暗殺なんていうものは、多くの人が思っているほど難しいものではない。
680㎜カノン砲を構えて、撃つ。当たればターゲットは死ぬ。朝飯の前だ。
もちろん今回のように、様々な要因で680㎜カノン砲が手元にないこともある。
用を足した時にトイレに置き忘れたり、家を出る時に持ってくるのを忘れたり
コンビニに寄った時に外に立て掛けておいたらパくられたり、等々だ。
そんな時は、この拳の出番となる。異能レベルの怪力で、思い切り殴りつける。
するとターゲットは死ぬ。ただし接近しなければならないので、最後の手段だ。
そして、最後の手段を振るわなければならない局面が、今だ。
木造の校舎を背に、隻腕の少女と対峙していた。校舎の他は、周りに鬱蒼と広がる森、森、森!
雨でもぱらついた後なのか、足の裏に感じる地面は、ほんの少しやわらかい。
武器になりそうなものは何もなかった。
愛用の暗器、680㎜カノン砲は、校則により風紀委員に没収されてしまっていたし
懐に忍ばせておいた拳銃は、現実世界のトイレに置き忘れてしまった。
覚悟を決め、拳をグッと握りしめ、申し訳程度に構えをとった。武術の心得は、全くない。
対して隻腕の少女の構えは堂に入っており、素人目にも武道家であることが見て取れた。(銃々ゐくよには分からなかったが、合気道の構えだ。)
……拳が当たれば殺せる。しかし、当てることが果たしてできるだろうか。不安がよぎる。
互いが互いに視線をぶつけながら、じりじりと時間だけが過ぎていく。嫌な汗がジワリとにじむ。
どれくらいの時間、対峙していただろうか。遠くで稲光が走った。
遅れてやってきた音に合わせて、最初に動いたのは、銃々ゐくよだった。
「ウオオオオオーッ!!暗殺ーッ!!!」
頭の悪い雄叫びと共に放たれた殺人的右ストレートが、風圧をまとった。手ごたえは、ない。
次の瞬間、突如として地面が無くなった。気付けば体が宙を舞い八回転ひねりを決めていた。高得点!
しばらくの浮遊感の後、背中から地面に叩きつけられた。グエっとなりつつも慌てて立ち上がり、わたわたと体勢を立て直し状況を確認する。
地面がやわらかかったおかげか身体的ダメージは左程でもない……それよりもお気に入りの服にこびりついた泥による精神的ダメージの方が深刻だった。
隻腕の少女が追撃を仕掛けてくる様子はない。カウンター主体の戦法……魔人能力か、武術か、その両方か。
分からないが、ともかく、接近戦はだめだ。それならば、と拳を振り上げ地面に叩きつけた。
ドォン!という音とともに、土や石、岩や大きな鉄くずのようなものが舞い上がり、地面が大きく陥没した。
元々掘り返された後、埋め立てられたのだろうか、予想よりも大きな穴が開いたことに少し狼狽えつつも、舞い上がった中から手頃な岩を掴みとり、思い切り投擲した。
魔人一人暗殺するのに、十分な速度と質量だ。しかし隻腕の少女は、「遅い」とばかりに口の端を上げた。
そして左手一本で器用に岩の勢いを受け流し……ぐるりと体をひねると、銃々ゐくよにむかって岩を投げ返した。
魔人一人暗殺するのに、十分すぎる速度と質量だ。銃々ゐくよは舌打ちをしつつ、岩に拳を叩きつけた。キャッチボール断固拒否の構えだ。
砕け散った岩の破片が、散弾銃のように降り注いだ。隻腕女は少し迷い、回避を選択した。今しかない。
銃々ゐくよは大きな鉄くずを手に取り、くるりと踵を返して土煙に紛れて校舎の方へと逃走した……。
――――――――――
臨海学校当日。
送迎バスの運ちゃんの荒っぽい運転は、乗り物酔いしやすい銃々ゐくよにとって最低最悪だった。
宿で横になっているうちに、うとうとと眠りに落ちていた。
目が覚めるとそこは見知らぬ木造建築。学校の教室だろうか、黒板があり机と椅子が均一に並べられていた。
教卓の上に、少しお行儀が悪いが、少女が腰かけていた。フードを被った亡霊のような少女だ。
