第四回戦SS・自宅その1

最終話

  • 千代田茶式-

冷たい空気が支配する。
虚と無を感じさせる砂の波。
広がる宇宙に漂う一個の生命の誕生と終わりを表現する樹木。

そんな庭園から目を背け千代田茶式は、その邸宅からすると細やかな母屋の一室で巨大なモニターを凝視していた。
これが最強か、ここまで負けを知らぬ魔人の戦いか。
その思索を遮るように声をかけるものがあった。

「如何でしたか?」

絶妙な温度で淹れられた茶を女がゆっくりと目の前に置いた。
傍に侍る従者は主の心を読む、そして時にはその心情を推し量る。
狭量な者であれば無礼と叱咤するかもしれない。
だが時に主に意見するくらいの者でなければ、と千代田は考えている。

「良い、様々な強さの果てにこやつが勝ち上がってきたこと、実に愉快」

事実である。
一見すれば最強と呼べぬかもしれぬ、だがその魔人は確かに最強と納得させる何かがあった。

「ですが、お館様」

と女は主に意見する。

「この他の残りの戦い、それはそれで面白くは有りましょう。ですが」
「言うてみよ」
「所詮は消化試合。もっと混沌とした戦いを見たいとは思われませぬか?」

女は千代田の口角が愉悦に歪むのを見た。

「ご用意致します」
「東京じゃ」
「は?」
「場は東京にせよ、あそこには全てがある」
「御意のままに」

女は一礼し部屋を出ようとする。
千代田は指を顎に当て其の白い髭を撫でた。

「元七坂と理想都市の技術者がおったであろう」
「庇護を求めて我らに従った者の事ですね」
「転送装置を作らせよ、できるはずじゃ。そう言うて我らに頭を垂れ臣従したのじゃ。やらせよ。呼び集めるのだ、戦士たちを東京に。その為の駒じゃ、できぬとは言わせぬ。東京中の住民も避難させよ」
「しかと」

女は静かに退室した。
千代田は庭を眺め愉快そうに微笑んだ。

  • ゴブリー-

シリえないことをシリたい?
うん、この時間にもきっと僕たちは考えている

シリたいことをシリたい?
うん、この瞬間にも必ず僕たちは想いを巡らせている

シリうることでもシリたい?
うん、この刻が止まるかのような

シリえたことをシリたい?
うん、この一瞬の為に僕は、きっと大きなものを産みだす事ができる

僕たちに国境は関係ない、僕たちに性別は関係ない、僕たちに年齢は関係ない

うん、この時間だけは、きっと

ゴBLEACHん

世界最強の暗殺者の事を誰も知る事はないだろう。
それに出会った者は必ず死ぬ事になるからだ。

だが、世界最悪の暗殺者はどうだろうか。

名の知れた最悪の暗殺者が居た。
暗殺者として名が知られるという事は本来ならば致命的と言える。
だが彼だけは常識から外れるといっても良かった。

人の命を刈り取るという事は、その人間から未来を奪い取るという事でもある。
だが時として、人は命を失っても未来を失わぬことがある。

偉大な指導者が死ぬ。
だがそこでその人物の未来が絶たれる訳ではない。
彼の支持者が、彼の信奉者が、彼の教えを受けた者たちが。
その道を継ぎ、前に進むだろう。
彼の名は残り、最早殺す事の出来ぬ存在になる。

そんな時、最強の暗殺者などに何の意味があろうか。
死ぬ事に意味を成さないのであれば、殺す意味すらない。

だが最悪の暗殺者は、時に命を奪うことをしなかった。
彼が殺すのは、人物の名声であり尊厳であり社会的地位である。
けして消えぬ恥辱とともに標的を社会的に抹殺する。

それが最悪の暗殺者。
彼は、戯れに人を殺す事はしなかった。
依頼に基づいてのみ標的を殺す。

それが一流の暗殺者の矜持でありルールだ。

たとえ莫大な賞金のある戦いですら。
彼にとって本気で暗殺の技を振るう時ではない。

だが、この戦いには数人の殺すべき標的が居た。
よほど恨みを買っているのだろう。
依頼を受けたならば、殺さねばならない。

深く息を吸い込むと、男の体は引き締まった。
別人のような姿へと変貌し、標的に近づき殺す。
およそ魔人能力と呼ぶのも烏滸がましい『48の殺尻技』を持つ男

しかし今の姿は東京は新宿二丁目に降り立った美女。
それが最悪と呼ばれた暗殺者ゴブリーであった。

突如の転送の意味を理解し、鋭気を養うためにゴブリーはハッテン場へと消えた。

  • 傀洞グロット-

人としての限界に限りなく近づいても、魔人には及ぶことはない。
だが、それは一人での話だ。

腕にある無数の裂け目が哄笑とともに大口をあけた。
口と口と口と口と口と…、それらが開くことで女の腕は長く伸びる。

げら、げら、げら、げら。

不気味な笑い声とともに蛇腹のように伸びた腕が男の体に巻き付き、その口が肉を抉りとる。
悲鳴を上げることもできぬまま男は地に伏した。

「怯むな、進め!」

ナイフを構えた男が、銃を持った男が隊列を組み、欠けた穴を埋めるように走る。
蠢く一個の生物のように。
人間の限界値に限りなく近い軍隊。

グロットはこの地に降り立ってから絶え間なく人造人間を呼び出し続けていた。
彼の魔人能力『凡百の尖兵』は。
彼の故郷より人造人間を呼び出す能力である。
その身体能力は魔人には及ばないが人としての限界には近い性能を持つ。

「個々の力では及ばないかもしれない。所詮はどこまで行っても人間の力だからね。それを模倣した僕たちでは、君たち魔人には及ばない。それは良く解ったよ」

この間も数十秒に一人、兵士たちがグロットの影から這い出てくる。

「でもね、チームワークならどうだろう。君たちは自我の肥大した究極の個人主義者たちだ。だからこそ僕たちは、ひ弱な僕たちは、仲間を信じ、連携して君たちを倒すとしよう。いずれ君たちも理想都市に到り。僕たちと共に生きる事になる。だから今は謝っておくよ。数に任せて勝つなんて卑怯な事をして悪いと思う」

最初こそ均衡していた倒される数と補充される兵士の数は、徐々にグロットの方へと傾いていく。
だが、女は笑顔を浮かべている。
笑顔、というのだろうか、だが彼女の体中にある口からは歓喜と感謝の笑い声が発せられているのだ。

「あは!お腹が空いたなあ!」

バクン!バリ!ゴキ!

