流血少女解決編SSその3『お題:流血少女・解決編5.自由「オジサンと百合』



 どくどくと血が胸から溢れだす。

 ああ、終わったんだ。

 出血を抑えようと胸を抑えたが、手は血で濡れるだけで、血だまりは広がっていく。
 凶器のナイフは血だまりに沈んでいる。

「オジサン」

 母の兄だった男。
 両親を失った私を引き取り育ててくれた。

 十年寝食をともにしたおぞましい思い出。その全てが匂いとなって部屋中にこびりついている。

「オジサンが悪いんだよ」

 オジサンの頬を撫でる。ざらざらした肌が、手の甲を掻く。
 オジサンは口をぱくぱくとさせ、見開いた目をまっすぐに私に向けている。

 ――これも美しくなるために必要なことだ。

 オジサンの口癖だった。
 コトに及ぶ際、おじさんは免罪符のように、震え、逃れようとする私に手を上げた後、つぶやいた。


 □□□□


 深夜の繁華街。
 騒々しい人波とけたたましい笑い声。
 零時を回ったというのに、眠ることを知らない町。

 その中にあって、まるで隔絶されたかのように、ひときわ寂れた路地裏のブティックホテル「CINDERELLA」の前で俺は域を潜めている。

 沖宮夫婦蒸発事件の捜索打切から半年。
 妹夫婦の蒸発は、俺には到底、納得のできないものだった。

 コートの胸元のポケットには、在りし日の妹夫婦とその娘の姿を収めた写真が収まっている。
 まだ、生え揃っていない前歯を見せて笑っていた姪っ子の姿は、今やもうない。
 あの事件以来、俺が引き取り育てているが、一度足りとも、この写真のような笑顔を俺に見せはしない。

 事故死する直前、姪っ子が見たという、白と黒のセーラー帽を被った人影。
 信ぴょう性がないとして、検討すらされなかった。  
 魔人犯罪が関係する事件に巻き込まれたのでは、と俺は考えた。そして、姪の目撃情報を唯一の根拠に、妹夫婦の捜索を続けていた。

 そして、尽くせる限りの根回しの末に、ようやく手にした、ここブティックホテルCINDERELLAでの目撃情報。
 俺はそれに賭けていた。

 何日にも渡る張り込みの末に、俺はようやくソレを見つけた。

 白と黒のセーラーキャップ。

 それを被った少女の影を見かけた刹那、俺の体は動き出していた。
 気持ちが焦ったのだ。気づけば私は、その少女の腕を掴んでいた。

 きょとんとした目で少女は俺を見る。

 くるんと長い睫毛にぱっちりとした目。
 その整った顔立ちに、私は声をかけることも忘れ、見とれていた。

 事件の重要参考人。
 この少女が妹夫婦を殺した犯人である可能性もある。にもかかわらず、不用意に声をかけるなど迂闊すぎる。

 けれど、それは違う。
 犯人を見つけることで、姪の笑顔が見れると思った。
 こんなのものは言い訳だった。

「君っ」

 俺はその少女を抱きしめた。
 あの頃、俺がまだ中学生だった時、一目惚れした頃と、鮫氷しゃちはまるで変わらない。
 白と黒のセーラー服。
 その話を聞いて、ドキドキしたのは、なぜか。
 白状しよう。俺は鮫氷しゃちにまた会うためにここにいる。

「い、痛いよ。オジサンっ!」

 困ったように言うしゃちの体を抱きしめながら、俺の心は、中学生だったあの頃に戻っていた。


□□□



「私達、もう恋人同士(大親友)だもん!」
 いつものように校庭の茂みで授業をふけっていると、女子達の声が聞こえてきた。
 思わず聞き耳を立てつつ、俺は少女らの会話を盗み聞く。
「大好きだよ」
 茂みの隙間から覗き込んだ俺の目に入りこんだのは、キスシーンだった。
 女子同士でキスをしていた。
 当時は純粋だった俺は、その女子達の行為を前に、恐ろしさで顔を青ざめたことを今でも覚えている。
 何か見てはいけないものをみてしまったような背徳感。
 それと同時に、俺の中に沸き起こる言葉にならない衝動。
 それを百合と呼ぶのだということを知らなかった。

 その頃の俺は、魔人として覚醒したばかりで、触手を操るという自身の能力を持て余していた。

「いや! やだあ!」


 その破壊衝動を止めることはできなかった。
 百合というものを知らない未熟な心は、百合を壊すことでしか、それを嗜むことができなかった。
 俺は、自らの触手を操る能力ショック・アンカーで、何の罪もない少女のカップルを襲った。

