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#contents *1116 チャベス大統領、核開発を表明 ベネズエラ [朝日] 2007年11月16日18時30分  ベネズエラのチャベス大統領は15日、「平和目的のために核開発する」と述べた。具体的な時期などは明言しなかった。  反米を掲げる強硬左派のチャベス氏は、イランのアフマディネジャド大統領の盟友。地元メディアによると、チャベス氏は「イランは核兵器はつくっていない。間違いなく平和目的だ」と同国の核開発を擁護。世界的なエネルギー不足に対応するため、同様の核開発をすると述べた。  ベネズエラは世界有数の産油国。南米ではブラジル、アルゼンチンが原発を保有している。 URL:http://www.asahi.com/international/update/1116/TKY200711160258.html *0923 フジモリ氏、リマに到着 ペルー警察施設に収容 [朝日] 2007年09月23日23時43分  チリ最高裁の決定に基づきペルー政府に引き渡されたフジモリ元大統領(69)は22日午後(日本時間23日午前)、約7年ぶりに首都リマに到着し、警察関連施設に収容された。到着が予想された国際空港などには、帰国を歓迎するフジモリ派と反対派が互いに集い、小競り合いも起きた。  フジモリ氏を乗せたペルー警察当局の輸送機は2カ所を経由し、8時間以上かけて午後4時半すぎ、リマ南部の空軍基地に到着。ヘリで警察関連施設に送られた。  国際空港には約1000人、警察関連施設には100人のフジモリ派が集まり、「フジモリこそが民衆の代表だ」などとシュプレヒコールをあげた。一部は警察当局や反フジモリ派と小競り合いを起こした。リマの下町に住む小売商のフアナ・カセレスさん(59)は「フジモリ氏が殺人にかかわったというが、テロではその何倍もの人々が殺された」と、刑事被告人としての扱いに憤った。  ロイター通信などは、同氏は警察関連施設に2週間ほど収容される見込みと報じている。今後、軍による民間人殺害への関与など7件について、殺人や誘拐、公金横領などの罪で裁かれる。 URL:http://www.asahi.com/international/update/0923/TKY200709230155.html *0922 フジモリ氏のペルー送還、チリ最高裁が決定 [読売]  【サンティアゴ=中島慎一郎】チリ最高裁の刑事法廷は21日、ペルー政府によるアルベルト・フジモリ元大統領(69)の身柄引き渡し要請を認める最終決定を言い渡した。  決定に対する異議申し立ては認められず、フジモリ氏は刑事被告人として、ペルーで裁判を受けることが確定した。同日中にも送還される見通し。ペルー帰国は約7年ぶりとなる。  フジモリ氏は同日、軟禁中のサンティアゴ郊外の自宅で、「ペルーできちんとした裁判が行われれば、無実を証明できるだろう」と述べた。  ペルー政府は、13件の容疑で引き渡しを求めたが、チリ最高裁はそのうち、軍特殊部隊による民間人殺害事件への関与など7件を認め、引き渡しを決めた。ペルーで有罪が確定した場合、フジモリ氏には最高35年の禁固刑が科せられることになる。 (2007年9月22日1時47分 読売新聞) URL:http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070921i115.htm *1211 チリのピノチェト元大統領が死去 73~90年軍事独裁 [朝日] 2006年12月11日04時15分  73~90年にかけてチリで軍事独裁を敷いたピノチェト元大統領(91)が10日、急性心不全のためサンティアゴ市内の病院で死去した。同氏の軍事独裁下、約3000人が殺害・行方不明になったとされる。一方で社会主義政権を倒して経済を再建した救国の英雄と崇拝されており、国論は長く二分されてきた。だがここ数年は、軍事政権下の人権侵害などについて訴追が進んでいた。  地元テレビによると、病院前では支持者が集まり、国歌を歌って死を悼んでいる。一方で、「独裁者」の死を喜ぶ人々もサンティアゴ市内の路上に集っている。地元紙のアンケートでは、55%が国葬に反対している。  同氏は心筋梗塞(こうそく)と肺水腫のため、3日からで入院していた。  