プロローグ(正空寺サツキ)

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プロローグ(正空寺サツキ)


「はァ~~~!? オレが最初にヒーローとったじゃん! ほーら必殺シックス・ブレイカーッ!」
「ヒーローは『はァ~~~!?』とかいいませんー! 六面ダイサーは『必殺』とかもいいませんー!」
「たっちゃんはヒーロー二連続じゃん! ずるいぞ!」
「そうだ! ずるいぞ!」
「六面ダイサーはわりとずるいんです~~~!」
「わ、わたしもヒーローやりたい!」

 今までになかった声が混じって、少年たちの口論はひとたび止まった。

 ある日の公園でのことである。
 めいめい武器に見立てた枝を持ち、いかなる敵にも臆さぬヒーローたらんとしていた彼らは、しかし……
 拳を握って意気込む少女の登場に対しては、困ったように顔を見合わせた。

「えー……? ムリだよ。オレたち、けっこうマジで戦うもん」
「それでケガとかさせたら、他のジョシに怒られるし……」
「帰りの会でツルシアゲにされるかもしれない……六面ダイサーみたいに……」

 口うるさい女子はやんちゃ坊主の天敵である。それを差し引いても、少年たちは紳士的であったろう。
 離れた場所にいる大人たちからは、くすくすと微笑ましげな視線が注がれてもいる。

 とは言え少女にとって、それは侮りと同義だった。
 むぅーっ、と唸って不服を表明し、より確固たる意志で主張を繰り返す。

「わたしもヒーローやりたい! それで“あくのひみつけっしゃ”とたたかうんだもん!」

 その言葉が、運命に拾われた。



『――フハハハハ! 愚かなる人間どもよ!』



 まったく唐突に響き渡る哄笑。
 驚いて誰もが辺りを見回すも、その源は見つからない。

 声は続けた。

『我らクローズスカイは、今この時より、貴様らに対して宣戦を布告する!』



「…………え?」






 私、鏑矢(かぶらや)ユエには三つの秘密があります。
 一つ。お姉様を愛していること。
 一つ。能力“愛は発明のI(アイアムインベンター)”による発明品の数々を駆使し、常にお姉様をモニターしていること。
 一つ。

 お姉様――正空寺(しょうくうじ)サツキこそが、謎のヒーロー、ウルマイティアの正体だと知っていること。



「ごめーん! 遅れた!」

 見晴らしの良さがお気に入りのカフェ。
 待ち合わせ場所であるそこに現れたお姉様は、ずいぶん息を切らしたご様子でした。
 私のために急いでくださったことが見て取れて、それだけで胸が満たされる思いがします。

「お気になさらないで、お姉様。たったの何分かじゃないですか」
「いやあ、わたしから呼びつけといてだし……遅れた理由も、ただ単に寝坊したってだけだし……」

 存じています。
 今朝のお姉様は、それはもう幸せそうに眠っていらっしゃって……ふとした拍子に目を覚まし、時計を確認した時の、一瞬の間。そして愕然とした表情。
 お姉様は真面目ですから、寝坊するというシーンが見られること自体貴重です。そこに来てあんなに良いリアクションが観察できたのですから、多少お待ちするくらいなんでもありません。むしろ実質プラスまであります。

「本当に良いのです。お姉様のご多忙ぶりは、私が一番よく分かっていますから」
「……ごめん」

 そんな満足感を微笑みに乗せることで、私が本当に怒っていないことが伝わったのでしょう。
 それでももう一つ謝罪を口にしつつ、お姉様は私の向かいに腰を下ろされました。

 落ち着いたところで、私はさりげなく、お姉様の観察に入ります。
 風を受けたような流れのある黒のショートカット。少年のように澄んだ瞳。
 グレーのジャケットにタイトなデニムが、長身で活動的なお姉様にはよく似合っています。

