プロローグ(萩原セラフ)
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プロローグ(萩原セラフ)
「……萩原さん。あなた、クラスに馴染めていないの?」
放課後、席に残っていた萩原さんに話しかけてしまったのは、何故だったのだろう。
程度の低い同級生と同じように思われたくなくて、優秀な成績であるよう努力をしてきた。
それでいて人から憧れられるように、容姿にも気を使ってきたつもりだった。
程度の低い同級生と同じように思われたくなくて、優秀な成績であるよう努力をしてきた。
それでいて人から憧れられるように、容姿にも気を使ってきたつもりだった。
ろくに話したこともない、クラスでの立ち位置もかけ離れている彼女とは、最後まで関わらないまま終わるのだろうと思っていたのに。
「私で何か相談に乗れることがあればいいのだけれど」
……まるで親切な優等生のようなことを言いながら、彼女のことを本気で心配しているわけでもなかった。
透き通った、薄い色のビー玉のような片目が、私を見上げる。
私の心の内を見透かしているようだった。いつも。
透き通った、薄い色のビー玉のような片目が、私を見上げる。
私の心の内を見透かしているようだった。いつも。
「平気よ。特に不便は感じてないわ」
「不便って……でも」
「不便って……でも」
まばたきをしない瞳が、じっと見つめた。
数学の時でも、体育の時でも、彼女の表情はずっと、感情の読めない氷の仮面だ。
数学の時でも、体育の時でも、彼女の表情はずっと、感情の読めない氷の仮面だ。
「それに、私は魔人だもの」
「え……」
「え……」
帰り支度をしながら、何気なく告げるような話ではなかった。
萩原さんではなく私の方が恐れて、周囲を見回した。
……他に聞いている者はいない。薄暗い教室に、私と、萩原さんのふたりだけだ。
萩原さんではなく私の方が恐れて、周囲を見回した。
……他に聞いている者はいない。薄暗い教室に、私と、萩原さんのふたりだけだ。
「萩原さん。その、あまり冗談を言ってはいけないと思うわ。相手が私だからよかったけど……」
「どうして?」
「どうして?」
萩原さんは、淡々と尋ねた。
「阿内さんのお父さんは魔人排斥派の議員なんでしょう? 有名よ。クラスの子が話していたのを聞いたもの」
「そ、それは……そうだとしても、お父様と私は、別の人間でしょう。私は、魔人差別主義なんかじゃないわ。お、遅れた考えだもの……! 私達と同じように感情があって心があるなら……魔人だって尊重すべきだと、私は……私は、思うわ」
「あなたの思想は聞いていないわ。もしも私みたいな魔人と仲良くしていたら、あなたの家の問題になってくるから」
「そんなの……関係ないでしょう! 私は」
「そ、それは……そうだとしても、お父様と私は、別の人間でしょう。私は、魔人差別主義なんかじゃないわ。お、遅れた考えだもの……! 私達と同じように感情があって心があるなら……魔人だって尊重すべきだと、私は……私は、思うわ」
「あなたの思想は聞いていないわ。もしも私みたいな魔人と仲良くしていたら、あなたの家の問題になってくるから」
「そんなの……関係ないでしょう! 私は」
――私は。
そこで言葉が止まった。そんなことも関係なく、私はこの子と……仲良くしたい、ということになるではないか。
この高校で一年かけて、優等生のクラス委員長として立ち位置を築いてきた私が、特に成績が良いわけでもない魔人の転校生なんかと。
そこで言葉が止まった。そんなことも関係なく、私はこの子と……仲良くしたい、ということになるではないか。
この高校で一年かけて、優等生のクラス委員長として立ち位置を築いてきた私が、特に成績が良いわけでもない魔人の転校生なんかと。
「関係あるの?」
