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近寄るんじゃあなかった、と宍月左道は後悔した。
今は空き教室のひとつに潜伏し、かろうじてあの女の追跡を交わしているが、それもいつまで持つかは分からない。なにしろ十数分前まで隠れていた体育館はあいつの能力でまるごと消滅させられたのだ。この校舎が同じ道を辿らないとは言いきれない。
だが後悔しても仕方がない。この状況を生み出してしまったのは左道自身なのだ。校舎の中でひとり佇む上級生の姿を発見し、コミュニケーションをとろうと不用意に近づいた結果がこのザマだ。
しかしそうする他なかったのも事実である。左道の能力は到底戦闘向きではなく、やみくもに使えば自滅しかねない。相手の情報を集め、その上で有効な使用をする必要があった。
敵の基本的な情報は、左道の持つ『友人候補名簿』によって知ることができた。名簿は親友にした探偵部の部員に作らせたもので、外見的特徴さえわかれば個人を特定でき、性格や思想、生活態度や人間関係などの個人情報を閲覧できる優れものだ。私はこれを使って友人になれそうな人間を探し、そして思い出づくりの糧としてきた。
名簿によれば相手の名前は虚本来無。高等部二年だが年単位の行方不明ののち数カ月前に復学したため実年齢は不明。あまり人と積極的に関わるタイプではなく、友人関係も希薄でそこから手繰れる情報は少なかったが、寂しがりやで親しい友人を求めている。魔人能力の有無は分からなかった(学園内では能力が制限されるため、入学以来魔人能力を一度も使用しない生徒もいるので情報が少ない)が、もし魔人だったとしても性格からして攻撃的なモノではないだろう。武道の類もやっておらず、人に危害を加えたという記録もない。
つまり、虚本は左道にとっていいカモだった。そういった友人を求める、いかにも人畜無害そうな手合いはすこし優しくすればコロッと落ちる。そして左道のためにすすんで自らを犠牲にしてくれるものだ。
まず親し気な顔をして近づき、スムーズに友人関係を結び、利用できるだけ利用したのち私のために自ら降参させる。そうして彼女をここに置き去りにし、左道は美しい思い出とともに現実世界へ帰還する。
……そういう腹積もりで近づいたのは、まさしく悪手だったとしか言いようがない。まさかあそこまでイカれた女だったとは。
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虚本先輩とのファーストコンタクトはうまくいった。いつも通り人懐っこい笑顔を貼り付け、おどおどした態度の先輩に対して積極的に話しかける。押し気味のトークの前では、ものの数分で彼女は私に心を開いた。問題はそのあとだ。
先輩に近づいた時、一番に印象的だったのはたびたび虚空に向かって話しかける姿だった。私はそれを寂しがりやの人間によく見られる、イマジナリ―フレンドの類だと判断した。一応は透明人間の可能性も検討したが、聴覚・嗅覚を総動員してもそこにはなんの存在も確認できなかった。
空想のお友達は私にとって邪魔だ。私以上に親しい友人は、たとえ架空存在であったとしても自己犠牲の障害になりかねない。そのために、まずは先輩の意識をイマジナリ―フレンドからこちらに移す必要があった。だから私は先輩が空想に話しかけるたびに会話を遮り、私のほうを向くように話題を投げかけ続けた。
しかし、それはあえなく失敗した。思い込みが強固すぎたのだ。
先輩はまるで本当にそこに友人がいるかのように振る舞い、あろうことかソレを私に紹介すると言ってきた。これまでも私は複数人のイマジナリ―フレンド持ちを篭絡し、彼らの第一の親友の座を欲しいままにしてきたが、今回はそれらを遙かに凌駕する難敵である。ハッキリ言ってイカれているとしか思えないほどの意思の硬さ。なんだか私までそこに誰かが居るような気がしてきたため、イマジナリ―フレンドの件は一旦置いておくことにした。
そうして先輩の第一の親友の座を手に入れられなかった私は、別の行動に走った。友人としてイマジナリ―フレンドに勝てないのなら、それにはない、実体を持った人間としての優位性を最大限駆使し、されに上の地位を手に入れるしかない。私は先輩を押し倒した。レズセックスだ。
