリ……?」

 応えるように、ヤスリの目蓋が薄っすらと開く。

「ヤスリ、ヤスリ……!!!」

 目を覚ましたヤスリは、自分の状況を確かめるように辺りをキョロキョロと見回した。
 やがて、ヤスリと透の目が合った。といっても、透の視界は涙でぐちゃぐちゃで、よく見えなかったが。
 ヤスリは、手を閉じたり開いたりを繰り返すと、上半身を起こした。

「無理するな、ヤスリ。今、医者を……」

 透が医者を呼びに行こうとすると、待て、とヤスリは手で透を制し、続いて手招きをした。

「どうした、ヤスリ?」

 透は妹の言葉をしっかり聞こうと、ぐっと、顔を近づける。

「危ないことしないでって……言ったでしょうが……」

 ヤスリの口から、震える言葉が漏れ聞こえた。その震えは兄との再会を喜ぶ感動というより、別の何かを感じさせた。透は視界の端に、妹が拳を握るのを見た。

「お兄ちゃんの……バカー!」

 拳一閃。
 透の死角から放たれたアッパーカットは、透に能力を使う暇すら与えず見事に顎を捉えた。
 薄れ行く意識の中、最後に透が見たのはやたら元気になったヤスリが連続攻撃の構えを取る姿だった。


 『もう一生分寝た(ヤスリ・アウェイクン)』!!!
 仙波ヤスリが目覚めた新たな力である!
 日に日に長くなる睡眠時間への焦り!そして自らのために道を誤る兄への哀しみ!
 それは、彼女を魔人という新たなステージへ誘うには充分だった!
 圧倒的寝貯めによる不眠能力!今の彼女は睡眠という枷から解き放たれ、目を見張るほどの健康体を手にしたのだ!

 そして元気になった仙波ヤスリが最初にしたのは、溜め込んだ不満を拳に込めてお兄ちゃんにぶつけることだった!

――仙波ヤスリの気分が晴れるまで、実にパンチ20発!
――その日、1枚のC2カードの所有者が変わったのだった……!




●道の駅

《いやー、まさかガムテープで巻いたら直るとは。何事もやってみるものですね》
「簡単すぎて盲点だったわよ……あんたの命って何なの?」
《与えたマスターに分からないのでしたら私にも当然分かりませんよ》
「……いやまあ、直ったからいいんだけど」

 元気になったVINCENTと会話をしながら、物部ミケは呼び出しに応じて道の駅までやってきていた。
 道の駅ではこの地方の特産品が並べられており、漬物や魚、モーニングスターなどが所狭しと置いてある。

《しかしマスター。私も本調子ではありませんし、何か追加の武器を調達してみては?モーニングスターなど如何でしょう?》
「嫌よ。モーニングスター持ち歩くとか完全に不審者じゃない。相当の非常時でもやりたくないわ」

 ミケはモーニングスターを嫌そうに見てから、辺りを見回した。
 時刻は約束の五分前。こちらを呼び出した相手――いつの間にか仙波透と入れ替わって参加者になっていた、仙波ヤスリという奴はもう来ていてもおかしくない。
 平日昼間ということもあって、道の駅に客の姿はまばらだ。
 ちなみに学校はC2バトルがあると言ったら公欠にしてもらえた。担任のモーニングスター四郎先生には「頑張れよ、応援してるぞ!」とまるで部活の大会に行く生徒にかけるような台詞で送り出された。
 道の駅に居る客は、ミケ以外には一組。屈強な男とちょっと痩せているが元気ハツラツな女の子の二人組だ。

「へー、名物のモーニングスターソフトクリームかー」
「食うか、ヤスリ?」

 ヤスリは答えなかった。ぷいっと顔をそらし、手だけ透に向けて差し出した。
 透は財布を取り出し、その掌にソフトクリーム代を置いた。
 復活して、思いっきり一方的な兄弟喧嘩をしてから、ヤスリは透と全く口を聞いてくれなくなった。


