【採石場】SSその1

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【採石場】STAGE 試合SSその1


第一章『二人の大魔女』

1st Chapter "West affectIon" and "easT justiCe" ――antitHesis's


 歴史上、魔女は三度蹂躙されました。

 一度は、十字教義によって。
 一度は、科学技術によって。
 一度は、魔人能力によって。

 だが、薪にされた切株からひこばえが生えるように。
 だが、踏みつけられた雑草がなおその芽を伸ばすように。

 魔の世界には二人の大魔女が産み落とされました。

「魔女の力は、人の世に望まれて生まれたものよ」

 西の魔女は言いました。

「そうね」

 東の魔女は同意しました。

「だったら、全てを救うために使わないと」

 西の魔女の言葉に、東の魔女は笑いました。

「そんな魔法は魔女にはないわ。私たちにできるのは、害なる一部を殺して善なる多数を生かすことだけ」
「……ううん。始まりの『真央の魔女』なら。それを超えることができたなら。「みんなの幸せ」っていう魔法が、使えるかもしれない」

 西の魔女は、席を立ちました。

「これから何所へ?」

 東の魔女は、問いかけました。

「全を救いに。あなたは何処へ?」

 西の魔女の返答に、東の魔女は答えました。

「善を掬いに。貴女とは――」

 東西の魔女は、袂を分かちました。

「「もう二度と出会うことは、ないでしょう」」

 かくて、西の魔女は友とした悪魔たちと、旅に出たのでした。
 残された東の魔女は、屠った悪魔たちの返り血を素肌にまとい、高らかに笑いました。

 おお、おお、なんとおぞましい姿。美しい肢体。
 悪魔よりも悪魔らしい笑い声。

 寂しさで? 嘲りで? 滑稽さで? 理由はわかりません。
 それでもただ、彼女は笑い続けました。

 それが魔女のあるべき姿とばかりに――全裸で。


第二章『刻まれたもの』

2nd Chapter What Is bred in The bone Can not out of the flesH.


 ごう、と音を立て、カレン(マスター)帽子(わたし)を、子供の頭ほどもある石が通過していきました。

 明らかな殺意をもって「敵」が仕掛けてきた投擲(こうげき)です。

 続けて一つ、二つ、三つ。凄まじい勢いで石が飛んできます。
 ここは採石場。投げつける石片には事欠かないのでしょう。
 なんたるエレガントさもない野蛮な攻撃!

 一つ目を体をひねって回避。いけませんかわいいカレン! 態勢が崩れました!
 二つ目をホウキ(グレイタウル)の柄が切り裂きます。駄目狼にしてはよくやりますね。
 三つ目は私め、フェリテの加護で――

「温存! 当たっても使わないで!」

 おお、おお、かわいいカレン! 何をおっしゃいますやら!
 こんな石が当たっては、かわいいカレンの百の魅力のうちの一つ、白くてすべすべのお肌が傷ついてしまうではありませんか!

 ですが、今の私はあくまでカレン(マスター)に契約で縛られた道具(あくま)です。
 忸怩たる思いをかみ殺して、私は迫りくる石を成すすべもなく眺め――

 かわいいカレンは倒れこむようにして、飛んでくる石の方へと身を投げ出しました。

 すると、石はかわいいカレンの体を掠め、さらには、続く追撃投石も、なぜか偶然、倒れたカレンを避けるような軌道で地面に着弾したではありませんか。

「シアラン、ありがと」

 かわいいカレンの手にあるランタンが、もったいない言葉に照れるようにカタカタと鳴りました。

 シアランの能力は「導き」。
 主人の指定したものの存在する方向を指し示し、導く権能です。
 かわいいカレンはシアランに「敵の投石からの安全地帯」を導かせ、そこに飛び込んだのでしょう。

「すごいすごい! 斬撃が出るホウキと……そのランタン、攻撃の軌跡を読むのかな? 実戦的だね! 発動が口頭指示だから、自我付与系? 使い魔って魔女っ娘っぽいもんね!」

 先ほどまでの殺意満点な攻撃とは裏腹な、緊張感のない笑顔。
 極東の地ではひと昔前に絶滅したような古風な女学生用セーラー服に身を包んだ、太眉の少女。

 それが、かわいいカレンの最初の敵。

 ――原門りんご。

 世界を救うため、立ち向かうべき最初の儀式(リートゥス)の姿でした。


【大魔女ヴェナリス 地球到着まであと5日】


 ◆  ◆  ◆


 始まりの魔法使い――『真央の魔女』に挑んだ、カレンの母親、大魔女ヴェリナスが巨大エネルギーとなってこの星に帰郷(げきとつ)するまで、あと5日間。

 それは即ち、この星の生命に残されたタイムリミットが5日であることを意味します。
 各魔術結社は、『真央の魔女』の術識の対象という希少なサンプルである大魔女ヴェリナスに対し、足並みを揃えることができず、迎撃態勢は整わず。

 魔術の隠匿というカビの生えた不文律と、魔女世界の魔人に対する差別意識のせいで、表世界への援助要請も出せず、結果として、各有名魔術結社が魔術隠匿のために費やしてきたすべての魔力(リソース)を防御結界に回し、対抗するという最後の手段が現実味を帯びてきました。

