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時は昼過ぎ。理想都市製の人造人間・傀洞グロットは、彼の住むパン屋の主人たる同居人の娘と共に、近所の神社へと足を運んでいた。
その目的はなにか? 娘の折れた心を癒すため、神に祈るのだろうか。
否。断じて否である。理想都市で生まれたグロットは、かの都市以外のモノの保証する幸福を信じない。ましてや神などと言う存在すら不確かなものに祈ることなどありえない。
ならばなぜ来たのか。神に祈るわけでもなく、神の社に踏み入った理由とは?
……その理由は、誰もが考えるよりもずっと単純だった。祭りだ。
その日、近所の神社、ひいては周辺地域では、地元の人々による祭りが開かれていたのである。
当初、グロットはそのようなモノに微塵も興味を持たなかった。彼は理想都市がもたらす以外の愉悦を信じない。祭りと言うものが楽しいという事は知識として知っていたが、理想都市に比べれば月とスッポン、見る価値もないものだと決めつけていたのだ。
しかし、娘の方は違った。隣の店の店員が持ってきた回覧板に書かれた「例年通り、祭りを開催します」の言葉にほんの少し、ほんの少しだけ反応したのである。それは注意深く見ていなければ分からないほど小さな動きだったが、普段グロット以外の何物にも心を閉ざしている彼女からすれば驚くべき反応だった。
娘は祭りに行きたがっているのだろう。彼はそう考えた。しかし彼女は心を閉ざして以降、一人で外出することが出来なくなっていた。無論、祭りと言うものに見る価値があるとは思わなかったが、しかし彼女が行くことを希望するのであれば連れて行ってもいいかもしれない。そう判断したのだ。
彼は取り急ぎ祭りの詳細な知識を入手し、二人分の浴衣を手に入れた。娘のものは鮮やかなアジサイ柄のきれいな赤いものだったが、グロット自身のソレは灰色一色、無地のシンプルなものだった。
こうして傀洞グロットは娘を伴い、さして楽しいとも思えない、地方都市らしいささやかな祭りを見るべく、神社に足を運んだのだった。
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グロットと娘が神社の境内に入って最初に目にしたのは、立ち並ぶ露店の列だった。
わたあめ。リンゴ飴。串焼き。お面売り。くじ引きなど多種多様。その極彩色の立ち並ぶ光景に、グロットは軽いめまいを覚えた。
目頭をつまみつつ隣を伺い見る。娘はどうか。なにか変化はあるだろうか。
しかし、彼女の表情は以前固いままだった。むしろ人込みに対する緊張のためか、普段よりも険しく見える。
連れてきたのは失敗だった。グロットはそう思い、彼女に帰る事を提案した。このままこの場所に居続けても疲れるだけだ。
だが彼女は首を横に振った。帰りたくない、と言うのだ。理解に苦しい行動だが、グロットに彼女の意思を尊重するほかなかった。なにしろこの世でたった一人の恩人、その意思を変えさせることなど彼にはできなかった。
しかたがない、先に進もう。そう思い、人込みをかき分けようとした。こうなったのならば、せめて彼女が安心して歩けるよう道を作らねばならない。家族連れの一団や柄の悪そうな不良、観光ババアの集団を押しのけるため、右手を前にのばす。
その時、伸ばしていた方とは逆、身体の後ろ側にあった左手に、なにやら暖かいものが触れた。急な触覚へのアプローチにすこし驚きつつ振り向くと、左手は娘に握られていた。
彼女は両の手でグロットの左手を包むように握りしめると、ほかの人に迷惑がかかるから、手を握っていっしょに隙間を抜けていこう、そう小さな声で提案した。
たしかに周囲には不良やババアの他にも、明らかにカタギではない黒服の男たちが混ざっている。無理に通れば余計なトラブルを招くかもしれない。提案を合理的判断と受け入れ、グロットは彼女の手をそっと握り返した。
そうして一心同体となった二人は、人込みの中をするりするりと抜け、先に進んでいった。グロットがその常人としては最高レベルの集団すり抜け力を行使したり、または周囲に呼び出した人造人間たちに人込みの間接的操作をさせていたため、その速度は人込みの中とは思えないほど早かった。もちろん、娘に余計なストレスを与えないための行動だ。
目指すは本堂。そこで折り返して、参道を一通り見て回る計画だ。
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本堂に辿りついた時、彼らが目にしたのは一風変わった光景だった。
神社の正面、普段なら賽銭箱が置いてあるであろう場所にはひな壇が設置され、その上では複数の男女が机に向かってなにやら手元を動かしている。
鳥居にかけられたのぼりには、
『壇下喪神社主催・チキチキ!早食い大会!』
と書いてあった。どうやらなにかの催し物らしい。
早食い大会。その単語の意味はグロットも知っていたが、こうして見るのは初めてである。何が楽しいのか理解に苦しむが、娯楽の少ない「こちらの世界」では必要なのだろう。
左手を握る彼女の方を見る。先ほどよりもいくばくか顔色が良くなったようだ。しかし不思議なことに、彼女の目は壇上の催し物にくぎ付けになっていた。
グロットにはほとんど興味のない事項ではあったが、実は彼女の父はパン屋を開く前はフードファイターとしてそれなりの活躍をしていた。ファイターを辞め、賞金を元手に店を開いた後も夕食の場ではたびたび早食い芸をして見せたものだったのだ。その幸せだった光景を彼女は思い出していた。