「お兄ちゃん。いつもありがとう。 
 でも、もういいの。私のために、がんばらないでいいから」

 ヤスリは、静かにそう言った。


 これが、ヤスリとの最後の会話になった。

 前の戦いの冒頭で言った通りの結果になってしまったのだ。
 仕方ないことをしたといえ、お兄ちゃんはすごく悲しかった。

「あ、モーニングスターソフトって栗味なんだ」

 美味しそうにソフトクリームを舐めていた仙波ヤスリは、ミケの姿を見つけると手を振った。

「あ、物部さんだよね。こっちこっち!」
「ヤスリ、物を食べながら喋るのは……」
「……」

 ヤスリは透を無視してソフトクリームを一口で食べた。
 復活して、思いっきり一方的な兄弟喧嘩をしてから、ヤスリは透と全く口を聞いてくれなくなった。

+ 以下、さっきと変わらないので折りたたみます
「お兄ちゃん。いつもありがとう。 
 でも、もういいの。私のために、がんばらないでいいから」

 ヤスリは、静かにそう言った。


 これが、ヤスリとの最後の会話になった。

 前の戦いの冒頭で言った通りの結果になってしまったのだ。
 仕方ないことをしたといえ、お兄ちゃんはすごく悲しかった。

「あ、ごめんなさい。こっちから呼び出しちゃって。平日だったけど大丈夫でした?」
「あ、うん。大丈夫だったけど……えっと、あんたが仙波ヤスリ……でいいのよね?」
「はい!こないだC2 カード所有者になった仙波ヤスリです」
「……そっちの人は?」

 ミケがそういうと、ヤスリは冷たい目を透に向けて手招きをした。
 透はヤスリに近づくと、気をつけをした。背筋に棒の通っているようなしっかりした気をつけだった。

「これは武器です」

 ヤスリは透の足首を掴み、両手剣のように構えた。

「武器」
「はい。人の話を全然聞かないので、人ではないと思います。硬いので、武器ですね」
『あの……ヤスリ……』*1
「武器は人の話を聞かないので、私も武器の話は聞きません」
『……』

(三度目なので透の悲しみは省略します。読みたい人は上の方を見てください)

《マスター!これは許せませんね!武器をないがしろにするとは!》
「……ええっと、どう反応すればいいかわからないんだけど」
「あ!そっちの武器はちゃんと会話ができるんですね!羨ましいなあ」
《VINCENTと申します。よろしくお願いします、お嬢さん》
「はい、よろしくお願いしますね。VINCENTさん」

 ヤスリの武器の先端から雫がこぼれ落ちた。ミケは流石に不憫ではないかと思った。

「そういうわけで、どっちが勝っても恨みっこなし、ということで。正々堂々よろしくお願いします」
「……まあ、うん」

 正直もう帰りたい、とミケは小さく呟いた。
 VINCENTは《真面目に戦わないと学校サボり扱いになるんじゃないですか?》と言った。
 流石にそれは避けたかったし、まあ友達料ももう少しほしいな、と思ったのでミケは頑張ろうと思った。
 深呼吸一つ、ミケは竹刀袋からVINCENTを抜き放った。

《グアアア!!》

 勢い良く抜かれたことで、VINCENTの補強に使ったガムテープが剥がれ、VINCENTが二つに別れた。

《短いお付き合いでしたが、ありがとうございました……元気で、ミケ》

 そうつぶやいたが最後、VINCENTはもう言葉を発することはなかった。
 ミケは、(この日では初めて)親友を失った。

「あ!タイム!タイム!ちょっとこいつ直すから!」
 ミケは慌ててガムテープを取り出し、VINCENTを修復した。
 ヤスリは律儀に待っていてくれた。

《ふぅ……死ぬかと思った》
「いや、あんた本当に大丈夫?見学する?」
《何を言うんですかマスター!マスターの相棒は私だけですよ!共に戦いましょう》
「いやまあ、あんたがそう言うならいいけど……」

 このやり取りを聞いてヤスリは感動の涙を少し流した。武器も泣いた。ヤスリは何も言わず武器のケツを平手で叩いた。
 叩かれるのに合わせて能力を解除したのか、パチーン!といい音がして武器は痛がっていた。武器の肌は硬い。「妹が硬いものを叩いて怪我をしないように」という心遣いは、武器に残された兄としての優しさだった。
 お互いの武器が落ち着くのを確認してから、二人は戦闘を開始した。
 ヤスリは、覚醒により魔人としても上位に位置する身体能力を得ていた。
 力任せに武器を振るい、障害物を破壊しながらミケを追い立てる。
 損害賠償は兄が人の願いを無視して戦って得た報酬から払えば良いということを活かした、大雑把ながら有効な戦術だった。
 一方のミケは精細を欠いていた。
 振ろうとするたびにVINCENTの補強部がグラグラするので、手で押さえないと戦っていられなかったからだ。