抱きついて喰う。
巻きついて喰う
殴りつけて喰う。

その一撃一撃が、人にとっては致命的だ。

ナイフを銃弾を。
自分への攻撃すらも喰らい尽くす勢いで女、蟹原和泉は暴れ続けた

「その食欲も、きっと満たされない君の願望なんだね。いつか満たされた君と食事がしたいと思う。美味しいパン屋を知っているんだ。だから、そろそろ終わりにしよう」

すっとグロットが手をかざす、その手に操られるかのように兵士たちは動いた。

ぷぅ~、すかぁ~。

その時、グロットは確かに聴いた。
通常の人間では捉えられぬほどの微かな音色を。
違和感。

その一瞬が生死を分けた
素早く対毒フィルターのマスクを装着したグロットは、一瞬の動作の遅れで倒れゆく自らの軍団の終わりを見た。

ぱちぱちぱち。

やや湿った拍手の音は物陰から聞こえる。
そちらにも警備の人員を配置していたはずだった。

「優雅なる死の吐息(ブリリアントスカー屁ル)に対応できるなんて凄いゴブ~」

和やかな笑みを浮かべる女の名をグロットは知っている。
そして、その真の姿すらも。

「ゴブリー…」
「呼ばれて飛び出てブリブリ~、傀洞グロット。余りにも不甲斐ないその戦績。個人に気を取られ理想都市の代表にあるまじき意識の散逸。失態とみなし殺害の依頼が来てるゴブ」
「知ったことか、僕は僕の理想を実現する。理想都市はその為の物だ。この戦いも、その為に行う」

その返事を待つまでも無かった。
くるりとグロットに背を向けたゴブリーが飛翔する。
同時にグロットは拳銃をゴブリーに向けて撃った。

しかし昇竜ケツからのピストン尻ンダーは、グロットの放った理想都市製の強化拳銃の弾丸をいとも簡単に弾き飛ばした。
シリうる限りの知識を動員しグロットは攻撃を仕掛けた。
左手から放たれる電撃はグロットのサイバネアームに埋め込まれた電極から発せられる。
だがしかし、48の殺尻技の中でも特に激しく危険とされる十ケツ技、素晴らしきケェッツカラルドがパチンという音を立てて電撃すら両断する。

グロットが影より呼び出した人造人間の自爆特攻を十ケツ技、白昼の残ケツが破壊した。
グロットが放つ衝撃波を、十ケツ技、衝ケツのアルベルトが相殺する
グロットの蹴りを十ケツ技、幻惑のセルバンケツが霧散させる。

「ぐっ、これほどとは」

伝説の暗殺者ではあると聞く。
だが試合の映像を見るに、たいした物ではないと思っていた。

(違う、あれは擬態か!)

暗殺者が真の技をそう簡単に見せるはずがなかったのだ。
ゴブリーのいう標的という言葉の重みをグロットは感じていた。
だがそれでも、膠着を保ちつつ戦力を増員していけば押し切れる。
そう思っていた。

(このままでは負ける!この技を、使わなければ)

グロットの能力『凡百の尖兵』にはもう一つの効果があった。
対象を理想都市へと送る力が。
実際のところ理想都市への行き来という能力の表裏一体の使い道である。
その気になれば対象の同意がなくとも強制的に転送はできる。

(だが、それは相手を理想都市の住人と認めるということ)

目の前の女装がはちきれて肉がはみ出すおっさんゴブリンを。

(理想都市の住人と認めていいのか?)

その一瞬のためらいが。
致命的だった。
目の前のゴブリーに注力し、背後を取られた時にはもう遅かった。
蟹原和泉ではない。
彼女もゴブリーの毒ガスに倒れるのを彼は目撃している。

十ケツ技、直ケツの怒鬼を受け流したとき。
グロットの背後から囁きが聞こえた。

「可愛い子ね、あの子。とても幸せそうだったわ、貴方達。そうそうパンは美味しかったかしら?」

とても嬉しそうな、それでいて威厳を持った声と、他人を見下すような冷酷な笑みを浮かべた量橋叶が立っていた。

  • 量橋叶-

量橋叶は復讐に燃えていた。
それでも冷静に冷徹に。

あの女に敗北したことが、そもそもの間違いだったのだ。
この世界の全てを知り、全てを動かすことにさえ手をかけることができたはずなのに。

あの女だけは殺すだけでは足りない。
自分が受けた以上の屈辱と恥辱を与えなければ気がすまない。

その為になら、誰とでも手を組もう。
自分を殺した最悪の暗殺者。

殺害依頼の見返りは仕事を手伝うこと。
今更、道具に怒りを覚えても仕方ない。

自分に突き立った刃を抜いて、あの女に突き刺すだけのことだ。
その点においてゴブリーは最高で最悪の毒だ。

仕事という壁を挟むだけでゴブリーは意外にも付き合いやすい相手だった。
闇に生きる者としての波長があったのかもしれない。
あだ名で呼ぶのだけは勘弁して欲しかったが。

「今まで食べたパンの枚数を覚えているかしら?」

量橋叶の魔人能力は『逆巻く星占い(ホロスコープ)』。
その言葉で他人の記憶を、肉体の変化すら巻き戻し呼び起こす。

その言葉と共に、グロットの体は爆散した。
その肉体から溢れ出るパンを見て、グロットは微笑みながら死んだ。

グロットだった肉の塊を冷たい目で見下ろしながら叶はため息をついた。

「これで良いのね?」
「いい腕だったゴブ、カナエッピ」
「カナエッピ言うのやめてくれる?」
「ゴブが手を下す必要はないゴブ、そこまで地に落とす必要はない標的だゴブ、カナエッピ」
「いや、カナエッピ言うのやめろよ」
「理想都市からしても生き返るのが前提のお仕置きのようなものだゴブ。逆らうとお前の大事なものもこうなるぞという脅しだゴブ」
「ふん、甘いわね」
「そこまで恨まれる極悪非道ではなかったという事ゴブね、社会的に抹殺してしまっては理想都市も困るゴブ」
「私はそこまで恨まれた極悪非道って事ね!」
「自分の胸に聞いてみれば良いゴブ」

叶はハァと息を吐きだした。
この珍獣と関わっては自分を見失ってしまう。

「約束は果たしたわよゴブリー。七坂七美、やってもらうから」
「わかったゴブまかせ…ゴブッ!?」
「クッ!!」

不意の一撃を二人は咄嗟に避け切った。
占い師としての直感と、暗殺者としての鋭さだろうか。

けた、けた、けた。

笑い声が木霊する。
伸びた腕から、足から、体から。

蟹原和泉のとぼけたような美しい顔にある口がニィと釣り上がり笑う。

「毒、効いてないじゃない」
「そういう体質の魔人だったのかもしれないゴブ」

ギャリ!
唸りを上げて地を削り、グロットとその体から湧き出たパンを和泉の腕が、腕についた無数の口が抉り喰らう。

「おいしいです」

もぐもぐと和泉は咀嚼する。
その顔はとても満足で幸せそうだった。

「お肉」

更に鞭のようにしなる腕が口を開き蛇腹のように伸びる。

「ハン!化け物め!」

予測していたかのようにその攻撃を避けた叶が和泉に肉迫した。

「今まで食べた食事を思い起こしてご覧なさい」

これまでの戦いは調査済みだ。
大食いである和泉は常に何かを食べている。
凄まじい容量ではあるが、それにも限界がある。
数日分の食事は、蟹原和泉の体よりも容量が多い。

「破裂して死ね」

ザグ。

「え?」

和泉の腕が叶の腕を削り取った。

「おいしい」

和泉の魔人能力『□(マウス)』は体に無数の口を産み出す能力。
その口で食べた食事は食道や胃には到達せず消滅するのだ。
その食欲はまさに“宇宙”。

「吸った空気を思い出してご覧なさい」

腕を失ってなお叶は攻撃を再開する。
食べたものでダメならば。

ゾリ。

「あっぐう!」
「おいしい、おいしいね」

叶の足が喰い千切られる。
口から入った物は空気さえ消滅する。
確かに和泉は呼吸をし、食物を食べ生きている。
消滅する先は彼女の体内なのだろう。

その容量は無限なのだ。

「いただきまあす」

和泉は、叶を抱きしめるように近づいていく。
それでも叶は退く事を良しとしなかった。
もう負けるわけにはいかない。

「その体に受けた傷を思いだせ!」

バリ!バリバリ!

