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[[◎文化・出版08Ⅰ]] より続く #contents - 彼女俺にまたがりっぱなしで、朝まで休ませてもらえんかったww http://younube.net/calnova/82169 -- ボンちゃん (2009-05-29 23:54:30) #comment(vsize=2,nsize=20,size=40)   ↑ご自由にコメントをお書き下さい。 *1103 毎日出版文化賞に橋本治氏ら [朝日] 2008年11月3日6時1分  第62回毎日出版文化賞(毎日新聞社主催)の受賞図書が決まった。賞金各100万円。表彰式は25日午後3時半から、東京・紀尾井町のグランドプリンスホテル赤坂で。受賞作は次の通り。(敬称略)  文学・芸術部門=橋本治「双調 平家物語」(全15巻、中央公論新社)▽人文・社会部門=東野治之「遣唐使」(岩波書店)▽自然科学部門=福嶌義宏「黄河断流――中国巨大河川をめぐる水と環境問題」(昭和堂)▽企画部門=植木雅俊訳「梵漢和対照・現代語訳 法華経」(上下、岩波書店)▽特別賞=「哲学の歴史」編集委員会編(内山勝利、小林道夫、中川純男、松永澄夫各編集委員)「哲学の歴史」(全12巻・別巻1、中央公論新社) URL:http://www.asahi.com/culture/update/1102/TKY200811020188.html *1029 読売ウイークリー、12月1日発売号で休刊 [朝日] 2008年10月29日10時45分  読売新聞社は29日、総合週刊誌「読売ウイークリー」の休刊を発表した。12月1日発売号が最後になる。  1943年の創刊で、65年の歴史がある。「月刊読売」として創刊、52年に週刊誌「週刊読売」、00年に「Yomiuri Weekly」となり、05年に「読売ウイークリー」と名称を変えた。  読売新聞東京本社広報部によると、00年に約40万部を発行したことがあるが、今年は毎号10万500部の発行だった。「最近の週刊誌市場の縮小傾向や、メディアの多様化が進む中で、休刊を決めた」という。  雑誌に詳しいライターの永江朗さんは「読者減、広告収入減、紙代を中心としたコスト増のトリプルパンチが効いている。週刊誌は10万部がボーダーライン。読者層を明確にし、大胆に変わらないと生き残れないだろう」と話す。  小学館も29日、幼児向け月刊誌「マミイ」の休刊を発表した。来年1月31日発売の3月号で休刊する。72年の創刊で、0~2歳児が対象。日本雑誌協会の調べでは、今年4月から6月の平均発行部数は約12万3千部。同社広報室によると、少子化による読者環境の変化と、同社が発行する1~3歳児向け「ベビーブック」と読者層が重複しているのが休刊の主な理由という。  出版界では今年、「主婦の友」「PLAYBOY日本版」「広告批評」「論座」「月刊現代」「ロードショー」など、様々なジャンルの雑誌の休刊が相次いでいる。 URL:http://www.asahi.com/national/update/1029/TKY200810290058.html *1014 ノーベル経済学賞、クルーグマン氏 国際貿易で新理論 [朝日] 2008年10月14日15時12分  スウェーデン王立科学アカデミーは13日、今年のノーベル経済学賞を米プリンストン大教授のポール・クルーグマン氏(55)に贈ると発表した。自由貿易とグローバル化が経済に与える影響を説明した新理論が授賞理由だ。  研究活動以外でも、リベラル派の論客として、担当するニューヨーク・タイムズ紙のコラムなどでブッシュ政権批判を繰り返してきた。日本のバブル崩壊後、デフレ脱却のために日本銀行が「インフレ目標」を定めるよう提案したことでも知られる。  クルーグマン氏は、伝統的な国際貿易論に「規模が大きいほど生産性が高まる」「消費者は多様性を好む」といった概念を取り入れた。これにより、地場の小規模な製造業が、世界市場向けに大量生産する大手に取って代わられる現象を説明。都市への人口集中と周辺地域の過疎化が起きる仕組みも分析した。  政治的発言も積極的だ。レーガン政権以降の米共和党政権が、高所得者への減税を拡大する一方で福祉を削減し、格差を広げたと指摘。米国が経常赤字を膨らませつつ世界中のマネーを吸い上げて繁栄する構図について、現在の金融危機が深刻化する以前から「(1929年に始まった)世界恐慌前夜に似ている」と警告していた。「グローバル経済を動かす愚かな人々」など著書も多い。  授賞式は12月10日にストックホルムで。賞金は1千万スウェーデンクローナ(約1億4千万円)。(庄司将晃)      ◇  ポール・クルーグマン氏 1953年生まれ。米マサチューセッツ工科大で博士号を取得。同大教授、スタンフォード大教授などを歴任した。00年から現職。 URL:http://www.asahi.com/business/update/1013/TKY200810130160.html *1009 ノーベル文学賞に仏のル・クレジオさん [朝日] 2008年10月9日22時1分  【ロンドン=土佐茂生】スウェーデン・アカデミーは9日、今年のノーベル文学賞をフランス文学を代表する小説家ジャンマリ・ギュスターブ・ル・クレジオさん(68)に授与する、と発表した。  同アカデミーは「断絶、詩的な冒険、そして官能的な悦楽の作家。支配的な文明との枠を越え、またその裏をかいて人間性を追究した」と授賞理由を説明した。賞金は1千万スウェーデンクローナ(約1億4千万円)。授賞式は12月10日、ストックホルムで開かれる。      ◇  40年、南仏のニース生まれ。両親ともにフランスからインド洋モーリシャス島に移住した家系で、父はイギリス籍、母はフランス籍。63年、軍隊か病院のような隔離的環境から逃げ出した若者の目に映る世界を詩的に描いた長編「調書」で、フランスの主要な文学賞のひとつルノード賞を受賞、衝撃の文壇デビューを飾った。  「調書」に続く65年の短編集「発熱」、66年の長編「大洪水」の3作で、神話的な象徴性を帯びた独特の小説世界を確立した。以後、メキシコや日本など異文化圏への旅に啓示を受けて書いた長編「逃亡の書」や、パナマでの現地の人々との共同生活に題材を求めたエッセー「悪魔祓(ばら)い」などを精力的に執筆。一連の作品に、子どもや女性、貧困に苦しむ外国人など疎外された存在に対する共感を託した。その後の主な作品に歴史的時間とは何かを問う長編「砂漠」「黄金探索者」など。「偶然」「アフリカのひと 父の肖像」ほか邦訳多数。  フランスとモーリシャスの国籍をもつ。アフリカで少年時代の一時期を過ごし、中米インディオ文化にも傾倒する。06年、39年ぶりに来日。東京のほか北海道や奄美大島などを旅した。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/1009/TKY200810090270.html *1007 緒形拳さん死去 71歳 銀幕・TV・舞台…幅広く活躍 [朝日] 2008年10月7日7時23分  映画「楢山節考」「復讐するは我にあり」をはじめ、テレビ、舞台で活躍、善人から極悪人まで幅広い演技をみせた俳優の緒形拳(おがた・けん、本名明伸〈あきのぶ〉)さんが5日、死去した。71歳だった。葬儀は親族のみで行う。  先月30日、倉本聰脚本のフジテレビ系ドラマ「風のガーデン」の制作発表会見に出席し、同日付の本人ブログに「是非是非ご覧下さい」と書き込んでいたが、関係者によると、その後、体調が急変したという。  東京生まれ。58年に新国劇に入り、60年に舞台「遠い一本の道」の主役に抜てき、その映画化で映画デビューも果たした。65年、NHK大河ドラマ「太閤記」の主役・秀吉を演じる一方、テレビドラマ「必殺仕掛人」の、すごみのある演技で人気を集めた。  映画「鬼畜」(77年)、カンヌ国際映画祭グランプリに輝いた今村昌平監督「楢山節考」(83年)などで、日本アカデミー賞主演男優賞。第30回モントリオール世界映画祭グランプリを受賞した奥田瑛二監督「長い散歩」(06年)でも主演した。  舞台ではベケット作「ゴドーを待ちながら」、「信濃の一茶」、一人芝居「白野―シラノ―」などに出演した。  「風のガーデン」は今月9日に放送開始。生死、家族愛をみつめる作品で、最後の出演作となった URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/1007/TKY200810070012.html *1001 優れた評論・吉田秀和賞に片山杜秀氏 [朝日] 2008年10月1日18時30分  音楽・演劇・映画・美術などの分野で優れた評論を発表した人に贈られる吉田秀和賞の第18回受賞者が1日、「音盤考現学」「音盤博物誌」(ともにアルテスパブリッシング)の片山杜秀さん(45)に決まった。賞金200万円。贈呈式は11月8日、水戸市の水戸芸術館で。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/1001/TKY200810010303.html *0926 国文学者で文化功労者、西郷信綱さんが死去 [朝日] 2008年9月26日20時39分  古事記をはじめ古代文学研究で知られる国文学者で文化功労者、横浜市立大名誉教授の西郷信綱(さいごう・のぶつな)さんが、25日午後10時35分、急性心不全のため川崎市内の病院で死去した。92歳だった。通夜は29日午後6時、葬儀は30日午後0時30分から川崎市多摩区南生田8の1の1の春秋苑で。喪主は妻みち子さん。  大分県生まれ。東大で英文科に入るが、斎藤茂吉に傾倒して国文科に移る。清水高等商船学校教授をへて、戦後は鎌倉アカデミアの創設に参加。54年から71年まで横浜市立大教授をつとめた。  戦後、「国学の批判」や「日本古代文学史」などで従来の国文学研究を批判した。60年から3年間のロンドン大教授時代にイギリス社会人類学や現象学から学び、「古代人と夢」「古事記研究」「源氏物語を読むために」などで、古典作品の構造を分析するとともに、社会と時代の中でとらえなおした。  20年かけて語句の厳密な考証、文脈の的確な読みを加えて完成させた「古事記注釈」全4巻が90年に角川源義賞、95年に文化功労者。99年には「古代人と死」を、02年には「斎藤茂吉」を刊行した。 URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/0926/TKY200809260331.html *0928 ポール・ニューマンさん死去 「明日に向って撃て!」 [朝日] 2008年9月28日0時37分  【ロサンゼルス=堀内隆】米国を代表する俳優の一人で、映画「明日に向って撃て!」(69年)、「タワーリング・インフェルノ」(74年)などで知られるポール・ニューマンさんが26日、がんのため米コネティカット州の自宅で死去した。83歳だった。米メディアが27日報じた。  昨年5月に記憶の衰えなどを理由に俳優を引退。今年6月には、がんで闘病中だと、同氏の知人が明らかにしていた。  25年、米オハイオ州クリーブランド生まれ。父親が共同経営するスポーツ用品店を継ぐため大学では経済学を専攻したが、途中で海軍入りし、第2次世界大戦に無線士として従軍した。復員後に演劇の道に進み、エール大スクール・オブ・ドラマに学んだ。映画デビューは54年の「銀の盃」。ロバート・ワイズ監督の「傷だらけの栄光」(56年)で、不良少年からボクシングの世界王者にのぼりつめたロッキー・グラジアノの半生を演じて脚光を浴びた。  反抗的で野性味に満ちたヒーロー役が多かったが、「明日に向って撃て!」以降、知性を前面に出したスマートな役柄が増えていった。同作品で共演したロバート・レッドフォード氏とは「スティング」(73年)でも共演した。  「熱いトタン屋根の猫」(58年)以来、「ハスラー」(61年)、「評決」(82年)などで何度もアカデミー主演男優賞にノミネートされたが長く賞に恵まれず、初の受賞は「ハスラー2」(86年)。監督業にも進出し、「レーチェル・レーチェル」(68年)では妻のジョアン・ウッドワードさんを主役に起用した。  サラダドレッシングなどを作る食品会社を起こし、実業家としても成功したほか、ベトナム反戦運動や反核運動にも積極的に参加した。68年の米大統領選で民主党の有力政治家を支援、この選挙で当選した共和党のニクソン大統領の政敵リストにも載った。  カーレーサーの顔もあり、79年のル・マン24時間耐久レースでは2位につけた。カーレースへの興味は晩年まで尽きず、擬人化されたレースカーが主人公のピクサーのアニメ映画「カーズ」(06年)に声優で出たのが、最後の映画出演になった。 URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/0927/TKY200809270187.html *0912 亀山訳「カラマーゾフの兄弟」、ミリオンセラーに [朝日] 2008年9月12日6時1分  昨年7月に完結した亀山郁夫訳のドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」(光文社古典新訳文庫)が、全5巻合わせてミリオンセラーとなることが11日、わかった。30日付の増刷で101万部に達するという。  同書は、父親殺しをめぐるミステリーの中に哲学的な問いを織り込んだ、19世紀ロシア文学を代表する大長編。光文社文芸編集部の駒井稔編集長は、「テレビで取り上げられたわけでもないのに、第1巻の刊行時から引きが強かった。当初、読者には退職する団塊の世代を当て込んでいたが、昨年の秋ごろから若い女性の読者が増えてブームに拍車がかかった」という。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/0911/TKY200809110253.html *0907 訃報:寺内大吉さん 86歳 死去=直木賞作家、増上寺法主 [毎日]  「はぐれ念仏」「念仏ひじり三国志」など宗教を素材にした独自の大衆小説で知られた直木賞作家で、浄土宗大本山増上寺法主の寺内大吉(てらうち・だいきち<本名・成田有恒=なりた・ゆうこう>)さんが6日、心不全のため死去した。86歳。葬儀の日取りは未定。喪主は増上寺執事長の楠美知仁(くすみ・ちじん)さん。  東京都出身。大正大在学中に生家の大吉寺(世田谷区)住職になる。最初の小説は純文学的な短編だったが、その後大衆小説を執筆。55年「逢春門」でサンデー毎日大衆文芸賞、56年「黒い旅路」でオール読物新人杯(現新人賞)を受賞し注目される。57年、司馬遼太郎らと雑誌「近代説話」を創刊。61年「はぐれ念仏」で直木賞、83年「念仏ひじり三国志」で毎日出版文化賞を受賞した。他に「化城の昭和史」「慟哭(どうこく)の明治仏教」など。  ボクシング、プロレス、競輪などのスポーツ評論でも知られた。浄土宗宗務総長も務め「開かれた浄土宗」を唱えるなど仏教者としても活躍した。 毎日新聞 2008年9月7日 東京朝刊 URL:http://mainichi.jp/select/person/news/20080907ddm041060144000c.html *0804 ソルジェニーツィン氏死去 ロシアのノーベル賞作家 [朝日]  【モスクワ=大野正美】大作「収容所群島」などでソ連の全体主義体制による民衆抑圧を告発したロシアのノーベル賞作家アレクサンドル・ソルジェニーツィン氏が3日午後11時45分(日本時間4日午前4時45分)、急性心不全のため、モスクワ郊外の自宅で死去した。89歳だった。  子息のステパン氏が、イタル・タス通信などに明らかにした。  ロシア革命の翌1918年、ロシア南部キスロボツクに生まれ、ロストフ大物理・数学科を卒業直後に独ソ戦に招集された。45年にスターリンを批判した疑いで告発され、8年の収容所生活を送った。フルシチョフによるスターリン批判の翌57年に名誉回復し、「雪解け」の自由化政策に乗って62年にデビュー作「イワン・デニーソビッチの一日」を発表。ソ連の強制収容所の実態を生々しく描いて世界的なベストセラーとなった。  しかし、67年にソ連作家同盟大会に書簡を送って検閲の廃止を求めてから当局と激しく対立。長編「ガン病棟」などの発表を国内で許されないまま、70年にノーベル文学賞を受賞。強制収容所を使ったソ連国民に対する弾圧の歴史を暴露した「収容所群島」の国外での発表を続けたが、74年に逮捕、国外追放された。  76年から米バーモント州に家を構え、20世紀のロシアの運命を扱った歴史小説「赤い車輪」の執筆に打ち込む一方、評論や講演で「合理主義に毒された」西欧世界を激しく批判した。90年には、翌年のソ連崩壊を先取りする形でソ連を解体しロシアなどスラブ系3国による同盟を提案、大きな議論を巻き起こした。  20年の亡命生活を終えて94年にロシアに帰国後は、回想録などの執筆を続ける一方、評論やインタビューで、ソ連崩壊後の急速な市場経済化やチェチェン戦争でロシアが陥った荒廃に警鐘を鳴らした。  ここ数年は高齢と体調不良のため自宅にこもり、新作の発表もまれになっていた。ただ、05年には「1917年の革命前と同様、国家と社会の対立が深まっている」と民主主義の現状を批判したインタビューが反響を呼んだ。  07年6月には文学上の功績に当時のプーチン大統領(現首相)からロシアの国家賞を贈られ、「わが国が20世紀におかした自滅から教訓をくみ取り、それを繰り返さないことへの希望につながる」との談話を出していた。      ◇ 〈亀山郁夫・東京外国語大学学長(ロシア文学・ロシア文化論)の話〉 ソ連崩壊をだれよりも早く見通した偉大なる予言者だった。  もともとは社会主義を「健康的に」支持する若者だったが、収容所体験などを経て、ロシアの暗部を暴露していくことになる。スターリン時代の反省なくして国家は成り立たないと考え、歴史作家として歩んでいった。  しかし、ソ連崩壊がもたらした社会は望んだものではなく、彼はがくぜんとし、ある種の反省も生まれた。プーチン時代に入り、民族が精神的に大きくまとまることに期待をかけようとしたところで、死を迎えた。  文学者としては20世紀後半のロシアを代表する作家であり、「20世紀のドストエフスキー」と言っていい。総じて、全体主義に絡め取られない人間の自由を古典的なヒューマニズムの精神において描いた。 URL:http://www.asahi.com/international/update/0804/TKY200808040036.html *0802 笑いと酒の人生、これでいいのだ 赤塚不二夫さん [朝日] 2008年8月2日23時50分  戦後ならではの笑いをつくり出したギャグの王様、赤塚不二夫さんが亡くなった。72歳だった。  伝説の漫画家アパート「トキワ荘」に入ったが、売れていく仲間たちのアシスタントを務めることが多かった。少女漫画しか発表できなかった初期の苦悩を振り払うように、爆発したナンセンスギャグの数々。とりわけ高度経済成長期の日本人に、忘れ難い笑いを提供した。  赤塚漫画の特徴は、キャラクターがユニークで、なぞめいている点にある。代表作「天才バカボン」のパパは、バカなのか天才なのかわからない。わき役も光った。「お出かけですか」が口ぐせの「レレレのおじさん」、父はイヌで母はウナギという「ウナギイヌ」……。「赤塚漫画はわき役こそ面白い」と評されもした。  アシスタントや編集者との共同作業でマンガのアイデアを出したり、作画を分業制にしたりするなど、プロデューサーとしての手腕も光った。広い度量を慕って才人が集まり、アシスタントから多くのヒットメーカーが輩出した。「釣りバカ日誌」の北見けんいちさん、「ダメおやじ」の古谷三敏さん、「総務部総務課山口六平太」の高井研一郎さんら、漫画界の第一線で現在活躍する漫画家が顔を並べる。  酒場などでの交友関係も多彩だった。まだ無名のころの森田一義さん(タモリ)、映画監督の山本晋也さん、“ゲージツ家”の篠原勝之さんら多彩な人物を啓発し、才能の開花を助けた。しかし、みずから「アルコール中毒患者」と呼ぶほど酒を愛し、体をこわした。  98年暮れから翌年にかけて食道がんで入院、00年8月には、硬膜下血腫で開頭手術を受けるなど入退院を繰り返した。06年7月には、フジオ・プロダクションの社長で、赤塚さんを献身的に看病した妻の真知子さんが56歳で亡くなった。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/0802/TKY200808020332.html *0724 講談社ノンフィクション賞に城戸久枝さん [朝日] 2008年7月11日20時40分  第30回講談社ノンフィクション賞が11日、城戸久枝氏の「あの戦争から遠く離れて 私につながる歴史をたどる旅」(情報センター出版局)と西岡研介氏の「マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実」(講談社)、原武史氏の「滝山コミューン一九七四」(同)に決まった。また第24回講談社エッセイ賞には、立川談春氏の「赤めだか」(扶桑社)が、同科学出版賞は佐藤克文氏の「ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ」(光文社)が選ばれた。