ピノチェト氏は18歳で陸軍に入隊して以降、一貫して軍人としての道を歩んできた。73年9月、アジェンデ社会主義政権をクーデターで打倒した。その直後、軍事評議会議長に選ばれ、翌年には大統領となった。その後、戒厳令をしいて国会を閉鎖。政治活動を制限し、徹底的に左派勢力を弾圧した。  90年の民主化後、政府は軍政時代の虐殺・人権侵害などを調査し、約3000人が死亡・行方不明となり、約3万人が拷問などの被害を受けたとする結果を公表した。  90年の民主化後も終身上院議員として免責特権が与えられたが、98年10月、療養先のロンドンで英司法当局に逮捕された。「虐殺の被害者にスペイン人もいる」として、スペイン司法当局から出された逮捕命令と国際手配を受けてのことだった。  00年3月、健康上の理由から英国で釈放され、チリに帰国した。約300の事件に絡み起訴などの司法手続きがとられた。いったんは02年7月、高齢による健康上の理由で裁判の中止が決定されたものの、05年から再開の動きが進み、現在は左派活動家の殺害や拷問、横領などで起訴されていた。 URL:http://www.asahi.com/international/update/1211/002.html *1205 3選のチャベス・ベネズエラ大統領、「反米」の旗手 [朝日] 2006年12月05日00時45分  強い反米姿勢を掲げるベネズエラのチャベス大統領(52)が3日、3選を決めた。イラク戦争の泥沼化など米ブッシュ政権の失策と国際的な原油価格の高騰が、南米の一指導者を世界的な「反米」の旗手に押しあげた。  勝利を祝う花火の爆発音が夜空をつんざく。チャベス氏は激しい雨にぬれることもいとわず、大統領官邸の周囲に集った群衆に向かって、1時間以上も熱弁を振るった。  「ベネズエラは決してアメリカの植民地にはならない。世界を支配する帝国主義と戦う」  野太い声で、群衆をあおる腕前は天才的だ。  19世紀に南米諸国をスペインからの独立に導いた英雄シモン・ボリバルと自らを重ね合わせるチャベス氏は、イラク戦争への国際的な非難が高まる中で、米国の単独行動主義への批判を強めた。  06年に入ると中国やロシア、イランなどをまわって反米外交を展開。国連総会ではブッシュ米大統領を「悪魔」とののしった。  米中間選挙でブッシュ氏の与党・共和党が敗れたことも、「チャビスタ(チャベス主義者)」と呼ばれる支持者たちには、その正当性が認められたと映った。カラカスのタクシー運転手ウゴさん(54)は「チャベスはずっと、ブッシュが人殺しだと指摘してきた。米国の人々もやっとそれが分かったんだろう」と話した。  油価の高騰も、チャベス氏が政権基盤を固める大きな要因となった。  初当選した98年12月、国際指標となる米国産WTI原油の先物価格は1バレル10ドル台だった。だが04年ごろからイラク戦争の長期化や中東情勢の緊張などで上昇し、06年7月には78ドルに。世界有数の産油国であるベネズエラ経済は急速に回復した。  ベネズエラの国家予算は、現在の原油価格の3分の2程度の想定で組まれている。余剰資金が、別会計であるチャベス氏主導の貧困層向けの社会事業に潤沢につぎ込まれる。チャビスタからは貧困からの救世主として「2100年まで」の政権維持を望む声が出るほどだ。  「オイルマネー」は、カリブ諸国やキューバへ石油を提供したり、経済破綻(は・たん)したアルゼンチンの国債を購入したりするなど、反米外交の武器にもなっている。  実は米国にとっても、ベネズエラは重要な石油の供給国。両国の貿易額は、外交関係の冷却化をよそに拡大している。「ベネズエラの経済界は、すでにチャベス体制に適応し始めている」と指摘する声も多い。  その存在は「神格化」されつつある。顔写真の載った大きな看板が林立し、街にはシンボルカラーである赤いTシャツ姿があふれる。反対派は、カリスマ的な大統領の暴走を恐れる。  自らもくろむ長期政権と南米統合のシナリオが現実のものとなるか。今後の油価の動向が、カギを握るだろう。 URL:http://www.asahi.com/international/update/1204/009.html *1128 ピノチェト氏、自宅軟禁 「死のキャラバン事件」で起訴 [朝日] 2006年11月28日18時48分  チリで73年から17年間、軍事独裁を敷いたピノチェト元大統領(91)に対し、同国の司法当局は27日、クーデター直後の73年に前政権関係者や政治犯100人前後が殺害された「死のキャラバン事件」について、2人の殺害で起訴し、自宅軟禁を命じた。 