レズセックス。それは、行き過ぎた友情の形である。それは百合気風の蔓延する妃芽薗学園であっても変わらず、ヤればほぼ確実に友人の過程をすっとばして恋人関係にまで発展できる。本来であれば出会って数分の間柄でやることではないが、手っ取り早く先輩の中での私の地位を押し上げ、友達以上の関係になるためであればやむをえない。私も経験はないが、まあなんとかなるだろう。
押し倒され床に寝そべる先輩の上に覆いかぶさり、胸元のリボンに手をかける。同時に左手を裾から潜り込ませ、厚い布地に隠された双丘の片割れを優しく揉みしだく。先輩の口から熱のこもった吐息がこぼれる。イケる。
……しかし、そこまでだった。私の左腕は、彼女の服の下で消滅した。
急に襲ってきた喪失感に慌てて飛びのこうとした私の右腕を、虚本先輩ががっしりと掴む。引き留めようとしたのだろうか、しかしその瞬間右腕も消え失せた。私は勢いのまま後ろに倒れ尻もちをつく。
私の両腕は肘から先がまるごと無くなっていたが、痛みも出血もなかった。ただ、元からそこには初めから何も無かったかのように、その存在を喪失していた。
突然の出来事に思考停止し呆然とする私の前で、先輩がすくっと立ち上がった。そして両腕を失った私を見下ろし、平時とまったく変わらない口調で呟いた。
「ごめんなさい、ちょっとびっくりしちゃった」
「へ?」
「じゃあ続きをしましょう。だって、『友達』だものね?」
その声には腕を消し飛ばした罪悪感など欠片もなく。
私は脱兎のごとく逃げ出した。
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「あの子はどこ? こっち? それともあっちかしら」
廊下から先輩の声が響いてくる。いましがた体育館を消滅させた張本人とは思えない、抑揚を欠いた平坦な声。その響きには害意と言ったものは微塵も感じられない。純粋に『友達』を探しているのだろう。
あれだけの事をしてあげたのに、私は先輩の恋人どころか親友にすら成れなかった。奥の手たるレズセックスをもってしても架空の友人の壁を超えられなかったという屈辱感に、私は身を震わせた。
もうやめだ。一番の親友になれないのなら、そもそも仲良くする意味なんてない。私のために喜んで死んでくれる人でなくては良い思い出にはならない。
先輩を殺して帰る、それで終わりだ。こんな屈辱的な思い出は要らない。
私は意を決して教室のドアを蹴り開け、先輩の待つ廊下に飛び出した。
「あら、やっと見つけた」
先輩がこちらを視認し、そう呟く。私に言っているのではない、イマジナリ―フレンドに喋りかけているのだ。それが分かってしまい私はさらにイラついた。私を見ろ!
「じゃあ続きを……」
「『ジ・アダナス』ッッッ!!!」
それ以上喋る暇を与えず魔人能力を発動。先輩に残された私への好意を、さらに大きな悪意で塗りつぶす。もうこれで彼女は友人でも何でもない。だから殺せる。
だが、これは諸刃の剣だ。悪意に塗れた先輩はもはや一切の容赦なく私を殺しに来るだろう。先ほどの偶発的なものとは違い、本気の殺意がこもった攻撃。それを避けつつ接近し、彼女に一撃を見舞ってアナフィラキシーショック殺しなければ私に勝ち目はない。
そう覚悟を決めて私は防御姿勢をとり、そして……攻撃は飛んでこなかった。
「……?」
顔をあげ、虚本先輩の方を見る。そこには先ほどと変わらない姿で、先輩が佇んでいる。
目が合った。先輩がにっこりと笑う。おかしい。そこは般若めいた憤怒の形相だろうに。
「じ、『ジ・アダナス』!!!」
もしかして当たってなかったかと、もう一度発動。私の認識は確実に先輩を捉えた。が、先輩は相変わらず笑顔のままだ。なぜだ。
「……えっと、『ジ・アダナ」
「あっチョウチョだ。綺麗だなあ」
「ス』ううぅ……」
効いてない。というか聞いてない。なんだこの状況。
「えっと、先輩?」
「へ? な、なにかな、左道ちゃん」
びっくりしたような声。まるでいきなり話しかけられたような、というか彼女からすればいきなり話しかけられたのだろう。チョウチョに意識を持っていかれて、私のことなど忘れていたのか。まったくふざけている。
「その、私を見てなにか思うこと、ないですか……?」
「左道ちゃんを見て? うーんと、なんだか胸がむかむかする、かな?」
効いてた。しかし、
「それで? それで何かしたくなったりとか、ないですか」
「? 特になにも」
特になにも!? どういうことだ、確かに『ジ・アダナス』は効いているのに!
