【砂漠】SSその2

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【砂漠】STAGE 試合SSその2




「ふむ。それは……残念ですな」

 さほど残念でもなそうな口調で、男は言った。

「理由を窺っても? 我々の提示した条件、決して悪い取引ではなかった筈です」
「ええ。どれもこれも急成長を遂げている注目株式ばかりだ。私たちTENDAIにとっても、貴方がたY&Kにとっても、将来更なる飛躍が望めるでしょう。ですが」

 年若い声が答える。
 清潔に保たれた室内に、一流のソファ、センターテーブル。洗練された応接室で男の対面に腰かけている少年は、天台河原登志夫ヴィルヘルム。当時15歳。
 その緊張を内心の奥底に押し込めたままおくびにも出さず、言葉を続ける。

「貴方がたは、紛争当事国の反政府組織や無政府国家、国際テロリストなど様々な武装勢力と強固な繋がりが疑われている。……我々のビジネスパートナーには成りえない。こちらの持つ各種資源、技術開発企業の株式を渡すわけにもいかない」

 商談の席において限りなく無作法な絶縁宣言であるが、言い切った。
 だがTENDAIの調査部による、確かな裏付けも取れている。
 ヤミノ&(アン)コックカンパニー。
 近年欧州において躍進を遂げている巨大企業。その最高経営責任者である目の前の男の悪性は、最早疑いようがない。

「フフッ、お若い。見上げた良識ですが、そんなもの企業の生み出す利益に比べれば塵ほどの価値もないでしょうに。そもそも力の善悪についてはあくまで使う者の罪。商人に責などないのでは?」
「企業には社会的責任というものがあります。私も非ッ常ォ~~~に癪な話ですが……それを守ることが、結局の所我々が利潤を得る一番の早道でしょう。……失礼する。見送りは結構」

 登志夫ヴィルヘルムは立ち上がると、傍付きの黒服と共にさっさと退室してしまった。
 「お気をつけて」と声を掛けるY&K最高責任者。部屋には彼と、控えの社員二人だけが残る。

「――やれやれ。世間知らずの坊ちゃんかと思っていたが、中々の胆じゃないか。まさかここで断ってくるとはね」
「拐いますか? 我らの端末の一人に収められれば、それが一番早く合理的でしょう」
「んんー……いや、いいさ。どうも優秀なボディガードがいるらしい。戦闘型怪人も先週のウルマイティアとの交戦で損耗中。運のいい子だ」

 控えの社員による物騒な提案を自然に受けつつ、男の目が暗灰色に明滅する。量子リンクした社内センサーが、配備した戦闘員の壊滅を伝えたのだ。

 第15代クローズスカイ四天王、“伽藍”のル・シェーロ。
 ヤミノ&コック最高経営責任者とは仮の姿、その正体はクローズスカイ幹部の一人!人間社会に潜み、社会的地位を利用して内より世界を切り崩す。奸智に長けた恐るべき四天王である!

「私が直接動くと、何だ、えーっと、タルヴォス? “黒鉄”の所の小僧が四天王の威厳がどうだってうるさいしね。副官のくせしてよく噛みつく奴だよ」
「かしこまりました。おおせのままに」
「……ま、今回程度の逃がした魚、いくらでも埋め合わせが利く。電撃作戦の経済侵攻プランは一旦保留だ。ターゲットをアジア圏に移す。台湾でちょっとおもしろいデザートがあってね、上手いこと使えないか……」

 “伽藍”のル・シェーロ。
 彼はこの二か月後、香港上空にて青き烈風ウルマイティアに撃破され、爆発四散することとなる。
 彼の退場によりウルマイティアと15代クローズスカイの戦いは最終局面へと突入していくのだが、それはまた別の話――。


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「おっ、もう済んだか。お疲れ!」

 ヤミノ&コックカンパニー地下駐車場。
 ル・シェーロとの商談を決裂で終わらせた登志夫ヴィルヘルムを、折野鐘汰が出迎えた。
 その傍らには、地面に倒れる。数多の戦闘員たち。鐘汰の拳には、熱気と返り血。

「車で待ってたらこいつらが湧いて出た。問答無用で襲ってきたけど、片してよかったよな?」
「ああ。サンキュ兄さん」

 何事もなく主たちを乗せ、悠々とY&Kを去るリムジン。
 車内で行われるのは、登志夫ヴィルヘルムの反省会だ。

「ああ~……そうかダメにしちまったか。そんなこったろうと思ったよ。まあ気にすんなって。な?」
「いや、そうはいかないだろ……クソっ、折角のTENDAI役員待遇取り立ての最終試験だったのに!」
「それこそお前の金儲けポリシーの結果じゃんか。これでよかったんだって。曲げてもどっかで無理がくるもんなんだからよ」

 聞き役の鐘汰は、気楽なものだ。

「ヤミノのむかつくCEO野郎の言うことも、判らなくはないんだよ。きっと爺ちゃ……会長は、そこを呑んで社の利益のために動けるかってのを見てたと思うんだよな。クソッ、判ってたつもりだったのに!」
「いや、その天台河原会長だけどよ。連絡着てたぜ、電話の。まだ非公式だけど」
「……は?」
「合格だってさ。お前、来年度から役員待遇だってよ」
「……は、はぁ!!?」

 登志夫ヴィルヘルムは衝撃を隠せない。カラカラと笑う鐘汰。

「だから言ったじゃんか。お前の判断で正解だったんだよ。ある意味、そのCEO野郎とやらにも感謝だな」
「いや、おま、そんな……いいのかよそれで! てか何で俺じゃなくて兄さんに伝えてんの!?」