賞金は各100万円。贈呈式は9月5日午後6時から、東京・丸の内の東京会館で。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/0711/TKY200807110322.html *0716 芥川賞に中国人・楊逸さん、直木賞は井上荒野さん [読売]  第139回芥川賞、直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が15日夜、東京・築地の新喜楽で開かれ、芥川賞は、日本で中国語講師を務める楊逸(ヤンイー)さん(44)の「時が滲(にじ)む朝」(文学界6月号)に決まった。芥川賞を中国人が受賞するのは同賞史上で初めて。また、在日韓国・朝鮮人の受賞例はあるが、日本語以外の言語を母語とする作家の受賞も史上初めてとなる。直木賞は井上荒野(あれの)さん(47)の「切羽(きりは)へ」(新潮社)に決まった。  楊逸さんの受賞作は、理想に燃える中国の大学生が民主化運動に加わり、1989年の天安門事件で挫折するまでと、その後の人生の哀歓を、漢詩や英語を交えた日本語の文章でみずみずしく描いた青春小説。選考委員の高樹のぶ子氏は「人間が必死で生きている手触りが強烈で、国境を越えて来なければ見えないものが描かれている」と評価した。   楊さんは、ハルビン市生まれで、本名・劉(りゅう)チョウ。(チョウはクサカンムリに、「収」の左半分とボクヅクリ) (2008年7月16日 読売新聞) URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080716bk01.htm *0714 おくやみ 大野晋氏=学習院大学名誉教授 [読売]  日本語の起源を探求した国語学者で、学習院大学名誉教授の大野晋(おおの・すすむ)さんが14日午前4時、心不全のため亡くなった。88歳だった。告別式は18日午前10時から東京都台東区谷中7の14の8天王寺。喪主は妻、千恵子(ちえこ)さん。  1919年東京生まれ。東京帝国大学国文学科卒。言語の研究を通して「日本とは何か」という課題を追究。60歳になった79年、南インドのタミル語と日本語とを同系列と考える論考を発表し、反響を呼んだ。  上代語研究の第一人者でもあり、53年に「上代仮名遣の研究」を発表。「岩波古語辞典」の編さんも手がけ、古文の係り結びを豊富な事例をもとに包括的に研究した「係り結びの研究」では94年、読売文学賞を受けた。  「日本語の文法を考える」など一般向けの啓もう書も多く、岩波新書の「日本語練習帳」は、99年のミリオンセラーになり、同年、井上靖文化賞を受けた。〈関連記事22面〉 (2008年7月14日14時50分 読売新聞) URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/obit/news/20080714-OYT1T00279.htm *0711 講談社ノンフィクション賞に城戸久枝さん [朝日] 2008年7月11日20時40分  第30回講談社ノンフィクション賞が11日、城戸久枝氏の「あの戦争から遠く離れて 私につながる歴史をたどる旅」(情報センター出版局)と西岡研介氏の「マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実」(講談社)、原武史氏の「滝山コミューン一九七四」(同)に決まった。また第24回講談社エッセイ賞には、立川談春氏の「赤めだか」(扶桑社)が、同科学出版賞は佐藤克文氏の「ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ」(光文社)が選ばれた。賞金は各100万円。贈呈式は9月5日午後6時から、東京・丸の内の東京会館で。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/0711/TKY200807110322.html *0624 「水俣一揆」ドキュメンタリー作家、土本典昭さん死去 [朝日] 2008年6月24日17時31分  40年にわたって水俣病の惨禍を追い続けた記録映画作家の土本典昭(つちもと・のりあき)さんが24日午前2時47分、肺がんのため千葉県南房総市の病院で死去した。79歳だった。葬儀は近親者で営み、後日お別れの会を開く。喪主は妻基子(もとこ)さん。連絡先は東京都中野区中野5の24の16の210のシグロ。  記録映画作家として注目を集め始めた60年代半ば、テレビ番組の取材で水俣病と出会う。65年、テレビドキュメンタリー「水俣の子は生きている」を発表。以来、未認定患者や、チッソと交渉を続けるグループなどに密着し、71年に長編「水俣 ―― 患者さんとその世界」を完成させた。  同作で世界環境映画祭グランプリを獲得。その後も水俣病を主題に「水俣一揆 ―― 一生を問う人びと」など10本以上を制作した。丸木位里・俊夫妻が水俣を描く姿を記録した「水俣の図・物語」(81年)で毎日芸術賞。亡くなった水俣病患者の肖像写真を集めた展覧会の企画もした。  岐阜県土岐市生まれ。早大で学生運動に傾倒。羽仁進監督「教室の子供たち」などの影響から、56年に岩波映画で働き始め、フリーに。小川紳介や東陽一、黒木和雄の各監督らと交流した。  63年、列車乗務員の過酷な勤務を追う「ある機関助士」で本格デビュー。タクシー運転手に密着した「ドキュメント 路上」は64年、英エディンバラ映画祭で賞を受けた。 URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/0624/TKY200806240191.html *0616 トニー賞、ミュージカル作品賞は「イン・ザ・ハイツ」 [朝日] 2008年6月16日12時39分  【ニューヨーク=真鍋弘樹】米演劇界における最高の栄誉とされる第62回トニー賞の授賞式が15日、ニューヨークであり、ミュージカル部門はラテンアメリカ系移民の生活を描いた「イン・ザ・ハイツ」が作品賞を受賞した。演劇部門の作品賞は「8月のオーセージ郡」だった。  「イン・ザ・ハイツ」は、マンハッタン北部に住む中南米系住民らの3日間の生活をヒップホップやサルサなどの音楽にのせて生き生きと描いたミュージカル。「8月のオーセージ郡」は、オクラホマ州の実家に戻った子どもたちと母親の会話を通じて家族の問題を問うコメディー。ミュージカル部門のリバイバル作品賞は「南太平洋」が受賞した。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/0616/TKY200806160148.html *0605 佐藤忠良の750作を1冊に [読売] 戦後日本の具象彫刻を代表する一人、佐藤忠良氏(95)の主要作100点を1ページずつ掲載し、さらに屋外彫刻から記念品、ブローチまで650点を調査した作品総目録を付す。  「風の子」「オリエ」など愛らしい子供、「群馬の人」「鋳物職」のように武骨な日本人の顔も印象深いが、最も目立つのはシャツやジーンズだけを身に着けた半裸の女性像。代表作「帽子・夏」について美術評論家の酒井忠康氏は「彫刻家のなかに潜伏していた詩的情調の流れが、一瞬のうちに結晶化したというか、陶酔的輝きを帯びてみえる」と作家論に記している。 (2008年6月5日 読売新聞) 『佐藤忠良 彫刻七十年の仕事』 佐藤忠良 出版社:講談社 発行:2008年3月 ISBN:9784062132336 価格:¥30000 (本体¥28571+税) URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080605bk05.htm *0531 蟹工船:今年20万部突破、ヒット続く [毎日]  プロレタリア文学作家、小林多喜二(1903~33年)の「蟹工船・党生活者」(新潮文庫)の今年の増刷が30日で延べ20万部を超えた。例年の47倍強で古典としては異例の大ヒット。ワーキングプア問題などと絡み話題になったためで、毎日新聞朝刊文化面(東京本社版)が今年1月9日に掲載した対談記事がブームの発端だ。  29年発表の「蟹工船」はカニを捕り缶詰に加工する船の労働者が、過酷な労働条件に怒り、立ち上がる話。毎日新聞の対談で、作家の雨宮処凛(かりん)さん(33)と高橋源一郎さん(57)は「ワーキングプアの現状は『蟹工船』の世界に通じる」などと話し合った。  対談を知った東京・上野の書店員が、新潮文庫を店頭で平積みにした。すると、週に1冊売れるかどうかだった同書が毎週数十冊売れた。同じ動きが、他店にも広がった。  今年は4月までに2万7000部、今月21万部。最近は4万~5万部を数日おきに刷っており、一部書店では品切れという。読者は半数強が30代以下とみられる。新潮社では「もはや社会現象。中高年層もワーキングプア問題を理解する手がかりに読むようだ」と話している。【鈴木英生】 毎日新聞 2008年5月31日 東京朝刊 URL:http://mainichi.jp/enta/book/news/20080531ddm041040037000c.html *0529 詩人、四川大地震の救援呼びかけ 谷川さん大岡さんら [朝日] 2008年05月29日20時14分  谷川俊太郎さんら9人の詩人が、四川大地震の救援行動を呼びかけ、寄金と詩などの募集を始めた。寄金は6月15日までを第1次、30日までを第2次としてまとめ、日本と中国の代表的な詩人らが集う文学者団体「日中詩人討議」を通じて中国の復興支援団体に寄付する。  呼びかけたのは、谷川さんのほか、辻井喬、大岡信、吉増剛造、北川透、高橋睦郎、佐々木幹郎、平田俊子、野村喜和夫の各氏。  寄金は、郵便振替口座00180・4・8121思潮社あて。通信欄に「四川大地震救援寄金」と明記のこと。  また、被災者への呼びかけや地震災害をテーマとした詩と散文を募集する。詩は10行まで、散文は200字まで。募集期間は寄金と同じ。思潮社編集部で編集の上、中国語訳をつけた小冊子を中国側に手渡す計画という。問い合わせ・送付先は〒112・0014東京都文京区関口1の8の6の203、思潮社「四川大地震義捐(ぎえん)の会」事務局(03・3267・8141)。 URL:http://www.asahi.com/national/update/0529/TKY200805290287.html *0515 三島由紀夫賞に田中慎弥さん「切れた鎖」 山本賞に2氏 [朝日] 2008年05月15日19時44分  第21回三島由紀夫賞・山本周五郎賞(新潮文芸振興会)の選考会が15日、東京都内のホテルで開かれ、三島賞は田中慎弥さん(35)の「切れた鎖」(新潮社)、山本賞は今野敏さん(52)の「果断 隠蔽捜査2」(新潮社)と伊坂幸太郎さん(36)の「ゴールデンスランバー」(新潮社)に決まった。