【砂漠】SSその1

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【砂漠】STAGE 試合SSその1


 父は愚かだった。

 天台河原登志夫ヴィルヘルムは金しか信じない。
 そして齢十七にして既に、父を遥かに超える財界人である。
 そんな彼にとって、失踪した実父など、戦いから無様に逃げ出した負け犬に過ぎない。

 父は愚かだった。
 だがそんな人間を慕う連中もいた。彼ら曰く、父は(おお)きく、強く、聡明で、優しいのだという。
 だからこそ、安易に親の後には続かなかった。陰謀渦巻くマネーゲームの歯車として組み込まれるには、父は規格外すぎ、清廉すぎたのだと。
 馬鹿な話だ。父がTENDAIの御曹司の座を捨てたのは、ただ臆病だったからに過ぎない。

 だからだろうか。
 彼が父の夢を見る時、その姿はいつだって、大きな背中を窮屈そうに丸めた、どこか滑稽な熊のような格好なのだ。

 ぷち、ぷち、ぷち、ぷち。

 ()も、やはりそうだった。
 大きな父は、小さく屈んで、工場の廃棄品の“それ”を弄んでいる。
 繰り返しなぞった、遠い日の記憶。自分自身が次に何と言うかも、飽き果てるほどに復習済みだ。

「またやってるのか、父さん」
「登志夫」

 やはり記憶の通りに、父は顔を上げた。
 幼稚な趣味を人に見られた大人の、照れくさそうな笑みがそこにあった。

「勘弁してくれよ。仮にも土地一番の工場の経営者だろ。いつまでもそんな子供みたいなことを」
「そう言うな。お前だって好きじゃないか」
「何年前までの話をしてるんだ」

 くだらない、と吐き捨てつつ、しかし差し出された“それ”を受け取る。
 ぷち、ぷち、ぷち、ぷち。
 しばしの間、親子は隣り合って座り、手元で同じ音を鳴らし続けた。
 どうしてそんなことをする気になったのかは覚えていない。あるいは、遠からず迫った別離に対して、この時点で何らかの予兆を感じ取っていたのかもしれない。

「……登志夫」
「なんだよ」

 ぶっきらぼうに返した声に何を感じ取ったのか、父は巨体を揺らしてくつくつと笑った。
 それから不意に真面目な顔になって言った。

「いいか、登志夫。人を大事にしろよ。稼ぐことは重要かもしれないが、人が金を持っているのであって、その逆はない」

 当時でさえ、馬鹿馬鹿しい戯言だと思った。金の奴隷となった人間などいくらでもいる。
 にも関わらず、黙って聞いていたのは何故だったか。
 祖父の養子として新たな名を受けた後も、珍妙な響きを笑われようが、父から貰った名をかたくなに捨てなかったのは。
 こんな夢を繰り返し見るのは。

「人を潰すな。それは相手も自分も損をする行いだ。潰していいのは――」






 ギュ――ゴオッ!!!!

 凄まじい風圧の唸りが、青年の意識をすんでのところで呼び覚ました。
 眼下には一面の砂の大地。それが見る見るうちに迫ってくる。己の五体は羽交い絞めにされており、墜死の運命からは逃れようがない。
 ――彼が通常の人間であったのならば。

 青年は迷わず、自身の体を解いた(・・・)
 それは空中で植物の種子が弾け、上方に無数の蔓を伸ばす様に似た。
 肉体の質量を限りなく分散させることにより、熱砂に爪先まで埋め込まれる未来を回避。さらに帯状になった自分自身を用い、このような対処を強いた不埒者を雁字搦めに――否。

 確かに捕らえたはずの感触が唐突に失せた。
 青年は見た。対手の全身を包んでいた青衣が消えている。現れた人影と己の(テープ)には、その厚みの分だけ隙間がある。
 生じた僅かな空間の遊びを使い、敵は拘束から抜けた。ならばとより強く締め上げるよりも早く、

「疾装」

 再び青い光に包まれ、突風と共に飛び離れられている。

 くしゃり、と帯の塊が地に落ちた。それはひとりでに寄り集まり、金髪の青年の姿を編み上げた。
 ほぼ同時、二十歩ほど離れた地点に、相手もまた着地している。青いスーツを生成し直し、その表情は窺い知れず、ただ油断の無い構えだけが意志を示す。
 砂塵混じりの乾いた熱風が、対峙する二者の間を吹き抜けた。