棒立ちになったまま壇上のフードファイターたちを見つめる娘。その姿を見て、グロットの心中に荒波が立った。彼女が自分、ひいては希望都市ではなく、このような場末の催しに心を奪われている。それは彼も自覚していない、しかし紛れもない嫉妬の念だった。
彼はこの催しを破壊することにした。なんとも分からぬがとにかく目障りだと思ったのだ。
壇の周囲に人造人間を呼び出した。音もなく静かに、しかし確かに着実に、目の前の事象をすり潰す。そして彼は命令を下した。壇上の人間を虐殺せよ、と。
「うわっ!?」「なに!?」「きゃあッ!?」
上がる戸惑いの声、それは次第に悲鳴へと変わり、そして断末魔になって途絶える……。その様子を想像し、思わず彼の口から歪んだ笑みが零れた。
……しかし、現実は違った。
『待てエエエエエエエエエエエエエエエエエエいぃ!!!!!!』
スピーカー越しに響く男の怒号。その大音量を受け、グロット配下の人造人間たちの動きが一瞬とまる。
「グワーッ!?」「グワーッ!?」「グワーッ!?」
そこを狙い澄ましたかのように、飛来した割りばしが彼らの額に突き刺さった。おそらく脳にまで達している。即死だろう。
そしてグロット自身の額にも、同様に割りばしが突き刺さる。首謀者だとバレていたらしい。だが距離があったためか致命傷ではない。
こうなっては戦いは避けられないだろう。だが、娘を巻き込むわけにはいかない。彼は握られた手を振り払い、壇上へと駆け上がった。
壇上には数人のフードファイターと、マイクを握りしめる一人の男。司会者だろう、こいつが先ほど人造人間たちを一瞬にして全滅させた声の主なのは明白だった。
司会者はグロットを見つめ、そして。
「おや、アンタ、パン屋んところの。傀洞さんだったか?」
なにやら親し気な顔で話しかけてきた。
そこに至ってグロットも気が付いた。彼はパン屋の隣、いつも客が居ない喫茶店のオーナーだ。
彼とはこれと言って親交はないが、なにぶん近所だ。朝の挨拶くらいはする。おそらくその時にグロットの事を覚えられてしまったのだろう。
これは非常にまずい。戦闘が避けられないどころか身元まで割れてしまった。ここで彼を抹殺したとしても、彼の縁者が後日パン屋を襲撃してくるかもしれない。そうなったら戦争である。覚悟を決めなければならない。
しかし。彼の覚悟は不発に終わった。
「なんだあ、アンタも参加したいってんなら早く言ってくれりゃあいいのに。飛び入り参加でも構わないぞ?」
「…………なに?」
喫茶の店長はそう言ってきた。ひそかに腹をくくったグロットを見て何を勘違いしたのだろうか。その予想外の答えにグロットは思わず怪訝な顔をしてしまった。
「わかってるわかってる、僕から司会を奪って進行を乗っ取ろうって腹なんだろう?」
「いや、それはちが」
「大丈夫だ、別にあんたが初めてじゃあない。いま壇上に居る奴らは全員そうだ」
そう言われれば、確かに壇上のフードファイターたちは体のあちこちの傷があり、その表情も負け犬がごとき悲愴さを放っている。彼らは敗者であり、そして見世物のだしとされたのだ。
「どうする、やるかね?」
そういう店長の視線は拒否を認めていない。そしてここで暴れても瞬時に叩き潰す、そういう意思が感じられた。逆らえば死ぬ。グロットは直感的に理解した。
壇上から娘の姿を探す。幸いにもすぐ見つけることができた。こちらを真剣な表情で睨んでいる。それはまるで『参加しろ』と言っている風にも感じられる。
ここで活躍すれば彼女は僕を見てくれるだろうか、そんな考えが脳裏を一瞬よぎった。
「……わかりました、やりましょう」
「よし来た!あんたの席は四番目、青いところだ!」
ばしん!
店長に勢いよく背中を叩かれ、彼は早食いのリングへと登ったのだった。
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一時間後。
壇上にあったのは、空のどんぶりを高らかに掲げるグロットの姿だった。右手に箸を持ち、口回りには米粒が付いているが、その姿はなお勇壮だ。
彼は勝ったのだ。他のフードファイターたちとの苛烈な早食い競争を制し、今年のチャンピオンになったのである。
それもこれも彼の有する常人としては最高レベルのペース配分能力のなせる技だ。彼は周囲のファイターが食事ペースを落としていくなか黙々と食べ続け、ついに最後の一人となったのだ。
「ブラボー……オー、ブラボー!」
司会の店長がチャンピオンを褒めたたえ、観衆が大歓声をもって応える。舞台袖に目を向けると、そこからグロットを見守っていた娘も涙ぐんでいる。
ああ、これでよかったのだ。彼の心にいままで感じたことのない愉悦が満ちる。それは特製オイスター丼を完食した達成感と満腹感、そして彼女の視線を独り占めしたことによる幸福感が混ざり合ったものだ。
まさしく至福の時。グロットはこの瞬間だけ理想都市や自分の使命を忘れた。
……しかし、これで終わりではなかった。否。終わるわけがなかったのだ。
「よおし、それじゃあ最後のシメだ!」
「最後の……?」
「そう、それは」
店長は台詞を溜める。ごくり、と誰かが息を呑む音が響く。そして、彼は告げた。
「…………前年度チャンピオンとの、早食い一騎打ちだあああああああああああああああああ!!!!!!」
ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!
