前半戦第一試合SSその1


★目次
1.挨拶にかへて
2.夢は現に、現は夢に。
3.人は物語ですが、物語は人ではありません。
4.ここからは――



 壱.挨拶にかへて
 三国屋(みくにや)碧沙(へきさ)は物語の中の魔女である。
 黒いとんがり帽子に黒マント、それだけ揃えば見習い魔女を名乗っていい。肩から掛けるのは野暮ったくて古臭くて何度も何度も近所の野良犬に噛みつかれたカバン。さんざ追いかけられたあの犬も老いぼれた。
 中身ったらあの当時に精一杯大人っぽい、カッコいい、黒っぽいと思って買った、もらった大学ノート、もといお手製魔法書ぜんぶで二十二巻。これも書くのをやめて久しいっけ?

 年若くて未熟な碧沙は魔人に憧れる。魔女に憧れる。特別な存在に憧れる。
 だけど、その憧れは年を取るにつれて擦れていくだけだった。確かに大きくなって背伸びしなくなった。両親と別れて一人で暮らすようになって、おっぱいだって――大きくなった。その気になれば何でもできる。
 だけど――いつから夢を見るのがふつうになったんだろう?

 三国屋碧沙は夢を見る。
 白馬の王子様からカボチャの馬車へ、カボチャの馬車から魔女のお師匠様へ。誰かが私を連れて行ってくれる! 私を導いてくれる! なーんて、はしゃぎまわったのもいつだっけ?



 弐.夢は現に、現は夢に。

 一面は氷の世界。かまくらは意外と暖かいと言いますが、氷の城の中が暖かいと言えるかはご想像にお任せします。私は凍え、温かいのは城(白)の女王ただ一人、それを不公平と言わずして何と言いましょう。

 夢の中で私は綴り方を教わっています。
 お師匠様はこれを書けたら自由にしていいよと、氷の板に『永遠』という文字を書き散らすように命じるのです。物語で見たような――、あなたが誰なのか聞いてみるとこうはぐらかされるのが常なのでした。 
 「私? 『物語の中の仙女』、もしくは『読者』とでも言っておこうかしら」

 私のお師匠様は雪の女王でさえないのです。ちなみに『仙女』とは童話の善き魔法使い≪Fairy(Fee)≫の訳語によく選ばれる日本語――だそうです。
 寒そうに真っ白な息を吐きながら、温かい紅茶を自分だけ喫(の)んで、何が楽しいのかいつだって微笑んでいるのです。角砂糖を一ダース入れるのは毎回忘れません。
 髪は真っ白ですが、これは漂白されたという感じで氷でできているというわけでもありません。暖炉のように燃える瞳を覗き込むと、焼き尽くされてしまいそうで怖いのです。

 ここに来る度に受ける魔女術(ウィッチクラフト)の授業、板につく前は何度泣かされたことか。
 ≪あなたは理解者がいなくて悲しんでいたんじゃない。理解を求める努力も怠って、ただ一人立っている自分自身の姿に酔っていたんじゃないかしら? 鏡のかけらが突き刺さっているのがここ(両目)だけじゃないといいのだけど。≫

 ≪『雪の女王』をご存じ?≫
 即興詩人アンデルセンが遺した童話の中でも映像化の機会に特に恵まれ、知名度も結構高いアレです。大まかに七つのパートに分かれますが、大意は少女ゲルダが仲良しの少年カイを雪の女王のところから連れ戻しに旅をするもので、やたら長いから道中は結局はしょられる。
 どうもこのお師匠様は私を童話の主人公に見立てるのがマイブームらしい。ちなみにこの間は瓜子姫で、その次は鉢かづきだった。……ハッピーエンドを迎える前に次の物語に移るのはやめてほしいのです。

 ≪こうしてヘキサは自分たちがいつのまにか、もう大人になっていることに気がつきました。≫
 初めて会った時は私よりずっとお姉さんだった師匠の背丈を飛び越したのは高校生になってからでした。それからいくらか大人びて、飛び越えるまでに転校生をはじめたのは幸いだったけど。
 御蔭で自分よりずっと年下の師匠に師事し続けることは避けられそうです。

 「行くのかしら? 現実はそう甘くはない。わかっているはずなのに」
 「それでも行きます。わかっているはずでしょう?」
 「そう、ならこれを持っていきなさい。通行料よ」
 手渡されたのは魔女の短剣(アセイミー)、これが修了祝いということでしょうか?
 受け取って頭を垂れて、再び顔を上げた時そこに白い魔女はいませんでした。そして、そこはもう夢ですらないのです。 



 参.人は物語ですが、物語は人ではありません。

 それを私は知っています。

 三国屋碧沙は夜の旧校舎を歩く。古ぼけて、崩れて、木材の隙間はより広がって。
 魔術の神ヘカーテの恩寵か月光に照らされる影法師は悪霊共の棲み家となった隠れ家を叩き、その高貴なかんばせに吸い寄せられる声がある。みんな、みんな泣いていた。
 姿なき影は、隣にいる魂の亡骸にすら気づかない。自分が孤独でないということにすら気づかなかった。悪魔すら見向きもしない少女たちの残滓は現に何の影響も与えることもなく、魔女に縋って泣くのだ。