 そんなことをすれば、これまで記憶操作や認識錯誤でごまかしてきた魔法の存在が一気に世界に知られることになり、希釈された魔術概念により、世界中の魔女たちは力の大半を失うことになるでしょう。

 十字教義による神秘性の共産化、科学技術の流布による神秘性の解体、魔人能力による神秘性の再解釈に続く、史上、四度目の魔術の失墜です。

 さらにそこまでしても、凄まじいエネルギーの激突を防ぐことができるかは分の悪い賭けです。最悪、恐竜全滅の二の舞になりかねません。

 それを防ぐため、ヴェナリスの娘である、かわいいカレン……私の主人であるところの、冬知らずの魔女、カレンは、あらゆる願いを叶えるという極東の島国のダンジョンに挑みました。

 可憐な姿に見えて、カレンは駆け出しの魔女でありながらいっぱしの魔人です。
 その魔人能力は『伏魔のリートゥス』。悪魔と賭けを行い、勝利するとその悪魔と契約して、魔具の形として力を借り受けることができます。

 かわいいカレンが契約可能な悪魔は三柱。
 今契約をしているのは、

 『導きの悪魔』シアラン。主人の望むものへの道行を知らせるランタン。
 『皆殺しの悪魔』グレイタウル。ひと振りであらゆるものを切り裂くホウキ。

 そして、私。
 『甘やかしの悪魔』フェリテ。
 日付が変わってから、翌日までに三度まで、主人の受けるはずの損傷を無効とする帽子。

 カレン自身の果断さもあって、まあ、そこいらの欲に眩んだ魔人の四人やそこら、簡単にのして話はおしまい、と思っていたのですが、そこに現れたのが……

 おお、おお、何ということでしょう。
 私たち悪魔の天敵ともいえる女とよく似た顔をした、少女だったのでした。


 ◆  ◆  ◆


 降り注ぐ石をかいくぐるように、ホウキにまたがったカレンが採石場を飛び回ります。
 ホウキによる飛行は、『魔人堕ち』によって術識基盤(フォーマット)をショートさせてしまったカレンが自由に使える数少ない術です。
 まずは距離をとって様子見。それが、カレンの判断でした。

「ああ、クソ! 一つ目! なんで、「あの女」と同じ顔のガキがこんなとこにいんだよ!」

 カレンの下で、ホウキ(グレイタウル)がじたばたと揺れました。
 そんなこと、私の方が聞きたいくらいです。
 ホウキの先に吊り下げられたランタンも、かたかたと身を震わせています。

 願いを叶えるという極東島国のダンジョン。
 しばらくその中を探索していたカレンと私たちは、突然、大小の岩が転がる採石場に立っていました。
 空間的な繋がりはありません。おそらくは、何らかの転移機構が働いたのでしょう。

 そこで唐突に襲い掛かってきたのが、カレンと同じくらいの年齢の少女でした。
 それだけならまあ、想定の範囲内です。

 ダンジョン内で四度邂逅者と勝利すれば願いが叶う。
 それが、事前に入手していた情報でしたから。

 ただ、予想外だったのは、その敵の顔に、我々悪魔の天敵である『悪魔殺し』の面影があったことです。

「どうしたの? みんな、あの娘知ってるの?」
「『悪魔殺し』! 『東の魔女』! 『災厄の感染源(パンデミック)』! 『バラムの主(バラモン)』! あのラフランスの名前くらい、テメェも知ってるだろうが!」

 大魔女ラフランス。
 かつて、大魔女ヴェナリスと双璧を為す天才と言われながら、外法に手を染め、魔女世界から放逐された異端です。
 極東で闇社会の顔役に嫁いだと聞いていたのですが……。

「ラフランスさん! 母さんの友達ね? あの娘がそうなの?」
「いろんな意味で違ぇよ! もしアレが「あの女」だったら、もう俺たちは消し炭だ!」

 何より、あの女が戦いにおいて服を着ることなどありえませんからね。
 年齢と容姿は魔法で欺けても、そこだけは揺らがないでしょうから。

 と。
 突然、石の投擲が止みました。

「――ねえ、あなた、母さんを知ってるの?」

 大きなリュックを背負ったポニーテールの太眉娘が、高台から私たちを見下ろしました。

 やっぱり、似ています。
 あの女はこんな能天気な笑顔を浮かべたりしませんが、顔立ちはそっくりです。

「『東の魔女』ラフランスっていったら、有名人だもの。初めまして、大魔女の娘さん。私は、カレン。大魔女ヴェナリスの娘、カレンよ」
「あ、ご丁寧にどうも! 私は原門りんご! よろしくね! ……そっかあ。母さん、海外の人にも有名なんだあ。変態的な意味でじゃなければいいんだけど……」

 その物言いに、私は違和感を覚えました。
 海外の人にも有名? そんなこと、ラフランスの経歴を知っていれば、当然のこと。
 まるで、母親の魔女としての経歴を知らないような物言いです。

 そう考えてみれば、最初からおかしかったのです。
 あの大魔女の娘でありながら、この太眉娘――原門りんごは、投石というあまりにも原始的な手段の攻撃でけん制をしてきた。

