プロローグ(量橋叶)

 人は、古代から天の星星を見上げてきた。
「Tマイナス10」
 星を結び、星座と成し、その瞬きに、己の運命をゆだね続けてきた。
「9」
 全く、本当に、『吐き気がする』。
「8」
 そんな大昔の人々の暇つぶしのような気紛れに、人は馬鹿らしくも。愚かしくも。身を任せてきたのだと思うと。本当に、本当に怒りを抑えきれない。
「7」
 だが、その『代用品』が齎す歳月も、もうすぐ終わる。
「6」
 人知の及ばぬ星空は、只の彼方の染みと化し。
「5」
 空には、『本当の星空』が輝き始める。
「4」
 これは、その小さな一歩だ。
「あぁ……本当に待ち遠しい」
 瞳を潤ませ、頬を紅潮させて、女は管制室のモニタを眺めている。
「3」
「2」
「1」
「発射(ローンチ)、ユニコーンロケット、点火(イグニッション)」
 成層圏(ストラトスフィア)を飛ぶ航空機から、ロケットが切り離される。
 合衆国ベンチャー企業が飛ばす衛星打ち上げロケット、『ユニコーン』の第一段液体水素燃料が爆炎と轟音を高空に撒き散らす。
「ブリュンヒルデ3、予定軌道への投入に成功」
 そのアナウンスと共に、管制室に拍手と歓声が響き渡る。管制室だけに、というのだろうか。上手くも何ともない。
 宇宙開発ベンチャーのノリなど、何処もこんなものだ。幾度経験しても慣れはしない。
 やや間があって、管制室の視線が自分に向いているのを感じる。スポンサーとして一言求められているのだ。
「あなた方の働きに。乾杯」
 用意されたシャンパンを傾ける。これで、あと21。
 新たな星が天に輝く。その喜びに、量橋叶は密かに絶頂の時を迎えていた。

ダンゲロス SS2 プロローグ「量橋 叶」


「このインテルサットの高度が低下しているので、近いうちに肝臓を患うかもしれません。病院に行かれた方がよろしいかと」
 量橋叶はオリジナルのホロスコープを適当に指差しながら、客にアドバイスを告げる。それが彼女の普段の、占師としての日課だ。
 身体のむくみと体臭の異常から、このお客が肝臓病であることは直ぐに分かった。この程度なら、その辺のヤブ占い師でも十分だろう。
 占いの大半は、どうでもいい問題だ。適当に答えても客が適当に解釈してくれる。高額な占い料を払っているならば尚更だ。
「ありがとうございます、検診に行ってみます……」
 お客はペコペコしながら部屋から出て行く。
「今なら、きっと良くなりますよ」
 そう告げて微笑み、叶は客を見送る。
 今日もまた、どうでもいい問題を解決してしまった。最初、彼女の占いを『星座占い』と勘違いしていたことを除けば、割のいい客だった。
 占いに来る人間の中で、深刻な問題を抱えるのはごく一部。その中でも、ごく特殊なものの解決が、彼女の『本業』だ。
 太った男と入れ替わりに、次のお客が入ってくる。スーツ姿の男に、護衛のSPが二人。これは、本業の方の客だ。
「例の件、済んではいるのだけれど……」
「僅かに遅かった。料金は規定通りに」
「ありがとうございます」
 依頼内容は、中央幕僚監部第二部周りのシギントだった。老いさばらえた狂犬、千代田茶式が何事か企んでいるという『噂』の裏取り。
 依頼主も同じ国の内側、それも何処かの諜報機関の所属の筈だ。だから厄ネタだとは思っていたが、想像以上だった。
「C2バトル……ね」
 特級のネタも、今や過去のもの。全ては、放送ジャックによって詳らかにされてしまった後。
「ここからは独り言だが、千代田茶式は狂っている」
「こちらも独り言だけれど。でも、あのご老人、多分死ぬんじゃないかしら?」
「……それは『占い』か?それとも『情報』か?」
「女のカン」
 溜息を吐く依頼主の男。こんな有様では、彼もそろそろ『定年』が近いのかもしれない。人間の中では好きな方だったが、潮時というものがある。
「君の情報源は、便りにしているが……出来れば、次はもう少し早くしてくれ」
「私の情報源は、特別ですから。でも、次はもう少し早くなるでしょう」
 ブリュンヒルデ1。ブリュンヒルデ2。そして、つい先日打ち上げられた、ブリュンヒルデ3。軌道を巡る、三機の私有衛星群。それが彼女の主たる情報の源だ。
 その存在を知る者は殆ど居ない。人工衛星そのものは、特に変哲もない『スパイ衛星』だ。通信を傍受し、地表を見つめる天空の眼。とりわけ彼女が軌道に乗せているのは、米国がシギントに使っているものと同じ機能を持つ特別製だ。
 だから、時折こうした依頼が舞い込むことがある。
「……それで、次の依頼だが」
「ごめんなさい。今日は、急がないといけない用事があるので」
 そう告げて、叶は男を部屋から送り出す。多分、もう会うことは無いだろうと思いながら。



