延長戦第一試合SSその1


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「まいったなあ……」

誰もいない校舎。そこに一人佇み、心底困ったように呟く女性の姿があった。彼女の名は蟹原和泉。妃芽薗学園OGにして絶賛恋人募集中の喰魔人である。

「さて困った。それにお腹も空いた……どうしたもんか」

彼女の目の前には、四肢がねじ切れ顔面が吹き飛び内臓が飛び散り、もはやただの肉塊と化した人間の死体があった。頭部に残った長い髪や華奢な指の残骸から見るに生前は女性だったのだろう。だが今となっては物言わぬ死人でしかない。

もちろん、この惨状を引き起こした下手人は蟹原ではない。彼女がこの旧校舎に到着した際、彼女は空気に混じるかすかな血の味を感じ取った。そしてその発生源を探し当ててみたところ、既にこのような状態になっていたのだ。

「私は探偵じゃあないんだけどなあ……」

そう言いつつも、死体を細かく調べる。もしかするとコレをやった犯人こそが今回の敵なのかもしれない。殺害方法から相手の攻撃手段などを明らかにできればより優位に立つことが出来るだろう。

年齢は十代か、それとも二十代か。半分以上肉が欠けているので見た目からは分からないが、少なくとも若者だろう。長い髪は血に染まり真っ赤に変色している。死後間もないのだろうか、床に池を作った血液はまだ乾いておらず粘り気は少ない。

「これは……服、かな?」

血だまりに浮く布の切れ端を親指と人差し指でつまみ取る。掌大の布片。なにやら特殊な生地のようだが、それだけでは元の服は特定できない。服屋さんのアルバイトをしていればよかったかな、とぼんやり思った。

他にも色々と遺留品は残されているものの、探偵ならざる蟹原にそれらから真実を導き出すことなど到底不可能である。探偵の真似事をしてみたところで探偵のような推理力が湧き出るわけではない。

「ハアー……しかたない、推理は諦めよう」

そうため息交じりに呟くと、彼女は血に染まった布片を投げ捨てた。そして代わりにねじ切れた腕から離れ床に散らばる白魚のような指の中の一本を拾い上げ、口の中に放り込んだ。

むしゃむしゃ。もぐもぐ。ぼりぼり。ごくん。

「ふむ、なるほどなるほど」

死体の指を咀嚼し、うんうん、と腕を組んで頷く蟹原。空腹が少しは満たのだろうか、その顔はすこし満足そうな趣を放っている。

「不味い」


その時、液状化した壁の中から円柱状の爆弾が彼女めがけて飛び出した。


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敵対者へのファースト・アタックに失敗した国産人造魔人「缶娘」の伊4KAN型ユニット・伊六九は、逃走した標的を水面下から監視していた。その機体には今、以前とは比べものにならないほどの活力が満ち溢れている。それは前回の戦闘から今回までの間に得たものだ。


『カランドリエ』メンバーとの戦闘のあと、彼女は得体のしれない空間とその支配者たる超銀河日本帝国皇女・口舌院焚書に拿捕された。そしてそこで行われていた闇のゲーム『放課後ウィザード倶楽部』への強制参加を余儀なくされたのだ。

だがしかし、彼女は諦めなかった。不屈の闘志と鋼鉄缶の心臓をもってはるか格上の転校生相手に一歩も引かない勝負を繰り広げ、ついに宇宙競技かるたチャンピオンたる焚書を倒し超銀河の覇者として君臨したのだった。

そのさなかでもう一人の彼女ともいえる『一六九』が伊六九をかばい不運の戦死をとげたり、安全院と言う名の少女が父に連れられて家に帰ったりしたが、それはまた別の話である。

そうして死と混沌うずまく宇宙規模の闇のゲームを勝ち抜いた彼女は、万能の神にも近しい力を手に入れ、元いた世界への帰還を果たそうとした。

……しかしそう上手くはいかなかった。死んだと思われた口舌院焚書が最後の力を振り絞り、時空間ワープの体勢に入った伊六九に最後の攻撃を仕掛けてきたのだ。全知全能の神と化していた彼女にも見通せない、見事なアンブッシュだった。

