プロローグ(冬知らずの魔女、カレン)

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プロローグ(冬知らずの魔女、カレン)


 自分の生まれた意味がはっきりと分かっている人が、この世の中にどれくらい居るだろう。
 政治家なら、国民の幸福のためとか、自分の信条とかがそれに当たると訴えるだろうか。
 あるいは芸術家なら、作品を残すためと言い切るだろうか。
 もしくは意味なんてないと否定するだろうか。

 私にとって、それは明白だった。
 生まれた時から決まっていた。
 やるべきことがはっきりしているのはいいことだと思う。



 ドイツ南西部、シュヴァルツヴァルト。
 常緑針葉樹が鬱蒼と茂るこの地は、その名が示す通り昼夜を問わず黒い森となる。
 総面積5180㎢にも及ぶこの森の中を、今、たった一人で歩む少女の姿があった。

 金というよりはオレンジがかった明るい黄色の髪を三つ編みにし、瞳の色は深いグリーン。
 目鼻立ちの整った小柄な美少女だが、服装は奇妙だ。
 とんがり帽子にワンピース、ショートパンツとロングブーツ。ハロウィン・パーティーの季節でもないというのにその全てが真っ黒で、クラシックな魔女の衣装を現代風にアレンジしたコスプレにしか見えない。
 しいて言えば足りないのは箒だけだ。

 更に奇妙なことに、少女は煌々と緑色の炎を灯すランタンを前方に掲げ、ひたすら同じ地点を歩き回っていた。
 道に迷っているにしてはその足取りに躊躇はなく、少女の表情にもそれほど焦りはない。
 明らかに自然のものではない炎の色は少女の周囲を照らし出し、不吉な絵画めいた光景を作り上げている。

「シアラン。大丈夫? 本当にこれで合ってる?」

 少女が小首をかしげて虚空に問いかけると、キイ、と軋むような音でランタンが鳴った。
 まるで返事をしたかのようなタイミング。
 少女は頷き、再び右往左往を繰り返す。

 そのうち、出し抜けに景色が変化した。
 少女の傍らには今まで影も形もなかった屋敷が出現している。
 それも煉瓦造りの地上五階建て。 列柱式(コロネード)のベランダも美しく、豪邸と言っていいほどの大きさがある。

「ああ、よかった。やっと開いた」

 少女はほっとしたように肩の力を抜いて呟いた。
 ランタンは再び軋んで鳴った。

 開いた、というのは結界の話だ。
 この屋敷は常人が偶然迷い込むことが無いよう封印がなされており、特定の歩調で特定の方角へ進む手順を繰り返さなければ目視すらできない。
 少女は正しい手順を踏み、この家に入る資格を得た。
 それを証明するかのように玄関の扉はひとりでに開いた。



 玄関から入るとすぐ、吹き抜けの広いエントランスホールに出る。
 高い天井の付近には一応明り取りの窓が設けられているが、森の中では差し込む光も少ない。
 少女は相変わらずランタンを灯したまま、きょろきょろと辺りを見回しながらエントランスホールの中央まで歩み進んだ。

「おいガキ。どうやってここに入った」

 突然男の低い声が響き、少女は足を止めた。
 声の主はエントランスの奥、一階から二階へ通じる階段の手すりの上に腰かけているが、その姿は影になっていてよく見えない。

「ここはお前みたいなガキが来る場所じゃねえ。出てけ」

 荒々しい語調に低い唸り声が続いたが、少女は腰に手を当てて朗々とよく通る声で挨拶した。

「私はカレン。大魔女ヴェナリスの娘、カレンよ」

 ヴェナリスの名を聞いた瞬間に男は階段の手すりから飛び降り、狼の顔を見せた。
 比喩ではなく狼そのものの顔である。
 男の上半身は真っ白な獣毛に覆われており、背後ではふさふさした長い尻尾が揺れていた。

「ヴェナリスの娘だと……?」
「初めまして。皆殺しの悪魔、グレイタウルさん」

 カレンはぺこりとお辞儀をし、名を呼ばれた狼男は肩を怒らせてそこへ近づく。
 グレイタウルの身長は2メートル以上あり、筋骨隆々の身体は横にも広い。華奢なカレンなど一口で首を食いちぎられそうなほどの体格差だ。
 しかしカレンは、獣臭い息が顔に吹きかかる距離まで近づいても全く物怖じする様子はなかった。
 グレイタウルはそんな彼女の様子を間近でじろじろと眺め、ふん、と鼻をならした。

