プロローグ(仙波透)

 カタヌキとは、オリハルコンでできた型を、専用のチタン合金製ピック等を用いて、決められた形に削り取る遊戯である。
 一時期大流行したが、現在では廃れてしまい、屋台で見かけることも少なくなっている。それでも、一部の愛好家からの人気は健在で、完成した型には報奨金がかけられることもある。
 その金額は、難易度や綺麗さによって違い、億を超える価値のある型もあった。中には、カタヌキの報奨金だけで、生計を立てる職人もいた。
 人々は彼らのことを、畏敬を込めて、『カタヌキ師』と呼んだ。

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 仙波透は、母一人、妹一人の家庭で育った。
 透の母は、日本最高のカタヌキ師と名高い、仙波キリ。
 透は幼いころから、キリからカタヌキ師としての英才教育を受けていた。『全身の皮膚を鉄のように固くする』という魔人能力も相まって、瞬く間にカタヌキ師としての腕を上げた。
 キリは職人然とした女で、仕事の日は夜遅くまで帰ってこず、仕事がない日はいつも寝ているか、酒を飲んでいるか、透にカタヌキを教えるかしかなかった。
 口より先に手が出る方で、マンツーマンでカタヌキを教わっていた透は、常に頭にたんこぶをこさえていた。
 妹は透の3歳年下、名を仙波ヤスリといった。勝ち気だが、病弱で体の弱い子だった。透には厳しいキリも、ヤスリには優しく、かいがいしく世話をしていた。
 カタヌキ師は、それほど実入りのある仕事ではない。しかし、親子3人、決して幸せとは言えないまでも、慎ましく暮らしていた。
 だがキリは、透が10になる頃、死んだ。
 仕事帰りに酔っぱらった勢いで美術館に忍び込み、ルーベンスの絵をカタヌキして持って帰って来たのだ。キリはすぐに警察に捕まり、実刑判決を受け、獄中で肺炎をこじらせあっけなくこの世を去った。
 それ以来、透はヤスリと、たった二人で生きて来た。

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 15歳になった透は、ヤクザ事務所で働くようになった。
 母親の死を受け、ヤスリはより一層寝込むことが多くなった。ヤスリは、母が大好きだったので、心的な負担が大きかったのだろう。
 負担が大きいのは、透も同じだった。毎日の生活費と、ヤスリの治療費を稼がなければならない。だが、若い自分では、できる仕事にも限りがある。
 手っ取り早く金を手に入れるため、透は当たり前のようにヤクザ事務所の門を叩いた。
 カタヌキ師として手に入れた指の力と、魔人能力。この二つがあれば、透はケンカでも無敵を誇った。鉄砲玉として、組は透を重宝した。

 ある日のことだ。
 透が組長と次の仕事の打ち合わせをしているとき、ちゃんと食事をしているのかと心配になるほど華奢な小さな女の子が組の扉を叩いた。
 女の子は、下っ端組員の静止も聞かず、ずかずかと事務所の奥に進み、組長室に入り込んだ。
 透の目の前には、目を真っ赤にして息を切らす、若干13歳のヤスリがいた。

「坂上さんから聞いた。お兄ちゃん、帰るよ」

 坂上さんとは、カタヌキ買取店を営む、坂上正二さんのことだ。母の古い知り合いで、今でも懇意にしてくれている。坂上さんに現在の職を話したことはなかったが、何しろ狭い町内だ。事務所に入るところを見られたのだろう。
 透はあまり驚かなかった。どうせ、いずれはばれることだと考えていたし、ヤスリの性格を考えると、やめろと言ってくることはわかっていたからだ。流石に、事務所に乗り込んでくるとは思わなかったが。
 透はヤスリを一瞥すると、すぐに視線を組長に戻した。

