生徒会SS2




SS


無題1(by口舌院五六八)



五十鈴真紀(いすずまき)には才覚があった。

それは暴力や危険の匂いをいち早く察するという、護身の為の才。
しかし、彼女はそれを自らを危険から遠ざけるためには使わなかった。
むしろ、彼女にとって与えられた才能は、
積極的に危険の中に身をゆだねる為の格好の道具に過ぎなかった。
彼女は理不尽な暴力や束縛に快感を覚える、ごく普通の変態であった。

五十鈴真紀、圧倒的暴力に捻じ伏せられるのを本望とする少女

彼女が「暴力の化身」と出会うことになったのは入学して三日目である。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
五十鈴真紀 邂逅
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「おっス、クワトロ・スペシャルのウルトラクリスピークラストLLと
 牛丼つめしろとろだくアタマの大盛り3杯、買ってきたっス」

どんな学校にも一定数不良やいじめがあるように、ここ妃芽薗学園にも存在する。
彼女は入学早々に、そういった「匂い」を発するグループに近づき
不用意を装って、目を付けられに行った。
当然、不良という生物は自身の体の延長としての「舎弟」を常に求めている。
驚くほどあっけなく、真紀はそのグループのパシリの位置に収まることが出来たのだ。
不良達は、鴨がネギしょってきたとでも思っているだろう。
馬鹿め馬鹿め、捕食者はこっちだと内心ほくそ笑む真紀であった。

「何これ、もうチーズ冷めかけてるんですけど」
「こっちも肉冷めてるし、つめしろ(訳注:ご飯を冷やご飯にすること)意味無いじゃん。」
「そ、そんなこと言われても、遠いんスから、仕方ないっスよ」

嘘だ、もっと早く戻ることも出来たし、熱々のまま持ってくることも出来た。
だが、それでは意味が無い。
彼女は疑われない程度にピザと牛丼を冷ましていた、もちろんお仕置きを期待してのことだ。

「おいおい、これじゃシメシがつかないっしょ」
「あーあ、またお仕置きされちゃうね」

女不良達は、独創性の欠片も無いセリフを吐きながら五十鈴に近づく。
五十鈴は、ありったけの小動物オーラとでもいうようなものを発し
不良たちを挑発していた、早くいじめたまえと。

「ちょ、勘弁してくださいよ……」

溢れそうになる笑みを殺しながら、迫る愉悦の瞬間を待つ五十鈴。
この時までは、五十鈴はこう考えていた。
「自分より弱い存在になじられる、いたぶられるのが快感だ」……と。

実際、五十鈴は強かった。
恐らく、この場にいる不良五人くらいなら即座に始末できるだろう。
「いじめさせてあげている」という意識が根底にあったのかもしれない。
その、優越感こそが快楽を生むのだと五十鈴は考えていた。

だが、それが勘違いであると思わされる事になる。



ひとつ、例え話をしよう

蚊やノミといった動物は、他の動物から吸血行為を行うことによって生命維持を行う。
その範囲は人類を含む哺乳類や鳥類、特定の種にいたっては両生類や魚類などにも及ぶ。

蚊やノミは自身の習性に従って獲物を追い求める。
もし、この時、蚊やノミに人類並みの知性があったらどうなるだろうか?

少なくとも人を獲物には選ばなくなるのではないだろうか。
相手はその気になれば、気まぐれで自分たちを明確に殺す力と知性がある。
ならば、リスクを最低限にするためにも他の動物を選ぶだろう。

五十鈴真紀は知性を持ったノミであった。
不良やDV男等に寄生して暴力を甘受する。
寄生対象に飽きたらさっさと乗り換える。
依存することもされることもなく、コントロールする。
今まで後腐れなく、うまく『やってきた』

だが、その時、五十鈴真紀が出会った存在は
自分がコントロール出来る範疇を超えていた。
どちらかと言えば「自然災害」に近いものであった。

「ひゃっほう」


今にも五十鈴に掴みかかろうとしていた不良の一人が横滑りで飛んでいく。
そして、そのまま瓦礫べいに突き刺さった。

五十鈴には青い閃光に見えた「それ」は人の腕であった。

「おーおー、今年の一年は元気が良くてお姉さんうれしーわー」

掴みかかってきた不良を、突然現れた誰かが殴ってぶっ飛ばしたということが
一瞬遅れて五十鈴にも理解できた。

不良たちはあっけに取られている、当然だ、自分に知覚できなかったのに
こいつらに瞬時に判断が出来るわけがない。

「んー、イジメは良くないよな。だから可愛い後輩を助けるための、この喧嘩は『あり』だ」

この人が何を言っているのかいまいち真意を汲み取れない五十鈴であったが
ただ一つ分かったのは、この人が本気を出せば不良も自分もまとめて
ほんの数秒で人から「肉」にされてしまうだろうという恐怖であった。

「え、……サキ?」
吹っ飛んだ仲間を案ずるように不良の一人が崩れかけた塀に駆け寄る。
残りの三人は、件の闖入者を取り囲むように距離を測っていた。

「うんうん、やる気充分じゃねーか」

切れ長の眼をさらに吊り上げて笑う少女。

「おい、あんた何もんだよ」
「2年や3年だからって、調子乗ってんじゃねーぞ」

いつの間にか、ある者はナイフ、ある者はチェーン等、獲物を取り出していた。
そこに、仲間の所へ向かっていた少女も戻って来た。
これで4対1だ。

ニヤニヤ笑いながら、手で掛かって来いよとジェスチャーをする乱入者
背後を取った不良の一人が真っ先になぐりかかる。
後頭部を狙ったその拳を、少女は振り向きもせずに左手の平で受け止めた。

刹那、ぐちゅりという嫌な音ともに拳は潰されていた、骨が飛び出ているのが見える。

同時に前から三人が襲い来る、一人はナイフをやたらめったら振り回し
もう一人はチェーンを鞭のようにしならせる。
最後の一人はボクシングでも嗜んでいるのか、ステップを踏み
攻めると見せかけてサイドステップで側面を突く。

そこから先は、一瞬であった。
ナイフ不良のナイフが届くよりも早く、少女のつま先が水月に叩き込まれる。
一瞬遅れて振り下ろされるチェーンを、右手で無造作に掴むとぐいと引き寄せる。
体勢を崩し前につんのめるチェーン不良の顔面に、即座に戻した蹴り足の膝を叩き込む。

ボギリ

恐らく鼻が砕けたであろう音が響く。

引込みがつかなくなったボクシング不良がストレートを放つが
左手を引いて、後ろから殴ってきた不良の腕で受ける。
そしてチェーンを離した右拳が青い光を曳きながら打ち抜かれる。


ほぼ同時に倒れこむ4人
そして響き渡る絶叫、そのなかに一つの笑い声

そんな暴力が吹き荒れる空間から颯爽と一人だけ抜けだした少女が
五十鈴真紀に声を掛ける。

「よう、大丈夫だよな……えーっと「ま」「い」、「ま」「き」?」
「あ……真紀でス……」
「おっ、じゃあ、あれだ……苗字はいすずか?いすずまきだな?」
「あっ、はい、そうでス」

何が面白いのかよっしゃあとガッツポーズをする少女。
その体や服には一部、生々しい血の跡が滴っている。
もちろん彼女自身は何の傷も負っていない。
その様子を見て五十鈴は考えた、こういう人だ。
こういう人が虫でも殺すような感覚で人を殺せる人だ……と。

ああ、理不尽な暴力の権化よ、死を撒き散らす舞踏よ。
憧憬とも扇情ともとれぬいいしれない気持ちに突き動かされふらふらと少女に近寄る五十鈴。
「それ」に惹かれることが、どんなに危険なことか分かっているのに。

「おう、大丈夫か……足震えてんな、ガクガクしてんぞ」

ふ、ふふ、そりゃ震えるっスよ

下着がぐちょついて歩きにくい、もうこの下着使えないな等と
ぼうっとした頭で考えながら歩みを進める。

自分が何をしでかそうとしているか、
どこか冷静な自分が止めようとする。
だが、もう無理だ、私はこの死の匂いを振りまく少女に魅入られてしまったのだから。

きょとんとした顔で、こっちを見ている少女

なんでさっきまで血なまぐさいことしてた人がそんな顔出来るんでスか?

息がかかる距離まで近づいた時に、ようやく事の異常さに気づいた様だ。

もう、遅いっスよ

五十鈴は背の高い少女に抱きつき、顎に右手を当て引き寄せ接吻をした。

「気持ちわりい!」

五十鈴の後頭部に拳が振り下ろされる。
五十鈴は彼女の唇の感触を楽しむ暇もなく昏倒した。

これが五十鈴真紀と口舌院五六八との出会いであった。    了




【素極端役の清掃活動】



光あるところに影あり、というのはよく聞く話だ。
少なくともここ、海浜リゾート『メロウズ』という場所において、それは少なからず事実として存在する。
だが、お客様達にそれを気取られるわけにはいかない。
お客様はここに光り輝くリゾートを満喫しに来ているのであって、余計な影はお呼びではないのだ。
その結果何が発生するかというと話は単純で、余計な影をお片付けするお仕事が発生するのである。


私立妃芽薗学園臨海学校、1日目、深夜。
メロウズホテル地下、中央管理空調システム基幹部。
直径200mを超えようかという広大な地下空間から、各部への配管が整備されている。
このホテルの空調を一手に握るこの施設内に、動くものは誰もいなかった。
痙攣する警備員たちと、黒いライダースーツの男。
そして、『私』を除いては。

「くくく……バカなやつらでガス。この俺様のガスにまともな人間が抵抗できるわけがないでガス」

異様な男であった。
その肉密度は重量級の関取もかくやというほどの巨体。全身をぴっちりと覆うライダースーツからはえもしれぬ『これどこで売ってるの?特注?』感がにじみ出る。
そしてなにより、男の顔面は軍用と思われるガスマスクで覆われていた。
異様な、男であった。
ありていに言って変態であった。
控えめに言ってもあまりお近づきになりたくない。

「失礼な気配がするでガス! まだ隠れているやつがいるでガスね? 出てくるでガス!」

おっと、心の声が漏れたかな?
ぶんぶんと怒ったように両手を振り回す巨漢の気配に、『私』は肩をすくめる。

「出てこないでガスね。この串威武手 毒人(くしいぶて・どくと)様に恐れをなしたガスか? まあその方が好都合でガスがね!
 我らの『換気口を通じて毒ガスを流し女子学生大量死、メディアキャンペーンを通じて腐れリゾートを撤退に追い込もう作戦』はもう完遂間近でガス!」

やめようよそういうバカ丸出しなネーミングなのに被害甚大な行動に出るのさあ!?
しかしそれは大変だ。そんなことをされたら確かにリゾート運営どころではなくなってしまう。
メディアキャンペーンまで視野に入れていることを考えると、こいつはリゾート反対派の中でも過激派、そして勢力の大きい連中に飼われている魔人といったところだろう。
見た目は丸腰だが、おそらく毒ガスを使う能力者。毒ガスのボンベを持ち運ぶ必要もなく、作戦には適任という訳だ。
そしてこいつを阻止できる人員は、少なくとも彼の半径100m圏内には存在しない。
『メロウズ』大ピンチだ。
普通ならね。


カカカカカカッ。
コンクリートを何かが連続して叩く音が響き。そして。

「ガスゥ!?」

次の瞬間、ガスマスク男のライダースーツのあちこちが切り裂かれ、男がたたらを踏む。
周囲には人の姿が見えなかったにもかかわらずだ。

「ちぃっ、腐れリゾートの手の者でガスね!?
 見えないのに攻撃……透明能力者でガスか!! おのれ小癪なでガス!」

ガスマスク男が両手をぶんぶん振り回す。癖なのかなあれ。
それと同時に彼の周囲にいる警備員たちの痙攣が激しくなる。
あ、やばい。ガスの濃度上げたとかそういうやつだあれ。
『私』はたぶん大丈夫だけど、警備員のみなさんの危険が危ない。
でもまあ……集中はだいぶそげたみたいだし。行っちゃおう。

『私』は柱の陰でかるく柔軟をすると、ふらりと姿を現した。
かつん。コンクリートの床をブーツがたたく音。
その音に、ガスマスク男がはっと振り向く。
カカカカカカッ。
『私』の足音が高らかに響いたのと、ほぼ同時。

「何者で、ガスぅっ!」

詰問の声と悲鳴を同時に響かせながら、ガスマスク男が吹き飛んだ。
うん、今度はちょっと衝撃強めにしたからね。いくら巨体って言ってもきついでしょ。
とはいえ彼もさるもの。とっさに空中で体制を整え、きれいに着地して見せた。
ちょっとした曲芸だね。お姉さん拍手しちゃう。

「拍手するなでガス! 馬鹿にしてるのかでガス!」
「まあ、割と」
「おのれおのれ、リゾート会社の犬が! 名を名のれでガス!」
「デb……じゃなかった、不審者に名乗る名前はないね」
「今デブって言いかけたでガスね!? これは筋肉が半分以上でガス!
 おのれ……えーと、スゴクハヤク! 覚えたでガスよ!」
「……なんで名前分か……あ」

そういえば急いできたから、胸のネームプレートがそのままだった。不覚。

「まあともかく、毒ガスまみれの不審者さんにはご退場してもらおうかと。
 覚悟してよね。ええと……さっき名乗ってたけど、何だっけ。毒々しいデブさん?」
「串威武手毒人でガスぅ! もう堪忍ならんでガス、女、覚悟でガス!」


怒髪天を突いたのか、ガスマスク男がこちらに向かって突進してくる。
並みの人間どころか、魔人でもひき潰しかねない恐ろしいスピードと破壊力だ。
並みの魔人なら、だけど。
私は余裕をもって突撃をかわす。ちゃり、とお気に入りの耳飾りが音を立てた。

「なんとでガスっ!?」

ガスマスク男が驚愕する。体勢が完全に崩れた。今!
数ステップで空間の端の壁まで移動し、クラウチングスタートの姿勢を作る。
そして、数瞬の間をおいて即座にスタート。

「S(素極端役さんの)……」

一瞬でトップスピードに達する。
音速を超えた私が衝撃の刃を発生させるけど、それは『彼女』が防いでくれるから、室内の被害の心配はしなくていい。

「S(すごく速い)……」

音速を超えた勢いのまま、100m超の距離を一気につめた私は、ガスマスク男に突撃した。
もちろん、彼にかわす事なんてできるはずもなく。

「H(ひき逃げ)!」

直撃を受けた彼がどうなったかは、言うまでもないだろう。
あ、死にはしなかったみたいだけどね。頑丈だなあ。

※※※※※

「……ふう」

大体の後始末(警備員さんの救護手配とか、男をこっそり警察に引き渡す段取りとか)が済んだ後。
シャワーを浴びてバスローブに着替えた私は、従業員にあてがわれている個室のソファに沈みこんだ。
自慢じゃないけど、フロント兼魔人用心棒なんて仕事をしているとそこそこいいお賃金がもらえるので、このぐらいの柔らかソファは役得である。

「今回のは普通の魔人で助かったなあ……ちょうどウォームアップになってくれた感じ」

独り言は、私の昔からの癖だ。
状況を認識するため、考えを口に出す。
昔はこれで変な子だって思われたりもしたっけ。

ため息をついて、ソファの横のサイドボードに放ってあった手紙に視線を落とす。
魔人同士の死闘への招待状。
拒否権は無し。
はっきり言って割と冗談じゃない話、だけど。

「逃げるわけにはいかないし、生き残らないといけない……そうだよね、三十(みと)」

呼びかけた相手は何も答えはしなかったけれど。
彼女がどう答えようと、私の答えは決めていた。

……この後、私は地獄のような戦場に巻き込まれていくこととなる。

(素極端役の清掃活動:了)




二重人格者の過去―①―


この世に産まれ落ちた時には、既に私達は一緒に居た。
それは明確にハッキリと認識出来てた、私自身の内に存在するもう一人の私。
「忌子」と呼ばれ「鬼子」と蔑まれた少女、それが『羅喉』だった。