「確かに似てなくもねえな。さっさと帰ってクソ魔女に言え、封印した俺に用があるなら自分で直接来いってな」
「んー、それがね。ママはちょっと出かけてて」
「知るかよ」
「この話長くなるんだけど、お茶の準備をしてもいい?」
「すんな、ボケ」
「お茶うけも持ってきたんだよね。シュトーレン」
「時期じゃねえだろ、何だそのチョイス。ドイツに対するイメージが貧困なんだよ……つーか、出さなくていい!」

 次第に会話のペースを握られつつあったグレイタウルは慌てて吠えたが、カレンが取り出したのはお茶やお菓子ではなく一枚の大きな写真であった。

「これ見てくれる?」

 グレイタウルは差し出された写真をひったくるようにして奪い、眺める。解像度が低くはっきり映ってはいないが、それは長く尾を引く流星の写真のようだった。

「何だこりゃ。流れ星か」
「ううん。それ、ママだよ」
「ア?」

 グレイタウルはもう一度その写真を眺めた。
 流星の中に、どことなく顔や手足のようなものが見て取れなくはない。

「……これがクソ魔女?」
「そう。たぶん直径15㎞くらいだって」

 理解が及ばず、グレイタウルはぱちぱちと瞬きをした。

「何を言ってる?」
「その写真を念写で撮影したのは佼魔協会の偉い人で、まあ、撮った直後にママの遠隔呪殺で死んじゃったんけど」

 佼魔協会は、既存の魔法関連組織に組み込まれなかったはみ出し者が寄り集まってできた世界的なネットワークだ。
 かつては大魔女ヴェナリスも所属していた。
 グレイタウルもそこまでは知っている。

「アアアア! ワケがわからねえ! 順を追って説明しやがれ!!」
「聞いてくれるのね。ありがとう」

 待っていましたとばかりに、カレンはにっこり笑って説明を始めた。





 天才であり天災。世界一甘美な毒。異端にして深奥。暗黒の太陽。
 我儘で愛らしく、頭脳明晰な破天荒、最もお近づきになりたくない女神。
 大魔女ヴェナリスを知る者は彼女をそのように評する。

 だがしかし、悪しざまに罵りながらも、人々はどこかで彼女を認め、彼女に期待をしていた。あるいは彼女ならばやってくれるのではないかという身勝手な期待だ。
 それはすべての魔法使いの欲求、すなわち魔法の根源の解明だった。

 魔法という奇跡のような力がどこからどうやって来たのか。何から生まれたのか。大小の差はあれど、これを解き明かす事に惹かれない魔法使いは居ない。
 ヴェナリス自身にもそれを求める意識はあったという。

「それでママはとうとう、宇宙の果ての果てに、最初の魔法使いらしきものを見つけたわけ。三ヶ月くらい前かな」
「ハハハ。読めたぜ」

 乾いた笑いを上げ、つかつか歩いて、グレイタウルは乱暴にソファに腰を下ろした。

「クソ魔女はそいつに会いに……いや、違うな。そいつと戦いに行ったんだろうよ。自分の方が上だってな」
「よく分かってるねえ。さすが、ママの古くからの仲間」
「別に仲間じゃねえ」
「それで、多分その何かに負けて、ママはこうなっちゃったわけです」

 カレンが再度先ほどの写真を見せると、グレイタウルはくっくっと低く押し殺した声で笑った。

「おかしい?」
「ああ、笑うしかねえ。あのクソ魔女め。なまじ力があったもんだから、調子に乗って、自分の手に負えないモンにちょっかい出して、その有様か! ざまぁねえな!」

 嘲笑に怒るでも悲しむでもなく、カレンは淡々と話を続ける。

「協会の偉い人が言うには、今のママはエネルギーの塊みたいな状態になっていて、話をするのは無理なんだって」
「ああ、そうかい。別に今更話す事もねえよ」

 顔を逸らされても、前方に回り込んでカレンは話を続ける。 

「でね。ここからが大事なんだけど、ママはこんなになっても帰ってこようとしてるんだよね」
「……あ?」

 急に話の内容が変わった。
 それでも、カレンは友達と世間話をするような気安さで話し続けている。

「どんどん近づいてきてて、あと八日くらいで地球に帰ってきちゃうんだよ」
「……わかりやすくまとめろや」
「あと八日で、巨大なエネルギーの塊になったママが地球に降ってきて、世界が終わりそうの巻!」
「ちょっと楽しそうに言うんじゃねえーッ! どうすんだよ!」