ピノチェト氏  同事件でピノチェト氏は、57人の殺害と18人の拉致について起訴されたが、健康状態が裁判に耐えられないとして02年7月に棄却が確定した。その後、最初の起訴に含まれない2人について、別の判事の下で捜査が進んでいた。ピノチェト氏は現在、秘密収容所での拷問・殺人や左翼活動家殺害、横領などで起訴されている。  軍政下のチリでは約3万人が拷問を受け、3000人以上が死亡・不明となった。現在のバチェレ大統領も、拷問の被害者の1人だ。 URL:http://www.asahi.com/international/update/1128/015.html *1108 オルテガ氏、16年ぶりに復活 ニカラグア大統領に当選 [朝日] 2006年11月08日10時18分  中米ニカラグアの大統領選挙は7日、中央選管(選挙最高裁)の中間集計(開票率91%)で、80年代に革命政権を率いたサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)のオルテガ元大統領(60)が得票率38%となり、米国が推した2位候補に9ポイントの差をつけて当選を決めた。90年の選挙から3回続けて敗れたが、貧困問題を結局解決できなかった歴代保守政権への国民の不信を味方につけ、16年ぶりに返り咲いた。南米の「左傾化」の波が中米にまで及び、米国の「裏庭」への影響力がまた一歩後退した形だ。 大統領選で勝利が確定しライバル候補と握手するオルテガ氏(左)=ニカラグアで7日、AP   中央選管の集計によると、有力な対立候補と見られていた自由同盟のモンテアレグレ元蔵相(51)は得票率が29%にとどまり、同日夕、敗北を認めた。  オルテガ氏は教育の無料化や零細企業への小口融資などを掲げ、「飢えと失業をなくす」と公約。かつての革命家から「救済者」的なイメージに転換し、低賃金や失業に苦しむ若者に浸透した。一方、保守は汚職で逮捕された元大統領アレマン氏らの腐敗体質に批判が広がり、モンテアレグレ氏が新党を結成して戦ったが及ばなかった。  だが、オルテガ氏は右派のアレマン氏と談合し最高裁や中央選管など主要機関の重要ポストを山分け。復権に向け権謀術数を尽くした経緯があり、左派内部からも「民主主義の破壊だ」と批判が出ている。実際、オルテガ氏はこれまで敗れた3回の選挙でも一貫して38~42%の票を得ており、支持の上積みが今回あったわけではない。  保守2候補の得票率合計は55%でオルテガ氏を上回っており、決選となると保守一本化で不利が予想されていた。談合で当選ラインが40%から35%に引き下げられ、決選投票を避けられたことが当選の決め手になった。長く組織と固定票を守り抜いたオルテガ氏の「粘り勝ち」と見られている。  一方、79年に親米ソモサ独裁政権を武力で倒し、米レーガン政権と敵対したオルテガ氏に対し、米国は保守候補一本化を働きかけるなど陰に陽に復権阻止に動いていた。キューバ、ベネズエラにつながる「反米」軸の広がりを懸念したためだ。ベネズエラのチャベス大統領は当初は露骨にオルテガ氏を支援した。  しかし、オルテガ氏は市場経済の原則を守る姿勢を明らかにし、「企業家を入閣させる」とも公約するなど、ブラジルやチリのような中道左派的な社会民主主義路線を示唆している。選挙期間中はずっと外国メディアの取材を避けており、今後どういった基本政策を打ち出すのかに内外の注目が集まっている。 URL:http://www.asahi.com/international/update/1108/009.html *1030 ブラジル大統領選、現職ルラ氏が再選 [朝日] 2006年10月30日11時29分  ブラジル大統領の決選投票は29日、投開票があり、貧困層の圧倒的な支持を受けた中道左派・労働党のルラ大統領(61)が再選を決めた。任期は4年。今後、選挙戦で浮上した党幹部の汚職の捜査が進むとみられ、多難な政権運営が予想される。  選管発表によると、開票率99.9%でルラ氏の得票は60.8%。対立候補のブラジル社会民主党、アルキミン前サンパウロ州知事(53)は39.2%にとどまった。一層の経済成長を主張したが、国営企業の民営化問題などで陣営の足並みが乱れ、支持を拡大できなかった。  