仙波透。先に私が戦った対戦相手。
彼の妹が目覚めなくなったと聞いた。
私はまだ誰も救えていない。
自分が人を救おうなどとはおこがましい事ではあるがそれでも居た堪れない。
自分はここまで無力か。
この戦いか。運か。この世そのものか。一体何が悪いのか。
答えは出ない。
「私に出来る事はもはやないのか……」
せめて自分に出来ることをせねばならない。
そう考えた。
そしてありすは博物館にいた。
目当てはタイムスリップ拳法展。
過去から現在に至るまでの様々な歴史的憲法が学べる大展覧会である。
ありすは幼女拳の新たな進歩の為にそこへと向かっていた。
自分の為、誰かの為、自分はまだ学ぶことが多い。
今考えればもはや自分は幼女でいることに限界があるかもしれないなどと何を思い上がったことを考えていたのだろうか。
何かを救う力も、知恵も、自分にはまだまだ足りないではないか。
「……!」
C2カードに反応がある。
カードに浮かんだ名前は蟹原和泉。
またこの場も戦場に変わってしまうのか。
いっそこの場から立ち去るべきか。
いや、むしろ追ってきた相手に被害を広げられる方が問題だ。
相手の出方がわからない以上、無駄に移動することは避けるべきだ。
この博物館の中で迎え撃つしかない。
ありすは神経を研ぎ澄ませ、対戦相手を探すことにした。
蟹原和泉は博物館の前に立った。
目的はただひとつ。タイムスリップ食事展。
過去から現在に至るまでの様々な歴史的食事が食べれる大展覧会である。
そんな博物館での催し物に行かない理由があるだろうか。いやない。
一体どんな食事が食べれるのかと思うと和泉の腕が鳴った。腹も鳴った。
和泉は博物館に乗り込んだ。その様はまるで獲物を見つけた鮫のようであった。
過去の様々な食べ物……食文化……営み……そして未来……なんかそのようなことで和泉の頭はいっぱいであった。
故にもし万が一にもこのタイミングでC2カードが次の対戦相手を知らせたとしても気付かないのは仕方のない事であるといえるだろう。
「反物質より美味しいもの出てこい!!」
反物質のカルパッチョは美味しかったらしい。
そんなこんなでタイムスリップ食事展へたどり着いた和泉は、その席に着いた。
わくわくしながら待っていると奥から一人の幼女が現れた。
「タイムスリップ食事展へようこそいらっしゃいました。あたしは料理長兼幼女のコックイワナガと申します」
「早く食べたいです!!」
「まあ落ち着いて、まずは食の成り立ちについてから」
「早く食べたいです!!!」
「かしこまりました。ではお料理をお持ちいたします」
「はい!!お願いします!!」
コックイワナガは説明を拒否されても顔色一つ変えることなく厨房へと戻っていった。
プロフェッショナルである。
「……殺気を感じないな」
ありすは周囲を見渡すも、まるで戦闘の気配がない。
博物館はまるで平和そのものである。
相手に戦う気がないのか?
いや、C2カードが配られてもう相当な時が経った。
そのような者がいまだにこの戦いに残っているとは思えない。
まさか気付いていないのか?
その時、ありすの携帯が鳴った。
「……なんだ……!?……む、いっちゃんではないか。済まないが今は忙し」
「なっちゃぁぁああん!!たすけてぇえええ!!」
「な、なんだなんだ、どうしたいっちゃん。どうしたというのだ」
電話の向こうのいっちゃんことコックイワナガが泣いている。
あの瀟洒ないっちゃんが一体どうしたというのか。
「あのね、あのね、あたし今ね、博物館でタイムスリップ食事展のコックさんしてるのね」
「あ、ああ、うん」
タイムスリップ食事展?
