□□□□□□□□□□
ズルズル―ッ!ズルズル―ッ!
「なあ、蟹原くん」
「なんですか、もぐ、店長、もぐ」
ズルズル―ッ!ズルズル―ッ!
「話があるんだ」
「はなし、もぐもぐ、ですか、もぐもぐ」
ズルズル―ッ!ズルズルズルーッ!
「パスタを食うのをやめろ」
「もぐもぐもぐもぐ」
バチコーン!
「あいたっ!?」
「やめろと言うに!」
「だからって殴らなくても!?」
「言っても聞かなかったそっちが悪い!」
昼下がり。喫茶「くえすちょん」では二人の男女が向き合っていた。蟹原と呼ばれた女の方は右手にフォーク、左手にペペロンチーノの乗った皿を持っている。
「というかパスタを啜るな!マナー違反だぞ」
「大丈夫です、ちゃんとしたお店では啜りませんから」
「ほう。つまり僕の店はちゃんとしてないてことか?」
「え?それは……えっと……うーん……?」
「悩むな!」
バチコーン!店長と呼ばれた男の平手打ちが女の側頭部にクリーンヒットした。しかし彼女の身体はぶれることなく、手に持ったパスタ皿は微動だにしていない。見事な体幹だ。
「いたい!暴力反対!」
「うるさい。大した威力でもなかったろ」
「ペペロンチーノ落としたらどうするつもりですか!」
「心配するのはそっちなのか……」
店長は半ば呆れたような表情で身を引いた。それを見て、蟹原は再度フォークをパスタに近づける。
「駄目だ」
「ええー」
しかし静止されたので食べるのはやめた。その顔は不満を隠しきれていないが、一応相手は雇用主なので従っておく。皿とフォークをテーブルに置き、相手に向き直る。
「そもそも私が作ったんだから食べたっていいじゃないですかー」
「そうだな。店の食料使ってなけりゃあいいだろうね」
「うぐ」
目をそらす蟹原。さもありなん、今彼女が食べていたペペロンチーノの材料は店の冷蔵庫から無断拝借したものなのだ。しかもこういった行動は今回が初めてではなかった。
「別にクビにしようってんじゃないから安心しろ」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
「その代わり、ひとつ頼みを聞いてほしいんだが」
急に神妙な顔つきを作り、店長がそう切り出した。その真面目な雰囲気に、思わず蟹原も姿勢を正す。
「な、なんでしょうか」
「蟹原くん、C2バトルに出場しなさい」
「はい……はい?」
そう広くもない店内が静寂に包まれる。店長は変わらずしかめ面、対する蟹原は気が抜けた表情だ。
「えっと……C2バトル?」
「そうだ」
「なんですかそれ?」
店長の冷たい視線が蟹原にぐさぐさ刺さる。まるで世間知らずの非常識を見るような目だ。
確かに彼女には世間の流行に疎いが、それでも一応の常識は持ち合わせている。未開人のような扱いは心外である。
「……そういえば蟹原くんはテレビみないんだったな」
「馬鹿にしないでください、私だってテレビくらい見ますよ!」
まあ、料理番組か食べ歩き番組しか見ないのだが。嘘はついてない。
そんな蟹原を見下ろす店長の顔はまったく呆れた、という表情。普段見ているテレビ番組の種類くらいお見通しなのだろう。すこし居心地が悪い。
「C2バトルっていうのはだね……まあ、簡単に言えば格闘技の大会みたいなもんだ。詳細は自分で調べてくれ」
「それで、なんで私が、その格闘技の大会に?」
「賞金が出る。稼いでこい」
「ええーー……」
今度は蟹原が呆れる番だった。アルバイトに『大会に参加して賞金を持ってこい』とは冗談にしてもたちが悪すぎる。
「店長が出ればいいじゃないですか。私より腕っぷし強いでしょう?」
「出たいのも山々だが、残念ながら店を放っておくわけにもいかないからね」
「放っておくも何もたいして客来ないじゃないであいたっ!?」
脳天に店長のチョップが落とされた。客入りについては禁句だ。
「でも、でもそういう大会って、エントリーにお金がかかるんじゃないんですか?店長この間『金払って不確定な稼ぎを期待するとはバカバカしい』とか言ってませんでしたっけ」
店長の口調を真似して反論してみる。台詞は一週間前に宝くじの話をしていた時のものだ。
「それについては心配するな。ここにカードを持ってれば自動的に参加者になれるそうだ。しかも試合に出るだけで参加賞が貰えるらしい」
「うわーなにそれ……」
店長が取り出したプラスチック製のカードをまじまじと眺める。そんな虫のいい話を信じてもいいものだろうか、その目つきは疑いのそれだ。
「ていうか、そのカードはどっから出てきたんですか。もしかして泥棒?」
「人聞きの悪い。これ持ってきたの君だろう」
「え。そうでしたっけ?見覚えないんですけど」
「ほら、一昨日の食い逃げから身ぐるみ剥ぎとってきただろう。その時に混ざっていた」
「ああー、あれか……」
そう、一昨日のことだ。その日唯一の客が支払いをせずに店を出ようとしたため、店番をしていた彼女がぼこぼこにして所持品を巻き上げたのだ。
その時食い逃げ犯は「賞金で払う」と何度も繰り返していたが、蟹原は聞く耳を持たず一方的に叩きのめしたのだった。
「そこそこ強かったですねーあいつ。元気にしてるかな?」
「君が両手両足をへし折ったおかげで入院中じゃなかったか」
「そうでした?あはは」
過去の自分が引き起こした惨状を、まるで他人事のように笑う。そういった過激な行動が客入りを妨げているのだが、彼女も店長もそんなことは気にしない。
「それで、あいつの参加権で出られると」
「そう。だから君が代わりに出場して、めいっぱい賞金稼いできてくれ」
笑顔で言い放つ店長。その顔を見て、蟹原も笑顔になった。
「えー、嫌です」
笑顔のまま言い切る。
「そうか……それじゃ仕方ない」
「分かってくれましたか」
蟹原がほっとした表情を作る。そんな得体のしれない大会には出たくない、これで一安心だ。
「嫌ならしょうがない。それじゃ今まで勝手に使った分の食材費を出してもらおう。二年分で確か……」
「出ます。出ましょう。出させてくださいお願いします!」
指折り数え始めた店長の手を立てた指ごとがっしりと握りしめながら、彼女はそう宣言した。
「あ、テレビ放映もあるらしいから宣伝よろしく」
「ええー……」
□□□□□□□□□□