和泉の体が裂ける。
体に無数の切り傷が生まれる

「ハッ、ハハ!死ね!」

ガパ!
傷は、口であった。
美しい歯の生えた、美しい口であった。

げら、げら、げら、げら

美しい口から悍ましい声が叶を嘲笑う。

「ゴブリー!助けなさい!」
「助けるのは契約外だゴブ、でも安心してほしいゴブ、七坂七美は仕留めて見せるゴブ。カナエッピ、それはもうダメだゴブ」

その言葉を残しゴブリーは闇へと消えてゆく。

「カナエッピ言うなあああああ!」

バクン。

「ごちそうさま」

  • 黄連雀夢人-

夢人は明け方に薄くかかる朝靄が嫌いではなかった。
しっとりと湿った空気と共に古書街の深層から漂ってくる。

紙魚を狩る事を生業とするビブリオマニアが活動を始める頃合だ。
紙を喰らう、この銀色の蟲は魔道書の文字の変じた物の怪だという。
何も無い所から湧き出ると古の書家は言った。

(で、あるならば。)

と夢人は思う。

(私の見ているこの悪夢も、けして荒唐無稽という訳ではないのかもしれない)

夢人の店に貼られた古いポスターの文字が。
ぞわり、ぞわり、と蠢き何処かへと消えてゆく。

(紙を喰らいに行くのか、それとも紙魚狩りに狩られミスリル銀の原料にされるのか)

疲れた貴方に愛情を、と書かれていたポスターの文字はもう無い。
ポーションの小瓶を掲げた水着の女の顔は微笑んでいるのだろう。
黴に塗れた、その表情を伺い知ることはできない。

そんな悪夢の中でも。
ひやりとした。
肺一杯に朝靄を吸い込むと。

鼻腔には微かに紙の香りが残った。

「あら、綺麗な布ね」

真砂がころころと笑いながら指を夢人の頬に沿わせた。

「くすぐったいですよ」
「くすぐったいのなら笑ってもいいのよ、夢さん」

夢人が手に持った色鮮やかな布は。
魔道書を保護するブックカバーとして売られる、この店の人気商品だ。
強い意味の込められた糸で織り上げられた強度と魔力の込められた、布。
深奥を探索する際に、酸や、炎から本を守る魔法が掛けられている。

「だって眉間に皺がよっているんですもの、また難しい事を考えていたのでしょう?」
「そんなことはありませんよ」
「唐草、蜻蛉、曼陀羅。私は朝顔が好きだわ、でも、びいどろも良いわね」

夢人が持つ布地を指差しながら真砂は悩ましげに呟く。
夢人は、その時の少し八の字になった眉が好きだった。
針と糸を動かしながら夢人は布地を縫い合わせていく。

「ふふ」
「何ですか?」
「お裁縫、下手ね」
「仕方ないでしょう」

布を袋状に縫い合わせ砂を詰めていく。
夢人の魔人能力『ザントマン』は眠りをもたらす砂を産み出す力だ。
砂を操る事もできる。

「あら、お手玉ね。素敵」
「昔はよく遊びましたね」
「一つ、ひととせ、夢を見て」

しゃん。

いつの間にか真砂は手にお手玉を弄んでいた。
あの日、持っていたのと同じ。

しゃん、しゃん。

綺麗な音が鳴る。

「二つ、降る降る、雨が降る」

しゃん、しゃん。

「三つ、緑の、水底に」

しゃん。

「四つ、宵闇、夜も更けて」

しゃん、しゃん。

お手玉がくるくると中空を舞う。
夢人は真砂の歌を聴きながら針と糸を布の海に泳がせる。

「五つ、何時まで、居れば良い」

しゃん、しゃん。

「六つ、骸と、夢に消え」

しゃん。

「七つ、泣いても、亡くならぬ」

しゃ…。

「わあ、お姉さん綺麗な歌声ですね」

夢人が顔を思わず顔を上げた。
自分も口ずさんでいたのだろうか。
目の前にいる、少女は、明らかに真砂の方を見ていた。
客であろうか。

「いらっしゃい」
「歌、素敵ですね。悲しい歌ですけれど」
「何かご入用ですか?」
「ポーションを一つ欲しいんです、ありますか?」
「はい、大丈夫ですよ」

戸棚の分類ラベルはカサカサと物陰へ消えて行ったが、場所は覚えている。
桐の引き出しを開け、切子硝子の小瓶を取り出す。
中身は虹色に明滅する液体である。

「はい、これ」

少女がじゃらじゃらと硝子珠を皿に置いた。
いつしか文字だけでなく、世界が歪んでいくのを感じていた。
けれど、無骨な金属の硬貨よりも硝子のほうが綺麗だと思うし、無色の液体よりは虹色の方が美しい。

「ありがとう、お姉さんもまたね」

タッタッタ、と軽快な足音と共に少女は走り去っていく。
一度こちらを振り向いて少女は手を振った。
真砂も微笑みながら手を振り返した。

「あの子」
「どうしました?」
「夢さんと同じ瞳だったわ」
「そう、ですか」

裁縫はちょうど終わった。

行かなければならない。
体が光に包まれて行く。
何処かへと誘う光

「夢の中に居るんだわ。きっと」
「それなら少し、話をしてみても良かったかもしれません」

少女の見る夢と、自分の見るこの歪んだ世界は同じものなのだろうか。

(そういえば、あの子の顔。黴が、なかったな)

光が消えたあと。
黄連雀夢人が立っていたのは東京の古書街だった。

「なんだ、あまり変わらないじゃないですか」

すぐ近くで争いの気配を感じ、夢人はふらりと歩き出した。

  • 蟹原和泉-

彼女は常に飢えを感じていた。
いつの頃からかはわからない。

だが漠然とした飢えを感じていたのだ。

そのせいか、和泉は他の事に意識の重きを置かぬ子供だった。
なんとなく生き、なんとなく過ごしてきた。
おなかをすかせて。

この戦いにも成り行きで参加したようなものだ。
でも、今は理解できている。

つい先日の事だった。
道ですれ違った少女に一言告げられたのだ。

「お腹空いているんだね?」

と。

特に意識はしたことがなかった。
食べるのが好きではあるがそれまで普通に過ごしていたはずだった。

「いや、別に」

と和泉は答えた。

「そうかな?じゃあきっと違うものが食べたいんだよ、デザートは別腹っていうじゃないか」

目が覚める思いだった。
漠然と食べ続けた彼女がそれでも飢えていたのは。

食べるべき物が違ったからなのだ。
気付いた時いはスポーツをしていそうな少女は風のように走り去ったあとだった。

食欲をそそる香りがする。
目の前にいる魔人と呼ばれる生き物たち。
この中に凝縮した旨みは和泉だけが感じることができる天上の甘露である。

それを食べるために生きてきたのだと和泉は漸く理解した。

「おや、これは剣呑ですね」

この目の前にいる和装の男も、彼女に喰われる為に存在したに違いない。

けた、けた、けた。

体中の口が歓喜に笑う。
早く、早く食べさせろと笑う。

ギャリ、和泉は両腕を振るう。
紙一重で避けられるのは織り込み済みだ。
口を閉じれば蛇腹の腕は一気に縮む。

一気に踏み込んで抱きつく。
食材に感謝を込めて、愛するように。

そういえば男の人に抱きつくのは初めてかもしれない。

男が振り下ろした布の塊のような鈍器を喰い千切り。

和泉は黄連雀夢人を抱きしめた。

「いただきます」

とても、甘い味がする。

男の人の血は甘いのだろうか。
あのおじいちゃんの肉は深みのある味だった
兵士たちの体はスナック菓子のようだった。
あの女の人の肉は苦味があってそれでいて辛く甘かった。

