後半戦第三試合SSその1


折り鶴たちは見ていた。
病室の片隅から、ずっと、見ていた。
ベッドに横たわる少女の苦しむ姿を、ずっと、見つづけていた。
そして、折り鶴たちは、少女が最期を迎えるのを見届けることになるのだ。


□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□
ダンゲロス流血少女
Summon of Sedna
後半戦・第三試合
□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□


ベッドに横たわり、時折苦痛の呻きを上げる少女。
少女の両腕は、どちらも肘から先がなかった。
右腕は6年以上前に失ったもので、綺麗に処置されている。
左腕を失ったのは昨日。
明らかに素人が巻いた乱雑な包帯は、染み出した血でべっとりと赤黒く染まっている。

両腕を失った少女の名は、港河真為香。
彼女の視線の先には、新幹線があった。
長さ170mmほどの精巧に造られた700系である。
Nゲージと呼ばれるタイプの鉄道模型だ。

「右腕をなくして入院した時も……、この『のぞみ』が……私を励ましてくれたんだ」

真為香は、この保健室に自分を運んで応急処置をしてくれた、もう一人の少女に語りかけた。

「『新幹線が欲しい』って、うわごとみたいに私が言ってたら……、パパが……買ってきてくれたんだ。小3の子には……ちょっと本格的すぎて可笑しいでしょ」

ベッドに横たわる少女は笑って見せたが、もう一人の少女、銃々ゐくよ・ハーン!は笑う気にはなれなかった。
真為香に残された左腕を奪ったのは、ゐくよが撃った砲弾なのだから。
そして、戦いに敗れた真為香は、重傷の体でもう一度戦い、今度こそ勝利しなければこの呪われた空間から抜け出すことは叶わない。

両腕を失ってしまってはいるが、まだ絶望するには早い。
真為香には、右腕に装着する格闘用能動義手がある。
左腕が健在だった頃の隻腕合気道には及ぶべくもないが、義手一本でも戦うことは十分に可能だ。
可能ではあるが、……厳しい。
だから、真為香は秘策を練ることにした。

「ゐくよちゃん……お願いがあるんだけど、聞いてくれる?」

「うん!!何でもするよっ!!!」


□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□


廊下の角から姿を現したのは、巨大な魚であった。
空中を泳ぐ、体長三メートルほどの巨大なピンク色の魚は、無数の紙飛行機によって構成されていた。
『折り鶴1000』という対戦相手の名前だけを告げられ、一体どんな人が相手なんだろうと不思議がっていた真為香は「鶴要素どこ……?」と呟かざるを得なかった。

その言葉を聞いてか、一千機の紙飛行機は一旦空中で停止する。
そして一斉にその身を展開して平らな折り紙に戻ると、複雑に自身を折り畳み鶴の形を取った。
これは、対戦前の挨拶であろうか。

「参りますのは妃芽薗学園高等部三年生、港河真為香です。……ご注意ください!」

駅員アナウンスを真似て、普段より一オクターブ低い落ち着いた声で真為香は名乗り、右腕の能動義手を前に差し出して隻腕合気道の構えを取った。
義手の手先は、三本の開閉するフック。
駅員よりも、海賊船の船長が似合いそうな腕である。
精神集中。真為香は自身の心音を感じた。
そして、同期して第二の心臓のようにズクズクと痛む失った左腕の傷。

千羽の折り鶴は再び千機の紙飛行機に姿を変え、巨大魚の隊形で廊下の空中を泳いで向かってくる。
真為香は右足に重心をかけ、摺り足で右に移動する素振りを見せた。
傷んだ木製の床が、ぎいと音をたてて軋む。

ピンクの巨大魚は、真為香の動きを先読みし、僅かに旋回して速度を上げ猛然と襲いかかろうとする。
真為香は、フック状の手先を開閉させて紙飛行機たちの意識をそこに向けた。
そして、義手の先を同じ位置に留めながら、体は逆方向の左側へと切り返す。
視線誘導によって作り出した意識の空隙を盗む体捌き。