 「そりゃ会長がいいってんだからいいんだよ」などと笑う鐘汰を前に、どっと力が抜けてしまう登志夫ヴィルヘルム。

「おいおい……いや、でも何考えてんだよ爺ちゃん……そりゃ受けるけど」
「登志夫ヴィルヘルム様、鐘汰様。これより離陸(りりく)致します。お気をつけて」

 運転手からの言葉が掛かった。
 ほどなくしてリムジンの変形(・・)が始まる。
 翼が現れ、タイヤは収納され……まるでジェット機の如く、道路から飛び発ってゆく。

「俺らがガキの頃はさ、考えられなかったよな。こんな映画みたいな車」
「ああ。クローズスカイ様々か、それともウルマイティア様々と言うべきか、な」

 十余年前より、突如地球に現れた侵略者クローズスカイ。
 彼らと矢面に立って戦っているのは謎のヒーロー・ウルマイティアであるが、そのいつ終わるとも知れないバトルは、思わぬ形で人間社会に影響を及ぼした。
 科学技術の大幅な発展である。
 地球の人間たちも、ただ守られるばかりではなかった。
 それがどれだけ地球を守るウルマイティアに寄与したかは疑問であるが、その歩みは有形無形の恩恵となって、社会に還元されていたのだ。

『ああっ! 皆さん見てください! ウルマイティア! ウルマイティアです!』

 社内備え付けのモニタに、地球の裏側で今日も戦うウルマイティアが映る。

「やれやれ、ヒーローは今日も後手に回って出陣か。クローズスカイが出る度に復興需要が出来るのも痛し痒しだな。もう少し被害を抑えてくれるとありがたいよ」
「お前ウルマイティアに厳しいよな。ヒーロー、ダメか?」
「別に。けど六面ダイサーでも、俺はダイサーよりバカラ・キングが好きだし。ずるい奴だが何だかんだで人情家なダイサーより、クールでソリッドな悪役を応援したね」
「でもお前、クローズスカイだって嫌いじゃねえ?」
「……そりゃ、な」

 物語と違って、現実に現れた『悪の怪人』には、何の魅力もなかった。
 いたずらに被害を撒き散らし、野蛮で、誇りはあってもそれを他者に向けることはなく、まれに矜持らしきものを見せたかと思えば、やることは結局人間社会の蹂躙のみ。
 幼き頃の登志夫ヴィルヘルムの夢は、まさにある意味幻想として砕け散ったと言っていい。

(やはり信じられる物は金だな。金が一番判り易くていい)

 しかし。

 モニタには、今まさにクローズスカイを圧倒するウルマイティア。
 よくやることだ。数年前からずっとずっと、終わることなく続いている熱闘。そのバイタリティにだけは、登志夫ヴィルヘルムも感心の息を漏らしてしまう。
 モニタの中のウルマイティアは、初めてその姿を見た幼い日から、まるで変わっていない。

 正拳、手刀、踵落とし。触手を捌いてまた正拳。
 そして吹き飛ばされた怪人に風の加速で追いすがり、そのまま胴体めがけ剛速の拳を――。


一『ウルマイティアの猛々しい襲撃と、登志夫ヴィルヘルムの華麗なる迎撃』



 ――剛速の拳が、今まさに登志夫ヴィルヘルムの腹部に叩きこまれた!!

「ガァッハァッ!!」

 打ち込まれた拳の衝撃に、辺り一面の土、いや砂の大地が間欠泉のごとく爆ぜる!

 ――なんだ? 何が起こった!?

 目の前には、今まさに自分を殴りつけた『敵』。
 一瞬の内の急襲。その混乱から即座に持ち直し、登志夫ヴィルヘルムが記憶を総動員する。
 こいつが現れた瞬間ではない。何か予兆があった筈だ。自分はそれを見逃して、先手を取られた――!
 反撃の隙は与えぬとばかりに、撃ちこまれた拳には力が漲っている。
 絶体絶命のピンチに、登志夫ヴィルヘルムの脳神経伝達が急加速。鈍化した時間感覚の中、記憶の走査と状況への対処が同時に行われる――!

 照りつける太陽。地平線まで続く砂の大海。周囲はまさに大砂漠。
 そう、ここはダンゲロスSSDungeon、登志夫ヴィルヘルムが踏み込んだ第一のフロア。

 拳の衝撃に両足が浮く。為すすべなく殴り倒されようとしている。
 周囲を探る視界に映るのは、巻き上げられた砂塵に紛れる、自らの装備。

 一つ。日差し、砂塵避けの大型万能布。
 それを折り畳み式の骨で支えた簡易テント(の残骸)。
 ――ダンジョン探索に下調べは必須だ。
 既に敗退した貧乏人どもにコンタクトを取り、フロアの情報は買えるだけ買っている。この『砂漠』はまとめたリストにないステージだが、軽く丈夫な布は様々な場面で使い勝手がいい。防寒に休息、長期戦にもつれ込むバトルも想定すれば、むしろ持ち込まない理由がない。
 一つ。中身がぶちまけられた、手頃なサイズのジュラルミンケース。
 ――体内に仕込んだ小型の隠し武器、背負った薄型ザックに積まれた最低限の野外装備。それらに類しないアイテムを持ち運ぶための箱。
 そして最後の一つ。そのぶちまけられた中身。
 手の平サイズの待機状態から40センチほどの稼働状態まで変形展開する、ハンディドローン群!
 ――《禁則地》新潟、スペースコロニー「北海道」、その他諸々な亜空の魔窟、そしてクローズスカイの襲来。あらゆる脅威と対峙しスパークした現世界科学が生んだ、最高に機敏でパワフルな逸品! 偵察に、制圧に、その性能は折り紙つき!