とても美味しい
この、肉の 味 

 夢


黄連雀夢人の魔人能力『ザントマン』は夢をもたらす砂を産み出す。

たとえ消滅しても。
口に入れた砂の行き着く先は蟹原和泉の体内である。
広大なる宇宙のような夢のような世界でも砂は泉を夢へと誘った。

「びっくりしましたが、相性が良かったようですね」

夢人は呟いた。
誰もいない虚空に向かって。
それは他人が見ればすぐそばに誰かが居るかのようであった。

  • 鮎坂千夜-

お姉ちゃんのことが好きだった。
生き返らせる手段があると知った時はとても嬉しかった。

その手段が失われた時はとても悲しかった。

幾度も涙にくれたとき。

「とても悲しい思いをしているんだね」

と声をかけられた、あれは誰だったのだろう。
今はもう思い出せない。
風のように走り去っていった事はだけ覚えている。

「君のお姉さんは、いつも君のそばに居るよ」
「ホンマに?」
「本当さ、今日も同じような人に沢山出会ったよ」

その目は正気ではないような気がした。
でも、それでも良いと思った。
正気でなくとも、それで幸せを感じられるなら。

「君の胸の中にお姉さんはいる。あとはそれを知ってもらえば良いんじゃないかなあ」

千夜の胸に何かが生まれてくるのを感じる。

「そうすれば、話を聞いた人の中にも君のお姉さんは生き続けることができるのさ」

その人は何処かへ行ってしまった。

でも千夜は、お姉ちゃんの素晴らしさを全ての人に伝えようと、心に決めたのだ。

例えば目の前にいる4人に。

鮎坂千夜の魔人能力『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』はその言葉を聴く全ての者を魅了する。

  • アリア・B・ラッドノート-

動くことはできなかった。
吸血鬼ゆえの特性で魅了には耐性があるはずなのに。
それでも動くことはできなかった。

いや、正確には動くことはできるのだ。
だがその邪魔をすることができない。
攻撃することができない。

以前は跳ね除けた能力であるはずなのに。
眼前の少女の語りは圧倒的であった。

「お姉ちゃんとね、お祭りに行ったんやけどね。その時なお姉ちゃん財布忘れてしもうてな」

嬉しそうに少女は語る

「かき氷買われへんやんって吃驚した時のおねえちゃんな、めっちゃ可愛かってん」

楽しそうに少女は語る。

「いっつも綺麗なお姉ちゃんやけど、そういう時ぬけてるいうんか、ちょっとどんくさい言うか」

悪意もなく。

「なんやろね、でもウチが代わりにお金払うたら、おおきにね、って言うてくれたんよ」

殺意もなく。

「楽しかったなあ、そや、夏休み言うたら海に行った時のことやねんけどな」

ただひたすらに語り尽くす

この語りの熱をアリアは知っていた。
この愛の熱を知っていた。

自分の従者たる巡夜未来が自分のことを話すときと同じだ。

アリアの魔人能力『B.compact』はアリアへの愛に応じて下僕の力を強化する。

(同じだ。きっとこの子は成長したんだ。愛によって)

「いい話ですねえ、アリア様~」

愚かで愛しいアリアの下僕はその話に普通に感動している。

「私もアリア様と海へ行きたいです。そ、それであのオイルを…うへへえっへへ」

という事はないようだったが。

「まいったゴブ~、このまま全ての参加者を巻き込んで時間切れに持ち込むつもりだゴブ」
「どうやら、そのようですね」

謎の美女ゴブリーと車椅子の女、七坂七美。
彼女たちも動くことはできない。
この愛の力があれば、数日は飲まず食わずでも話し続けるだろう。
そう思わせる力がこの語りには、ある。

愛の力は全てに勝る。
アリアはそう信じて立ち上がる未来の姿を何度も見てきた。
で、あるならば、この力は簡単に破ることはできない。
自身が愛の力を使うがゆえに、この姉への本物の親愛を打ち破るのは困難であると知る。

「このままではダメということね」
「そうでもありません」

アリアの呟いた言葉に七美がそう答えた。
音も立てずに車椅子が前進する。
ごく自然に

「千夜さん」

と七美は問いかける。
あくまで相手の会話を邪魔しないように。

「お姉さんとゲームした時の話を聞かせてくれるかしら?」
「うん、ええよ」

七美は話の中に踏み込んでいく。

  • 七坂七美-

七坂七美には夢がある。
全ての人が等しく手を取り合い平和に過ごすという夢が。

七坂の主の立場も関係なく、友人を作り、語らうという夢が。
そうすれば、兄とも隔てなく話すことができるだろうか。
人の欲望は人々の格差から生まれる、それがなくなれば、聞きたくない雑音から解放されるのだろうか。

やらなければ只の夢物語に過ぎない。
やってみてどうなるかはわからない。

全ての人々が武装することで膠着する平和な世界。

それを実現するために欠かせぬものがあった。

それこそは誰でも扱える武器。

拳銃ではダメだ、子供が使えたとしてもより強力な武器を持つものに負けてしまう。
体力のあるものがより強力な武器を携えたとき、弱者が敗北するのでは意味がない。
手が不自由なものが扱えなくても意味がない。

あくまで平等なる戦いのフィールドへ持ち込むことが静寂なる均衡への道。

そのための試作兵器は是非とも試さねばならなかった。

このような動きを拘束される状況でも扱えるという事は。
チャンスである。

「お姉さんとしたようなゲーム、楽しそうね」
「せやろ」
「カードゲームなどもしたのかしら?」
「したよ」
「では、その時の話を聞かせてくださいな、そう私たちもゲームをしながら」

七美はそう言うと小さな腕輪を取り出した。
その行動が止まることはない。
この行動に害意はない。

「喚ぶは慈愛を司る第四。その刻銘を『カーバダス』」

カーバダス。
その名を聞きなれぬ人も居るかもしれない。
ネットで人気のカードゲームの一種であり。
プレイヤーがカバの飼い主さんとなってカバを呼び出し戦うというシステム。
そしてカバへの愛や知識も身につく知育性もあってアニメ化も期待されている。
愛らしいカバのイラストは幼い子供でも抵抗なく受け入れられ。
カバを並べるだけで子供が泣き止むほど楽しいと言われている。

「あ、それお姉ちゃんとやったことあるわ」
「それは良かった」

七美が手に持った腕輪が分裂し、千夜の、ゴブリーの、アリアの、未来の、七美の腕に装着された。

ゲームのルールはより高い攻撃力で相手を攻撃し、飼い主さん(プレイヤー)のやる気と呼ばれる数値を0にされると負けるという単純なものである。
多人数でのプレイも可能なシステムであり。
複数に囲まれた状況でも機能する。

「ではゲームを始めましょう」

周囲が光のフィールドに包まれた。

「この空間では暴力行為は行うことができません、だから私が一方的に貴方たちを害する事もない」
「本当なのかしら?」

アリアが問いかける

「試してみても良いのですよ?」
「まあ、どうせそんな事をするつもりはないゴブ」
「ええよ、始めよ。お姉ちゃんも得意やってんこのゲーム」

このゲームのエネルギーは使用者の精神力である。
参加者の身はその力で守られる。
一方で、このゲームの表記にあるように飼い主さん(プレイヤー)のやる気こそが精神力であるため。
ゲームでのダメージは使用者の精神に響く。

(弱者であっても誇り高い精神を持てば負けることはない、子供であっても病人であっても)

このゲームの本質を知る七美はゲームでの勝利ができない。
それは千夜の会話を邪魔する行為だと理解しているから。

(でも、他の三人はどうかしら、攻撃している意思がなければ、この会話能力の隙を付けるのではないかしら)