「いいえ……」
「いいえ……」
理不尽に思った。どうして親切に話しかけてあげた私の方が、恥ずかしい思いをしなければならないのか。
このクラスでの萩原セラフは……周りから向けられるどんな視線に対しても無神経で、自由だ。心のない氷細工みたいな彼女は、私とはまったく正反対のあり方だった。
このクラスでの萩原セラフは……周りから向けられるどんな視線に対しても無神経で、自由だ。心のない氷細工みたいな彼女は、私とはまったく正反対のあり方だった。
私はひどく痛々しい気持ちになって、もうそれ以上何も言わずに、教室を去ろうと思った。
萩原セラフに話しかけなければよかったとすら思った。
萩原セラフに話しかけなければよかったとすら思った。
「喧嘩しちゃだめナル!」
「え?」
「え?」
私達とは別の、高い声だった。
「萩原さん、何か聞こえた?」
「何も聞こえてないわ」
「何も聞こえてないわ」
萩原さんは真顔で嘘をついた。声は彼女の鞄の中からだった。
「セラフー! お友達とは仲良くしないといけないナルよ~!」
「あの……それ」
「何も聞こえてないわ」
「ナルル~ッ!」
「あの……それ」
「何も聞こえてないわ」
「ナルル~ッ!」
その直後、カバンの中から半透明の存在が飛び出した。
クラゲのような……子供の落書きのような、萩原さんの印象とはあまりにかけ離れた、変な生き物だった。
それはおばけのようにフワフワと空中を舞った。
クラゲのような……子供の落書きのような、萩原さんの印象とはあまりにかけ離れた、変な生き物だった。
それはおばけのようにフワフワと空中を舞った。
「それ。もしかしてそれが、魔人能力なの」
「……」
「ふ、ふふふふっ……それ。そんなのが、萩原さんの」
「……」
「ふ、ふふふふっ……それ。そんなのが、萩原さんの」
失礼だと分かっていても、笑いを止められなかった。安堵の笑いだった。
恐ろしい殺人鬼の能力だとか、理解の及ばない変態の能力だとかではなく、そんな能力だった。
世の中にはそんな魔人だっていることを、当然分かっていたのに。
恐ろしい殺人鬼の能力だとか、理解の及ばない変態の能力だとかではなく、そんな能力だった。
世の中にはそんな魔人だっていることを、当然分かっていたのに。
「ふふふふふふ、あはっ、ははははははははっ」
「笑わないで阿内さん。これでも気にしてるんだから」
「ナルナル~ッ」
「笑わないで阿内さん。これでも気にしてるんだから」
「ナルナル~ッ」
――どうして彼女が気になって仕方がなかったのか、今では分かるように思う。
萩原さんと同じように、私にもずっと友達がいなかったから。
◆
たとえば接触対象が女子校に通う学生であるなら、そうした任務に就ける者はごく限られてしまう。
本当ならば萩原セラフのような若手ではなく、変身可能な魔人能力者であることが望ましいのだろうが、変身能力者はその覚醒経緯が本人の特殊性癖と結びついていることが大半であるらしく、潜入任務に無制限に投入できる者は極めて希少だ。
本当ならば萩原セラフのような若手ではなく、変身可能な魔人能力者であることが望ましいのだろうが、変身能力者はその覚醒経緯が本人の特殊性癖と結びついていることが大半であるらしく、潜入任務に無制限に投入できる者は極めて希少だ。
十六歳。セラフが年齢を誤魔化して学校に潜入できる期間は、多く見積もってもあと五年程度だろう。
「待たせてしまったかしら」
「いいえ。全然」
「萩原さんはいつも時間に正確ね」
「そうね。それだけが取り柄だから」
「いいえ。全然」
「萩原さんはいつも時間に正確ね」
「そうね。それだけが取り柄だから」
阿内礼子は、出会った頃よりも黒髪を長く伸ばすようになった。
一度理由を聞いたことはあるが、笑って話題を逸らされてしまったので、それ以上踏み込もうと思うこともない。