 互いにとって第一の戦い。
 天台河原登志夫ヴィルヘルム対正空寺サツキ――ウルマイティア。




《Hero is no/w/here》




「降参して」

 照りつける灼熱の太陽の下にあって、ヒーローの宣告は冷たく響いた。

「きみではわたしに勝てない。もう分かったでしょう」

 ……その通りであるのだろう。
 登志夫ヴィルヘルムが誇る装備の一つ、総純金製の特注スナイパーライフルは、たった一発の弾丸を吐き出しただけでその役目を終えた。
 それは今やバラバラに砕かれ、単なる高価極まりない金塊となって、持ち主の周囲に散らばっている。

 このフィールドへの転送直後、先手の有利を取ったのは登志夫ヴィルヘルムだった。
 小型ながらも高性能、さらにはボタンやインジケーターにダイヤモンドをあしらったラグジュアリーな生体レーダーにより、広大な空間から対戦相手を探知。
 砂の黄色で満たされた地形により、期せずして隠密効果も見込めるようになったライフルを構えて砂丘に伏せ、クリスタルのスコープを覗き込んだ。

 問題はその後からだ。
 スコープ越しに見えた敵は、予想もしない相手だった。ウルマイティアがなぜここに?
 動揺を勝利への決意で塗り潰し、確かな狙いでトリガーを引き、弾丸が放たれたその瞬間、ヒーローの姿は消えていた。

 彼は顔を上げた。
 スコープ越しではない目の前に、既にウルマイティアがいた。

 鏑矢ユエの遺したガジェットの中にもレーダーがあった。単身で集団と戦うサツキにとって、それは必須とも言える装備であったから。
 そして先制攻撃を仕掛けたことにより、登志夫ヴィルヘルムは明確に敵と認識された。
 結果論だ。この状況に至った要因は、どちらも彼の失敗と呼べるものではない。しかし。

 蹴り上げがライフルを砕き、顔面を捉えた二撃目が意識を刈り取った。
 初撃で体が浮き上がり、追撃の威力が減衰されたこと。それにより気絶こそしたものの、とどめの高速落下中に復帰が間に合ったこと。
 不幸中の幸いがあるとすればその二点だ。おかげで未だ決着とはならず――今こうして、降参を勧められるだけ(・・)に留まっている。

「……笑わせるな」

 そして、彼は拒んだ。
 状況は最悪に近い。TOSHIO☆SPIRAL PHENOMENON。奇襲性を最大の強みとするその能力を、明らかにしながら仕留められなかった。
 加えて隔絶した力量差。まともにぶつかれば勝ち目はあるまい。
 だとしても。

「その声。先ほどは顔までは見えなかったが、まさかあのウルマイティアが女だったとはな。だがたとえ女子供が相手だろうと、勝利を譲ってやることはできん。俺にも願いがある。それは」

 ウルマイティアの背後で砂の海が爆ぜた。
 無数の蛇めいて襲いかかるのは、砂地の下を潜って伸ばされた、登志夫ヴィルヘルムのテープ!
 彼の体はどこも解けていないのに、如何にしてか――

「長話は時間稼ぎ。当然そうだよね」

 ――それが捕らえたのは、既に残像だった。

 青き烈風が登志夫ヴィルヘルムに迫る。
 このヒーローのスピードをもってすれば、二十歩の距離など無いも同然だろう。だが二者の間の砂漠の地面には、さながら地雷原のごとくテープが張り巡らされている。ウルマイティアの接近に対し、不可視の砂中からの迎撃が打てる。地の利は完成させているのだ。

 だと言うのに!

 飛び出したテープを鋭角の軌道変更で避け、足元を狙った薙ぎ払いを跳躍で避け、空中で殺到した数本を、斜め下への急加速で避ける。
 瞬きの間の出来事である。前進の速力が落ちることはない。当たれば巻き付き縛り上げるテープが、全て距離を詰めるついでにかわされていく。

「おのれ……!」

 登志夫ヴィルヘルムは歯を噛んだ。これほどか。
 彼は当初、このあまりにも有名な対戦相手の姿が、コスプレイヤーやフォロワーの類ではないかと訝しんだ。より正確に言えば、そう願った。
 その希望は打ち砕かれた形だ。悪の秘密結社と戦い続けるヒーロー。怪物の群れに単身で勝利を収め続ける、怪物以上の怪物。

 何故。何故そんな怪物が、よりによって自分の前に立ち塞がる。
 得体の知れない怒りが、彼の心理に波紋を立てた。

「俺は、」

 ひょう、とヒーローが胸元に滑り込んだ。腰を落として拳を引いた、必殺の一撃を繰り出す姿勢。
 登志夫ヴィルヘルムの体が震えた。攻撃の過程は見えなかった。ただ青い手甲が彼の背中から飛び出し、胴体に大穴を開けていた。

 そこから溢れ出したのは――砂!