「気味が悪い――――――――――」
産まれて間もない私を見て、実母が放った第一声がソレだ。
後で知ったが、産まれた時の私は右眼が碧眼、左眼が紅眼の虹彩異色症(オッドアイ)だったそうで、実母はそんな私達を偉く怖れた。

それでも、優しく接してくれる人も居た。
それが実姉のレオナだった、彼女とは三つ歳が離れていて、まだ幼かった私達をよく可愛がってくれたと記憶してる。
そして、私達が一歳になる頃には虹彩異色症も治まったのだが――――――――――。

『初めて私が、自分の意思で表に現れたのは一歳の誕生日だった。
あの時の事は多分、死ぬまで忘れない。』

ひっ!
『母は小さく悲鳴を上げて腰を抜かした。
それは無理も無いと思う、普段は計都が表に出てるのだけど、その際は髪が黒色で両目とも碧眼なのだ。』

め、目、眼が紅い!!
『そう、私が出る時は両目とも紅眼になり、そして何故かしら髪が金髪になってしまうのだ。
全く、本当に困った体質?だ。』

悪魔!この子は悪魔の子よ!
『大層取り乱す母を尻目に――――――――――。』
初めまして!私はレオナ!貴女のお姉さんよ?よろしくね!!
『とても嬉しかった、普段から母や周囲の人達から疎ましく思われている私達に、何の物怖じもせず接してくれた。』

『それからの私は、母の隙を見ては表に現れ、レオナ姉さんと遊ぶようになった。
あの頃の私はそれが生き甲斐だった――――――――――。』




【素極端役の連戦連敗】



失敗したなあ。
浜辺に横たわりながら、私はぼんやりと考える。

時刻は夜。所々欠けた星空から、欠けていない月……満月が地上を睥睨していた。
高いところから欠けた自分を嘲笑されているようで、微妙に不愉快になる。

軽く首をもたげて、自分の下半身を見た。
密かな自慢だった引き締まった2本の脚のうち、左側のそれがあった箇所がぽっかりと何もない空間と化している。
端的に言うと、私の左脚は太ももの付け根のあたりですっぱりと切断されているのだ。
出血はだいぶ前に止まっているけれど、それが逆に何もない感じを強調してしまう。

軽く咳き込む。抑えた手には、べっとりと張り付く血糊。
もう幾度目になるか分からない喀血。拭き取るのも面倒になって、手は乾いた血で赤黒く染まってしまった。
胸やらお腹やらから鈍い痛み。多分内臓やられてるんだろうなあこれ。

この傷(ってレベルで済んでるかは置いといて)は、もちろん普通の事故で負った物ではない。魔人との戦闘行為によって受けた負傷である。
相手となった彼女は確か、月雨 雪(つきさめ・ゆき)と名乗った。

 ※ ※ ※

私は最初から見敵必殺の構えだった。多分相手もそうだったのだろう。特に長話をするでもなく、互いに軽く名乗ってからはすぐに戦いとなった。
彼女は最初は守勢に徹する構え、私はそこに細かくちょっかいをかけて、相手の集中力を乱そうともくろむ。
それはうまくいったように思えた。数合互いに打ち合った後、相手はおそらく渾身の一撃であろう、重い打撃を放ってきたのだ。
私はそれをほぼまともに受けてしまったけれど、チャンスだと思った。
相手の体制は崩れ、呼吸は乱れ、隙だらけ。
だから私は距離をとって突進の構えをとり……動き出した瞬間に自分の失策を知ることになる。
体勢を崩し呼吸を乱していたはずの彼女の口元には、くっきりと三日月のような笑みが浮かんでいたから。
そのまま私の突進は軽くいなされ、背後から気道を絞められた。
なんとかそれを振りほどいた私だけど、次の一撃をいなす力は残っていない。
彼女もそれを見抜いたのか、笑みを浮かべ。

『足の速さが自慢なようですので、まずはそれを削いであげましょう』

そんな言葉とともに、先ほどとは質の違う、日本刀の一閃のような一撃を、私の左脚に見舞ったのだった。
その瞬間の痛み、喪失感、絶望。
あなたが想像できるなら、それはあなたが人生で最悪の時を過ごしたことがあるってことだろう。

そして、断言してもいい。
その痛みにはさらに底がある。

 ※ ※ ※

脚を失ったショックから何とか立ちなおり、おざなりな治療行為を施して、戦いに赴こうとした刹那。
月雨 雪は再び、私の前に現れた。おそらく私を探して歩いていたのだろう。
彼女の顔を見た瞬間に、それは分かった。こちらを認識した彼女の顔に、さきほど見た三日月のような笑みが満面に咲いたからだ。

『先ほどはありがとうございます。あなたにほとんど怪我を負わずに勝てたおかげで、他の方々も滞りなく倒せまして』
それはどうも。で、今更私に何のよう?
『あら、分かっていらっしゃると思いましたが』
……何よ。
『無論、あなた相手なら楽に勝てると踏んだからです。お気に障りますか? 事実だと思いますが』
…………。
『黙ってもいいことはありませんよ? 私たち魔人の力の原動力は【中二力】……失礼ですが大人のあなたに、その蓄えがあるとはあまり思えないものでして。
 実際、それは正解ですね。先ほどの脚の怪我も治癒できてないようですし』
……なぶりに来たってわけ。いい趣味してるじゃない。
『ありがとうございます。最高の褒め言葉です。お礼に今度は……そうですね』

『肺活量には自信がありそうですから、次はそれを生み出す臓腑を砕いてあげましょう』

戦いの結果がどうなったのかは、言うまでもない。

 ※ ※ ※

「はーあ……」

割とやっていられなくなった。それが今の私の正直な感想だ。
どうするんだろ。こんなデスマッチの只中でやってられませーん、だなんて言って通るわけがない。
だとしたら、この後。

「死ぬのかな……私」

それはとても嫌な想像だ。
『彼女』が守っていてくれるのに死ぬなんて、冗談でも口にしちゃいけないかもしれない。
だけど、今の私は控えめに言って満身創痍。
普通ならとっくに三途の川を幅跳びで飛び越えてそうな勢いだ。
普通ならね。

……でも、普通で何かいけない、のかな。

そう思った刹那だった。

「きゃ……ど、どどどどうしたんですかお姉さんっ!」

素っ頓狂な声が響いた。
みると、ピンクの髪をしたセーラー服の美少女がこちらを見て慌てている。
だけど、驚いたのは私も同じだ。

「……三十(みと)? なんで……」

彼女の姿は、かつて私とともに歩んでくれた『彼女』の姿に瓜二つだったから。

 ※ ※ ※

「三十の姪っ子さん、かあ」
「はい、そうです。三十お姉さん……一三十(にのまえ・みと)さんは私の母の妹に当たります」

気が付けば、彼女と私は並んで砂浜に横になり、世間話に花を咲かせていた。
話題の殆どは、共通の知り合いのこと。
といっても、彼女……一十(にのまえ・くろす)ちゃんの方からは三十はたまに親戚会議で会うお姉さん、程度の認識でしかなかったようだが。
彼女が若くして亡くなったことも、人づてに聞いていた程度、らしい。
共通の話題が口を軽くするのか、いつの間にか私はプライベートのフランクな話し方になっていた。

「亡くなってしまったのは残念ですけど……三十お姉さんはきっと、うれしいと思いますよ」
「なんで? 自分の名前の年齢にもなれないで死んじゃったのに」
「うちの一族、三ケタとか兆とかいるんでそれは別に珍しくは」
「そ、そう……」
「ええと、そういうのではなくですね」

こほん、と咳払いをして、十ちゃんは言った。

「亡くなってからもずっと思っていてくれる人がいるってことは、幸せだって思うんですよ。
 それってきっと、生きててくれるってことだと思うんです」

海辺にあるまじきさわやかな風が吹いた。
なんとなく百合の花の香りがしたような……いや、なんでさ。

「……ふふっ、ふふふっ」
「む、蘭さん何がおかしいんですかっ。
 私今結構いいこと言いましたよ!?」
「いや、ごめんごめん。
 でもそうだね、思っていれば生きてる、ってことかあ」

思い続けること。
思いながら、生き続けること。

「……そういえば十ちゃん、デスマッチの勝敗は二連敗って言ってたよね」
「はい、残念ながら」
「じゃ、手負いのお姉さんを相手に勝ち星持ってきなさい」
「え……えええいいんですか!? じゃなくって、そんなことできませんよ! 蘭さんボロボロじゃないですか!」
「いいからいいから。もちろん手を抜くつもりはないけど、あなたになら私からの勝ち星、上げてもいいかなって」
「うー……では遠慮なく」
「ほんとに躊躇ないなー!?」

てなわけで。
素極端役 蘭、これにて三連敗と相成りました。
でもま、これなら気持ちよく次の戦いに行けるかな。
……十ちゃん、完全に脚潰してこなくてもいいのに。おー痛。

(素極端役の連戦連敗・了)




『二つの西瓜は手のひら一つに納まらない』一玉目



昼食後の自由時間に浜辺へと群がる女生徒の集団、皆が思い思いの水着を着て海に飛び込んでいく。
時に笑い声が、時に黄色い歓声が、時に雄たけびと悲鳴が入り混じる砂浜。
そんな賑やかな場所から少し離れた場所になぜか一本だけ生えているヤシの木。
都合よく広がった大きな葉が影を作る天然のビーチパラソルの下に彩妃言葉は座っていた。

夏の日差しは思っていたより暑かったので即席の麦わら帽子を編んで被っている。
海水を入れた波のできるプールで泳いだことはある、でも自然の海で泳いだことはあっただろうか、よく覚えていない。
小さい頃の記憶を思い出しながら押しては返す波をぼんやりと眺める。

マツお爺ちゃんと一緒ならいっぱいお話できるのにな……

家でも使用人たちとは会話をほとんどしないコトハにとって知らない人間しかいないこの状況で話し相手を見つけることは困難を極める。
自己紹介や挨拶は問題なくできた、ただそれ以上の話が続かない、笑顔で小さく手を振るのが精いっぱいだった。

どうやったらお友達ができるのかな……お爺ちゃんに自慢できるくらい沢山の……
ふと、波の音に混じって人の声が聞こえる。

「……あの、聞こえてますか?」

ずっと考え事をしていたせいかすぐ横に人がいることに気が付かなかった。
ゆっくりと声のしたほうに振り向くと小柄な少女が立っていた。

「あぁ、よかった。もう少し無視されていたらこの『O-26ガロン カスタム』が火を噴くところでした、水鉄砲ですが。」
「ごめんなさい、あの……こんにちは」
「こんにちは、お隣よろしいですか?」

コトハがこくんと頷くと少女は背負っていたタンクを降ろしそこに腰かけるように座った。

「見ない顔ですね、初めましてでしょうか。あたしは大鶴ぺたん、高等部の三年生です。」
「コトハ……彩妃言葉です」
「コトハさんはむこうにいる人たちと遊ばないんですか?」

ふるふると首を横に振る。

「そうですか、あたしはちょっと巨乳どもを駆逐してきたところなのでほとぼりが冷めるまで避難してきたところです」

巨大水鉄砲をチラつかせるとそれをタンクの横に置く。

「本来ならあなたのその大きな胸も駆逐対象なのですが今は疲れているので許してあげます」
「……ごめんなさい」
「いや、その、謝られても困るというか、嫌味じゃないですよね?」

きょとんとした顔で首を傾げる。

「そんな『なんで?』みたいな顔されてもですね……胸が大きい人はみんな頭のネジが緩いんでしょうか」

自分の胸に手を当ててみる、大きいのかな?意識したことなかった。
目の前の胸を見てみる、確かに自分の胸は大きいのかもしれない。




『二つの西瓜は手のひら一つに納まらない』二玉目



「……いま、見比べましたよね?」
「?」
「比べましたよね?あなたのその巨乳とあたしのこのぺったんこな胸を!」
「あの……」

突如、鷲掴みにされるコトハの双丘

「そもそもそんなスリムボディで巨乳とか!どうやったらそんなふざけた身体になるんだぁ。あぁ!?」
「……ご飯をいっぱい食べる、とか」
「毎日三食!栄養バランスもしっかりした物食べてるっつーの!ついでにおやつもだ!!」
「……いっぱい運動する、とか」
「水泳部舐めんなよ?泳ぐ以外にも走ったり筋トレしたりしてるからな!?」
「……いっぱい寝る、とか」
「早寝早起き、夜更かし厳禁!毎日7時間睡眠!!その乳は惰眠で育ってんのか、あ゛ぁ!?」

そっと開いた手の平を興奮する少女の前に向ける。

「……5(ぼそっ)」
「あぁん!?」
「5年、くらい」
「は?5年って……えっ?」

さすがに予想外の答えが返ってきたのかぺたんの勢いが止まる、しっかりと両手でコトハの胸を掴んだまま。

「5年くらいずっと寝てたみたいです。家の人がみんな言ってました」
「それは、なんというか……マジですか……」

二人の間に気まずい空気が流れる、が胸は掴んだままである。

「……5年って、コトハさん何年生なんですか?」
「今年で高等部の3年生になったって聞きました」
「まさかの同い年かぁ……(年下だと思ってました)」
「あの、大鶴さん」
「あ、え、何でしょう?」

慌てたようにようやく両手を離すぺたん。

「よかったらお友達になってくれませんか?こんなにお話できた人、初めてなので」
「このタイミングで言います!?私は巨乳の友達になる気なんて……」
「……(しゅん)」
「ああもう!なんでそんなに分かりやすく落ち込むんですか!!」

いそいそと水鉄砲とタンクを持ち上げ退散しようとするぺたん。
急ぎ足でヤシの木陰から離れるとコトハに向かって指を指す。

「いいですか!あたしは巨乳と馴れ合うつもりはありません!同級生としてお話してあげるだけですからね!!」

そう宣言すると雄たけびを上げながら海面に浮かぶ生徒達の群れに突撃していった。
ぺたんの去り際の言葉を理解したのかしていないのか、コトハはどこか嬉しそうな顔をしていた。
そっと被っていた麦わら帽子に手を当てると黄色とピンクのバラの花が咲く、それは新しい話し相手が出来た証。


彩妃言葉&大鶴ぺたん 応援SS『二つの西瓜は手のひら一つに納まらない』終




二重人格者の過去―②―



『私達が4歳を迎えた時の事を思い出すと、今でも気が可笑しくなりそうだ。
それは突然だった、レオナ姉さんが養子に出された。
母は、私達に優しいレオナ姉さんを邪魔者と思っていたようで、色々と理由を付けて家から追い出した。』

これも貴女のためを思ってよレオナ?
『直ぐに嘘だと解った、言葉ではどんなに取り繕っても、母の顔は嬉々としてにやけていた。
今思い出しても殺意が湧いてくる。』

『計都は何も言わず静かに頷くだけで、本当は心の中で泣いていた。
だけど、ここで引き留めることでレオナ姉さんに迷惑を掛けてしまうと思い、私達は何も出来なかった』

『家を離れていくレオナ姉さんの背中が少しずつ、そして確実に小さくなっていく。
私は内側で、計都は表で、静かに涙した――――――――――。』

実姉が家を去ってからは、私達は愛玩動物かそれ以下の生物として扱われた。
今思い出しても、よく今まで生きて来れたと感じてしまうほどに、あの頃はみすぼらしく、とても悲惨な幼少期だった。

「なんだ、まだ生きてたのね、本当にしぶといんだから――――――――――早く死ねばいいのに」
実姉が居なくなり、実母の発言は辛辣になった。
平気で「死ねばいいのに」と言ってきたりする。
食事にしては三~四日に一食貰えれば良い方だ、酷い時はパン二~三枚で一週間過ごしたこともあった。
餓えはまだ我慢出来た、だけど、渇きだけは我慢することは出来なかった。