 グレイタウルはびたんと尻尾で床を叩く。

「ああ、クソ! こんな話、聞く前に追い出しときゃよかったぜ!」
「助けてくれるでしょ。ママの昔の仲間で手伝ってくれそうなの、グレイタウルさんだけなんだもの」
「何だそりゃ、ふざけんな! 俺はそんなお人よしじゃねえんだが!?」

 腕組みしてうろうろ歩き回るグレイタウルの尻尾はせわしなく揺れ、カレンはそれを目で追っている。

「手伝うって、お前、どうにかできんのか。ヴェナリスの娘ってことは相当の魔法が使えるのか」
「ええと、実は私、魔人堕ちしちゃってて」
「最悪だ! バーカバーカ!」

 魔人堕ちは、魔法使いが魔人に覚醒した際にごく稀に起こる現象だ。
 魔力の循環に不可逆的な不具合が生じ、高度な魔法が軒並み使えなくなる。
 魔法使いとしては「一生ポンコツ」の烙印を押されたに等しい。

「あ、でも、薬草の調合は得意だよ。ママから教わった秘伝のレシピ、九つの薬草を使えば、大抵の怪我や病気は」
「治るのか?」
「……三日くらいかかるけど」
「話にならねえ! 協会の重鎮どもは何をしてやがる!」
「帰ってくるママを利用するか殺すか滅びを受け入れるかで、絶賛内輪もめ中」
「アアアアア! 人間は愚かだなァ!」

 ひとしきり叫んで疲れたのか、グレイタウルは腰を下ろしてため息をついた。
 律儀な反応にお人よし感が漂っている。

「そんなに悲観しないでよ。一応、いいニュースもあるんだよ」
「へえ。そりゃ楽しみだ」

 それからカレンが語ったのは、SuperSpaceダンジョンなる不可思議な迷宮の話だった。
 日本。長野県某市。
 探索者は1対1の戦いを要求される。
 4戦ほど勝ち抜けば、どんな願いでも一つだけ叶えられる。

 話が進むにつれ、最初は白けきって頬杖をついていたグレイタウルも次第に神妙な顔つきになり、最後は身を乗り出すようにして聞いた。

「どう? この願いを使えるなら、まだ望みはあると思うんだけど」
「胡散くせえ話だが、賭ける価値はあるかもな。昔……すげえ昔に、同じような迷宮の話を聞いた覚えがある。ギリシアだかどっかで」
「へえ。ナガノケンじゃないんだ」
「同じ奴が作ったのかもしれんし、誰かが移したのかもしれねえ……いや、問題はそこじゃねえ」

 グレイタウルは再び立ち上がった。

「いいか、クソガキ。まず俺はここから出られねえ。お前のクソ母親が施したクソ封印のせいでな」
「クソ、多くない?」

 カレンの抗議をグレイタウルは無視。

「次に。もし仮に出られたとしても、その迷宮は1対1で戦うんだろうが。俺が戦ってる間お前は何してんだ。遊んでるつもりか?」

 その質問は予想済み、というようにカレンは人差し指を立てる。

「私の魔人能力、『伏魔のリートゥス』は。賭けをして勝てば、悪魔を道具に変えて使役する事ができるの。このシアランみたいに」

 カレンが床に置いたランタンがキキッ、と鳴るのをグレイタウルは目を細めて眺めた。

「妙な気配だと思ったが、そいつもザコ悪魔だったか……で?」
「調べたんだけど、道具に変身した状態ならこの結界からは出られるみたいだよ。迷宮でも一緒に戦えるんじゃないかな」
「ほーお。お前はこの俺を道具にして従えると?」
「うん。箒になってくれると嬉しいな。箒があれば空も飛べるし」

 にこにこと笑うカレンは、グレイタウルが怒りで体をぶるぶると震わせているのに気が付いていないのか、それとも気が付いていないふりをしているのか。

「おう、ガキ。悪魔には悪魔の誇りってもんがあんだ。お前に従えば外に出られるとしても、このままここに居たらあと八日で死ぬとしてもなァ」

 ギリギリと牙を剥き、皆殺しの悪魔が顔を近づける。

「お前みたいな、何の力もねえ弱っちいガキに下僕として使われるなんて、死んでもごめんだぜ!」

 カレンはその言葉にうんうんと頷き、今度は元気よく指を三本立てて示す。

「力を示せばいいのね。じゃあ、あなたの攻撃で私が傷を付けられなければ、私の勝ち。チャンスは三回。それでどう?」

 ぴくりと狼の眉が上がった。

「……三回だと?」
「うん。あ、もしあなたが勝ったら逆に私があなたの使い魔になるよ。というか、能力の代償がそうなん……!?」

 風が吹いた。
 目を見開いたカレンの背後で、グレイタウルが苛立たしげに息を吐いた。
 駆け抜けた姿も、すれ違いざまに鋭い爪がカレンの右肩を切り裂いた動作も、全ては知覚できない速度で行われた。