「……!」

 登志夫ヴィルヘルムは帯になって解けた。内側に充填されていた砂が、形を失って山を作った。
 ウルマイティアは即座に跳び下がった。その判断が数瞬遅ければ、生きた縄が彼女を絡め取っていただろう。

 テープはうねくりながら地中に消えた。それを一瞥し、ヒーローは振り向いた。
 過たずその方向に、新たな登志夫ヴィルヘルムがいる。

「――俺は正義だ!」

 その者が、叫んだ。

「……何ですって?」
「俺は正義だ、ウルマイティア」

 込み上げる衝動のままに、彼は繰り返した。
 言わずにはいられなかった。理由は分からない。ただこれが正解だという確信はある。ウルマイティアが止まっているからだ。

 体表の薄皮一枚だけを残し、内側を全てテープに変えた。そうすることで外から解くより多くのテープを運用できる。残った外側には砂を詰め、即席のダミー人形とした。
 その仕掛けに気付いていたとしても、今のウルマイティアは動けまい。天台河原登志夫ヴィルヘルムは、彼女が決して聞き流せぬことを言っている。

 ――そのように無意識化で戦術を練って、自分はこんなことを喋っているのか?
 彼は自問した。

「俺の願いを教えてやる。俺がこのダンジョンを制覇した暁には、この不可思議な空間を活用し、世界一のテーマパークとする。そうして俺は巨万の富を得る」
「金儲けじゃない」
「その金をもって正義を為す。金は力だ。金は全てだ! 金があればTENDAIを、俺の会社を清められる。腐った経営陣の中には、あのクローズスカイと繋がっている者もいるだろう。そいつらの首も飛ばすことができる! それ以上を望むのなら、俺が動かせるだけの金で、貴様の戦いを援助してやってもいい! だから俺に、勝ちを譲れ!」

 彼は気が付けば拳を握っていた。熱弁。必死の訴え。そう表現していい姿勢だった。
 一方で冷静な自分がいる。お前は一体何を言っている。そこまでする理由があるか? 相手が受け入れると思うのか? 

「……それはできない。わたしはきみをそこまで信じられないし、どれだけお金をもらったとしても、わたしの願いは叶わない」

 ヒーローはゆっくりと首を振った。
 案の定だ。そう自らを嘲る気持ちの反面、なお抑え切れず高まるものがある。疑念。

「――ならば、貴様の願いは何だ。ウルマイティア」

 その問いに。
 いかなる攻め手にも動じることのなかったウルマイティアの立ち姿が、僅かに、しかし明確に揺れた。

 登志夫ヴィルヘルムは理解した。

 ……ああ。これか。
 俺が感じていたことは。俺が怖れていたことは。

 青年は口元を歪めた。胸の中に冷たい炎が広がった。

「クローズスカイを滅ぼすのか? 当然かな。奴らのせいで、今この時にも、大勢の人間が苦しんでいるものなァ。なるほどそうであるならば、俺のこのチンケな願いとどちらが大事か、比べるまでもないと言うものだ!」

 無論、彼はクローズスカイの存在の根幹に、正空寺サツキの能力があることなど知らない。鏑矢ユエなどは存在も知らない。
 代わりに、彼には怒りがあった。飢えがあった。問いがあった。祈りがあった。かつて彼が信じようとしていた者たちへの。
 すなわち。

 俺は正しいことをしているのだから、お前と敵対するわけがない。だって(・・・)お前も正しいはずじゃないか(・・・・・・・・・・・・・)

 ゆえに、彼は肯定を待った。あるいは反論でも構わなかった。
 それが返ってくることはなかった。

「……そうか、そうか。よく理解したぞ、ウルマイティア」

 青年は上着を脱ぎ落とした。
 シャツの上に跨るサスペンダーには、左右それぞれに拳銃のホルスターが固定されている。ウルマイティアが身構えるのが見えた。

「貴様も! 兄さんも! ――父さんも!! よくよく俺を裏切ってくれる! ならば死ね! 俺が唯一信じる、金の力によってなアァーッ!!!」

 BLAMBLAMBLAMBLAMBLAMBLAM!