 つまり――

「おお、おお、カレンほどではないにしろそこそこ愛らしい見た目のりんご嬢。もしかして、あなたには、私たちのことが認識できていないのではありませんか?」

 私の呼びかけに、原門りんごは全く反応しませんでした。
 演技の可能性もあります。しかし、視線の動きによる反応すらなし。これは――

「――魔女じゃねえのか。「あの女」のガキのクセに」

 馬鹿狼(グレイタウル)のこれみよがしな呟きにも反応なし。
 どうやら、確定のようです。

 魔女でない人間に、悪魔は認識できません。
 一方で、悪魔は、相手が魔女だろうと人間だろうと、干渉できるのですが。
 よって、ただの人間にとって、悪魔は天敵なのです。

「ね、カレンちゃん。母さんのこと、知ってるの? 母さんと同じ肩書ってことは、カレンちゃんのお母さんも、一流の()り手なの? カレンちゃんも? そうだよね。そうじゃなきゃ、最初の三発で()れてるもんね!」

 にっこりと微笑むその姿に、私は、うすら寒いものを感じました。
 その笑顔は、人懐っこい少女のものでしたが。
 かわいいカレンを傍で見続けてきたものとして、人として決定的なものがずれているように思えたのです。

「ええと、りんごちゃん? あと五日でうちのママが帰ってきて、世界が終わりそうなんだけど……。お母さん……ラフランスさんから、そのこと、聞いてない?」
「ううん、全然! すごいね、カレンちゃんのお母さん! 帰ってくるだけで世界が終わっちゃうんだ! うちの母さんもそこまではしない……多分……いや、気分によってはするかもだけど……!」

 無意味なほど元気よく、原門りんごはうんうんと頷きました。
 ……かわいいカレンの百の魅力のうち一つは思考の速さに言葉が追いつかない、飛躍した会話なのですが、そこにまったくツッコミを入れないとは……さすが大魔女の娘同士、というところでしょうか。

「……いや。馬鹿が二人揃っただけだろ。信じるかこれで普通?」

 馬鹿狼の戯言は黙殺して、カレンはホウキを浮かしたまま降りると、両手を広げて敵意がないことをアピールしました。

「りんごちゃん。私は、このダンジョンを攻略して、ママの『帰宅』を阻止しないといけないの。そうしないと、きっと、りんごちゃんの日常も、あと五日間でめちゃくちゃになっちゃう」

 カレンの言葉足らずの訴えに、原門りんごの表情は怪訝さと、けれどそれ以上に、動揺が浮かびました。
 少し、意外です。先ほど感じた不気味さからすれば、そして、あのラフランスの娘であるにしては、割と素直な感性の反応のようですが……。

「……本当に、本当、なの?」
「うん。たぶん、そろそろ魔術結社の隠匿術識が解除されてるから、科学世界(こっち)でもニュースになってると思う。直径15kmの隕石が地球への落下軌道に入ってるって」
「それが……カレンちゃんの?」
「うん、ママ」

 原門りんごはポーチからスマートフォンを取り出し、何かを確認すると、頷きました。

「……そっかあ」

 そして、左手に持ち続けていた石を、落としました。
 ごろり、と相当な重さの塊が地面に転がります。

「私は、好きな人がいて、その人にふさわしい私になりたくて、それで、ここにきたんだけど」

 その姿は、眉も整えない、年相応の恋の片鱗を語った朴訥な少女の姿は、

「……でも、世界が終わっちゃうなら、しょうがないよね。だから――」

 ――突然鳴り響いた竪琴の旋律によって、『反転』した。

「――私が、ここで? 諦める? なんで? だって? 世界が? 終わる? 壊す? 悪者がいる? なら――殺す。殺せば。殺そう。殺せる。私は。連続殺人鬼。普通には立てない。から? ああ――ああ――そうだ。そうだよね! あははは! そうだった! 私は――原門りんご! 法に裁けぬ悪を裁く、正義の連続殺人鬼一家に生まれたどこにでもいる普通の娘!」

「おい! ガキ! 離れろ! ヤバい! こいつは――」

 馬鹿狼の無断の斬撃は、無造作に薙ぎ払われました。
 素手による防御であれば、ダメージは通るはずなのに、原門りんごは無傷。

「――カレンちゃんは安心して、()られていいよ」

 原門かれんの両の手には、幾つものナイフが現れていました。
 これで、『皆殺しの悪魔』の一閃を防いだのでしょう。

 魔術による武器具象化?
 いや、違います。純粋な速度と注意誘導による奇術に近い技術……。
 魔法とともに、『悪魔殺し』ラフランスが得意とした殺戮技巧(キリングアーツ)です。

「――悪魔憑き(・・・・)だ!」

「カレンちゃんのお母さんが、世界を壊す悪者なら。私が殺すだけだから」 

 そして、四つの刃が、カレン目掛けて放たれました。



第三章『最善から二番目の選択』

3rd Chapter When nIgh door shuTs, another CHance opens.



 原門りんごの放った四つのナイフは、それぞれ、まるでカレンの体をあえて外すように、上下左右への移動を防ぐような方向に投げられました。

 そのまま立っていれば命中しない軌道です。
 逃げ場を消して、接近するつもりでしょうか。

 ですが、原門りんごは、足元の石を遥か明後日の上空に投げると、むしろ、地を蹴って後ろへ下がりました。

「馬鹿! ガキ、動け!」

 私と同じく、原門りんごに意識を取られていたのでしょう。
 カレンが馬鹿狼の叫びに身を震わせた、その瞬間。

 四本のナイフが、奇妙な弧を描いて、カレンの方向へと進路を変えたではありませんか!