 ……本日も素敵です。

「例の件はお疲れさまでした、お姉様」

 今も密かにこの場を撮影しているカメラで、お姉様のお姿を静止画に保存しつつ、私はそう切り出しました。

 お姉様は戦いの日々の中に身を置かれています。つい先日も、この街に新たにできたクローズスカイの拠点を攻撃し、脅威を取り除かれました。
 なんでも組織の資金源としてタピオカミルクティー販売に目を付けただとかで、中毒性のあるタピオカを無限に生成して質量攻撃を仕掛けてくる魔人が指揮を執っていましたが、お姉様の敵ではありません。私も、いくつかの発明品を提供してサポートしました。

「それで、本日はどのようなご用でしょうか? もしかして私の発明品に不具合でも……?」
「あ、ううん。そういうわけじゃなくて」

 私は首を傾げます。
 他に用件が思いつかなかったこともありますが、お姉様のご様子が変なのです。
 言葉にするのを躊躇うように、何度か口を開いては閉じ。あー、と不明瞭な声を上げては、ご自分で注文したコーヒーに口を付け、あらぬ方向に視線をさまよわせます。

 やがて告げられた言葉は、まるで予想していなかったものでした。

「……ユエに会いたかったんだ。話したいことがあって」
「わっ、私にですか!?」

 声が上擦るのを抑えられませんでした。
 お姉様が! 会いたかった! 私に!!

 まさか――まさかまさか、だから、でしょうか。
 話というのが、私たち二人の関係を、大きく変えてしまうようなもので――そこに対する不安とか、期待とか、気恥ずかしさとかが、お姉様の口を重くさせていたのでしょうか。
 具体的に言うと愛の告白なのでしょうか!

「あはは、ごめんね。せっかくの休みの日なのに」
「いえっ、とっても嬉しいです! 今日でどこまで行きましょうか!?」
「ど、どこまで? いや、特に目的地とかはないけど……でも、良かった。迷惑にならなかったなら」

 迷惑なわけがないではないですか!
 見てくださいこのお姉様の表情! 普段の快活な笑顔の中に、心底安心したような気配が滲んでいて……本当に、私が嫌がるかもしれないって思っていたんですね。
 いじらしすぎます! 抱きしめていいですか! 抱きしめますね!

「それで、話っていうのはさ」
「あっ……はい」

 すんでのところで、その言葉が私の理性を回復させてくれました。
 浮かしかけていた腰を下ろし、吹き荒れる心の嵐を鎮めます。この先の話、一言一句逃さず心に刻み付けなければなりません。
 普段の凛々しさとのギャップを感じさせるお姉様の表情については、もちろん十六連写モードで保存済みです。

「ユエは、ダンジョンの噂を聞いた?」
「……だんじょん?」

 はて。
 二人で最深部のボスを倒すと両想いになれるというダンジョンなら知っていますが、あれは男女限定とかいう時代錯誤甚だしい役立たずのゴミだったような……あ、いや。
 最近話題になっているのは、確か――

「――なんでも願いが叶うという、あの?」
「うん。わたしは、それに挑戦しようと思ってるの」

 そこまで言われれば、私も自分の思い違いに気付けました。

「……能力のことですか」
「……うん。ユエには、話しておいた方がいいと思って」

 必要ない(・・・・)と知りつつも、私は声を潜めます。

 私も、そしてお姉様も、それを知ったのは最近のことです。
 お姉様の特殊能力は、ヒーローに必要な全てを与えてくれる。
 悪と戦う力のみならず。ヒーローとしての活動を妨げられないための匿名性も、力を使って戦うべき悪(・・・・・・・・・・)も。

 数年前、お姉様は、一度クローズスカイを壊滅させたのです。
 ニューヨーク本部にまで乗り込んで、長年因縁のあった幹部魔人も、ついに対峙したクローズスカイ首領も、首領を影から操っていた銀河悪性概念とやらも、全て撃破して爆発四散させました。
 ところがほとんど間を置かず、悪の秘密結社は復活しました。新たな首領――銀河悪性概念の生き別れの兄を戴いて。

 何ですかね銀河悪性概念の兄って。
 そもそも銀河悪性概念が何?