当選会見にジャンパー姿で臨んだルラ氏は「賢明な国民みんなの勝利だ。みんな、生活がよくなっていることを実感していると思う。2期目は、もっとよい国にする」と述べ、引き続き貧困対策などに努力することを誓った。だが、新政権にはさまざまな難関が待ちかまえている。  最大の難題は、労働党関係者が「アルキミン氏らが汚職に関与した」という怪文書を高値で買い取ろうとしたという疑惑だ。ルラ氏自身の関与が認定されれば、当選は取り消される。  小党分立の国会で、与党・労働党は第2党に転落した。連邦警察による捜査は長期化しそうで、野党は追及の手を緩めそうにない。  産業界からの注文も、厳しさを増しそうだ。  豊富な資源を抱え、中国やインドとともに新興経済国群「BRICs」と呼ばれるブラジルだが、05年の経済成長率は2.3%。2けた近い中国、インドと比べると差は大きい。貿易収支は大幅な黒字だが、為替の影響で輸出産業は打撃を受けている。  低成長は、高金利を維持していることが大きな要因だ。しかし、変更すればブラジル経済を長年苦しめてきたハイパーインフレが再燃しかねず、経済政策の選択肢は限られている。 URL:http://www.asahi.com/international/update/1030/005.html *[[●ラテンアメリカ06Ⅰ]] より続く
#contents *1203 チャベス改憲案、小差で否決 「終身大統領」阻まれ打撃 [朝日] 2007年12月03日21時43分  ベネズエラで2日、大統領の再選制限廃止などを盛り込んだ憲法改正の是非を問う国民投票があり、反米左派のチャベス大統領による改憲案は小差で否決された。「21世紀の社会主義」建設を掲げて「終身大統領」をもくろんだチャベス氏には大きな打撃になるとみられる。  中央選管によると、改憲反対が約51%、賛成は約49%。投票率は56%。  チャベス氏は「国民の決定を認めよう」と敗北を宣言する一方、「この星で最も進んだ改革案は生き続ける」と、これまでの方針を貫く姿勢を示した。  改憲案は(1)大統領の任期を6年から7年に延長、1回に限られる再選を無制限に(2)中央銀行の政府管理(3)非常事態宣言の簡素化など、独裁色の濃い条項が並んでいた。  チャベス氏は99年の就任以来、潤沢なオイルマネーで、識字教育や無料の診療所建設など手厚い貧困対策を施してきた。一方でエネルギー事業の国有化を宣言し、民放局を「反政府的だ」と放映中止に追い込んだ。  現行憲法ではチャベス氏の任期は13年まで。選挙で負けなしだったチャベス氏の初黒星に、反チャベス派が勢いづくことは確実だ。チャベス氏に追随する形で資源の国家管理や改憲を進めるボリビアやエクアドルなどの左派政権にも影響が及ぶとみられる。 URL:http://www.asahi.com/international/update/1203/TKY200712030330.html *1116 チャベス大統領、核開発を表明 ベネズエラ [朝日] 2007年11月16日18時30分  ベネズエラのチャベス大統領は15日、「平和目的のために核開発する」と述べた。具体的な時期などは明言しなかった。  反米を掲げる強硬左派のチャベス氏は、イランのアフマディネジャド大統領の盟友。地元メディアによると、チャベス氏は「イランは核兵器はつくっていない。間違いなく平和目的だ」と同国の核開発を擁護。世界的なエネルギー不足に対応するため、同様の核開発をすると述べた。  ベネズエラは世界有数の産油国。南米ではブラジル、アルゼンチンが原発を保有している。 URL:http://www.asahi.com/international/update/1116/TKY200711160258.html *0923 フジモリ氏、リマに到着 ペルー警察施設に収容 [朝日] 2007年09月23日23時43分  チリ最高裁の決定に基づきペルー政府に引き渡されたフジモリ元大統領(69)は22日午後(日本時間23日午前)、約7年ぶりに首都リマに到着し、警察関連施設に収容された。到着が予想された国際空港などには、帰国を歓迎するフジモリ派と反対派が互いに集い、小競り合いも起きた。  フジモリ氏を乗せたペルー警察当局の輸送機は2カ所を経由し、8時間以上かけて午後4時半すぎ、リマ南部の空軍基地に到着。