一度理由を聞いたことはあるが、笑って話題を逸らされてしまったので、それ以上踏み込もうと思うこともない。
二人が友人になってからは、人目を避けるように、学校から一駅離れたこの喫茶店の片隅の席で会うようになった。
阿内は、テーブルの上を眺めた。
阿内は、テーブルの上を眺めた。
「……それ、折り鶴?」
「別に」
「別に」
セラフは目を逸らした。机の上には、折り鶴や、紙飛行機や、風船ウサギなどの、子供めいて他愛のない折り紙が並んでいた。
「大したものじゃないわ。学祭の飾り付けの余りをもらったの。気にしないで」
「でも、すごく綺麗に折れてる。器用なのね、萩原さん」
「こういうのが好きなの」
「ふふふ。意外」
「そうでもないでしょう?」
「でも、すごく綺麗に折れてる。器用なのね、萩原さん」
「こういうのが好きなの」
「ふふふ。意外」
「そうでもないでしょう?」
二杯目のコーヒーが冷めてしまう時間まで、セラフと阿内はとりとめのない話を続けた。
セラフは彼女の投げかける話題に淡々と答えを返すだけであったが、阿内がそうした会話を好ましく思っていることは分かっていた。
セラフは彼女の投げかける話題に淡々と答えを返すだけであったが、阿内がそうした会話を好ましく思っていることは分かっていた。
「……トイレに行ってくるわ。荷物を見ていて」
「うん。分かったわ」
「うん。分かったわ」
セラフは足元の鞄をテーブルの上に置いて席を立った。阿内がそちらを見た。席の横を通り過ぎる時、セラフの指先は阿内の椅子に吊られた鞄から携帯電話を掠め取っている。
足を緩めることなくトイレの個室へと入り、四桁のPINコードを入力し、ロックを解除する。
友人として、阿内の手元を横目で盗み見る機会はいくらでもあった。
その携帯電話から、すぐさま阿内の父へと発信をかける。
友人として、阿内の手元を横目で盗み見る機会はいくらでもあった。
その携帯電話から、すぐさま阿内の父へと発信をかける。
〈どうした礼子。最近帰りが遅いぞ〉
『娘さんの身柄を預かっています』
『娘さんの身柄を預かっています』
ボイスレコーダーから流している録音音声だ。
セラフ自身は、通話と並行して携帯電話内の前後二ヶ月のスケジュール帳の内容を確認し、電話帳の記載内容を手元の資料と素早く照合していく。
セラフ自身は、通話と並行して携帯電話内の前後二ヶ月のスケジュール帳の内容を確認し、電話帳の記載内容を手元の資料と素早く照合していく。
〈な……!〉
『これは録音音声です。こちらの指示に従っていただければ娘さんの無事を保証いたします』
『これは録音音声です。こちらの指示に従っていただければ娘さんの無事を保証いたします』
電話帳の中に、要注意団体の幹部の名を発見する。国家安全保障局が別ルートで把握していた人物名と一致する。
(これで一つ裏付けが取れた。几帳面な阿内さんなら、父親の関係者の連絡先も入れている可能性は高かった……)
接触している幹部の位置づけから、阿内議員本人から引き出すべき情報を特定できる。
ボイスレコーダーのトラックを切り替える。
ボイスレコーダーのトラックを切り替える。
『あなたが“真実の人道を考える会”からの資金提供を受けていることは把握しています。当該団体は現在長野県内において、大掛かりな反魔人テロを企図しています。化学兵器の保管場所及び輸送ルートについての情報を提供願います』
長野県某市において発見された正体不明の大空洞、通称“SuperSpaceダンジョン”。
最深部まで到達したという探索者の証言から、あらゆる願いを叶えるダンジョンであるというまことしやかな噂が流布されており――その完全制覇へと挑む数多くの魔人が集っている。
最深部まで到達したという探索者の証言から、あらゆる願いを叶えるダンジョンであるというまことしやかな噂が流布されており――その完全制覇へと挑む数多くの魔人が集っている。
