延長戦第三試合SSその1


 「虚ろなる校舎にて待つ――」
 雨月星座は靴箱に置かれた呼び出し状の封を切った。そこに一片の躊躇なく、けれど感慨はいと深く。
 探偵と名の付くいきもの、いや「しにもの」として妃芽薗学園は確かに興味深い題材だった。

 妃芽薗、妃の芽を育む薗と書けて読んでいられればどれだけ幸せで済んだだろう? 
 開校から数年、歴史の上では短いけれどわずかな時間のうちに卒業アルバムではなく墓碑銘に名を刻んできた少女たち。
 彼女たちは果たして誰の妃なのでしょうね?



 雨月星座は女子高生である。
 転校生である前提以前に、そこは譲れない。
 女子高生という肩書はそれだけで特権である。「学生」という種は箱庭の中に蒔かれ、芽を出し育まれやがて大輪の花を咲かせることを期待される。だから、美しい花を咲かせてくれる、そんな愚かな希望だけで大人たちは傅いてくれる。
 だけど“彼女”が現時点で綺麗というのなら、その先を望まなくなってしまう。それはなおさら愚かなことである。

 雨月星座は九十年も前に既に亡くなっている。
 本来の歴史、もしそんなものがこの世にあればの話だが、彼女は父親に人としての尊厳を奪われた末に、薄暗闇にずっと一人ぼっちのまま幽閉され、餓死という結末を辿った。それを狂わせたのはただ一度、恩人との邂逅である。
 「死」という結末はそのままに、「死んだままで生きる」ことを続けた彼女に終焉は未だ来ない。

 雨月星座は泣くし、笑うし、猛るし、喜ぶ。
 物も食べるし、眠くなったら床に就く。けれど、もう子を宿すことは無いし、それを許すことも無い。 
 確かに道を尋ねれば教えてくれるし、三千円貸してくれと言われればポンと出してくれる。美人としてあるべきことが欠けている、そんなことは一切合切ない。だが、社会に入り交じり生活を営むことが出来るか、それを聞かれると難しい。

 結局、もう変わることが許されない、あとは消えるだけの不死者はいくら美しかろうがあの時のままだ。
 恨むべき誰かも見つけられず、薄暗闇で夜の星を睨み続けたあの頃と何も変わっていない。
 人は人として生まれ付いた時から社会の呪縛から逃れ得ず、魔人になろうが転校生になろうがそれは変わることが無い。

 よって、雨月星座は自身が女子高生であることを気に入っていた。
 貴様が誰かと訊かれたところで、恩人である『暦』部長の名はもちろん出さない。
 探偵という肩書を出す出さないも場合に寄りけりだ。だから、こうゆう胡乱な相手に言ってやるのだ。

 「僕は“女子高生”です」
 と。



 夜の木造校舎、口に朽ちていると言っても形を成しているという意味ではおとなしいものだ。
 傍目に見えて、ふたりの女生徒が向き合っている。

 蓮柄円は名乗りを受けて、見ればわかると思ったという。
 闇夜の中でひときわ目立つ白面は、まるで日本画のよう、つまりは幽霊にして優麗。ほっそりとした体躯を青ざめたセーラー服に潜ませる。
 カラーからカラーまで真っ青、どこで売っているか定かでないが、買い手はもちろん売り手も正気を疑われることは明白だろう。

 そして、それが恐ろしいほどによく似合っていた。
 凡庸、と言ってしまえばそれまでだろう。日本人、と言ってもあてはまるだろう。
 けれど、見たことがあるはずなのに、会えるはずがない。いつだって幻想の中にいる少女の情景、それが目の前にいて動いている。

 もし、蓮柄円が蓮柄円を鏡で見たなら、雨月星座が蓮柄円と同種であることにきっと気づいただろう。
 だけど、それは叶わない夢。
 “彼女”はもう笑わない。蓮柄円の魂はここにいない。
 ……それがどういった意味なのかは探偵だけが知っている。

 ここではない妃芽薗学園、探偵部と風紀委員会の戦いも佳境に入った頃だった。
 新たなハルマゲドンの犠牲となった少女たちは学園の高二力フィールドを維持する礎となる。高二力フィールドの中で通常の魔人は能力を十全に発揮できず、強大な中二力を有する転校生に至っては身動きをすることさえ厭わしくなるという。

 いわゆる彼女たちの魂と同義である中二力の流入を感じながら、蓮柄円は苛立ちを隠せなかった。
 数多の穢れなき乙女たちが無辜の命をあたら散らすこと、これが喜ばしい事態でなくてなんというのか? 雨月星座はそう、皮肉を言おうとしてやめる。代わりに言ったのは。

 「鮫氷しゃちが飽きたのに、ここから出られないことが不満かな? 力があってもそれが振るえないことのもどかしさ、わかる気がするよ」
 少年のような気安い口調、そのことは自分の株を先取りされたようで、そのことに円はたとえだが奥歯に力を込めていたことだろう。

