プロローグ(十三代目武田信玄)

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プロローグ(十三代目武田信玄)


甲斐国は甲府に置かれた躑躅ヶ崎館。
武田家の本拠、否、世界の中心であるその館は、ここ数日近年なかった重苦しさで満たされていた。
その原因は、信濃国に突如出現した"大空洞"である。

「探索はまた失敗か」
「うむ」

躑躅ヶ崎館の執務室で頭を突き合わせているのは武田家の重臣たちである。
山県家、馬場家、高坂家、内藤家、滅多なことでは顔を合わせぬ四家の当主が揃っていた。
"大空洞"には既に武田家から四度の探索を実行していた。
情報封鎖はしてはいるが、人の口に戸は立てられぬ。既に民間の腕自慢たちにも"大空洞"に挑んでいる気配がある。
それでもなお、"大空洞"は依然として信濃に存在していた。


あるいは、信濃国でなければ重臣たちはこれほど所詮は他人事よと事態を軽く見て、積極的に関わることはなかったのかもしれない。
しかし、"信濃国"である。
信濃国は信玄公のお膝元であり、タケダネットの中枢である"諏訪湖"のある土地だ。

歴代の”武田信玄”たちは皆"諏訪湖"にその身を沈め、ニューロンをタケダネットに捧げてきた。
いわば、武田家にとって"諏訪湖"はタケダネットの中枢というだけでなく、歴代の武田信玄が眠る"聖地"でもあるのだ。
その"聖地"に突如現れた正体不明のものを放っておいては"武田家"のメンツに関わる。

『武田家千年の太平のため、あの"大空洞"を放置しておくことは出来ぬ。』

それはあらゆる派閥の垣根を超え、武田家重臣たち共通の思いとなっていた。

「それで、"例の件"はどうなった。」

筆頭家老である馬場信良が口を開いた。
"例の件"とは二度目の探索隊員が証言に関する調査である。

『中で、武田家を知らぬという魔人と戦った。』

タケダネットが人民を支配するこの世界に置いて武田家を知らぬ者などいるはずがない。
ならば、"大洞窟"は平行世界とも繋がっているのではないか。という話が持ち上がったのである。

「は、恐れながら、調査対象が多く、平行世界方、過去方、未来方を総動員させておりますが、未だ全ての世界の調査を終えることは出来ていません。」

そう答えたのは、六波羅探題総督真田信房であった。

「構わぬ、現時点での結果でよい、申してみよ。」
「結論から申しますと、あの"大空洞"は複数の世界と複数の時間軸を跨って存在しているようです。」

その答えは、馬場に冷や汗を流させた。

「やはりか。」
「はい、しかし、全ての世界のすべての時間軸に存在しているというわけでもないようです。」
「では、あれを我が世界に出現させたのには何らかの作為があると?」
「いえ、そこまでは。我々が出来たのは"大空洞"の存在を他次元で観測することだけです。」
「あれを作ったのが何者で、その目的がなんなのか、そこまではわからぬということだな。」

馬場の言葉に、真田はただ頭を下げることで応えた。

「どうするのだ、馬場。あの"大空洞"が平行世界からのやってきたものであるというのなら、それは侵略行為であろう」
「しかしな、内藤どの、あれは未だ何をするわけでもない。中に入らなければ我らが領民に害を加えるわけでもないのだ。それを侵略と言ってよいものか。」
「弱気な。我らは常勝不敗の武田家であるぞ。侵略であろうとなかろうと、この行為は我らにケンカを売っているものだ。ならば武士の誇りを通すために買わねばなるまい。」
「山県どの。ワシはそうは思わぬ。戦は相手を見極め落とし所を決めてから始めるものだ。相手の正体も見えぬうちから戦いを仕掛けるのは武士の戦ではない。」
「はっ。違うな、結果を恐れ行動をせぬものこそ、武士ではないのだ。武士ならば舐められた殺す。誇りのために死ぬ、それでよいのだ。」
「うぬは、ワシが弱気の風に吹かれてるとでも抜かしたいのか。」
「そうは言っておらぬ。だが、馬場どのがそういうのであれば、或いはそのとおりなのかも知れぬな」

馬場の手が、愛刀へと伸びた。
それに応じるように、山県が腰を上げ、唇を噛んだ。

一瞬にして溶岩のような怒気が室内を満たし、満たされた怒気はすぐさま氷のような殺意へと変質した。
馬場の足の指先が畳に沈んだ。同時に腰を鋭く回す。踏み込みの強さで刀の初速を極限まで高める馬場家独特の刀法である。

それに応じるように、山県は自らの唇を噛みきった。唇から溢れた血は全身を覆うように流れていき、やがて紅の鎧となる。
武田の赤揃え。初代、山県昌景より代々受け継がれし魔人能力である。

「やーっ」
「おう」

白刃と赤い拳が同時に互いの首元へと飛び、
そして止まった。否、止められた。

「そこまでだ。」

馬場と山県の間に年端も行かぬ少年が立っていた。
いまだ、前髪が垂れている。少年ながら、切れ長の目と形の良い赤い唇がわずなに妖艶さを醸し出している。
その少年が、馬場の刀と山県の拳を受け止めていた。

「『お屋形』様っ!」

馬場と山県が叫んだの同時だった。叫んだのも同時であれば、平服をしたのも同時である。

「よい、頭をあげよ。」
「しかし、我らがお館様に刃を向けてしまうとは」
「よい、俺がお前らの前を通って邪魔をしたのだ。それで頭を下げられても帰って困る。」
「はっ」

平服をしながら、二人は空恐ろしさを感じていた。
武田家家老は、血筋や頭の出来だけでつける役職ではない。何よりも圧倒的な武力がある故に周囲に認められる役職だ。
その二人が、全力で相手を殺そうと放った一撃を、目の前の年端行かぬ少年があっさりと止め、殺気すら剥いでいった。

(これが、我が主君、『十三代目武田信玄』…)

「それでな、"大空洞"のことだが。俺が行くことにした。」
十三代目武田信玄は、野駆けに行くとでも言うように軽い調子で言った。

「なるほど、あれは内藤や山県の言うように異世界からの侵略なのかも知れぬ、ならば、武家の棟梁として俺が出向き、侵略者を退治するのが筋であろう。」
神妙な口ぶりである。
「なるほど、馬場の言う通り侵略ではなくただの来訪者なのかもしれぬ。ならば、この世界を支配するものとして俺が出向き、挨拶をせねばならぬだろう。」
しかし、久方ぶりに存分に力を振るうことのできる場がやってきたこと喜びを隠しきれていない。

「しかし、お屋形様。」
馬場が具申をしようと頭を上げる。
万一にお屋形様に何かがあったら
いまだ敵の正体も目的もわからぬなか出向くのは危険である
足軽衆を出向かせるのが不安であれば我らが
様々な正論が脳裏に浮かぶ。だが、それらの正論は

「申してみよ。」

少年の笑みを前に、全てが吹き飛んでしまう。
自分が負けることなどありえぬと、自分こそが最強であると信じ切っている微笑み。
その表情に、馬場もあてられてしまった。

「いえ、お屋形様の武運を、お祈りしております。」

「うむ、吉報を待っておれ」

少年の足元から、とん、と軽い音が鳴った。
軽やかな足取りで躑躅ヶ崎館を駆けてゆく。
躑躅ヶ崎館の住人はその足音から武田家のまばゆい未来を夢想した。

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