やけに薄暗い教室に亡霊と二人きり、外はしんと静まり返っていて他には誰もいないように思えた。
まるで補習授業でも受けているようだなあと、ぼんやりと考えていると、亡霊が口を開いた。
……選ばれた。選んだ。転校生。もう一人。倒さなければ。脱出。
亡霊の言葉は、持って回った言い回しや難しい単語が多く、まだ頭が覚醒しきっていない銃々ゐくよには半分ぐらい理解できなかったが
面倒くさかったのでなんとなくウンウンと頷いていると、やがて説明を全て終えたのか「健闘を祈ります」と言い残し、スウっと姿を消した。
曰く「ここから抜け出したくば殺しあえ、夏。」
なにが、夏。だ!と勝手に憤慨しつつ、机の上に置いてあった写真を手に取った。対戦相手の写真だろうか、律義な亡霊だ。
写真には隻腕の少女が映っていた。車掌のような恰好をして背後には新幹線もある。銃々ゐくよは眉根を寄せた。
見覚えがある、様な気がする。デジャブーだろうか。それとも、廊下ですれ違ったことがある、程度のことかもしれない。
暫く写真を睨み付けていたが、やがて一つの可能性に辿り着き、頭の上に電球を出した。
この隻腕の少女こそ、名前も顔も忘れてしまった今回の暗殺のターゲットに違いない、と。
――――――――――
銃々ゐくよは駆けていた。隻腕女が追いついてくる様子はない。
幼い時分から巨大な砲を背負い野原を駆けまわっていたのだ。足腰には自信があった。
しかし、ただ逃げ回っているわけではない。
本校舎を中心に、特別教室棟、各種体育館、グラウンド、プールなどが渡り廊下でつながっている。そして周りは森。
建造物の形状こそ違えど、ここの地形は私立妃芽薗学園に酷似していた。そして、先ほど地面から掘り起こした鉄くず……。
もしかしたらを確信に変えるため、第一体育館へ向かった。体育館裏、飼育小屋の少し南。ここだ。
拳を振り下ろすと、先ほどと同じように容易く大穴があいた。
「……あった!あはっ!やっぱりあった!」
埋まっていた鉄の塊に頬ずりをして、思わず歓喜の声を上げた。ゐくよの顔に笑顔が戻る。
勝機が、みえてきた。
――――――――――
ここはグラウンドだろうか。整備されていない地面は、ところどころ雑草が生え、申し訳程度にサッカーゴウルが置かれていた。
対戦相手の姿はここにもなかった。隻腕の少女・港河真為香は少し苛立っていた。追いかけっことかくれんぼは、もうウンザリだ。
先ほどから大きな音を立てて居場所を知らせる割には、一向にあのゴリラ女は見つからなかった。
そこらじゅうを穴だらけにして、落とし穴にでもするつもりだろうか。グラウンドの端にも大きな穴が開いていた。
ふぅとため息をついて走り出そうとした刹那、目を見開いた。敷地の中央にそびえる本校舎、その屋上に更にそびえる巨大な鉄の塊があった。
正確には、巨大な鉄の塊を背負った少女が。背筋にぞわりと悪寒が走り、とっさに構えを取った。
……誘い出された?どこからあんなものを?
……隠していた?造り出した?魔人能力?
……穴を掘り歩いていたのは制約か?それとも材料か?かく乱するためか?
真為香は頭をぶんぶんと振って、お邪魔虫共を追い出した。今は目の前の事態に集中しなければ。
ゴリラ女の背負っている鉄塊は筒状……大砲のように見える。口径は、目算で60……70cmはあるだろうか。当たれば即死。
口径の大きさの割に砲身が短いこと、そして構えている角度を考えると、砲弾は大きく山なりに飛んでくるだろう。
どう考えても人間に対して使う武器ではない、城砦や兵器を破壊するためのものだ。命中精度は高くないはずだ。
ちょこまかと動き回っていれば致命傷は避けられる、かもしれない。しかし……!
真為香は、その両の脚で大地をしっかと掴み、片腕で構えを取った。相手にとって不足、無し!!