 まるで、カレンに磁石がついていて、それを追うような――

「――世話が、焼ける!」

 カレンの手にしたホウキ――馬鹿狼、グレイタウルが強い光を放ち、穂の部分がまるで、狼の爪のように大きく広がりました。

 これこそ、あの馬鹿狼が『皆殺しの悪魔』の二つ名を冠した由縁。
 一振りで無数の敵を切り裂いたという自慢の魔爪です。

 カレンの身長ほどにまで巨大化した光の爪は、カレンの顔、心臓、手首、腹部を狙った刃を、全て薙ぎ払いました。

「油断するな!」
「ありがとうね、助か――」

 次の瞬間。
 カレンの後頭部に強い衝撃が走り。

「残り二回です」

 私の口をついて、カレンが致命傷を受けたことを告げる宣告が漏れました。
 ごろり、と足元に、石塊が転がります。
 ナイフの後に原門りんごが投げた石。ですが、それは、遥かカレンの頭上を通り過ぎていったはず。
 それがなぜ、後ろから、カレンの後頭部に命中したというのでしょう?

「今のは聞こえたよ! 『残り二回』! 命のストックかな? 光の爪もかっこいいね、カレンちゃん!」
「――そっちこそ。投げたものの軌道を変える能力。初見殺しだね、りんごちゃん」

 なるほど。ナイフの軌道が変えられるなら、石の軌道が変えられてもおかしくない。
 ということは、原門りんごが投擲したものからは、地面に落ちるまで目が離せないということでしょうか。
 実に陰湿。厄介な相手ですね。

 原門りんごはカレンから距離を取ると、物陰に隠れました。
 ここは採石場。石を掘るための横穴や巨大な岩など、身を隠すものは豊富です。
 しかも、弾丸になる石は無数。投擲能力者には絶好の戦場といえるでしょう。

「飛べ!」

 馬鹿狼に勧められるがまま、カレンはホウキにまたがって宙に舞いました。
 あえて高度を低く保ち、障害物をかいくぐるようにじくざぐに飛翔します。

 相手がどのように軌道を変化させられるのかはわかりませんが、この飛び方ならばそうそう狙いをつけられることはないでしょう。

「クソ、ガキっ、単語術識で何か使えないのかよ! 加害術識(マレフィキウム)とか! 魔女体系(ウィッチクラフト)の基礎だろうが!」
「二日くらい詠唱すれば、つよいパーンチ! くらいの衝撃波は出せるかも」
「アアアアア! 最高だクソが! ナマケモノ相手なら実戦的だなァ! まともなナマモノ相手に使えるのくらい覚えろ!」
「にしても、残念だなあ。ママの友達の娘さんだったら、仲良くなれるって思ったのに」
「無駄に落ち着いてるのが腹立つなァクソ! そういうとこはクソ魔女譲りかよ!」

 ごすっ! がつっ!

「――あ、シアラン。『原門りんごの投擲からの安全地帯』を照らして!」

 緑色の炎が光を放ち、一筋の道を照らしました。
『導きの悪魔』シアランの導きは、対象が具体的であるほど精度を増します。

 攻撃を仕掛けてくる対象、攻撃手段までも限定した以上、この光が照らしたルートは、安全が確保されていると断言してもいいでしょう。

 しかし、思った以上に安全地帯が狭いですね。
 原門りんごはかなり自由に投擲の軌道を曲げられるようです。

「おい、ガキ! いい話と悪い話がある!」
「いい話だけ聞かせて」
「悪い話だが――」
「横暴だー 悪魔ー」
「悪魔だからな。――で、結論から言うと、奴は、『悪魔憑き』だ。お前と同じように、悪魔と霊的に一体化してる。多分本人の意志じゃなくて、母親(ラフランス)の術識だろう」
「……魔女(わたし)にも、見えない悪魔?」
「影に潜り、憑いた者の思考を捻じ曲げる『反転の悪魔』――バラムですね。かわいいカレンに見えていないのではなく、あの娘の影に隠れているだけ」
「よく知ってるじゃねえか。さすがは魔女界の犬が長いだけある」

 『反転の悪魔』バラム。
 悪魔でありながら、『悪魔殺し』ラフランスの力に魅入られ、アレに従った裏切者。
 人に取り憑き、人の思考を『反転』させる悪魔です。

「なんでそれが悪い話なの?」
「馴れ合いはできないってことだ。最初、説得しようとしたろ」
「喧嘩しなければその方がいいかなあって」
「クソ! そうだと思ったよ。が、無理だ。諦めろ」
「……そっかあ」

 悔しいことに、私もこの点においては、馬鹿狼で同意でありました。
 あの太眉少女の性根が善良であるほど、むしろ、バラムの『反転』によって、アレは残忍な殺人鬼になります。

 あの馴染み方、そして私が最初に覚えた違和感からすれば、原門りんごはきっと、物心ついたときにはバラムに憑かれていたのでしょう。
 私、人の良識に囚われぬ悪魔の身ではありますが、決して気分のいい話ではありませんね。

