『まあ、妹のことは俺らに任せておけ。病室には、常に二、三人つけとく』
「すんません。わざわざ声かけてもらっちまって……」
安普請のアパートの一室で、古びた受話器を持つ、灰色作業服を着た大柄な男。仙波透は、相手が目の前にいるわけでもないのに、電話機に向かってお辞儀をした。
電話の相手は、透が15歳の時、無理を言って働かせてもらった暴力団事務所、148代目北極会白熊組の組長だ。当時から透を気に入ってくれている。
自分の職業が、透の仕事に悪影響を与えることを知っているのだろう。組長からはめったに接触しないが、本当に透が困ったとき、どこから聞きつけたのか電話を一本かけてくれる。
今回も、透がC2バトルに参加するという情報を耳にして、ヤスリの身を案じ、電話をしてきてくれたのだ。
『気にすんな。ガキに指詰めさせちまったバカなオヤジが、罪滅ぼししてえだけだ』
「あれは、俺が勝手に……」
『とにかく、おめえは思う通りに頑張れ。死ぬなよ』
一方的に、ガチャンと大きな音を立てて、電話が切れた。透は、ツーツーと決まりきった機械音声を流す受話器を、静かに置いた。
「……死ねねぇみてーですよ」
一人、呟いた。
≪SHINE ON YOU CRAZY DIAMOND≫
「第1話 こんなかわいい女の子に手ぇ出すなんて、人間失格じゃあほんだらー!」
C2カードが、喧しく音を立てた。カードに、『仙波透 男性』と表示がされる。半径1キロメートル以内に、同じくC2カードを持つ相手がいるということを示している。
すなわち、開戦の合図だ。
人気のない火力発電所で、芹臼ぬん子は一人うなだれていた。
「あーもー。なんでウチがこんな目にあわなアカンの……」
これから、命をかけた戦いが始まる。そのことを思い、思わず一人ごちた。腐っても、番長グループの末席だ。能力も強力なものと言う自負があるし、ケンカに負ける気はしない。
でもそれは、面白おかしく学校生活を送るための手段であって、こんな乙女の純情をかけた戦いに出るためでは決してないのだ。
「メロスのどアホー! 帰ってきたら、しばいたるー!」
手足とじたばたと広げながら、どこまで走っていってしまったのかわからない級友を思う。そもそもあいつが帰ってくれば、マグロ漁船にでもなんでも乗せて、それで終わりなのだ。自分がこんな戦いに挑む必要もなくなる。
最も、以前完全にラリったメロスは、太平洋を右足が落ちる前に左足を上げるという離れ業で横断し、アメリカ大陸を走って一周したことがある。その時は、9か月は帰ってこなかった。メロスを待っている間に、お風呂屋さんでソーセージを洗わせられることになるだろう。
メロスは期待できない。自分で金を稼ぐ必要があるのだ。
「芹臼ぬん子さん」
暗闇に、低い声が響いた。ぬん子は思わず立ち上がり、辺りを見回した。すぐに、失策だと気づく。自分が、芹臼ぬん子であるということを、相手に教えてしまった。
ギギギと、古びたフェンスが開く音を何倍にも大きくしたような金属音が響いた。
ぬん子が音の方向を見やると、高さ10メートルはあるだろう鉄塔が、ゆっくりと頭をもたげていた。
一瞬、理解ができなかった。鉄塔が、ぬん子に向かって倒れてきているということを。
「ニギャーッ!」
全力で走り、横っ跳ぶ。鉄塔は、バンザイの格好で跳んだぬん子の足先をかすめながら、轟音を立てて地面を揺るがした
瞬間、鉄塔から飛びだす影。熊のように大柄な体型。
透は無言で、ぬん子に向かって右腕を突き出した。
「うおわあ!」
ぬん子が、転がりながら身をかわす。透の右腕は、ぬん子の艶やかな黒髪を2,3本引き抜きながら、地面に突き刺さった。
「い、いきなりなにすんじゃあー! どアホー!」
ぬん子が、立ち上がると同時に渾身の右ハイキックを繰り出す。パンツが見えることも気にしない。何しろ、命がかかっているのだ。
透は右腕を素早く引き抜き、ハイキックをガードする。しかし、それを読んでいたぬん子は、勢いそのまま、無防備なボディに後ろ回し蹴りを突き刺した。魔人の、渾身の蹴り。一般人であれば、だるま落としのように腹をぶち抜くだろう。
『職人気質』発動。ガン、と金属を撃つような音が響いた。
(かったぁ~っ!?)