ヘリで警察関連施設に送られた。  国際空港には約1000人、警察関連施設には100人のフジモリ派が集まり、「フジモリこそが民衆の代表だ」などとシュプレヒコールをあげた。一部は警察当局や反フジモリ派と小競り合いを起こした。リマの下町に住む小売商のフアナ・カセレスさん(59)は「フジモリ氏が殺人にかかわったというが、テロではその何倍もの人々が殺された」と、刑事被告人としての扱いに憤った。  ロイター通信などは、同氏は警察関連施設に2週間ほど収容される見込みと報じている。今後、軍による民間人殺害への関与など7件について、殺人や誘拐、公金横領などの罪で裁かれる。 URL:http://www.asahi.com/international/update/0923/TKY200709230155.html *0922 フジモリ氏のペルー送還、チリ最高裁が決定 [読売]  【サンティアゴ=中島慎一郎】チリ最高裁の刑事法廷は21日、ペルー政府によるアルベルト・フジモリ元大統領(69)の身柄引き渡し要請を認める最終決定を言い渡した。  決定に対する異議申し立ては認められず、フジモリ氏は刑事被告人として、ペルーで裁判を受けることが確定した。同日中にも送還される見通し。ペルー帰国は約7年ぶりとなる。  フジモリ氏は同日、軟禁中のサンティアゴ郊外の自宅で、「ペルーできちんとした裁判が行われれば、無実を証明できるだろう」と述べた。  ペルー政府は、13件の容疑で引き渡しを求めたが、チリ最高裁はそのうち、軍特殊部隊による民間人殺害事件への関与など7件を認め、引き渡しを決めた。ペルーで有罪が確定した場合、フジモリ氏には最高35年の禁固刑が科せられることになる。 (2007年9月22日1時47分 読売新聞) URL:http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070921i115.htm *1211 チリのピノチェト元大統領が死去 73~90年軍事独裁 [朝日] 2006年12月11日04時15分  73~90年にかけてチリで軍事独裁を敷いたピノチェト元大統領(91)が10日、急性心不全のためサンティアゴ市内の病院で死去した。同氏の軍事独裁下、約3000人が殺害・行方不明になったとされる。一方で社会主義政権を倒して経済を再建した救国の英雄と崇拝されており、国論は長く二分されてきた。だがここ数年は、軍事政権下の人権侵害などについて訴追が進んでいた。  地元テレビによると、病院前では支持者が集まり、国歌を歌って死を悼んでいる。一方で、「独裁者」の死を喜ぶ人々もサンティアゴ市内の路上に集っている。地元紙のアンケートでは、55%が国葬に反対している。  同氏は心筋梗塞(こうそく)と肺水腫のため、3日からで入院していた。  ピノチェト氏は18歳で陸軍に入隊して以降、一貫して軍人としての道を歩んできた。73年9月、アジェンデ社会主義政権をクーデターで打倒した。その直後、軍事評議会議長に選ばれ、翌年には大統領となった。その後、戒厳令をしいて国会を閉鎖。政治活動を制限し、徹底的に左派勢力を弾圧した。  90年の民主化後、政府は軍政時代の虐殺・人権侵害などを調査し、約3000人が死亡・行方不明となり、約3万人が拷問などの被害を受けたとする結果を公表した。  90年の民主化後も終身上院議員として免責特権が与えられたが、98年10月、療養先のロンドンで英司法当局に逮捕された。「虐殺の被害者にスペイン人もいる」として、スペイン司法当局から出された逮捕命令と国際手配を受けてのことだった。  00年3月、健康上の理由から英国で釈放され、チリに帰国した。約300の事件に絡み起訴などの司法手続きがとられた。いったんは02年7月、高齢による健康上の理由で裁判の中止が決定されたものの、05年から再開の動きが進み、現在は左派活動家の殺害や拷問、横領などで起訴されていた。 URL:http://www.asahi.com/international/update/1211/002.html *1205 3選のチャベス・ベネズエラ大統領、「反米」の旗手 [朝日] 2006年12月05日00時45分  強い反米姿勢を掲げるベネズエラのチャベス大統領(52)が3日、3選を決めた。イラク戦争の泥沼化など米ブッシュ政権の失策と国際的な原油価格の高騰が、南米の一指導者を世界的な「反米」の旗手に押しあげた。  