「いい話は?」
「俺との契約を解除しろ。そうすれば、あの太眉と『反転の悪魔』は俺が殺す」
「んー、だめ」
「アア!? あの太眉はただの人間だ! 契約解除した悪魔(おれ)を認識できない! そうすりゃ一方的だ! 宿主を失えばバラムもラフランスの所へ還るだろ!」
「このダンジョン、一対一が基本でしょ。武器は持ち込めるけど、協力者は連れていけないって話。多分、みんなが私と一緒にいられるのは『伏魔のリートゥス』で道具扱いにされてるからだよね。けれど、ここで契約解除して、グレイタウルさんがりんごちゃんを倒したら? 二対一。反則負けにされたっておかしくないでしょ? 最悪、契約解除の瞬間にグレイタウルさんか私が外へ放逐されるかもしれない」
「……ぐ」

 馬鹿狼め。格好つけようとしたって、かわいいカレンにはお見通しなのですよ。

 たとえ姿を認識できずとも、相手はラフランスの娘。
 倒すことはできても、相打ちにもちこまれる可能性はそれなりにあるでしょう。

 大方、かわいいカレンを安全なところに残して、自分だけ鉄砲玉になるつもりだったのでしょうが、そんな点数稼ぎはさせませんよ。

「なら、どうする?」
「遠距離戦は不利。こっちの札は『相手の軌道を見切る』『広範囲近接攻撃』『あと二度の攻撃無効化』。グレイタウルさんなら、どうする?」
「そりゃあ――速攻瞬殺だろうな!」
「うん! それでいきましょ」

 緑の灯りの道を辿りながら、カレンのホウキは空中で旋回、追い来る追尾投石を振り払うと、投擲の射手の位置を捉えました。

 頭上から見るとよくわかります。原門りんごの影は、本体の姿と一致しない、竪琴を持った屈強な男の姿になっている。

 あれが『反転の悪魔』バラム。
 誇り高き原初の72柱でありながら、ラフランスへの従属を誓った悪魔というわけですね。しかもやることが、少女の心性を捻じ曲げ続けることとは。

 おお、おお、誠に――誠に、度し難い。

 岩陰に陣取っていた原門りんごは、頭上のカレンに発見されたと同時、身を翻して鉱山側へと駆け出しました。
 やはり。

 原門りんごの得意距離は、中~遠距離。
 投擲物の鋭角な軌道変更はこれまで確認できないところを見ると、制動角度には限界があるのでしょう。であれば、相手との距離は遠い方がいい。

 牽制で石や、どこから取り出したのかわからないナイフが飛んできますが、超常の曲がり方をする軌跡の隙間を、針穴に糸を通すような精度でカレンのホウキは飛翔、潜り抜け、原門りんごへと距離を詰めていきます。

 シアランの示す緑の輝き(あんぜんちたい)が、太眉の少女照らす一筋の道を作り出した、その瞬間。

「行けえ!」

 カレンのホウキの穂が光の爪となり、虚空を切り裂いて一気に加速しました。

「――ッ!」

 まるで騎乗槍突撃(ランスチャージ)めいた体当たりを、原門りんごは紙一重で身を翻し、手近な横穴に飛び込みました。

 チェック!

 ごろっ。がちっ。
 後ろで崩落したかのような落石音が聞こえますが、出口からの光は途切れていません。閉じ込められる危険はなし。
 ならば、射手を身動きの取れない屋内に追い詰めた、ここが好機!

「シアラン! 『原門りんごの回避範囲』を導いて!」

 緑色の輝きが横穴に広がりました。
 さすがに広い! 床一面が照らされます。相当な身のこなし、使い手ということ。
 けれど――

「グレイタウルさん!」
「おうよ!」

 ――着地したカレンが構えたホウキの穂から輝きが奇妙な形に広がりました。
 その形はもはや狼の爪ではありません。
 ただ、『原門りんご』の回避可能範囲を全て蹂躙するためだけに変容し、繰り出される、『皆殺し』に最適な形――

「――『落下置転(フォーリンアップル)』」

 ――けれど。
 原門りんごの呟きとともに。
 グレイタウルの皆殺しの爪が振るわれる、その刹那の間に。

 シアランの緑の輝きは、全く別の場所を照らし――

































 90度反転した光景に、悪魔の私ですら、一瞬混乱してしまいました。

 そして、

 ごすっ。

「残り一回です……!」

 首の骨を折らんばかりの質量で頭上に落ちてきた岩によって、私の加護はまた一つ、消費させられました。
 投擲の素振りはなかったのに……なぜ!?

 それより、目の前の状況です。

 原門りんごは『投擲したものの軌道を変える』魔人能力者ではない。

 投げたものの軌道を上下左右に変化させる。
 まるで蜘蛛のように壁に立つ。
 横穴の天井から岩を、自分の望む形で落下させる。

 ここから類推できる能力は――重力のベクトル制御。

 その効果範囲が、無生物だけでなく、人にも及ぶものだとすれば。原門りんごだけでなく。『他人にすら及ぶものだとしたら』。

 四方を壁に囲まれた、この状況は、あまりにも危険!

