「フンフンフーン……♪」
国内線のシートに腰かける吉蔵は上機嫌であった。
若さの秘訣とは、日々に愉しみを見出すことだ。その点、飛行機というものは何度乗っても心が躍る。
C2バトルで積極的に優勝を目指すのであれば、自ら動く必要がある。吉蔵にはその点、自宅でじっと敵の襲撃を待つつもりなど毛頭なかった。
沖縄に住むという参加者を自ら討って出る、そのための遠征旅行。重ちゃんと貞ちゃんには泡盛でいいだろう。ばあさんには何を買って帰ろうか? それに――
その飛行機が、突然ガタリと揺れた。
「なんじゃ!?」
「うわぁ!」「ひぃぃ!」「落ちてる!?」「あああああ!!」
阿鼻叫喚の機内。丸窓から外を見るまでもなく、強烈な落下感――墜ちている!
「ハイジャックか! ヌゥゥゥンッ――『セイクリッドファイア』!!」
瞬間、機体が白い炎のドームに包まれ、重力落下が止まる。白炎に浮力を与えたことによる応急処置である。
「――まさか……」
吉蔵は勘付き、取り出し、そして見た。己のカードに浮かび上がった、五色那由他 男】の表記!
戦いは既に、始まっている――!!
操縦士と搭乗員たちの死体が転がるコックピットで、パラシュートを背負った五色那由他は黙々と手を動かしていた。無論、先の騒ぎは彼の仕業である。
C2バトル開始とともに、那由他は他の参加者についての情報を集めた。中にはどのようにカードを手にしたのかも分からないような平凡な魔人も混ざっていたものの、やはり大会のコンセプト通り大半は名の知れた強者たちである。
中でも吉蔵を含む幾人かは、那由他の実力では天地がひっくり返ろうとも敵わないような相手――正真正銘の、最強候補であった。
魔人能力に殊更の殺傷能力もなく、フィジカルでも確実に劣る那由他が、吉蔵のような強者に勝つための手段とは何か。
答えは、本人の戦闘力の及ばない要因で倒すこと。たとえば吉蔵がいくら強かろうと、飛行機の操縦士はただの人間だ。
実際のところ、飛行機を落とす程度で吉蔵は死なないという可能性もある。
だが、少なくとも那由他の考えうる中ではこれが最も殺傷率の高い方法であった。
結果として機体は炎に包まれ、墜落を免れている。
恨めしいほどに強大な、大原吉蔵の魔人能力――『セイクリッドファイア』の万能性。
だが、那由他はここでパラシュートで逃げ帰りはしない。状況が限定されたことで、相手のお気持ちを読みやすくなる。改めて戦いを挑むよりも、このまま待ち構えたほうが遥かに勝率は高い。
「――鋭ーーぃッ!」
にわかに鋭い飛び蹴りがコックピットの扉を突き破り、慣性のままに吉蔵がエントリーした。
その瞬間、那由他が仕掛けていたトラップ――毒塗りの金属片が、吉蔵を四方八方から襲う!
「カッ!!」
吉蔵の呼気とともにビリビリと空気が震え、金属片はコックピット床にはじき返される。
「五色那由他じゃな?」
「大原吉蔵」
名を呼び、目を合わせ、二人は同時に動いた。最強のために戦う二人には、合図など必要なかった。
「――疾ッ!」
「ヌゥンッ!」
吉蔵の手刀が描く軌跡が、インプラントされたサイバネ骨格ごと那由他の腕を抉る。
那由他が逆手に構えたナイフの刃がガス噴射され、吉蔵の頬を浅く裂いた。
瞬間、傷口を舐める白炎――瞬時に肌の裂け目が塞がり、ナイフに塗付されていた毒が浄化される。
結果論にはなるが、コックピットでの戦闘続行を選んだ那由他の判断は間違っていなかった。
吉蔵の魔人能力の大半が飛行機の落下を防ぐことに使われ、搭乗のため武器も携帯していなかったからだ。仕切り直しでは、こうはいかない。
しかし、それでも浮き彫りになる基礎能力の差――炎の力に頼らずとも、吉蔵は那由他よりも遥かに強く、そして彼に油断はなかった。
搦め手、捨身、戦闘における覚悟の差――それらが実力差を覆すということは往々にしてあるものだ。
しかし、弱者がどれだけ決死で臨もうとも、同じぐらい決死の強者に敵う道理などどこにもない。
吉蔵が一の傷を負う間に、那由他は十の傷を負う。テレビの向こう側で戦いを観戦する者たちから見れば、さぞ一方的なやりとりだったであろう。
「そうか――お前さんも最強を目指すか」
吉蔵はそう呟いた。切り結べば、それで互いのお気持ちは全て伝わった。
那由他はただ、コクリと頷いて応えた。そして再度切りかかった。今度は吉蔵の貫手がサイバネの腹部を穿ち、那由他のナイフは虚空を刈った。
「お前さんは強い」
「それじゃダメなんだよ」
那由他はナイフを捨て、懐から新たな武器を抜いた。
それは、一見してなんの変哲もない柳葉包丁。刃渡りは先のナイフともさほど変わらず、見るからに取り回しには向かない武器。
「俺は、最強なんだ」
「妖刀じゃな」
吉蔵はその刃が発する禍々しい冷気を感じ取っていた。魔人の名工が打ちし魔包丁・つま引き。対象の硬度に関わらず、触れたものを裂く呪いの刃。
だが、ナイフによる攻撃すら当てられなかった那由他が、振り回しにくい包丁など当てられるわけもない。