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/0515/TKY200805150253.html *0509 阪大名誉教授の伏見康治さん死去 原子力の平和利用推進 [朝日] 2008年05月09日18時54分  元日本学術会議会長で大阪大名誉教授の原子核物理学者、伏見康治(ふしみ・こうじ)さんが、8日午後8時17分、老衰のため横浜市内の病院で死去した。98歳だった。通夜は12日午後6時、葬儀は13日午前11時30分から横浜市港北区菊名2の1の5の妙蓮寺斎場で。喪主は長女康子さん。  1909年名古屋市生まれ。33年東京大理学部卒。40年大阪大教授、61年名古屋大プラズマ研究所長に就任する。  原子核物理の専門家として、原子力の平和利用を推進した。54年、中曽根康弘衆院議員(当時)らが、急きょ原子炉製造のための修正予算案を提出したのに対し、一晩で原子力憲章草案を書き上げる。案を受けた日本学術会議は、民主、自主、公開の原子力三原則をまとめ、55年の原子力基本法に盛り込まれた。  83年から参院議員(公明)を1期務め、故湯川秀樹氏らが結成した「世界平和アピール七人委員会」の委員として、核兵器廃絶と原子力の平和利用を訴える活動に携わった。折り紙が趣味で、著書に「折り紙の幾何学」がある。 URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/0509/TKY200805090215.html *0508 伊藤整文学賞に荻野、穂村の両氏 [朝日] 2008年05月08日22時13分  第19回伊藤整文学賞(伊藤整文学賞の会など主催)の選考会が8日、東京都内で開かれ、小説部門に荻野アンナ氏の「蟹と彼と私」(集英社)、評論部門に穂村弘氏の「短歌の友人」(河出書房新社)が選ばれた。副賞100万円。贈呈式は6月13日午後5時半、北海道小樽市の小樽グランドホテルで。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/0508/TKY200805080288.html *0419 民俗学者の吉野裕子さん死去 [朝日] 2008年04月19日21時33分  50歳から独学で研究を始め、タブーを破る新説を次々と打ち出した民俗学者、吉野裕子(よしの・ひろこ)さんが18日、心不全のため奈良市内の病院で死去した。91歳だった。葬儀は故人の遺志で行わない。お別れの会を予定しているが、日時・会場は未定。自宅は奈良市大宮町。  東京都出身。女子学習院卒。津田塾大学を卒業後、英語教師を経て主婦をしていた。50歳のとき、習っていた日本舞踊の扇に関心を持ち、独学で研究。最初の著作「扇」(70年)で「日本の祭事に使われる扇は男の性を象徴している」、「蛇」(79年)では「日本民族は縄文時代から蛇を祖先神として信仰している」と大胆な説を唱え、「在野の民俗学者」として注目を集めた。蛇信仰と並んで、古代中国の哲学、陰陽五行の考え方をもとに研究を進めた。  95年に東京から奈良市へ転居。生前、「素人の晩学だったからこそ、学界の既成概念にとらわれなかった」と話していた。昨年1月から「吉野裕子全集」(人文書院)が発行され、最終の12巻の発行を今年6月に控えていた。 URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/0419/OSK200804190116.html *0410 川端康成文学賞、2氏に [朝日] 2008年04月10日21時11分  優れた短編に贈られる第34回川端康成文学賞(川端康成記念会主催)の選考会が10日、東京都内で開かれ、稲葉真弓氏の「海松(ミル)」(「新潮」07年2月号)と田中慎弥氏の「蛹(さなぎ)」(同8月号)が選ばれた。田中氏は35歳で最年少の同賞受賞となる。副賞100万円。授賞式は6月27日、東京・虎ノ門のホテルオークラで。 URL:http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200804100307.html *0408 小川国夫氏=作家 [読売]  「アポロンの島」をはじめ、簡潔な彫りの深い文体で人間の営みを描いた作家で日本芸術院会員の小川国夫(おがわ・くにお)さんが8日午後1時57分、肺炎のため死去した。80歳だった。告別式の日取りは未定。喪主は妻、綏子(やすこ)さん。  東大在学中、3年間フランスに留学。オートバイで地中海沿岸を旅し、帰国後、同人誌「青銅時代」を創刊。29歳で自伝的青春の書「アポロンの島」を500部自費出版したものの、注文はわずか1冊。しかし8年後に作家の島尾敏雄に絶賛され、注目を集めた。  故郷の静岡県藤枝市に住み、寡作ながら、風土に根ざした手触りの確かな小説を発表。1986年「逸民」で川端康成文学賞、99年には「ハシッシ・ギャング」で読売文学賞を受けた。  「小説が洗練され、人生の重みがなくなるとしたら、文学としては足りません」と語る作家は、19歳でカトリックの洗礼を受けた。「或る聖書」などの作品でも知られ、川端賞の現役選考委員だった。 (2008年4月8日21時55分 読売新聞) URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/obit/news/20080408-OYT1T00622.htm *0406 歌人の前登志夫さん死去 [朝日] 2008年04月06日15時08分  土俗的な生命力にあふれた前衛的な短歌で知られる歌人の前登志夫(まえ・としお、本名前登志晃〈まえ・としあき〉)さんが、5日午後2時30分、肝硬変のため奈良県下市町広橋1971の自宅で死去した。82歳だった。葬儀は家族で行い、後日、前さん主宰の短歌結社「山繭の会」がお別れ会を開く予定。喪主は長男浩輔(ひろすけ)さん。  前川佐美雄に師事し、詩作から転向。山ふかい奈良・吉野の集落に生まれ育ち、父祖伝来の林業に就く傍ら、豊饒(ほうじょう)と神秘に包まれた山と交歓するかのような短歌を詠み続けた。67年に山繭の会を結成し、80年に歌誌「ヤママユ」を創刊。78年から、体調を崩して08年2月に休講するまで、大阪の朝日カルチャーセンターの短歌講座を受け持った。世捨て人を自称し、喧噪(けんそう)に満ちた都市の生活への鋭い批判を込めたエッセーも数多く発表。06年から朝日新聞大阪本社版で「菴(いおり)のけぶり」を連載、08年2月の掲載が最後になった。  78年「縄文紀」で迢空(ちょうくう)賞、93年「鳥獸蟲魚(ちょうじゅうちゅうぎょ)」で斎藤茂吉短歌文学賞、03年「流轉」で現代短歌大賞、05年「鳥總立(とぶさだて)」で日本芸術院賞文芸部門受賞など。同年に日本芸術院会員。      ◇  歌人で朝日歌壇選者の永田和宏さんの話 前さんの歌の一つに、〈山櫻(やまざくら)そのひとつだに伐(き)らざりきいさぎよく山の家棄(す)てざりき〉がある。多くの歌人が東京へ移り住む中で、前さんは故郷の奈良・吉野を捨てず、山住みの暮らしや現代の文明、社会を詠み続けた。いま言っておくべきことはどうしても言っておくという強い気迫を感じる短歌だった。塚本邦雄さんらに続き、関西にとって、全国にとって大きな存在の歌人を失ったことは大変残念だ。桜が最も美しいころに亡くなったのは、まさに西行のようで、いかにも前さんらしい。 URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/0406/OSK200804060024.html *0406 ネグリ氏不在でも講演会大入り 「危機を突破」議論に熱 [朝日] 2008年04月06日11時00分  「おうおう」と陽気なアントニオ・ネグリ氏の声が、国際電話で会場に流れると、拍手がわき起こった。 ネグリ氏不在の中、参加者が車座で語り合ったシンポジウム=東京・上野の東京芸大  3月29日、東大・安田講堂。政治テロに思想的影響を与えたとして有罪・服役した経歴を理由に、土壇場で来日中止となったイタリア人哲学者ネグリ氏の講演会は、本人不在にもかかわらず、約700人を集めた。前後して企画を開いた東京芸大でのべ600人、京大でも400人が参加した。  丁々発止の議論があった。「世界が直面する危機を能動的にとらえ、突破しようとする」(鵜飼哲・一橋大教授)氏への共感。舞踊家の田中泯氏は「(知識人には)階級を解きほぐす言語が必要ではないのか」と迫った。主役抜きでの開催は、問題が逆に深く浮き彫りになると考えた主催者の意図と、聴衆の思いが溶け合う熱気があふれていた。  中止に至る経緯は不可解というしかない。招請元の財団法人国際文化会館によると、来日決定は約1年前。経歴は承知していた。この5年に22カ国を訪ねた氏側は、講演で報酬が発生するならビザが必要かと案じ、パリの日本大使館に問い合わせたが、不要と言われた。  渡航2日前の3月17日になって、外務省が「昨今の状況」を理由にビザ取得を促す。サミット前の入国管理の厳しさを示唆したと、会館側は受け止めた。急きょ申請に動いたが、犯歴ある外国人の入国を認めない入管法が壁に。例外規定を探る時間も限られ、氏側は断念した。  国際文化会館は過去にも「反体制知識人」を招いており、氏の犯歴の件は事前に関係省庁に問い合わせなかったという。会館の準備不足か、省庁間の連携のまずさか、サミット前の締め付けか――。いずれにせよ、日本の人々との対話の機会は奪われた。会館は再度招く意向だが、見通しは定かでない。  近著『未来派左翼』でネグリ氏は、個人がばらばらになって複雑化する時代こそ、私たちは団結するという逆説を述べている。私でも公でもない「共(コモン)」の創出は可能か。重い問いが、私たちの前に残された。(藤生京子) URL:http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200804060041.html *0403 児童文学者の石井桃子さん死去 101歳 [朝日] 2008年04月03日01時17分  「ノンちゃん雲に乗る」などの創作や「クマのプーさん」など数多くの翻訳で知られる児童文学者で、07年度の朝日賞を受けた石井桃子(いしい・ももこ)さんが、2日午後死去した。101歳だった。  埼玉県生まれ。日本女子大英文科卒。文芸春秋に勤めた後、新潮社に移り、「日本少国民文庫」編集に携わった。33年、家族ぐるみで交際のあった犬養毅・元首相宅で、英国児童文学の名作、A・A・ミルンの「クマのプーさん」の原著と出合い、40年に岩波書店から翻訳出版した。  戦争中から構想を立てていた「ノンちゃん雲に乗る」を敗戦後の47年に出版し、ベストセラーに。55年には鰐淵晴子と原節子の主演で映画化された。  50年から岩波書店で「岩波少年文庫」「岩波の子どもの本」シリーズなどの編集を担当。退社後、欧米の児童図書館や児童書出版の実情を学んだ。帰国後、共著による「子どもと文学」(60年)などで日本の児童文学の理論的な発展に貢献した。  また、自宅の一部を開放して、子ども図書館「かつら文庫」を開設。多くの子どもたちに親しまれた。その活動記録「子どもの図書館」(65年)は、子ども文庫の普及に大きな影響を与えた。  54年に児童文学の発展に尽くした功績で菊池寛賞。85年には第1回子ども文庫功労賞。93年には日本芸術院賞を受けた。  他の著書に「山のトムさん」「三月ひなのつき」「幼ものがたり」「児童文学の旅」「幻の朱い実」など。訳書に「ピーターラビットのおはなし」「子どもがはじめてであう本」などがある。99年には「石井桃子集」全7巻(岩波書店)が完結した。 URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/0403/TKY200804020363.html