「ほら、水よ?」
そう言って実母はコップ一杯の水を持ってきて――――――――――バシャッ!
床に水をぶち撒けた。

そして――――――――――「床でも舐めてなさい」と――――――――――。

『そして、私達の中で何かが弾けた。』




【素極端役の一心同体(前)】



ふうわり、ふわり。
空中のような、水中のような、不思議などこかを漂う私。
ああ、これは夢だな。どこか冷めた頭でそう考える私。
その私とは別に、この心地よい空気にとけ切ってしまいそうな、そんな感覚を覚える私もそこにいる。
だけど、溶けてはいかない。
熱くて冷たい、暑くて涼しい。矛盾した双極が対立しあわず、溶け合うでもなく、ただ双極としてそこにある。
それは不思議な気分だけど、私にとっては慣れ親しんだ気分。
16年前、彼女とともに歩むことになってから、ずっと。

※ ※ ※

ハリネズミのジレンマ。原文ではヤマアラシのジレンマなのだそうだ。
それがハリネズミで有名になったのは、とあるアニメのタイトルからだとか。
近づきたいけれど、近づくと傷つけて、傷ついてしまう。そんな感情がどうのこうの。
おえらい先生方のそんなお話とは大して関係も深くなく、私の魔人能力は唐突に目覚めた。
ジレンマの名を冠したその力は、文字通り近づくものすべてを傷つけた。
いや、傷つけたなんて生ぬるいものじゃない。薙ぎ払った、が正解だと思う。
並みの人間ならそのまま即死。魔人でも油断すれば大けがを負う。
そんな衝撃波……ソニックブームを、私の一挙手一投足とともに生み出す。
それが私の魔人能力、『ハリネズミのジレンマ』だった。

どうしてそんな能力に目覚めたのかは、よく覚えていない。
中学生特有の全能感とか、排他的感情とか、その辺りがごちゃ混ぜになっていたような気がする。
だけど、目覚めたときの気持ちははっきりと覚えている。
すべてを傷つけられるという、歓喜。
すべてを傷つけてしまうという、絶望。
背反する感情を、刻んで潰してごちゃ混ぜにしたような。
その感情は、まさしくジレンマだった。

私の私生活は荒れた。
当然と言えば当然だ。おはようからお休みまで他人と物を破壊して回る、そんな女がまともな社会生活を営めるはずがない。
中学校での私は恐怖の傷害常習犯として扱われ、罰がない代わりにまともな権利も与えられなかった。
真面目に調べたことはないけれど、魔人と言われる連中のなかでも飛び切りのアナーキストだった自覚はある。

そんな私が、魔人の坩堝である私立希望崎学園に放り込まれたのは、まあ当然と言えば当然の帰結だ。
だから、彼女……三十(みと)と出会えた事は、一種の必然だったのかもしれない。
もちろん、ただの偶然であった可能性も同等程度にあるけれど。
運命というやつの数奇な結びつきであった可能性も否定はしないけれど。
私は彼女との出会いにそういう華美な装飾をすることを望まない。
ただ純粋な出会いであった。それは、それだけの事だ。

※ ※ ※

起きて、蘭、起きて。
んー、あと五分。いや十分。むしろ十分に。

寝ぼけたとき特有の妙な会話が脳内で始まる。
いつもは彼女と再び出会えるこの時間を大事にする私だけれど、今回はさすがに少々勝手が違った。

誰かが来てるよ。きっと魔人。
おっと、それはいけないね。

跳び起きる。先ほどまで跡形もなかった左脚、ぐちゃぐちゃだった右足、ついでに内臓も、今はしっかりと元に戻っている。
彼女との微睡の時間からの贈り物だ。感謝して、今度は大事に使おう。
両手をぐーぱー。両足をとんとん。軽くステップを踏んで調子を確かめる。
調子は良好。ちょっと血まみれ(さっきまでさんざん喀血してた血だ)なのを除けば問題なし。
私は笑みを浮かべ、前方からくる誰かを待ち受ける。
やがて現れた、虎の顔のマスクをかぶった少女。
私はにっこりと笑って、言った。

「いらっしゃいませ、メロウズへようこそ!」

※ ※ ※

私たちの戦いの後半戦の始まりである。
私たちが出会ってから、何度目かの大きな戦い。
今度も生き残る。それだけの思いを胸に。

私たちの物語は、もう少しだけ後に取っておくことにしよう。

(素極端役の一心同体(前)・了)




雨竜院愛雨、ホリラン第1T終了時SS【Side: 胡蝶】



今日は、長い夜だった。十星迦南さんとの戦闘に破れ痛めた左脚が、熱を持って疼く。『リフメア・サーキュレーション』による自己治癒では治せないレベルの負傷だ。明日朝イチで医者に診てもらおう。……十字架使いの迦南さんは強敵だった。恐らく、名のある組織の構成員だろう。そんな戦い方だった。

「うっ……ぐううっ……」痛む左脚を無理矢理ベッドの上に引き上げる。同室の子たちは、既に寝ている。私も眠らなきゃ。眼鏡をそっと外してケースに仕舞う。金雨ちゃんから貰った大事な大事なケースに。明日の朝、お風呂入れるかなぁ? そんなことを考えながら眼を閉じた。

青い空。青い海。白い砂浜。入道雲。みんな水着で、楽しくはしゃいでいる。岸からかなり離れた所で、三角形の背鰭が泳いでる。(鮫……?)私は怯えた。私は鮫が苦手だ。でも、良く見ると、その鮫は着ぐるみだった。もっと良く見ると、着ぐるみを来てるのは雨竜院雨(うりゅういん・さめ)さんだ。

雨さんは、人間の姿になることができるサメだ。なんで着ぐるみ着てるの……? そんなわけで、結局はサメだったけど、雨さんは荒っぽいけど良い人なので安心だ。やっぱり少し怖いけど。そう言えば、左脚の骨折が治ってる。それに私の服が変。水着じゃなくて、モンゴルの民族衣装を着てる。なんで?

ああ、夢か。ようやく、ここで気付いた。私はよく『一周目』の世界の夢を見る。そこでは私は死んで、幽霊っぽい何かになって金雨ちゃんを見守ってる。夢の中でも金雨ちゃんは可愛い水着を着て、楽しい臨海学校を満喫していた。そんな金雨ちゃんを眺めてるのが楽しくて、いつの間にやら夕暮れ時。

「え!? なんでいないの?」「○○!? どこいったの返事して?」「ちょっと、ウソでしょ!?」周囲から悲鳴じみた声があがる。私には判った。あいつが、近くにいる。ハルマゲドンの案内人、蓮柄まどか。次々に女生徒たちが連れ去られる。なんとかしなきゃ……!

海の上に、白いフードを被った影が浮かんでいる。今にも一人の女生徒を連れ去ろうとしている所だ。あれは……あのアメフラシの着ぐるみは……衣紗早包ちゃん!! 駄目だ……もう間に合わない……! そして、私の心臓を更に凍りつかせる出来事が。金雨ちゃんが、包ちゃんを助けようとしている!

「ダメ!! 包ちゃ――」そう叫びながら泳ごうと水を蹴った金雨ちゃんの足を、私は無我夢中で掴んだ。「ひっ!!」上ずった声を上げて振り向く金雨ちゃん。私の手に伝わる温かい液体の感触。私は、悲しげに笑って首を振る。「ごめんね。でも助けられない。金雨ちゃんまで連れてかれちゃう」

そこで、目が覚めた。(まさか……?)悪い予感がして、股間を確認する。うん。良かった。漏らしたりしてない。「うぐっ!」痛みに私は呻き声を上げる。ああそうだ、忘れてた。脚、折れてたんだった。朝だ。もうお医者さんやってるかな?

後で金雨ちゃんに聞くと、この夜、金雨ちゃんも私に助けられる夢を見たらしい。何だろう。私達『転校生』だけでなく、一般の生徒達の中にも『一周目』の記憶が混じり始めている気がする……。そして、衣紗早包ちゃんの姿は消えていた。

【Side: 胡蝶】おわり




【エるだぁ・マじかる・フぁいなる・メもりぃ】



ハルマゲドン開始と同時に。
儂の背後から、不気味な声。
冷たい地獄の底から響くような、逃れ得ぬ死を告げる声。

「吾輩はメリー……」

羊の頭を戴いた長身の奇怪な人物。
『番長』メリー・シープの姿が儂の後ろにあった。
(ツツジ君! 菜子君……!)
敵番長が突然自陣営最奥部に出現した異常事態に、周囲の仲間が臨戦態勢を取る。
メリー・シープはすぐには攻撃を仕掛けて来なかった。
ならば、簡単に討ち取れるのでは……?
一瞬、甘い考えが浮かんだが、そうでないことは魔法力(あるいは中二力)の流れで見て取れた。
こやつは、儂とだけ精神的にリンクしている……つまり、ツツジ君たちとメリーは干渉できず、奴は、儂だけを殺せるのだ。

省エネモードを解除すれば海ソーサリーで返り討ちにできる……いや、モード遷移の隙に討たれよう。
ダッシュで振り切ることは……いや、こやつの能力は位置関係を無視して儂とリンクする能力だ。
本体を長距離狙撃すれば……いや、プリンセス会長がタレットモードになっていたとしても届く位置ではない。
あらゆるパターンを検討したが、儂の死は免れぬ、という結論しか得られなかった。
これが陣営リーダーの力か……ふむ、隼会長と対峙した吊井君の気分はこんな感じじゃったのかのう。

「皆の者、慌てるな! ツツジ君は儂を殺せ! 他の者は作戦通りの陣形を取るのじゃ!」

儂はそう叫ぶと、両手をロクロに構えて全力で魔法粘液を分泌する。
大技『ハぃぱぼりぃ・ヴぃすかす』。
両腕の手甲と化したマスコット『ぷてりん』の脚から緑色の粘液がだくだくと溢れ、巨大な球体を形作ってゆく。
メリー・シープが儂への攻撃を可能となるまで、およそ1分。
こちらに駆けて来るツツジ君が儂の息の根を止めるまで、およそ30秒。
それまでの間に、一人でも多くの者をこの空間から救い出さねばならぬ。
儂は精神を集中し、大魔法を練り上げようとした。

ぱしゃり。
頭上に掲げた巨大な粘液玉が不意に弾け、粘度の低い単なる水のような液体となって散った。
粘液魔法の失敗だ。
確実に迫り来る死の恐怖によるものか、儂は精神集中を乱し人生最後の大魔法を失敗したのだ。
まあ、人間、誰しも失敗はあるものだ。
特に、ここぞと言う時に普段通りのことはなかなか出来ぬものじゃ。
そうじゃろう? 片桐さん。

しかし、折角の能力を発揮できずに死ぬのは残念なものだ。
毒雪姫にも、林檎を投げておいてもらった方が良かったのかもしれない。

「後藤さん……すみません……!」

沈痛な面持ちで、ひつじ執事のツツジ君が迫ってくる。
鋭く尖った二本の角。
確実な死。
ああ、迫り来る死の鋭角に、スティファニーさんは何を思ったのだろうか。
後悔の多い人生だったが、十分以上に長く生きたから、ここで死ぬのは惜しくない。

「さらばじゃ、ぷてりん。長いこと世話になった。おぬしは最高の友じゃったよ」

80年を共に過ごしたマスコットのウミサソリに別れを告げる。
甲冑をパージ。マじかる・リんくをシャットダウン。

(ごとうサン・・・サヨナラ・・・)

甲冑形態から通常フォルムに戻ったぷてりんは、儂の頭をハサミで優しく撫でてくれながら、霞のように消えていった。
魔法的接続を切り離した今、ぷてりんはこの閉鎖空間に留まることはできないのだ。

……無防備になった儂の脇腹を、ツツジ君の角が抉り取った。
致命傷の一撃。脇腹に空いた穴から、赤い血がどぼどぼと溢れ出す。
脇腹が燃え上がったような激しい痛み。
覚悟していたよりも痛くなくて拍子抜けする。
血と臓物の匂い。五十年前の記憶を呼び覚ます、懐かしい匂い。
南海さん。猫岸さん。ようやく儂もそちらへ行く時が来たようじゃ。

南海さん。
君の国から来た後輩たちは、皆、立派な魔法少女になったぞ。
例えば、一二兆という子や、雨竜院愛雨という子は、君の後輩の夢見花卒羽に憧れてサバゲー部に入ったそうじゃ。

猫岸さん。
君の弟が、どれだけ立派な奴だったか、そっちでたっぷり聞かせてやらなければのう。
あのスコップを受け継いだ子は、来年には警察官になるそうじゃよ。

ずいぶん長く生きてしまったと思っていたが、向こうに行った時の土産話は沢山できた。
そう思えば、儂の人生も無駄ではなかった。

ツツジ君が首を振り上げ、二撃目を放つ。
鋭い角が、儂の喉を斬り裂く。
感覚が麻痺してしまっているのか、痛みはまったく感じない。
ただ、目の前が赤く……白く……光に包まれ……

(おわり)




4.5T目後星座SS 星を継ぐもの




 ここは「メロウズホテル」のオンテーブル・ビュッフェ。
 潮風が香り、灼熱の太陽も地平を暖めるには足りないそんな時刻頃、幾人かの少女たちがくるくるり、会話の喧騒の方が料理を回すより気になるそうで。

 そんな中、親しげな表情で誰ぞやに語りかける一人の女性がいた。
 (でねー、ハリガネムシくん。川にはカマキリが飛び込んで――)
 *1
 一人と言っても独り言でない二人言。だけど、漏れ聞こえはしない。気心の知れたプラトニックな友人たちはひそやかな会話を楽しんでいる。

 平和な一幕――。
 この女学生を少し前に通り過ぎた可愛らしい人の介在についてはご想像にお任せしますが、学生側貸切のはずのこの施設の利用が認められたことにこれから紹介する誰かが関わっているとしてもいい。
 けれど、替えの効かない人間は確かにいるんだ。僕はそう信じている。

 「流水に身を投げ、生態系の輪に乗るとは殊勝な心掛けだね」
 「いや、別に……。それより委員長、百年前の人にしては詳しいんですね?」

 サイドテールにした茶髪が揺れる。悪いけど私について特筆すべき点はないんだ、ごめん。
 妙にキラキラした女の子がいた。どこで売っているのか甚だ疑問な真っ青なセーラー服の上に闇を象ったような黒い外套の組み合わせはまるで宇宙空間に抱かれた青い星のように見えた。
 この人に比べると、見た目少々控えめな私が言えるポイントなんて特になくなってしまうんだ。

 私の名前は倉谷風(くらやふう)。死後、自分の存在を抹消するなんてよくわからない能力を持ってしまった魔人だ。
 ……、臨海学校の前の日、眠れない眠れないと思いながらも、疲れているとそんな条件付けさえ忘れてしまうのかもしれない。なぜかいた羊頭の変質者とか羊の皮を被った執事さんとか、珍しい人を見たからかもしれないけどさ。ひつじがにひー、き。

 「"星座"観測が好きと聞いて、なんて殊勝な子がいるんだと思ったよ」
 この先輩「雨月星座(うげつ・せいざ)」は天文委員長。天文委員? って思ったその疑問は大体当たってる。天文部は去年までは、確かにこの学園に存在していた。
 「この星座を見るといいよ。きみの知らない星はすべてこの星座の物だ」
 ……こんな調子だ。この自称百年前から来た先輩は流れ星のような手際の良さで天文部を乗っ取って、学園の認可の下に自分を崇め奉るような、そんなバカげた活動に変えてしまった。
 もうこの世に存在しない星を、ここに来れば見つけることは確かだけど。

 「なら委員長、あなたをお星さまにしたらどうなるんでしょー?」
 十星迦南(じっせい・かなん)さんだ。天体観測とか言って、一部では土星先輩をウォッチングしている噂もあるんだ。意味が違うと思うんだけど、最近は雨がよく降るからその替わりと言ったところかもしれない。

 「星座をバラバラにすると? ふふふ、面白いことを言う。あの夜空で隣り合っているなんて人間の錯覚に過ぎないよ。光年を隔て、者によっては塵と月ほどに大きさが隔たっているかもしれないのに?
 星座は人の体、一所(ひとところ)に平等に集いし極小にして濃密なる一つきりの星座。一人きりの星座である!」