(それだけ判れば、十分!)

 登志夫ヴィルヘルムが、背中から砂面へ叩きつけられる。
 それに引きずられるように、『敵』の上体が前面へつんのめった。

「っ、ッ!」

 『敵』が違和の正体に息を呑む。
 拳が、胴を貫通していた。
 否。それは登志夫ヴィルヘルムが自らの魔人能力で開けた穴。帯状に展開した胴部を偏らせ、自ら拳を通過させた穴!
 そしてその穴は既にすぼまり、粘着力と腹筋で敵の腕を捕えている!

「うおおおおおっ!!」

 登志夫ヴィルヘルムが叫ぶ! 手には体内に収めていた小型リモコン! 砂上に散らばるドローンが一斉に起き上がり、『敵』に向けて機銃を掃射した!

「――ハァッ!!」
「なにっ!?」

 『敵』の腕から、爆風が迸った。
 それはエアダスターのごとく、テープと化した登志夫ヴィルヘルムの拘束を即座に吹き飛ばす。そしてその疾風の拳で、瞬く間に銃弾を弾き飛ばし、捌き切ってしまった。
 銃撃に爆風、周囲に巻き起こる、猛烈な砂煙!

「……ハァ……ハァ」

 大きく吹き飛ばされた登志夫ヴィルヘルムだったが、風によるダメージは皆無。あくまで緊急避難的な対処だったということか。
 立ち上がり、砂煙の奥を見つめる。
 ……危ない所だった。
 彼の出で立ちは、動き易いジーンズ(無論、超ヴィンテージモデルである)に、登山ルックから着替えた最先端軽量強化繊維製のTシャツ、視線を隠し余計な光を遮るゴーグル・サングラス(何と最先端研究により、動体視力の補正までかかる超科学的装備だ!)。

 そしてその下から手首までしっかりと覆っている、薄い薄いアンダーウェア。
 この特別製(・・・)のアンダーが衝撃を吸収してくれたおかげで、一撃を受けつつも反撃に移れた。そうでなければ、あの拳で全て終わってしまう所だった。
 胴の穴も元通り塞ぐ。この手のネタは、ここぞという時に使うからこそ活きる類である。意識させるだけならともかく、見せ過ぎで慣れさせてしまっては台無しだ。

「しかし……まさかこんな所でお目にかかるとはな」

 砂煙が晴れつつある。
 そこに揺れるは、『踏破者の願いを叶える』という欲にまみれたサバイバル舞台において、ある種最も相応しくない人物。

「貴様……ウルマイティアか」

 苦々しい声であった。
 そのパワー、そのスピード、その体捌き。何よりその恐るべき風。
 自分が幼い頃より変わらぬ姿で報道され、現在も株価の変動を見定めるため、動向を注視しせねばならない謎のヒーロー。スーツだけ真似たコスプレ野郎の類ではない。
 風。砂煙が消し飛んだ。

 青き烈風、ウルマイティア。


二『登志夫ヴィルヘルムの優雅な攻撃』



 『悪』とは何か。

 この複雑な現代において、これだけではあまりに茫洋過ぎる問だろう。
 だがサツキなら――少なくとも、魔人能力に目覚めた幼き日の正空寺サツキなら――考えた末に、例えば一つのこんな答えを返すはずだ。

『自分より弱い相手を、自分の為だけに騙したり、影から殴るのは悪いことだと思う』

 さて、ここで話は飛ぶが一つ疑問がある。
 正空寺サツキの魔人能力『青き烈風ウルマイティア』。ヒーローとして戦う力と、戦うべき悪を生み出す能力であるが、ならばこの能力は悪か定かでもない一般人相手に発動できるのか?
 時に悪と戦わず、災害から人々を守るのもヒーローの使命である。これは可能だろう。
 クローズスカイを倒すためダンジョンに潜るなら、打倒悪と言えなくもない。可能かもしれない。

 だが、どちら(・・・)でも(・・)なかったら(・・・・・)? 果たして変身が可能なのか?
 それは――。


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 渇いた熱砂の風の中を正空寺サツキが行く。
 これはサツキがウルマイティアとして登志夫ヴィルヘルムと会敵する少し前のこと。
 このフロアに辿り着いてからしばらく周囲を探っているが、対峙する相手が現れる気配はない。
 それもそのはず、探索者たちは知らぬことであるが、この砂漠は30㎞四方もの戦闘領域が設定されている。
 地上において、いわゆる『地平線』までの距離が約5㎞弱であることを考えると、その広大さがお分かりであろう。
 このフロアにおいて、まず相手を発見すること自体が並大抵の道のりではないのだ。

「んーんんー……ここもか」

 掌を太陽に透かす。
 このフロアに足を踏み入れてから、自分の体から大きな力が抜けた実感がある。
 具体的に言えば、ウルマイティアの力だ。
 今の自分は、変身できない。この場に、この空間に、今悪がいないからだ。
 やはりヒーローの力は、無辜の市民相手には振るえない。
 それはいい。それ自体はサツキも納得している。ヒーローとはそういうものだ。
 しかし……。

「はぁ。ああーせめてスーツだけでも疾装出来たらなあ……!」

 流れる汗をぬぐいつつ、サツキがぼやく。
 そう、ヒーローの力がなければ、サツキはほぼ普通の女子大生! このギラつく砂漠の環境は、あまりにもきつい!

