第四回戦SS・博物館その2

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幼女道の達人にしてキャリア47年のベテラン幼女・長鳴ありすは今、国立博物館に来ていた。

目的は単なる観光ではない。博物館とはいわば集積された過去の遺物が集められた時間の墓場。今と未来を生きる幼女にとって最も忌避すべき場所の一つである。そんな場所に行きたがる幼女はもはや幼女ではない、ババアだ。

もちろん、ありすはババアではない。肌つやに多少陰りが見えてきたとはいえ、彼女は未だ幼女である。では、何故このようなしけた場所を訪れたのか?

……その理由は、ずばりデートである。彼女はデートをするためにこの国立博物館にやってきたのだ。

見れば、ツインテールを結ぶゴム飾りはラメ入りでいつもよりちょっぴりゴージャスだし、ワンピースの裾のフリルが普段着よりも一段多い。さらには色付きリップクリームなどといったものまで施している。幼女のオシャレとしては完全武装に近い。普段の彼女を知る者が見れば、その気合の入りように驚き慄いたことだろう。

デートの相手は彼女の幼馴染の男性であった。ありすは『ろりいた庵』に篭もるにあたって外界とのつながりの一切を絶ったため旧来の親類とは連絡途絶状態だったのだが、今回のC2バトル参加の様子が全国放映されたことにより旧友からの連絡があっちこっちから入るようになっていた。そしてその中の一つに、彼からのデートのお誘い手紙が紛れ込んでいたのである。

彼と会うのはおよそ10年ぶり。こちらは以前と変わらず幼女のままだが、向こうはもう中年と言われてもおかしくない状態になっているだろう。もしかしたら頭がハゲているかもしれない。昔はなかなかのハンサムだっただけに、ありすはその可能性がすこし怖かった。オジサンといえば幼女の天敵、幼馴染の彼がそうなっているかもしれないという事実がとても恐ろしく感じられた。

しかしこうやって手紙をもらった以上、会わずに済ませてしまっては幼女の名折れ。ありすは覚悟を決め、彼の待つ国立博物館に足を踏み入れたのだった。


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数十分後。長鳴ありすは博物館内で迷子になっていた。

原因は他ならぬありす自身である。彼女は博物館に入るや否やデート相手の彼を探すため、たいして詳しくもない館内を案内なしでうろつき回ったのだ。彼からの手紙には入場ゲートのすぐ奥で待ち合わせるように指定してあったのだが、幼女に細かい約束など守れるはずもなし。見事なまでの失態だった。

「うぅ……どこだ……どこだよぅ……」

ありすはその大きな目に涙を浮かべつつ、目的地もないまま廊下を歩く。並の幼女であればわんわんと泣きじゃくって動けなくなるところだが、デート相手に合流した時に泣きはらした顔を見せるのが嫌だったので必死で我慢した。幼女らしいちっぽけな見栄だった。

ふらふらと歩き続ける。もちろんそんな事では相手と合流できるはずもない。いい大人であれば待ち合わせの場所に戻ったりするのであろうが、彼女は幼女なのでそんな考えには至ることが出来ない。そもそも現在位置すらわからない。突き詰めた幼女性の負の面が容赦なく襲い掛かったのだ。

「うー……ぐすっ……」

博物館内は展示物の保存のため冷房が効いており肌寒い。ノースリーブから伸びたありすの柔らかい二の腕に冷えた空気が刺さり熱を奪う。その感触は心細さに震える幼女の精神をさらに苛んだ。

それでもなんとか歩き続ける。止まったらおしまいだ、と自分に言い聞かせて。その足取りはとても頼りなく痛々しい。

余談だが、迷子を捜すに当たっては相手が一カ所に立ち止まっているほうが見つけやすい。全部の場所をしらみつぶしにすれば済むからである。逆に動き回られるとそれだけ見つけるのが遅くなり、返って不安をあおる結果になったりもする。

しばらく歩き続けて、ありすがとうとう半べそをかき始めた頃。彼女はようやく暖かな空気の満ちる場所に辿りついた。

それは、博物館内にあって博物館ではない場所……すなわち、お食事処であった。

ここで博物館に詳しくない読者の方々は「博物館内で飲食をしてはいけないのでは?」と思う事だろう。たしかにそれは正しい。しかし、だからこそお食事処があるのだ。空腹を抱え、そのままではマナー違反を起こすであろう入場者にお食事処という逃げ場を与えることでリスクを管理し、さらに観光地料金の料理でガッポガッポという戦略である。