そして、轟音。
迫りくる灼熱に左手をかざす。口は自然と弧を描いていた。
閃光。爆音。
手袋がじりじりと焦げ、態勢を大きく崩したものの、港河真為香は五体満足、いや四体満足だった。
返した砲弾は本校舎から大きく左に反れ、特別教室棟を破壊していた。それでも十分な戦果と言えた。
しかし、港河真為香の顔に達成感は感じられない、再び目を見開いて絶句していた。
それは、自分の技が完全に決まらなかったことに対してではない。
すでに次弾が発射されていたのだ。
あれは、明らかに連射の効くデザインではない。次弾装填などの作業を全部一人で行ってこの速度など、あり得ない。
まるで、砲撃までのプロセスを全部無視しているかのような、こんな……。
それでも咄嗟に反応して、不完全ながらも構えをとれたのは、日頃の訓練の賜物か。しかし、不完全な態勢から先ほどより良い結果が生まれることはなかった。
無慈悲な質量が真為香の左肘から先を吹き飛ばしつつ、後方に着弾した。爆音。爆風。
真為香の体は高く高く舞い上げられた、並行して千切れた左腕がきりきりと回転して飛んでいた。ああ、なんか、昔、同じようなことがあったような。
敵は第三射を放つ体制に入っていた。……もう、文字通り打つ手がない。周囲の景色の流れが鈍化し、新幹線との思い出が、走馬灯のように巡……巡……?
巡らないまま落下してゆき、サッカーゴウルのネットでバウンドして、べしゃりと地面に落ちた。砲撃は、こない。
暫くすると、タッタッタッと駆け寄る音が聞こえてきた。トドメを刺さず直接いたぶる気だろうか。なんにせよ、もう体が動かない。
うつ伏せのまま眼球だけを動かした、薄汚れたランニングシューズに「ゐくよ」と汚い字で名前が書いてあるのが見えた。
――――――――――
銃々ゐくよは、本校舎の屋上に広げた十数個の鉄塊を、フンフンと鼻歌を歌いながら組み立てていた。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、これはカール自走臼砲(の臼砲部分)だ。当然、人一人が、素手で組み立てられるような代物ではない。
しかし彼女の魔人能力をもってすれば、そのような問題はゴミ箱にポイポイだった。
本来ならば、妃芽薗学園の敷地内に埋まっていたはずのものだ。没収されてしまった680㎜カノン砲の代わりにゐくよが持ち込んだのだ。
もちろん、そのまま持ち込んだのではまた没収されてしまうため、バラバラにして少しづつ持ち込んでは敷地内に埋めておいたのだ。
それがなぜ、この異空間に存在したのか。この空間と妃芽薗学園がなんらかの形でリンクしていたためか。
はたまた、手元にはなくとも、銃々ゐくよが所持品と認識していたため一緒に送られてきたのか。定かではない。
しかし確かにここにある。それでよかった。
組み立て終わったそれを、よいこらしょと背負う。心地よい重量感だ。ゐくよは満足げに笑みを浮かべた。
タイミングよくターゲットがグラウンドに姿を現していた。こちらに気づいたようだが、何の問題もない……暗殺だ!
ゐくよは臼砲の射角を合わせると、脳内のイマジナリ引き金に指をかけた。
――――――――――
少女の体が宙を舞っていた。二回の砲撃を受けてなお原型を保っているなんて、とんでもない怪物だ。
しかしそのタフネスもこれで終いだ、三回目の砲撃を、ターゲットに……ターゲット……ターゲット?
風にのってきた熱がちりちりと肌を炙り、脳を活性化させる。そう、そうだ。
頭の中にもやもやとした何かが浮かび上がってきた、黄色……金髪……そう、たしか金髪だ。ターゲットは確か金髪だった。
空を舞う少女を見た。金髪ではない。
あと、そう、胸と尻が、こう、ボーン!って。
どちらかと言えば、空気抵抗のよさそうなラインの少女が落ちていく。
あと、なんか、奇抜なサングラスを……あああああああああああああああああああああああ!!!!
銃々ゐくよは駆けだした。自慢の脚力で。階段を転げるように降り、体育館を抜け、グラウンドへ。
両腕を失った少女が横たわっていた。はあはあと息を切らし肩を上下させながら、なんとか声を絞り出した。
「はぁっ……あのっ……はあ、はあ、えっと……その、ごめんなさい!人違いでした!!」
二人の間に、ウェルダンに焼けた真為香の左腕が、ボトリと落ちた。