プロローグ(七坂七美)

 なぜC2バトルへ臨むのか?
 ある者は言うだろう。比類なき財産のためと。
 ある者は言うだろう。純然たる戦いのためと。
 ある者は言うだろう。最強という名誉のためと。

 だがその女、七坂七美の場合は――



 優美な黒手袋を嵌めた手の、なめらかなシルエットが映し出される。
 ズームアウトする映像。手から腕、その持ち主の全体像へ。人影は車椅子に座っていた。
 車椅子は七坂七美の愛用する電動車椅子、Palfrey(ポールフリ)。
『5、4、』
 コンクリート張りの部屋で、唐突に無機質なカウントダウンが始まる。車椅子の人影は微動だにしない。
『3、2、1、』
 ゼロ、と言ったか言わないかというタイミングで、大爆発。すさまじい轟音と共に、辺りが黒煙と爆炎で包まれる。
 十数秒の後、煙が晴れる。メラメラと燃えるのは、ポールフリのシート部だ。
 車椅子は木っ端微塵。それに座っていたものも、同じく。
 ただ、手袋に包まれた手だけが、先ほどと変わらぬなめらかなシルエットを保ったまま、その残骸の中心に落ちていた。



「このように、我々が開発した『セブン』は、あらゆる打撃、あらゆる衝撃を無力化する性質を秘めております」
 得意げな様子を隠しもせず、男はその性能実験映像を止めた。

 ここは七坂グループ統合会議室。時刻は午後三時。
 扇型の卓に着席するは七坂グループ全体の技術を管理する七人の重鎮。
 行われているのは『特別武装群:七つの美徳』の発表会。

 そしてこの男は繊維技術開発管理部、通称『第七部』の部長である。
 四十代後半ながら若々しいエネルギーに溢れるこの男は、七坂七美をCEOに据えた七坂グループ現体制を良しとしない、
七鬼派の中心人物でもあった。
 不必要に手の込んだ実験映像も、なればこそか。
「……不快ですな」
 苦々しい声を上げたのは銃砲技術開発管理部、通称『第一部』の部長。
 現体制――正確には前CEO、七坂七史の考えを敬虔に守る七美派の中心人物。
「CEOの姿に似せた木偶を用意してまで、己の有能を下品に誇示するとは。
 しかもそれに『セブン』と、七坂の数を真っ正直に名付けるなど、いささか不遜が過ぎるのではないか?」
「それは誤解だ、第一部長」
 対する第七部長の自信あふれる笑みは崩れない。
「今回の『七つの美徳』開発にあたり、我ら第七部は技術の粋を結集して最高の一品を作り出したと自負している。
 他開発部の武装とは異なり、我らが商品は衣装。常から身に付けるもの。生活の一部。衣食住に武は未だに並びませぬものな。
 なればこそ、最高の一品を最高の自信と共に送り出した事を理解していただかねばならなかった。『セブン』の名にも負けぬ一品を!
 ……ですが……希少な技術と材料を結集した『セブン』は、七美お嬢様の手に合う一組しか誂(あつら)える事ができなかったのです。
 試験品(プロトタイプ)の用意すらもままならぬ実績不備の一品。だからこそ! 説得力ある実験映像を全力で……」

「第七部長」

 美しく冷たく、そして若い女の声が、第七部長の弁舌を遮った。冷や水を浴びせられた相で、第七部長は口を開いたまま停まる。

「三つあります。
 第一に、私はあなたたちの技術への矜持を信頼している。なので説得力のためにこのような事をする必要はありません。
 第二に、あなたたちの『セブン』の素晴らしさは確認できました。予定通り、これを主として運用する事にします。
 そして第三に――」