「逃げて! カレン!!」

 私は叫びました。
 壁面に「立って」90度反転した状態で、原門りんごが踏み込みます。

 グレイタウルが、カレンに伸ばされるその左手を一閃。
 原門りんごはそれに怯むこともなくカレンの手首を蹴り上げ、

 血しぶきとともに、原門りんごの手首から先が宙を舞い、ホウキ(グレイタウル)と一緒に、横穴の天井へと、上昇(らっか)していきました。

「な――!?」

 飛行手段を失ったカレンの懐に飛び込むと、原門りんごは、残された右の手で、空中に押し出すように、カレンの腹を押し上げます。

 ふわり、と、重さなどないように、カレンの体が、宙を舞いました。

 コマ送りのように停滞する知覚の中、私が思い出したのは、かわいいカレンが昔遊んでいた格闘ゲームでした。
 そのゲームでは、エアリアルコンボ、という技が人気で、カレンも一生懸命それに挑戦していたものです。

 たしかに、空中で自由落下中の人間は無防備。受け身も取れないし、姿勢を変えるための足場もない。その隙に攻撃を加えるというのは、なるほどもっともらしい。

 が、私は、そんなもの、現実の戦いではありえないと、冷ややかに見ていたものでした(熱中するカレンはかわいらしかったですが)。

 それが、実際の格闘技においてほぼほぼ実現しえない理由は2つ。

 一つ、相手を空中に跳ね上げるような威力の攻撃を繰り出すことが難しい。
 一つ、仮に相手を浮かせても、滞空時間が短すぎる。

 けれど、もしも原門りんごの異能が、「そういうもの」だとしたら。

 あの、格闘ゲームの荒唐無稽な技が、純然たる殺し技として、実現してしまう――!

「――『落下置転(フォーリンアップル)』――『無限落下(フリーフォール)』」


 掌打で浮遊するカレンの体。放物線を描き地面へ落下する瞬間の蹴打
                               に
                               よ
                               り
                               、
                               落
                               下
                               方
                               向
!                              が
|                              90
|                              度
り                              捻
迫                              じ
と                              曲
へ                              が
ン                              り
レ                              ま
カ                              す
が                              。
打                              間
掌                              違
の                              い
へ                              あ
臓                              り
心                              ま
る                              せ
な                              ん
と                              。
メ                              手
ド                              刀
ト                              。
、てしそ。き突頭の身渾。力能人魔のごんり門原がそこ更変の向方下落


 落下の直前に落下方向を置転し続けることによる、空中連撃。
 容赦も手加減もない、殺し技。

 ――カレンの体は、致命の一撃をもって、地面へ叩きつけられました。

「……残り、ゼロ回です」

 私の口をついて、言葉が漏れました。
 日に三度まで、あらゆるダメージを無効化する。

 それが、『伏魔のリートゥス』によって結ばれた契約がもたらす悪魔の加護。

 その効果により、最後の一撃の衝撃は、防ぎました。
 それでも、そこまでの連撃のダメージで、カレンは死に体です。

「カレンちゃんすごい! 今ので ()れなかったのは初めてかも!」

 もう、三度、無効化は発動してしまいました。
 これ以上、攻撃は防げません。

「でも、もう、守りは打ち止めだよね! 絶体絶命だね!」

 ――私が、『伏魔のリートゥス』に縛られている限りにおいては。

 左手首から流れる血を止めることすらせず、原門りんごが近づいてきます。
 もはやその姿は、人というより、悪魔に近いものでした。

 おそらくは、彼女の影にひそむ『反転の悪魔』バラムの影響でしょう。
 痛みや恐怖すら『反転』させられ、殺戮のために最適化された心性にされている。

 もはや、カレンは、原門りんごには勝てません。
 駄目狼(グレイタウル)は高い天井に貼り付けられ、
 私は力を使い果たし、シアランのランタンだけではどうしようもない。

「カレン。賭けの時間です」

 私は、そう、口にしました。
 それだけで、カレンは全てを察したのでしょう。

 大魔女、ヴェナリスを止めるために今できる最善が何であるか。
 そのために払わなければならない犠牲がなんであるか。

 おお、おお、かわいいカレン。
 そこで、逡巡するあなたのやさしさは、百ある魅力の中でも有数のものです。
 ですが、あなたがあなたの目的を果たすならば、どうか決断を。

「――絶対絶命?」

 子のために命を賭けるだなんて、親代わり冥利につきるというものなのですから。

「いいわ。なら、私は次のりんごちゃんの攻撃を、絶対に耐えて見せる。耐えられたら、私の勝ち。耐えられなかったら、「あなた」の勝ち」

 不思議そうに首を傾げる原門りんごではなく、その影。
 そこに潜む、『反転の悪魔』に向けて、カレンは言いました。

 それは、私とかわいいカレンとの、訣別を告げる言葉でもありました。


 ◆  ◆  ◆


 大魔女ヴェナリスの娘、カレンと私――『甘やかしの悪魔』が出会ったのは、カレンがまだかわいい3歳の子どもだった頃……いや、今だってカレンはかわいいのですが……です。

 大魔女ヴェナリスはよき魔法の探究者であり、よき悪魔の友でしたが、残念ながら、よき母親ではありませんでした。

 彼女の起源(どうき)は博愛。

 全に手を差し伸べるということは即ち、特定のものだけに注力できないのと同義です。
 愛とは突き詰めれば依怙贔屓。
 ヴェナリスの起源は、我が子に十分な愛を注ぐことを許さなかったのでしょう。