出入り口のすぐ近くには白い渦巻き物体を模した電灯。言わずと知れたソフトクリームの看板である。ソフトクリームといえば綿あめ、ロリポップキャンディーに次ぐ幼女の好物。もちろんありすも例外ではない。彼女は暖かい空気と冷たいソフトクリームを求めることにした。

狭くはない店内には女性店員が一人だけ。博物館内もそうだったが人が少ない。博物館も経営難の時代である。ここも国立でなかったら今頃は更地かデパートか、それともマンションか何かになっていただろう。世知辛い世の中だが、今のありすにはそんな事を考える余裕はない。そもそも幼女は世の中について考えない。

ありすは涙をちいさな手の甲で拭うと、泣きかけて少し上ずった声で、店員にバニラソフトクリームを注文した。900円となかなかいい値段である。

店員がソフトクリームメーカーをいじっている間に、肩掛けカバンから財布を取り出す。マジックテープをばりばりと剥し、中身を手の平の上にぶちまける。しかし。

「…………たりない」

そこにあったのは100円硬貨が二枚と10円硬貨が四枚。それとめんこが三枚だけだった。大人の女性であればデート中の『もしかしたら』のために避妊具が入っているところだが、彼女は幼女なのでそんなものは入れていない。清く美しいお付き合いを求めているのだ。

カバンをひっくり返して中身を確かめる。どこかに何円か入れたまま忘れているかもしれない。しかし、中から出てきたものはハンカチとポケットティッシュに予備の髪留め、けん玉、おはじき、あやとりのヒモ、それとC2カードだけだった。玩具のラインナップが古臭いのは気にしてはいけない。彼女は47歳なのだ、最新ゲームなど理解できないのも仕方のない事である。微妙にC2カードが発熱していたが、今はそんな事は後回しだ。

そこまでやったところで、ありすは所持金の少ない理由を思い出した。

それは数十分前の事だ。入場ゲートにおいて、子供料金で入ろうとした彼女を係りのおばちゃんが止めたのである。さすがに47歳で子供料金は駄目だ、大人料金を払え、と。その後すったもんだの言い合いの末、ありすは大人料金を払わせられたのだ。

アレさえなければソフトクリーム代くらい出せたのに。ありすは係のおばちゃんを恨んだ。逆恨みである。

そうしてまごまごいる間に、店員がソフトクリームを作り終え、彼女のもとに運んできた。その料金はありすには払えない。

「はい、お嬢ちゃん。どうぞ」
「……」

ありすの対応は早かった。目の前にしゃがみ込んだ店員のお姉さん、その下あごに向けて握りこぶしを解き放つ。その拳は握り飯に見立てた大きめの石がごとし。幼女拳ままごとの型:おにぎりどうぞだ!

払えないのならば払わなければよい。幸い店員は一人だけ、気絶させてソフトクリームを食べた後、足りない分はデート相手の彼に払ってもらえばよい。幼女らしい、短絡的思考と身勝手さに基づくずる賢さである。わけを話せば許してもらえるなどとは考えもつかないのだ。

幼女闘気を纏った拳の硬さはまさしく岩石のそれ。そんなものをアッパーカットで食らえば大の大人であろうとも脳震盪を起こし行動不能になることは必定!

しかし、ここで彼女は選択を間違えた。

同じアッパーカットであれば、幼女拳たいそうの型:のびのびが存在し、そちらを選ぶことも出来た。しかし、お食事処という環境が彼女にままごとの型を選ばせたのだろう。それはミスと言うにはあまりにも不運な出来事だった。

おにぎりをイメージさせるその拳は、黒服眼帯の店員の顎下にヒットし。

そして……顎下に存在した『口』に、がぶりと噛みつかれた。


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長鳴ありすは幼女である。そしてその精神性も、多少大人びてはいるものの幼女のソレだ。それは47歳であっても変わらない。