  • アリア・B・ラッドノート-

多人数のゲームにおいて、参加者が組む事は圧倒的な優位性につながる。
ましてや、アリアへの愛を誓う未来がいるのであればなおのことだ。
そして、更に共通の敵にたいしては、自然と排除の流れができる。
このカードゲームの意味はわからないが、勝つことは嫌いではない。

「大河馬天使ミカバエルで攻撃」
「そ、そんなんありなん?」
「あ、アリア様、じゃあ私もバカで攻撃しますね」
「それ、カバちゃうやん!?と、トラップカーバで反撃するわ」
「うふふ、罠解除を使用しまーす!そのトラップは無効!」
「が~ん、そんなアホな!お姉ちゃんもそんなずっこいことせえへんかったのに!」
「アリア様~私たちのコンビって無敵じゃないですか~」
「そうだね、未来」
「勝負の世界は非常ですね。私はこのカードを伏せて手番を終了します」

こんな事でも楽しめる、そういうのも悪くはない。
勝負は数分で決着した

「んにゃー!!負けや~!お姉ちゃ~ん負けてもうた!でも、楽しいわあ。お姉ちゃんともこうやってずっと…」

ストンと。
操り人形の糸が切れるように鮎坂千夜は崩れ落ちた。

「気を失ったようですね」
「何かあるとは思ったゴブが、えぐいゴブね」
「このゲームは使用者の精神を使うゲーム。負ければ気を失います、命に別状はありませんよ」
「なっ、そんな恐ろしいデス・ゲームだったとは。アリア様。この女は恐ろしですね」
「未来はもう少し考えようね」

驚く未来をなだめてアリアは七美に向き合った。

「それじゃあ、戦いを再開すればいいの?」
「いえ、このゲームに途中退場はありません。全員の同意がなければ」
「同意するつもりはないゴブ?」
「ありません」
「なら続けるしかないわけね。行くわよ未来」
「OKですアリア様」

二人のコンビネーションは最高だ。
この手のゲームは未来が好んで私とやりたがって持ってくる。
それに付き合ううちに、お互いのゲーム的思考は知り尽くしている。
敵に回せば面倒だが味方にするなら問題ない。
ゲームには運もあるが、知略と戦略で勝てる。
七美の態度を見るかぎり、その公平性に嘘はなかった。

「まずはこの女を倒しましょう、話はそれからよ」

  • 七坂七美-

七美の魔人能力は『七欲七聞』という。
相手の欲望をテレパシーのように聞き取る事ができる。
良く耳を傾ければより詳しく。

(アリア様好き!大好き!)

未来から声が聞こえる。

(大きな声だ、でも)

良く耳を澄ませればまた違う声も聞ける。

(このカードで攻撃すればアリア様もきっと喜んでくれるわ)

と。

カードゲームにおいて、それは無敵の力である。

「そのカバは破壊します」
「え?そ、そんな!」
「更にこちらの伏せカバからスペルを発動!全ての伏せカバを手札に戻します!」
「は、はわわ!」
「追撃でそのカードを破壊!」
「ぎゃー!」
「ダイレクトアタック!」
「うにゃー!」

流れるようなコンボでアリアとその下僕たる未来は崩れ落ちた。

「えげつないゴブね」
「次はあなたの番ですよ、暗殺者さん」
「心を読めるという話は本当だったゴブ」
「あの占い師から聞いたのでしょう?」
「バレバレというわけゴブね」
「私を地に貶めて倒すとの事ですが、そんな事は出来うるはずがありません」
「それはわからないゴブ、ゲームは、特にカードはやってみないとわからないゴブ」
「戯言です、さあ貴方の番ですよ」

と七美はゴブリーを見た。
ゴブリーは動かなかった カードを自分の前にまとめて置いて見ようともしない。

「なんのつもりですか?」
「何のつもり?心を読んでみればいいゴブ」

七美は能力を使用する。

(うんこしたいゴブ!)

「なっ!?」

もう一度能力を使用する。
詳しく聞けばその詳細を知れるはず。

(うんこしたいゴブ!ていうか漏れたゴブ!)

うっすらと異臭が立ち込める。

「な、何をしているのです!」
「うんこは自然現象だゴブ!攻撃ではないゴブ!」
「早くトイレに行きなさい!!」
「ゲーム中だゴブ!」
「ならばゲームを中断します!早く!」
「このゲームは全員の合意がなければやめられないゴブ!その答えはノーだゴブ!」

ゴブリーはカバ牧場(山札の事)から一枚のカードを引き見るまでもなくその場に出す。

「何を!?」
「おっと素晴らしい効果ゴブ!サイコロを振って、あ8が出た五分。そちらのキーカードを破壊するゴブ!」
「ば、馬鹿な!」
「運が向いてきたゴブ~!」

48の殺尻技のなかでも最も恐ろしいとされる技の一つ「幸運の運行(ゴールデンラッキー)」はうんこを漏らすことで、運を味方につけるという恐るべき技である。

「いかに心の声を聞いたところで、単純な運には勝てないゴブ」
「そんな事はありません、知略での組み立てこそがカードゲームの真骨頂、ただ出すだけで勝てるほどカードゲームは、く、臭い。甘くはありません!」

死闘が始まった。

  • ゴブリー-

ゴブリーの最も恐ろしい所は。
その対象を最悪の中に引きずり込むところである。

「あ、甘くはないようだゴブ」
「ふ、ふふ。意識は失いそうになりましたが、もはやここからの逆転はありえません」

盤面の形成は七美に優位に傾いている。
病弱であった七美は知的な訓練としてのカードゲームを好んでいた。
海外からも様々なゲームを取り寄せて、兄と遊ぶこともあった。

(あの頃は、楽しかった)

ゴブリーは頭を使わずに恐るべき力を発揮したが。
運だけではどうしようもない場合もある。
その局面では何を攻撃し、何を捨てるか。
それらを考えなければカードゲームで勝つことはできないのだ。
考えるという事は七美の能力の対象であるという事だ。

あまりの臭さに意識を失いそうになりながら、七美はゴブリーを追い詰めていく。
七美は能力を発動する。
あと一手読めれば勝てるのだ。

(うんこしたいゴブ!)

「まだ出るのですか!?」
「最近、穴がゆるくなって」
「聞きたくありません!」

もはや中年のゴブリンの姿を隠すことの無くなったゴブリーの尻から爆音が響く。

ごぶりぶり~。

「くっ、早くゲームを進めなさい!」
「あ、ああ~でるゴブ~」

ごぶりぶり~。

「な、何を」
「何ってうんこゴブ!」
「ば、馬鹿な!そんな!」

48の殺尻技には禁断の最終奥義があった。

その名も『無限ケツ』

自らの脂肪をうんこに変換する技。
それは溜め込まれたエネルギーを変換する自然の摂理。
中年太りしたゴブリーの肉体は、数十年分のカロリーとなって蓄積された脂肪
それが一気にうんことなって流れ出たのだ。

「ま、まって、この映像は全国に!やめなさい!やめ!ゲームを中断しなさい!」
「ノーだゴブ!その野望の犠牲になった者たちの恨みを知るのだゴブ!」
「やめて、やめてよ、いや、助けてお兄ちゃん!うにゃー!」

七美の手に嵌められた無敵の防御機構も意味をなす状況ではなかった。
如何に強靭な精神であっても、うら若き乙女に耐えられる状況ではなかった。
放送できない惨状に飲まれ七坂七美の意識は途絶えた。