「ナメんじゃねえ、ガキが。一発で充分……!?」

 今度はグレイタウルが目を見開く番だった。
 カレンの体には傷一つ付いていない。

「残り二回です」

 新たな声の主はカレンの頭上でゆっくりと目を開いた。





 黒いとんがり帽子に開いた目がきょろきょろと周囲を見渡し、きゅうっと挟まる。
 それは初めからそこに居たのだ。

「おお、おお、かわいいカレンの説明を最後まで聞かないとは、愚かな狼ですね。頭が獣なら知性も獣並みというわけですか?」
「こら。フェリテ、口が悪いよ」

 カレンが帽子を押さえて、めっと小声で注意すると、フェリテと呼ばれた帽子は素知らぬ顔で(目がついた帽子の素知らぬ顔というのは実に想像が難しいだろうが)沈黙した。

「フェリテだと……チッ、そういうことかよ。わざわざ攻撃に三回の制限を付けたのは」

 グレイタウルが知るフェリテは、『甘やかしの悪魔』だ。
 日に三度まで、あらゆる苦痛や衝撃から契約者を守る力を持っている。
 帽子に姿を変えてもその能力は健在らしい。

「理解できましたか、駄目狼。私は残り二発の攻撃も完璧に防ぎきることができます。つまり、あなたはもう賭けに負けているのですよ」
「クソが……!」

 楽しげなフェリテとは正反対に、グレイタウルは不快感を隠しもせず床に唾を吐き捨てた。
 もしもカレンがチャンスを一回に絞ったら、さすがにグレイタウルは罠を警戒していただろう。
 チャンスは三回と言われたことで、無意識に気が緩んでいた事に気が付いたのだ。

「だから俺は魔女ってやつが嫌いなんだ。いつも後出しで話をひっくり返して、隠してたわけじゃなくて言ってなかっただけだ、ときやがる!」
「そりゃ、体は悪魔より弱いもん。策も弄するよ」

 カレンは悪びれた様子もなく肩をすくめる。

「おお、哀れな狼よ。言っておきますが私を取り外そうとしても無駄ですよ。今はカレンと霊的に一体化していますので」
「えっ、それ知らなかったよ。やだ。なんか怖い」
「おお、おお、かわいいカレン。どうか我慢してくださいね。あなたを守るためなのですから」
「ごちゃごちゃうるせえ!」

 噛みつかんばかりの勢いで、グレイタウルは二人の会話に割って入る。

「おいガキィ! 他に契約している悪魔は居ねえだろうな! 居るんだったらこの賭けは不成立だ!」
「シアランとフェリテだけだよう。あとはあなたと契約したら、それが私の限界」

 魔人能力者は理屈を超えた部分で己の能力を詳細に把握している者が多い。
 この証言が虚偽という可能性もあるが、少なくともグレイタウルは納得した。
 前提条件に嘘をついても儀式が有効ならばとっくに勝負はついている。

「俺と契約したら、だと? そうはならねえよ」

 丸太のような腕が、お姫様抱っこの要領でカレンを抱え上げる。

「わっ、やっ、何?」
「おお、何をしていますかこの破廉恥狼! 今すぐカレンを離しなさい!」
「フェリテよぉ。てめえが消せるのはダメージだけだろ? だったらこうすりゃいいんだろがぁああああ!」

 突如、グレイタウルはカレンを天井に向かって放り投げた。
 彼の言った通り、フェリテが消せるのはあくまで契約者のダメージのみ。
 強制的に移動させられるのを防ぐことはできない。
 カレンの147㎝の体は、砲弾のような勢いで天井へ激突した。

「残り一回です……!」

 激突のダメージを消したフェリテの声に余裕はない。
 昇ったあとは、当然落ちる。
 五階建ての建物。吹き抜けで作られたホールの、天井から落ちる。

「お前がそこから下に落ちるのは自然現象だ。俺の攻撃にはカウントしねえよなあ?」

 落ちる。
 下では鋭い爪を構えてグレイタウルが待ち構えている。
 先ほどカレンは箒があれば空を飛べると言った。裏を返せば、箒が無ければ空を飛べないという意味になる。
 あるいは、その言葉も偽りであったならまだ望みはあるが。

