第四回戦SS・ショッピングモールその1

「傀洞グロット、職業パン屋兼フードファイター。血の繋がらない娘が一人」
 量橋叶は、仮住まいのビジネスホテルで参加者のうちの一人のプロフィールを読み上げる。C2バトルの第三回戦で彼女は変態暗殺者に勝ちはしたが、代わりに家を失った。今はファイトマネーでホテルを転々としている。仕事場は幸いにして無事だが、防備に不安は残る。だが、
「これで……終わりなのね」
 それも後一週間で終わる。C2バトル四回戦。現在までの戦績は一勝二敗という惨憺たる有様だ。彼女にとっては雀の涙程の賞金も、被った損失の補填にまるで足りない。一回戦で『盗まれた』衛星網の奪還にも、相応の資金を投じている。彼女にとってのC2バトルは、既に損切りの段階に入っている。
「彼が最後の対戦相手」
 そして、彼女の戦いの終わりだ。


『市長補佐殿、C2バトルもこれで最後。そろそろ設定を思い出して頂かねば』
 理想都市からの通信で、傀洞グロットは我に帰る。
「そうだった。『カナン・コンプレックス』を探さねば」
 彼は、とある巨大ショッピングモールのフードコートで暴飲暴食を繰り広げていた。どうにもフードファイト以来、胃の感覚がおかしくなってしまったのか、気を抜くと食べる量が増えつつある。C2カードの力で肉体は復元出来ても、『記憶』まではどうにもならないらしい。1000万円も食費に消える勢いである。
 『カナン・コンプレックス』。何らかの魔人能力を指すことは間違いないが、現状では手掛かりが少なすぎる。
『その肝心の『カナン・コンプレックス』についてですが。ある程度条件が絞り込めました』
 通信相手の連絡班長の話を要約すると、こういうことになる。
 都市とは、人とインフラから成立している。理想都市は生物を無から作製できる技術、記憶や能力をコピーする技術。それらを用い、『理想の住人』と『理想の都市』を作り上げることはできる。
 ……足りないのは、それを保つための力である。人は死ぬ。インフラは劣化する。『理想都市』は、常に理想でなければならない。
 だから、それを理想のまま留める力こそが欠けているのだと。
「そういうことならば」もっきゅもっきゅ「一人、適合しそうな能力者が居ます」もっきゅもっきゅ
『通信の間は食事をお控えください』
 ごっくん。
「一人、C2バトル参加者の中で心当たりがあります」
『そういうことならば、お早く願います。市長もそろそろ堪忍袋が暖まっておりますので』
「わかっています、と伝えて欲しい」
 キレやすい理想都市の市長というのも、どうかと思うが。もはや彼自身の言えたことではあるまい。



 この世界の企業体や諜報機関には些か及ばぬ点があるものの。双方とも『個人』としては破格の、情報収集能力の怪物だ。
 だから、その初遭遇は双方にとって初対面ながらに予測されたものであり。何方も、その場に手札を伏せていた。
 但し。
(……これは、『無理』ね)
 問題は、物量の違いだ。量橋叶は最初から、それを悟っていた。
 場所はショッピングモール。そこには数百数千の人間が居る。彼女の力ならば条件さえ整えば無力化することは可能だ。

 ……だが、それらが全て、別の何かに置換されているとしたら。
 彼女の能力は記憶を掘り起こすものだ。だから、もしかしたら別の何かも、記憶がある限り『能力が効く』ことはあるのかもしれない。
 もしC2バトルが始まった直後の彼女であれば、喜々として実験を試みただろう。だが、幾度かの敗戦を経て彼女には戦いの中での慎重さが育っていた。
(手を出してこない限りは、様子見に徹する)
 手を掲げ、伏せた私兵に『待機』の指示を出す。場所はだだっ広いフードコート。日当たりの良い天窓の下の席に、傀洞グロットは居た。
「私が勝ったら、理想都市の住人になって欲しいのです」
 量橋叶の前で、彼は開口一番そう口にした。理想都市。傀洞グロットを洗う過程でしばしば登場する何らかの符牒だ。
 彼の口にする都市など、この地上の何処にもありはしない。だから、何かの符牒だと叶は考えていた。確かなのは、彼は今このショッピングモールを埋め尽くしているように膨大な人間の複製を作り、ばら撒くことが可能ということだけだ。
「……本気で口にするのね、理想都市なんて」
 叶は小さく微笑んだ。それは、憐れむような笑みだ。
「理想都市は確かにあります。ですが、まだ理想には足りないものがある」
 それが、『カナン・コンプレックス』。彼は、都市についてのあらましを叶に語る。
(『カナン・コンプレックス』……成程、千代田茶式の配下が持つ魔人能力を、私の力と誤認しているのね)
 確かに、C2カードの持つ能力と彼女の能力には一部似通っているところがある。とりわけ、人体等の蘇生に関して。過去のある一点の状態を再現することに違いはない。
 だが、その勘違いを正す理由は無い。情報は無償ではないからだ。
「……」
「対戦ルールは、こちらで決めます」
「聞くだけは、聞きましょう」
 これは今までの三戦とは違う。『カナン・コンプレックス』を賭けた重要な戦いなのだ。
 ならば、お互い全力を尽くせるよう、こちらの世界の流儀で迎え撃つべきだろう。そう……
「この……フードファイトで」
「えっ」
「チャレンジ焼きそば3kg、2つ。おかわりも頼みます」
「あいよ!」
 このフードコートの名物メニュー。焼きそば3kgを30分以内に完食すれば代金は無料になり、賞金が出る。
 本来ならば予約の必要なメニューだが、焼きそば屋の店主は既に理想都市の人造人間によって置換されている。よって、傀洞グロットの注文を断ることはない。
「正気なんですの!?」
 思わず、叶は声を荒げる。彼の経歴には、たしかにフードファイト大会での記録がある。だが、よもや今それを持ち出すなど。
「正気です。ギブアップまでに食べた量の勝負です。但し、一皿30分以内に完食すること」
 彼女は考え込む。
「うう……」
 受けねば、力づくでの勝負となろう。この物量の中でだ。おまけに、傀洞グロットは異世界人。究極的には、こちらの世界がどうなろうと知ったことではない。
 後始末は必然、叶達にのしかかる。ショッピングモール丸ごとの異変の隠蔽、幾ら始末にかかるか知れたものではない。
「……受けます。但し、私が勝利した場合、C2カードを渡すこと。そして今後、私には手出しをしないことね」
 叶はそう答えて、服の袖を捲り上げる。腹を決めるしかない。考えようによっては、これは最も犠牲少なく『勝つことのできる』勝負だ。
「いいでしょう」
 だから、彼女は勝負を呑んだ。
「「いただきます」」
 そして、戦いは始まった。
 舞い飛ぶソース。迸る麺。歯にささった青のり。筆舌に尽くし難い戦いが、ショッピングモールの一画で繰り広げられていた。
 いつしか人造人間達も、傀洞グロットの周りに集まり始める。グロットを応援する声が、彼の周囲に木霊する。
(ああ……なんて、心地いい)
 その中で。傀洞グロットは穏やかな歓喜に包まれていた。