それは確かちょうどここの下の階の催し者ではなかったか。
「うん、いろんな昔のお料理をね、再現できるってね、選ばれたの。嬉しかったんだよ」
「相変わらずすごいないっちゃんは。それでどうしたんだ」
「うん、あのね、お客さんがね、ごはんどんどん食べちゃうの。怖くてね、あたし以外の人みんな逃げちゃったの」
「ど、どういうこと?今一つよくわからないんだけど……」
いっちゃんはしゃくりあげながら頑張って言葉をつなげる。
つまるところ、あまりに鬼気迫る客の食いっぷりにみんな逃げてしまったが、自分だけ逃げ遅れてしまったらしい。
「このままじゃ追いつかないよぉ、そしたらあたし食べられちゃうかもしれないよぉ。助けてなっちゃん……」
いや、すまないが今あたしはそれどころではない。
あなたがありすであれば、はたしてそんな返しができただろうか。
ありすにはできなかった。
そもそも彼女は頼まれごとには弱いのだ。
「しかし助けろと言われても一体何をすれば……」
「だいじょうぶ、そこはなんとかするから……うぇへへ、なっちゃんが来てくれるなら安心だあ……」
「う、うむ」
こうなれば早いところいっちゃんを助けるしかあるまい。
ありすは素早く管理用の階段から直接いっちゃんのいるキッチンの方へ向かった。
「なっちゃーん!!よかったよー!!もうだめかと思ったよー!!」
いっちゃんは涙を流しながらありすに抱きつく。
ありすはいっちゃんの頭をぽんぽんするといっちゃんはようやく落ち着いたように笑った。
「それで、いったいどうすればいいんだ」
「あのね、もうこうなったらもう伝説のフルコースしかないと思うんだよ」
「待ってくれ、脈絡がわからないぞ」
「あ、うんあのね、あんまりにもいっぱい食べるお客さんだから。もうこれ量じゃどうしようもないと思うんだ」
「うむ」
「だから、味で黙らせる。最高においしい料理を立て続けに食べさせて満足させるしかないと思うの」
「なるほど」
確かに理にかなっているような気がする。料理長兼幼女のいっちゃんがそういうならそうなんだろう。
「だからなっちゃんはあたしが言った通りに料理してくれればいいから」
「待ってくれ、私が料理をするのか!?」
「大丈夫、これはあたしよりなっちゃんの得意分野だから!!」
一体どういうことだ。
何一つわからないままありすは厨房に立つことになった。
こうしてコック服に身を包んだありすはよくわからないまま料理をすることになった。
今そこで食事をしている相手が蟹原和泉だとも知らずに。
「コックさん!!次の料理まだですか!!」
一応博物館という場なのでお行儀よくしているが和泉は明らかにそわそわしていた。
料理が出なくなってからしばらく経つ。このままではおなかがすいてしまう。
おなかがすくと和泉の隠れた暴力性が明らかになってしまうかもしれないぞ!大変に危険だ!
「もうしばらくお待ちください。今極上のタイムスリップフルコースをお出しします」
「フルコース!わかりました!!」
客の前のいっちゃんはあくまでプロフェッショナルである。流石だ。
ありすは厨房に立ち尽くしていた。
「それでいっちゃん、タイムスリップフルコースってなんだ。私は何をすればいい」
「大丈夫。ありすちゃんなら出来る。まずはこの小麦粉を躯伎で練って!」
「なに、躯伎!」
躯伎。もはや説明は必要ないだろう、それはありすがC2バトルで最初に戦ったナインオーガの使用した戦闘術理である。
しかし、なんの因果でまたこの場でその名前を聞くことになったのか。
「究極のフルコースを作るためにはね。料理の腕じゃなくて拳闘の腕が必要なんだよ。あたしだけじゃ足りないんだ」
「しかし……」
「なっちゃん幼女拳のためにいろんな拳法勉強してるでしょ!」
「確かにしてるが、出来るかどうかはまた別の話でな」
「だいじょうぶ!なっちゃんならきっとできるよ!だから一緒に至高のフルコース作ろう!」
もはや乗りかかった船である。やってみるしかない。
ありすは幼女拳に応用した様々な憲法を紐解き、いちからクッ気ーを練り始めた。
ところでさっきからフルコースの名前が一定しないが、それはいっちゃんがそういう性格だからである。許してあげてほしい。
「とにかくやってみるが、うまくいくかは」
「いくよ!なっちゃん自分を信じて!!」
「あ、ああ」
光と闇、それはクッ気ーを形作る闘気。
幸い、幼女拳気を使えるありすは労せずそれなりの形にすることができた。
光はバター。闇はチョコ。
二つの闘気を練り上げ、それを小麦粉に叩き込む。
「OKなっちゃん!いいよ!……いまだ!クルミにどんぐり、卵にお肉も少し!最後に大事な胡麻!はい、このまま練り上げて!」
「わ、わかった」
練り上げていく中、ありすは感じた。
躯伎、それを練る力はやはり、愛情がなくては形作れない。
かの鬼……いや、少女にも確かにそれを感じた事をありすは思い出した。
その心は、どこか幼女にも似ている。ありすはそう感じた。
「お待たせいたしました。こちら縄文クッキーでございます」
縄文クッキー、それはかつて縄文時代に作られていたとされる料理であった。
材料や製法には諸説あるが、それが原初のクッ気ー、そして躯伎の原型であったことは間違いない。
このレシピはコックイワナガが味を第一に考えつつ、かつて食べられていたであろう縄文クッキーを可能な限り再現したものであった。
「縄文時代のクッキーなんですか!!いただきます!!」
和泉はそれを一口食べる。
「これは……まさにクッキー!しかしこの野性味溢れる感触と材料!そしてこの胡麻!