 そんな時であった。
 体の中に、風が吹いた。その感覚が戻ったのは。

「!? 来た……!?」

 彼女は弾かれたように砂の地平をみた。
 これは果たして偶然であったが、そこに『敵』がいた。この力で相対すべき『悪』が。その尖兵が。
 周囲の風景に溶け込む不可視の擬態を用いていたが、そこにはまさに『敵』がいて、彼女を狙っていたのだ。

「――疾装」

 自然、口が開いた。清冽な風が、そこに吹いた。


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 さて登志夫ヴィルヘルムであるが、彼はこのフィールドで敵を探すため、持ち込んだドローンを利用した。
 光学迷彩機能を搭載した、超高級モデル。それら数機を辺りに放ち、自分は簡易テントで日光を防ぎつつそれをモニタする。
 何て快適な索敵! 金がなければ不可能!
 果たしてターゲットは、ほどなくして見つかった。
 無人の砂漠を、一人行く女性。ドローンの一機が彼女の姿を捕えたのだ。
 長身でショートカット。足取りはやや鈍い。暑さに辟易しているのだろうか。
 このやるかやられるかのダンジョンにおいて、その姿はともすれば不用心にも見えた。
 登志夫ヴィルヘルムは若干の躊躇の後、機銃のトリガーに手を掛けた。
 相手はドローンに気付いていない。今撃てば……倒せる。
 初戦からこうした場面に遭遇したことは、ある意味幸運だった。今後もこうした展開はあり得るだろう。何より、貴重なチャンスを無駄には出来ない。悪く思うな……!
 その時だった。
 この閉ざされた世界に『悪』が誕生した。
 彼女が突如こちらを振り向いた。口が多少、動いたような気がした。
 その瞬間、ドローンのモニタがブラックアウト。破壊されたのだと登志夫ヴィルヘルムが悟った時には、サツキは既にその場にいない――!

 ウルマイティアの視力と感覚を持ってすれば、ドローンの光学迷彩などものの数ではない。蹴りで破壊した反動を持ってさらに高く跳躍。
 空中からの視界と第六感にも近い直感ですぐさま登志夫ヴィルヘルムを発見。
 彼方の空を一息で駆け抜け、到達と同時に拳を叩きこんだのだ。


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「貴様……ウルマイティアか」
(痛っ……つぅ……!)

 苦々しき瞳で登志夫ヴィルヘルムが声を発したその時、ウルマイティアこと正空寺サツキもまた、仮面の奥で顔をしかめていた。
 登志夫ヴィルヘルムに対し、左半身で構えるウルマイティア。
 拳を握る左手とは対照的、その体の影にちょうど隠れる位置に有る右腕は、だらりと垂れさがっている。
 肘と手首。二点の関節が外されている。
 登志夫ヴィルヘルムの『反撃』は、ドローンの銃撃だけではなかった。
 ウルマイティアの右腕に絡みついた瞬間、関節技を仕掛けていた!
 いかにウルマイティアがヒーローとして慮外のパワーと耐久力を持つとは言え、その人体構造は人間のそれ! 元来曲がらない方向に梃子の原理で力を加えれば、ダメージを与えるのは不可能ではない! 何という早業! これも月謝三百万を超える、ハイパータクティカルコーチの指導のお陰だ!
 戦闘時の興奮状態であれば、一時的に痛覚麻痺に近い現象も起こるだろう。
 だが冷静になればなるほど……いや、相手の『ウルマイティア』の言葉が、何よりサツキを現実へと『揺らし』た。
 ヒーローであった筈の自分が、悪とは言え一般市民に向け力を振るう。
 それによる非難、畏怖、動揺が入り混じった、相手の視線。声。
 何度経験しても……慣れない。自分は決意と覚悟を持って、このダンジョンにやって来た筈なのに……。
 だがサツキもさるもの、その動揺と、それが引き起こした右腕の痛みは、本当に一瞬だけだった。客観的には、ほぼ無かったと言ってもいい。
 しかし――。

「――シャアアアアーッ!!」

 その針の穴ほどの隙を、登志夫ヴィルヘルムは突いた!
 魔人の脚力で蹴り足を力いっぱい踏みしめ、バネのごとき勢いで一気にウルマイティアへと跳ぶ!
 飛び廻し蹴り! 値千金のカカトがウルマイティアへ迫る!

 素早いガード。
 防がれた。元より緩みの内にも入らない。先の攻防で直の接触は危険と判断し、風により弾くという念の入りようだ。
 だが登志夫ヴィルヘルムは止まらない。間断のない追撃をウルマイティアへ見舞う。

「ハッハァー!! どうしたどうしたウルマティア! その程度かスーパーヒーロー! ンン~~~それともォ? この文字通りダイヤモンド級の価値があるコンビネーションに手も足も出ないかァ!!」

 肘打ち、熊手突き、頭突き。振り上げ肘、手刀、鉄槌、膝蹴り、背足。
 裏拳裏打ち鉄槌肘打ち手刀左フック右肘両手突き右手刀左貫手!!

 嵐の如きコンビネーション。大車輪の連続攻撃。
 そして攻撃の合間合間、生き残ったドローンが不規則に銃撃で援護する。
 これが煩わしい。
 機銃とて馬鹿にできない。決定打にこそなりはしないが、クローズスカイ制式アサルトライフルだって当たり方によっては相応のダメージがあるのだ。手傷程度、姿勢を乱す程度のダメージは。
 ゆえに、普段は躱す。そこから繋がる致命的損傷を防ぐため、躱すのだ。
 しかし、敵の波状攻撃の合間合間に繰り返される銃撃。絶妙に体勢を乱すこの援護は、こちらの後手を強制する! 繰り返される敵の拳、蹴りに対し、先手を取って潰しに行くことが出来ない!
 ずきり。脱臼した右腕が警鐘を鳴らす。
 この敵は、自分を打破し得るだけの手段を持っている。肉体を変形させ、洗練された技術を持っている能力者。それは自分が思いもよらぬ部分から、致命の技を捻じ込んでくることを意味する。油断すれば倒される。
 危険な一手に出ることは出来ない。
 幸い、動き続けているのは敵の方だ。体力も無尽蔵ではない筈。集中しろ。凌げ。チャンスは必ずある――!