足裏に伝わる予想外の感触。相手を吹っ飛ばすどころが、自分が押し出されるようにたたらを踏んだ。
だが、ぬん子のリカバリーは早い。すぐにまた地面を蹴り、水面蹴りで透の脛を刈る。だが、はやりこれも金属音をたて、逆にぬん子の脛に激痛が走った。透は、バランスを崩す様子すらない。
「お、おっちゃん、超合金ででも出来てるんちゃうの!?」
「そんなところかな」
透が、ノーガードで手を振ってきた。先ほど地面に突き刺さった様子から、当たれば一撃必殺は免れないだろう。しかも、こちらの攻撃は通らないのだ
「じょ、ジョーダンやないわー!」
背中を見せ、脱兎のように逃げ出すぬん子。しかし、透は素早くステップを踏んで、逃げ道を塞ぐ。速い。体は鋼鉄で、フットワークも軽いとか、どないやねんマジで!
「降参するなら、命は取らないよ」
低い声で、無表情に呟く透。それに対して、思わずカチンと来たのはぬん子だった。
「いきなり人に鉄塔ぶっ倒しといて、何言うとんねん!」
「……まあ、確かにそうだな」
透は、説得は無意味と判断し、地面を蹴り、右手を一直線に突き出した。
ぬん子は、にやりと笑った。
「くらえやー!」
『カロリー☆メイク』発動! 透の全身から熱が噴き出した。唇と目が渇き、喉の奥が熱くなる。汗が、ぶわっと吹き出した。
「なっ!?」
大きな異常を感じた透は、バックステップし、距離を取る。その間にぬん子は、今度こそ脱兎のごとく駆け出し、発電所の中に逃げていった。
「なんだ、今の……」
全身を確認する。特に、異常を感じる個所はない。しかしよく見ると、腕の筋。腹筋。首周りの辺りが……。
なんか、ちょっとたくましくなってる?
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ぬん子は、てこてこと発電所の中を逃げ惑っていた。
(あかん。これあかん。とても勝てんわ。あわあわあわ)
反則やで、あのおっさん。なんか、めちゃめちゃ強いやん。たかが高校生のケンカ自慢が、勝てる相手じゃないやん。ひくわー、ほんと。このうら若き乙女に向かって!
それもこれも、メロスのせいや。なんで、ウチがメロスのせいでこんな目に! ああああのあほー! 早く帰って来いやー!
帰ってさえきてくれたら、なんぼでもやりようあんねん。
今まで、二人でやったことを思い出す。
メロスの体を灰色に塗りたくって、二宮金次郎像に成りすまし、町内を駆け回った。メロスにおんぶしてもらって、運動の熱を脂肪に変えて、メロス永久機関を作ったこともある。
ウチらは、最強のコンビで、幼馴染で、ダチなんや。
ウチらが組んだら、2億稼ぐことも、世界の果てまで逃げきることもできるんや。
「だから、早く帰って来いや、あほ……」
視界が緩んでいることに気づき、ぐいっと目元を拭う。今はそんなこと考えてる場合やあらへん。まずは、さっきの超合金おっさんを倒さへんと。ここまでコケにされて、このぬん子様は黙っとらんで。
ウチがこの発電所にいたのには、ちゃんと理由があるんや!