 長く喋ったためか、あるいは続く言葉をしっかりと浴びせつけるためか、声の主は少し呼吸を置き、
それから扇型卓に座る七人の技術開発管理部長を見渡して、言葉を続けた。

「私は『七美お嬢様』ではなく『七坂CEO』です」



 七坂七美に、祖父の七坂七里から無造作にC2カードが放り渡されたのは、一ヶ月前の事だ。
「来月、千代田殿が祭を開く」
 嬉しそうに話すこの老人が千代田茶式の手足、『13人の同胞』のナンバー07を拝している事は、七坂家の中では暗黙の常識である。
 長じて、千代田茶式が絶大なる力を未だ隠し持ち、何らかを画策していた事も、七美は知っていた。
 もっとも、その中身は分からないが。
「七坂の悲願成就の後押しと成る祭だ。七美、お前は七坂の姓を背負い、祭の場で舞って見せい」
「……クーデターでも?」
 七美の問いに、七里は喉を鳴らして笑った。
「想像力が足りんの、七美」
 頭を無遠慮に撫でる枯れた腕は、結局そのカードの用途や意味を何一つ語らなかった。語るを必要としなかったのだ。
 だから七美もそれに応じた。敢えてC2カードについては何も調べる事なく、ただ祖父の言葉に従い、準備をした。
(七坂の悲願成就の後押しと成る祭……私が七坂の代表として、戦う)
 これを七美は『誰もが知る大戦闘が起こり、その中で自分が七坂グループの広告塔として戦う』と解釈した。
 だから二十日の期限を設けて、七つの技術開発管理部に特別武装群:七つの美徳を作るよう命じ、
日課である戦闘訓練の時間を倍以上に増やし、これに備える事にした。



 その放送ジャックがあった時、七美は戦闘訓練を終えた後、シャワーを浴びている最中であった。

 彼女の戦闘訓練とは、兄の七鬼から魔人能力により身体能力の移譲を受け、その状態で四肢を動かす事を指す。
 鍛え抜かれた七鬼の身体能力を、目に見えぬ武器として最高に取り扱えるようにするための訓練、といった所だ。
 それに平行して、現在は納入された特別武装群:七つの美徳の使用習熟訓練も行っている。必然、運動量も増える。
 肉体の疲労感は、身体能力が元に戻るのと一緒に七鬼へと行ってしまうため、疲れはない。
 そもそも鍛え抜かれた七鬼の体、ひいては身体能力だと、多少の運動ではほとんど疲労を感じない。

 ただ――
(長く動いた後だと、この体が恨めしい)
 シャワーに濡れる自らの肩を抱く。
 少し前まで七つの美徳を自在に操っていたこの体は、あまりにも細く薄く、弱い。
 今いる場所だって、座ったままのボタン操作であらゆる方角からシャワーが噴出される、七美専用のシャワールームだ。
 身体を動かさなくて済むように。座ったままで身体の大半を洗えるようにという配慮の行き届いた設備。
 こんなものはいらない、と跳ね除ける力すら、七美にはない。

(どうして私は……)
「……」
 鬱々とした思考は、七美の魔人能力『七欲七聞』が接近者を感知した事によりぴたりと止まった。
 キュ、とシャワーの栓をひねる。接近者――七鬼の欲を聞き取る。
(……これは)
 普段通りの欲望の片隅に、見慣れぬ欲望があった。
 シャワールームの乾燥機能と通信機能を同時にオンに。温風が吹きつけられる。
「七鬼。説明を」

 欲望を聞き取れると言っても、それで万物を把握できる訳ではない。
 欲望とは言ってみれば、思考のベクトルのようなものだ。
 たとえば誰かが大きな「七美を殺したい」という欲望を持っていたとする。七美はまずそれを瞬時に聞き取る。
 そしてそれに付随する「七美を殺すため暗殺者の××を雇いたい」という欲望も、七美は聞き取る事ができる。
 しかし、その暗殺者××がどのような存在であるかを、七美は聞く事ができない。
 ただし、もし相手に「暗殺者××の狙撃で七美を殺したい」という欲望があれば、その暗殺者が狙撃を得意とする事は分かる。

 七鬼は今、普段の欲望に混じって「七美にテレビを見せたい」という欲望を抱いていた。だがそのテレビの内容は分からない。
 いや、深く聞き取ろうと思えば七鬼が七美にテレビの何を見せたいのかも聞き取る事はできるだろう。
 ただ、七美は七鬼の欲をあまり聞き取りたくなかった。
 七坂七鬼。
 七坂家当主の座を妹に奪われながら、自身を支持する派閥がありながら、その身命を懸けて当主を守護する男。
 表向きは妹を守る兄である彼の胸中がどれほどまでにおぞましいか、知っているのは自分だけだ。

『説明?』
「七鬼は私に何を見せたいんですか?」
『テレビだ。千代田茶式が何やら話をしている。おそらく、あのカードに関わる事だ』
 あのカード。祖父から渡されたカードの事か。
「シャワーから上がるには時間がかかりますので、後で」
『分かった』
 通信が切れる。乾燥機能も止まり、仕上げに自分の手で軽く身体を拭き取る。それから普段着のスーツに身を包む。
(千代田殿が祭を開く)
 祖父の嬉しそうな言葉が思い出された。