 長大な黒髪をなびかせながら、そんなわけのわからないことを言い出しても損をしないのだから度を越した美人と言うのはイカれている。
 「ブラックホールの間違いじゃあ?」
 そして、それに言い返せる迦南さんもなかなか肝が据わっていた。一本調子で呑気な中に明らかに敵を混ぜていた。美人が睨み合う光景と言うのは中々に恐ろしく、二人を挟んだ位置にいる私はもっと恐ろしい。


 「ハリーのやつの尾っぽを捕まえるのは中々大変だったよ。これでも小さな頃は地球が滅ぶかもしれないと必死だったから、毎日毎日見つめたものさ」
 ばさりと振り回した外套をさっと通り過ぎるようにして光が走った。
 眼鏡の魔法使いでなく、七十六年に一度地球を訪れる彗星は今は地球人の慰み者となっていた。代用魚でないシシャモを頭から齧りながら綺羅星を引き連れた彼女は武勇談を語る。少々悲しそうな声で。

 ……言うまでもなく、雨月星座は、星を見るものすべてにとっての敵でした。
 だけど、それを見たいと思うものにとって、この女は星になってしまう。幾千の星を己を着飾り立てるための道具にしてしまって。許せるものではなかったんだ。
 「百年前に宇宙条約は発効されていないから。星座の星座はそのすべてが星座のものなのですね。残念でした」

 盗んだ星座の数は二十から増えていない。けれど、それは絶対ではない。
 法の及ばない今の内にと思って挑んだ私は星座に敗れた。日を嫌がった真っ白い肌も細い腕も、全てが侮らせるには十分だった。私と同じ、転校生に準じる実力者だと言うことを忘れさせるほどに。

 ……念を入れてちょっと大人しくしていたのが悪かったみたいで、久しぶりに見た委員長は酷く人間離れしていた。むしろ最初から人間だったのか怪しいくらいで……魔人を越えたなにかということを……。
 たくさんの死体を引き連れてやってきた星座は、文字通り滅茶苦茶だった。

 私の十字架は人を殺すには十分な破壊力を持っていたと思う。
 完全に殺すつもりで放った必殺技を耐えきったと言っていいの……? あれは盾?
 だめだー、トラウマがちょっと残ってるよ……。血だらけになっても笑ってたし……。

 十星迦南に謎は多い。
 荒事に慣れていたとしてもおかしくはないし、仰々しい二つ名を持った一般人と考えてもおかしくはない。ただ、少しばかり場数が足りなかった、それだけの話だろう。彼女に素質はある。
 結果を見ると、雨月星座は能力の強力さと引き換えに酷く使いづらい。所属組織の長を崇拝し、星によって飾られた自分自身でさえもそのリーダーの装飾品へと貶めようとする姿勢は常軌を逸している。
 力はあっても、全く戦力として計上できないのだ。

 それに引き換え、同じく謎だけで出来ている人種であっても十星迦南は使いやすいと言えるだろう。
 表が。たとえそれが表に見える何かであっても、普通の顔があるのだから。


 「このムツはメロだね。このホテルも完全無欠とはいかなかったと見えるね」
 知った口を聞いているが、つい一年前まで幽閉されていた身だ。味なんて知ったこっちゃない。
 幼子の頃から習い親しんできたバリツも錆びついて久しい。ようやく体が暖まって来たが、狂人の真似事をしてようやく戦闘者に届く。殺人者である鮫氷しゃちや矢達メアには掠ることもなかったけれど。

 ふふっ、何をバカげたことを考えているのだろうね、僕は。
 そもそも怪盗の真似事をしている僕に探偵を名乗る資格などないじゃないか。

 「委員長……、これから何が起こるんでしょうか?」
 倉谷風、可愛い子だ。これは僕に男としての情欲が残っていることを意味するわけではなく。
 けれども、求められれば応えたいと思っている。……、体を重ね合うなどと下賤な妄想に浸るな、下郎! 
 おっと、三毛猫ちゃんが男の子になったらそんな風に口を聞いてあげないなんてことが出来たのですが。僕も少々桃色遊戯に興味を持っていたようです、失敬失敬。

 倉谷風、彼女はその時が来れば僕を殺せる魔人です。
 少なくとも殺そうと挑みかかることが出来る人種なのだからこれを称揚しないでなんとしますか?
 「自分が無と消えることを生きているうちに知るのなら、それはきっと己が掛け替えのない存在であるとを自身が揺るぎなく信じているのだ」
 …………。
 「どういう意味ですか?」

 後輩の疑問に対し、愛いヤツだ、と、今はもう奪われた、男としての僕、その残滓が囁く。
 あの日、父様に――を奪われた日から僕は一生男を愛することは無いのだろうと知った。あれからずっと、女の影を追っていて――。毎日、姿見で日を置くごとに女に変わりゆく輪郭を見ていた。
 直線より曲線を、丸みに抵抗するように、あまり食事をとらなくなった。

 毎日置き捨てた昨日の死体は家人に持ち去られ続け、行方は知らない。あの日の夢を見続け、眠ることをやめた。星ばかり見ていた。金星が人の姿を取るのを見てしまった。
 それからは星を見つめ続けている。誰でも夜を徹して見つめていれば僕の者になる。
 そうしていると、目を塞がれた。その頃には女の身に自惚れるようになっていたから当然かもしれない。

 探偵の家に縛られ続けたけれど、探偵であることに特別な思いを感じたことは一度もない。
 痛みを与えられたことも純潔前の何かを奪われたことも、探偵とは何ら関係ないと思っているから。
 探偵に救われ、感謝はしている。あの方に出会えたことにも。

 与えられた自由を自分から投げ捨てる悦楽を知った。それを含めての自由なのだと知った!
 だから、自分の手で一つの可能性を閉ざした彼女のことを僕は好ましく思う。あなたの見る世界はあなただけの物、他の誰かから見られたあなたがいらないと思ったその選択を羨ましく思ったかもしれない。

 嗚呼、答えずもせずに、他の女を見る女を許しておくれ風よ。
 そうして、思い悩む君の顔も酷く魅力的だから。少しイジワルをしたくなる。

 「迦南さんのことも、僕は愛しているよ」
 少し、嫌な顔をされても構わない。
 色んな物をつまみ食いするその姿勢は嫌いじゃない。二人ともそう長い間じゃないけど、見せてもらったよ。特にきみの瞳の色が好きだったよ。星の色。

 天狼星よりなお青い星――地球は青い。百年前では到底知り得ることのできなかった宇宙から見た明瞭な地球のカラー写真、それを見て僕は泣いたよ。
 だけど、曇りのない大気などありはしなかった。泣き顔を見せないきみが少し、憎かったよ。


 ――さぁ、この前哨戦もそろそろ大詰めか。
 天下が取れないならせめて天上を奪ってしまえばいいと思ったけれど、案外地に足を着けた方が強かったのか、勝ち星は多くなかったんだ。
 流し目を送っていれば、お星様になってくれるなんて甘い考えだったみたいだね。

 「明治生まれを舐めるな、矢達メア」
 貴様が何を考えているかはさっぱりわからない。けど、死人が蘇ってくるなんて愉快を許すつもりはないさ。魂はこの星の座(くら)がすべて載せていくから。
 あの方の回す羅針盤に一切の間違いはなく、革命暦(カランドリエ)は命を革(あらた)める!

 そうして、誓いもそこそこに一通り食事を終えた雨月星座は席を立った。
 何だかんだで美味しい食べ物に夢中に見えたこの麗人である。紡いだ幾つかの言葉から彼女の何を知ることができたのかはわからない。ただ、尋常ならざることは確かであった。

 夏の日は続き、降り注ぐ雨と言えば流星ばかり。
 雨月星座の纏う外套の名は「墨雨」と言い、雨竜院家の有する「蕗の葉」なる商標(ブランド)に属する雨具だと言う。
 節約家の彼女は、丈夫な品を好んだ。この雨具なら流星雨くらい跳ね返すだろうと思って値を見ずに選んだ。その判断は間違っていない。
 文明開化の折りに在野から突如として現れた近代書道の立役者「門司秀次(もじしゅうじ)」の協力によって完成したその品は、墨子の守りに倣ったか百年を耐えるほどに堅牢で撥水性にも優れると言う。

 ――必ずしも過去とは未来の礎で留まるとは限らない。
 未来が逆流して過去を侵すこともあり得るのだと教えてくれた。
 たとえ倉谷風の未来に死が待っているのだとしても、時の流れは過去から未来へ流れていくことを祈るばかりである。
 過去から未来へと脈々と流れる血、人類の歴史の中で受け継がれる血脈、流血少女。
 数多の少女が血を流すけれど、その血はどうかあなただけの物ではないと知ってほしい……。

 ぽつり、ぽつり……。潮騒に魅かれてやって来た十星迦南が戻って来る。
 誰かの願いは雨音に紛れて消えていく。血の跡を洗い流すのもきっと雨なのだろう――。





無題2(by口舌院五六八)



「おい、通訳、飯でも喰わねーか」

苦虫を噛み潰した顔が見たければ、その時の雪月通訳の顔を見るのが適切。
そう思わしめるほどの、苦虫を噛み潰した顔を通訳はしていた。

「わざわざ中等部まで何しに来たんですか?」
「さっきも言ったろ、飯食わねえかって」

雪月のクラスメートが少しざわついている。
傍から見れば優等生に不良がいちゃもん付けているようにしか見えないのだ。
知り合いだから大丈夫だと説明しながら、通訳は五六八の顔を見る

……笑ってますね

確信犯だ、いつものイタズラ好きの血が騒いだのだろうとひとりごちた。

「なぁ、いいじゃねぇか、同じくぜ「分かりました、行きましょう」

何を言わんとするか察した通訳が、五六八のセリフを遮って答える。
より、一層にやつく五六八。

絶対に、ぜぇぇったいに確信犯ですね。
ちょっとむくれる通訳、カワイイものである。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
口舌院、その傾向と対策
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「五六八さん、どうしたんですか?顔色が悪いですよ?」

苦虫を噛み潰した顔が見たければ、その時の口舌院ご六八の顔を見るのが適切。
そう思わしめるほどの、苦虫を噛み潰した顔を五六八はしていた。

「……おい、てめぇ、あたしがカレー嫌いなの知ってるよな?」
「ええ、幼少の頃からの付き合いですから、もちろん存じています」
「ほう、それでもカレーを頼むと……」

犬歯をむき出しにして威嚇する五六八だが、通訳はどこ吹く風とばかりに受け流す。

「せっかく、五六八さんにお食事に誘っていただいたので、好きなモノをいただこうと」
「喧嘩売ってるなら買うぞ?」
「いえいえ、そんな気は毛頭ありませんよ」

混み合った学生食堂の一角で火花が舞い上がっていた。
様子を見た一般の学生たちはわざわざ近寄るまいと距離を取る。
その結果、彼女たちの周りだけ空席が出来ていた。

「見ただけで頭が破裂しそうだ……」

五六八は、げんなりとした顔できつねうどんを啜る。
頭が破裂「しそう」ではなくて頭が破裂「したから」嫌いなくせに……と
通訳は考えたがさすがに口にはしない。
わざわざ地雷を踏みに行く必要はなかろう、意趣返しはここまでだ。

「ところで、何の用ですか。」
カレーをゆっくりと口に運びながら通訳が本題を切り出す。
五六八が通訳の所に顔を出すのは、そう珍しくは無い。
だが食事に誘うなんてことは、なかなか無かった。

「あ、別に特に用事なんかねーよ。同じ口舌院のはみ出し者同士仲良くしようぜ。」
「私は今『雪月』通訳です」
「あん、本家筋の人間が何いってんだよ」

ぐびりぐびりとうどんの汁をすすりながら唐揚げにかぶり付く。

「宗家の人間が言っても、何の説得力ありませんよ……」
「どっちにせよ、おめーもあたしも爪弾きもんだろうが」
「そこは……まぁ、否定しませんが」

弁舌や詐術を基本とする口舌院家には、肉体派の魔人は少ない。
その点、五六八と通訳は珍しいタイプであった。

通訳はどちらかと言えば口舌院の素養に溢れている
ただ、その上で肉体能力が逸脱しているだけだ。
ただ、それであっても口舌院の家風として
「暴力に頼るのはみっともない」という風潮があるのは確かだった。

五六八に至っては「暴力の化身」という表現がなされるほどであった。
口舌院宗家出身ではあったが殆ど忌み子のような扱いを受けてきた。
その性質が明らかにされた当初は軟禁されていたほどである。

「しかし、『口舌院』の性を捨てるなんてよっぽどだぞ。
 口舌院すら名乗れない分家の連中が聞いたらヒス起こすぞー」
「関係ありません、口舌院であろうと無かろうと、私は私です」
「ほおー、言うねぇ……」

きつねうどんとかしわおにぎりと唐揚げと春巻きとを平らげた五六八は
ニンマリと笑った。新しいオモチャを見つけた子供の笑みである。

「『ぬぉぃりゅべきょぁっせょな』」

大きな声が食堂に響き渡った
多くの人間がきょとんとした顔で通訳たちの方を振り向く。
殆どの人間、いや、この場では二人を除いて
その意味がわかった人間はいないだろう。

もちろん一人は五六八である。そしてもう一人は……

「な、な、なんて事言うんですか。ここは公共の場所ですよ」

大声で抗議の声を荒げる通訳であった。

「おいおい、落ち着きなって、誰も『きゃー、あの子卑猥なこと言ってるわー』ってなってないだろ」
「え、あ……」

周りの人間は意味不明な大声が聞こえたためこちらを注視しただけである。

「口舌院の圧縮言語なんて分かる奴いるわけないだろ、けっけっけ」
「……嵌めましたね」
「ちげーよ、勉強熱心かどうか確認しただけだよ、『口舌院』さん」

圧縮言語、口舌院家の一部で使われる話法。
20以上の母音、50を超える声調などを使って一音に
ありったけの情報を詰め込む話法である。
盗聴を危険視したり、時間がない時の緊急連絡用として重宝するが
習得難易度は高く、口舌院家でも習熟したものはそこまで多くない。

圧縮言語に切り替える旨の宣言もなく、繰り出された五六八の発言に
即座に対応出来るのは圧縮言語を習熟している証であった。

「咄嗟に圧縮言語の解凍できる辺りは、さすがに優等生だな」
「いい加減、怒りますよ。それに誰にも分からないからってあんな卑猥なことを大声でなんて……」
「いやあ、清純でいいねぇ、お姉さん感激」

恨めしい顔の通訳と涼し気な顔の五六八
度々の攻守交替の末、今度は五六八が主導権を握ったようだ。

「まぁ、あれだ、どうせおまえさんのことだから『お兄様』絡みだろ」

ぴくりとも体は動かさずに、通訳の雰囲気が変わる。
静かに、それでいて深く大きく存在のみが膨れ上がる。

「お兄様がどうかしましたか?」
「おお、そんな怖い顔しなさんな、あたしは通訳の敵じゃねぇし……」
片手に持ったコップで口を潤し
「言語の敵でもねぇ」

五六八が嘘を付いている様子はないと思ったのか、緊張のレベルを引き下げる通訳。
口舌院同士で腹の探り合いをしてもしょうがないことはお互い十二分に知っていた。

「いきなりお兄様の話を振って来る意図が見えませんが……」
「んー、あたしから言ってもいいものかどうか分からんが」

卯月言語がこの学園の様子を伺っている……そう五六八は語った。

「結界広げてたら気づいたんだよ、最近ちょくちょく様子を探ってるっぽいぞ」
「……本当ですか?」

五六八の結界には、名前をある程度特定できる能力があることは通訳も知っていた。
だが、なぜお兄様が……私への連絡もよこさずに?