大空洞及びその周辺都市は現在、希望崎学園周辺にも匹敵する魔人密度であり、当然、そうした状況を狙う過激派団体が存在することを安全保障局は掴んでいる。
“真実の人道を考える会”が目論んでいるのは、化学兵器による魔人の大量殺戮だ。
“真実の人道を考える会”が目論んでいるのは、化学兵器による魔人の大量殺戮だ。
〈お、お前は……魔人なのか?〉
『……』
〈それとも、公安警察か? もしもそうなら、違う……その、私は、そんなことまでするとは聞かされていなかったんだ。も、もしも止めてもらえるなら、私にとってもありがたい……! こんな血なまぐさいこと、魔人ごときのために、私の経歴に……〉
『……』
〈だが、そちらの素性だけでも……〉
『……』
『……』
〈それとも、公安警察か? もしもそうなら、違う……その、私は、そんなことまでするとは聞かされていなかったんだ。も、もしも止めてもらえるなら、私にとってもありがたい……! こんな血なまぐさいこと、魔人ごときのために、私の経歴に……〉
『……』
〈だが、そちらの素性だけでも……〉
『……』
録音音声を用いた受け答えを行っているのは、こちらから一切の情報を相手に与えないことを相手に理解させるためだ。
返答が返らないことで、さらに阿内議員の動揺が大きくなるのが分かった。
返答が返らないことで、さらに阿内議員の動揺が大きくなるのが分かった。
〈こ……答える! 分かった! 答える……!〉
阿内議員から得られた保管場所をボイスレコーダーに録音する。某県山中の化学プラント。
すぐに、頭の中の地図と照らし合わせる。
近い。一応は片田舎と言っていい県だが、この市内から出発しても二時間あれば到達できるはずだ。相手の団体にとっても危険物である以上、都市部から目の届きやすい保管箇所を優先したか。
すぐに、頭の中の地図と照らし合わせる。
近い。一応は片田舎と言っていい県だが、この市内から出発しても二時間あれば到達できるはずだ。相手の団体にとっても危険物である以上、都市部から目の届きやすい保管箇所を優先したか。
『ありがとうございました。情報が正しいことを確認次第娘さんをお返しいたします。関係者との連絡はそれまで控えるようお願いいたします』
トラックを切り替える。
『一日以内に確認します』
一方的に通話を切る。個室の鍵を開けて、やや高い位置の窓に、細身の体を滑り込ませる。
阿内礼子は……二度と戻らないセラフが戻ってくるのを、いつまで待ち続けるだろうか。
阿内礼子は……二度と戻らないセラフが戻ってくるのを、いつまで待ち続けるだろうか。
いつも人目を避けてセラフと会っていた彼女が今この店にいることを、他の誰も知らない。それを誰かに知らせる連絡手段もセラフがこうして奪っている。
……そして、席に残してきたセラフの鞄の発信機を追って、じきに安全保障局の職員が阿内の身柄を確保するだろう。
……そして、席に残してきたセラフの鞄の発信機を追って、じきに安全保障局の職員が阿内の身柄を確保するだろう。
半透明のクラゲがどこからともなく現れて、セラフに話しかけてくる。
「セラフ、礼子を置いていって大丈夫ナル?」
「大丈夫よ。余計なことは喋らないで」
「ナル……」
「大丈夫よ。余計なことは喋らないで」
「ナル……」
その後で阿内議員に約束した条件が守られるかどうか、阿内礼子がどのような扱いを受けるのか……単なる工作員にすぎないセラフが与り知ることではない。それはより戦略的な判断能力を持つ上が決定すべきことで、工作員が考えるべきことではないからだ。
「化学兵器の保管箇所に向かうわ」
「えっ!? 今からナル!?」