 両手の拳銃から放たれた特殊プラチナ合金弾の雨を、ウルマイティアは苦も無く避けた。
 そのままスピードスケート選手じみた斜めの軌道で砂原を駆け、火線から逃れつつ登志夫ヴィルヘルムに迫る。
 だがもはや彼に動揺はない。目の前の相手はヒーローではない。怪物でもない。人間だ。自分のための欲望を持ち、しかしてそのことに堂々と胸も張れぬ、当たり前の人間なのだ。
 それが。天台河原登志夫ヴィルヘルムにとって、この上もなく腹立たしい――!

「ヒーローだと! 絆だと! 人を大事にしろだと!? 耳障りの良い言葉ばかり並べ立てて人をその気にさせながら、いざとなれば自分可愛さに信じていた者たちを捨てる! それが貴様らだ!」
「…………!」

 肉薄! ここからはウルマイティアの距離か? 否!
 おお、見よ! 登志夫ヴィルヘルムは両手の形を残して射撃を続けながら、手首から肩までをイソギンチャクめいて解き、無数の鞭と化して振るい始めたではないか!
 銃弾と捕縛テープの全方位攻撃に対し、ウルマイティアは前者を正確無比な手甲の防御で、後者を全身から放ち続ける突風で弾き、この猛攻をも凌ぐ!
 しかし! 対応能力の限界を迎えたところで、新たに加わる鋭い異音! 蒼穹のごときウルマイティアのスーツに、X字に刻まれた真紅の斬線!
 肉体変化テープの中に紛れ込まされた、突風に吹き流されぬ金属製武器。恐るべきミスリルワイヤーウィップの威力である……!

「いい様だ三文役者めが! 貴様のような紛い物は、我がTENDAIわくわくスーパースペースランドでヒーローショーでもやっていろ!」
「――――知、る、かぁっ!」

 容赦なく追撃に出た左右のミスリル鞭を、ヒーローは――掴んだ!
 それを一瞬の早業で二丁拳銃に巻き付け、危険な二種の武器を諸共に封じる!

「わたしが戦うんだッ! 相手がクローズスカイでも、他の探索者でも! だったらその結果に、口を出される筋合いなんかないッ!」
「勝手をほざくな! 平和はどうした!」
「そんなに理想のヒーローが欲しいなら! 自分でやれえええっ!!」
「えっ自分で? ――グッハァ!」

 隙! 渾身のストレートが登志夫ヴィルヘルムを殴り飛ばす!
 放物線を描いて飛んだ青年は、空中で回転して見事に着地。オリンピックコーチ仕込みの体術である!

「持ち帰って検討しよう……! しかし貴様は許さん!」

 もはや使えぬ銃と鞭を投げ捨て、彼はウルマイティアに殺意の眼差しを向けた。
 彼女もまた決着をつけると決めたようだった。砂を蹴立てて走り来る青い風は、鮮血の尾を後に引いているが、動きが鈍る様子はない。
 青年は舌を巻いた。物理的な意味である。テープ化した舌で作った筒の中から撃ち出されるのは、ヒヒイロカネの吹き矢(ブローガン)

 SPIT! SPIT! SPIT! SPIT!

 大木すら貫通する暗器の連射をいきなり受けても、相手の対応に淀みはなかった。最小の軌道修正による回避は、蛇の這った後のような通過痕を砂丘に残す。
 登志夫ヴィルヘルムは僅かに逡巡した。残った打ち手には何がある。装備はほとんど使い切った。体内組織をテープにする技は、真っ向ぶつけるにはリスクが高い。内臓を変化させた部分を切断でもされようものなら、言うまでもなくその場で死ぬ。
 思考が塞がりかけた時、生身の手が半ばひとりでに動いた。
 彼の最後の切り札、オリハルコンの――

 ウルマイティアの拳が走った。
 湿ったものを貫く音がした。

 天台河原登志夫ヴィルヘルムは、突然重くなった体に耐えた。
 足を踏ん張らねばならなくなったのは、自分の肩にもたれるようにしたウルマイティアのためである。
 彼女の青いスーツの脇腹に、青年の手刀が突き刺さっている。

 ――オリハルコンのプチプチ潰しで鍛えた膂力。

 青年は手を引き抜き、数歩下がった。
 ヒーローの体が傾いた。かは、と血を吐く音がマスクの内で鳴った。

 ……父の、いい歳をして幼稚な趣味が。
 自分もまたやめられないことが、粘つくテープのように不快な繋がりに思えて、せめて無駄な金をかけて取り繕った。

 青いスーツに血の染みが広がり、凄絶なコントラストを描いていく。
 ヒーローは半ば崩れ落ちながら、それでも青年に向けて、弱々しい一歩を踏み出した。

「……フン」

 登志夫ヴィルヘルムは皮肉げに嗤った。
 既に勝敗は決している。

 彼の敗北だ。

 二歩目が踏み出された。赤が青を侵食し、スーツの色を塗り替えていく。
 三歩目。それは明らかに、出血の広がりの域を超えている。
 最後まで伏せ続けたジョーカーで、この敵を殺しきることができなかった時点で。