 数時間後。叶は、人気のない裏路地に立っていた。
 いや、厳密には彼女の他にも人は居る。身長2mほどもある大男。
 彼はC2バトルの『参加者』だ。幸いにして、まだ戦いは始まっていない。
 情報網に『掛かった』のは、この男を含めて数名。選んだ理由は、単純に『有効範囲内』だったからだ。
「あ?嬢ちゃん、こんなトコでどうした?」
 だが、これで正解だったのかもしれない。
 知性の感じられない、決まりきった言葉。己の暴力を過信する無遠慮な態度。人間の中で、一番キライなタイプだ。
「貴方は……今までに食べたパンの枚数を覚えていますか?」
 日傘を携えたまま、彼女は尋ねる。
「あ?んなもん、覚えてるわけね」
 男の身体の中で、パン、と何かが弾ける音がした。
「あらあら、どうやらご飯党だったみたいね」
 クスクス笑う叶の前で、男はピクピクと痙攣し、血泡を吹きながら地面に転がっている。
 男が入国後にパン屋を梯子していたことは調査済。魔人能力やプロフィールの情報も手元にある。
 これが、彼女の能力の一端だ。
 『逆巻く星占い(ホロスコープ)』。相手の過去の体の状態を再現する能力。それによって男は『今までに食べたパン』が男の身体の中に再現され、内蔵破裂を引き起こしたのだ。
「まぁ、死ぬことは無いでしょう……」
 そういうルールになっていた筈だ。現に、意識こそ失ったままだが、男の身体は再生を始めている。
「何の恨みも無いのだけれど、欲しいものがあるから」
 万一死んでしまっても、足は付かないだろう。叶は魔人能力を殆ど使わない。その必要が無いからだ。
 だから同時に、彼女のもとに『カード』が届かなかったのは、仕方の無いことなのだろう。
 その誤りは、正されるべきだ。叶は男の懐をゴソゴソと無遠慮に漁る。
 目当てのものは、丁寧にも隠しポケットの中に縫い付けられていた。
 C2カード。戦いに参加するための強者の証。
「……これ、売るのと戦うの、どちらがお金になるかしら?」
 そう口にしつつも、彼女の腹積もりは決まっている。そのために、ブリュンヒルデ3の打ち上げを急がせたのだ。
 この戦いのファイトマネーと優勝賞金、しめて200億4000万円。それは、先の打ち上げで使い捨てられたロケット10基とほぼ同額だ。
 それだけの金額があれば、野望は大きく前進する。そして……何より合法的に能力を使った「実験」が出来る。誂えたようなこの機会を、見逃す手はあるまい。
「ああ……今日も、星は私を見守ってくれている」
 天の星々ではない。人の手によって作られた、人工の星だ。それは、比喩ではない。彼女の能力は、自前の衛星群、ブリュンヒルデシリーズを起点とする。
 その星々が見下ろす間しか、彼女の能力は使えない。だが彼女は、可能な限りにおいて彼女の星の下しか歩かない。彼女の居る場所の、最低でも半径1000キロは、常に衛星の射程内だ。
 衛星群の存在が露見しない限り、彼女の能力が破られることは無い。仮に露見したとしても、それを撃ち落とす手段など、只の魔人風情が持っていよう筈がない。

 勝利は約束されたも同然だ。

 星空に本当の輝きを。そして、不運な犠牲者達に祈りの星の導きを。

 彼女の戦いは、ここから始まる。

最終更新:2016年08月28日 19:41