「今からだからこそよ。仮に阿内議員が約束を守って誰にも伝えなかったとしても、テロリスト側が音信が途絶えたことを怪しんで兵器を他に移送させるかもしれない。すぐに向かえる位置なら私が直行して、工作活動を行う。最初からそういう手筈よ」
「そういうことだったナル……あ! でも、早く確認できたら礼子も早く自由にナルかも!」
「……」
「えっ!? 今からナル!?」
「今からだからこそよ。仮に阿内議員が約束を守って誰にも伝えなかったとしても、テロリスト側が音信が途絶えたことを怪しんで兵器を他に移送させるかもしれない。すぐに向かえる位置なら私が直行して、工作活動を行う。最初からそういう手筈よ」
「そういうことだったナル……あ! でも、早く確認できたら礼子も早く自由にナルかも!」
「……」
走る。この喫茶店からほど近いスーパーの駐車場に、バイクを停めさせている。手際よくエンジンをかけ、バイクに収納されていた通信機に向けて、現状を端的に報告する。
「本部。こちらWG09、阿内議員よりの情報収集を完了。これより化学兵器の確認、破壊に向かう」
◆
化学プラントの存在する山中に、無灯火改造を施したバイクが入っていく。
日は既に沈んでいた。それを駆る少女は……魔人工作員、萩原セラフだ。
日は既に沈んでいた。それを駆る少女は……魔人工作員、萩原セラフだ。
「ナルナル~ッ」
彼女の魔人能力に付随する半透明クラゲも、触手で肩に掴まるようにして風にはためいている。
セラフ自身の意思で発言を制御できないため潜入捜査には不向きな存在であるが、能力本体の彼女にもこのナビゲーターを消去することはできない。
セラフ自身の意思で発言を制御できないため潜入捜査には不向きな存在であるが、能力本体の彼女にもこのナビゲーターを消去することはできない。
「速い! 暗い! 危ないナル!」
「黙ってて。……何かおかしい」
「ナル?」
「黙ってて。……何かおかしい」
「ナル?」
峠を越えた斜面の下方に、セラフは不穏なヘッドライトの光を見た。
この先には目的の化学プラントしかない。向かう光ではなく、街の方向へと戻ってくる光だ。
この先には目的の化学プラントしかない。向かう光ではなく、街の方向へと戻ってくる光だ。
セラフは路肩にバイクを駐車した。ハンドルの外付けライトを取り外し、林の中へと移動しながら本部へと通信を繋ぐ。
「本部。こちらWG09。現在プラント接触前。プラント方面から車両がこちら側に戻ってきている。状況に変化は?」
〈WG09。こちら本部。接触前に通信してくれて助かった。阿内議員が殺害された〉
「……殺害」
〈あちら側も議員に狙いを定めていたということだ。彼の流した情報が漏れている。十分に注意するよう願う〉
「ちなみに、作戦の中止予定は?」
〈ない。現在見えている車両の種類と数は〉
「夜間だからはっきりとは言えないけれど、乗用車が一台。トレーラーで運び出している様子はないわ――」
〈ならばそれは、情報を伝えて戻る連絡員だな。WG09。プラントを強襲し、化学兵器を破壊しろ〉
「……」
〈以上をもってこの通信機は処分するように〉
「了解」
〈WG09。こちら本部。接触前に通信してくれて助かった。阿内議員が殺害された〉
「……殺害」
〈あちら側も議員に狙いを定めていたということだ。彼の流した情報が漏れている。十分に注意するよう願う〉
「ちなみに、作戦の中止予定は?」
〈ない。現在見えている車両の種類と数は〉
「夜間だからはっきりとは言えないけれど、乗用車が一台。トレーラーで運び出している様子はないわ――」
〈ならばそれは、情報を伝えて戻る連絡員だな。WG09。プラントを強襲し、化学兵器を破壊しろ〉
「……」
〈以上をもってこの通信機は処分するように〉
「了解」
小さなため息とともに、セラフは通信機に着火し、崖下の川へと投げた。
これで今の持ち物に安全保障局との繋がりはなくなる。たとえセラフが殺されたとしても。
