第四回戦SS・ショッピングモールその2

 真に人脈を利用し、兵の数を武器とした場合、彼の試合はいかに展開されるだろうか。傀洞グロットの闘いは、果たして理想都市のために、住人のために、これから住人となるかもしれない人々のためになっているだろうか。
 終わりのない煩悶が彼を責め続ける。信用できる情報通の話によれば、千代田茶式の開いたこの大会の決着もあと少しで決まるらしい。この大会中の彼は、大食いで敗北し、人質を取りながら老人に瞬殺され、女子高生と河原で殴り愛の喧嘩をした。少なくとも、都市の未来を委ねられた人間として、相応しい姿ではないのだろう。

 しかし、勝っても負けてもこれで最後なのだ。その事実はグロットの心を幾分軽くしている。彼自身の無能さは、今回の闘いを通してよく分かった。少し、この世界の人間の気分も分かったような気がする。どうしても簡単に捕まえられない、面倒くさい幸福の形がある。それを手にするには、ただとにかく舗装もされず、方角も分からないような道をひたすらに歩くしかないのだ。

 きっと、この次の最後の試合に勝とうと負けようと、すぐに理想都市へ行ける訳でもあるまい。それまで、彼は娘を何としてでもこの世界で守らなくてはいけない。生きろというにも厳しくて、死ねというのは冷たすぎる。世界がどうあっても二人でいよう、何があっても二人でいよう。昨晩彼女に伝えておいた。

 だから、最後の試合はとりあえず、最後の試合に相応しい形で終わらせる。

 そうとだけ決めてある。隣で心配そうな顔をした娘が見ているが、今までできっと一番頼りになる顔をして、首を縦に振った。彼女もそれだけで安心してくれる。もう彼女を心配させる必要は無い、そのような意思ははっきりと伝わっているようだ。

 夜も遅かったが、思いつくだけの相手に念話と電話で頼み事をした。

 次にC2カードが対戦相手として認めることになるのは量橋叶。彼と同じく、これ以上の闘いと勝利に大きな意味を持たない女だ。
 彼女を相手にするには、これまでの試合とは段違いの準備が不可欠である。しかし、準備するだけの価値がある強者だ、疎かにはできない。

 この大会で最後の最後に笑うのは優勝者とは限らない。何度負けようと、道は開ける。きっと最後の試合もTVやインターネット上に中継されるだろうが、千代田茶式も各地の強者もグロットの見せる試合を目にすることだろう。

 たしかに理想都市からの大使、傀洞グロットはこの世界の幸福も学んだ。しかし彼にも都市の人間としての矜持がある。貪欲に幸福と理想に身を置こうとするその姿勢だけは、画面越しにでも理解させる。

 憧れでなくても良い。共感でなくても良い。とにかく、心を動かせば良い。

 きっとそれは理想都市の、彼の、娘の幸福にもつながる。きっとそれは、他の大会参加者にも、観衆にも、どこかの誰かにも……


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 自宅が炎に包まれ、大事な家庭用プラネタリウムも、資金源となる書類の束も、取引用のコインロッカーの鍵も、全て失ってしまった。量橋叶は気だるげな溜息を吐いた。無論、こうなることを予想しなかった訳では無い。
 情報というものにも時価があるし、資金源の書類の価値は後で失われていたかもしれない。現在価値の高い情報の全てをあの部屋に置いていたわけでもない。

 家だって、一つ失った所で痛くも痒くも無いほどの不動産を彼女は所有しているのだ。もちろん資産全てを現金で持ち歩いている訳ではないので、経済的ダメージも浅い。

 それでも、胸の奥に何かがつっかえているような気がする。きっとあの家庭用プラネタリウム装置を失ったからだ。

 彼女が宙に憧れた時、占い師を始めた時、仕事が上手くいかない時、不安で寝られない時、初めて自分の人工衛星を打ち上げた時。いつだって、彼女はあの装置に頼っていた。裏社会の厳しい掟の中、味方も少ない中で生き延びて来たのも、きっとあの装置のおかげだった。