 だからでしょうか。
 私め、『甘やかしの悪魔』フェリテに、カレンはよく懐きました。

 本来、悪魔は「魔女」でない人間には見えません。
 ですが、さすがヴェナリスの娘。
 カレンは3歳にして、私めのことを認識できたのです。

 古来から、悪魔は魔女に弱く、魔女は人間に弱く、人間は悪魔に弱いと、三すくみの相場が決まっています。

 私がかわいいカレンに勝てないのは当然の帰結。
 魔術の研鑽で留守がちなヴェナリスに代わり、親代わりとなったのも自然な流れでした。

 悪魔とは、人に認識されず、魔女に使役される、そんな存在です。
 だから、対等な関係で、無条件の信頼を寄せてくる、カレンの存在は、私にとって、かけがえのないものでした。

 たとえそれが、『魔人能力』によって支えられたものであっても。
 それが絆となるのなら、私には十分だったのです。


 ◆  ◆  ◆


「……何言ってるの? 殺ったら勝ち、殺られたら負け。それだけでしょ?」

 構えを崩さない原門りんごの影が、揺らぎました。
『反転の悪魔』にとって、魅力的な提案でしょうとも。
 何せ、自分を従えるラフランスの天敵、ヴェナリスの娘を操れれば、何よりの手土産となるはずですから。

 やがて、原門りんごの影(バラム)がわずかに頷きました。
 『伏魔のリートゥス』、賭けの成立です。 

「――ごめんね」

 カレンが呟きました。
 いいのです、かわいいカレン。
 あなたが、そう躊躇ってくれることこそ、私には望外の幸せ。

 悪魔である私が、子の、甘やかし(わたし)からの旅立ちを見送れるなんて。
 そんな奇跡、どんな悪魔だって、経験してこなかったはずですから。

 私とカレン、そして、『反転の悪魔』とのやりとりを、何かの布石と警戒していたのでしょうか。
 おもむろに、原門りんごが動きました。
 その手には、よく研がれたナイフ。

 もう、カレンには回避をする余力はありません。
 そのことを見越した上での、ただひたすらにまっすぐな、全力の刺突。

 命中まで、残り、三歩。

「……契約解除」

 そして、私と、カレンとの霊的な結合が解除されました。
 帽子の形を取っていた肉体が、揺り籠を模した元の悪魔の姿へと戻ります。
 顕現と同時、全身を燃えるような熱が襲いました。

 これがおそらく、このダンジョンにおけるルール違反者へのペナルティ。

 命中まで、残り、二歩。

 もっとも、原門りんごには、罰則に苛まれる私の姿は見えていないでしょう。
 カレンの帽子が、消えただけに見えていることでしょう。

 命中まで、残り、一歩。

 悪魔は、人間には認知できない。
 だが、悪魔は、人間に干渉できる。
 だから、これは、

「――おまけの、一回です」

 ナイフがカレンに突き刺さる直前。
 原門りんごの凶刃を、私の肉体が受け止めます。

 『伏魔のリートゥス』の契約による三度限りの悪魔の加護ではなく。
 ただ、私が、『甘やかしの悪魔』が、自らの意志でかわいい娘をかばうだけの行為。

 東の大魔女、ラフランスの血族の一撃。
 それは、たとえ私を認識できずとも、この身を穿ち、貫き、破壊していきます。

 ですが、そこまで。
 原門りんごの刃は、私を殺すだけで留まり。
 カレンの体には、わずかに触れることしかできませんでした。

 即ち。『伏魔のリートゥス』による賭けは、カレンの勝利。

 原門りんごとカレンの賭けではなく。
 原門りんごに憑いている、『反転の悪魔』バラムとカレンとの賭けが。

 カレンが能力で従えることができる悪魔は三柱。
 そしてたった今、『甘やかしの悪魔』との契約は解除された。

 つまり――

 原門りんごの影に潜んでいたバラムの姿が歪み、ねじれ、一つの形を為してカレンの手元へと転移しました。

 それは、手回し式のオルゴールでした。

 たとえダンジョン踏破による願いを得られずとも、『反転の悪魔』バラムのオルゴールは、ヴェナリスの帰郷を止める上で、大きな力となるでしょう。

 これが、私の最期の甘やかし。

 核が砕かれたこの身は、すぐに消滅するでしょう。
 人の死傷はこのダンジョンでは回復するそうですが、悪魔にそれが適用されるとは思えません。
 なにせ、ルール違反の罰則に焼かれ、「悪魔殺しの魔女(ラフランス)」の血族に殺されたのですからね。

 この身はいつか再生するでしょうが、そのときにあなたがこの世界にいるかは、わかりません。

 おお、おお、泣かないで、かわいいカレン。
 あなたの百の魅力のうち一つは、美しい涙ですが。

 それでも、私は、あなたの笑顔の方が、大好きなのですから。

 さようなら。
 悪魔(わたし)たちが暖かに伏せ安らげる、冬知らずの(リートゥス)――。



第四章『負け取ったモノ、勝ち落としたモノ』

4th Chapter ”Who Is Taken in by Cheap Hoking?”