《短いお付き合いでしたが、ありがとうございました……元気で、ミケ》

 そうつぶやいたが最後、VINCENTはもう言葉を発することはなかった。
 ミケは、(本日二度目!)親友を失った。

「ああもう!ちょっとあんた!直しといて!《万物の主(マテリアルスレイブ)》!」
『え、あ、はい』

 面倒くさくなってきたので、VINCENTの修復はガムテープに任せることにした。
 ミケの剣幕にガムテープは素直に言うことを聞いてくれた。言うことを聞かせるためには毅然とした態度が重要なのだ。
 こんな状態だが、ミケはヤスリと互角に戦えていた。
 なぜだかヤスリがどちらかというと出来るだけ高そうな備品に武器を叩きつけることを優先したからだ。

『あの……ヤスリ……さん?無駄に物を壊す必要は無いと思うんですが……お兄ちゃんの賞金も有限ですし……』
「聞こえませんー!お兄ちゃんが私の言うこと聞いてくれなかったのと同じぐらい聞こえませんー!」

「お兄ちゃん。いつもありがとう。 
 でも、もういいの。私のために、がんばらないでいいから」

 そう静かに言っていた妹を思い出して武器は泣いた。あまりにも悲痛な涙だった。
 流石にその隙を逃すミケではない。出来るだけVINCENTがグラグラしないようにしながら接近し、仙波ヤスリに向かってキックをした。

「ヤスリ、あぶない!」

 透は能力を一部解除し、ミケのキックをガードした。

「おかしいなぁ?武器は勝手に動かないと思うんだけど」
『……はい』

 透じゃなかった。武器だった。

《マスター!なんでキックとかするんですか!あなたの武器はここにありますよ!ユアウエポンイズヒアー!》
「いや!無理に振ると折れるでしょ!?」
《マスターの力になれるなら……本望です……》
「じゃあせめて静かにしてよ!毎回あの時と同じ台詞言うからすごく心が痛むんだけど!」
《いや、死を間近にするとつい……》

 VINCENTと親友になってから数年。
 ミケは初めて、心の底からこいつ死ぬほどめんどくせぇ、と思った。

 ともあれ、二人の戦いは拮抗していた。
 ミケが攻撃しようとすると仙波透がガードする。そして怒られる。VINCENTの方は文句を言う。
 この状況が幾度となく繰り返され、ミケとヤスリの頭にはある思考がよぎっていた。

――状況を打開する手を打ったのは、二人同時だった。

「お兄ちゃんじゃないけどお兄ちゃん!」
「VINCENT!」

「「うるさい!!」」

 二人は同時に自分の武器を投げた。
 武器は同じ方向に飛び、二つとも同じゴミ箱に突き刺さった。

「さあ、第二ラウンドです。決着を付けましょう、ミケさん!」
「ええ、望むところよヤスリ!」

 ミケとヤスリは拳を構え、殴り合いを始めた。
 体力で勝るのはヤスリである。しかし、ミケはぼっちである。
 電灯の紐を使ったシャドーボクシングでの一人遊びは、ぼっちにとって有力な時間の潰し方だ。技術は勝る。

――『STANDING & FIGHT』

 ミケに回避技術を叩き込んだ電灯の紐の言葉を思い出しながら、ミケは戦っていた。

《ええと、その仙波透さん、でしたっけ……》
『いえ、俺はタダの武器です……今はゴミ箱に入れられてるんで、タダの妹の言うことも聞けないゴミです……』
《………》
『……』

 二本の武器の間に、言葉は要らなかった。
 何も言わなくとも、相手の気持ちがわかるような気がした。
 仙波透は握手をするように手を差し出した。VINCENTに手はなかったので、とりあえず柄を握っておいた。

《あ、曲がるから持ち上げないで》
『あ、ごめん』

 両者の間に絆が成立していると同時、本筋の方も決着がつこうとしていた。
 ミケの拳がヤスリの頬に、ヤスリの拳がミケの頬にめり込んでいた。
 クロスカウンターですらない。ただの相打ちだ。
 二人は、崩れ落ちるように仰向けに倒れた。道の駅の店員さんが気を利かせてくれて、オレンジ色のいい感じの照明がついていた。BGMもなんかいい雰囲気のやつが流れていた。