勝利を祝う花火の爆発音が夜空をつんざく。チャベス氏は激しい雨にぬれることもいとわず、大統領官邸の周囲に集った群衆に向かって、1時間以上も熱弁を振るった。  「ベネズエラは決してアメリカの植民地にはならない。世界を支配する帝国主義と戦う」  野太い声で、群衆をあおる腕前は天才的だ。  19世紀に南米諸国をスペインからの独立に導いた英雄シモン・ボリバルと自らを重ね合わせるチャベス氏は、イラク戦争への国際的な非難が高まる中で、米国の単独行動主義への批判を強めた。  06年に入ると中国やロシア、イランなどをまわって反米外交を展開。国連総会ではブッシュ米大統領を「悪魔」とののしった。  米中間選挙でブッシュ氏の与党・共和党が敗れたことも、「チャビスタ(チャベス主義者)」と呼ばれる支持者たちには、その正当性が認められたと映った。カラカスのタクシー運転手ウゴさん(54)は「チャベスはずっと、ブッシュが人殺しだと指摘してきた。米国の人々もやっとそれが分かったんだろう」と話した。  油価の高騰も、チャベス氏が政権基盤を固める大きな要因となった。  初当選した98年12月、国際指標となる米国産WTI原油の先物価格は1バレル10ドル台だった。だが04年ごろからイラク戦争の長期化や中東情勢の緊張などで上昇し、06年7月には78ドルに。世界有数の産油国であるベネズエラ経済は急速に回復した。  ベネズエラの国家予算は、現在の原油価格の3分の2程度の想定で組まれている。余剰資金が、別会計であるチャベス氏主導の貧困層向けの社会事業に潤沢につぎ込まれる。チャビスタからは貧困からの救世主として「2100年まで」の政権維持を望む声が出るほどだ。  「オイルマネー」は、カリブ諸国やキューバへ石油を提供したり、経済破綻(は・たん)したアルゼンチンの国債を購入したりするなど、反米外交の武器にもなっている。  実は米国にとっても、ベネズエラは重要な石油の供給国。両国の貿易額は、外交関係の冷却化をよそに拡大している。「ベネズエラの経済界は、すでにチャベス体制に適応し始めている」と指摘する声も多い。  その存在は「神格化」されつつある。顔写真の載った大きな看板が林立し、街にはシンボルカラーである赤いTシャツ姿があふれる。反対派は、カリスマ的な大統領の暴走を恐れる。  自らもくろむ長期政権と南米統合のシナリオが現実のものとなるか。今後の油価の動向が、カギを握るだろう。 URL:http://www.asahi.com/international/update/1204/009.html *1128 ピノチェト氏、自宅軟禁 「死のキャラバン事件」で起訴 [朝日] 2006年11月28日18時48分  チリで73年から17年間、軍事独裁を敷いたピノチェト元大統領(91)に対し、同国の司法当局は27日、クーデター直後の73年に前政権関係者や政治犯100人前後が殺害された「死のキャラバン事件」について、2人の殺害で起訴し、自宅軟禁を命じた。 ピノチェト氏  同事件でピノチェト氏は、57人の殺害と18人の拉致について起訴されたが、健康状態が裁判に耐えられないとして02年7月に棄却が確定した。その後、最初の起訴に含まれない2人について、別の判事の下で捜査が進んでいた。ピノチェト氏は現在、秘密収容所での拷問・殺人や左翼活動家殺害、横領などで起訴されている。  軍政下のチリでは約3万人が拷問を受け、3000人以上が死亡・不明となった。現在のバチェレ大統領も、拷問の被害者の1人だ。 URL:http://www.asahi.com/international/update/1128/015.html *1108 オルテガ氏、16年ぶりに復活 ニカラグア大統領に当選 [朝日] 2006年11月08日10時18分  中米ニカラグアの大統領選挙は7日、中央選管(選挙最高裁)の中間集計(開票率91%)で、80年代に革命政権を率いたサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)のオルテガ元大統領(60)が得票率38%となり、米国が推した2位候補に9ポイントの差をつけて当選を決めた。90年の選挙から3回続けて敗れたが、貧困問題を結局解決できなかった歴代保守政権への国民の不信を味方につけ、16年ぶりに返り咲いた。