 【ねぇ】【連れてって】【お願い】【一人は嫌なの】【どうか】【許して】【寒い】【ここどこ?】【お母さん】【お父さん】【助けて】【悲しい】【寂しい】【苦しい】【頂戴】【いつなの?】【やめてよ】【痛いよ】【どうして?】【冷たい】【先輩】【あの子を】【殺して】【私は誰なの】

 より深い闇、より色濃い黒に魅かれた罪なき女生徒たちの霊に、心優しい仙女ならどうしてあげただろうか? だが、ここにいるのは強い魔女、碧沙はこうすると決めていた。 
 私ならこうする。

 「黙れ!!!」  
 まるで昔話の女王が下賤の者を一喝するかのような大気揺るがす鳴動――!
 普段の物静かな彼女からは想像もできないが、これが規模でいうなら人類史を紐解いても屈指の魔術師の弟子、その本領発揮というものだろう。

 言葉だけで人を殺すに至らないが、人に至らない霊魂、霊魂にさえ至らない記憶の切れ端程度ならこれで十分のはずだろう。
 大半は千々に千切れて雲散霧消、姿さえ失って消え失せることに憐れみを感じないこともない。
 【ね】【イや】【やメ】【ココ】【コロして】【わたし】

 まだしぶといのがいたか、可哀想だが口に出すのは禁句。
 やさしさにつけ込むならまだいい方、言うなれば彼女たちは焼き付いた影。形を取った悪霊とはまた違う、壊れた機械。そんなものに関わり合いになるのがそもそも時間の無駄というものだ。
 だけど、もう一度怒鳴りつけようと丹田に力を籠めようとした瞬間、“それ”に気づく。

 【わたし】【ワタシ】【渡し?】【私は】
 「蓮柄(はすぢから)円(まどか)」
 黒い靄が集まり、晴れる。白いフードの少女の似姿が目前に立っていた。
 一歩、二歩、意識して下がる。臆したわけではない。必要があった。鞄に手を突っ込み、魔法書を手に取る。

 聞き覚えのある名前、見覚えのある姿、いつだって彼女は妃芽薗(ひめぞの)にいた。
 かつての彼女は殺人鬼だった。その記憶は、記録は、網膜から監視カメラから、卒業アルバムから消され、隠され、疑うことさえ出来ない。
 なんて寂しい能力(ちから)だろう。自分がここにいた痕跡すら消し去ってしまうなんて。

 碧沙は生前の蓮柄円のことを知らない。血の嵐となった六年後(もしくは四年前!)の臨海学校で通り過ぎていったことも中学一年生だった当時の碧沙にはあまりにも難しいお話だった。
 命こそ拾ったものの心あらず、茫然自失して長く病院生活を送っていたから。長い夢の中で師匠と出会えていなかったら今どうしていたかわからない。
 蓮柄円が、鮫氷(さめすが)しゃちが作る結界とはそういうものである。そこに取り込まれたものが支払う制約、もしくは代償と言えばわかりやすい。

 「ゲームの案内人が何の――」
 問いかける間もなく、てるてる法師もといフードが翻り、握りしめられた血色のナイフが月光を照らし返して妖しく光った。
 クレイリー・ブラッド、生贄の血液を凝固させて武器を精製する素直な能力、手首から滴る血はわずかばかりも地に逃がすことなく鈍く輝き、刃を育てていく。

 「ビブリオヘキサ! 22-033『新堂(しんどう)瑛里(えいり)』ッ!」
 愛用の魔法書から最新の魔人能力(魔術)を引き出す。レートA『LOVE♥GRAVITATION』発動。
 本来は好意を抱いた対象との間に「引力」を発生させる魔術だが、その反対となれば――?
 そう、斥力である。マグ姉の『反発破局 夜逃げ砲』ほどの劇的さはなく、本来想定していた挙動と真逆であるゆえに効果も鈍いが、初撃を防ぐには十分。血と肉と、一体化した禍々しい刃を最小限の動きでかわす。

 高二力フィールドの薄いこの異界なら私の能力もフルに使える。
 近接戦用の能力を検索にかけようとして、止まる。ああ! どうしてこんなに妃芽薗の生徒は能力がややこしいの! 精神系が多すぎる! もっと素直な能力はないの! 誰だよ、こいつらがステキなお姉さまとか言った奴! ていうかコスト2って何!?
 情報を多く抱えていると思しき探偵部に雇われたのは良かったけど、これなら風紀委員会の方に行った方がよかったかなあ。ううう……。