「ヤスリ、俺は仕事中だ。出ていけ」

 なるたけ冷たく言い放つ。仕事に差し支えがあるので、他の組員に嘗められたくはなかった。
 それに、ヤスリは頭がいい。頭が冷えれば、ヤクザになる以外に金を稼ぐ方法がないことは、納得せずとも理解はするだろう。であれば、ここで長話をする必要はないと考えた。
 だが、ヤスリは帰らなかった。それどころが、さらにずんずんと透に向かって歩を進めた。

「おい、ヤス……」

 透が立ち上がろうとした瞬間、バチンッ、と破裂音がした。左頬が熱くなる。
 ヤスリに叩かれたのだと気が付くのに、数瞬かかった。この小さな手のどこに、これほどの力があったのだろうか。

「人を傷つけて稼いだお金なんて、いらない。そんなお金で拾った命なんて、いらない」

 ヤスリは、泣かなかった。叫びもしなかった。ただ、胸に燃え滾る感情を噛み殺しながら、懸命に透を睨んでいた。
 だが、それもすぐに限界がきた。

「わたし、お兄ちゃんのカタヌキが好きだよ」

 ヤスリの目から、ぼろぼろと、玉のような涙がこぼれた。
 懸命にこらえようと奥歯を噛み、手で拭いながらも、涙は止まらない。その内、ヤスリは大声を上げて泣き始めた。
 気が付けば、透も泣いていた。二人で泣いて、泣きじゃくった。組長に頭を下げて、へたり込んでしまったヤスリをおんぶして、無言で帰り道を歩いた。
 次の日、透はカタヌキ師の命ともいえる左手の小指を詰めて、組を抜けた。

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 透は、カタヌキを再開した。
 坂上さんの下でアルバイトをしながら、価値のない型を譲ってもらい、カタヌキの腕を磨いた。坂上さんが口をきいてくれたおかげで、カタヌキの仕事にもありつくことができた。
 初めてカタヌキ師としての仕事をした夜は、ヤスリと酒を飲んだ。
「祝杯だー!」とヤスリが買ってきたのは、350ミリリットルの発泡酒一本。当然二人とも未成年だ。
 一口飲んだだけで顔を真っ赤にして、大笑いをはじめたヤスリ。いくら飲んでも全く酔わない透の膝の上で、いつの間にか寝入っていた。
 それはきっと寝言だったのだろう。ヤスリの口が、もごもごと動いた。

「生きたいよ。お兄ちゃん……」

 後にも先にも、ヤスリがその言葉を口にしたのは、その時だけだった。

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 鳴り響く、太鼓と笛の音。油とソースが混ざった臭い。オレンジ色の光がチラチラと騒がしい、祭りの夜。その縁日には多くの出店が並び、色とりどりの浴衣を着た人たちが、所狭しと笑いながら歩く。
 その喧騒から逃れるように、縁日から直角に伸びた路地の先には、ぽつんと小さな空地が開けていた。そこには、簡素な机とイスが数台置き、ビニールで屋根を作っただけの、小さな屋台。屋台の看板には、汚い字で『カタヌキこちら』と無作法に書かれていた。
 中では、汗臭い男たちが一心不乱に机に向かい、手に持つピックをガシガシと振っていた。その必死な姿を、店主が鼻をほじりながらにやにやと見つめるのが、毎年の光景だった。
 しかし、今年は様子が違う。
 店主は、熱のこもった視線を、ある机の一角から離せないでいた。
 その机には、大柄な体を小さく丸めて、涼しい顔で座る一人の男。灰色の作業着を上下に来た少年。黒髪を短く刈り上げた彼は、ピックを使うことなく、素手でオリハルコンを削り取っていた。
 手刀で端を割り、指で型をなぞって削り、手の甲と平でやすって形を整える。それはまさに、職人芸と呼ぶにふさわしい、淀みのない動きだ。
 完成した馬の型は、まるでそれが一つの工芸作品であるかの如き、艶やかな光を発していた。