「言語の野郎は、なんだかんだ察しがいいからな……何か起きるかもしれねぇ」
「何かって……この学園でですか?」
「多分なー、でかい喧嘩になりゃ面白いんだが」
「冗談でも、そういう事は言わないでください……」

口舌院五六八にトラウマがあるように通訳にもトラウマはある。
真剣味を嗅ぎとった五六八は、それ以上茶化さなかった。

「ま、なんだ、何かあったら声かけろよ」
「……?」
「素直に受け取れよ、何かあったら味方してやるっていってんだよ」
「五六八さんが?」
「おう」

通訳はまず何かの罠かと疑った……口舌院五六八が味方になる
通訳と五六八は二つ違いである、幼稚園も小学校も同じである。
何の因果か中高すら同じ学校という悪夢。

確かに、味方についた五六八は心強い。
いじめを受けている人間を見かけると颯爽と間に入って
いじめの原因を物理的に取り除く。
だが、最終的に始まるのは五六八の暴力よる絶対的恐怖政治だ。
そして本人はそのことに気がついていない。
天然の問題児であった。

「今までお前さんを殴ってきた回数ぐらいは、お前さんの敵を殴ってやるぜ」
「それだと、この学校の全員を殴っても殴りたりませんよ」

二人の口舌院が席を立つ。
一人は、これから吹き荒れるであろう嵐に期待しながら
もう一人は、その嵐から皆を守る決意を秘めて。

嵐は刻々と近づいていた。        了



無題3(by口舌院五六八)



いろはのにっきちょう


きょうはごびゅうとつうやくをなぐった
つうやくはにかいなぐった

きょうはつうやくをむかえにきたげんごをなぐろうとしたけど
なぐれなかったのでくやしいです

きょうはごびゅうをいじめてるやつがいたので
ごびゅうといっしょになぐりました
たのしかったです

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
いろはちゃんとおねえさん
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「うんうん、良く書けてるね」
「えへへー、そうでしょう、いろはえらい?」
「うん、偉い偉い」

あたし、くぜついんいろは5さい。
くぜついんの「そうけ」なんだって、よくわかんない。
おねえちゃんも「そうけ」なの、えへへ、いっしょでうれしい。

おとうさんとおかあさんはやさしいけど、ほかのくぜついんのひとはつめたい
でも、おねえちゃんはやさしい。
くらいへやからだしてくれたのもおねえちゃんとおとうさんだったし。

「でもね、いろはちゃん、あんまり人を殴っちゃ駄目だよ」
「なんで?、なぐるとたのしいよ?」
「んー、殴られると痛いし、楽しくないからかな」

よくわかんない。
いたいって、みんなよくいうけど、いろはにはわかんない

「んー、そうね。その事は後ではなそっか、まずはお勉強」
「いろは、おべんきょうすきくない」
「もー、いろはちゃんが『おねえちゃんと一緒ならやる』って言ったんでしょう」
「うーー」
「我侭言っても駄目よ」

くぜついんはかいたり、しゃべったりがとくいだっていってた
でも、あたしはなぐるほうがたのしかった、よくおこられた

「んーー」
「もう、駄々こねちゃって」

おねえちゃんがあたまぽんぽんしてくれる、えへへ

「終わったら遊んであげるから」
「わーい」

いやだけど、おべんきょうする。

「ぼんまめぼんごめぼんごぼう、つみたでつみまめつみざんしょ、
 しゅしゃざんのしゃしょうじょう」
「惜しい、書写山の社僧正」
「しょしゃざんのしゃそうじょう」
「はい、良く出来ました。続けてー」
「こごめのなまがみ、こごめのなまがみ・・・・・・」

「はい、そうよ、もっと口開いて舌だして」
「えーーーーー」
「はい、そこでラタラタラタラタラタ」
「らたらたらたらたらたらた」

「しいわく、まなんで……ときに……」
「いろはちゃん、レのマークは何だったかなぁ?」
「えっとね、えっとね、ひとつもどる!」
「正解、じゃあ、これはどう読むのかな」
「えーと、ときに、これを……ならう?」
「良く出来ましたー、いいこいいこ」
「えへへ」

おべんきょうはたのしくないけど、おねえちゃんといられるのはたのしい

「はい、おしまい。頑張ったね」
「うん、おねえちゃん、あそぼあそぼ」

おねえちゃんのてをにぎる

「うん、遊ぼうか。でも、その前に……」
「?」

おねえちゃんはちょっとこまったかおをした
あたしがおやつぜんぶたべたときのおかあさんみたいなかお

「人をあんまり殴っちゃダメってお話しようか」
「えー」

なぐるのはたのしいけどなんでだめなんだろう
あそぶのもたのしいけど、あそぶなっていわれる

「あのね、いろはちゃんにはまだ分からないかもしれないけど……
 殴られると痛かったり辛かったり泣いちゃったりするの……」
「うん……ごびゅうはなぐられるとよくなく」
「でしょ」
「でも、いろははなぐられてもへーきだよ」

おねえちゃんはまたこまったかおをしてる

「あのね、誤謬ちゃんや通訳ちゃんは好きでしょう」
「うん、すきだよ。ごびゅうはいじめられるからまもってあげないといけないし
 つうやくもげんきがいいからあいてしてあげるの。
 あたしは、ふたりのおねえちゃんだよ」
「でも、殴るのよね」
「うん!!」
「じゃあ、お姉ちゃんの事、好き?」
「だいすき!!」
「お姉ちゃんの事、殴りたくなる?」
「え?」

おねえちゃんはなぐりたくない、あれ、なんで?

「……なぐりたくならない」
「なんでかな?」

なんでだろ

「わかんない」
「そっかー、わかんないよね」
「……うん」

なんでかよくわかんないけど、もやもやする

「おーい、お邪魔するぞ……っと、親戚の子供か」

だれか、きた。ながいぼうもってるおにいちゃん。

「あらら、グッドタイミングね」

おねえちゃんはわらってる、なんかわらったかおがきれい

「ちょっとね、この子に暴力はダメよって教えてて……」
「おいおい、物騒だな、まだ幼稚園児くらいだろう」
「この子はちょっと特別なの」
「特別って……一体どこが?」
「あのね、」

むー、おねえちゃん、こっちむいてくれない

「ねえ、おねえちゃん!!」
「あら、なぁに、いろはちゃん?」
「このひと、なぐっていい?」

なんか、このおにいちゃんをなぐりたいきぶん

「んー、……いいわよ。後、どうせなら青いの使っちゃいなさい」

ちょっとかんがえておねえちゃんはいった

「は?」

あたしはうでにあおいのをつけてなぐる
あおいのはおねえちゃんがつけていいっていわないかぎり
つけないってやくそくした

「ふふっ、『使わないと』死ぬわよ」
「おい、ちょ……ま……」

あたしはとびあがって、あおいのでおにいちゃんをなぐる
おにいちゃんはぼうをもってこっちに向けるやいなや刀が
鏡のように煌くあたしは瞬間的に拳を引っ込めようとする
が間に合わず拳が鏡面を直撃するも手応えがないと思った
瞬間にあたしの拳があたしの顔面目がけて襲ってくる反射
系の能力だと認識する前にあたしの唇は言葉をひねり出す
笑い真似に咽て仏の眼も見えない阿鼻へ立ち尽くす五十音
を揃えぬ限り余は破れざると言った途端にあたしの体は青
い皮膜に覆われあたしに返ってきた拳が無力化される時あ
たしは殴りかかった勢いの反動を利用して元の場所に戻る




……んー、いまのなに?



「おい、これはどういう事だ」
「言ったでしょ、この子特別なの。」

おにいちゃんがおねえちゃんにおこってる

「だからって、今のはあんまりじゃなっ、んぐっ、む、ん、」

ちゅぷちゅぱ……ぷちゅっ……ちゅぶっ、ちゅっ、ちゅっ、んう゛う゛~っ


あ、おにいちゃんとおねえちゃんがチューしてる

「ぷはぁ……、はい、お詫びおしまい」
「お詫びってあのなぁ、子供の前で……」
「いいじゃない、減るもんじゃなし」

ふだんとちがうわらいかたしたおねえちゃんは
なんかもやもやした

「ねえ、いろはちゃん、今度はお姉ちゃんを殴ってみようか」
「えー」
「殴りたくない人を殴ってみたら、殴りたくない気持ちがわかるかも」

あおいのはつけないで、おねえちゃんをなぐることになった

いやだけどなぐる、おねえちゃのいうこときかないできらわれたくない

なぐるのいやなのはなんでだろうとかかんがえながらなぐると
おねえちゃんは懐から何かを取り出しながらこちらをむいて殴
る方向が違うわよとつぶやいたと同時にまたしてもあたしの腕
がネジ曲がりこちらを狙ってくるまたかと思いながらも口ずさ
むが結界が出ないどうしてだと思う暇もなくあたしの目の前に
拳が迫る結界が解除されている何故だと思いながらお姉ちゃん
の名前がくぜついんあいうえおかきくけこさしすせそたちつて
となにぬねのはひふへほまみむめもやゆよわをんで形成されて
いることを知るあの一瞬で改名手続きを行ったということかと
思った瞬間についにあたしの拳はあたしの鼻先ににぶち込まれ
て鈍痛と共に後ろへ吹っ飛ばされていくも柱に当たって止まる



あたししらない、なにこれ、なに、え?
はなのところがじんじんする、あつい、なに
なに、ねえ、おねえちゃん、これ

なんで

「うわぁぁぁぁーーん」
「よしよし、いろはちゃん、これが『痛い』って事よ」
「うえっ、うえぇぇぇーーーーーん」
「よしよし、痛かったでしょ。でもね、本当はこれが普通なの
 殴られたら皆痛いのよ、誤謬ちゃんも通訳ちゃんも」
「いだい゛い゛い゛い゛ーーーーーーーー」
「うん、痛いの嫌でしょう」
「う゛んっ」
「だったら、むやみに殴っちゃ駄目よ。殴りたいからって殴っちゃ駄目
 殴らないといけないときにだけ殴りなさい。」
「う゛んっ、う゛んっ」

いたい、はじめて、いたい、かなしい
ごびゅうもつうやくもいたかったのかな
おねえちゃんのむねのなかでなきながら
あたしは……

※エピローグ、あるいはプロローグ※


「疲れて眠っちゃったみたいね……」
「おい、どうなってるんだこれは?」
「この子はね、生まれ付きの魔人でね、オートで防御結界貼っちゃうから
 今の今まで『痛い』って事すら知らずに生きてきたの」
「それは、難儀だな」

男が肩をすくめる

「結界を解除する方法もあるんだけどね、ちょっと戸籍が汚れちゃうから」
「戸籍って、一体何をしたんだ」
「本名変えたのよ、私が連絡したら即変更できる準備を整えてね」

女は防御結界の構造を男に話す、なるほど確かに通常の手段では破りづらい

「それにしても、なんで最初に俺にけしかけた」
「あら、やっぱり分かってたのね」
「当然だろう」
「あの子が殴るタイミングが掴みたかったのよ」
「それだけか」
「それだけよ」
「お陰で死にかけたんだろう、俺は」
「お詫びしたじゃない」
「そんな事ではごまかされ……」

女がセーラー服の上着を脱ぎ捨てる

「じゃあ、お詫びの続きしてあげる」
「お、おい、子供が起きるかもしれないだろう」
「何よ、かえって燃えるくせに、ふふっ」

女が男にしなだれかかり、やがて二人の影は一つになる。
「生徒会は…・・・」「……王さんも」「お楽しみ会」
享楽の声に混じり、ときおり深刻な話を交えつつ二人は睦みあった  了




【世界の外の墓地にて】



『山ノ端一人』と名前が彫られた石の墓標。
墓標はひとつではない。
無数の墓標が、いくつもいくつも並んでいる。
墓地を包むひんやりとした靄に隠れて見えない遥か彼方まで、永遠に続くかの如く並んでいる。
墓碑銘はすべて『山ノ端一人』。
ここは『閉鎖された墓地』。
ハルマゲドンの舞台にして、贄となった少女達が眠る地。
リゾート施設『メロウズ』とは位相のずれた、世界の外の墓地。

紫陽花色のレインコートを羽織った少女がひとり、墓地の中を歩く。
その手には邪神の名を持つ暗紫色の武傘。
コートの下は、迷彩柄のミリタリー調ウェア。
彼女は、まるで自分の家の庭を歩くように迷いのない足取りで墓地の中を歩んでいる。
それも当然のことだ。
この空間は、彼女が作り出したものなのだから。

レインコートの少女、雨竜院愛雨は、鮫氷しゃちと共謀して『山ノ端一人』を死に追いやり、ハルマゲドンの引き金を引いたのだ。
鴉取するめは良く働いてくれたと、愛雨は思う。
しゃちさんも、もう少しするめさんに優しくしてあげてもいいのに、と。
実際に手を汚したのは学園管理者側の操った傀儡。
だが、裏で暗躍したのは、するめであり、しゃちであり、愛雨なのだ。
ゆえに、愛雨は既に罪人である。
もっとも、愛雨の魂が地獄に落ちることはないだろう。
愛雨の魂を受け取る者は、ずっと前から決まっているのだ。

愛雨は、ひとつの墓標の前で足を止めて屈みこむ。
そして黒い皮手袋を外して、『山ノ端一人』と彫られた文字の上をそっと撫でた。
文字が幽霊のように薄れて消え、別の文字が現れた。
現れた文字は、『矢達メア』。
愛雨が、かつて名乗っていた名前だ。
これは、愛雨の墓である。

墓石の上に手を添え、眼鏡の奥の瞳を閉じる。
ぽつり。ぽつり。
雨が降り出す音が聞こえてくる。
そして、微かに鼻をくすぐるあのにおい。
今でも愛雨は、こうしてはっきりと思い出せる。
金雨ちゃんの雨。
『矢達メア』が死んだ時に、降っていた雨の記憶。
優しい、優しい、雨の記憶。

いつまでも、懐かしい記憶に浸っていたかったが、そうもいかなかった。
愛雨は大きく眼を見開いた。
武傘の止め紐を外し、傘を開いて掲げる。
べたり。
どこからともなく飛来した緑色の粘液を、傘が受け止めた。

「はじめまして、後藤老師。あなたの御名前は、どりみ先輩から何度かお聞きしています。お会いできて光栄です」

愛雨は武傘を回転させて粘液を振り払いながら、狙撃手に声を掛けた。
粘液弾を放ったのは、エるだぁ・マじかる、後藤うさ。
節足の甲冑を纏いし、古き魔法少女。

「解せぬ。何故おぬしがハルマゲドンを画策したのか……。じゃが、理由の如何にかかわらず、そのような目論見は潰させて貰う!」

うさは、胸の前で両手をロクロの型。油断のない海ソーサリーを構えた。
省エネモードを解除した後藤うさは数分しか戦闘を行うことはできないが、その粘液格闘術は侮れない!

「ふふっ、もう遅いですよ。こうして『閉鎖された墓地』が構築された以上、ハルマゲドンはもう避けられません」

タタン!
愛雨は懐からマカロフPMを抜いてニ連射。
紫のネガ雨乞い波動を帯びた二つの弾丸がうさを襲う。
うさは甲冑から分泌した粘液で盾を生成、弾丸を難なく受け止める。

その時、愛雨の能力『リフメア』が発動!
うさの粘液盾から水分が奪われ、逆向きの雨となって天に登る。
粘液盾の成分はほぼ100%水分だ! 盾が消滅!

「ぬうっ! やはり能力の相性は最悪のようじゃな! ツツジを置いてきたのは失敗だったかのう!」
うさが歯がみしながら次の粘液を分泌しつつサイドステップで距離をはかる。

「というわけで、観念してハルマゲドンにご参加願えますかっ!?」
愛雨のステップの方が速い!
粘液の水分が変化した癒しの雨を身に受けながら、武傘の突剣による突き!
雨竜院流『雨月(あめつき)』!