「わたしは願いを叶えて、この能力を消してしまいたい。そうすれば……そうしなきゃ、クローズスカイは滅びない」

 そう。
 その後どれだけ戦っても、やはり彼らが根絶されることはありませんでした。
 お姉様の能力は真実、謎のヒーローであり続けるための能力なのです。

 今こうして、こんな所でウルマイティアの核心の話をしていても。
 お姉様に正体を明かす気がなければ、誰にも聞かれることがないのと同じように。

「……最初から、わたしがヒーローになりたいなんて思わなければ、それで済む話だったんだけどね」

 かつて純粋に自分をヒーローだと信じていたひとは、そう言って自嘲的に笑って見せます。

 ……でもね、お姉様。あまりご自分を責めないでください。

「結婚してくださいお姉様」
「急に何!?」

 はっ……いけません。悩めるお姉様が麗しすぎてつい。
 ごほん、と一つ咳払いをして誤魔化します。誤魔化せました。いいですね?

「……そうですね。お姉様の能力がなければ、クローズスカイは現れなかった。だけど、その能力で救われた人だっているでしょう?」

 私はそっとお姉様の手を取り、両手で包むようにして握りました。
 少し固くて、傷跡が見て取れて、だけど他の誰よりも綺麗な手です。

「瓦礫の中の私を探し出してくださった時から。お姉様は正真正銘、私のヒーローです」
「……ユエ」

 クローズスカイなど関係のない、単なる事故や災害の現場にも、ウルマイティアは駆け付けてくれます。
 時に、能力を維持できないほど消耗してさえも。そうして助け出された人が、私の他にもたくさんいることを知っています。

「……じゃあ。ユエは、わたしが能力を捨てるのには反対かな」

 ……ああ。もしかすると、それで私を話し相手に選ばれたのでしょうか。
 今日のお姉様は本当に、どうしてしまったのかと思うくらい心配性です。ずっと自分の一部だった能力に別れを告げると考えれば、そうなるのも分からないではないですが。

「それはそれです」
「え……?」
「能力を捨てるとしても捨てないとしても、それで助けられる人がいるのですから。であれば、お姉様の能力をお姉様がどうしようと、他人が口を出すことではないはずです」
「そう……かな」
「あ。と言うか、本当に何でも願いが叶うなら、悪を生み出してしまう部分だけ能力から消してもらえばいいのでは?」
「――あ」

 考えもしなかった、というお顔で、お姉様が目を瞬かせています。
 まあ、ずっとそういう能力として受け止めてきたのですものね。無理もないことかもしれません。

 ぷっ、と吹き出すのは二人同時でした。
 それがまた妙におかしくって、しばらく揃って肩を震わせます。

「本当だ。なんでそんなことに気付かなかったんだろう」
「し、仕方ありませんよ。願いの細かい叶え方なんて、普段から真面目に考えることじゃありませんもの」
「にしたってだよ。あーあ、バカみたいだなあ――ユエ」
「はい」
「ありがとう。あなたがいてくれてよかった」
「………………はい」