「カナエッピ、依頼は果たしたゴブ!」

ゴブリーは拳を掲げガッツポーズした。

  • 五色那由多-

「お気持ち?」

対面席に座った女が何気なく訪ねた。
五色那由他に答えるつもりなどなかった。
初めのうちは。

なんとなく。
特に意味はなく、この店に入った。
ライヒなら、そんな那由多を笑うだろうか。
無意識の中にも選択があるとかどうとか。

こちらに断りもなく自然と相席に座った女を無碍に追い払うほどではない。
とは言え話しかけれられても無視すれば良い。
だが会話を続けている。

だが、その女の目が気になった。
毎朝、とはいかないが、目覚めて、顔を洗い、鏡に映った、自分の顔。
その顔の中央に居座る目に良く似ていると思った。

目に狂気の光がある。
ライヒに言わせれば、不健康なだけだと一笑するだろう。
だが違う、根本的に狂った人間とは、目に光があるのだ。

「ああ、そうだ。お気持ちがあれば夢が叶う。そんなのは絵空事さ、だが追い続けなければならない。探求を続けなければならない、叶わぬ夢などはどうでもいい。ただ現実を無視するだけだ、それで目標にたどり着く」
「夢のない話だね」
「ああ、そうだ。だが、それでも捨てられぬお気持ちがある。聖徳太子が死を忌避すべく作り上げた法隆寺の夢殿にもそれが顕れている」
「そういう難しい事は私にはわからないね」
「そうか、なら無駄話だ」

スポーツでもしているのだろう、その狂気に似合わぬ爽やかな外見の少女。
彼女はこめかみに指を当て、すぅと息を吸い込んだ。

「でも、それって気持ち良い事なのかな」
「なんだと?」
「お気持ち、なんでしょう?それは、君のお気持ちは」

はぁと息を吐きだした少女の目には正気の色が失われつつあった。
瞳がぐるぐると回転しているかのようだ。
女子高生にあるまじき、だらしなく空いた口からは一筋の涎すら見える。

一流のスポーツ選手には。
お気持ちを切り替える術があると言われている。
まるで麻薬でも使ったのかのように痛みを忘れ披露を軽減し、肉体を快楽で満たすと言う。
それの一種であると那由多は理解した。

「君の目標に目指して走る事は」

走る、という言葉にひときわ強いお気持ちを那由多は感じた。

「お気持ちのイイこと?それともお気持ち悪いこと?」

その言葉が。
まるで狂人の言葉なのに那由多の胸に深く突き刺さった。


そして今。

目の前の痩せこけたゴブリンの体を那由多の腕が貫いている。

「ご、ゴブッ!」
「伝説の暗殺者ゴブリー。確かに恐るべき使い手だが、油断したな」

再度の腕が振るわれ、ゴブリーの首が体から落ちる。

千夜の能力と七美の機械の恐るべき効果を目の前に那由多のとった行動は潜伏だった。
ひたすらに様子を伺い。
チャンスを待ったのだ。

その勝利の瞬間に、伝説の暗殺者の一瞬の隙をついて殺した。

五色流の暗殺術「大化改新」

聖徳太子の天敵であった蘇我の子孫であり半人半イルカの魔人、蘇我入鹿を葬り去ったと言われる。
中大兄皇子が放った槍の一撃と。
中臣鎌足が放ったとされるデスサイズじみた鎌の一撃を模倣したものだ。

足元を見た那由多は、自分の靴についた汚物を見た。

「これがお気持ちの悪さ…か」

  • 大原吉蔵-

吉蔵の願いは最強となることだった。
友人や妻に

「どうじゃ、ワシ最強じゃろ」

といってみたい、それだけのささやかな夢。

欲がないわけではない。
賞金や名誉、美女にちやほやされるのはもちろん好きだ。
だが、ただ妻や友人の笑顔を見るのが好きだった。

能力は『セイクリッドファイア』。
様々な効果を持つ炎を作り出すことができるというものだ。

「まさかのう、ワシの炎が消えちまうとはの。お嬢ちゃん、なかなかやりおるわい」
「ウチもなんか、おじいちゃん虐待みたいにならんで良かったわあ、だってめっちゃ強いやん」

目の前の少女、芹臼ぬん子との能力の相性はまさに最悪であった。
熱エネルギーを脂肪に変える力。
ぬん子の『カロリー☆メイク』は吉蔵の炎をすべてブヨブヨした脂肪に変えてしまった。

「ワシもじゃよ、お嬢ちゃんが強くて良かったわい。なんか女の子を殴る老人とか、普通に好感度下がりそうじゃもん」

なんという強さか。
若い世代は確実に育っている。
十数年前に幼女道の修羅の道を進む女と出会って以来の喜ぶべき出会い。

「ほっほう、じゃがまだ負けるわけにいかんでな!」
「おじいちゃんみたいな人、ウチは好きやで」
「では、戦いが終わったら家に遊びにくるとええ、ばあさんも喜ぶわい」
「おおきに!」

前に手をかざす、ぬん子に対して。
肉体を強化した吉蔵が猛進する。

ガキン!

吉蔵の足が重くなる
足に絡みついた脂肪が凍りつき地面につなぎ止めていた。

ガキン!

吉蔵の腕が重くなる。
まるで手枷のように凍りついた脂肪が腕を拘束していた。

「お嬢ちゃん、中々これ虐待っぽいんじゃけど」
「お爺ちゃんもいま全力で私を殴ろうとしたでしょ?」
「はて、そうじゃったかいのう。わっはっは!」

吉蔵は氷の檻に閉ざされた。

  • 物部ミケ-

「泣いて、いるのかい?」

少女は座り込んで動こうとはしなかった。
動けない。
動こうとしない。

自らの半身を失ったのだ。
自分の為に。

「あー、あっあっあっもしもーし、ねえ泣いてるの?」

少女に声をかける者がいる。
座り込んだ少女を見下ろすように、もう一人の少女。

周囲の人間たちは、彼女たちを認識しないかのようだ。
そこはまるで、隔絶された別世界。

悲しみに暮れる少女の自分だけの世界。
魔人の能力とはパーソナルワールドの拡大であるという。
自己の認識を世界に押し付けることだという。

で、あるならば。
物部ミケの世界は、今ここに閉じようとしているに違いなかった。

ミケの能力『万物の主(マテリアルスレイブ)』は無機物に命を与える能力。

立ち直れると思っていた、でも。

「ねえ、泣いていても仕方ないよ」

だが、その世界に足を踏み入れる者がいる。
無造作に、あけすけに、遠慮なく。

『ねえってば』

声は届かない。
なぜなら彼女には言葉がないからだ。
届くべき言葉が。

【泣いていても、始まらないよ】

ずぶ濡れの少女、物部ミケは微動だにしない。

《泣くのは、やめませんか》

ぴくり、と少女が反応した。

《ああ、これでしたか、探すのに苦労しました》

ミケは顔を上げた。
そこには華奢な、それでいて引き締まった体の少女がニンマリと笑みを浮かべていた。

「その、声」
《泣くのは、やめましょう。マスター、泣いていても何も始まりませんよ》
「VINCENT?」
《そう、私の名を忘れたのですか?マスター》
「でも、その姿」
《マスター、貴方が泣いているという事が、私にとって大事な事なのです。その為なら姿など》

そういって少女はミケに向かって手を伸ばす。

《ああ、人の身ならざる姿では、こうして手を差し伸べることすらできなかった》

ミケはその手を掴んだ。
体温を感じる、ぐっと力強くミケは、少女に引き寄せられて立ち上がった。

《でも、今ならできます》
「心配したじゃない」
《申し訳ありません、マスター。なにしろ体が折れてしまいましたから》

少女、夕張メロスはイカれていた。
でも、それでも。
彼女にしか見えぬ世界は。
同じく、自分にしか見えない世界を持つ物部ミケと、僅かに重なり合ったのかもしれない。
夕張メロスの特技はものまね。
それは魂すら映し出すのかもしれない。