[[◎文化・出版08Ⅰ]] より続く #contents #comment(vsize=2,nsize=20,size=40)   ↑ご自由にコメントをお書き下さい。 *1103 毎日出版文化賞に橋本治氏ら [朝日] 2008年11月3日6時1分  第62回毎日出版文化賞(毎日新聞社主催)の受賞図書が決まった。賞金各100万円。表彰式は25日午後3時半から、東京・紀尾井町のグランドプリンスホテル赤坂で。受賞作は次の通り。(敬称略)  文学・芸術部門=橋本治「双調 平家物語」(全15巻、中央公論新社)▽人文・社会部門=東野治之「遣唐使」(岩波書店)▽自然科学部門=福嶌義宏「黄河断流――中国巨大河川をめぐる水と環境問題」(昭和堂)▽企画部門=植木雅俊訳「梵漢和対照・現代語訳 法華経」(上下、岩波書店)▽特別賞=「哲学の歴史」編集委員会編(内山勝利、小林道夫、中川純男、松永澄夫各編集委員)「哲学の歴史」(全12巻・別巻1、中央公論新社) URL:http://www.asahi.com/culture/update/1102/TKY200811020188.html *1029 読売ウイークリー、12月1日発売号で休刊 [朝日] 2008年10月29日10時45分  読売新聞社は29日、総合週刊誌「読売ウイークリー」の休刊を発表した。12月1日発売号が最後になる。  1943年の創刊で、65年の歴史がある。「月刊読売」として創刊、52年に週刊誌「週刊読売」、00年に「Yomiuri Weekly」となり、05年に「読売ウイークリー」と名称を変えた。  読売新聞東京本社広報部によると、00年に約40万部を発行したことがあるが、今年は毎号10万500部の発行だった。「最近の週刊誌市場の縮小傾向や、メディアの多様化が進む中で、休刊を決めた」という。  雑誌に詳しいライターの永江朗さんは「読者減、広告収入減、紙代を中心としたコスト増のトリプルパンチが効いている。週刊誌は10万部がボーダーライン。読者層を明確にし、大胆に変わらないと生き残れないだろう」と話す。  小学館も29日、幼児向け月刊誌「マミイ」の休刊を発表した。来年1月31日発売の3月号で休刊する。72年の創刊で、0~2歳児が対象。日本雑誌協会の調べでは、今年4月から6月の平均発行部数は約12万3千部。同社広報室によると、少子化による読者環境の変化と、同社が発行する1~3歳児向け「ベビーブック」と読者層が重複しているのが休刊の主な理由という。  出版界では今年、「主婦の友」「PLAYBOY日本版」「広告批評」「論座」「月刊現代」「ロードショー」など、様々なジャンルの雑誌の休刊が相次いでいる。 URL:http://www.asahi.com/national/update/1029/TKY200810290058.html *1014 ノーベル経済学賞、クルーグマン氏 国際貿易で新理論 [朝日] 2008年10月14日15時12分  スウェーデン王立科学アカデミーは13日、今年のノーベル経済学賞を米プリンストン大教授のポール・クルーグマン氏(55)に贈ると発表した。自由貿易とグローバル化が経済に与える影響を説明した新理論が授賞理由だ。  研究活動以外でも、リベラル派の論客として、担当するニューヨーク・タイムズ紙のコラムなどでブッシュ政権批判を繰り返してきた。日本のバブル崩壊後、デフレ脱却のために日本銀行が「インフレ目標」を定めるよう提案したことでも知られる。  クルーグマン氏は、伝統的な国際貿易論に「規模が大きいほど生産性が高まる」「消費者は多様性を好む」といった概念を取り入れた。これにより、地場の小規模な製造業が、世界市場向けに大量生産する大手に取って代わられる現象を説明。都市への人口集中と周辺地域の過疎化が起きる仕組みも分析した。  政治的発言も積極的だ。レーガン政権以降の米共和党政権が、高所得者への減税を拡大する一方で福祉を削減し、格差を広げたと指摘。米国が経常赤字を膨らませつつ世界中のマネーを吸い上げて繁栄する構図について、現在の金融危機が深刻化する以前から「(1929年に始まった)世界恐慌前夜に似ている」と警告していた。「グローバル経済を動かす愚かな人々」など著書も多い。  授賞式は12月10日にストックホルムで。賞金は1千万スウェーデンクローナ(約1億4千万円)。(庄司将晃)      ◇  ポール・クルーグマン氏 1953年生まれ。米マサチューセッツ工科大で博士号を取得。同大教授、スタンフォード大教授などを歴任した。00年から現職。 URL:http://www.asahi.com/business/update/1013/TKY200810130160.html *1009 ノーベル文学賞に仏のル・クレジオさん [朝日] 2008年10月9日22時1分  【ロンドン=土佐茂生】スウェーデン・アカデミーは9日、今年のノーベル文学賞をフランス文学を代表する小説家ジャンマリ・ギュスターブ・ル・クレジオさん(68)に授与する、と発表した。  同アカデミーは「断絶、詩的な冒険、そして官能的な悦楽の作家。支配的な文明との枠を越え、またその裏をかいて人間性を追究した」と授賞理由を説明した。賞金は1千万スウェーデンクローナ(約1億4千万円)。授賞式は12月10日、ストックホルムで開かれる。      ◇  40年、南仏のニース生まれ。両親ともにフランスからインド洋モーリシャス島に移住した家系で、父はイギリス籍、母はフランス籍。63年、軍隊か病院のような隔離的環境から逃げ出した若者の目に映る世界を詩的に描いた長編「調書」で、フランスの主要な文学賞のひとつルノード賞を受賞、衝撃の文壇デビューを飾った。  「調書」に続く65年の短編集「発熱」、66年の長編「大洪水」の3作で、神話的な象徴性を帯びた独特の小説世界を確立した。以後、メキシコや日本など異文化圏への旅に啓示を受けて書いた長編「逃亡の書」や、パナマでの現地の人々との共同生活に題材を求めたエッセー「悪魔祓(ばら)い」などを精力的に執筆。一連の作品に、子どもや女性、貧困に苦しむ外国人など疎外された存在に対する共感を託した。その後の主な作品に歴史的時間とは何かを問う長編「砂漠」「黄金探索者」など。「偶然」「アフリカのひと 父の肖像」ほか邦訳多数。  フランスとモーリシャスの国籍をもつ。アフリカで少年時代の一時期を過ごし、中米インディオ文化にも傾倒する。06年、39年ぶりに来日。東京のほか北海道や奄美大島などを旅した。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/1009/TKY200810090270.html *1007 緒形拳さん死去 71歳 銀幕・TV・舞台…幅広く活躍 [朝日] 2008年10月7日7時23分  映画「楢山節考」「復讐するは我にあり」をはじめ、テレビ、舞台で活躍、善人から極悪人まで幅広い演技をみせた俳優の緒形拳(おがた・けん、本名明伸〈あきのぶ〉)さんが5日、死去した。71歳だった。葬儀は親族のみで行う。  先月30日、倉本聰脚本のフジテレビ系ドラマ「風のガーデン」の制作発表会見に出席し、同日付の本人ブログに「是非是非ご覧下さい」と書き込んでいたが、関係者によると、その後、体調が急変したという。  東京生まれ。58年に新国劇に入り、60年に舞台「遠い一本の道」の主役に抜てき、その映画化で映画デビューも果たした。65年、NHK大河ドラマ「太閤記」の主役・秀吉を演じる一方、テレビドラマ「必殺仕掛人」の、すごみのある演技で人気を集めた。  映画「鬼畜」(77年)、カンヌ国際映画祭グランプリに輝いた今村昌平監督「楢山節考」(83年)などで、日本アカデミー賞主演男優賞。第30回モントリオール世界映画祭グランプリを受賞した奥田瑛二監督「長い散歩」(06年)でも主演した。  舞台ではベケット作「ゴドーを待ちながら」、「信濃の一茶」、一人芝居「白野―シラノ―」などに出演した。  「風のガーデン」は今月9日に放送開始。生死、家族愛をみつめる作品で、最後の出演作となった URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/1007/TKY200810070012.html *1001 優れた評論・吉田秀和賞に片山杜秀氏 [朝日] 2008年10月1日18時30分  音楽・演劇・映画・美術などの分野で優れた評論を発表した人に贈られる吉田秀和賞の第18回受賞者が1日、「音盤考現学」「音盤博物誌」(ともにアルテスパブリッシング)の片山杜秀さん(45)に決まった。賞金200万円。贈呈式は11月8日、水戸市の水戸芸術館で。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/1001/TKY200810010303.html *0926 国文学者で文化功労者、西郷信綱さんが死去 [朝日] 2008年9月26日20時39分  古事記をはじめ古代文学研究で知られる国文学者で文化功労者、横浜市立大名誉教授の西郷信綱(さいごう・のぶつな)さんが、25日午後10時35分、急性心不全のため川崎市内の病院で死去した。92歳だった。通夜は29日午後6時、葬儀は30日午後0時30分から川崎市多摩区南生田8の1の1の春秋苑で。喪主は妻みち子さん。  大分県生まれ。東大で英文科に入るが、斎藤茂吉に傾倒して国文科に移る。清水高等商船学校教授をへて、戦後は鎌倉アカデミアの創設に参加。