 お姉様はそう言って、目尻を指で拭われました。
 返事がかなり遅れてしまいましたが、気にされたご様子はありません。

 一瞬気絶していたのはばれなかったようです。よかった。



「――さて。どこか行きたいところがあるなら付き合うけど?」

 しばらく取り留めのない話に花を咲かせた後、お姉様はそんな風に話題を変えました。

「行きたいところですか?」
「うん。さっき言ってなかった? どこまで行きたいとか」
「あ、ああ……」

 ……そういう意味ではなかったんですけどね。
 でもどうしましょう。せっかくの機会、棒に振るわけには行きません。

 そう考え、ふと窓の外に目をやった時です。

「……あら?」

 ガラス越しの街並みが小さく揺れました。
 地震かしら、と思うのも束の間。

 凄まじい轟音と震動が、私たちのいる建物を襲いました。

「きゃあっ!?」
「ユエ!」

 伸ばされた手を掴もうとして、できませんでした。
 私の体が宙を舞っていたからです。このカフェに居合わせた他の客や、食器や椅子などと一緒になって。

「疾装!」

 お姉様がそうなっていないのは――ああ、逆の手でテーブルを掴んでいらっしゃったのですね。そういえば固定式でした。流石です。
 そして私を捕まえ損ねるや、すぐさま青い光を纏って変身し、斜めに傾いた床を蹴って……斜め?

 背中で何かを突き破る感触がして、私は外に放り出されました。
 ひょう、と風が吹き抜ける音。鳥の視点から見る都市の街並み。一瞬だけの浮遊感の後、きらきら光る破片と一緒に、私の体は落下を始めます。
 何が起こったかはすぐに分かりました。カフェよりもいくらか下の階で、食い千切られたかのようにビルが抉れ、炎と煙に包まれているのです。
 そのせいでそこから上の階が傾き、こうして空中に躍り出る羽目になったのでしょう。

 私たちがいたのは何階だったでしょうか。
 十階は超えていたような気がします。

 私が放り出されたのと同じ、今は窓枠だけになった壁の穴から、お姉様が飛び出してきました。
 青空を少しだけ分けてもらって、鋭くも優美に削り出した造形。こんな時でも惚れ惚れとしてしまう、私の憧れのヒーローの姿。

「お姉様――」

 今度はこちらから、私は手を伸ばしました。
 知っています。まるで風を蹴るようにして、ウルマイティアは空中を駆けるのです。

 今も。
 下に向かって跳躍する、その動きの一回ごとに、距離がどんどん縮まっていきます。
 もう少し。あともう少しで。

 けれど。
 指先が触れ合うよりも先に、全身に強い衝撃が走って、それきり何も見えなくなりました。






 市街は混乱の只中にあった。
 傾いで黒煙を噴き上げるビル。鳴り響くクラクション。逃げ惑う人々。
 おお、一体何者が、このような惨状をもたらしたと言うのか!?

「ヌァーッハッハッハッハッ! どうしようもなく弱々しい虫ケラどもよ!!」

 ――その答えは、高所!

「俺様は第16代クローズスカイ四天王の一人、黒鉄のタルヴォス! これよりこの街を破壊し尽くし、偉大なる大首領様のお住まいの為の資材とする!」

 見よ! ひときわ高いビルの屋上、その縁に聳え立つ禍々しき巨体を!
 猛牛を象った兜の内より轟く、雷鳴のごとき大音声は、決して大袈裟な威圧ではない。巨漢の背後には数十人もの戦闘員たちと、彼らが操るミサイル発射装置が存在しているのだ!

『た……大変なことになりました! 私はたまたま別の収録でこの場に居合わせたリポーターですが!』

 緊急放送! 路上に立つ一人のリポーターの姿が、ビル壁面の大型ディスプレイに映し出される!

『△△区にて、クローズスカイの襲撃が発生! 市民の皆様は決して付近に近付かないでください! 繰り返します――』

 それは勇気ある行いであったのだろう。
 しかし必然、あまりにも目立ち過ぎた。凶悪なるクローズスカイ四天王の血走った目が、大型ディスプレイを、次いでその源たる地上のテレビクルーたちを睨み下ろす……!