かつての貴重な食材を極限まで無駄にしないように、かつおいしくしようという心を感じるッ!!
そう、それはまさに光!!しかしこの挽肉……これは……猪!縄文時代、狩りという名の弱肉強食、その闇がこのクッキーをさらに高みへと運んでいる!!
まさに縄文時代の御馳走……まさに美食……ッ!!」
「お気に召したようで幸いでございます。最強のフルコースはまだまだこれからですのでご賞味ください」
「はい!!」
「なっちゃん!次はこの歩くキノコを倒してください!」
「歩くキノコ!?なにそれ!?」
「いいから!!あとはバジリスクと山岳カブトを倒してください!なっちゃんなら余裕でしょう!」
「余裕だけどなんなんだこの生き物は!?」
ありすは次々とその獲物たちを倒していく。
いっちゃん、君はいったいこのナマモノたちをどこから呼んだんだ。
そんなありすの疑問をよそに現れる魔物たちを片っ端から幼女拳で倒した。
しかし、そういえば黄連雀夢人、彼はダンジョンの出身だったと聞く。
ダンジョンにはあまり詳しくないが、こういう料理がふつうなのだろうか。
思えば彼には幼女の有り方を教わった気がする。
幼女を育てるのはかつて幼女であった者たち。
そんな当たり前のことを思い出させてくれた気がする。
もし彼を形作ったものがこの料理だとすれば、それもまた幼女であるのだとありすは思った。
「お待たせしました。古代ダンジョン飯でございます」
ダンジョン飯。それはダンジョンで猛威を振るう生き物たちを栄養とするべく生まれた調理法。
かつてダンジョンで行き倒れかけた者たちが起死回生に生み出した様々な料理法であったと聞く。
その初代レシピをイワサキ流にアレンジしたのがこの古代ダンジョン飯、鍋である。
「これが噂のダンジョン飯……!いただきます……これは……ッ!
このマタンゴの味わい……噛めば噛むほど味が出てくるような……
ダンジョンの中の最低限の設備で調理をしたというこのダンジョン飯……
しかしこのバジリスクの柔らかさ……かつてのダンジョンではこのような手法はまだ確立していなかったのでは……
いや、違う。かつてのダンジョンだからこそこのような味が生まれた……
まだいかにして食べるか理解が出来ていなかったからこそ、既存の料理に当てはめバジリスクを柔らかく煮込むという手段に出たんですね……!
む!これはまさか山岳カブト!ヤダーッ!あれ大きくて苦手なのに!でもおいしい!!」
「次はこの型を抜いて!」
「今度はカタヌキか」
仙波透との苦い戦いが思い出される。
彼は無事に立ち直れるのだろうか。
今の私には心配する程度のことしかできない。
元々交わることのなかった運命がこうして交わった事には何か意味があるのだろうか。
気合を込めて型を抜く。カタヌキとは過酷な仕事だ。生半な覚悟では出来ない。
その覚悟があるのならば、彼はきっと立ち直れる。
転んで泣いた幼女が立ち上がるように、きっと。
そして、いつか彼の役に立てる日が来ることを今は信じよう。
「こちらソースせんべいと林檎飴のカタヌキ添えでございます」
かつて、祭りは過酷なものであった。
カタヌキはそれこそその年の運命を占うような重要な儀式であったと伝わっている。
ソースせんべいや林檎飴も同様だ。今でこそ機械作業で手軽なものになりつつあるがかつては命を落とすこともあったという。
「いただきます……!
このソースせんべい……そして林檎飴も……今出回っているようなものとはまた違う味わいを感じます。
そう、ソースも飴も手作り……様々な調味料を混ぜ合わせるソースは時に危険な有毒ガスを発し
飴もそれを溶かす溶岩の熱さに耐えきれず死する人も多いと聞きますが今回はあえて立ち向かったのですね……
そして添えられたこのカタヌキ……カタヌキは今でこそオリハルコンが一般的ですが、かつては食べられる素材を使っていたという伝承も残っています
このカタヌキを食べると……味がリセットされてソースせんべいと林檎飴がまた新鮮な味わいを取り戻す……これがかつての祭りの食を彩った知恵……!