(――などと考えているんだろう!)
「ウルマイティアァ!!」

 登志夫ヴィルヘルムが吼える。
 事実、その通りだ。
 相手があのウルマイティアなら、単純に身体能力と出力の段階で、こちらに勝ち目はない。
 何せヒーローだ。地平線の向こうから一気に飛来してこちらを殴りつけて来る怪物だ。

「市民を守ってくれる我らがヒーローが、こんな所にいるとはどういうことだァ!? 『願いを叶える』ダンジョンにィ! 何か叶えたい秘密でもあるのかァ!?」

 常に先手を取り続けろ。
 相手にペースを渡すな。揺さぶれ。何としても付け入る隙を見つけ出せ。なければ作り出せ。叫びながら殴り続けるのは骨だし息も上がるが、どうせスタミナが尽きれば死ぬのだし、このままではそうして死ぬのだ!

「うっかり借金の保証書にでも判を押して、首が回らなくなったかァ~? ヒーローがそれはカッコ悪いよなァ? どうだ? 俺がその金、建て替えてやらんでもないぞ? 貴様の差し出す物は無論、このフロアの勝利……」

 ゴゥン! 風のブロック。そしてやや体勢の乱れたフックの反撃。捌くのは容易。
 ……違ったか。隙を作るなら、揺さぶるつもりなら、相手の『背景』にアクセスするのが手っ取り早い。緩めるな。畳み掛けろ。

「クローズスカイの撲滅か? それともいっそ世界の恒久平和か!? 頭の下がるヒーローぶりだよ、俺には真似できん!」

 ゴゥン! 抜けるような風の波が登志夫ヴィルヘルムの順突きを弾き飛ばす。
 登志夫ヴィルヘルムの身体能力は、魔人の中でも比較的高い部類である。その肉体から繰り出される格闘技術による攻撃は今やクローズスカイの戦闘型怪人をも上回る!
 ……多少反撃に力があったが、これも違うか。ウルマイティアのような輩はこの手の願いが強いと踏んだが、当てが外れるとは……。

「それともそれともォ! ヒーローであることに疲れてしまったかァ!? 背負った重荷を手放してしまいたいか!? いいぞいいぞ、俺は責めん! それも凡人の選択だァ!」

 ゴッ、ドゥン! 足刀と廻し蹴りのワンツーを、二つの風が蹴散らした。猛々しい風だった。青い空に、白の息吹が舞う
 ……近いか? だがそのものではない…………俺は、何をしているんだ? 戦闘中にべらべらと……いや、これは勝利への布石。奴の身の上など、その為の材料にすぎん……!
 みぞおちへの掌底を割り込んだ風が防ぐ! 顎への打ち上げを風が遮る!

「なるほどなァ! わかったぞ!」

 断じて、それだけだ!!

「身内が死にでもしたか?」

 ごぐり。

「――あ?」

 登志夫ヴィルヘルムの腹部に、拳がめり込んでいた。
 見えなかった。初動を感じ取れもしなった。あまりに流麗な、影が滑るような風の加速。
 ウルマイティアの素顔は仮面の奥。その相を、登志夫ヴィルヘルムは窺い知れない。

「きさ、ま」

 苦悶に歪む登志夫ヴィルヘルムの口から、血が流れる間もあらばこそ。
 強化繊維製のTシャツがボロボロに破れ散る。
 龍が天に昇るが如く叩きこまれた旋風が、登志夫ヴィルヘルムを空へと吹き飛ばした。

「ごふっ」

 空が青い。太陽がまぶしい。
 跳ね上げられた登志夫ヴィルヘルムに追撃を加えなかったのは、ウルマイティアに残されたヒーローとしての矜持か、それとも。

「――なるほどな」

 地に倒れ、天を仰ぎ見る登志夫ヴィルヘルムの表情は、晴れやかですらあった。
 ああ、認めてやろう。俺は奴に執着していた。ヒーローたるあいつが、こんな所に現れたのが信じられなかった。
 登志夫ヴィルヘルムに止めを刺さんと、ウルマイティアが迫りくる。
 だから戦闘中に、あんな非効率的な真似に出た。
 フン、認めてしまえばどうということはないな。
 そして、こんな重篤な傷を負ってまで引き出そうとした『それ』は。

「……ヒーローをやめるつもりか」

 ぽつり、小声で口から漏れた。
 ウルマイティアの足が止まる。強化された聴覚が、当然声も拾ったのだ。
 そう、それは帰結としてはそうなのだろう。
 だがその決意は、きっかけとなったそれは――。

「……ク、ククク」

 ふわり。二人の近くで、砂が舞い上がった。照りつける太陽の光も、心なしか弱まっている。

「ククククク……!」

 ごおう。ごおう……。
 恐るべき不吉を孕んだ轟音が、二人の耳にまで届き始めた。
 だが登志夫ヴィルヘルムは未だ仰向けになったまま。
 その口から零れる笑いは、止まることがない。

「ふざけるなよ……!!」

 その瞳の戦意は、未だ消えていなかった。


三『正空寺サツキの――』



 ――お姉様、発明に必要な心は、どんなものかお判りになりますか?
 ――んん? 何急に。心? う~ん、ひらめき……想像力とか?