「殺してやる」

 このような言葉を向けてくるような少女には、より徹底して屈辱を与えた。
 だが、俺は満たされなかった。
 今更であるが、俺が求めていたのは純粋な百合であり、幸せな少女の慎ましやかな恋愛だったのだ。
 しかし、誰も俺に百合を教えてくれなかった。こんなこと理由にはならないが、こんなおぞましい能力を持ってしまったがゆえに、俺は百合のたしなみ方がわからなかったのだ。

「あはは、おかしい」

 幾つもの百合を散らし、少女を傷つけてきた俺の前に、白と黒の魔物が現れたのは、俺にとっては、まさに神の行幸とも言えた。

 ケラケラと笑う白と黒のセーラー服と帽子を纏った少女は、自らを鮫氷しゃちと名乗った。
 しゃちは、俺と俺に寄って汚された少女達を前に、目をキラキラさせながら腹を抱えていた。

「おめえも散らしてやろうか!」

 俺は触手をちらつかせ、脅すが、しゃちは何がおかしいのか、今度は、地面のうえをころころと回りだした。
 あっけにとられる俺と少女たち。

「あー、びしょ濡れ」

 ひとしきり、嗤いきったのか、鮫氷しゃちは起き上がると、ハンカチで汚れを拭う。

 先程まで、周囲には触手から放たれた俺の体液が、バシャバシャと降り注いで、沼地のようにどろどろしていたが、いつの間にか降り出していた雨によって、全て洗い流されていた。
 巨大な積乱雲は夜空を塗りつぶし、雨空の闇を一層深くする。

 ボロボロに引きちぎられた衣服を、震える手で手繰り寄せ、少女達はまるで住処を追われた野良猫のように、闇へと逃げていた。

「オジサン、もしかして百合童貞?」

「ユリ……ドーテー?」

 鮫氷しゃちの言葉を俺は飲み込めない。
 ドーテーとは何だ。
 ユリとは何だ。

「俺は女だぞ……!」

「ええ! どう見ても君、おっさんじゃん!?」

「うぅ……!」

 鏡に写った自身の姿が脳裏に浮かぶ。
 俺はまるで赤子のように、小さくうずくまった。
 毛むくじゃらの手に、髭面の顔。
 お父さん似だから可愛い子になると言われた幼少時。
 優しかったお父さん。
 豪快に笑いながら、大きな手で、いつも俺の頭を撫でてくれた。
 お父さんのようになりたい。
 その思いがいつの日か、こんな形で叶うとは思わなかったのだ。
 俺は、気づけば、お父さんと瓜二つの姿に成長していた。
 俺はもう男として生きるしかないのか。進路に惑い、授業を受ける意味さえ見失い、俺はいつしか一人で学内を隠れ潜むようになっていた。

 どうしてこんなことになったのか分からない。
 今はただ、自身の全てが気持ち悪い。
 ぐるぐると不快な感情がお腹の奥で巡る。

「あらら、禁句だった? でーもーさ。ドージョーすべきはオジサンじゃないよ」

「汚してやる!」

 俺は触手を鮫氷しゃちに向ける。

□□□□

「ッ……!」
 触手に手をかけた絞りだす指が止まった。
 気づけば、全身が硬直し、身動きがとれない。

「な、何をした……!」
 俺はそう絞りだす。

「あはは、おかしい」
 しゃちはくるくるとその場でステップ踏んでいる。

「オジサン遊んでほしいの?」
 くすくすと笑いながら、しゃちは言う。

 この頃の俺が知る由もないが、シャチは超音波によって、獲物を硬直させ、対象を捕食するという。それと同様の能力を、鮫氷しゃちも持ち合わせていた。

「百合はいいものなのだ」

「君が本当に女の子なのかなぁ」

 鮫氷しゃちの唇が迫る。
 そのとき、俺はようやく百合というものを知った。
 十五の夜の事だった。


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 そして、俺は今ここに居る。

「百合師匠!」

 俺はブチックホテルの前で叫んだ。
 この鮫氷しゃちは、俺の言葉が理解できないのか、首をかしげていた。
 けど、俺はそれでよかった。もう一度、会えたのだから。


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 私達仲良し三人組――眼下院ハナ()数取テンコ(てんてん)柊木フウカ(フーカ)は、いつも一緒だった。


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 生ごみの発酵したような匂いが充満する。
 突如現れた少女は自らを「鮫氷しゃち」と名乗った。鮫氷しゃちは口を尖らせながら、その前髪をくるくると指で回している。

「あー、うんざり」

 じっと様子を見守っていると、鮫氷しゃちは、大きなため息とともに、そう言った。
 これが、悲劇の序章になるとは、私達の誰ひとりとして気づいていなかった。




最終更新:2016年08月15日 23:08