54年から71年まで横浜市立大教授をつとめた。  戦後、「国学の批判」や「日本古代文学史」などで従来の国文学研究を批判した。60年から3年間のロンドン大教授時代にイギリス社会人類学や現象学から学び、「古代人と夢」「古事記研究」「源氏物語を読むために」などで、古典作品の構造を分析するとともに、社会と時代の中でとらえなおした。  20年かけて語句の厳密な考証、文脈の的確な読みを加えて完成させた「古事記注釈」全4巻が90年に角川源義賞、95年に文化功労者。99年には「古代人と死」を、02年には「斎藤茂吉」を刊行した。 URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/0926/TKY200809260331.html *0928 ポール・ニューマンさん死去 「明日に向って撃て!」 [朝日] 2008年9月28日0時37分  【ロサンゼルス=堀内隆】米国を代表する俳優の一人で、映画「明日に向って撃て!」(69年)、「タワーリング・インフェルノ」(74年)などで知られるポール・ニューマンさんが26日、がんのため米コネティカット州の自宅で死去した。83歳だった。米メディアが27日報じた。  昨年5月に記憶の衰えなどを理由に俳優を引退。今年6月には、がんで闘病中だと、同氏の知人が明らかにしていた。  25年、米オハイオ州クリーブランド生まれ。父親が共同経営するスポーツ用品店を継ぐため大学では経済学を専攻したが、途中で海軍入りし、第2次世界大戦に無線士として従軍した。復員後に演劇の道に進み、エール大スクール・オブ・ドラマに学んだ。映画デビューは54年の「銀の盃」。ロバート・ワイズ監督の「傷だらけの栄光」(56年)で、不良少年からボクシングの世界王者にのぼりつめたロッキー・グラジアノの半生を演じて脚光を浴びた。  反抗的で野性味に満ちたヒーロー役が多かったが、「明日に向って撃て!」以降、知性を前面に出したスマートな役柄が増えていった。同作品で共演したロバート・レッドフォード氏とは「スティング」(73年)でも共演した。  「熱いトタン屋根の猫」(58年)以来、「ハスラー」(61年)、「評決」(82年)などで何度もアカデミー主演男優賞にノミネートされたが長く賞に恵まれず、初の受賞は「ハスラー2」(86年)。監督業にも進出し、「レーチェル・レーチェル」(68年)では妻のジョアン・ウッドワードさんを主役に起用した。  サラダドレッシングなどを作る食品会社を起こし、実業家としても成功したほか、ベトナム反戦運動や反核運動にも積極的に参加した。68年の米大統領選で民主党の有力政治家を支援、この選挙で当選した共和党のニクソン大統領の政敵リストにも載った。  カーレーサーの顔もあり、79年のル・マン24時間耐久レースでは2位につけた。カーレースへの興味は晩年まで尽きず、擬人化されたレースカーが主人公のピクサーのアニメ映画「カーズ」(06年)に声優で出たのが、最後の映画出演になった。 URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/0927/TKY200809270187.html *0912 亀山訳「カラマーゾフの兄弟」、ミリオンセラーに [朝日] 2008年9月12日6時1分  昨年7月に完結した亀山郁夫訳のドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」(光文社古典新訳文庫)が、全5巻合わせてミリオンセラーとなることが11日、わかった。30日付の増刷で101万部に達するという。  同書は、父親殺しをめぐるミステリーの中に哲学的な問いを織り込んだ、19世紀ロシア文学を代表する大長編。光文社文芸編集部の駒井稔編集長は、「テレビで取り上げられたわけでもないのに、第1巻の刊行時から引きが強かった。当初、読者には退職する団塊の世代を当て込んでいたが、昨年の秋ごろから若い女性の読者が増えてブームに拍車がかかった」という。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/0911/TKY200809110253.html *0907 訃報:寺内大吉さん 86歳 死去=直木賞作家、増上寺法主 [毎日]  「はぐれ念仏」「念仏ひじり三国志」など宗教を素材にした独自の大衆小説で知られた直木賞作家で、浄土宗大本山増上寺法主の寺内大吉(てらうち・だいきち<本名・成田有恒=なりた・ゆうこう>)さんが6日、心不全のため死去した。86歳。葬儀の日取りは未定。喪主は増上寺執事長の楠美知仁(くすみ・ちじん)さん。  東京都出身。大正大在学中に生家の大吉寺(世田谷区)住職になる。最初の小説は純文学的な短編だったが、その後大衆小説を執筆。55年「逢春門」でサンデー毎日大衆文芸賞、56年「黒い旅路」でオール読物新人杯(現新人賞)を受賞し注目される。57年、司馬遼太郎らと雑誌「近代説話」を創刊。61年「はぐれ念仏」で直木賞、83年「念仏ひじり三国志」で毎日出版文化賞を受賞した。他に「化城の昭和史」「慟哭(どうこく)の明治仏教」など。  ボクシング、プロレス、競輪などのスポーツ評論でも知られた。浄土宗宗務総長も務め「開かれた浄土宗」を唱えるなど仏教者としても活躍した。 毎日新聞 2008年9月7日 東京朝刊 URL:http://mainichi.jp/select/person/news/20080907ddm041060144000c.html *0804 ソルジェニーツィン氏死去 ロシアのノーベル賞作家 [朝日]  【モスクワ=大野正美】大作「収容所群島」などでソ連の全体主義体制による民衆抑圧を告発したロシアのノーベル賞作家アレクサンドル・ソルジェニーツィン氏が3日午後11時45分(日本時間4日午前4時45分)、急性心不全のため、モスクワ郊外の自宅で死去した。89歳だった。  子息のステパン氏が、イタル・タス通信などに明らかにした。  ロシア革命の翌1918年、ロシア南部キスロボツクに生まれ、ロストフ大物理・数学科を卒業直後に独ソ戦に招集された。45年にスターリンを批判した疑いで告発され、8年の収容所生活を送った。フルシチョフによるスターリン批判の翌57年に名誉回復し、「雪解け」の自由化政策に乗って62年にデビュー作「イワン・デニーソビッチの一日」を発表。ソ連の強制収容所の実態を生々しく描いて世界的なベストセラーとなった。  しかし、67年にソ連作家同盟大会に書簡を送って検閲の廃止を求めてから当局と激しく対立。長編「ガン病棟」などの発表を国内で許されないまま、70年にノーベル文学賞を受賞。強制収容所を使ったソ連国民に対する弾圧の歴史を暴露した「収容所群島」の国外での発表を続けたが、74年に逮捕、国外追放された。  76年から米バーモント州に家を構え、20世紀のロシアの運命を扱った歴史小説「赤い車輪」の執筆に打ち込む一方、評論や講演で「合理主義に毒された」西欧世界を激しく批判した。90年には、翌年のソ連崩壊を先取りする形でソ連を解体しロシアなどスラブ系3国による同盟を提案、大きな議論を巻き起こした。  20年の亡命生活を終えて94年にロシアに帰国後は、回想録などの執筆を続ける一方、評論やインタビューで、ソ連崩壊後の急速な市場経済化やチェチェン戦争でロシアが陥った荒廃に警鐘を鳴らした。  ここ数年は高齢と体調不良のため自宅にこもり、新作の発表もまれになっていた。ただ、05年には「1917年の革命前と同様、国家と社会の対立が深まっている」と民主主義の現状を批判したインタビューが反響を呼んだ。  07年6月には文学上の功績に当時のプーチン大統領(現首相)からロシアの国家賞を贈られ、「わが国が20世紀におかした自滅から教訓をくみ取り、それを繰り返さないことへの希望につながる」との談話を出していた。      ◇ 〈亀山郁夫・東京外国語大学学長(ロシア文学・ロシア文化論)の話〉 ソ連崩壊をだれよりも早く見通した偉大なる予言者だった。  もともとは社会主義を「健康的に」支持する若者だったが、収容所体験などを経て、ロシアの暗部を暴露していくことになる。スターリン時代の反省なくして国家は成り立たないと考え、歴史作家として歩んでいった。  しかし、ソ連崩壊がもたらした社会は望んだものではなく、彼はがくぜんとし、ある種の反省も生まれた。プーチン時代に入り、民族が精神的に大きくまとまることに期待をかけようとしたところで、死を迎えた。  文学者としては20世紀後半のロシアを代表する作家であり、「20世紀のドストエフスキー」と言っていい。総じて、全体主義に絡め取られない人間の自由を古典的なヒューマニズムの精神において描いた。 URL:http://www.asahi.com/international/update/0804/TKY200808040036.html *0802 笑いと酒の人生、これでいいのだ 赤塚不二夫さん [朝日] 2008年8月2日23時50分  戦後ならではの笑いをつくり出したギャグの王様、赤塚不二夫さんが亡くなった。72歳だった。  伝説の漫画家アパート「トキワ荘」に入ったが、売れていく仲間たちのアシスタントを務めることが多かった。少女漫画しか発表できなかった初期の苦悩を振り払うように、爆発したナンセンスギャグの数々。とりわけ高度経済成長期の日本人に、忘れ難い笑いを提供した。  赤塚漫画の特徴は、キャラクターがユニークで、なぞめいている点にある。代表作「天才バカボン」のパパは、バカなのか天才なのかわからない。わき役も光った。「お出かけですか」が口ぐせの「レレレのおじさん」、父はイヌで母はウナギという「ウナギイヌ」……。「赤塚漫画はわき役こそ面白い」と評されもした。  アシスタントや編集者との共同作業でマンガのアイデアを出したり、作画を分業制にしたりするなど、プロデューサーとしての手腕も光った。広い度量を慕って才人が集まり、アシスタントから多くのヒットメーカーが輩出した。「釣りバカ日誌」の北見けんいちさん、「ダメおやじ」の古谷三敏さん、「総務部総務課山口六平太」の高井研一郎さんら、漫画界の第一線で現在活躍する漫画家が顔を並べる。  酒場などでの交友関係も多彩だった。まだ無名のころの森田一義さん(タモリ)、映画監督の山本晋也さん、“ゲージツ家”の篠原勝之さんら多彩な人物を啓発し、才能の開花を助けた。しかし、みずから「アルコール中毒患者」と呼ぶほど酒を愛し、体をこわした。  98年暮れから翌年にかけて食道がんで入院、00年8月には、硬膜下血腫で開頭手術を受けるなど入退院を繰り返した。06年7月には、フジオ・プロダクションの社長で、赤塚さんを献身的に看病した妻の真知子さんが56歳で亡くなった。