 お世辞にも精巧とは言えず、本当に有名な星座と適当な天の川だけでつくられたあの夜空に、彼女は何度も救われていた。いつかは壊れるだろう小さな玩具だったが、思ったよりも別れは早く訪れた。

 しかし彼女にはまだやるべきことがある。ナントカ玩具のことは忘れて、今からするべきことに思考を移す。

 今回、量橋叶が目標を定めたのは、傀洞グロット。この大会中で、一番実力の分かりづらい輩である。彼を倒した蟹原和泉、大原吉蔵は強い。それは様々な情報源から分かっている。
 唯一勝利している鮎坂千夜も、この大会上位に入るような強者相手に、何分か粘るだけの実力はあり、場合によっては勝敗が入れ替わっていてもおかしくはない能力者だった。

 それが、大食いだの一方的暴力だの河原の決闘だので勝敗を決しているではないか。

 傀洞グロットの過去に戦闘行為が無かったかどうか調べてみても、大した情報は見当たらない。今回のC2カードとて、交渉で手に入れたそうではないか。本当に実力が分からない。目的も理想都市がどうのと、要領を得ない。

 もしも彼に試合とは別の目的があったとして、叶と出会った後でその実力を現すかもしれない。それでも、今の叶が相手にできそうな参加者は彼ぐらいしか残っていなかった。
 人工衛星からは欲しい情報が入ってこないので、今は私兵隊が目標の捜索をしている。

 定期的に私兵隊からの連絡は来るが、それ以外の時間が暇でしょうがない。無言と静寂が、量橋叶の隠れ家を包んでいる。

 ふと、玄関のドアを小さく叩く音がした。この隠れ家は古く、インターホンは壊れて鳴らない。故に訪ねる客は、皆一様にドアを叩かねばならなかった。
 ドアに嵌められたレンズから覗いて見ると、小さな子供が上方を見つめている。肝の据わっているはずの叶でも、少し驚いた。今は子供が一人で出歩くような時間では無いし、今この隠れ家には住人がいないようにカモフラージュしてある。しかし子供は叶の顔がある辺りを見つめている。

 ドアの外の子供は、ドアをもう一度ノックした。もしかしたら親と出かけたものの、はぐれてしまった迷子かもしれない。この隠れ家の隣にはショッピングモールもあるし、施設に寄った時にはぐれたのだろうか。

「叶さん、量橋叶さん。伝言です」

 叶の背筋が凍った。この場所に今自分がいることは上客にも知らせていない。それに、よく考えればショッピングモールには迷子センターがある。このようなお化け屋敷に子供が訪ねてくるはずが無かったのだ。 

「あと10分もすれば、隣のモールで祭が始まります。それに来てくれるように、とグロット様からのお達しがありました」

 グロット、傀洞グロット。実力のよく分からない男は、独自の情報網を持つ叶よりも早く、叶の住処を見つけ出したのか。取柄となる情報で上回られては、やはりその実力を認めるしかない。彼女は私兵隊に集合と護衛の指示を出すと、できる限り落ち着いた声で外に語りかけた。

「分かりました…… 準備ができたら向かいましょう。レディーの着替えの時間ぐらいは、そちらも待ってくれるでしょう?」

 子供は納得した表情を見せると、懐から取り出した携帯電話で、どこかに電話した。

 占い師は人工衛星を利用し、携帯電話のセキュリティーを突破すると、ドアの向こうの携帯電話のデータにアクセスした。現在子供が電話をかけている先、子供の携帯電話の通話履歴から、傀洞グロットの持つ人脈の一端を見て、叶は唸るしかなかった。
 シギントするには集めるデータが多すぎる。とにかく、彼女には私兵隊を近くに潜ませたまま、モールへ向かうしかなかった。


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 ショッピングモールの駐車場、本来この時間は、モール内施設は閉まっており、車を停めることもできないはずだった。
 しかし、現在この駐車場には、所狭しと明かりが並んでいる。光源となっているのは、イカ釣り船のような電球と、ほんのり光る提灯だった。