「バカじゃないの?」
《しかしですね、マスター。あれが私の全力でして》
「バカ!」
《ああでもしないと》
「バカ!バカ!バカ!」
《そうバカと言われると、馬鹿って言ったほうがバカであると返さざるを得ませんが?》
「びっくりしたんだから!」
《マスターを驚かせることができるとは、中々素晴らしい体験ができました。といってもマスターは割と驚くことが多いようですが》
「バカ…」

そういってミケはメロスの胸に顔を埋めた。

《ふむ、悪くありません》
「お帰り、VINCENT」
《今しばらくの間ではありますが…》

  • 芹臼ぬん子-

「お前!メロスやないかァ!」

ぬん子は二人の少女を指さした。
モーニングスターを手に持つ少女と。
ジャージ姿のスポーツ少女だ

「何を言ってるんだ」
《何を言っているのでしょうね、マスター》

如何にも不思議そうに首を傾げる。

「お前らや!つーかメロスやん!どう見てもメロスやん!アホー!」

《敵は油断していますマスター!》
「わかってる」
「あほー!」

ミケは『万物の主』を発動した。

ざわりと木々が揺らめく。

「このはカッター!」

《いや、むりじゃろ》

とイガグリの街路樹が応えた。
この道の街路樹の中でもっとも古く戦後から立っている長老だ

「え?でも、葉っぱ飛ばして切り刻むくらいはできない?」
《無理じゃって》
「じゃ、じゃあリーフストーム!」
《葉っぱなくなったら光合成できんし》
《マスターはここはゲームの世界ではありませんから》

とメロスは呆れ声で答える。

「くっ、じゃあ殴りなさい」

《ま、それくらいなら》

イガグリが雨のようにぬん子に降り注ぐ。

「ぎゃー!」

ごろごろと転がり攻撃を避ける

さっとミケが街路樹脇の水道栓に触れる。

「みずでっぽう!」

《びしょ濡れ女子高生ヒャハー!》

「「ぎゃー」」

ぬん子とミケはびしょ濡れになった。

「何してんの!?」
《濡れて服が透ける女子高生サイコー!ヒャー!》

「バカあ!」
《危ないマスター!》

ピキピキと音を立て水道水が凍結を始める。
ぬん子の魔人能力が水の熱エネルギーを奪ったのだ。
ボタボタと周囲に脂肪の塊が散乱する。

モーニングスターで氷を割り砕きミケは間合いをとった。

《マスターはなぜ戦うのです?》

唐突にメロスはミケに聞いた。

「それ今聴くの?」
《気になったもので》

ぬん子の凍結攻撃は道の小石たちの乱舞で砕かれていく。

《貴方を孤独から救いたいのです》
「VINCENTが?」

ミケは憫笑した。
ミケは民家に命を与えたがここから動きたくはないとニートのようなことを言われた。

「仕方のないVINCENTね。VINCENTには私の孤独はわからない」

ミケは能力を使いコンクリートブロックに意思を与えたが女子校生を押しつぶすのは壁としてどうかと思うと断られた。

《そんな事を言わないで下さい、マスター。》

とメロスは、いきり立って反駁はんばくした。

《人の心を疑うのは、最も恥ずべき事です。王(マスター)は、友人の心をさえ疑って居られる。》
「疑うのが、正当の心構えなのだと、私に教えてくれたのは、皆よ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりなの。信じられない」

ミケの能力はテレパスだ。
その片鱗は子供の頃からあった。
うっすらではあったがミケは人の感情を読み取れた。
それが如何に欺瞞に満ちた世界であるか。
ミケが人を信じなくなるのは当然だった。

ミケは落着いて呟つぶやき、ほっと溜息ためいきをついた。

「私だって、平和を望んでいる。」
《なんの為の平和です。自分の身を守る為ですか》

こんどはメロスが嘲笑した。

「だまって、VINCENT。」

ミケは、さっと顔を挙げて報いた。

「口では、どんな清らかな事でも言える。私には、人の腹綿の奥底が見え透いてしまう。おまえだって、いまに、棒きれに戻ってから、泣いて詫わびたって聞かないんだから!」
《泣いていたのは、貴方ですよ、マスター》

メロスはミケを抱きしめた。

「VINCENT?」
《VINCENTは折れてしまったよ、ミケ》
「え?」
「やれ!ぬん子!」

メロスが叫んだ。

「ああ、もう!ホンマにアホ!」

周囲に炎が巻き起こる。
撒き散らされた脂肪に着火したのだ。
炎は街路樹や民家に燃え移る。

絶叫が響き渡った

「あ、あああああああああああ!」

ミケは命を与えた物の声を聞く。
その声が響く、恐怖と苦しみの声が。

「やめて」
「聞くんだ、王(マスター)よ。これが君が利用してきた者たちの叫びだ。砕けたり叩いたりして痛くないとでも思ったのか!」
「あ、ああああ」

ずるりと。
崩れ落ちるようにミケは膝をついた。

「そんな」
「そしてそれは君の気持ち次第だよ、ミケ」

メロスは手を差し伸べた。

「どういう事なの?」
「君が物が苦しんでいると思えば物は叫ぶ、そう思わなければならない」

メロスは自分の服から折れた木刀を取り出した。

いつしか周囲の炎は消えていた。
ぬん子が消したのだ。

「アホー焼け死ぬ気ぃかアホメロス!」

ぬん子が騒いでいたが、メロスは気にしない、
いつものことだ。
狂気に満ちたメロスの心にぬん子の言葉は爽やかで心地よい。

「君が死んだと思わなければ、VINCENTは死なないんだ」
「お前は」
「私はVINCENTじゃない、特技はモノマネなんだ」

呆然とした目でメロスを見つめたミケは折れた木刀を受け取り『万物の主』を使用した。

《おや、どうしました?ミケ》

「お帰り、VINCENT」

《そうですか》

「私ね、負けちゃったよ」

ミケはC2カードを割折った。

《そうですか》

「でも、新しく友達を作ろうと思うんだVINCENT」

顔を上げたミケの目の前にメロスは居なかった。
風のように走り去っていたのだ。

「あーあ、あのアホの被害者の会がまた増えたんかもね」

メロスは新しく友人になれそうなミケを見て呟いた。

  • 長鳴ありす-

悪夢のような存在だった。

目の前の男は、これほどの執着を抱けるのであろうかという執念を持っていた。

もっと若い時に会えたのなら、とありすは思う。
迷える幼女(わかもの)に道を示せたのではないか。

かつて歴史上に、尊き家柄を次ぐ幼女が無数にいた。
その匂いを目の前の男、五色那由多は感じさせる。

だいすきぱぱの型、ようじょたっくる。

超低姿勢から相手に抱きつきなぎ倒す幼女道の技の一つで。
オリンピックで吉田沙保里がそれを使い、他国から絶望と言わしめた基本にして究極の技。
あまりにも早く、見切ることは不可能と言われた技だ。