「もうハルマゲドンは懲り懲りじゃよ!」
粘液を纏った節足の手甲で紫の武傘を受け止める。
粘液が武傘にまとわり付き、動きを封じようとするが、武傘に纏っていた『リフメア』の波動が粘液を触れる端から逆さまの雨に変えて行く。
うさは『海ソーサリー』による絡め取りを断念、甲の固さのみで武傘を上に弾いて反らす。
ここまでの動きは愛雨も折り込み済みで、武傘を引いて次の攻撃に移ろうとするが……

がしゃん!
愛雨の想定していなかった衝撃が武傘に加わった。
それは、ぷてりんの鋏脚!
うさの頭部甲冑からウサミミめいて延びている、ぷてりんの鋏が強靭な一撃で武傘を更に弾いたのだ。

体勢を崩した愛雨に、うさの追い打ち!
両腕から少量の粘液を分泌して愛雨の顔の前でぱしんと手を打ち合わせて、粘液を飛び散らせる!
「ぐっ、猫騙し……!」
愛雨の眼鏡に粘液が張り付き視界を奪った一瞬の隙に、うさはミゅーかす・ドらいぶ跳躍!
そして逆向きの肩車めいた体勢で、愛雨の顔面に全身で組み付く!

「おぬしの脱水と、儂の粘液分泌。どっちが速いか勝負じゃ!」
うさが全力で粘液を分泌!
愛雨の頭部が分泌した粘液で球状に覆われる。
このままでは窒息死してしまう。
『リフメア』による脱水は?
既にやっている! 粘液の塊からはゲリラ豪雨めいた勢いの逆向きの雨! だが、追い付かない!!

「ご……ゴボォ……」
粘液の中でくぐもった声を出す愛雨の上体がよろめき、後方に傾く。
逆向きの雨は止んだ。うさは粘液分泌の手を緩めない。
勝負あったか!?


その時!
「ゴッボィ!(ドスコイ!)」
不明瞭な、しかし力強いスモウ・シャウトと共に、愛雨は急激に上体を起こした!
そして、そのまま前のめりに倒れこみながら、尻餅をつくように腰を落とす!
「なんじゃと!?」
突然の愛雨の動きに、うさは対応できずそのまま後方にバランスを崩す。
これは……っ! 恐るべき禁じ手の相撲技、パワーボムである!
「グワーッ!?」「ギシャーッ!?」
甲冑後頭部を石畳の墓地の地面に叩き付けられ、うさとぷてりんが呻いた。
石畳に亀裂が入り、周囲の墓標が微かに揺れた。
ばしゃり。うさの精神集中が途切れ、魔法少女能力の粘度操作によって形状を保っていた粘液玉が崩壊する。

「デストロイ……」
愛雨は酸素不足で朦朧としかけた脳をチャントで奮い立て、再びうさを持ち上げる。
「ゼムオール!」
そして、パワーボム2発目!
「アバーッ!」「ギャバーッ!」
後頭部を墓地の石畳に叩き付けられ、うさとぷてりんが呻く!
石畳の亀裂が広がり、周囲の墓標が振動する!
ダメージによって、うさの変身が解除された。
ぷてりんは本来のウミサソリの姿に、うさは本来の老人男性の姿に戻り、墓地に倒れ横たわった。

「ふう、結構手強かったな。私も、もう少し『ホリラン』で鍛えなきゃ」

既に皆様もお気付きのことだろうが、『ホリラン』を開催したのも雨竜院愛雨である。
その目的は……PL転校生のステータス合計値が何点成長したかを比較してみれば明らかだろう。
あと、臨海学校ご始まる前にホリラン開催を知ってて蟹ちゃんと模擬戦してたり、愛雨が閉鎖空間に囚われず普通に宿に帰ってたこととかも黒幕である伏線だったことにしようそうしよう。

「まどかさん、まどかさん、いらっしゃいますか?」

愛雨は『案内人』の名を呼ぶ。
すると、誰もいなかった空間に、白いパーカーを着た少女が幽霊のごとく現れた。
『案内人』蓮柄円である。

「まどかさん。こちらは、エるだぁ・マじかる・後藤さんです。丁重に生徒会へ御案内差し上げてください」

「かしこまりました」

円は愛雨に一礼すると、後藤佑佐とマスコットのぷてりんを抱き抱え、靄の中に消えた。
その後ろ姿を見送りながら、愛雨は考えた。
後藤老師ならば、ハルマゲドンの中で、依紗早包ちゃんを守ってくれるのではないか、と。
そして、それ以上に……

「『最初のハルマゲドン』を生き延びた最も古き魔法少女……きっと、このハルマゲドンを盛り上げてくれることでしょう!」

雨竜院愛雨は、これから始まるハルマゲドンへの期待に、眼鏡の中の大きく可愛らしい瞳を潤ませた。
さあ、楽しい楽しいハルマゲドンの始まり!
やりたい事は全部やる!
会いたい人には全員会う!
だから、待っててね金雨ちゃん。
私、絶対やり遂げて生き延びるからね!

(おわり)




『烏頭白くして馬角を生ず、胸に秘めるは銀狼の牙』



(どうしてこんなことに……)

部屋の外から聞こえた誰かの悲鳴、直後に襲われた不思議な感覚。
気がつけば見たことのない場所におよそ1クラス分の生徒たちとフードを被った人物だけがいた。
混乱する私たちに向かい謎の人物は一方的に要件を伝えて目の前から消えてしまった。
まともに顔を合わせることもなかった人、一言二言の短い会話を交わした人、少し仲良くなれたかなと自分では思っている人。
サマーキャンプの最終日、昨日まで一緒に食事をしていた人たちと今では殺し合いをすることになっている。

何人かの生徒はこんな状況にも関わらず落ち着いて的確に作戦を指揮していた。
戸惑うだけの私はそれに従い植物の鎧を身に纏い先頭に歩み出る、歴史の本で見かけた西洋甲冑を真似た物だ。
嗜む程度には武術の心得もあるが誰かを傷つける為に使いたくはない。
穏便に終わってくれれば……そう祈りながら限界まで密度を高めたブラックオルダーの大楯を構える。

だが祈りは届かなかったようだ、通路を塞ぐように前に出ると同時に背後から悲鳴が聞こえる。
誰のものかも何人が発したのかも分からない、だがそれを気にしている余裕などなかった。
知識があるが故に分かる只者ではない身のこなし、視線の先にいる着物姿の女性、千本桜から目を離すわけにはいかないからだ。

(耐えれて一太刀、二の太刀が振り下ろされれば恐らく……)

大粒の冷汗が頬を伝う、一度生死の境を経験した身とはいえ死への恐怖が無くなった訳ではない。

「シンフォニーオブディストラクション!」

突如、相手側の生徒のひとり、百道が声を上げる。
指揮棒をかざしそれを大きく振るうと交響曲とは名ばかりのメロディック・パンクな大音量が響き渡る。
それが合図だったかのように一斉に突撃してくる相手の陣営。

「!!」

突然の出来事に気を取られた隙に目の前まで距離を詰められてしまった。
すぐ手の届く範囲に赤牛崎、その後ろに四万十川・陸道のふたり。
そしてもっとも注意していたはずの千本桜がすでに間合いに入っている。
相手の侵入を塞ぐという与えられた役割を果たせなかった自分を責めるがもう遅い、このままでは突破されるのも時間の問題だった。

「angreifen!(攻撃せよ!)」

そう叫んだのは味方の雪月さんだ。

「臆してはいけません!今、ここで攻めなければ地に伏すのは私たちになります!」

そう言って味方を鼓舞すると自らも前線に飛び出していく。
その言葉に素早く対応し行動に移したツツジさんが私の目前にいた赤牛崎を頭の角で大きく薙ぎ払う。
続くように四万十川に照準を合わせたハイレッグ・プリンセスさんの援護射撃を受け、雪月さんが奥にいた陸道を一撃で仕留めた。
あっという間に3人、ほんの一瞬の出来事。今や通路は血の川へと化していた。
しかしもうひとり肝心な相手が残っている。いま彼女の元に辿り着けるのはおそらく私だけ、でも……
この光景を目の当りにした私の身体からふっと力が抜け、膝から崩れ落ちるように座り込んでしまう。

「私には……無理です」

やらなければやられる、頭では理解していても身体がそれを拒んだ。
手足が震える、汗が止まらない、今にも声を上げて泣きだしそうになる。
そんな私にひとりの生徒が歩み寄り震える私の手を握り優しく微笑んだ、砂漠谷さんだ。

「彩妃さん。大丈夫です、あなたならきっと出来ます」

(出来る? 何を? 誰かを殺めること? それは嫌だ)
(私がやらなければどうなる? 誰かが殺される? 私の目の前で? それも嫌だ)

涙が溢れてくる。否定でもなく肯定でもなく、ただただ俯いたまま顔を横に振る。

「彩妃さん。……いえ、コトハお嬢様」

その様子を見ていたツツジさんが声を発した。
聞きなれたいつもの呼ばれ方、その言葉に反応するように顔を上げる。

「桜子お嬢様とお話になられていたことを覚えていらっしゃいますか?」

白瀬さん、騎士道に興味があると話したら毎日いろいろと教えてくれた人。
騎士道部の練習に混ぜてもらい西洋の剣術や騎乗での槍の扱いも教えてもらった。
そんな彼女が最後に教えてくれたこと、それは騎士の美徳と言われているものだった。

「『PROWESS』『COURAGE』『HONESTY』『LOYALTY』『GENEROSITY』『FAITH』『COURTESY』『FRANCHISE』、意味は解りますか?」

淡々と単語を並べた白瀬さんに私は頷いた。

「あなたに足りないのは『COURAGE』、つまり勇気です。」

そう言うと白瀬さんは鞘から純白の剣を引き抜き頭上に掲げた。
窓から差し込む光に照らされた剣とそれを掲げる白瀬さんはいつもより凛々しく、美しく見えた。

「勇気を持って行動できれば自分の気持ち、己の信念を貫き通すことができる」
「彩妃さん、あなたはそれ以外のものを十分持ち合わせています。あとはもう一歩前に踏み出すことが出来れば」

掲げた剣の刃を横に向けゆっくりと私の頭の上へ降ろす。

「Adversity makes a man wise.(艱難汝を玉にす)汝が真の騎士とならんことを」

(白瀬さん……私の気持ち、私の信念)

(今までずっと誰かに守られてきた、だから今度は私が誰かを守りたい)

(例え罪を背負うことになっても、仲間の命を守るために!)

砂漠谷さんの手を力強く握り返す、砂漠谷さんはそれに先ほどと同じ言葉で応えてくれた。
正直に言えばまだ怖い、震える足でなんとか立ち上がるのがやっとだ。
それでもみんなの声に、眼差しに励まされ全身に力を込める。握られていた手はまだほんのりと温かさを感じる。
大楯を左腕に持ち替え空いた右腕に白く干乾びた植物の根を巻き付かせる。
そして勇気を出して力強く一歩を踏み出す、体を前傾姿勢にして恐怖で脚が止まらぬように。

二歩、三歩……楯を突き出し右手を引いたまま徐々にスピードを上げていく。
涙でぼやけた視界に相手を捉えて仲間が開いてくれた道を、血に濡れた通路を全速力で真っ直ぐに突き進む。

(あなたに教えてもらったこと、私の気持ち、全部この一突きに込めます!)

右腕に巻き付いていた根が螺旋を描くように伸び、真っ白なランスを造りだす。
まるで一角獣の角のように長く鋭く尖ったそれを掛け声とともに力いっぱい突き出す。

「やあぁぁぁあああ!!」

渾身の一突きは突進を避けようと身を逸らした千本桜の胸に突き刺さりそのまま背中へと貫いた。




あれからどれくらい時間が経っただろうか、あれほど阿鼻叫喚な光景だった場所が今は嘘のような静寂が包んでいる。
私は自身の前に立つ満開の枝垂桜に先の戦いで散っていった者たちへの祈りを捧げる。
この季節はずれの桜の木は彼女の、千本桜さんの死の間際の願い。それに対しての私の精一杯の償いでもある。

『解語の花 - シダレザクラ』

胸を貫いた右手のランスはそのまま彼女の全身を包み込むようにその姿を変えていった。
ここまで鮮やかに咲き誇っているのは彼女の最後まで美しくありたいという気持ちの表れだろうか。

(でも……もしあの時、一瞬でも躊躇っていたらどうなっていたのだろう)

もしかしたらここに眠っているのは私になっていたかもしれない。
嫌な想像が頭をよぎるが今はもう戸惑うようなことはしない。

他人から愛でられるだけの鑑賞花ではなく、害をなす者が現われたときは私の信じる人の為に猛毒にもなろう。
……その代償にこの身が朽ち果てることになったとしても。

長い祈りを終えると向きを変え仲間の下へと足を進める。
一陣の風がコトハの長い髪を大きく揺らすと色とりどりのゼラニウムの花びらが舞い上がった。
舞い散る桜と踊るように風に流されたふたつの花はどこまでも続く深い闇へと吸い込まれていった。


彩妃言葉からみたハルマゲドン 応援SS『烏頭白くして馬角を生ず、胸に秘めるは銀狼の牙』終




『青い紅葉を夏の栞に』





「ごめん!どいてどいて!!」

ギターケースを背負った少女は大慌てで生徒が行き交う廊下を走り抜ける。
サマーキャンプの特別授業、授業と言っても中等部・高等部合同のレクリエーションのようなもので成績には影響しない。
彼女の選択した科目は調理実習……なのだが。

「調理室が反対側だったなんて聞いてないよー!」

今にも遅刻しそうな状況である。
目的地へ全速力で向かう少女の前にひとりの生徒の後ろ姿が見えた。

「そこの人、ちょっと通るよ!」

注意を促すと前にいた生徒は足を止めて振り返り、すっと横に移動する。
本人は向かってくる少女に道をあけたつもりなのだが進行方向は運悪く両者とも被ってしまった。

「え、ちょっ!?」

ぶつかるまいと必死に向きを変えて衝突は辛うじて回避できた。
だがバランスを崩しこのままでは背中から倒れてしまう、踏み込んだ足に力を込めて無理に体を捻る。

ガツンッ!