 昔、わたしとチームを組んでまだ日が浅かった頃の話だ。
 ユエがそんなことを言いだしたのは。

 ――はい。勿論それは重要でございます。ですが……私は『愛』ではないかと思うのです。
 ――何か今までになかった新しいものを作り出すには、それを使った自分や誰かが豊かになるビジョンが欲しい。もっと言えば、それを使って助かる、喜んでくれる姿を見るのが嬉しい。私はその感情が『愛』ではないかと思うのです。
 ――へえ~、そうなんだ……あっ、じゃあユエが発明でわたしを助けてくれてるのも、愛ってこと?
 ――……え、ええ。そうなりますね。まあ、愛と言っても友愛や信愛など様々ありますが……。
 ――ふ~ん……ふふっ、そっか。ありがとね、ユエ!

 ユエが、自分のやっていることを熱弁してくれたのは、後にも先にもその時だけだ。
 でもそう語ってくれた、ユエの眼は、すごく真摯でまっすぐで。
 本気で調べてくれてるんだろうなってことだけは伝わって来た。

 ――実際、お姉様には感謝してもし切れません。
 ――助けて頂いたのは勿論ですが、私の発明に、こうして方向性を与えてくださいました。
 ――お姉様と出会う前、ただ『そう出来るだけの力があるから』創っていた発明品すら、今造り出す品の礎となっています。
 ――私、本当に毎日が楽しいんですよ。

 ユエはいい友達で、いつもわたしのことを助けてくれて。
 今使ってる装備も、ユエが作ってくれた物がたくさんあって。
 けど。
 ――だから!

 ユエがいなくなって、気づいちゃったんだ。
 ううん、今迄だって、ずっと気づかないふりをしてきたのかもしれない。
 わたしが世界に強いて来たのはこれだ。
 この悲しみを、苦しみを、わたしの能力は今までずっと世界中に強いて来たんだ。
 もう見ないふりは出来ない。
 この摂理の残酷の責任を取らなければならない。

 クローズスカイが出した被害を復元させたい?
 ううん、それでもわたしの能力で『悪』が生み出されることは止まらない。今ユエたちが戻って来ても、またずっと誰かが苦しむ。
 この能力を消してしまえば? 悪を生む部分だけを消してしまえば?
 それじゃあユエは、ううんユエだけじゃない。わたしの子供じみた願いのせいでみんなにつけた傷は、戻ることはない!

 だから。

『……最初から、わたしがヒーローになりたいなんて思わなければ、それで済む話だったんだけどね』

 わたしはこのダンジョンを勝ち抜いて、あの日……ヒーローごっこをしたがったあの日に遡って、わたしの気持ちを消したい。
 ヒーローになりたいと思ったわたしの気持ちをなかったことにしたい。

 わたしが今日までこの力で災害から救ってきた人たちの無事も、一緒に願おう。
 それで、みんな助かる。救われる。

 わたしも、クローズスカイが現れないこの世界の在り方も、きっと大きく変わってしまうけど。
 それでも、これから先、未来も危機に晒されるより、ずっとましだ。

 だからわたしは、このダンジョンで勝つ。
 ヒーローとして悪を倒すためじゃないから、戦う人相手に力を使えないこともあるけど……。
 使える時は、遠慮しない。

 ……ごめんね、相手の人。
 今までも、今も、私の勝手で振り回して。
 もうこれだけにするから。ここは、勝たせて。

 そうして、わたしは足を踏み出す。大の字で倒れてるあの人に向かって。
 今のこの戦いを終わらせるために。

「……ヒーローをやめるつもりか」

 足が、止まった。

「ふざけるなよ……!!」


四『ウルマイティアとヴィルヘルムの――』



「気に喰わん」

 二人の間に、砂塵が踊る。舞い上げられた砂が、太陽を覆い始める。
 登志夫ヴィルヘルムが、おもちゃの如く跳ね、起き上がった。

「気に喰わん気に喰わん気に喰わん!!」

 ……風とは、端的に言って空気が気圧の高い所から低い所に流れる現象である。
 轟音が大きくなる。二人の間だけではない。逆巻く砂塵が数㎢、いや十㎢を超える範囲で巻き上げられる。

「貴様に何があったかは知らんがなウルマイティア!」
「……っ? ……?」

 思い切り指を差してがなる登志夫ヴィルヘルム。
 対するウルマイティアはその剣幕に困惑するばかりだ。

「認めてやりたくはないがウルマイティア! 俺は貴様(・・・・)に憧れを(・・・・)感じていた(・・・・・)!」

 今日、この砂漠と言う空間で、ウルマイティアは戦闘に空中疾走に、とかく“風”を発動した。結果、今この領域の気圧はめちゃくちゃに乱れている。

「十ウン年も前からずっと! この現実の中、独りでクソみたいな“悪の秘密結社”と戦って! その折れない孤高の姿に、俺は気高さを見た! 俺は……っ」

 登志夫ヴィルヘルムが言葉を切った。
 心底からの悔しさが、瞳に宿る。

「俺はその姿に力を貰っていたんだ……! だから、貴様……ええい、上手く言えん!」

 頭を掻きむしる登志夫ヴィルヘルムが、再び指を指す!

「とにかく責任を取れ! 俺は許さん! どうしてもと言うなら……せめて俺に引導を渡されろ!!」
「は……」

 困惑の極みである。
 この日、ウルマイティアが初めてコミュニケーションらしき肉声を発した。

「はぁ!?」

 こいつは、この人は何を言ってるんだ。
 そんな勝手なことを! ヒーローとは言え、誰か他人に対しそんな勝手なことを!。

「な、めちゃくちゃ言ってな」

 ウルマイティアの抗議を、突風がかき消した。
 ……今、この領域の気圧は乱れに乱れている。それは、新たな風の発生を意味する。
 地の底から響くような、巨大な怪物の彷徨のような轟音が、遂に臨界に達する。
 数m先も見渡せない砂の帳が二人を襲う! 容赦なく体を打つ砂の礫が二人を覆う!
 砂塵嵐である!!