目を閉じると祭囃子が聞こえてくるような気すらします……!」
その後もありすは料理を作り続け、和泉はそれを食べ続けた。
かつて核を巡った七人の勇者たちが食べたとされるカレーライス。
スイコちゃんに出されたとされるお気持ち御膳。
かつてゴブリンが妙義を思いついたときに食べていたとされる芋。
最強を目指すものがこぞって食べるという低脂肪プロテインステーキ。
古の吸血鬼が飲んだとされるトマトジュース。
木刀とおみやげ人気を二分したといわれる銘菓すずめ。
一介の料理店が一流企業にまで上り詰める呼び水となったとされる七色米。
脂肪を熱量へと変換するとまで言われる唐辛子スープ。
都市開発計画の一環として作られたカステラ。
物語を語る際に配られたという水あめ。
初の人工衛星打ち上げと共に作られたとされる金平糖。
そしてそろそろ食材も尽きようかというときに、和泉はふいに立ち上がり、イワナガに頭を下げた。
「コックイワナガさん。ありがとうございます」
「お客様」
「これだけの料理を食べさせていただいた事、ただただ感謝しかありません。そして謝らせてください。
私は今まで食べることに夢中になるばかりにそれを作る人やその歴史を軽んじていたのかもしれません」
「……いえ、料理はおいしく食べることが一番です。歴史がそれを実証しているのです……お客様の為に最後のデザートがあります」
「……私の為に?」
「なっちゃん、ありがとうね。おかげでなんとかお客様を満足させられそうだよ」
「いっちゃん……」
「あたしもね、ちょっと自信なくしてたかもしれない。でもおかげで目が覚めたよ。料理ってやっぱり楽しいって」
「……そうか、私が助けになれたのなら、よかったよ」
「うん、なっちゃんと……あのお客さんのおかげだよ……だから、最後にどうしても作りたいものがあるんだ」
「……わかった。ここまで来たらどこまでも付き合おう」
ありすはいっちゃんの言うとおり、再び飴を溶かす繊細な作業に入った。
飴はまるで幼女のようである。いかようにも形を変えるが心を砕かねばすぐに曲がってしまう。
この飴に比べれば、自分はまだまだ成形すらなされていないではないか。
やはりまだまだ修行が足りない。
料理を通じて、ありすはまた一つ幼女として成長していくのを感じた。
「お待たせしました、お客様。これがデザートとなります」
「……これが」
それはひとつのケーキであった。
そしてそのケーキの上にはひとつ、飴細工が乗っていた。
「……これは……指輪」
「はい。これは私がかつて母が父にプロポーズする際に作ったというウェディングケーキです」
「ウェディングケーキ……」
和泉は、そのケーキのあまりの可憐さに心を奪われた。
シンプルでありながらも、新たな門出を祝うような優しいケーキであった。
「料理人をやっていると、わかってくるんです。お客さんのことが少しずつ。
……私もまだ本来このケーキを作るべき相手は見つかっていないのですが
お客様の明るい未来を応援するために、このケーキを作らせていただきました」
「……」
ああ、いつか。
いつかこのケーキを一緒に食べるような人が自分にも見つかるだろうか。
もし見つかったとしたら、この人に作ってもらいたいと、そう思った。
これほどの美味しい料理を、優しい料理を作ってくれた人に作ってもらえたらどれだけ幸せなことだろう。
「……いただきます」
和泉は少しだけ涙をこみ上げさせながらそのケーキを食べた。
食事とは、生きることに直結していることである。
だからこそ、それはかつては本気の戦いの手段として使われた。
作る者と食べる者が高みに達した時、いつしかそれはお互いを認め合う為の勝負となる。
そして、食べる者が心から作る者に感謝と感服の意を示した時、その言葉は自然と生まれる。
自らをここまで本気でもてなすために奔走したことに対する最大級の賛辞にして、出された料理に完全に心奪われ、戦意を無くした事の宣言。
すなわち、御馳走様、と。
C2カード記録
"長鳴ありすVS蟹原和泉"
遭遇地形:博物館
勝者……長鳴ありす
……しかしありすは後ほどこの結果を見て、ただ首をかしげることになるのだった。