激しい勢いで襲い来る紙飛行機の群れと、紙一重で擦れ違う。
擦れ違い様に義手を巨大魚の脇腹に当て、軌道を逸らし壁に激突させようと試みる。
だが、脇腹に当てようとした腕はずぼりと紙飛行機の群れの中に埋まり、群れ全体に対して合気を作用させることは叶わなかった。
義手に触れた紙飛行機を、三つのフックで握り潰し、手首の回転で逸らして紙飛行機同士で空中衝突させ、引き裂き、握り潰し、弾き、弾き、逸らし、引き裂く。

「っぐうああああーっ!!」

真為香は苦痛を雄叫びで打ち消しながら、足元に落ちた紙飛行機のうちまだ動いていた三機を踏み潰し、止めを刺した。
能動義手に動力はない。
関節を駆動する六本のハーネスは真為香の左肩と腰に繋がれており、義手を動かすのは真為香自身の肩や腰の力である。
義手操作のために左肩を動かすことは、失った左腕の傷の塞がりきっていない真為香にとって多大な負荷となる。
だが、筋電位による機械駆動義手では彼我合一に必要なフィードバック感覚が不十分なため、合気道には不向きなのである。

(……強い怒り……人間への……それとも、自分自身への……?)

左腕の赤黒い包帯に、真紅の血を滲ませながら真為香は紙飛行機たちの心を推し測る。
潰した紙飛行機は七機。
いくつかの紙飛行機には、何らかの文字が書かれていた。
文字を読み取れば彼我合一の助けになろうが、その文字は乱筆で読み取りづらく、また、素早い動きの巨大飛行魚から目を離して隙を見せる訳にもいかない。

巨大魚が廊下の狭い空間で機敏に方向転換し、再び突進してくる。
視線誘導と歩法の組み合わせによって、最低限の動作で紙飛行機の群れを躱しながら、擦れ違い様の攻撃。
失った左腕が激しい痛みを訴え、真為香は苦痛の雄叫びを上げる。
仕留めた紙飛行機は五機。
腕のない少女は荒い息を吐きながら巨大魚に向き直る。

(お願い、のぞみ号……私に戦う力を!)

義手の上腕部でで自分の額をこつりと叩き気合いを入れる。
足元の紙飛行機を踏みにじりつつ隻腕義手の悲壮な合気道を構え直す。

三度、四度、五度。
巨大魚の突進は、繰り返される度に速度を増していった。
仲間を踏みにじられたことに対する激しい怒りを顕にするように。
真為香は巧みに攻撃を避けながら紙飛行機の数を減らしてゆく。

墜とした紙飛行機は、延べ二十三機。
千機のうちの二十三機であるから、まだ軽微な損害と言えよう。
むしろ、一撃すら受けていない港河真為香の状況が深刻である。
左腕の傷口からは血の雫が滴り、眼の焦点は時折ぼやけ、隻腕合気道の構えも危うげだ。

しかし、真為香の闘志は衰えていない。
真為香は、能動義手の三本のフック爪て把持した二十四機目の紙飛行機を挑発的に握り潰して見せ、口許に笑みをうかべる。

その所業に、ピンク色の巨大魚が一瞬真っ赤に色付いた。
そして、今までにない速さで獰猛に猛突進を仕掛けた。
その速度はあまりにも速く、流麗な合気道の動きで身を躱し続けていた真為香も、不様に廊下へ仰向けに倒れながら避けるしかなかった。
「あぐぅっ!」転倒の衝撃で左腕の傷に激痛が走り、呻く真為香。
真為香の顔に、砕け散ったガラス窓の破片が降り注ぐ。

怒りに我を忘れた紙飛行機たちは、全速で窓ガラスに激突したのだ。
ひしゃげて航行不能に陥った二百五十七機が、砕けたガラス片と共に墜落した。

「っがああああーっ!!」

叫びながら真為香は首のバネで跳ね起き、陣形の乱れた巨大魚航空部隊に後方から襲いかかる。
能動義手の鋼の爪が一閃、二閃、三閃。
巨大魚の尾が、義手クローの連撃で削られる。
引き裂かれた紙飛行機が十七機、ガラスの破片の中へと墜落してゆく。

頭部を失った巨大魚は、校庭へと逃げ出した。
真為香は、ふらつく足取りで後を負う。
左腕から血が滴り、真為香の歩いた後に赤い染みが点々と残された。


□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□


校庭の中央、四百メートルトラックのど真ん中に真為香が立つ。
その全身には無数の切り傷。
鼓動に合わせてズクン、ズクンと痛む左腕が燃えるように熱い。
足元には潰れ、引き裂かれた紙飛行機が三十三機。
健在な七百六十一機の紙飛行機は、魚の形に群れるのをやめて真為香の周囲を遠巻きな円形で包囲旋回飛行している。