これで今の持ち物に安全保障局との繋がりはなくなる。たとえセラフが殺されたとしても。
「ナル! セラフ、あっちに――」
「黙って」
「黙って」
ナルナルが察知した人影を、セラフも当然に認識している。
駐車したバイクの存在をテロリストに見られた。先の乗用車の男がもたらした情報を元に、一足早く警備を強化していたに違いなかった。
駐車したバイクの存在をテロリストに見られた。先の乗用車の男がもたらした情報を元に、一足早く警備を強化していたに違いなかった。
(三人……四人。全員が銃。一人はサブマシンガンね)
反魔人団体の所属者は当然にその全員が非魔人であるが、だからこそ、彼らの思う魔人を仮想敵とした過剰なレベルの武装を保有しているケースが多々ある。セラフに限らず、大抵の魔人は拳銃一本だけで制圧には過剰なくらいだというのに。
恐れるからこそ、容赦を持たない。
プラントを用いた化学兵器製造も、きっと恐れが表出した一つの形なのだろう。
恐れるからこそ、容赦を持たない。
プラントを用いた化学兵器製造も、きっと恐れが表出した一つの形なのだろう。
暗闇の中でも、土地勘は敵の側にある。崖近くにいるセラフとの距離は少しずつ狭まっている。
追い詰められるよりも早く、セラフが自ら動く必要があった。ナルナルの口から手を離して、バイクから外した外付けライトを点灯する。
木の陰から、それをテロリストの一団の中へ投げ込んだ。
追い詰められるよりも早く、セラフが自ら動く必要があった。ナルナルの口から手を離して、バイクから外した外付けライトを点灯する。
木の陰から、それをテロリストの一団の中へ投げ込んだ。
「!?」
「くそっ、誰かがいるぞ! 誰――」
「くそっ、誰かがいるぞ! 誰――」
彼らが異変に気付く。立て続けの銃声はそれと同時だ。
テロリストが一人、胸を撃ち抜かれて絶命する。もう一人も体のどこかへと当たり、負傷して座り込んだ。
テロリストが一人、胸を撃ち抜かれて絶命する。もう一人も体のどこかへと当たり、負傷して座り込んだ。
「駄目だ、散れ! 明かりで照らされている!」
残る二人は素早く木々の間に隠れ、銃声の響いた方向を警戒した。足元に転がったライトに自分達が一方的に照らされていることに気付いたからだ。
その隙を突いて銃声が再び響き、負傷していた者の頭部を撃ち抜いて殺した。
残るは二人。
その隙を突いて銃声が再び響き、負傷していた者の頭部を撃ち抜いて殺した。
残るは二人。
「何か話しかけてないか?」
「すぐに止めさせろ。魔人のクズどもなら能力発動の条件の可能性がある」
「止めさせろってアンタ、俺が行くのか?」
「殺せ。マシンガンがあるだろう」
「すぐに止めさせろ。魔人のクズどもなら能力発動の条件の可能性がある」
「止めさせろってアンタ、俺が行くのか?」
「殺せ。マシンガンがあるだろう」
一人が先頭に立って、セラフの隠れる木陰へと近づいていく。動きはない。
その肩越しに、もう一人のテロリストが支援射撃の狙いを定めている。木陰からの声は聞こえ続けている。
その肩越しに、もう一人のテロリストが支援射撃の狙いを定めている。木陰からの声は聞こえ続けている。
「楽に死にたいなら、降伏してもいいんだぜ」
先の射撃は胴に着込んだ着込んだボディアーマーを貫通する威力があったが、先程の銃撃で少なくない数を撃ったはずだ。攻撃してこないのは弾が切れているためだろう。仮にそうではないのだとしても、既に声で潜伏箇所は明らかになった。
サブマシンガンという装備の差もある。少なくとも、二人がかりでの銃撃が可能な彼らが優勢。
サブマシンガンという装備の差もある。少なくとも、二人がかりでの銃撃が可能な彼らが優勢。
『……』
「おいおい、だんまりか? 何か話したいんじゃなかったのか?」