だが。

「おそい、ひかるげんじの型ようじょますたー」

五色流中興の祖と言われた光源氏は幼女道の中興の祖でもあった。
あまたの幼女たちが彼の師事を受けたという。

かってかっての型じたばたも通じない。

「まさか、ひかるげんじの型を使いこなす者がいるなんてな」

ありすの問に那由多は応えない。

「私の負けだ、君の非力な体は幼女道に向い…」

ありすの微笑みを那由多は両断した。

「このお気持ちも、良くない」

かつての父に感じたような温かみを那由多は振り払った。

  • 飯綱火誠也-

その体は武の為に。
そして死んだ友の為に。

誠也の肉体は強化され武の真髄へと迫る。


その技は妹の為に。
そして母が残した技の為に。

仙波透の研ぎ澄まされた肉体はまさに刀のようであった。

究極の肉体を持つ二人が激突する
鋭いカタヌキの技が誠也の肉をえぐる。
重い格闘技の拳が透の肉体を揺らす。

言葉はいらない。
ただ信じる技の為に。
ただ信じる人の為に。

二人は殴り合っていた。

  • 仙波透-

互角の戦いだった。
それが途中で遮られることは悔しい。

「一つ、ひととせ、夢を見て」

そんな歌声と共に飛来した物体が誠也の頭を直撃した。

空を見上げる。

無数に舞い踊る色とりどりの布の塊。

「お手玉…か」

あれは妹が好きだった。
そんな感傷を遮って。
砂の詰まったお手玉は嵐となって透に襲いかかった

母が笑っている。
厳しいと思っていたが、笑うこともあった。
妹の誕生日にケーキでも買ってやろう
きっと喜ぶ
 そうだ
また飯綱火とは正々堂々戦おう
 今度は

 夢

嵐のようなお手玉の中心に黄連雀夢人は立つ。

その目の前に現れたのは

  • 黄連雀夢人vs五色那由多-

その物語は、ここで語られることはなく

  • “ナインオーガ”-

ナインオーガとは病であった。
古より続く病。

人に取り憑き、人を渡る病。

背中に大きなやけどを負い、倒れた少女の前に仮面は静かに立っている。
それは時に死にゆくものを救い。
人の願いを叶えてきた。

「――ユウバリ、メロス、カ?」

  • 夕張メロス-

メロスは狂っていた。
狂っているがゆえに、人の心が見えた。

魔人ゆえに見えぬものが見える人たち。
それらをメロスは見ることができた。

それは脳内麻薬が生み出す幻覚だったのかもしれない。

だがメロスはそういった魔人たちによりそって生きてきた。
メロスは善良で単純な魔人だ。

だが人の苦しみには人一倍敏感であった。

その苦しみを和らげるかのように馬鹿なことを繰り返した。
時にそれは限度を超えたけれど。
それでメロスを見捨てるものなど居なかった。

芹臼ぬん子もその一人だった。

  • ナインオーガメロス-

「お前メロスやろ!」

東京駅の線路は滅茶苦茶に壊れていた。
ただ線路場を笑いながら走る怪人によって東京中の駅は破壊されていた。

ナインオーガの先の宿主は願いを叶えた。
小さな店を持つ夢を。

「――セリウス、ヌンコ、カ?」

今は違う、彼女は“ナインオーガメロス”。
彼女の夢はなんなのだろう。

「アホー!図書館壊して船壊して、なんぼ壊したら済む思とんねん!」

メロスの無敵の突進を防ぐ手立てがあるのだろうか。
図書館では止められた。
だが今は止められるのだろうか。

怪人が走り出す。
その周囲に生み出されるのは悪夢めいた異形の塊だ。

彼女の脳内に蔓延る魔人たちの苦悩だ。
彼女が今まで感じて来た自分だけの世界に篭っていた王達の不信の心だ。

メロスは人の心に人一倍敏感だった。

そんな物をボロボロとまき散らしながらナインオーガメロスは走る。

  • 芹臼ぬん子-

ぬん子を絶望から救ったのはメロスだった。
魔人となって人から恐れられ孤立しかけた時。

狂った友人だけがぬん子の狂った世界に足を踏み入れたのだ。

だからメロスの為ならなんでもしよう。
いや、訂正。
お風呂はダメ。

本当に狂ってしまったメロスの為に命だって捨てられる。

東京の気温が下がっていく。
雪が降るには早い季節なのに。

川が凍りついていく。

ぬん子の『カロリー☆メイク』の有効射程距離は5m。
それは完全に制御できる範囲だ。

暴走するならばその範囲はさらに広げることができる。

かつて一度だけ、
ぬん子の能力は暴走した。
彼女の住む街は氷に閉ざされ。
彼女は死を覚悟した。

人々も彼女を殺そうとした。
そのときメロスが走ったのだ。
すべてをぶち壊すように。
ぬん子を救うために。

ナインオーガメロスが周囲を見渡す

巨大な肉の壁が立ち上がり彼女を囲んでいた。
完全に凍りつき道を塞ぐ。

メロスが走り出す。
走り出したメロスは無敵だ。
完全に無敵だ。

メロスは走る、友の為に。
常に友の為に。

たまにクズ行為を働くが。
いや、結構クズ行為を働くが。

それでもメロスは未だ見ぬ不信に囚われた王(とも)の為に走るのだ。

その願いをナインオーガは十全に叶えた。
ただ走る力を瀕死のメロスに与えたのだ。

ミシ!

ナインオーガメロスが壁に激突する。

壁がひび割れる。

如何に巨大で分厚い氷壁肉壁であってもメロスを止めることはできないのか。

《今です!ミケ!》
「万物の主!」

東京の2大タワーがメロスを挟み込んだ。

  • 物部ミケ-

目の前にいる芹臼ぬん子という少女は。
あの友人のために命を捨てようとしている。

ミケは人を信じられなかった。

でも、そんな事はないのだ。

人は信じるに足るのだ。

(信じれば応えてくれる!)

《まったく新参の若造タワーとタッグを組むとはのう》
《東京タワーの爺様、それは今は言わない約束だぜ!!》

メロスの動きは止まっている。

「やって!ぬん子!君たちの望みはかなう!信実とは、決して空虚な妄想じゃなかった」


  • メロスとぬん子-

ぬん子は走る。

拳を振り上げて走る。
その手に脂肪が集まり凍りつき巨大な拳となった。

「メロスのアホ!戻ってこい!アホー!」

振り抜いた氷の拳がナインオーガの仮面を打ち砕いた。

メロスはニコリと笑った。

「ただいま、ぬん子」
「メロス、おかえり」

ミケが布を差し出した。

「メロス、まっぱだかやん。早くそのマントみたいなん巻いとき。裸は普通に犯罪や」

  • ぬん子とメロスと-

「こりゃ、ダメだな」
「ええー?災害防いだだけやん!これは正しい使い道ですって」
「そ、そうよ」

ぬん子とミケがヤクザのお姉さんに抗議の声を上げた。

「東京タワーとスカイツリーくっついちまってるじゃねーか!東京駅も無茶苦茶だ!つーか東京中の駅が壊滅してるんだぞ」
「そ、それは不可抗力ちゅうか」
「そうだよ、どうしようもなかったというか」
「風呂か?たぶん世界レベルの風呂じゃないとダメだが」
「「ノー!!ダメ!!ノーサンキュー!!風呂ダメ!!」」

二人は両手でバツ印を作った。

メロスは入院した。
翌日にはどこかへ行ってしまったが。
いつか帰ってくるだろう。
また新しい友人を引き連れて。

「まあ、冗談だよ。これは千代田のやるべきことさ」

ヤクザのお姉さんが笑った。
それを見て二人はほっとため息をつき。

お互いの仕草が似ている事を笑った。
その姿をみてVINCENTも笑う

《はっはっは》《良かったですねミケ》

「二人に増えてんの?」

横を通り過ぎていくメロスが驚きの声を上げて風のように走り去った。

メロスが帰ってくるところが、彼女たちの自宅だった。

最終話「メロス、おかえり、家に帰るまでが戦いだ」

最終更新:2016年09月24日 23:35