「やれい」

 無慈悲なる命令!
 没個性的な黒衣の戦闘員たちが、それゆえに統率の取れた連携作業で、速やかに新たなるミサイルを発射!
 一旦直上に飛び立ったミサイルは、弧を描く軌道で地上を目掛け――しかし。
 しかし。

 最初の攻撃で被害を受けたビルの、避難者でごった返すその渦中から。
 一条の蒼光が飛び出して、ミサイルを上方に蹴り返した(・・・・・)

「チィ……ずいぶん早ぇじゃねえか」

 上空で咲く炎の徒花。
 それを一顧だにすることもなく、黒鉄のタルヴォスは着地した光を睨む。
 風の中を飛ぶ魚、あるいは空を泳ぐ鳥のような、鋭くも優美なるその姿。

『ああっ……あれは! ウルマイティア! ウルマイティアです!』
「ミサイル攻撃! 続けろ!」

 命令も反応も即座である。
 戦闘員たちが迷うことは無い。上位者の命令こそ彼らの全てだ。
 そしてタルヴォスの判断は合理的だった。どのみち戦闘員にウルマイティアの相手は荷が重い。ならばミサイルという市民への脅威を絶やさず、忌々しきヒーローをその対応で後手に回らせる。

 彼に誤謬があったとすれば、それは。

「あぁん……?」

 クローズスカイの陣取るビルの麓まで迫ったヒーローは。
 不可視の足場を空中で飛び渡るかのように、直接、そしてあまりにも素早く、直上の敵に向けて肉迫を開始したのである!

「やりやがる……! ミサイル急げ!」

 追加で指示を飛ばしつつ、自身は屋上の縁に足をかけ、クローズスカイ制式アサルトライフルでヒーローを狙う!
 DADADADADADADA! 高速ドラミングめいた射撃音! だが当たらぬ! 火線の伸びる先を読んでいるかのように、青き風は自在に宙を駆ける。直下に向けられていた銃口が、徐々にその角度を上げていく!
 そして遂に!

 DA――
 時間が鈍化した。銃声が遠ざかる。ヒーローと悪の幹部は一瞬、息がかかるほどの間近で視線をぶつけ合った。
 互いに素顔は仮面の奥。されど戦意は最高潮。その一点のみが両者の同意事項。

 ――DADADADADADA!
 銃声が戻る! だが既にウルマイティアはタルヴォスの視界にいない。飛び越えたのだ!
 同時、ミサイルの発射音が鳴った。タルヴォスは僅かに口元を歪めて振り返った。
 そして凍り付いた。

 吐き出されつつあるミサイルの、その真上に、既にウルマイティアの姿がある。
 直撃か? それならいい。しかし巨漢の脳裏には、先程の光景が蘇る。

「――総員退避ィ!」

 果たして、その通りの結果となった。
 ヒーローはミサイルを待ち受けていた。何も知らずに飛び立った兵器は、十分な速度を確保する前に、流星を打ち落とすがごとき蹴りを受けて上下を違えた。
 先端を下に、噴射炎を上に。となれば当然、結果は一つ!

 DOOOOOOOM!!

「ニ゛ィイイイイーッ!?」

 爆発に呑まれ、戦闘員全滅! ミサイル発射装置全壊!
 残った弾体にも余さず引火し、断続的に巻き起こる爆炎を背に、ウルマイティアは着地。この場に残った最後の悪に向け、迷いなき戦闘の構えを取る。

 対するタルヴォスは――

「……羨ましい真似しやがる野郎だぜ。俺様はエレベーターも重量オーバーで、屋上まで階段を駆け上がらにゃあならなかったってのによ」

 ――悠然と、肩を竦めて見せた。

 改めてその姿を間近で見れば、なるほど納得のいく言葉ではある。
 ただでさえウルマイティアの倍近い巨躯を、重厚なる漆黒の板金でくまなく覆った威容。猛牛を模するフルフェイスの兜と相まって、その存在感は神話の怪物じみている。

 ウルマイティアが駆けた!
 素晴らしい加速により、瞬時に接敵! さらに跳躍して勢いを加算し、風の力を纏った拳を繰り出す!

「だがァ!」

 タルヴォスの対応は左腕のガード!
 青と黒の手甲がぶつかり合い、大気が震動するほどの衝撃を生む!