 彼はそれが何であるかを知らない。
 ただ、己の力では抗いようもないことは、生物としての直感で理解した。

「それでもだ、ウルマイティア」

 登志夫ヴィルヘルムは両腕を広げた。
 真紅のヒーローを余裕を以て迎え入れ、結果を世界に誇るかのように。

「この勝負! ――全てにおいて、俺の勝ちだッ!!」

 劫火が彼の全身を呑み込み、灰も残さず燃やし尽くした。






「……ウワァーーッ!!」

 絶叫とともに男が宙を舞う。
 長野県某所にポッカリと空いた、巨大な空洞。
 そこから放物線を描いて吐き出されてきたのは、このダンジョンの『脱落者』だった。

「バカな……俺が負けるとは」
「登志夫様!」
「ヴィルヘルム様!」
「登志夫ヴィルヘルム様!」

 大の字に倒れた彼に対し、周囲に控えていた黒服たちが、慌てた様子で駆け寄っていく。

「フッ……ククッ……クククク……」

 それに気付いていないかのように、青年はただ含み笑いを零した。
 黒服たちが気づかわしげな視線を交わしあう。兄の裏切りに次ぐ自身の敗北というショックで、彼らの主人は精神に重篤なダメージを負ってしまったのだろうか……?

「……何をオロオロしている、貴様ら。油を売っている暇はないぞ」

 そうではなかったようだ。
 ほっと安堵する黒服の輪の中で、天台河原登志夫ヴィルヘルムは立ち上がった。

「ダンジョンをモノにすることこそ叶わなかったが……いずれにせよ、この山は既に俺の土地。切り拓き、整地し、TENDAIわくわくスーパースペース跡地ランドを建設する分には何の支障もない!」

 そのネーミングはどうであろうか。
 黒服たちが気づかわしげな視線を交わしあう。

「何、俺のプロデュース力を経営陣に示す好機と思えば、まるきり余計な手間というわけでもない。良いアイデアも貰ったことだしな」
「登志夫ヴィルヘルム様。アイデアとは……?」

 絶好のタイミングで尋ねる黒服!
 素晴らしい気の利かせ方だ。彼には臨時ボーナスが振り込まれよう。

「ヒーローショーだ」
「ヒーローショー……?」
「そうだ。それもただのヒーローショーではないぞ。この天台河原登志夫ヴィルヘルムが直々に扮装し、観客を容赦なく盛り上げてくれる!」
「なんと……!」

 黒服たちは息を呑んだ。
 話題になること間違いなしだ。だって絶対金銀宝石を使いまくったやつになるし!

「まずもってこの俺が装うのだから、貧相な青色のスーツなどはダメだな。金だ。純金のコスチュームにする。
 そしてこの俺が装うのだから、幼稚な善性アピールなどはいらん。高潔ながらも悪であることを示す。
 以上の二点から、名乗りはさしずめ、黄金バッ――」






 水に溶かした絵具のように、真紅のスーツはたなびいて消えた。
 残された人影は正空寺サツキ。荒漠たる砂漠にぽつりと、荒い息を吐いてうずくまる。

 ウルマイティア、デイブレイクフォーム。
 流れ出た血を炎と変えるそれは、クローズスカイとの戦いにおいても数えるほどしか用いたことのない、起死回生の切り札であった。

 そしてその手の手段の例にもれず、短期間に何度も使えるものではない。少なくともこのスーパースペースダンジョンにおいては、負傷や消耗が回復されるとしても、再度の発動は不可能だろう。
 だが彼女の心を乱すのは、その事実よりも、傷の痛みよりも、耳の奥でこだまする言葉であった。

 ――いざとなれば自分可愛さに信じていた者たちを捨てる。
 ――お姉様は正真正銘、私のヒーローです。

「わたしは……どうすればいいかな、ユエ」

 裏切らぬとは、どうすればいいのか。
 信頼に応えるのはどのような道か。
 ……それが明確に示されたとして。自分は、捨てることになる選択肢に、未練を感じずにいられるだろうか。

 ひときわ強い風が吹き渡り、サツキの体を砂煙に隠した。
 やがてそれが収まってみれば、勝者の姿は既にない。
 砂地を染めた血痕も、その傍に落ちた小さな雫も、うつろう砂がすぐに拭い去るだろう。

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