 眩んでいた意識が、輪郭を取り戻す。
 カレンは、ゆっくりと周囲を見まわした。

 Super Space ダンジョンの入り口。
 すなわち、カレンは原門りんごとの戦いに敗北し、ダンジョンの外に放逐されたということになる。

 ダンジョンの力で「願い」を叶え、母親の帰郷による破壊を止める選択肢は消えた。
 さらに、幼いころからいままで自分を支えてくれた、『甘やかしの悪魔』フェリテも、もういない。

 それでも、カレンは息を一つ大きく吐き出すと、歩き出す。

「おい。……何笑ってやがる」
「だって。負けたけど、まだ、可能性は残ってる。この『バラムのオルゴール』があれば――母さんの動力源が『帰郷』なら、それを『反転』すれば――」
「話を擦りかえるなよクソガキ」

 カレンの手の中で、ホウキ――『皆殺しの悪魔』グレイタウルは小さく揺れた。

「……うん。私は、フェリテのこと、失った。狂ったあの娘を、救えなかった。『西の魔女(かあさん)』の教えを、守れなかった。けど、悲しくない。力が足りないのは、事実。なら、私がすべきことは、泣くことじゃなくて、自分を鍛えることだもんね」
「……本気か?」

 グレイタウルは、道中で、カレンが口にしていたことを思い出していた。 

『自分の生まれた意味がはっきりと分かっている人が、この世の中にどれくらい居るだろう。
 政治家なら、国民の幸福のためとか、自分の信条とかがそれに当たると訴えるだろうか。
 あるいは芸術家なら、作品を残すためと言い切るだろうか。
 もしくは意味なんてないと否定するだろうか。

 私にとって、それは明白だった。
 生まれた時から決まっていた。
 やるべきことがはっきりしているのはいいことだと思う。』

 少女は淡々とそう言った。

 あのときは、世間知らずの、親に従うだけの従順なバカだと思った。
 だが、今ならわかる。彼女はただ――

「だって、私は魔女。魔女っていうのは――」

 少女の足元に一滴、雫が落ちる。

「嘘をつくものだ、か。……悪魔も同じだけどな、カレン」
「ありがと、グレイタウル」

 彼女の手にした箒は、一人でに動き出すと、その濡れた跡を静かに掃き消した。

 魔女(おや)(ねが)いでなく、彼女自身が歩むべき道を、払い清められるように。


 ◆  ◆  ◆


「よーし! りんごちゃん、大勝利!」

 同年代の少女の心臓を穿ち、その感触が消え切らないにも関わらず、原門りんごは相変わらず、快活な笑顔だった。

 普段であればこのまま、なじみのラーメン屋台で一杯やりたい気分。

「――?」

 そのはずだった。
 なのに。
 どうして。

 今日は、その、爽快感よりも、手に残る鈍い感触に、意識が向いてしまうのか。

 トドメを刺した瞬間の、彼女の苦悶と後悔の表情。
 それが、頭から消えようとしないのか。
 自分は、連続殺人鬼のはずなのに。

 原門りんごは気づかない。
 それこそが、自分が求めてやまなかったはずのものであると。
 それこそが、彼女がこのダンジョンを訪れた最大の理由であると。
 それを手にすることで、自分がどうなってしまうか、想像すらしてこなかったから。

 だから、原門りんごは、自らの裡に生まれた、その葛藤が、理解できない。

「あ――れ?」

 頬を、一筋の雫が伝う。
 それをぬぐおうとして、りんごは両手がふさがっていることに気づき、手にしていたナイフを『落下置転』で、すぐ脇の壁の側面に「置こう」とし――

 カラン。

 ナイフはただ、――「下へと落ちた」。

「どう――したんだろ――。あはは、変だな? なんで――」

 答える母親(もの)はいない。
 その認識を補正する悪魔(もの)もいない。

 彼女を守っ(くるわせ)てきた、竪琴はもう鳴らない。

 魔人能力は、強固な認識で世界を歪める力である。
 故に、その認識が揺らげば、その力もまた、揺らぎうるもの。

 曰く、魔人能力に触れた魔法使いは、『魔人堕ち』により、魔法の力を失う。
 なれば、魔女に触れた魔人が能力を失うこの状態を指す言葉は、『魔女堕ち』だろうか。

 かくて、原門りんごは、――『自分以外』への『落下置転』の使用権を紛失した。



エピローグ『魔女』

EP Chapter ”WITCH”


 天才であり天災。世界一不味な薬。正道にして浅薄。真昼の月光。
 頑固で憎らしく、謹厳実直な変態性、存在さえ認めたくないが金の卵は産む雌鶏。
 大魔女ラフランスを知る者は彼女をそのように評する。

 魔女の術識世界に「魔人能力」という薄っぺらな概念を本格的に持ち込み、『魔人堕ち』という疫病を広めた感染源。

「気分はどうかしら。西の魔女。全てを救おうとして、全てを壊す元凶となった哀れな女」

 女はネオンの向こうに煙る夜空を見上げて目を細める。
 懐かしい旧友に呼びかけるように。

「あなたの落下を止めるのは――全を救うあなたの娘じゃない。まして、佼魔の老いぼれたちでもない。ただ、厳然と善だけを掬う、私の可愛い毒リンゴ、神無き庭の禁忌の果実」

 ここは神無側(カナガワ)
 神無き世界の魔女の庭。

「『落下置転(フォーリンアップル)』から『楽園追放(フォビドゥンアップル)』へ。四度の戦いは、あの娘が、全ての悪と魔を叩き伏せ、この星から放逐する『絶対正義の殺人鬼』になるための儀式(リートゥス)

 善ならずと断罪されたものの血を浴びながら、女は今宵も高らかに笑う。

「さようなら、全を救わんとした残骸。あなたは、どこにも(おちら)れない。」

 ――全裸で。

【大魔女ヴェナリス 地球到着まであと4日】

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