「きゅいー!」

鶴のような鳴き声による号令がかかると、紙飛行機たちは周回軌道を離れ、中心にいる真為香へと一斉に殺到する。
三百六十度からの同時攻撃。
いかに合気道の達人である真為香と言えども、両腕を失い満身創痍の今の状況では、その全ては捌き切れない。

「がああああぁああーっ!」

獣じみた声を上げ、義手で襲い来る紙飛行機を引き裂く、弾く、逸らす、引き裂く、弾く。
しかし、多くの敵機は討ち漏らす。
能動義手の可動範囲限界を越えた背後の方向が特に手薄だ。
背中に。顔面に。胴体に。脚に。左腕の傷口に!
紙飛行機の鋭利な先端が突き立てられてゆく。
一撃一撃は小さなダメージだが、それが幾百回も重なれば致命傷となる。
すでに重症を負っている真為香ならば尚更だ。

ざくり。真為香は右脚に鋭い痛みを覚えた。
足元には、ぼろぼろの折り紙によって作られた帆掛け船があった。
その帆掛け船の帆は、真っ赤な血で濡れていた。
真為香の右足の踵を切り裂いたのだ。
足元に叩き落とされた紙飛行機のうち、止めを刺せてなかった一機が、密かに姿を変えて機会を狙っていたのである。

意識外の攻撃に、真為香の集中が乱れる。
義手の爪で襲い来る紙飛行機を迎え撃つが、紙飛行機はするりと攻撃をすり抜ける。
全方位から、紙飛行機の攻撃が真為香に突き刺さった。

真為香は、グラウンドの土の上にゆっくりと倒れた。
紙飛行機たちは、真為香の側を離れ、再び周囲を遠巻きに旋回する。
獲物が力尽きるのを待つハゲタカのように、紙飛行機たちは真為香を見守った。
横たわる少女の苦しむ姿を、静かに見つづけていた。

(まあるい……山手線……ピンク色で、緑じゃないけど……)

真為香は、紙飛行機の群れの性質を見切っていた。

(ピンクじゃないのは……あいつ……あいつが秘密の総合指令所……)

ただ一機、黒い紙飛行機がいた。
波状攻撃に加わらず、鶴の一声で群れを統制していた。
この黒い機体さえ撃破すれば、敵編成のダイヤグラムは乱れる。
それが、真為香の見いだした唯一の勝機であった。

「らんらららんら……らーらららー……」

真為香は、ひかり号チャイムをバトルチャントがわりに口ずさみ、自らを鼓舞しながら立ち上がった。

「らーらららんらー……らららららー……」

真為香は、黒い機体を睨んだ。
紙飛行機たちの飛行速度は速い。
真為香の脚では、もし無傷の状態で全力疾走したとしても捕らえることは不可能だ。
徒歩では辿り着けない場所に行く方法は……!

「間もなく到着します電車は、N700系のぞみ壱九四号………………あの世行きです!!」

真為香は、右腕の義手を黒い機体に向けて、三本のフック状クローを開いた。
能動義手の手首には、穴が開いていた。
義手の前腕は、砲身(ガンバレル)に改造されていたのだ。
まともな工具もない状態での即席改造。
銃々ゐくよ・ハーン!の能力による、理外の重火器組み立て技能でなければ為し得ぬ神業であった。
名付けるならば、『れいるうぇいず・がんばれる!』!!

発車っ(ファイアーッ)!!!」

真為香は、右肩に引き出されたトリガープルタグを噛み締め、頸を左に振って引き金を引いた。
右腕の砲身から、高速で弾丸が射出される。
弾丸の名は、N700系のぞみ。
真為香を守護するNゲージ。
右腕の先からマズルファイアーの赤い焔が吹き出し、新幹線弾丸は一直線に黒い敵へと出発進行する。