 巨漢は――毫ほども体勢を崩さぬ!

「大首領様より賜ったこの鎧! それだけの価値はある代物よ!」

 反撃! 逆の腕での打ち下ろし!
 それは未だ空中にあったヒーローの体を芯で捉え、ビル屋上の床へと叩き付けた!
 KRAASH! 蜘蛛の巣じみた亀裂が広がり、一拍置いて無数のコンクリート片が跳ね上がる!

「ヌゥェエイ!!」

 容赦なき追撃の踏み付けを、ヒーローは辛うじて転がって避ける!
 そして風を生み、地面に叩き付ける反作用で跳躍! 空中でくるりと回転し、体勢を立て直して着地した!

「その程度か、ウルマイティア」

 タルヴォスは侮蔑的に言った。
 ウルマイティアの返答は再度の突撃。一旦離れた距離を再びゼロとする。

「そォの! 程度かァ!」

 繰り出される拳と拳! 激突! もう一度! 二度! さらに加速して無数の乱打!
 打撃が重なる度に弾ける風は、もはや間断のない嵐となり、屋上に気流の白波を走らせる!
 凄まじきは圧倒的質量差を前に一歩も引かぬウルマイティアか? あるいはこの巨体でありながら手数で食い下がるタルヴォスか!
 BOOM! だが遂に!
 ――ウルマイティアの拳が、弾かれた! 噴き出す血飛沫! 嗚呼!

「もらったァーッ!!」

 残忍な喜びに双眸を輝かせ、タルヴォスは止めの一撃を放つ!
 岩をも砕く剛腕が、体勢を崩したウルマイティアへと迫り――
 拳の先端が届く直前、その姿が青い影となってスライドした。

 どこへ、などとは考えるまでもない。
 目の前だ。巨大なるタルヴォスにとっての懐の死角。
 そこへ滑り込まれた。風だ。無策の突撃、足を止めての打ち合いは、この瞬間のための欺瞞であったか。

 だがタルヴォスは戦士である。屈強さがその最大の売りだ。
 それは物理的な意味には留まらない。突如訪れた危機に対しても、淀みなく最適の防御姿勢を取ろうとし、

「殺してやる」
「――何」

 背骨を突き抜けた恐るべき殺気が、その動作に一瞬の、そして致命の隙を生んだ。

 SMASH!

「ヌゥア!?」

 衝撃は頭部を襲った。
 拳か、脚か。それを判別することはできなかった。その一撃でタルヴォスの兜は歪み、その上で半回転し、視界を奪い去ってしまったのだから。

 ウルマイティアは打撃の反動で再び飛び離れていた。
 反対側の屋上へ。助走を稼ぐ。三度目の、そして最後の突撃。
 たたらを踏んで重心を乱す、無防備な巨漢の胴体へ、最高速を乗せた飛び蹴りが、

「……グァハアッ!?」

 ――決まった! 屋上から弾き出される巨漢!
 このまま遥か下方へ落ちれば、いかな戦士とて深手は免れぬ――否! それだけには留まらない!

 見よ! 太陽を背にして宙を舞う影を!
 空中は既にして彼女の領域。無慈悲なる猛禽のごとき視線が、落ち行く巨牛を獲物と定めた。

 そして追った! 超自然の加速によって!
 連続で風を上方へ噴き出し、その度に速度を増し、ついにその足先が敵の背を捕らえる!
 なお加速! 弾丸の速度! 青と黒とが入り混じり、濃紺の流星となって、地表へ……!

「ヌゥアアアアアアアーッ!!!」






 そこに生きる個人の事情を、世界は気にかけてくれはしない。

 大事な人を失った世界にも、今までと変わらない色で花は咲く。
 それを知っている。だから、人には人が寄り添わなければいけない。
 摂理の残酷に抗うことこそが人の道だと、そう見出して戦ってきた。

 ならば。
 わたしが選び取るべき願いは――。


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