「来ォい!!」

 登志夫ヴィルヘルムが手をかざすと同時、ウルマイティアの背後のドローンが跳ね飛んだ。
 飛来! ウルマイティアに向かって斉射を続けつつ、彼女を追い越し、登志夫ヴィルヘルムの元へ向かう。
 登志夫ヴィルヘルムが跳ぶ。そして……おお、二機のドローンが左右の足の下に一機ずつ滑り込む! 足裏からテープを展開、固定!
 まさに『合体』状態となったではないか!

「ハァーッハッハッハ!!」

 飛翔! もはや周囲全てを灰色で包む竜巻の頂点へと駆け上がり、登志夫ヴィルヘルムが下界を睥睨する!
 背中にはいつの間にやらドローンが回収して来た万能布! まるでマントのよう!
 頭部を覆うはゴーグルサングラスと、砂塵避けも兼ねて頭部全体を覆えるよう切り裂いた万能布!さながらマスクのよう!
 見下ろす先は……青き烈風ウルマイティア!

「最早貴様なんぞに頼らん! 夢を見るのもやめだ! 貴様がやらんのなら、クローズスカイなど俺が金の力で磨り潰す!」
「なっ……!」

 ウルマイティアは二の句が継げない。
 何だろう、この人……支離滅裂だ! 恰好も言ってることもすごくアホで……何だかめちゃくちゃ腹が立つ!
 ――でも何となく、少しだけわかるような気がした。

「そしてその暁には貴様! ウルマイティア! いいやどこの骨とも知らんエセヒーローよ! 貴様にも目に物見せてやる! 何としても貴様の前に立ちはだかり希望を奪う巨悪に(・・・)なって(・・・)くれる(・・・)!」

 砂の嵐を切り裂いて、風の砲撃が天を打った。
 一瞬訪れる静寂。

「……フン」
「言わせておけば……っ!」

 すぐに砂嵐は元の形を取り戻し、巨大な渦を巻き始める。
 自分のすぐ傍を通り過ぎた風の一線を尻目に、ヴィルヘルムは涼しい顔だ。

「――フハハハハ! 愚かなるウルマイティアよ! 貴様にも怒りなどと言う上等な感情が残っていたのか!」

 その姿はまるで、そうまるで悪の――。

 ウルマイティアがほぼ直上へ空気を駆け、飛んだ。
 一瞬で登志夫ヴィルヘルムと同高度へ到達。すぐさま加速をつけた蹴りを――。

 DADADADADADA!

 その姿勢が崩された! これは!?

 嵐の中に、多量の光点が灯る。
 これは……ドローン!

「なっ……」
「ハァーッ!」

 怯むウルマイティアへ登志夫ヴィルヘルムの一撃!
 いつの間にやら握られていた(今視線がそれた瞬間に体内から引き出した)特殊警棒だ!

「油断大敵だぞウルマイティア! 貧乏人は手勢も用意できないから大変だな!」

 総動員されたドローンが砂嵐の中、大渦のように機動し、間断ない射撃をウルマイティアにお見舞いする!
 登志夫ヴィルヘルムは上下に移動し、隙あらば警棒を叩きこむ!

「このっ……さっきから知った様なことばっかり! そっちこそ一体なんだっていうの、さぁ!!」

 全身から風。
 登志夫ヴィルヘルムを吹き飛ばし、手近なドローンを鉄屑へと変えた。

「知らんだと? ウルマイティアクンは一般庶民かァ~? 上流階級の階級の常識は苦手と見える!」

 そういうことではない! だが登志夫ヴィルヘルムは最早止まらない!

「聞け! 俺こそが財界の新星! 天……いやいや、これから貴様の如きヒーローになり変わろうというものが本名と言うのも芸がないな……!」

 警棒を捌き、風の蹴りを返す。
 危なげなく躱し、『それ』は宣言した。

「俺はヴィルヘルム! 貴様を呑み込むヴィラン、“ヴィルヘルム”と覚えておけ!」
「そんな子供みたいなこと!!」
「ヒーローなんぞやってる貴様に言われたくはないわ!!」


 ――そう。そうだ。

 子供みたいなこと。
 自分はともかく、相手は見た目も言動もとにかくチープで。
 ううん。ひょっとしたら二十を超えてもこんなことしてる自分だって。

『わ、わたしもヒーローやりたい!』
『それで“あくのひみつけっしゃ”とたたかうんだもん!』


 そう、これはまるで――。


『ムリだよ。オレたち、けっこうマジで戦うもん』
 ヴィルヘルムもマジだ。だがムリではない。

『それでケガとかさせたら、他のジョシに怒られるし……』
 今更ジョシに怒られるのも気にしない。ヴィルヘルムは悪だからだ。

『帰りの会でツルシアゲにされるかもしれない……』
 役員会議でもなければ、吊るし上げなどない! 金があるから!

 自分は今、あの日受け入れてもらえなかったヒーローごっこをやり直しているのだろうか。
 そうではない。自分は最早本物のヒーローだ。
 相手のヴィルヘルムだって、そんな気持ちは更々ないだろう。
 だが。
 けれど。

 ――ごめんね、ユエ。
 ――この時のわたしの顔は、少しだけ笑ってたかもしれないんだ。

「ハァアアアアーッ!!」

 ウルマイティアが、“空を”蹴った。
 否、蹴ったのは砂嵐、灰色の壁だ。

 三角飛び。あるいはピンボール。そんな表現が相応しい。
 砂嵐を壁として、それを蹴って跳ねまわる! そして蹴る度に指数関数的に加速がつき、同時に嵐が蹴散らされていく!