「下に落ちて、フェリテの力を使い切った瞬間に攻撃させてもらうぜ。傷が残っても恨むなよ」

 落ちる。
 落ちる。
 落ちる。
 カレンは成す術もなく落下した。
 グレイタウルは、最後に残った攻撃の権利を行使した。
 鮮血が舞った。

「……残り、ゼロ回です」

 能力の終了を告げるフェリテの声には悲しみが満ちていた。





 グレイタウルは爪を振り下ろした姿勢のまま動けなかった。

(なんでだ)

 指先一つも自分の意志では動かせなかった。

「ゲホッ、ガッ、ガハッ。賭け、は……ゲホッ! 私の、勝ち……うう、うっ!」

 激しく咳き込み、折れた歯と鼻血をこぼしながらカレンは笑った。
 右足と左腕は奇妙に捻じれている。
 しかし、グレイタウルの爪が狙った箇所には傷一つついていない。

「おお、おお、かわいいカレン。私は言われた通りにしました。しかし、なんと痛ましい」

 フェリテが嘆いている。甘やかしの悪魔にとって、契約者が傷つくのを黙って見ているのは拷問に等しい苦痛なのだ。

(このガキ……落下のダメージを消さなかった(・・・・・・・・・・・・・・)のか。そういう事もできんのかよ!)

 落下のダメージを消さなかったことで、フェリテの能力は一回分だけ残った。
 そこにグレイタウルは攻撃し、ダメージは無効化された。
 言ってしまえば単純な話だが、そのためにカレンが引き受けたダメージは即死一歩手前のレベルだ。
 明らかにグレイタウルが負わせようとした傷よりも大きい。

 それでも、カレンはグレイタウルの攻撃ではダメージを受けていない。
 グレイタウル自身が、落下のダメージは自分の攻撃ではないと宣言してしまったのだから。
 賭けは決着し、儀式が完成する。

「くっそぉおおおお!」

 グレイタウルの巨躯は瞬く間に窄まり、細い木の柄となる。ふさふさした尻尾がそのまま穂に変わる。
 獣面の悪魔は箒の姿となって床に直立した。
 その様子を見届け、帽子のフェリテは目を閉じた。

「おお、力を使い切りましたので私はしばし眠ります。見事な勝利、おめでとうございます。カレン」
「あり、がと……フェリテ」

 少し離れた床の上でシアランもキシリと鳴った。
 すっかり箒に変わったグレイタウルは、床にうずくまったまま咳き込んでいるカレンの傍に立っている。

「お前、馬鹿か? その怪我じゃどっちみち死ぬぞ。こんな場所じゃ助けも来ねえ」
「ん……ぐ、それは、大丈夫」

 痛みに顔を歪ませながら、カレンは無事な方の腕で自分のカバンの中を漁った。
 取り出した水筒の蓋を器用に片手で開け、中身を無理やり口に流し込む。

「九つの、薬草調合液。三日あれば、私は、動けるように、なる。お腹が空いたら……シュトーレンも、あるし。ゲホッ、ゲホッ」
「てめえ……!?」

 一体どこからどこまでがカレンの思惑通りだったのか。
 考えても分からないので、グレイタウルは思考を放棄した。
 放棄しつつも、一つだけ聞いておきたい質問があった。

「わからねえ。何故お前がそこまでする? 化け物になった母親の退治なんざ、誰か他の奴にやらせりゃいいだろうが」
「ううん。これは私の仕事。私がやらなければいけないこと。誰かに譲るつもりはない」

 カレンは言葉を途切れさせることなくきっぱりと言い切り、グレイタウルはそこに狂気に近い意思を感じ取った。
 いったい何が彼女をそうさせるのか、彼女が大魔女ヴェナリスの娘であるという以上の理由がありそうな気がした。

「でも、今の私じゃ、ゲホッ、力が足りない、だから……ちょっとだけ、力を、貸してね。箒の、グレイタウルさん……」
「けっ。こうなっちまったら、どうせ拒否権なんかねえだろ!」

 グレイタウルはイライラして歩き回っているのだが、体が体だけに、勝手に床を掃き掃除するような動きになっている。

「あ……っ!?」
「今度は何だよ!」
「ケホッ……おトイレの、こと……考えて、なかった。どう、しよう」

 ここへ来て初めて絶望的な表情を浮かべるカレンの姿にグレイタウルは頭を抱えたくなったが、箒になったせいで抱えるための腕がないので諦めた。

「おい。今回はしてやられたがな、悪魔ってのは嘘をつくもんだ。裏切られて泣かねえように気を付けるんだな」
「それは、魔女も同じ……だよ?」

 それだけ言い返し、微笑を浮かべてカレンは気を失った。

【大魔女ヴェナリス 地球到着まであと8日】


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