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
透は、敵に近づきすぎないように、入り組んだ火力発電所内に響く足音を、慎重に追いかけていた。
恐らく相手の能力は、体の成分を熱として排出する能力。今は熱が出ていない辺り、範囲は長くても有視界といったところだろう。うかつに近づくのは避けたい。
(油断した)
もっと早い段階で決められたはずだ。相手は女の子。しかも、声の調子を聞くと、妹と同じくらいの歳。そこで、少しためらってしまったのかもしれない。
(今更、何言ってやがんだ)
ヤスリを、最愛の妹を救うために戦うと決めたはずなのに、まだそんな甘い考えを持っている。自分の煮え切らなさに、腹が立った。
次に出会ったときは、確実にやる。やらなければ、逆にこちらがやられてしまう。
敵の能力は、脅威だ。全身のエネルギーを熱として発散してしまえば、死は免れないだろう。
透は、小指を失った左手を、強く握りしめた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
芹臼ぬん子は、巨大な溶鉱炉を背後に、仁王立ちをしていた。
「おらー! この、グレートオジンガーゼット! ウチはここにいるでー! 来るならこんかーい!」
通路の陰に隠れる透にすら、熱気が伝わってくる。ぬん子も、既に汗まみれだ。制服の城ワイシャツが体にへばりつき、年頃の娘らしいカラフルな下着がのぞき見える。
ここまで詳細に観察できるのは、すなわちぬん子の周りに一切の遮蔽物がないからだ。ぬん子を倒すためには、正面から闘う以外にない。そう言った地形を選んだのだろう。
このまま根競べをしてもいいが、そうなればいつ決着がつくかわからない。時間切れで両者敗北というのは、避けなければならない。透は、勝たねば意味がないのだ。
透が、通路から体を出し、ぬん子と正対する。まだ、体が燃焼する兆しは見えない。もしかしたら、自分が考えるより、ずっと範囲が狭いのかもしれない。
ならば、賭けに出ることはできる。一足飛びに踏み込んで、こちらが餓死する前に相手の心臓を貫く。先ほどの消耗度から考えると、賭けとしては分が悪くないはずだ。
「今度は、ためらわない」
透が、静かに言い放つ。それは、ぬん子に向けた言葉か。自らを奮い立たせるための言葉か。
透が、ぬん子に向かって駆け出した。それをぬん子は、ただ見据えていた。
その距離は、まだ約10メートル。まだ、『カロリー☆メイク』の範囲ではない。
だが、それで十分だった。
「とりゃー!」
ぬん子が両手を突き出すとともに、巨大な白い塊がそこから吐き出された。溶鉱炉前の広場を埋め尽くすかのような大きさの、ぶよぶよとした物体。
これは、脂肪だ。
ぬん子の能力『カロリー☆メイク』は、熱エネルギー(カロリー)を脂肪に、脂肪を熱エネルギー(カロリー)に変換する能力。だが、それにより生み出される脂肪は、人に付着させる必要はない。脂肪の塊だけを作り出すことも可能なのだ。
まして、ここは溶鉱炉。熱エネルギーは、いくらでも存在する!
「なにっ!」
透が驚愕の声を出しながら、脂肪に埋もれていく。重量はあるが、柔らかく、痛みはない。ただの目くらまし程度にしかならない。透はそう判断して、そのまま突き進もうとした。
状況があまりにも緊迫していることに気が付いたのは、その次の瞬間だった。
ぬん子が、自身の半径4.5メートルに脂肪を作り出す。ぬん子の全身が、脂肪の中に包まれる形だ。
そして、半径5メートル以内にある脂肪は、このフロアを埋め尽くすばかりに巨大な脂肪。
この脂肪を熱に変換することはすなわち、フロア全体を焼き尽くすことに等しい。
「おりゃあああああ!」
ぬん子が、絶叫した。
その瞬間、フロアは灼熱に包まれた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
黒焦げたフロアに、一つの黒焦げた塊があった。
プスプスと焦げ、悪臭を放つそれは、一瞬にして僅かな熱と共に消え去る。
中からは、汗だくになった芹臼ぬん子が現れた。
「うわー……、ちょっとやりすぎたかいな」
フロアは、完全に焼け焦げていた。鉄柱などはほとんど溶けてしまっているし、コンクリートの地面も黒焦げ、ところどころひび割れている。
いくら体を硬くしようとも、鉄をも溶かすほどの熱量には無力だ。おそらくは、先ほどの超合金グレートオジンガーゼットマックスエボリューションも、このフロアに転がる炭のどれか一つになっているだろう。
「ちょっと悪いことしたかな……。いやいや! あのままだとウチがしばかれとった!」
頭を振り、罪悪感を振りほどく。一息つき、ぬん子は違和感を感じた。