待ってましたと観衆が歓声を上げる。皆それを待望していたとばかりの熱狂だ。
だが、この事態はグロットには想定外だ。ペース配分も先ほどで終わることを想定していた。まずい。勝ち目はない。降りるべきだ。
しかし、舞台袖に目をやると、娘がその目をらんらんと輝かしてこちらを見ているではないか。その期待に満ちた目を彼が裏切れるはずもない。
グロットは再び腹をくくった。来るなら来い。喰いつくしてやる。
その時。腹になにやら違和感が走った。内臓ではない。帯の中だ。
浴衣の隙間から手を突っ込み、違和感のもとを引っ張り出す。それは。
「C2カード……!?」
C2バトル参加権を兼ねるプラスチック・カードだった。表面がうごめき文字を作る。そしてそれは、ひとりの人物の名前を示した。
敵の名は蟹原和泉だと。
「くそっ……!?」
普段は使わない、汚い言葉が思わず零れた。なぜ今なんだ。彼女が僕の早食いを楽しみにしているのに何故。彼は運命を呪った。それは彼が生まれてから初めて発する負の感情だった。
どうするべきか。早食いとC2バトル、どちらを優先すべきか。
……決まっている。早食いだ。彼はもはや理想都市のエージェントではなくフードファイター、それも今年のチャンピオンなのだ。そして彼女が望んでいるのはチャンピオンのグロットなのだ。考えるまでもないことだ。
グロットはカードを帯にしまい、正面に向き直った。もはや後悔はない。食べるのみ、だ。
「それでは、前年度チャンピオンの入場です!」
来た。奴を倒し、真のフードチャンピオンになる。それが我が人生の目的!
「彼女の名は…………蟹原和泉だアアアアアアアアア!!!!」
「なにいいいイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!??」
なんてことだ、敵もフードファイターだったとは!
この予想外の事実にグロットは肩を震わせた。
しかし、好都合でもある。これで心配事がなくなった。こうなればグロットが選ぶ手段は一つだけ。
(早食い勝負に勝ち、それをもってC2バトルの勝利とする!)
そう、ようは勝てばいいのだ。戦いの手段は関係はない。それにフードファイトが格闘に勝るとも劣らぬ勝負だという事は、この一時間の中で身に染みて理解できている。
勝つ。何としてでも、勝つ!
彼が精神を統一する中、前年度チャンピオン、喰魔人・蟹原和泉がその姿を現した。
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フードファイトも敗北したグロットは神社の裏、古びた縁側の上で横になっていた。その腹部は見るも無残に膨れ上がり、まるで臨月間近の妊婦のようだ。
「うぐ、ぐぐ……」
苦しそうに呻く。実際、彼の胃には限界まで食料が詰め込まれており、少しでも動けばそれをことごとく吐き出してしまうだろう。彼は破裂寸前の風船だった。
仰向けに寝そべるグロットの横には、パン屋の娘が座って団扇で彼に風を送っている。だが、苦しむグロットにはその顔を確かめる余裕はない。
きっと失望しただろう。なにしろ惨敗し、この有様。負け犬の姿を晒している。情けない。
さらに言えば、対戦相手は顔色一つ変えずに超特製・ジャイアントドラゴンステーキ丼を15杯完食してみせた。それと比べて11杯でダウンした自分のなんと見苦しいことか。グロットの目から涙がこぼれた。それは彼が初めて流す、真の感情からの涙だった。
そんな彼の額に、なにやら暖かいものが触れた。
震える瞼を押し開け、伺い見る。それは、彼女の掌だった。彼は撫でられていた。
その感触に、嬉しいのか悲しいのか、詳細も分からぬ感情が胸の内に満ち、彼の目から涙としてあふれ出した。
「う、うう、ううう……!」
「よし、よし……」
そんなグロットを、彼女は優しく撫でつづけた。
「すまない……負けてしまった……うう……恰好悪いなあ……」
「そんなことないよ、とってもカッコよかったよ」
「そうかな……そうならいいな……」
溢れ出る涙はとどまることを知らず流れ続ける。優しい掌は、そんな彼を撫で続ける。
やがて、グロットは深い眠りに落ちた。そして夢を見た。
それは人造人間たる彼が体験したはずのない、しかし確かなリアリティーを持つ、優しい母の夢だった。
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【勝者・蟹原和泉】