背負ったギターは守られたが勢いは止まらず廊下の壁に顔からぶつかってしまった。
最後の抵抗にと壁に着いた手をその場に残しながらずるずると崩れ落ちる。
先ほどの生徒が前のめりに倒れた少女の横にしゃがみながら心配そうに声をかける。

「……大丈夫、ですか?」
「ん、らいひょうふ」
「廊下を走ったらいけない、と思います」

鼻の頭を真っ赤にし、薄っすらと涙を浮かべながら少女は苦笑いをして見せた。

「うぅ、まだちょっとヒリヒリする」
「あの、保健の先生に診てもらった方が……」
「これくらい我慢できるから大丈夫。それよりあなたは移動しないの?サボリ?」

ぶつかられそうになった生徒は顔を横に振る。

「じゃあ選択科目は?ここ来る前に参加希望を提出してるはずだけど」
「学校はお休みしていたから、分かりません」
「あらら、病欠かぁ」

壁にもたれかけた体を起こしながらしゃがんでいる生徒に手を差し出す。

「よかったら一緒に来ない?私、調理実習取ってるんだ」

でも、と言いかけた生徒の手を取り立ち上がらせる。

「ほら、チャイム鳴っちゃうよ。中・高ごちゃまぜなんだからひとり増えたくらい分からないって。」

すっかり人のいなくなった廊下をふたりで手を繋いで走っていく。
調理室に着いたのは丁度チャイムが鳴ると同時だった。

「セーフ!」
「アウトです。まったく、中等部の生徒のお手本になるような行動を心掛けてください」
「はーい、気をつけまーす」

ため息をつく教師とくすくすと笑う他の生徒たちに迎えられて教室の中に入るふたり。
すでに皆それぞれの調理台に班分けされているようで順番に出席を確認していく。

「あなた達はペアでの班になりますね、えっと名前は……『あやさき』さん」
「「はい」」

大きく元気な声と小さくもはっきりとした声、二つの返事が教室に響いた。
同時に返事をしたふたりは驚き、互いに顔を見合わせる。
数秒のあいだ何をするでもなくただ見つめ合い、頬を紅く染める。
再び周りの生徒たちから聞こえる笑い声、ふたりの『あやさき』もそれにつられるように笑いあった。


彩妃言葉&綾崎楓 応援SS『青い紅葉を夏の栞に』終




『濁流』



●矢達愛雨、12歳。

まるで滝の中にいるような、激しい雨が降り続いていた。
友達と遊んだ小川は、茶色く濁った荒々しい竜に姿を変え、生まれ育った山あいの町も、川の傍に建てられた学校も、仲の良かった友達も、みんなみんな呑み尽くしていった。
山の上に逃れた私は、雨でずぶ濡れになり、震えながら、私の世界が壊れていく様をじっと見つめていた。

……ああ、いまなら解る。
世界は美しく、そして、美しい世界が壊れて行くさまも、また美しい。
私は、驚きと悲しみの中、荒れ狂う竜の力強さと美しさに心を奪われていたのだ。

私の家、矢達家は、モンゴルに出自を持つ降雨術を代々修めてきた。
あの日、私の世界を壊した竜は、私のお父さんが喚んだ竜なのだ。
お父さんは、何処かへ姿を消した。
私は雨が嫌いになり、水の因果を遡らせるネガ雨乞い能力に目覚めて妃芽薗学園に入ることになった。
私の家族も、町と同じようにバラバラに壊れてしまった。


●矢達メア、15歳。

ぽつり。ぽつり。
雨が降り出す音がした。
そして、微かに鼻をくすぐるあのにおい。
金雨ちゃんの雨だ。

私は金雨ちゃんの姿を探そうとしたが、喉が割かれて血が溢れ、体が動かなかった。
だから、耳を澄まし、雨音の中に金雨ちゃんを感じることにした。
静かに降る雨が、呪われた旧校舎を優しく包み込んでいる。
あんなに嫌いだった雨の音なのに、死の間際に聞いた雨音は、とても心地良かった。

私という存在は、金雨ちゃんと友達になるために、生まれてきたのだ。
私の短い人生は、決してつまらないものではなかった。
たった数日だけど、金雨ちゃんの友達として過ごすことができたのだから。


―□□―


『あいつ』が何者なのか、正確なところは解らない。
黒い服。黒い髪。黒い肌。
便宜上『悪魔』と読んだりもしているが、その表現は半分ぐらい外れだろう、と思う。

「お前の魂を、貰い受けに来た」
黒い男は、そう言った。
代償として、あらゆる望みを叶えよう、と。

「それなら……私は金雨ちゃんと、一緒に生きたい。今までしっかり見てなかった美しい世界を、はっきりとこの目で見たい!」
私はそう答えた。
金雨ちゃんを守って死んだのは、とても満足のいく死にかただと思ったのだけど、どうやら私は意外に欲が深いらしい。
黒い男は、深く頷いてパチリと指を鳴らした。
黒い光が溢れ出し……ふと気が付くと妃芽薗学生寮の自分の部屋のベッドの中にいた。

そして私は、ハルマゲドンの起きなかった世界にやってきた。
枕元には、新品の可愛らしい眼鏡が置いてあった。
そっと眼鏡を手にして、かけてみる。
度もぴったり。
窓から射し込む柔らかい月明かりに照らされた部屋は、胸を締め付けるように美しく、涙が自然と溢れ出した。

●雨竜院愛雨、17歳。

世界は美しく、生きることは、楽しみに満ち溢れている。
私は眼鏡をかけて、この素晴らしい世界を存分に堪能している。
ときどき悪魔がちょっかいかけてくるけど、それもまたエキサイティング!
だけど……

降雨術を本格的に学んで、お父さんの失敗は何だったのか考えるために雨竜院家に入門した。
金雨ちゃんとも親友になれた。
元の世界では過ごせなかった時間を、金雨ちゃんと一緒にたっぷり楽しむことができた。
金雨ちゃんの家族もみんないい人!
畢(あめふり)姉さんはとってもポジティブで、その前向きな考え方には大きく影響を受けた。
雨弓(あゆみ)兄さんはとっても体が大きくて、めちゃくちゃ強く、それでいて意外と優しいとこもある。
雨竜院家に入門して、本当に良かったと思う。
でも……

金雨ちゃんは良い子。
とっても良い子。
大好き。
大親友。
合えて良かった。
友達になれて良かった。

それなのに、私は物足りない。
どうやら私は意外に欲が深いらしい。

こっちの世界の金雨ちゃんとは、まだ殺しあったりしていない。
こっちの世界の金雨ちゃんと、一緒にパンツを洗ったりしていない。
こっちの世界の金雨ちゃんは、私が金雨ちゃんを護って死んだことを知らない。
それは、私にとって真実の金雨ちゃんではない。

深夜零時。
しっとりとした気持ちのよい雨に打たれながら、私は真っ暗な妃芽薗の森を歩く。
ああ、闇に包まれた世界もまた美しい。
でも、この世界には大切なものが足りない。

「やあ、お嬢さん。こんな夜中に独り歩きは危ないですよ」
いつの間にか、私のすぐ隣の闇が人の形を取って話しかけてきた。
「こんばんは、悪魔さん。今夜も世界はとっても綺麗。貴方には感謝してますよ」
「そいつは重畳。だが、それにしては浮かない顔をしてるね?」
悪魔のくせに勘のいいやつ!
「うふふ、残念なお知らせ。この世界はとっても素敵。でも、私は物足りないの。きっと私は『満足な死』を迎えられない。だから、私の魂を貴方は手に入れられない」

その時、人の形をした黒い闇が、ひときわ闇を深めたような感覚がした。
雨にずぶ濡れの全身が、ぞくりと凍りついた。

「うむ。それは困る。だから、少し調べものをしてたんだ。君と向こうの金雨ちゃんが逢える方法をね」
「……向こうの世界の金雨ちゃんに逢えるの!?」
「然り。ハルマゲドンによって世界は結びつけられ、君と胡蝶は再びひとつになるのだ!」

ハルマゲドン……凄惨な記憶が呼び起こされ、私の体が竦み上がる。
喉にファントムじみた痛みを感じ、反射的に手で押さえる。
雨を感じる。冷たく、優しい雨を。

……簡単なことだった。
マスコットの材料とするため、無垢な魂を欲していた八部会。
厄介な邪魔者を消すため、完璧な抹消手段を求めていた鮫氷しゃち。
鮫氷さんの歓心をかうためなら、どんなことでもしたいと考えている鴉取するめ。
それぞれの背を、軽く後押ししてやるだけで、ハルマゲドンは起きたのだ。

濁流がゴウゴウと流れ、臨海学校を飲み込んだ。
後藤老師が、死んだ。
照本音隠さんが死んだ。呉石佐衣子さんが死んだ。
四万十川アリスさんが、百道桃さんが、綾崎楓さんが、家乃ステラさんが、陸道舞靡さんが、草野珠さんが、千本桜明菜さんが、赤牛崎黄毬さんが死んだ。
十星迦南さんが死んだ。瓶ヶ森瓶花さんが死んだ。
死にゆく皆の姿は、儚く、気高く、美しかった。

さあ、次は私の番だ。
私はこの濁流を渡りきって、金雨ちゃんに逢えるだろうか。
ああ、ワクワクする。
なんて世界は美しく、楽しいのだろうか。

私は眼鏡をかける。
美しい世界の瞬間瞬間を心の中にくっきりと焼き付けるために。
そして、やりたい事は全部やるし、会いたい人には全員会う。
そう決めたんだ。

(『濁流』おわり。最終第三戦につづく)




1.5戦目SS『海を泳ぐ果実』


 死者は語る。生者は語らない。
 真(まこと)、正しい情報とは生きている存在からは決して生まれないものだと思う。
 枝からもぎ取る前にかぶり付こうとする獣はいないだろう。イブだってそれくらいの知恵はあったに違いない。禁断の実を蛇が揺り落したと言うのなら、やわに実らせた神の方が悪い。
 口に運ばれ、果実は死んだ。バベルの塔が崩れる前、蛇と女の間で交された言葉に興味がある。

 まぁ……結局のところ、創世記の話なんてローカルな神話に身を委ねる気にもなれない。
 帝國の臣民としては八百万の神に信を置いてもいいのだろうが、少し気が乗らなかった。
 星座の神はたった一人きりだ。神社にも教会にも敬意は払うが、信仰は持てない。
 たとえそれが間違った神を崇める行為であって誰かが自分を地獄に落とすなら好きにすればいいと思った。

 信じて、己の存在と言う掛け替えのなさを賭けられるのなら外れても悔いはない。
 死ぬとは結んだ果実が落ちて口に運ばれることを言うのだから。


 ゆらゆらと海を流れてくる果実があった。
 夕闇を過ぎて青黒い色が混じり出した波の中で、二つきりの。
 見逃すことは出来ないし、そうする気はなかった。

 「えい」
 掴み取った果実は巨大だった。
 リンゴか、それくらいはあるかもしれない。
 「やめろや、てめ!」
 ツッコミは迅速だった。と、言う言葉と全く同時に拳が飛んでくるのは流石の口舌院である。
 幸いにも転校生として修練を積んだ星座が一撃で意識を刈り取られる、などと言うことは無かったものの流石にくらくらとする。歯が何本かぐらぐらとするような気さえしてきた。

 「おいおい、寝ぼけてんのかい。同輩さー、ん?」
 脅しつけるような、それでも一緒に遊んだ縁か、極めてフレンドリーな笑みを向けられる。  
 それに応えないといけないと思って、にこりと返す。

 「にこにこ」
 「に、にこにこ?」
 「にこにこ……」
 ビーチバレーを一緒に遊んだ菅生燈(すごう・とう)をいつの間にか間に加え、三人はぷかぷか水面に揺れていた。この微笑ましいやり取りに釣られてきたらしい。
 ちなみに顔の無い菅生さんがどう笑っているのか、文章にすると非常に分かりづらいが対面すると意外とわかりやすい。絵面としてはなにかぱっとして暖かなオーラが見えると言えばいいだろう。 

 「ちぇっ」
 先に音を上げたのは果たして口舌院五六八さんだった。
 思えば、先の拳も地に足のついていない海中では力が入っていないようだった。

 口舌院家の鬼札「口舌院五六八(くぜついん・いろは)」。
 顔の無い白札「菅生燈」
 それに星の雨(柳)こと、この僕「雨月星座(うげつ・せいざ)」を加えた三人は今生まれたままの姿で海を漂っている。
 時代錯誤で親切な山賊団に襲われて、そちらはなんとか撃退できたものの用心棒の転校生に口舌院さんが翻弄され、菅生さんが百万円と言う大金を提示することで何とか引いてもらうことが出来た。

 しかし、ビーチバレーなる未知の競技で遊ぶことになった僕がウールの水着に着替えて来たところ。
 『おいおい、なんだよこのダッセー水着。うりゃー……ぁ』
 『……ぁ』
 まさか袖を通すことなんてないと思っていたのに、衆目で裸体を晒す羽目になるなんて……!
 百年の間にここまで水着が進化していたなんて……、不覚! 雪月さん風に言うならFuck。

 せめて三十年後ならビキニがいた。

 そして、ビーチバレーに興じた我々は全滅し、クリティカルにも脱衣する羽目になった。
 流石に菅生さんを屈強な男相手に立たせるには無理がありました。
 ここで口舌院さんが豪快に全裸になっていなかったらどうなっていたか、わかりません。
 何だか気まずくなったチュートリアル山賊団とその用心棒の先生は、互いに顔を合わせ自分たちの法が間違っているような顔をすると、それでも悪党らしく辺りに散らばっていた金目の物(=女子高生の衣服)を持ち去って逃げるように立ち去っていきました。

 「紳士ですねー」
 そして、何だかんだで口舌院と星座は同じようなことを考えていた。
 『何もなさげに素っ裸になっているこいつが一番大物だ(ぜ)……』


 透き通った海と言っても少女の体を隠すには物足りない。
 つるりと滑った血色のいい肌を上から順番に見ていくと、途中で数えが止まるのが実に残念だ。
 期せずに海に飛び込んだ弊害と言え、ぱらりと広がった彼女の長い黒髪は愛おしい。海藻と言うのは野暮な表現だ。黒みがかかった青は、この海の色に似てけれど透明であることを許さない。
 視線が、肢体がぶつかって、垣間見えた凶相にぎょっとして離れていくとしても、髪は光を帯びた瑠璃の色である。見た者はいつしかの思い出にすることだろう。

 髪を梳く手はほっそりとして長く、女性らしい丸みを帯びている。
 だが、その綺麗な手が傲然とした暴力に変わることを思えばエナメル質の歯の輝きに思えてくるだろう。それは一対の鮫の顎に等しいのかもしれない。つまり口舌院五六八は人喰い鮫だと思う。
 事実、先程サメの着ぐるみを着た少女が凄まじい勢いで岸へと逃げ帰ったところだ。
 砂浜で何やらサメっぽい女の子と話し込んでいるが笑い飛ばされて終いだった。

 さて、その手から繋がった肩甲骨から見ていこう。
 仰向けになったサメ、じゃなかった五六八は浮袋を持っている。だから浮く。
 ここで口舌院五六八=鮫説は否定される。一般的に鮫は浮袋を持たないからだ。
 何を戯言とのたまう者もいよう。だが、此度の騒乱で見え隠れする魔物の影を思ってみよう。
 気付けば「鮫」が隠れている。生と死を繋ぎ、血の海からやってくるニライカナイからの使者(死者)は鮫と少なからずつながっていた。
 そして、そんな裏表ない五六八さんのことを星座は好ましく思う。ついでにそのおっぱいも。 


 お二人さんのど付き合い、まぁまぁまぁと海水かき分け押しのけまして。
 役得役得役得と、おっぱいついでにガン見です。
 『その果実をもぎ取ってみたかった』と言うセクハラ発言は、黙ってあげましょ全く同意。
 私達美人さんは三美人。男の子なら黙っちゃいないっさ、だけどもここは女の海原、残念だ。

 そんなわけで菅生燈です、こんばんわ。
 顔を売って生活しているって自己紹介するといの一に「どうやって?」って聞かれますけれーど、それは答えぬ言わぬが花よ、企業秘密よそうしましょう。

 いやはや全くホントのところ。すっぱになったはその場のノリよ。
 流石にその後我に返るとて、恥じらうわけなくためらわず。
 だからと言って堂々と。まっぱでホテルに取って返すわけもなく。口舌院さんが提案したるはそーのまま、一糸まとわず気兼ねなく。遊ぶことです、そうでした。
 いーや、人目を気にするとかそな意味言えば今は切った張ったの非常事態。
 で、ついこの間私たち。生徒会と番長グループ、殺し合ったハルマゲドンの続行中。

 「いやー、今更ながら困りましたねー。お二方」
 「ええ、セーラー服は替えがあるとしてコートを持っていかれたのは口惜しいですね」
 「いっやー、あたしなんて替えなんて持ってきてないから参ったぜー。星座―、貸してくんない?」
 はっはっはーと爽やかに笑う口舌院さんです。あんな自然界に存在しないような色のセーラー服着て楽しいんでしょうか? それより、舎弟の五十鈴――山本五十鈴さんでしたっけ?
 彼女(しゃてい)の彼女(パシリ)なら彼女(オヤビン)に次元くらい越えて尽くして(ボコられて)くれるでしょう。
 あ、そうだ。

 「それも困ったんですけど。我々ってこの『メロウズ』から出られないんじゃなかったでしたっけ?」
 「うん、そだよ?」
 「いや、そだよって軽いですねー。頼もしいですけど」
 そして、我々は戦いを強要されている。俗に言うハルマゲドンって奴です。
 「だってさ。あんな三下連中が来れたんだぜ?」
 「あ」
 らくしょーらくしょーとうそぶく彼女を一刀両断するのは星座さんでした」
 「それは無理ですね?」
 「なんでだよー。つまりは、あいつらは元々部外者だから貸切で、閉め切られた空間(ココ)に来れるわきゃない。ハルマゲドン後に巻き込まれたってことかよ?」
 ぷーっと、頬を膨らませる仕草はなるほど魅力的です。
 この表情を拝むまでに何人が肉塊と化すのだろうかと、不謹慎なことを考えてしまうほどに。

 「違いますよ?」

 「じゃあなんでさ?」
 「転校生」
 その答えは予想外だったのか、目をぱちくりさせます。私も見る人が見れば同じことをやっているとわかるはずです。
 「あの親切な方々についておいでの転校生の先生なら次元を越えることなど容易い筈です」
 「マジかよ、あんな名前からして出オチな連中にそんな秘密が……」
 「僕も転校生ですが、障壁に関しては口舌院さんの方が詳しい通り突破は無理ですね」
 「そうなんですか?」
 「あー、ホントだぜ。いろは順に五十種類くらい殴り方変えてみたけど無理だったわー」
 たははと手を振りながら、それが冗談なのかそうでないのかよくわからない凄味がありました。
 迂闊には突っ込めません……!