 「ねぇ、蓮柄円(はすぢから・つぶら)さん。生きてて楽しいですか?」
 結論を告げられて、瞬間。虚ろな美少女の似姿が揺らぐ。確かに探偵の断定は強い力を有する。だが、それが魔人能力でない限りは、わたしたちが住まうこの世界の法則を揺るがすほどに力強いものではないはずだ。
 ここが……、実数でなくて虚数というあやしげな数字が冠された空間でなければ、だが。

 実数(リアル・ナンバー)と相反する虚数(イマジナリ・ナンバー)。
 翻訳の都合上、虚ろなどと訳されてしまっているがその真に意味するところ「イマジナリ・ナンバー」は「想像上の数字」を形容した言葉。
 虚数空間より湧き出る最強にして十三番目のコミュ能力者「鮫氷しゃち」、便宜上“彼女”と記述するが……、妃芽薗とみれば神出鬼没に、事情など無視して登場するや好き勝手に戦場(キャンペーン)を蹂躙だけして去っていく“転校生”。

 「転校生……? キミたち学園関係者は転校生という言葉を便利に使い過ぎだよ」
 鮫氷しゃちは想像力の海より現れて、夢の混じり合う魔人学園を遊び場に使う可愛らしい魔物。ヒトとシャチは同じ遊び場で泳いでいるようでいて、力の差があり過ぎる。つまり、遊び相手が脆すぎるのがいけない。

 「おもちゃ箱に閉じ込められて、その挙句に放置されるみじめさ、わかったかな?」
 雨月星座はころころと笑った。
 朧に見えるその下腹部を見つめ、もう手に入らない何かと思い愛おしげな感情を向けながら。
 蓮柄円(はすぢから・まどか)という魂の去った器にしがみつき、愛でようとするおさなごを、同姓にして異性の、同名にして異名の、同床にして異夢の、兄「蓮柄円(はすぢから・つぶら)」を見て、声を立てて嗤った。

 「重ねて聞くが、貴様は誰だ……?」
 蓮柄円、いいやこの表記はもうよそう。蓮柄まどかの口を、妹の口を借りた兄、蓮柄つぶらは幾度となく繰り返した質問を凛々しくも突き付けた。それは舌鋒鋭く、探偵の手にした「剣座」という銘の剣に向けて光が跳ね返るようだった。

 光……?
 都会にあって、深い森の中、秘密が隠された妃芽薗学園は星に恵まれていた。
 月の欠けた夜にあって、いつだって星は輝く。黄昏時に嫌でも背を追いかけられた天体の運行の先、夜の暗闇の中で女生徒たちは救いを得たことだろう。だけど、それも星座がこの学園に現れるまでのおはなし。

 『私たちが星座を盗んだ理由』。
 雨月星座の魔人能力、その名の由来を問われた時、星座は周囲を見渡すだろう。
 夜空を見上げることが少なくなって、代わりに星座という名の少女を見つめることが多くなったと、答えにそう補足して。

 だから、雨月星座が夜空の星を、その魂を奪い取ったとして、その髪に、長い夜空のような、夜の黒に同じものを見れば済むのだろうけど。
 今、蓮柄つぶらは目の前の少女に光を見ない。
 「どこへ……」
 ボーイッシュ、それは成長の途上で命路を止められた美少女の特徴として最適の言葉なのかもしれない。
 肩に至るまでに短く整えられたかみのけ、白いフードは背に流されていた。こまやかで、ちいさくもおおきくもない眉目を大きく見開いたまま、まどか=つぶらは硬直、停止する。真正面、もたれかかった学習机に向けて倒れ掛かった雨月星座を見ながら、魂の戦いがはじまる――。



 もし、魂の世界を垣間見ることが出来たとしたら、人は殺風景さに驚くか、恐れるか、どちらだろうか?
 白と黒、明と暗、すべてが反転し、夜空は白い闇に染まって、黒く輝く星だけが彩りを添えている。
 道行く人々のマーブル模様、姿なく虚ろに明滅する少女の影、しっかりと地に足をつけて歩み続ける少女のシルエット。
 その違いがどこから来るかと言うならば。

 「生か死か」
 蓮柄つぶらは小さくつぶやいた。
 「正解ですね。ここは、アビメルムが主催する学園の裏側、死と眠りに親しい者たちが近づく夢の世界へようこそ。蓮柄つぶらさん、ずいぶんかわいらしい姿じゃあないですか?」
 ひょっこりと、現実世界と変わらない姿、髪を星空で傲慢にも飾り立てた雨月星座が現れる。
 そして、嘘偽りなく感心したような口笛のような声色で言った。