□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□


焔の中で、折り鶴1000は目覚めた。
祈りを込めてこの世に産み出された折り鶴たちであったが、力及ばず、役立たずとして焼却処分される運命だった。

人間たちはなんて身勝手なのだろう。

鶴たちは、怒りを感じた。
勝手に自分たちを作り出し、のぞみ通りの結果になかなかったからと言って焼き捨てる。
そんな人間たちに、激しい怒りを感じた。

私たちはなんて無力なんだろう。

鶴たちは、怒りを感じた。
何もできない自分自身に。

鶴として折られてより一月と少し。
だが、千羽の齢を合わせれば、延べ九十九年。
折り鶴1000はそんな屁理屈で道理を圧し殺して九十九神(つくもがみ)となり、激しい怒りに身を焦がしながら焼却炉を脱出したのであった。


□◇□◇□◇□◇□◇□


紙飛行機の群れを率いる黒い機体にとって、新幹線弾丸の速度は回避不能なほどではなかった。
空力的に弾丸に適した形状ではあるものの、所詮は即席武器である。
だが、致命的だったのは、砲身からの赤い焔。
焔が、折り鶴1000の過去の記憶を呼び覚ました。
その記憶が一瞬、黒い機体を捕らえて回避行動を遅らせた。

のぞみ号の優美な流線形の先端が、黒い紙飛行機の側面から衝突。
黒い羽根と、胴体をぐしゃりと折り曲げて先端に張り付け、些かも速度を緩めず進行する。
終着駅は、木造校舎の外壁。
木製の壁に車体前部をめり込ませ、弾丸特急のぞみ号は停車。
黒い機体は引き千切れ、機能を停止した。

残る紙飛行機は七百四十九機。
左腕からの出血は一段と激しく、心臓の鼓動に合わせてだくだくと血が流れ落ちている。
それでも、統率の乱れた烏合の衆ならば勝ち目はあると、真為香は考えていた。

だが、ガンバレルの焔は、リーダー機以外の紙飛行機たちの記憶も呼び覚ましていた。
彼女たちは九十九神として覚醒した日の、強い怒りを思い出していた。
指揮者を失った紙飛行機たちは、怒りの導くまま一斉に四方八方から真為香に殺到した。

「彼我……合一ッ!!」

真為香も己の心を怒れる紙飛行機たちに同期させる。
襲い来る敵機を、右腕の能動義手で捌こうとする。
しかし、真為香の義手は紙飛行機をもはや一機たりとも捉えることができなかった。

真為香の義手が紙飛行機を捉えようとした瞬間。
紙飛行機は広がり、元の正方形の姿に戻った。
義手の鋼の爪が、虚しく空を切る。
平らな紙となった折り鶴たちは、義手による防御をひらりひらりと掻い潜り、真為香の身体に張り付いていった。
精神の合一が崩れたとき、合気道は無力である。
折り鶴1000の怒りの本質を読み誤った真為香に、折り紙たちの行動を防ぐ術はなかった。

「ぐうあっ……」

左腕の傷口に紙が張り付き、真為香は苦痛の呻き声を上げた。
戦うための戦士の叫びではなく、蹂躙される哀れな犠牲者の上げる声だった。
紙たちは、左腕へと執拗に張り付いてゆき、強い力で残された左上腕を締め付けた。

「うぐっ、がっ、ぐあああああーっ!」

真為香は立ち続けることも叶わず、校庭の地面に倒れてのたうって苦しんだ。
助けを求めるように新幹線の方を見たが、Nゲージ模型は校舎の壁に刺さったまま何も言わなかった。
視界に稲妻のような閃光と真っ暗な闇が交互に幾度か訪れ、意識が混濁した。

……そして、決着はついた。

折り鶴1000は既に戦意を失っていた。
ゆえに、勝者……港河真為香。

真為香は、完全に止血された左腕を見た。
そこに張り付いている折り紙には、小学生の拙い字で、折り鶴に込める願いが書いてあった。

「はやく げんきに なってください」
「びょうきに まけないで」
「また がっこうで あそぼうね」

それは、折り鶴1000が叶えることのできなかった願い。
ただの折り鶴であった彼女たちは、病床の少女を救うことはできなかった。
だが、九十九神としての力を得た折り鶴1000は、その力で真為香の命を失血死の寸前で繋ぎ止めることができたのだった。

真為香の周りを取り囲む残りの折り鶴たちは、その数三百八羽。
この戦いで多くの仲間を失ったが、折り鶴308は満足げな様子でたたずんでいた。

(おわり)


最終更新:2016年08月08日 23:03