「しまった! これは……!」

 ここに来て、ヴィルヘルムが始めて慌てた。
 嵐が剥がされていく。そこに潜むドローンも破壊されていく。
 初動を潰し損ねた。最早目で追えない。
 手勢のドローンの最後を破壊し、嵐の直上へとウルマイティアが姿を現した!
 これは!
 そう、今日までクローズスカイのあらゆる怪人を葬って来た、ウルマイティアの切り札にして奥義!
 見よ! 太陽を背にして宙を舞う影を!
 空中は既にして彼女の領域。無慈悲なる猛禽のごとき視線が、孤独の悪党を獲物と定めた。

 そして追った! 超自然の加速によって!
 連続で風を上方へ噴き出し、その度に速度を増し、その足先が敵の胴へと狙いを定める!

「く、クククク……」

 すさまじい速度で迫る『死』にヴィルヘルムが相対する。
 しくじった。これが避けられえぬ敗北か。
 ……敗北?
 否! そんなわけがない。俺はヴィルヘルムだ。たった今、こいつとクローズスカイを倒す、巨悪となることを宣言した悪鬼だ。
 ならば怯むな、堂々と立ち向かえ。
 俺は、いつだって金と己の力で困難に立ち向かって来た登志夫ヴィルヘルムだ!

 ウルマイティアが、空を駆ける。
 ヴィルヘルムが、天へと向かう。

「ヴィルヘルムーッ!!」
「ウルマイティアアァーーーッ!!」

 ウルマイティアがなお加速! 弾丸の速度! 青と灰を切り裂き、青銀の流星となって、今ヴィルヘルムへ……!

 疾装が、解けた。
 青き烈風ウルマイティアは、一瞬にして正空寺サツキへと戻っていた。

「――ッ!?」

 サツキの混乱も、無理からぬことと言えよう。
 しかしこれは。


 ――『悪』とは何か?
『自分より弱い相手を、自分の為だけに騙したり、影から殴るのは悪いことだと思う』
 そう、悪を討ち倒すのがウルマイティアの在り方である。


 ならばこの時、今の登志夫ヴィルヘルムの在り方は。

 止まらぬヴィルヘルムの拳が、サツキへ迫る!

「…….ヤアァァーーーッ!!」

 だが動揺も一瞬のことだった。

 スーツを着ていないサツキの能力は、荒事慣れした一般人程度のものでしかない。
 だがそれだけだろうか。
 スーツを着ていたとしても、その力を持って十余年上銀河の侵略者相手に戦い続けて来たのは、正空寺サツキ本人なのだ。
 スーツを着ていずとも、長い時間を人々のために戦ってきた度胸と勝負強さがサツキにはある! 空中での姿勢制御も、慣れたものだ!

 サツキがヴィルヘルムの手を掴んだ。まるで惑いのない動きだった。
 このまま、風に乗って一気に地面へ背負い投げる――!!

 ずるり、と。

 ヴィルヘルムの手首が落ちた。
 いや、違う。テープのように、手首の部分から腕が伸びる!
 TOSHIO☆SPIRAL PHENOMENON。
 本日まだ一度しか見せていない、ヴィルヘルムの魔人能力。
 サツキが二度目の反射を見せる!
 だが躱しきるより一瞬早く。
 顎先を捕えたヴィルヘルムの拳が意識ごとサツキを地へと撃ち堕とした。







 ――あああ、見つかってしまいましたか……こちら、私が発明を始めたばかりの頃に試作した三重亜元カーボン機構の防刃繊維スーツ、今となっては不出来もいい所なのですが。
 ――えーっ、そうなの? 軽いし伸びるし頑丈だし、いい感じじゃない?
 ――いえいえ、これが全然。他にもこんな物は色々ありまして。……ですが。
 ――こんな物でも、どなたかの役に立つのであれば、社会で使って頂くのもいいかもしれませんね。こっそり、データを買って頂ける企業がないか探してみましょうか。
 ――そうそう、愛だよ、愛!
 ――も、もう……。それにお姉様への発明品や二人でケーキを食べに行く時などの、資金にもなるかもしれませんし。
 ――おっ、ちゃっかりしてる~!

 この会話は、少しだけ昔の話。
 でも結局のところ、わたしはあの(・・)時点で大分動揺しちゃってたのかもしれない。
 そう、少しびっくりしたんだ。わたしが思いきり殴って、あのヴィルヘルムのシャツの下からスーツっぽい服が出て来たのを見た時。
 ……ウルマイティアの拳を二度も受けて、決定打にならなかったスーツ。
 ……ああ、あの時のスーツだ。
 あの時よりぐっとバージョンアップされてて、上等な感じになってるけど。
 ユエが創って、誰かに使ってもらおうと世界に送り出した発明は、確かに役立ってる。
 わたしに対しての愛だけじゃない。
 ユエの『愛』は世界に息づいて、受け継がれてる。
 わたしとユエが辿って、守ってきた世界で。

「う、ううう……」

 長野の青空だ。
 今度はわたしが大の字になっている。
 ……放りだされちゃったな。

「ううううう……!」

 ごめん、ごめんね。
 やっぱりこの世界をなかったことには出来ないよ。
 もう少ししたら、きっと立ち上がるから。
 昨日よりずっと、ずっと強いヒーローになるから。
 だからもう少しだけ、もう少しだけ見守っていてね。

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