 蓮柄つぶら、妃芽薗学園生が流血少女と呼ばれることになったきっかけ「血の踊り場事件」の犠牲者「蓮柄まどか」の兄にして父。
 実態は生物が辿る発生メカニズムの初期段階、筆舌にしがたいが……肉でできた休符のような、ちっぽけなバケモノである。

 「へぇ。精神世界では肉の檻とは違って綺麗な心根のままでいいということかな?」
 銀髪碧眼、最愛の妹の補色のような、けれど白い肌、そこも死人のようだった。美しいかんばせ、黒いフード付きのクローク、まどかと似通っていても、けれどどこかで交わらない、決して対極でもない悲しい絵姿。
 学園の裏の支配者はいつだって寂しげな口ぶりで、だけどその実まどかのこと以外はこれっぽちも心配に思っちゃいないのだ。

 青色の探偵が立ちふさがる。
 「道は開けました。申し遅れましたね、僕の名は『雨月星座(プリュヴィオーズ・せいざ)』、妃芽薗に輝く十二の月のひとり『一人きりの星座』。仮に力ある魔人のことを“転校生”と呼ぶのならそれに当たりましょう。案内人のまねごとは楽しかったですか? 黒幕さん(笑)」
 徹底的に煽る方針のようだった。

 「ハイハイ、話には聞いているよ。魔人の領域を脱したことは見事かもしれないけど、神人である僕を侮辱することは許さないよ?」
 美少年の笑顔とはこんなに恐ろしいものだったのでしょうか、まどかの鉄面皮に自負と傲慢さ、年頃の万能感を足したソレは間違いなく男でした。ソレは、間違いなく雨月星座にとって最も恐ろしいモノであったのだけど、探偵としての仮面が内心の不安を押し殺して続けて言った。

 「八部会――我ら『カランドリエ』の兄たる組織『暦』の皐月副部長補佐から話は聞き及んでおられるとは思うけれど……」
 そう、今回の顛末はすべて学園上層部、いやその上の『十束学園』と共謀した『暦』副部長「卯月言語」の手の内にあった。
 「そのおかげでひどい目にあったよ。それで、復活した鮫氷しゃちにさらわれた僕を助けに来たというわけかな。マッチポンプにしても白々すぎない?」
 学生の計画と考えてもザル過ぎたのか、彼の言葉には少々呆れの感情が混ざっていた。恩を着せるにしてももっとやり方があるだろうと。
 ハルマゲドンの度に現れる蓮柄まどかの胎内には、つぶらが存命である限り必ず“彼”が宿っている。彼はそういう生態である以前に、魂なき傀儡であるとしても、ひとりで好き勝手させるほどに人の好い性格をしていない……。
 だから、危険を押して戦場に赴き、妹の中に閉じこもって終戦を待つ……、いや閉じ込められているのか。

 「驚いたね? なぜ“案内人”である自分を差し置いてまどかが現れるのかと、外の――本来の妃芽薗でも妹さんが大暴れだったよ?」
 『暦』が生贄と引き換えに召喚した蓮柄まどか、旧校舎での戦いで不死の風月すずの血と骨を依代に召喚した蓮柄まどか、冥府から魂そのものまでは呼び出せなかったとしても、空の器に魂と肉体を繋ぐ精神を降ろすことは容易いことだった。

 「僕も嫌われたものだね。まどかは、そんなに僕を殺したいのか。なんでだろうね……」
 決まりきったことをいう。理屈としては理解できる、だけどその先に思い至らないのがこのつぶらの魔物たるゆえんである。
 「死を追い求めるのは少年少女の特権だよ。つぶら君、それがわからないというのなら精神年齢が熟成され過ぎてるんじゃないのかな?」

 「挑発は結構だけど、本題は? ここが危険だということはわかってるよ。早く脱出しないといけない」
 モノトーンの世界、モノクロの海……、とある 

 「鮫氷しゃちは、卯月――口舌院言語とある契約を結びました。ハルマゲドンのその先、鮫氷しゃちの作る世界、つぶらさんが見たいかどうか知らないけど……、僕個人としては阻止したいんだよねえ。協力していただけないだろうか?」
 「メリットは?」
 「正確にはデメリットを回避するメリットしかない。今回、ちょくちょく、ちょっかいをかけてきた大物に口舌院焚書というのがいる。だけど今回、鮫氷しゃちのことで先を越されたことで怒ってるから、ほぼ確実に妃芽薗に八つ当たりを仕掛けるよ。
 よって、同格の相手『言語さん』の部下ってことで攻撃を防ぐために、名義貸しで構わないから僕たちの仲間になったもらわないといけない。僕らは別の高校に引っ越せばいいけど、妃芽薗から離れられないあなたは困るでしょう?」

 果実月――、と目立つように書かれた契約書、蓮柄つぶらに差し出された従属要求。
 残念ながら諸事情により可否を書くことは出来ない。けれど……。今は、急ぐしかない。


最終更新:2016年08月22日 22:47