「やりますね。ミケさん」
「あんたもね、ヤスリ」

 どちらからともなく、二人は笑いだした。
 熱い闘いをした相手を讃えるように、二人はしばらく、笑い続けていた。

《マスター……友達ができたんですね……》
『ヤスリ……』

 武器は二人共ちょっと感動していた。
 大切なのは、結果ではなく過程である。
 重要なのは試合の勝敗ではない、人生という長い戦いの中で、何を手に入れるかなのだ。

◯四回戦第四試合「駅」
物部ミケ 対 仙波透改め仙波ヤスリ
勝者:……

「あ、仙波さんすいません」

 いい感じの雰囲気が流れていたところで、道の駅の店員さんが仙波透改め武器……改め、やっぱり仙波透に声をかけた。ここで用があるのは武器ではなく人間である。

「はい」
「お支払いの件なんですけど……」

 店員さんは透に請求書を渡した。
 透は、残った賞金額を確認した。1000万足りなかった。

「…………」
「あ、警察呼びます?」
「ま、待ってくれ!」

 どうしたものか、と仙波透が悩んでいると、ゴミ箱から声が聞こえた。

《あ、仙波さん。提案があるんですけど……》



●聖ソレイユシャングリラ学園 ミケのクラス

 ミケとモーニングスター四郎の戦いの跡も修復され、教室には既に普段の賑わいが戻っていた。

「朝のホームルーム始めるぞー、お前ら、席につけー」

 朝の喧騒は、担任のモーニングスター四郎がモーニングスター片手に教室に入ってくるとピタリとやんだ。

「今日はビッグニュースがあるぞ。なんと、このクラスに転校生が来る」
「え!まじで!?」
「男?女?」
「彼氏は?」
「それは直接聞け」

 生徒達がざわざわと騒いでいる中、ミケだけ笑顔でそわそわしていた。
 教室の扉が開くと、そこには聖ソレイユシャングリラ学園の制服を着た少女が立っていた。
 少女はミケの姿を認めると、小さく手を振った。ミケはニヤニヤしながら手を振り返した。

「じゃあ仙波ー。自己紹介な」
「はい、仙波ヤスリです。先日まで入院していましたが、完治したのでこちらの学校に通うことになりました。皆さん、よろしくおねがいします」
「はい。みんななかよくな。それじゃあ席は……」
「《万物の主(マテリアルスレイブ)》!」
『あいよッ!』

 ミケは隣の席を叩いた。
 隣の席が元気よく動き、座っていた男子生徒が廊下に放り出された。

「物部の隣が空いてるな。じゃあそこで」

 男子生徒は教室に戻ろうとしたが、ミケの能力を使われたドアが閉まったため締め出された。

「よろしくお願いします。ミケさん」
「よろしく、ヤスリ」

 二人は嬉しそうに笑いあった。

「あれ?そういえばVINCENTさんは今日は一緒じゃないんですか?」
「ああ、あいつは……」


●聖ソレイユシャングリラ学園 一年生の教室

 教室の後ろ、今日やってきた転校生の席の周りは、まるで潮が引くように誰もいない空間が出来ていた。

「今日来た転校生……聞いたかよ……ダブリで19だって……」
「ヤクザともつながりがあるとか……」
「そういえば指が……」

 妹と一緒に転入した仙波透は、中卒なので一年生になっていた。
 周りがヒソヒソ話をしているが、大体事実なので全く否定が出来なかった。

「……真面目に生きるのって、大事だよな」

 透がため息をつくと、ミケから貸された竹刀袋から声が聞こえた。

《頑張ってください、透。私がついていますよ》
「……俺に優しい言葉をかけてくれるのはお前だけだよ、VINCENT……ヤスリもまだ冷たくてさ……」
《へへ、良いってことよ。俺たち、友達だろ?》
「VINCENT……!!」

 透は竹刀袋を硬く抱きしめた。

《あ、ガムテープが!折れる……!》
「ご、ごめん!」

 透は竹刀袋を、柔らかめに抱きしめた。
 生徒達は彼らを遠巻きに見ていた。

――後に仙波透とVINCENTはクラスで「アニキ」と呼ばれるようになるのだが、それはまた別の話。
――C2カードを巡る彼らの物語は、とりあえずここでおしまいである。
――めでたし めでたし

最終更新:2016年09月24日 23:56

*1 武器の台詞は『』でお送りしています