既に死体と変わらない様と化していた焚書ではあったがその力はいまだ健在。次元跳躍中の伊六九から超常的な神通力を千切っては投げ千切っては投げ、彼女が帰還の足掛かりとして考えていた旧校舎に到着するまでに、そのほとんどのパワーを剥ぎとってしまった。
しかしその代償として焚書自身も五体が爆裂し、内臓をぶちまけながら完全に死亡したのだった。これには伊六九も誇り高き武士の気概を感じ、溢れ出る涙と共に敬礼した。

そうして、彼女は好敵手の亡骸に現実世界に帰還することを誓い、最後に残った熱いハートを胸に秘め、次の敵対者を打倒すべく旧校舎という名の海にこぎ出したのだった……


《ハア……ハア……》

液状化した旧校舎の床に、女の吐息が響き渡る。激しい運動をしたからだろう、息を切らした荒い喘ぎに、早鐘のように鳴り響く心臓の鼓動音が混ざっている。その音を伊六九のソナーは確かに捉えた。

敵は確実に疲弊している。伊六九のファースト・アタック、放たれた十六発の魚雷手裏剣をすべて回避し切り抜けられた時は敵はどんな手練れの戦闘魔人かと思ったが、それも杞憂だったらしい。

あの一戦だけでここまで息を乱しているとなれば相手は戦闘慣れしていない、つまり簡単に仕留める事ができる弱敵であろうことは伊六九には容易に想像できた。それに、好敵手である焚書の亡骸を奴は辱めた。到底許してはおけない。

だが油断は禁物。死角から狙ったはずの魚雷攻撃を回避したことは事実として認めなければならない。うかつに浮上することなく慎重に、慎重にことを運ぶべきだと彼女は結論付けた。

《ハア……ハア……よし……!》

たったったったっ。心音が遠ざかり、代わりに廊下と靴底が打ち合わされる音が響いてきた。どうやら床に座り込むのをやめ、体を起こして移動を開始したらしい。その足音は疲労している人間にしては比較的整っていて速度も遅くない。

(逃がさない……!)

伊六九はソナーの情報から導き出される敵対者の位置を確認すると、十分な距離をとりつつ追跡を開始した。


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追跡を始めて十数分後。標的は動きを停止した。場所は建物の形状からおそらく特別教室棟の一室と予想されるが、この校舎の正確な地図情報を持たない伊六九にはなんの教室かは特定できなかった。

顔を出して目視による状況確認も検討した。しかし不確定な情報しかない時点での接近は逆に不利になりかねない。ソナーの精度を上げ、そこから得られた情報を元に推理すればよい。

ぽーん。ぽーん。伊六九の口からピンポン球が跳ねる時のような軽音が発せられ、その反射音をソナーで拾う。敵側にも少しは聞こえてしまうだろうが、聞こえた所でこちらの位置までは分かるはずもない。むしろ追跡を悟らせ焦らせることが出来れば有利に働く。

反響音から考えるに、室内には大型の机、しかも床に固定されたものが複数存在していることが分かる。金属製の部品も多く、内部にもいくつか道具が収納されているようだ。つまりは……おそらく作業台かなにかだろう。ということはあの部屋は工作室かそれに準ずる場所であろうと予想される。

《ハア……ハア……っ!》

息のリズムからして標的はいまだ疲労状態から抜けてはいない。むしろ走って移動したためか、それとも追跡に気づいたのかさらに息が荒くなっているようにも感じられる。

敵対者は作業台のひとつに背を預け、何やらもぞもぞしている。しゅるしゅる、とこれは衣擦れの音だ。服を脱いでいるのだろうか。

伊六九はファースト・アタック時に視認した敵の服装を思い出した。上下真っ黒な長袖。たしかにあれは運動に向いているとは言い難い。汗も余計にかくだろうし、疲労もしやすいと予想される。脱ぐのは合理的判断だ。

《ハア……ハア……ふう》

まずい。このまま休息を許せば敵は息を整え、体力を回復させてしまうだろう。そうなれば振り出しに戻ってしまうどころかさらに逃げられ、その間にこちらへの攻撃計画を整えられてしまう可能性すらある。敵が万全ではない今がチャンス。

幸いにもあちらは背後を取られることを警戒しているのか、未だ机に背を預けたままだ。通常であれば合理的かつ効果的な行動だが、伊六九相手でそれは悪手である。なにしろ彼女は物質の中を自由に泳ぎ、そして突然浮上しアンブッシュ出来る。敵の行動は背後にはらうべき注意をないがしろにしてしまっているのと同義なのだ。

(ここで仕留める……!)