『これは録音音声です。こちらの指示に従っていただければ娘さんの無事を――』
「……!」
「おいおい、だんまりか? 何か話したいんじゃなかったのか?」
『これは録音音声です。こちらの指示に従っていただければ娘さんの無事を――』
「……!」
樹上から影が降った。それはサブマシンガンの男を組み伏せ、軍人以上の正確さで首筋にナイフをねじ込んで殺した。
「てめッ……」
後方の男の言葉も、それ以上は続かなかった。蜂の巣となって絶命した。
萩原セラフはそちらの方向を見ることもなく、男の手に握られたままのサブマシンガンの引き金を引いていた。装備の差であった。
萩原セラフはそちらの方向を見ることもなく、男の手に握られたままのサブマシンガンの引き金を引いていた。装備の差であった。
「あ、危なかったナル~」
「こいつらのミスよ。誰か一人を後方の見張りに残していたら、もう少し不利だったわ。バイクを見つけた時点で、応援を呼ぶべきだった」
「こいつらのミスよ。誰か一人を後方の見張りに残していたら、もう少し不利だったわ。バイクを見つけた時点で、応援を呼ぶべきだった」
所詮はテロリストだ。戦闘者としては相当なレベルであっただろうが、駐車されたバイクが、自分達を逆に包囲しようとする者の罠であるという可能性を考えていなかった。
――もっとも今のセラフは応援など望むべくもない、一人だったが。
――もっとも今のセラフは応援など望むべくもない、一人だったが。
「だけどプラントに侵入するにしても、今の連中以上に警戒の人員がいるんでしょうね」
崖の先に開けた斜面を見下ろす。車道から見下ろすよりもはっきりと、プラントが近くに見えた。
無風。斜面下方。障害物なし。
無風。斜面下方。障害物なし。
「ナルル~。でも、どうすればいいナル……」
「……狙撃よ」
「……狙撃よ」
化学兵器が保管されている倉庫の位置は分かっている。阿内議員の情報が正しいのならば。
……そしてその情報の正しさは、既に彼ら自身が証明しているようなものだ。そうでなければわざわざ議員を制裁する必要はなかった。
……そしてその情報の正しさは、既に彼ら自身が証明しているようなものだ。そうでなければわざわざ議員を制裁する必要はなかった。
「で、でも、銃だって弾切れナルよ! そもそもマシンガンや拳銃で届く距離じゃないナル~!」
「ナルナル、あなた、いつもみたいに何か持ってないの?」
「ええ……ナルナルが持ってるのなんて、スーパーの焼き鳥食べた後のトレイくらいかないナルよ」
「あなた焼き鳥なんか食べるの?」
「ナルナル、あなた、いつもみたいに何か持ってないの?」
「ええ……ナルナルが持ってるのなんて、スーパーの焼き鳥食べた後のトレイくらいかないナルよ」
「あなた焼き鳥なんか食べるの?」
――だが、それで十分だ。
なぜなら萩原セラフは、日本最高の工作員であるから。
なぜなら萩原セラフは、日本最高の工作員であるから。
「いいわナルナル。やってみましょう」
「ええ~っ!? 焼き鳥のトレイと串なんかでこんな状況をなんとかできるナルか!?」
「できるわ……私は工作員だから」
「ええ~っ!? 焼き鳥のトレイと串なんかでこんな状況をなんとかできるナルか!?」
「できるわ……私は工作員だから」
髪で隠されたセラフの左目が、金色に光ったようであった。
彼女は、どこからともなくハサミを取り出した。
そして、どこからともなくドライヤーを取り出した。
彼女は、どこからともなくハサミを取り出した。
そして、どこからともなくドライヤーを取り出した。
「こっ……工作の時間ナル!!」
『Doubt in Yarborough』。萩原セラフの魔人能力である。
彼女はハサミとドライヤーを手に、無表情で左右に揺れながら……歌った!
彼女はハサミとドライヤーを手に、無表情で左右に揺れながら……歌った!