 千代田茶式の放送を見てからの七坂家当主の動きは迅速だった。
 事実上の情報収集担当である七坂ITにC2カード保有者にまつわる情報を集めさせながら、一つの声明を収録する。

「皆さん、こんにちは。私は七坂銃匠CEO、七坂七美です」

 愛用の車椅子・ポールフリに腰掛けた七美の背後には、七鬼率いる七人の屈強な護衛『セブンカード』が立つ。
 その威圧的な光景を撮影するカメラに向け、七美は静かに一枚のカードを掲げて見せた。
 C2カード。程なく開始されるC2バトル参加者の証。

「私は明日より開始されるC2バトルに、七坂グループの代表として参戦する事にします。
 もちろん、この催しはまったくの非公式。戦いという犯罪行為を奨励する、紛れも無い違法行為です。
 ――ですが、皆さん。違法行為だからといって、C2バトルは止まりません」

 七美の声色は冷たい刃のようだった。表情もそれと同じく。

「法は確かに、犯罪の抑制となるでしょう。皆さんを不本意な事故・事件から守ってくれる。
 ですが、法は時に無力です。たとえば力、たとえば狂気。法のしがらみを受けないそれらは、その守りをものともしない。
 その究極が、このC2バトル。参加者が顔を合わせた場所が戦場となり、そこには深い傷跡が残る。
 それは、あなたの務める会社かもしれない。学校かもしれない。いえ……あなたの家の目の前かもしれない」

 七美はこう言っているが、彼女は七坂ITに戦闘の発生が予想される場所を割り出すよう命じ、
そしてそれに基いて一般人を守るよう七坂警備保障に命じていた。
 だが、それは伏せる。人々には危機感が必要だ。

「……我々はC2バトルに参加します。その理由は二つ。
 第一に、私たち七坂グループの……日本の武を司る私たちの技術と力を、皆様にお見せするため。
 第二に、皆様がこのような力と狂気に今後見舞われたとしても安心できる日本を作るため。
 ――つまり、誰もが武器を持てる社会を、作り出すためです」

 武器・兵器の生産に関し、日本国内で七坂グループの敵と成り得る者はいない。
 つまり、これ以上の業績向上を図るには、需要を増やすしか方法はないのだ。

「『全国民の武装義務化』により、日本は変わります。『衣・食・住』は『武・食・住』となる。
 海の向こうの愚国は、これを『権利』とした。だから失敗した。武装を忌む弱い者が容赦なく食われた。
 我々がC2バトルに優勝した暁には、武装を『義務』とします。これにより、誰もが力と狂気に対抗するすべを持つ。
 法を超えてあなたたちを、あなたたちの大切な人を害そうとする者を、あなたたちの手で払えるようになる。
 たとえそれが、このC2バトルを超える恐るべき危機であったとしても!」

 であれば、七坂グループとして取るべき手段は、望むべき事は、これをもって他になし。
 全国民を七坂グループの得意先とするために、国を変える。優勝すればそれでよし。
 よしんば敗北したとしても、C2バトルを通じて七坂グループの武装の優秀さを示せば、需要は増える。
 また、全国民武装義務化という観念をここで打ち立てれば、未来にそれが実現できる目はある。

「我々の考えは以上です。皆さんにできる事は、C2バトルと向き合うこと。
 お考えください。皆さんに何が必要か。
 そしてもしも我々に同意していただけるのならば、どうか望ましい未来のため、我々にご協力ください」

 合間合間で呼吸をしながらだが、七美は語るべきを全て語りきった。
 深く頭を下げる。セブンカードもそれに続く。

「オーケーです」
「はい」
 撮影係の声を受け、七美は顔を上げた。
 この声明はまずマスコミ各社に届けられ、続いてネットがもっとも白熱したタイミングでWEB公開される。
 その辺りの事は、七坂ITと主要会社の営業・広告部に任せておけば良いだろう。七美は渡された水を飲み、今後に思いを馳せる。
(あとは私がC2バトルで優勝すれば……)



 なぜC2バトルへ臨むのか?
 ある者は言うだろう。比類なき財産のためと。
 ある者は言うだろう。純然たる戦いのためと。
 ある者は言うだろう。最強という名誉のためと。

 だがその女、七坂七美の場合は、広告のためである。
 七坂グループの更なる躍進のため、七坂七美はその身命を賭け、C2バトルの戦場に望むのだ。


 ――表向きは。




最終更新:2016年08月28日 19:44