 「さて、ぷかぷか丸も少々飽きましたか。詳しい話はホテルに帰ってからにしましょう」
 「おいおーい、全裸で帰るのかー、痴女だぜー、いってらー」
 「それも悪くないですが、皆さんで行きましょう。ほら、こうして――」

 こうして私達はホテルへの帰路につきました。
 なるほど、髪を伸ばしていたのはかく言う時のためなのですね。
 まぁ、私の場合は顔なんてありませんから誰かわかりませんけどね!

 さて、私はいいとして。 
 こんな提案をする雨月さんは本当に大正時代の人間なのでしょうか?
 口舌院さんは文学少女らしく『潮騒』とか言っていましたがわけがわかりません。雨月さんも小首を傾げています。
 「口舌院さんはお胸が大きいですね?」
 「おいおいおい、ストレートに言うねえ。こんなん邪魔っ気しかしないんだぜ?」
 そうですね、これはいいものです。
 白磁なんてありふれた言い草じゃなくて、もっと生きているような感触が愛おしいと言うか。
 隣り合う星座さんも体つきに釣り合っていて悪くはないんですが、どうも生気に乏しいおっぱいです。こちらこそ陶磁器のような、って表現が似合います。小振りですが、芸術品のようでいて時折丹塗りの彩色が栄える、なんともいいものですね。人魚姫ならぬ人形姫、なーんて。

 口舌院さんはなるほど、人魚姫と言うか海の女神さまですね。気まぐれに船乗りを破滅させる魔性ですが、悪意はありません。嵐のような人です。
 命に満ちていて、それ自体が生き物のようにうねり、しなり、戦うようなそんな感じ。
 なるほど、ナウシカみたいですね。その者青き衣を纏い(以下略)、なーんて。

 「ま、切り札同士仲良くしようぜ」
 「それよりその乳、いらないなら僕にくれませんか?」
 「お前にだけはやらん」   
 「ふふっ」
 「あははははっ」

 その日、長い髪を纏わせて陸に上がった三人の女たちのことを少女たちは呆然と見送った。
 彼女達に生まれた感情についてここで語ることはしないが、ただ一人「おっぱい」とのコメントを聴取できたことをここに追記しておく。





最終戦前短編SS【姉妹】


ここはリゾート施設『メロウズ』、既に日は陰り、宵闇に包まれた海辺を星空の照明が映し出す。
さざ波をBGMに、心地好い潮風が吹き抜ける。

日中はリゾート地と言うだけあり活気に満ちた砂浜も、今は夜と言うことで私を除けば誰も居ないし、とても静かなものだ。

そこへ――――――――――ザッ、ザッ、ザッと砂地を踏み締めこちらに向かってくる足音が一つ。

ザッ――ザッ―――ザッ――――――っと不意に足音が止まる。

「―――――義姉さん」
気配のする方を見遣ると、暗闇の中、微かな星明かりに照された鬼姫災禍が佇んでいた。

「呼ばれた様な気がしてな、散歩がてら来ちゃったよ」
「ここに来れば、義姉さんに会える気がしたんです」
「こうして顔合わせるのは何年ぶりだ?確か――――――――――」
「約3年ぶりかと――――――――――」
「そうか、そんなに経ってたか、時が過ぎるのは速いものだな(苦笑)」
「この3年、義姉さんを捜しながら剣の修行も積んで来ました、まさか、このような形で再会するとは夢にも想いませんでした」
「全くだ、まるで性質(たち)の悪い夢を見てるようだな――――――――――」
「口舌院五六八さんも仰ってましたが、『運命』なのかもしれません――――――――――」
「『運命』か――――――――――、何の因果が巡ったのやら、とんだ神様の悪戯ってやつかしら」

本当に神様と言う全知全能な存在が居るのなら、きっとそいつは性格が悪い陰険な奴なんだと思う。

「義姉さんは、何で妃芽薗に居るんですか?」
「ん、ちょっとね――――――――――絶対に殺しておきたい奴が居るんだよ」
「物騒な物言いですね、義姉さんにそこまで言わせる相手って――――――――――『転校生』、ですか?」
「そうね、転校生と言うかは解らないけど、それと同等かそれ以上の力を持った存在ね」
「なら、生徒会と番長陣営が力を合わせて立ち向かえば良いじゃないだすか!!」
「それは無理ね」
「どうして!!」
「私達は退くに引けない所まで来てしまったのよ、生徒会は私の仲間を殺した、私達番長陣営も生徒会のメンバーを殺しているわ」
「もう、手遅れなんですね――――――――――」
「――――――――――あぁ、手遅れだ」

本当に、性質(たち)の悪い神様の悪戯だ。
私はただ、義姉さんを捜しだして連れ戻す、それだけでここまで来たのに、まさか敵同士になるなんて。

「計都、戦いたくないなら逃げなさい、次に会った時は―――――――――本気で殺すから」

もう逃げられない、義姉さんには義姉さんの戦う理由が、私には私の戦う理由が有る。
ここで仲間を見棄てるのは鬼姫の名折れ、私は覚悟を決めた。

「災禍義姉さん!!」
「ん?」
「貴女を討ち取るのは私達です!!」
「おう!!」
「では、戦場で――――――――――」
「じゃあな、計都、羅喉―――――――――」

私達は別れた、次に会う時は――――――――――殺す。

「さよなら、災禍義姉さん」
「さよなら、私の大好きな妹達」

(完)




雪月通訳エピローグSS「幽霊売りの男」






『ワールドゴージャー・デザイア』


テーブルの向こうに座っているのは、夜のように真っ黒な服を着た男。
黒い手袋をはめた手で、土地を5枚タップする。
島、島、沼、沼、沼。
「3点の《Sealed Fate》。ライブラリの上から3枚、公開してください」
漆黒の男はそう言った。
照明の加減だろうか、男の表情は見えない。
いや、そもそも“彼”は男性なのか?
その存在感はどこまでも黒く暗く、作り物めいていた。

ライブラリをめくる。
《柿内萌華》、《一二兆》、《雨竜院愛雨》。
私は息を飲む。
この三人は、行方不明になっているサバゲ部メンバーだ。
「《萌華》、《二兆》の順でライブラリに戻してください。《愛雨》はゲームから取り除きます」
深い奈落の底から響いてくるような冷たい口調で、“彼”はそう宣言した。


(Ω)


「ジャーッジ!」
そう叫びながら私は目を覚ました。
夜明け前。
常夜灯だけが照らす、薄暗いメロウズホテルの一室。
何がジャッジだ。
“彼”のプレイングには特に問題はなかったはずだ。
でも――四人部屋のうち、私の下の段、ウルメのベッドは数日前から空のままだ。
噂では、行方不明になった生徒たちはどこかでハルマゲドンを強いられているらしい。
そして――私にはとても信じがたいことだが、ハルマゲドンを企てたのは他ならぬウルメ……雨竜院愛雨であるという説がまことしやかに囁かれていた。

外はまだ夜の帷に覆われたままの静かなる闇。
しかし、期待と不安が入り交じった予感に突き動かされて、私はジャージの上着を羽織り外に出た。
行方不明者多発を受けて外出禁止令が出ているが、構わない。
いざとなったら“この子”が私を守ってくれる。
右手にマスケット銃型のエアライフル。
左腕には、大切なぬいぐるみ。

森を抜け、浜辺に出る。
開けた空には星々が煌めく。
先客は既に何人かいた。
私と同様に、何かを感じ取ってホテルを抜け出してきたのだろう。
よく知った人影を見つけて、声をかける。
「こんばんは、進藤部長。部長も変な夢、見たんですか?」
「こんばんは、岡林さん。夢は別に見てない。でも、なんだか胸騒ぎがしてね。これ以上、悪いことが起きなければいいんだけど」
妃芽薗学園サバイバルゲーム部の部長・進藤莉杏は、その小さく愛らしい見た目に似つかわしくない、低く落ち着いた声で答えた。
部長の手には突撃銃。肩にはガンベルト、腰には手榴弾が数個とアーミーナイフ。フル装備だ。

空の闇が徐々に色を薄めて行くのを、私たちは陶然と浜辺に立ち尽くし見上げていた。夜明けが近い。
そして、水平線から朝日の端が顔を出す瞬間。メロウズの浜辺と異界が交錯した。

墓、墓、墓、墓、無数の墓標。
浜辺に一瞬だけ現れた、異世界の光景。
地の果てを越えて奈落の底まで敷き詰められているような、広大無辺な禁忌の墓所。
それらが全て山ノ端一人の墓であると、なぜだかはっきりと解った。

墓所のヴィジョンは白い朝日の光にかき消されるように消え失せ、再び浜辺の光景が戻ってきた。
そして――消えた生徒達が戻ってきた!
臨海学校から姿を消した何十名もの生徒達。
そのうちの、およそ半数が突然浜辺に姿を現したのだ。
怪我をしている子もいる。
正気を失ってるらしき子もいる。
でも、彼女達は帰ってきたのだ!

「柿内! 二兆!」
進藤部長が迅速に部員の姿を捕捉し、素早く接近して二人を強く抱き締めた。
「部長……。柿内萌華、無事に帰投しました!」
目の端に涙を滲ませながら、柿内さんが小さく敬礼する。
「いたたっ、ちょっと部長、強く締め付けすぎにゃー」
二兆さんが、おどけた口調で部長のハグからするりと抜ける。
二人とも、元気そうだ。よかった!

「……ウルメちゃんは?」
辺りを見回してもウルメの姿がみあたらないので、私は二人に聞いてみた。
「ウルメ先輩は……ハルマゲドンの戦いで……」
「華々しく戦って死んだにゃ……どうしてハルマゲドンを起こしたのか、何も語らないままに……」
夢の中で見た男の姿を思い出す。
彼はあの時、笑っていたのではなかったか?
私の膝から力が抜ける。砂浜にへたりこむように腰を落とす。
そこから先のことは、あまりよく覚えていない。


(Ω)


「妃芽薗サバイバルゲーム部、全員生還!」

あの時、進藤部長はそう宣言したように記憶している。
振り絞るような、悲痛な声だった。
ハルマゲドンの首謀者は、もはや部員ではないという宣言である。
私だけでなく、サバゲ部の誰もが、明るく前向きなウルメのことは好きだった。部長だって同じだ。
しかし、部員からハルマゲドンの首謀者を輩出したとあっては、部活存亡に関わる大問題である。
だから、サバゲ部と雨竜院愛雨は無関係。それを公式発表とするしかない。
部長が苦渋の決断をしたことは理解できたので、誰もそれに異を挟むことはなかった。

「もうすぐね、私、金雨ちゃんにまた逢えるんだよ」

ウルメが姿を消す数日前。
どこかで腕を骨折して帰ってきたウルメは嬉しそうにそう言っていた。

「何言ってるの? 毎日会ってるじゃない?」
「うん。金雨ちゃんとは会ってるんだけどね。本当の金雨ちゃんには長いこと逢えてないって言うか……」
「変なの。それより、安静にしてなきゃ駄目だよ」
「ありがと。でも、やらなきゃいけないこと沢山あってね」

それが、ハルマゲドンを引き起こしてまでやりたいことだったのだろうか。
戦いの果てに命を落としたウルメは、「本当の雨竜院金雨」に逢うことができたのだろうか。
わからない。

たった一人の逢いたい人のために、多くの人の命を奪うハルマゲドンを引き起こすなんて馬鹿げたことだと思う。
だけど――私は、手にしたぬいぐるみの顔をじっと見つめた。
私にも、再び逢いたい相手がいる。
もし、世界の全てを生け贄に捧げることで願いが叶うなら。もう一度、逢えるなら。
私だって、悪魔の囁きに耳を貸さない自信はない。

出発の時間だ。
バスが、ゆっくりと走り出す。
車内には、行きにはなかった空席が幾つか。
入院が必要だった人たちの席と、二度と還ってこないであろう人たちの席だ。
さようなら、メロウズ。
さようなら、臨海学校。
そして永遠にさようなら、ウルメちゃん。
後頭部の手術跡が、じくじくと痛む。
もう一度、ウルメちゃんとサバゲーしたかったな。


(雨竜院愛雨エピローグ『ワールドゴージャー・デザイア』おわり)




雨月星座エピローグSS「十二階上の女たち」






『さよなら、美しい世界』


胴体に大きく穿たれた穴が二つ。
真っ赤な血が、濁流のように流れ出す。
致命傷。
雨竜院愛雨は、もはや助からない。
愛雨は、激痛にまみれながら、笑った。楽しかったから。
自分が引き起こしたハルマゲドンの中で、自分が死んでゆく運命に納得できたから。

――我、生きずして死すこと無し。

「向こうの世界」で体験できなかった、素晴らしい人生を私は生き直すことができた。
会いたい人には会えるだけ会ったし、やりたい事はできるだけやった。

――理想の器、満つらざるとも屈せず。

「向こうの世界」の雨竜院金雨と再会することは叶わなかった。
しかし、やれるだけの事はやったのだ。
大切なのは、結果だけではない。

――これ、後悔とともに死すこと無し。

だから、これは『満足な死』なのだろう。
(……悪魔よ)愛雨は宣言する。(お前の勝ちだ。私の魂は、好きにするといい)

愛雨は懐から眼鏡を取りだし、再び装着した。
己を仕留めた鬼姫災禍の顔を、よく見るために。
災禍の隻眼は、既に愛雨のことを見てはいなかった。
その視線は愛雨の後方、災禍の愛すべき妹たちに注がれている。
その表情は、微かに笑っていた。
愛雨は、災禍の表情を美しいと思った。
死の運命を覚悟し、恐れず、乗り越えようと挑む者の顔だ。

自分はこんな表情をすることができていただろうか。
多分、できていただろう、と愛雨は考える。
たとえそうでなかったとしても、大地に撒かれた己の鮮血が描き出した赤は美しく、それでいいと思った。

最期に、やりたいことがある。
震える手で、マカロフPMのソフトエアガンを構える。
「『リフメア……」
タタン。二連射。
紫色の波動を帯びたプラスチックの弾丸がふたつ、地面に広がる赤い色に飛び込む。
「……サーキュレイション』」
血溜まりから水分が奪われ、天地遡行の雨となって天に昇る。
そして、再び慈雨に姿を変えて降ってくる。
ゆとり粒子の含まれた、癒しの雨なのであろうか。
腹に穿たれた孔の痛みが、和らいでいるように愛雨は感じた。

雨竜院愛雨は誇らしげに胸を反らして空を見上げ、そのまま仰向けに地面へと倒れる。
見上げる空は、『閉鎖された墓地』の不穏な灰色の曇り空。
そして、しとしとと穏やかに身体を包むサーキュレイションの雨降り。
ああ、この世界は美しい。
愛雨は、自分がこの世界の一部であったことを心底誇らしく思った。

降り注ぐ雨が、愛雨の流した血を洗い流してゆく。
そして、愛雨の存在そのものも、洗い流されてゆく。

こうして、雨竜院愛雨の魂は……矢達メアの魂は、この世界の輪廻の輪から切り離された。
――――永遠に。

(雨竜院愛雨の物語、おわり)



最終更新:2016年04月10日 23:22

*1 おいおーい、季紗季ちゃん。さっきの話は僕も聞いたよ?