南米の「左傾化」の波が中米にまで及び、米国の「裏庭」への影響力がまた一歩後退した形だ。 大統領選で勝利が確定しライバル候補と握手するオルテガ氏(左)=ニカラグアで7日、AP   中央選管の集計によると、有力な対立候補と見られていた自由同盟のモンテアレグレ元蔵相(51)は得票率が29%にとどまり、同日夕、敗北を認めた。  オルテガ氏は教育の無料化や零細企業への小口融資などを掲げ、「飢えと失業をなくす」と公約。かつての革命家から「救済者」的なイメージに転換し、低賃金や失業に苦しむ若者に浸透した。一方、保守は汚職で逮捕された元大統領アレマン氏らの腐敗体質に批判が広がり、モンテアレグレ氏が新党を結成して戦ったが及ばなかった。  だが、オルテガ氏は右派のアレマン氏と談合し最高裁や中央選管など主要機関の重要ポストを山分け。復権に向け権謀術数を尽くした経緯があり、左派内部からも「民主主義の破壊だ」と批判が出ている。実際、オルテガ氏はこれまで敗れた3回の選挙でも一貫して38~42%の票を得ており、支持の上積みが今回あったわけではない。  保守2候補の得票率合計は55%でオルテガ氏を上回っており、決選となると保守一本化で不利が予想されていた。談合で当選ラインが40%から35%に引き下げられ、決選投票を避けられたことが当選の決め手になった。長く組織と固定票を守り抜いたオルテガ氏の「粘り勝ち」と見られている。  一方、79年に親米ソモサ独裁政権を武力で倒し、米レーガン政権と敵対したオルテガ氏に対し、米国は保守候補一本化を働きかけるなど陰に陽に復権阻止に動いていた。キューバ、ベネズエラにつながる「反米」軸の広がりを懸念したためだ。ベネズエラのチャベス大統領は当初は露骨にオルテガ氏を支援した。  しかし、オルテガ氏は市場経済の原則を守る姿勢を明らかにし、「企業家を入閣させる」とも公約するなど、ブラジルやチリのような中道左派的な社会民主主義路線を示唆している。選挙期間中はずっと外国メディアの取材を避けており、今後どういった基本政策を打ち出すのかに内外の注目が集まっている。 URL:http://www.asahi.com/international/update/1108/009.html *1030 ブラジル大統領選、現職ルラ氏が再選 [朝日] 2006年10月30日11時29分  ブラジル大統領の決選投票は29日、投開票があり、貧困層の圧倒的な支持を受けた中道左派・労働党のルラ大統領(61)が再選を決めた。任期は4年。今後、選挙戦で浮上した党幹部の汚職の捜査が進むとみられ、多難な政権運営が予想される。  選管発表によると、開票率99.9%でルラ氏の得票は60.8%。対立候補のブラジル社会民主党、アルキミン前サンパウロ州知事(53)は39.2%にとどまった。一層の経済成長を主張したが、国営企業の民営化問題などで陣営の足並みが乱れ、支持を拡大できなかった。  当選会見にジャンパー姿で臨んだルラ氏は「賢明な国民みんなの勝利だ。みんな、生活がよくなっていることを実感していると思う。2期目は、もっとよい国にする」と述べ、引き続き貧困対策などに努力することを誓った。だが、新政権にはさまざまな難関が待ちかまえている。  最大の難題は、労働党関係者が「アルキミン氏らが汚職に関与した」という怪文書を高値で買い取ろうとしたという疑惑だ。ルラ氏自身の関与が認定されれば、当選は取り消される。  小党分立の国会で、与党・労働党は第2党に転落した。連邦警察による捜査は長期化しそうで、野党は追及の手を緩めそうにない。  産業界からの注文も、厳しさを増しそうだ。  豊富な資源を抱え、中国やインドとともに新興経済国群「BRICs」と呼ばれるブラジルだが、05年の経済成長率は2.3%。2けた近い中国、インドと比べると差は大きい。貿易収支は大幅な黒字だが、為替の影響で輸出産業は打撃を受けている。  低成長は、高金利を維持していることが大きな要因だ。しかし、変更すればブラジル経済を長年苦しめてきたハイパーインフレが再燃しかねず、経済政策の選択肢は限られている。 URL:http://www.asahi.com/international/update/1030/005.html *[[●ラテンアメリカ06Ⅰ]] より続く

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