プロローグ(大原吉蔵)

 ある日の晴れた昼下がり。都内の運動公園。
(しげ)ちゃん、(さだ)ちゃん、これ知っとるか?」
 ベンチに腰掛けた大原(おおはら)吉蔵(よしぞう)は、ともにパークゴルフに興じる二人の友人――重雄(しげお)貞晴(さだはる)に声をかけた。
 吉蔵の指には、赤いエンブレムが刻まれた漆黒のカードが挟まっている。

「なんじゃ()っちゃん? スコアならまけてやらんぞ」
 太り気味の老人――重雄は、ろくに目もくれずにそう返す。
「待て。これ……アレか? テレビでやっとったわ」
 痩せた老人――貞晴は、勘付いたようだった。

「ワシ、C2バトルに選ばれちゃった」
「?! 何じゃとぉっ!」「本物かい吉っちゃん!?」
 二人が驚愕に目を見開く。吉蔵は内心、してやったりとほくそ笑んだ。
 今日はこれを言って二人を驚かせたいばっかりに、ワクワクしすぎてスコアを落としていたほどなのだ。

「ホッホッホッ。ええじゃろええじゃろ~~。さぁ、そろそろ休憩終わって回るとす……」
 吉蔵はベンチから立ち上がり、ウキウキとした足取りでホールへ向かおうとする。
 その瞬間、吉蔵は頭をふっと下げた。瞬間、頭蓋骨を砕かんと振り回された重雄のパークゴルフクラブが空を切った。

「何ィッ! よけたか!」「逃がさん!」
 重雄は狼狽し、貞晴は間髪入れずにボールを脳天めがけて撃ち込む。
 吉蔵が自分のクラブを回転させて受け流すと、逸れたボールが近くの木の幹を粉砕し、折れた木がドスンと音を立てて芝生に転がった。

「チッ、勘のいいジジイじゃわい。黙ってカードをよこせ」
「重ちゃん、裏切る気か!」
「すまんのう吉っちゃん。ワシ、孫に小遣いやりたいんじゃ」
「貞ちゃん、お前さん独身じゃろが!」
 数十年来の友情がいま、最大の危機を迎えている――おお、金とはなんと恐ろしいことか!

「二対一じゃ、卑怯と思うな!『ボルトストライク』!」
 重雄の身体が低空浮遊し、その周りで電流が球バリア状に展開され、ジジジジ……と音を立てながら芝生を焦がす。
「殺しても死なんらしいからな、半殺しにして奪うとしよう!『ダークボイド』!」
 貞晴が掌をかざすと、空間に漆黒の虫食い穴が開いた。腕を突っ込み、引き抜くと、
その手には触れた物質を対消滅させる暗黒の杭が握られていた。
「お前らどうせ金持ってもパチンコじゃろ! カァーッ、『セイクリッドファイア』!」
 吉蔵の両掌から目映いばかりの白炎が噴き出し、その身を焦がすことなく包む。

「「「キエェーーーッいッ!!!」」」
 三人が一斉に放ったエネルギーが衝突し、ちょうど真ん中で爆風を生んだ。その程度では、誰一人として怯みはしなかった。
 重雄はコインを超高速で撃ち出すべく電磁場を発生させ、
 貞晴は新たに引き出した暗黒の杭を鞭状に変形させて振るい、
 吉蔵は炎の壁で二者の攻撃を受ける構えを見せる。

 世界最強を決める前に、まずは町内会の最強を決めねばならない。
 老人たちのプライドをかけた戦いの火蓋が、公園の片隅で切って落とされた。




 四時間後。
「……やっぱり強いのう、吉っちゃんは」「昔から、ワシらの中でも腕っぷしは一番じゃった」
 焼け焦げ、抉れ、クレーターだらけになった芝生の上に、重雄と貞晴は仰向けに倒れていた。
 二人の全身を、淡い炎が優しく包み込んでいる。吉蔵の魔人能力『セイクリッドファイア』の治癒効果
――服はボロボロのままだったが、電撃の撃ちすぎで(ただ)れた重雄の腕も、蹴り砕かれた貞晴の大腿骨も、傷はほとんど癒えていた。

「二人とも、テレビでワシの戦うところを応援しとってくれよ」
 パンパンッと音を立てて服の埃を払う吉蔵。その表情に怒りの色はなかった。
 最後に拳を合わせたのも随分と前のことだ。思えば二人が襲い掛かってきたのも金目当てというだけでなく、
吉蔵への激励半分だったのだろう。

「おう。任せとけや」「優勝したら吉っちゃんの奢りで、ハワイ連れてってくれ」
「仕方ないのう……ま、勝てば金はいくらでも入るからの」
 すっかりと癒えた身体で、重雄と貞晴は立ち上がる。
 三人は突き出した拳をコツンと合わせ、声を上げて笑った。
 そして背を向けると、それぞれの家路を猛ダッシュで駆けていった。もうすぐ笑点の時間だった。




 翌朝。ごはんに味噌汁、焼き鮭にサラダの朝食をゆっくりと平らげた吉蔵は、
あずき色のジャージに着替え、玄関でスニーカーの紐を硬く結んでいた。
「あら、おじいさん。ラジオ体操は終わったでしょう?」
「ウム、ばあさん」
 どこかへ出かけようとする吉蔵に、妻の知代子(ちよこ)は優しく声をかける。

「ちょっとワシ、最強めざしてくる」
「まあ、素敵ね」
 答える吉蔵の表情は、キャンプに出掛ける虫取り少年のように朗らかで、それを見た知代子も自然と笑みをこぼしていた。
 二人とも姿は随分と老いてしまったけれど。六十年以上も昔に、初めて会った時のままの笑顔がそこにあった。

「今夜はカツ丼にします?」
「ウム、頼んだ」
 大原吉蔵、83歳。最強への挑戦が始まる。

最終更新:2016年08月28日 19:43