そして幼女であるがゆえに、彼女にも怖いものはある。知らないオジサンや暗い押入れの奥、気色の悪い虫、夜中に一人で行くトイレ、そして……オバケなどだ。

だが彼女は指導者の立場。なるべくそのようなものに怯える姿を見せないようにしてきたし、目に見えて分かる恐怖の対象には近づかないようにしていた。虫のいそうな場所には近づかないし、トイレも寝る前にちゃんと済ませておくほどだ。

しかし、それでも……目の前の人間がオバケだった時などは、対処のしようがない。

それも今の今まで常人だと思っていた相手が、あるはずもない場所からあるはずもない口を出し、あるはずもない歯でこちらの手を噛んできたとなれば、恐怖に飲まれ我を失ってしまっても仕方のないことである。

結論を言えば、ありすはお食事処から逃げ出した。今なお廊下で逃走中である。

一般的に、口が二つ以上ある存在はオバケだ。二口女とかそういうたぐいのアレだ。そして通常なら存在しないはずの存在だ。それが彼女のアッパーカットを噛み止め、そしてぺろりと表面を舐めてきた。その感触を思い出し、ありすの背筋に寒気が走った。

きっとアレは、一緒に居る人間をみんな食べてしまうのだろう。自分の拳は幸いにも無事だったが、あと少し引っこ抜くのが遅ければ無惨に咀嚼されていたに違いない。やけに人がいない博物館も、おそらくはアレが全員食べてしまったからなのだ。ありすはそう考えた。その眼には大粒の涙が溜まり、今にも決壊しそうだった。

長い、長い廊下をひたすら走る。後ろから追いかけられているような気がする。振り返ればそこに居て、立ち止まれば食べられてしまう予感がする。彼女はただただ逃げた。

走って、走って。そして。

「みいいいつけええたああああ!」
「いやあああああああああああアアアアアアアアアアアア!!!!」

前方、曲がり角からアレが現れた。その手にはソフトクレーム。顔には恐ろしい笑顔!
先回りされていたのだ!ありすは高速ターンで来た道を駆け戻る!

「まああああああてえええええええ!」
「うぎゃああああああああああアアアアアアアアアアアア!!!!」

背後から声。コワイ!
振り返れば食べられてしまうだろう!

走る。走る。ひたすら走る!

そして彼女は、お食事処まで戻ってきてしまった。

「ううぅ……いやぁ……」

じりじりと追い詰められていくありす。オバケはそんな彼女にゆっくりと、しかし確かな足取りで近づいてくる。その距離はもう5メートルもない。

もうおわりだ。ありすはそう思い、両目をつぶった。

その時!

「あー!そんな所にいたのか!」

男の声。幼女とオバケはバッとそちらを向く。

そこには、ありすが見慣れたよりも少し年を取った、しかし変わらずハンサムな男の姿があった。

「あ……あう……」
「ありすくんと来たら、いつも約束を放り出してどこかに行くんだからな……ちゃんと待ち合わせしただろうに、まったく」
「う……うわああああああああああああああああああああああん!!!」

ありすは号泣しながら男にしがみつくと、そのまま意識を失った。


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「一体なにがあったんだ……」

そう呟くのはありすの幼馴染の男、喫茶『くえすちょん』の店長である。彼の背には久しぶりに会った幼馴染が背負われている。

「いや、私にも何が何だか。ソフトクリームを上げようと思ったんですけど」

応えるのは黒服眼帯の女、蟹原和泉。

そもそも店長がありすを呼び出したのは、和泉と戦わせるためだった。彼はありすをよく知っている。彼女であれば、大事な従業員と戦わせても余計な被害を出さないだろう、そう考えての行動だ。そのために博物館に手を回し、貸し切り状態にしたのだが……

「ソフトクリームって……まさか勝手に品物に手を出したんじゃ」
「え? いや、その、だって……いいかなあって」
「いいわけないだ馬鹿。貸し切りにしたからって勝手に食い物を漁るな」

彼はチョップを繰り出そうとして、しかし止めた。腕を振れば背中のありすを揺らしてしまうからだ。仕方がないのでため息をつくにとどめた。

「さっさと帰ろう」
「そうですねえ。帰ったらなんか奢ってくださいね」
「賞金で買えよな……あと食費も返せ」

彼らは他愛のない会話をしながら、夕暮れに染まった道にて帰路についたのだった。


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【勝者・蟹原和泉】

最終更新:2016年09月25日 00:11