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/0802/TKY200808020332.html *0724 講談社ノンフィクション賞に城戸久枝さん [朝日] 2008年7月11日20時40分  第30回講談社ノンフィクション賞が11日、城戸久枝氏の「あの戦争から遠く離れて 私につながる歴史をたどる旅」(情報センター出版局)と西岡研介氏の「マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実」(講談社)、原武史氏の「滝山コミューン一九七四」(同)に決まった。また第24回講談社エッセイ賞には、立川談春氏の「赤めだか」(扶桑社)が、同科学出版賞は佐藤克文氏の「ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ」(光文社)が選ばれた。賞金は各100万円。贈呈式は9月5日午後6時から、東京・丸の内の東京会館で。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/0711/TKY200807110322.html *0716 芥川賞に中国人・楊逸さん、直木賞は井上荒野さん [読売]  第139回芥川賞、直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が15日夜、東京・築地の新喜楽で開かれ、芥川賞は、日本で中国語講師を務める楊逸(ヤンイー)さん(44)の「時が滲(にじ)む朝」(文学界6月号)に決まった。芥川賞を中国人が受賞するのは同賞史上で初めて。また、在日韓国・朝鮮人の受賞例はあるが、日本語以外の言語を母語とする作家の受賞も史上初めてとなる。直木賞は井上荒野(あれの)さん(47)の「切羽(きりは)へ」(新潮社)に決まった。  楊逸さんの受賞作は、理想に燃える中国の大学生が民主化運動に加わり、1989年の天安門事件で挫折するまでと、その後の人生の哀歓を、漢詩や英語を交えた日本語の文章でみずみずしく描いた青春小説。選考委員の高樹のぶ子氏は「人間が必死で生きている手触りが強烈で、国境を越えて来なければ見えないものが描かれている」と評価した。   楊さんは、ハルビン市生まれで、本名・劉(りゅう)チョウ。(チョウはクサカンムリに、「収」の左半分とボクヅクリ) (2008年7月16日 読売新聞) URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080716bk01.htm *0714 おくやみ 大野晋氏=学習院大学名誉教授 [読売]  日本語の起源を探求した国語学者で、学習院大学名誉教授の大野晋(おおの・すすむ)さんが14日午前4時、心不全のため亡くなった。88歳だった。告別式は18日午前10時から東京都台東区谷中7の14の8天王寺。喪主は妻、千恵子(ちえこ)さん。  1919年東京生まれ。東京帝国大学国文学科卒。言語の研究を通して「日本とは何か」という課題を追究。60歳になった79年、南インドのタミル語と日本語とを同系列と考える論考を発表し、反響を呼んだ。  上代語研究の第一人者でもあり、53年に「上代仮名遣の研究」を発表。「岩波古語辞典」の編さんも手がけ、古文の係り結びを豊富な事例をもとに包括的に研究した「係り結びの研究」では94年、読売文学賞を受けた。  「日本語の文法を考える」など一般向けの啓もう書も多く、岩波新書の「日本語練習帳」は、99年のミリオンセラーになり、同年、井上靖文化賞を受けた。〈関連記事22面〉 (2008年7月14日14時50分 読売新聞) URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/obit/news/20080714-OYT1T00279.htm *0711 講談社ノンフィクション賞に城戸久枝さん [朝日] 2008年7月11日20時40分  第30回講談社ノンフィクション賞が11日、城戸久枝氏の「あの戦争から遠く離れて 私につながる歴史をたどる旅」(情報センター出版局)と西岡研介氏の「マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実」(講談社)、原武史氏の「滝山コミューン一九七四」(同)に決まった。また第24回講談社エッセイ賞には、立川談春氏の「赤めだか」(扶桑社)が、同科学出版賞は佐藤克文氏の「ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ」(光文社)が選ばれた。賞金は各100万円。贈呈式は9月5日午後6時から、東京・丸の内の東京会館で。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/0711/TKY200807110322.html *0624 「水俣一揆」ドキュメンタリー作家、土本典昭さん死去 [朝日] 2008年6月24日17時31分  40年にわたって水俣病の惨禍を追い続けた記録映画作家の土本典昭(つちもと・のりあき)さんが24日午前2時47分、肺がんのため千葉県南房総市の病院で死去した。79歳だった。葬儀は近親者で営み、後日お別れの会を開く。喪主は妻基子(もとこ)さん。連絡先は東京都中野区中野5の24の16の210のシグロ。  記録映画作家として注目を集め始めた60年代半ば、テレビ番組の取材で水俣病と出会う。65年、テレビドキュメンタリー「水俣の子は生きている」を発表。以来、未認定患者や、チッソと交渉を続けるグループなどに密着し、71年に長編「水俣 ―― 患者さんとその世界」を完成させた。  同作で世界環境映画祭グランプリを獲得。その後も水俣病を主題に「水俣一揆 ―― 一生を問う人びと」など10本以上を制作した。丸木位里・俊夫妻が水俣を描く姿を記録した「水俣の図・物語」(81年)で毎日芸術賞。亡くなった水俣病患者の肖像写真を集めた展覧会の企画もした。  岐阜県土岐市生まれ。早大で学生運動に傾倒。羽仁進監督「教室の子供たち」などの影響から、56年に岩波映画で働き始め、フリーに。小川紳介や東陽一、黒木和雄の各監督らと交流した。  63年、列車乗務員の過酷な勤務を追う「ある機関助士」で本格デビュー。タクシー運転手に密着した「ドキュメント 路上」は64年、英エディンバラ映画祭で賞を受けた。 URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/0624/TKY200806240191.html *0616 トニー賞、ミュージカル作品賞は「イン・ザ・ハイツ」 [朝日] 2008年6月16日12時39分  【ニューヨーク=真鍋弘樹】米演劇界における最高の栄誉とされる第62回トニー賞の授賞式が15日、ニューヨークであり、ミュージカル部門はラテンアメリカ系移民の生活を描いた「イン・ザ・ハイツ」が作品賞を受賞した。演劇部門の作品賞は「8月のオーセージ郡」だった。  「イン・ザ・ハイツ」は、マンハッタン北部に住む中南米系住民らの3日間の生活をヒップホップやサルサなどの音楽にのせて生き生きと描いたミュージカル。「8月のオーセージ郡」は、オクラホマ州の実家に戻った子どもたちと母親の会話を通じて家族の問題を問うコメディー。ミュージカル部門のリバイバル作品賞は「南太平洋」が受賞した。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/0616/TKY200806160148.html *0605 佐藤忠良の750作を1冊に [読売] 戦後日本の具象彫刻を代表する一人、佐藤忠良氏(95)の主要作100点を1ページずつ掲載し、さらに屋外彫刻から記念品、ブローチまで650点を調査した作品総目録を付す。  「風の子」「オリエ」など愛らしい子供、「群馬の人」「鋳物職」のように武骨な日本人の顔も印象深いが、最も目立つのはシャツやジーンズだけを身に着けた半裸の女性像。代表作「帽子・夏」について美術評論家の酒井忠康氏は「彫刻家のなかに潜伏していた詩的情調の流れが、一瞬のうちに結晶化したというか、陶酔的輝きを帯びてみえる」と作家論に記している。 (2008年6月5日 読売新聞) 『佐藤忠良 彫刻七十年の仕事』 佐藤忠良 出版社:講談社 発行:2008年3月 ISBN:9784062132336 価格:¥30000 (本体¥28571+税) URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080605bk05.htm *0531 蟹工船:今年20万部突破、ヒット続く [毎日]  プロレタリア文学作家、小林多喜二(1903~33年)の「蟹工船・党生活者」(新潮文庫)の今年の増刷が30日で延べ20万部を超えた。例年の47倍強で古典としては異例の大ヒット。ワーキングプア問題などと絡み話題になったためで、毎日新聞朝刊文化面(東京本社版)が今年1月9日に掲載した対談記事がブームの発端だ。  29年発表の「蟹工船」はカニを捕り缶詰に加工する船の労働者が、過酷な労働条件に怒り、立ち上がる話。毎日新聞の対談で、作家の雨宮処凛(かりん)さん(33)と高橋源一郎さん(57)は「ワーキングプアの現状は『蟹工船』の世界に通じる」などと話し合った。  対談を知った東京・上野の書店員が、新潮文庫を店頭で平積みにした。すると、週に1冊売れるかどうかだった同書が毎週数十冊売れた。同じ動きが、他店にも広がった。  今年は4月までに2万7000部、今月21万部。最近は4万~5万部を数日おきに刷っており、一部書店では品切れという。読者は半数強が30代以下とみられる。新潮社では「もはや社会現象。中高年層もワーキングプア問題を理解する手がかりに読むようだ」と話している。【鈴木英生】 毎日新聞 2008年5月31日 東京朝刊 URL:http://mainichi.jp/enta/book/news/20080531ddm041040037000c.html *0529 詩人、四川大地震の救援呼びかけ 谷川さん大岡さんら [朝日] 2008年05月29日20時14分  谷川俊太郎さんら9人の詩人が、四川大地震の救援行動を呼びかけ、寄金と詩などの募集を始めた。寄金は6月15日までを第1次、30日までを第2次としてまとめ、日本と中国の代表的な詩人らが集う文学者団体「日中詩人討議」を通じて中国の復興支援団体に寄付する。  呼びかけたのは、谷川さんのほか、辻井喬、大岡信、吉増剛造、北川透、高橋睦郎、佐々木幹郎、平田俊子、野村喜和夫の各氏。  寄金は、郵便振替口座00180・4・8121思潮社あて。