彼女はアンカー代わりの鎖分銅を作業台の根元に引っ掛け、敵が背を預ける机の内部に潜行した。そして魚雷手裏剣を右手に握りしめると、敵の背中めがけて急速浮上した。隙間がない以上投擲は無理だ。掌ごと叩きつけるしかない。

(食らえッ!!!)

しかし、その攻撃は敵に届くことなく。

「……ああ、やっと、やっと来てくれたか」

「えっ?」

ばぐん。

魚雷手裏剣を握りしめた拳ごと、敵の背中に生えた『口』に捕食された。

「な……ッ!?」

「アアー、いい。おいしい。ほのかな鉄味が良い具合……」

むしゃりむしゃり、と伊六九の右腕を咀嚼する背中の口。その大きさは並のものとは桁外れに大きく、もはや背中に口があるというより背中が口そのものと化していた。

「き、急速潜こ……うわっ!?」

伊六九は机中への退避を試みたが、その動きが一瞬止まった。片腕を失いバランスを崩した上、想定外の事態にアンカーを外すことを失念していたのだ。そしてその一瞬で彼女の逃亡は不可能のものになった。敵に首を掴まれたのだ。

「ぐぐ……!?」

「ああ、なんておいしそう……!私ね、いきなり攻撃されてね、とても不安で、それにとってもお腹が空いているの……ハア……ハア……!」

彼女は身をもがいて逃れようとしたが無駄だった。ただ首を掴まれているだけではない、敵の掌の口が首に噛みついているのだ。無理やりひき剥せば首の肉を半分以上持っていかれてしまうだろう。そうなればいかに缶娘といえども死は免れない。

伊六九は自分を捕らえた敵対者を今になって初めてしっかりと視認した。その顔は紅潮しており目つきもとろんとしている。その様子は明らかに疲労状態ではない、興奮しているもののそれだ。呼吸の乱れも心音の激化も疲労ではなくそれに起因するものだったのだ。

服を脱いだ体は無数の口に覆われており、形の良い乳房すら口の山と化している。肌を伝う液体は汗か唾液かはたまた別の何かか、だらだらと垂れ流されて足元に水たまりを作っていた。

「ハア……ハア……ああ、もうダメ我慢できない!いただきます!」

「くっ……この、変態があ!!」

伊六九は残された右腕に魚雷手裏剣を握りしめると、眼前の敵に向かって叩きつけた。狙うは顔面、眼帯で死角となった右側中央だ。

「イヤーッ!」

クリーンヒット。しかし。

ごしゃり。むしゃ。ごくん。

「ーーーーーーッ!!?」

声にならない悲鳴。彼女が振り下ろした抵抗の拳は、眼帯の下に隠されていた口に自ら飛び込み、そして無惨に咀嚼された。

「あああああ、こっちの手もおいしい……!」

恍惚の表情を浮かべる捕食者。それに対して伊六九にはもはや手が残されていなかった。

「そんな……」

顔には絶望の色がにじむ。こんなところで自分は死ぬのか、それもこんな、訳の分からない変態に物理的に食べられて。目から涙がこぼれた。

「ハア……ああ、安心して、だいじょうぶだから……」

「……?」

そんな獲物に、捕食者はやさしく、とてもやさしく声をかけた。まるで子供をあやす母のように柔らかな声。伊六九は思わずそちらを見た。そこには戦場には似つかわしくない、穏やかな笑顔。

「ここなら、おいしく料理してあげられるから、ね……?」

その言葉を聞き、彼女は初めてこの部屋が、主に調理実習で使われる『家庭科室』だという事に気づいた。


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【勝者・蟹原和泉】


最終更新:2016年08月22日 22:40