「なっにが できるかなー♪ あたまのなかには おもちゃがいっぱい♪」
「なににナルナル!」
「ハサミでちょきちょき♪ ノリでぺたぺた♪」
「素敵にナルナル!」
「ぎゅうにゅうパックで♪」
「モーターボート!」
「ペットボトルで♪」
「すなどけい!」
「こっうさく だいすきー♪ みんなであ・そ・ぼ♪」
「なににナルナル!」
「ハサミでちょきちょき♪ ノリでぺたぺた♪」
「素敵にナルナル!」
「ぎゅうにゅうパックで♪」
「モーターボート!」
「ペットボトルで♪」
「すなどけい!」
「こっうさく だいすきー♪ みんなであ・そ・ぼ♪」
歌い終えると、セラフは即座にトレイへとハサミを入れた。
その表情は真剣そのものだ。一切の迷いのない、精密にして高速の手際である。
その表情は真剣そのものだ。一切の迷いのない、精密にして高速の手際である。
「セラフ、今日は何を作るナル?」
「よく飛ぶ飛行機よ」
「よく飛ぶ飛行機よ」
彼女が切り出しているのは飛行機の主翼、胴体、そして尾翼だ。
『Doubt in Yarborough』により超自然の動力が供給されるドライヤーのスイッチを入れ、切り出した主翼を熱風に晒す。
『Doubt in Yarborough』により超自然の動力が供給されるドライヤーのスイッチを入れ、切り出した主翼を熱風に晒す。
「ナル~? ドライヤーで一体何をしているナル?」
「発泡スチロールを熱で曲げて主翼にカーブを付けているの。主翼断面を湾曲させると上下の気流速度の差で効率的に揚力が発生するわ」
「ナルほど~! よく分からないけどすごいナル!」
「発泡スチロールを熱で曲げて主翼にカーブを付けているの。主翼断面を湾曲させると上下の気流速度の差で効率的に揚力が発生するわ」
「ナルほど~! よく分からないけどすごいナル!」
そして、焼鳥の竹串で胴体を補強。どこからともなく取り出したボンドで各パーツを接着していく。
動力も含め、工作任務に必要な機材を生成する。それが彼女の『Doubt in Yarborough』だ。
動力も含め、工作任務に必要な機材を生成する。それが彼女の『Doubt in Yarborough』だ。
「あ! 粘土で飛行機におもりをつけてるナルね! これでよく飛ぶナル!」
「これはセムテックスよ」
「ナル~ッ!?」
「これはセムテックスよ」
「ナル~ッ!?」
各部の調整には僅かの狂いも許されない。少しでも主翼が傾いていれば飛行機は直進せず、カーブしてあらぬ方向を直撃してしまう。
萩原セラフよりも諜報能力に長けた者はいる。戦闘能力に長けた者もいる。
だが敵地において、現地調達のみでこれほど高難度の工作任務を果たせる者がいるのだとすれば――
萩原セラフよりも諜報能力に長けた者はいる。戦闘能力に長けた者もいる。
だが敵地において、現地調達のみでこれほど高難度の工作任務を果たせる者がいるのだとすれば――
まさにそのような者こそを、日本最高の工作員と呼ぶべきではないだろうか。
「でーきたっ」
「うわあー! とってもかっこいい飛行機ナル~!」
「うわあー! とってもかっこいい飛行機ナル~!」
終始真顔のままで、セラフはついに切り札を完成させた。
彼女は失敗を許さない。工作員としての技術だけが、彼女に残された唯一の誇りであるから。
彼女は失敗を許さない。工作員としての技術だけが、彼女に残された唯一の誇りであるから。
――すごく綺麗に折れてる。器用なのね、萩原さん。
目を一度閉じる。開く。
風の途絶えた広大な夜の只中で、萩原セラフは一人で佇んでいる。
眼下の光へと向けて、静かに飛行機を投げた。
風の途絶えた広大な夜の只中で、萩原セラフは一人で佇んでいる。
眼下の光へと向けて、静かに飛行機を投げた。
「わあ~! すごいナル! やったナル!」
ナルナルは空中を飛ぶ飛行機を無邪気に追いかけていく。
「ぐんぐん飛んでいくナル! どこまで飛ぶんだろう~!」
飛行機の飛距離はまっすぐに伸び、美しい放物線を描いて……倉庫へと落着する。
セラフは遠隔信管を無慈悲に起爆した。
真昼の如く眩いセムテックスの炎が倉庫を吹き飛ばし、内部の有毒ガスに引火してさらに爆発した。
セラフは遠隔信管を無慈悲に起爆した。
真昼の如く眩いセムテックスの炎が倉庫を吹き飛ばし、内部の有毒ガスに引火してさらに爆発した。
「ナル~~ッ!? ウギャアアアアアア――ッ!!」
爆炎を背に踵を返し、髪を靡かせながら、萩原セラフは独り立ち去っていく。
工作員に休息はない。昨日までのような学生の日々に戻ることもない。
工作員に休息はない。昨日までのような学生の日々に戻ることもない。
自らの身分さえも作り、壊す。
それが――工作員。
それが――工作員。
「任務完了」