「殴りたいとか! 叩きのめしたいとか! そういう感情は!?」
「ないよ。友達だもの」
「でもむかむかするんでしょう!?」
「友達って、そういうものでしょう? 友達じゃなかったらむかむかしたりしないよ」
なんてことだ。私と先輩では友達の概念からして違うらしい。彼女からすれば負の感情すら友情の生産物ということなのか。なんて能天気な人だろう、全身の緊張が解けてしまった。
今の先輩はどう見ても自然体。そんな状態の相手でも私アレルギーが起きるのかどうか私は知らない。だが、たぶん起きないだろう。なんとなくそんな気がした。
「ところでさっきの続きしよっか。ジュウド―って初めてなのだけれど」
レズセックスとも思われていなかった。そっかー、柔道かー……なんか泣きたくなってきた……うう……。
「ああでも、先に帰ろっか。ここはもう観光し終わったし」
「……?」
帰る、と言った。この戦いにおいては勝者のみが帰還し、敗者は永遠にこの校舎に取り残される。それを理解していない訳でもあるまい。つまりは決着をつけようというのだ、私を倒して。
私とてむざむざ取り残されるつもりはない。作戦などもはや存在しないが、しかし無抵抗のまま敗北を認めるなどありえない。たとえ両腕がなくとも、噛みついてだって勝ってやる。
「先輩、じゃあ……!」
「うん。それじゃ」
身を強張らせた私に、先輩は抱き着いてきた。両腕を背中に回しがっちりとホールドする。なるほど、両腕よろしくこのまま消し飛ばすつもりか。
だが甘い! この距離なら噛みつき攻撃は確実に当たる! 私は先輩の顔を見据え、
そして、私の唇が、柔らかな感触に襲われた。
「ーーーーーーーーーーーーッッッ!?!?!?」
なん、なんだ!? なにが起こっている!? 先輩のかおがちかい!!!
ちゅーされている!!! わたしが!!! せんぱいに!!? なんで!?!?
まつげがながい!!! うわーーー!!! うわわーーー!!?
い、いきが、いきができない。いしきがとおくなる。
うわ、めのまえがまっくらになって■■■■■
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「ハッ!!?」
目が覚めた。
見えるものは、先ほどまで居た校舎のものとは違う、しかし良く知っている板張り。臨海学校の開催地、その宿泊施設の旅館の天井だ。
私は布団を首元までかぶり、仰向けに寝ていた。
「えっ夢オチ……?」
がばり、と布団を跳ね除け体を起こす。まさか全部、全部夢だったのか。
……まあ、夢か。夢だな、うん。そうじゃなければ先輩とち、ちゅーなんて、するはずがないしな。うん、そうだとも、夢だ。
「そっかー夢かー変な夢だったなーあはは……」
「……ううん、むにゃ」
隣から眠そうな声。もちろん私ではない。しかし、よく知っている声だ。なにしろ先ほどまで聞いていたのだから。
私は首から上をぎぎぎ、と動かし、自分の寝ていた布団の中、すぐ隣を見る。
そこには、一糸まとわぬ姿の虚本先輩がいた。
「は?」
「うん?……あ、起きたんだ。おはよう、左道ちゃん」
「あ、はい、おはようございます先輩……え?」
なんだ。なにが起こっている。
背筋がぞくりとして、思わず両手で体を抱きかかえる。その時、私はやっと自分が何も着ていないことに気づいた。全裸だ。先輩と同じ。
「え? あれ?」
「人間を再変換するのは久しぶりだったけど、まあうまくいったかな」
「ええ?」
「もう大丈夫だと思うよ。寝ている間に色々とやっておいたからね」
「えええーーーーーーっっっ!?!?」
色々と!? やっておいた!? なにを!!? ナニを!?!?
「その……意外とすごいんだね?」
何の話だーーーーーーーーーッッッ!?!?
寝ている間に何をしたんだ私はーーーーーーーーーッッッ!?!?!?
「じゃあ、続きをしよっか、ジュウド……って、あれ?」
私は掛け布団を体に巻き付けると、脱兎のごとく逃げ出したのだった。
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【勝者・虚本来無】