 そう、この場で今行われているのは、比喩でも何でもない祭であった。

 叶の隠れ家を別にすれば、近隣に住まう人はほとんど居ないような場所である。それなのに、無駄に人が多い。品揃え、出店も豪華だ。

 駐車場中央には和太鼓が据え付けられ、盆踊りのプロ集団までいる。

 量橋叶もここで祭が行われるという情報を知ったのは、つい先日だ。何やら急速に話が決まったらしい。そのような企画だというのに、このように盛況というのは、どういうことだろう。

 彼女は傀洞グロットの姿を探した。すでにカードには彼の名前が表示されている。1km以内に一度は入ったということだ。私兵隊には護衛だけを命じている。とにかく、敵を探すのは自分自身しか頼りにならない。

 一組のカップルが、彼女の前に現われた。

 傀洞グロットと、同棲しているパン屋の娘だ。叶がパン屋へ私兵を送り込んだ時には、影武者しか見つけることができなかったが、まさか本人が自分から現れるとは、思いもしなかった。 

「楽しめていますか?」

 試合相手とは思えないほどに、青年は笑顔を向けていた。


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 脂、ニンニク、タンパク質、糖質糖質糖質。超特製・ジャイアントドラゴンステーキ丼は、十以上の小皿に分けられて、あっという間に食い尽くされた。
 傀洞グロット、パン屋の娘、量橋叶、その私兵隊。全員で屋外のベンチに座ってかっ喰らったのだ。

「思ったほど脂っこくなかったですねー」
「そりゃそうだ。ウチのタレは古くから伝わる秘伝のタレだからな」
「へえー、今度普通にお店寄ってみますかねえー」

 喫茶店の店長と叶の私兵隊も仲良くなってグダグダしている。量橋叶は、氷で冷やされた炭酸水を買い、彼女にとっては少し脂が強かった丼の余韻を飲み込んだ。

「この大会で得られた物はありましたか?」

 新たな一杯に手を付けているグロットが、彼女に話しかける。

「どうでしょう。±0ってところかしらね……」

 炭酸水のペットボトルは、あっという間に空になった。思っていた以上に喉が渇いていたらしい。パン屋の娘が、叶のペットボトルが空になっているのを見て自分の持参した水筒を差し出した。
 素直に受け取り、その飲み物を口に運んだ。紅茶だ。よく考えると、脂物を流し込むには炭酸水よりお茶の方が向いていたかもしれない。

 試合は既に終わっていた。結果としてはグロットの勝利だ。叶の私兵隊は祭の客に紛れた、というより、祭の客の大半を占めるサクラに取り押さえられ、叶は戦闘手段を失うことになったのだ。

 叶もそうなっては手も足も出ない。大人しく理想都市の住人となると、C2カードの力で新しく肉体を復元された。何度も死んで復活した今となっては、自分がどこか別の場所で全く別の人生を送っていることも、なんとなく受け入れることができた。

 というよりも、戦うことは諦めていたのかもしれない。あのプラネタリウム装置を失ってから、叶の心中はこれまでに無いほど、弱音で満たされていた。
 どこか達観して試合に臨んでいた彼女は、もう折れてしまっていた。

 ドンッ と頭上から音がする。見上げると、星とは違う煌きが夜空を染めていた。

「こればかりは、注文にも手間がかかりました」

 グロットは、パン屋の娘の手を握りながらつぶやいた。

 夜空を、光が埋めていく。炎が、大きく広がると、流れるように消えていく。それはまるで星のようで

「ねえ、話良いかしら」
「何でしょう」

 叶の頬には涙が流れているが、皆が皆上を向いている今、気にする者はいない。

「あなたの人脈で、私のパトロンは見つからないかしら」
「無理ではないでしょうね。それなら僕も、あなたの情報網で『カナン・コンプレックス』の魔人は見つけることはできますか?」

 叶の密の情報網、グロットの散の情報網、それらに不可能はあるだろうか。

「無理ではないわね」

 頭上で、偽物の星が瞬いていた。

最終更新:2016年09月25日 00:12