 ひらりひらりと、敵の攻撃を躱しつつ次のページをめくる。
 コピー能力者はその能力の有用性と引き換えに、多くの場合は重い制約を課せられている。
 手がふさがるというハンデを背負うことを考えると、今回の黒幕である「皐月(さつき)咲夢(さゆめ)」がほぼノーリスク「対象に触れる」だけで能力封印を兼ねた強奪を行えることに比べて、いささか不公平に感じないこともない。
 だが、情報戦ではこちらに分があった。そもそも転校生とは単独で呼び出されるだけあって一般人、延べては魔人の集団に伍する“個”である。無いものねだりはせずに今ある手札で勝負するだけ、三国屋碧沙は図々しいのだ。

( 
彼奴(きゃつ)が
単なる操り人形であることはわかっている。会話の暇も勿体なく、次の手を探す。ふ、と思いついた。探偵部という仮置きの住まいでいてあの寂しそうな瞳は嫌いではなかったから。
 篠崎(しのざき)志保(しほ)の残り火で近接戦の残り火で近接戦? 下策、しかし思考を振り払う。そもそも敵意を持たない者はコピーできないという制約、この時のためだけに裏切るのは憚られた。

 廊下から躍り出る。階段を駆け下りる。姿見が黒い空に籠った白い空蝉を瞬間留めた。
 名残惜しい、というように一段二段、三階から走り降りて二階へ一階へ三階へ!? 循環している、ここからは逃げ出せない。

 新堂の斥力は持続しているが、そう強いものではない。
 機械的ではあるが、相手も順応する様子を見せつつある。ナイフは育ち、剣の長さに、宝石のような艶めきを宿し、鼻先をかすめ、頬に赤い線を走らせる。碧沙も転校生の身、普通の魔人よりは頑丈な自信があったけれど――、ここはきっとすべてが過去のものとなった女生徒たちの舞踏階段(ダンスフロアー。
 ふさわしい能力を抜き出す。今の彼女では到底扱えそうにないそれでなく。

 「ビブリオヘキサ! 22-018『厳島(いつくしま)出雲(いずも』ッ!」
 「お姫様ならぬ魔女の身なれど、それは私の望んだこと。


熟達者
(アデプト『三国屋碧沙』がお相手いたしますわ」
 「ごきげんよう」「ごきげんよう」
 レートF『挨拶は時の氏神(ハッピー・グリーディング)』。挨拶をするだけという紛れもない弱能力である。だが、わざわざこれを用いるは彼女の矜持と言ってよかった。コピー能力者の通俗観念、我が無いということを鼻で笑ってみせる。
 なれば、世を渡るすべてを世に溢れる魔人能力でやってしまおうと夢の師匠宛に啖呵を切った。

 挨拶も返さない無粋な輩、侮蔑の視線。
 魔女の瞳は邪眼なのかも。蓮柄円が身を震わせる。その顔を一切、歪ませないままに――?
 幽かな違和感、霊どもが遠巻きにして近づかない血の舞の中で碧沙は思考を運んでいた。彼女は転校生としては新米だが、なれたといっても識家やスズハラ機関に頭を下げたからではない。

 ≪認識の衝突? みんなバカみたいにそれを言い出すのね。知らないの? 転校生になる方法は一辺倒じゃない。≫ 
 不老不死を求めて師匠に相談した流れだった。聞き勇んで持ち込んだ秘法は思いっきりバカにされた。結局、転校生になった手段は別ルートとなる。今や碧沙は永遠の女子高生だった。

 「ビブリオヘキサ! 22-032『鉄鍋の執餃(しぎょう)』ッ!」
 近接戦闘手段を持たず、切り傷が増える中で繰り出した一手だった。味のわからない客への怒りから生まれた自傷(人肉食)強制施行能力『白い宝石袋』。鏡に映る彼女のフードは――白い。
 己の足を喰らうタコは二度と足を生やさぬという。けれど、円は月の眷属であるかのようにかぶり付いた腕は歯形を残さずに癒していく。
 「決まり! ビブリオヘキサ! 22-043『局長』ッ!」
 これで終いだった。
 蓮柄円を構成する贄の血と骨。それを取り上げられた不死の魔人「風月すず」は、先に例を挙げた蛸のように、ぐにゃりと潰れ生々しい嫌な音を立てた。
 風月すずは戦闘能力を持たない魔人だ。用意できるのは自分の不死の体だけ、転校生相手に勝ち抜くにはあまりにも力不足だったから自分自身を生贄に捧げて自らに上乗せする形で召喚した。

 違和感に気づいたのは二度挨拶をした時、相手は無言なのにおかしいと思った。
 魔人能力は論理、文章で表せると知っている。挨拶をする論理能力ならば、つまり相手は“二人”いる。
 鉄鍋ナントカの能力はその仮説の裏付け、そして――同陣営でありながらさんざん私の入園を邪魔してくれた入園管理局局長の『職権乱用』によって召喚された転校生を世界から叩き出した。
 さて――、どうやって勝とうか? 審判はもういない。だから。

 死.ここからは――
 屠殺の場だ。描写するに描けない。



最終更新:2016年07月25日 22:33