前回の戦いでは、決着がついた瞬間賞金を渡しにボディーガードが現れた。だが、今回はいつまで経っても現れない。
道にでも迷っとるんか。そう、ぬん子が思った瞬間、
ボコッ、とひび割れた地面が盛り上がり、透が飛び出した。
「なっ……!」
透は、顔を炭で汚し、全身が埃に塗れている。その体には、腕や背中、ふくらはぎなどの表面に少なからず重傷火傷を負っている。相応の激痛はあるだろうが、それを透はおくびにも出さず、ぬん子に向かっていく。
透は、ぬん子が脂肪を熱エネルギーに変換する数瞬前に、カタヌキ師として鍛え上げた指で地面のコンクリートを型抜き、中に隠れたのだ。
結果として、熱を完全に防ぐことはできなかったものの、重度の火傷だけで済んだのは大きな成果といえよう。
「終わりだ」
透が、右手を固める。不意を突かれたぬん子は、身じろぎすることができない。恐怖におびえた顔を見せ、ヒッと悲鳴を上げ、目をつぶった。
『お兄ちゃん!』
透の頭に、聞こえないはずの声が響いた。
透の右手が、ぬん子の顔面を貫く直前で止まる。それは、一瞬の躊躇だった。
ぬん子が目を開き、瞬間『カロリー☆メイク』を発動する。
「う、うわああ!」
透の体脂肪が燃焼する。火傷の激痛も相まって、意識が刈り取られそうになる。
しかし、ぬん子は逃げることができなかった。透の左手が、がっしりとぬん子の右手を掴んでいた。
「は、離せやボケェェェ!」
ガスガスと、能力を発動しながら透の左手を殴りつけるぬん子。しかし、離れることはない。透は、既に『職人気質』を発動し、左手の関節を固めている。
鍛え抜かれたカタヌキ師の左手は、ケンカ自慢の女子高生がいくら外そうとしても、外れることはない。
「うおおおおおおお!」
ぬん子が、『カロリー☆メイク』の出力を上げる。この距離ならば、燃焼も一瞬だ。透の体脂肪は、もともと8パーセントに満たない。全てを使いきるのは、時間の問題だった。
だが、透は手を離さない。
(そうだ。今更何をためらってんだ)
透は、朦朧とした意識の中、自問する。目の前の敵を、殺しきれない自分に。
(俺がこの子に殺されて、それでどうなる。俺が気分良くなって、それで仕舞だ)
燃焼する脂肪。体が熱に包まれ、どこか心地よくなっている。体の感覚がなくなってきた。
(俺の義理を通す価値なんて、どこにもないだろう。俺の命に、そんな価値なんてないんだから)
糖質がなくなり、唇が渇く。意識が遠のく。既に、体脂肪は2パーセントを切っているだろう。
それでも、透は手を離さない。
(ヤスリの命の方が、100倍大事だ)
「手を離せええええ! 死にたいんかぼけええ!」
焦り、叫ぶぬん子。それを聞いているのか聞いていないのか、透は呟いた。
「楽なもんだ。死ねねぇんだから、いくらでも命かけられる」
その言葉が、最後だった。
透の右手が、ぬん子の心臓を貫いた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ヤスリ、入るぞ」
透がノックをして、病室の大きな引き戸を開ける。
ベッドの上でつまらなそうに携帯ゲーム機をポチポチいじっていたヤスリは、パッと顔を明るくして、スリッパもはかずに透に駆け寄ってきた。
「おにいちゃーん! 久しぶりー!!」
そのまま、透の腹に肩から抱きついた。全体重をかけ、さながらラグビーのタックルのごとく。透が、ゲフッと息を吐いた。
「ははっ。元気いいな」
「だって、寝てるだけだもーん。体はいたって健康そのもの!」
そう、ヤスリは、人より長い時間眠っているだけ。そういう病気だ。
原因は不明。完治出来るかどうかもわからない。なのに、寝る時間は少しずつ増えていく。近い内、ヤスリは目を覚まさなくなるだろう。
例え死んでいなくても、それは生きていると言えるのだろうか。
「おにいちゃん! こっちこっち!」
ヤスリが、透の腕を引っ張り、ベッドに座らせる。その膝の上にヤスリが座り、背中を透に預けた。ヤスリはむふー、と鼻息を漏らし、満足そうだ。
透は、非常に逞しい部類に入る。ヤスリが全体重をかけたところで微動だにしない。だが、己の妹の幼児のような行動に、思わず苦笑する。
「おまえ、今年16だろ?」
「関係ないじゃーん。お兄ちゃんはお兄ちゃんで、ヤスリはヤスリだもん」
ヤスリは、ニコニコと喜色満面のまま、透の手を弄る。ザリザリとした手のひらを撫でると、イタッ、と小さく漏らした。
「痛いなら触るなよ。嫌いって言ってたろ」
「んー、痛いのは嫌いだけど、お兄ちゃんの手は好き。なんか、この手でカタヌキをしてるって思うと、嬉しいんだ」
透が、一瞬硬直した。ジクジクと、心臓を擦りむいたかのような痛みが襲う。
ヤスリは、透に不思議そうな目を向け、小首をかしげる。透は、ヤスリの視線から逃げるかのように目を伏せ、薄く笑った。
「意味わかんね」