 ……だが、次第に勝敗は明らかになっていく。
 傀洞グロットの持つ早食い・大食い能力は、つまるところ人間における最上位レベルに留まる。
 その差は、一皿目の終わり近く、20分地点で現れ始めた。傀洞グロットのペースが、僅かに鈍り始める。彼の胃は物理的限界に達しようとしている。
 しかし、叶のペースは全く落ちていない。
 その正体は、言わずもがな彼女の能力だ。自身の胃の状態を「大食い勝負が始まる前」に戻し続け、焼きそばを虚空へと消している。

 二皿。三皿。
 焼きそばの巨大な大皿が、2人の横に積み上がり続ける。グロットの胃は膨張を続ける。そして、その瞬間は訪れた。
 勝負開始から一時間半が経過した四皿目。実に、合計20kg以上の焼きそばが2人の胃の中に消えた計算となる。
 その結果、単純な物理的計算の結果として、傀洞グロットは意識を失った。
 量橋叶の手もまた、四皿目を消化したところで止まった。尤も彼女の場合は、顔色一つ変わらぬまま、口の周りが少し汚れただけだったのだが。
 叶はそのまま、追撃を試みようかとも考えたが、止めておいた。些細な衝撃で周囲が正視に耐えない焼きそばの海になることは、想像に難くない。
「……こんな決着になったのは、少しだけ不満だったけれど」
 叶は呟く。周囲を囲む人造人間達も、めいめいが散開していく。
「少しだけ、愉快だったわ」
 私兵が腹部を圧迫しないよう注意深く探りながら、傀洞グロットのC2カードを回収する。これで勝敗は決した。

「……そうか、僕は負けたのか」
 傀洞グロットは、二時間程で意識を取り戻した。人間の限界水準の消化吸収能力が、彼の活動を可能にしている。
 だが、量橋叶はまだそこに居た。
「一つだけ、伝えようと思ったの。私は『カナン・コンプレックス』ではない。そう呼ばれる能力の持ち主は、別に居る」
「しかし、貴方の強力な能力は、必ずや理想都市に資するものです。『カナン・コンプレックス』としてではなく……貴方自身として市民となる気はありませんか?」
 少しだけ、量橋叶は日傘をくるくると回しながら考える素振りをする。
「遠慮しておくわ」
「何故です?」
「私の能力は完全でも。私自身は、完全ではないのだから」
 今の彼女は、彼女の理想からは程遠い。それをC2バトルで嫌という程に思い知らされた。
 だから、まだ足掻くことができる。この戦いは彼女にとってショートカットになる筈だったが、終わってみれば『価値ある回り道』だったのかもしれない。
「私の理想は、私が叶えてこそ意味がある。貴方の理想は、どうかしら?」
 最後に。叶はただ、そう言い残して去っていった。


『C2カードを渡してしまってよかったのですか?』
「彼女は重要な示唆を与えてくれました」
 どのみち、C2バトルは終わりだ。量橋叶はあの後、戦いが終わったら(有償で)『カナン・コンプレックス』の探索に力を貸すとも約束してくれた。
 だが、何処かで彼は負けることを望んでいたのかもしれなかった。
「『カナン・コンプレックス』の能力が条件を満たしていても、使い手は条件を満たしているとは限らない、ということです」
 例えば、量橋叶彼女の能力は、彼女のパーソナリティと切り離して存在するものだろうか?
『それは…………』
「簡単な話です。その場合……『カナン・コンプレックス』だけでは、理想都市は完成しない。そういうことになります」
『しかし、それは『カナン・コンプレックス』が適切ではないからでは』
 それは、あるかも不確かな聖杯を探すようなものだ。
「いや……」
 そう言い返そうとして、傀洞グロットは言葉を止めた。
 ……それで、いいのかもしれない。
「……市長には、帰還はまだまだ先になると伝えて欲しい」
 それだけ告げて、傀洞グロットは通信を切った。これで、市長補佐の職は奪われるかもしれない。もしかすると、都市から追放、ということもあるやもしれない。
 だが。この世界に来て、彼は変わり続けている。理想を見つめ直すことが、今の彼にはできつつある。
「グロットさん、何処とお話してたの?」
「ああ、理想都市とですよ」
 食卓で、少女が小さく微笑む。彼の理想は、今ここにある。

最終更新:2016年09月24日 23:33