(普通は、そうかもな)
ことC2バトルにおいては、致命傷を含めたあらゆるダメージが快癒する。とはいえ、実際にダメージを恐れずに戦うことができる者はそう多くはない。
肉を切らせて骨を断つ。
腕を捨てて臓を刺す。
心臓を潰されてでも、相手の頭を叩き割る。
そういった戦術を取るには、戦い慣れた魔人といえど別種の覚悟が必要だ。
那由他は、戦い方を選べなかった人間だ。リスクリターンを勘定して戦うなど、最初からできなかった。だが、そのことがこのバトルにおいてのみ優位に働く。
(腕でも足でもくれてやる。じいさん、心臓を貰うぞ)
那由他は包丁を握り締め、飛び込んだ。吉蔵は牽制の手刀を放ち、一歩下がることだろう。そこに、必殺を差し込む。
そのはずだった。
「かぁ……!」
吉蔵は攻撃を避けなかった。右の腕を掲げ、那由他の一刺しを受けていた。包丁は腕をすっぱりと斬りおとしたものの勢いを殺され、致命の一撃には繋がらなかった。
「……っ、あ“あ”あ“あ”あ“っ!!」
吉蔵の蹴りが、那由他の腰部をねじ切り、上半身と下半身を切り離していた。
「くれてやるよ、腕なんてのう」
「ばか……な……」
那由他の声が震える。なぜ、お前がそれをできる。
お前は選ばれた人間なのに。こちら側ではないはずなのに。
半身を切り離されてなお、那由他の改造肉体は停止していなかった。だが、もはや肉弾戦は叶わぬ。
「お前さん、捨身の戦い方が染みついておるじゃろ。ワシもじゃよ。アレはワシが十七の時じゃったか。ちょっと異世界に召喚されてな」
「色々あって、人々を虐げる魔竜と剣一本で戦うハメになった」
「ワシはあの時、命を捨てる気で戦った。今と同じじゃ、腕を食われたよ。まあ紆余曲折あって元通りになったんじゃが、アレは痛かった」
「お前さんは強敵じゃった――遥か異世界を滅亡の危機まで追いやった、魔竜ゴーヴァンと同じぐらいの。誇っていい」
残った左の腕で、吉蔵は那由他の襟元をぐいと掴み、持ち上げた。白い炎がコックピット内を走り、床に大きな孔を穿った。吉蔵は那由他をその上にぶら下げた。
「だが、最強ではない。さらばじゃ、若者よ」
「俺は最強だ」
吉蔵は那由他の襟元をそっと手放す。那由他は力を振り絞り、プッ、と口から何かを吹き出した。
無慈悲な重力加速度が、那由他を束の間の空中遊泳へと誘った。
那由他が最後に吐いた毒針は、空中で白金色に燃え上がり、吉蔵に届くことなく蒸発した。
五色那由他の身体はほどなく地表へと叩きつけられ。彼はその生命活動を停止した。
【五色那由他vs大原吉蔵/勝者:大原吉蔵】
吉蔵にとって、人生とは戦いの連続であった。
10歳――メンコで世界征服を企む魔人を打ち砕いた。
17歳――異世界に召喚され、人々を虐げる魔竜を屠った。
19歳――ダイヤと麻薬の密売により巨万の富を築いた国際犯罪組織を壊滅させ、生涯の伴侶となる知代子と出会った。
35歳――過去にタイムスリップし、伝説の偉人たちとともに悪の魔術師に歪められた歴史を修正した。
51歳――自星の滅びを食い止めるために地球の“核”を奪いに来た異星の王を、六人の仲間とともに討ち果たした
65歳――初孫が古代エジプトの邪悪なファラオを顕現させるための依代として攫われ、教団と死闘を繰り広げた。
78歳――全銀河の支配を目論む暗黒宇宙帝国皇帝との一騎討ちに勝利し、解放軍に勝利をもたらした。
その華々しくも見える数多の軌跡は、しかし、決して清々しいだけのものではなかった。
敵にも、味方にも、正義のために戦うものがいた。虐げられた怒りから、悪の道に堕ちた者がいた。吉蔵は無慈悲に、それらの意思を刈り取った。
よく、正義は勝つ、悪は滅びるなどという言葉が使われる。吉蔵が生きるこの地球でも、遠き異世界でも、銀河帝国でも、それは共通のミームであった。
――ふざけるな。そんなはずがない。そんな理屈が、許されてはならない。
吉蔵はただ、自分の手の届く範囲を守る意思と、それを行うだけの力があった。
打ち砕いてきた者たちの方が、よほど確かな意思と正義を携えていた。
この最強を決するバトルで、吉蔵は観衆たちにそれを証明する。
「五色那由他。お前さんもそうじゃ」
ゆっくりと滑走路に降り立つ、白炎につつまれた旅客機――その窓から、炎越しの黄昏を吉蔵は眺める。
「お前さんのお気持ちは、決して間違ってなどおらん。男が最強を目指して何が悪い」
自分が打ち砕いてきた全ての敗者たちに対する、これは弔いだ。
家族や恋人を救いたい。己の力を示したい。心の奥底からの欲望を叶えたい。
そんな善も悪も含めた全ての意思を、吉蔵は力で否定する。
誰の目から見ても勝つべき理由を持たない83歳の老爺が、未来への希望に生きる若者たちの芽を摘む。
そうすれば、きっと誰もが気付くはずだ。
――ああ、彼らの意思は決して間違ってなどいなかった。弱くなどなかった。
偶然にも、最強の存在が別にいた。それだけのことなのだと。