「おじさん、馬一個上がりだ。次、チューリップ頼む」

 仙波透は、完成した作品に目もくれず、淡々と次の型を受け取った。
 たくましく成長した彼は、若干19歳にして、既にカタヌキ師として母を超える腕前になっていた。

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「坂上さん、これ、昨日のアガリ」

 祭りの翌日。透は、坂上カタヌキ買取店を訪れた。
 透が、出来上がった型が詰まったズタ袋を、店のカウンターに置く。重量感のある金属音が、決して小さくない店内に響いた。

「おおー、透君お疲れ様。昨日も遅くまで、大変だったでしょう」

 坂上さんが、人のよさそうな笑みを浮かべて、奥の事務室から顔を出した。

「この程度の型だったら、全然」

「あー、そうだよねえ。ごめんねえ。僕が、全然いい仕事あげられないからねえ。できれば、全長20メートルカタヌキとかさせてあげたいんだけど、先方がなかなか」

「ああ、いや、そうじゃなくて……」

 透は目を伏せた。自分はいつも、言葉が足りないくせに、余計なことを言ってしまう。

「でけえ仕事できねぇのは、俺のせいだから。坂上さんは、いつもありがてえです」

 職人の世界は、信用が生命線だ。元ヤクザで、小指を無くした自分が、カタヌキ師として大きな仕事を任されることはない。坂上さんも良くしてくれているが、今以上に割のいい仕事はそうそう入ってこないだろう。それは、分かりきったことだ。
 坂上が、少し寂しそうに目を細めながら、「はい。今回の分」と、現金の入った封筒を渡した。透は、それを黙って受け取った。

「どうだい。今日は、ご飯でも食べていくかい?」

「あ、いや、これからヤスリのところ行くんで、大丈夫です」

「そうかい。じゃあ、明日の夜にでも寄ってくれ。次の仕事、探しておくから」

 透が無言で頭を下げ、店の扉を開けたその時、坂上が思い出したように、声を張り上げた。

「あ、そういえば、透君宛に封筒が届いてたよ。千代田……なんとか言う人から。知ってるかい?」

 透が借りているアパートは、安普請で、柄の悪いゴロツキが多く住んでいる。郵便受けに物を入れっぱなしにしたら、まず間違いなく盗まれるので、透は受取先を坂上の店にしているのだ。もちろん、これも坂上が自ら申し出てくれたことだった。

「いや……心当たりねえっす」

 透は、坂上から封筒を受け取り、道中確認すれば構わないだろうと、作業着のポケットに突っ込んだ。

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「ヤスリ、入るぞ」

 透が、声をかける。返事はない。
 ガラガラと、大きな引き戸を開けた。白い壁に囲まれた、無機質な病室。生活感のない部屋の中、簡素なベッドの上で、ヤスリは目を閉じている。
 以前は、起きている時間の方が長かったが、今では起きていられる時間は、1日に3時間も満たない。
 このまま手を打たなければ、近いうちにヤスリが目を覚ますことはなくなるだろう。いや、そうでなくても、入院費を支払えなくなり、いずれ追い出されることになる。
 職人の世界は、信用が生命線だ。元ヤクザで、小指を無くした自分が、カタヌキ師として大きな仕事を任されることはない。坂上さんも良くしてくれているが、今以上に割のいい仕事はそうそう入ってこないだろう。それはわかりきったことだ。
 だが、それではダメなのだ。

 金が必要だった。莫大な、金が。

 透は、ベッドの隣に置かれたパイプ椅子に座り、ヤスリの手を握った。
 透の手は、くり抜いた型を整えるため、毛羽立っている。この手で触ると、ヤスリは痛い痛いと嫌がり、すぐに振りほどかれたものだ。
 今は、そんな声も聞こえない。

「ごめんな。ヤスリ」

 透は、まるで懺悔室のように頭を垂れた。夕日に照らされ、白い床がオレンジ色に光る。
 顔など、見れるはずがない。

「お兄ちゃん。人を傷つけて、お金を稼ぐよ」

 透の作業着のポケットから、破れた封筒と、C2カードがのぞき見えた。

最終更新:2016年08月28日 19:43