通信欄に「四川大地震救援寄金」と明記のこと。  また、被災者への呼びかけや地震災害をテーマとした詩と散文を募集する。詩は10行まで、散文は200字まで。募集期間は寄金と同じ。思潮社編集部で編集の上、中国語訳をつけた小冊子を中国側に手渡す計画という。問い合わせ・送付先は〒112・0014東京都文京区関口1の8の6の203、思潮社「四川大地震義捐(ぎえん)の会」事務局(03・3267・8141)。 URL:http://www.asahi.com/national/update/0529/TKY200805290287.html *0515 三島由紀夫賞に田中慎弥さん「切れた鎖」 山本賞に2氏 [朝日] 2008年05月15日19時44分  第21回三島由紀夫賞・山本周五郎賞(新潮文芸振興会)の選考会が15日、東京都内のホテルで開かれ、三島賞は田中慎弥さん(35)の「切れた鎖」(新潮社)、山本賞は今野敏さん(52)の「果断 隠蔽捜査2」(新潮社)と伊坂幸太郎さん(36)の「ゴールデンスランバー」(新潮社)に決まった。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/0515/TKY200805150253.html *0509 阪大名誉教授の伏見康治さん死去 原子力の平和利用推進 [朝日] 2008年05月09日18時54分  元日本学術会議会長で大阪大名誉教授の原子核物理学者、伏見康治(ふしみ・こうじ)さんが、8日午後8時17分、老衰のため横浜市内の病院で死去した。98歳だった。通夜は12日午後6時、葬儀は13日午前11時30分から横浜市港北区菊名2の1の5の妙蓮寺斎場で。喪主は長女康子さん。  1909年名古屋市生まれ。33年東京大理学部卒。40年大阪大教授、61年名古屋大プラズマ研究所長に就任する。  原子核物理の専門家として、原子力の平和利用を推進した。54年、中曽根康弘衆院議員(当時)らが、急きょ原子炉製造のための修正予算案を提出したのに対し、一晩で原子力憲章草案を書き上げる。案を受けた日本学術会議は、民主、自主、公開の原子力三原則をまとめ、55年の原子力基本法に盛り込まれた。  83年から参院議員(公明)を1期務め、故湯川秀樹氏らが結成した「世界平和アピール七人委員会」の委員として、核兵器廃絶と原子力の平和利用を訴える活動に携わった。折り紙が趣味で、著書に「折り紙の幾何学」がある。 URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/0509/TKY200805090215.html *0508 伊藤整文学賞に荻野、穂村の両氏 [朝日] 2008年05月08日22時13分  第19回伊藤整文学賞(伊藤整文学賞の会など主催)の選考会が8日、東京都内で開かれ、小説部門に荻野アンナ氏の「蟹と彼と私」(集英社)、評論部門に穂村弘氏の「短歌の友人」(河出書房新社)が選ばれた。副賞100万円。贈呈式は6月13日午後5時半、北海道小樽市の小樽グランドホテルで。 URL:http://www.asahi.com/culture/update/0508/TKY200805080288.html *0419 民俗学者の吉野裕子さん死去 [朝日] 2008年04月19日21時33分  50歳から独学で研究を始め、タブーを破る新説を次々と打ち出した民俗学者、吉野裕子(よしの・ひろこ)さんが18日、心不全のため奈良市内の病院で死去した。91歳だった。葬儀は故人の遺志で行わない。お別れの会を予定しているが、日時・会場は未定。自宅は奈良市大宮町。  東京都出身。女子学習院卒。津田塾大学を卒業後、英語教師を経て主婦をしていた。50歳のとき、習っていた日本舞踊の扇に関心を持ち、独学で研究。最初の著作「扇」(70年)で「日本の祭事に使われる扇は男の性を象徴している」、「蛇」(79年)では「日本民族は縄文時代から蛇を祖先神として信仰している」と大胆な説を唱え、「在野の民俗学者」として注目を集めた。蛇信仰と並んで、古代中国の哲学、陰陽五行の考え方をもとに研究を進めた。  95年に東京から奈良市へ転居。生前、「素人の晩学だったからこそ、学界の既成概念にとらわれなかった」と話していた。昨年1月から「吉野裕子全集」(人文書院)が発行され、最終の12巻の発行を今年6月に控えていた。 URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/0419/OSK200804190116.html *0410 川端康成文学賞、2氏に [朝日] 2008年04月10日21時11分  優れた短編に贈られる第34回川端康成文学賞(川端康成記念会主催)の選考会が10日、東京都内で開かれ、稲葉真弓氏の「海松(ミル)」(「新潮」07年2月号)と田中慎弥氏の「蛹(さなぎ)」(同8月号)が選ばれた。田中氏は35歳で最年少の同賞受賞となる。副賞100万円。授賞式は6月27日、東京・虎ノ門のホテルオークラで。 URL:http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200804100307.html *0408 小川国夫氏=作家 [読売]  「アポロンの島」をはじめ、簡潔な彫りの深い文体で人間の営みを描いた作家で日本芸術院会員の小川国夫(おがわ・くにお)さんが8日午後1時57分、肺炎のため死去した。80歳だった。告別式の日取りは未定。喪主は妻、綏子(やすこ)さん。  東大在学中、3年間フランスに留学。オートバイで地中海沿岸を旅し、帰国後、同人誌「青銅時代」を創刊。29歳で自伝的青春の書「アポロンの島」を500部自費出版したものの、注文はわずか1冊。しかし8年後に作家の島尾敏雄に絶賛され、注目を集めた。  故郷の静岡県藤枝市に住み、寡作ながら、風土に根ざした手触りの確かな小説を発表。1986年「逸民」で川端康成文学賞、99年には「ハシッシ・ギャング」で読売文学賞を受けた。  「小説が洗練され、人生の重みがなくなるとしたら、文学としては足りません」と語る作家は、19歳でカトリックの洗礼を受けた。「或る聖書」などの作品でも知られ、川端賞の現役選考委員だった。 (2008年4月8日21時55分 読売新聞) URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/obit/news/20080408-OYT1T00622.htm *0406 歌人の前登志夫さん死去 [朝日] 2008年04月06日15時08分  土俗的な生命力にあふれた前衛的な短歌で知られる歌人の前登志夫(まえ・としお、本名前登志晃〈まえ・としあき〉)さんが、5日午後2時30分、肝硬変のため奈良県下市町広橋1971の自宅で死去した。82歳だった。葬儀は家族で行い、後日、前さん主宰の短歌結社「山繭の会」がお別れ会を開く予定。喪主は長男浩輔(ひろすけ)さん。  前川佐美雄に師事し、詩作から転向。山ふかい奈良・吉野の集落に生まれ育ち、父祖伝来の林業に就く傍ら、豊饒(ほうじょう)と神秘に包まれた山と交歓するかのような短歌を詠み続けた。67年に山繭の会を結成し、80年に歌誌「ヤママユ」を創刊。78年から、体調を崩して08年2月に休講するまで、大阪の朝日カルチャーセンターの短歌講座を受け持った。世捨て人を自称し、喧噪(けんそう)に満ちた都市の生活への鋭い批判を込めたエッセーも数多く発表。06年から朝日新聞大阪本社版で「菴(いおり)のけぶり」を連載、08年2月の掲載が最後になった。  78年「縄文紀」で迢空(ちょうくう)賞、93年「鳥獸蟲魚(ちょうじゅうちゅうぎょ)」で斎藤茂吉短歌文学賞、03年「流轉」で現代短歌大賞、05年「鳥總立(とぶさだて)」で日本芸術院賞文芸部門受賞など。同年に日本芸術院会員。      ◇  歌人で朝日歌壇選者の永田和宏さんの話 前さんの歌の一つに、〈山櫻(やまざくら)そのひとつだに伐(き)らざりきいさぎよく山の家棄(す)てざりき〉がある。多くの歌人が東京へ移り住む中で、前さんは故郷の奈良・吉野を捨てず、山住みの暮らしや現代の文明、社会を詠み続けた。いま言っておくべきことはどうしても言っておくという強い気迫を感じる短歌だった。塚本邦雄さんらに続き、関西にとって、全国にとって大きな存在の歌人を失ったことは大変残念だ。桜が最も美しいころに亡くなったのは、まさに西行のようで、いかにも前さんらしい。 URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/0406/OSK200804060024.html *0406 ネグリ氏不在でも講演会大入り 「危機を突破」議論に熱 [朝日] 2008年04月06日11時00分  「おうおう」と陽気なアントニオ・ネグリ氏の声が、国際電話で会場に流れると、拍手がわき起こった。 ネグリ氏不在の中、参加者が車座で語り合ったシンポジウム=東京・上野の東京芸大  3月29日、東大・安田講堂。政治テロに思想的影響を与えたとして有罪・服役した経歴を理由に、土壇場で来日中止となったイタリア人哲学者ネグリ氏の講演会は、本人不在にもかかわらず、約700人を集めた。前後して企画を開いた東京芸大でのべ600人、京大でも400人が参加した。  丁々発止の議論があった。「世界が直面する危機を能動的にとらえ、突破しようとする」(鵜飼哲・一橋大教授)氏への共感。舞踊家の田中泯氏は「(知識人には)階級を解きほぐす言語が必要ではないのか」と迫った。主役抜きでの開催は、問題が逆に深く浮き彫りになると考えた主催者の意図と、聴衆の思いが溶け合う熱気があふれていた。  中止に至る経緯は不可解というしかない。招請元の財団法人国際文化会館によると、来日決定は約1年前。経歴は承知していた。この5年に22カ国を訪ねた氏側は、講演で報酬が発生するならビザが必要かと案じ、パリの日本大使館に問い合わせたが、不要と言われた。  渡航2日前の3月17日になって、外務省が「昨今の状況」を理由にビザ取得を促す。サミット前の入国管理の厳しさを示唆したと、会館側は受け止めた。急きょ申請に動いたが、犯歴ある外国人の入国を認めない入管法が壁に。例外規定を探る時間も限られ、氏側は断念した。  国際文化会館は過去にも「反体制知識人」を招いており、氏の犯歴の件は事前に関係省庁に問い合わせなかったという。会館の準備不足か、省庁間の連携のまずさか、サミット前の締め付けか――。いずれにせよ、日本の人々との対話の機会は奪われた。会館は再度招く意向だが、見通しは定かでない。  近著『未来派左翼』でネグリ氏は、個人がばらばらになって複雑化する時代こそ、私たちは団結するという逆説を述べている。私でも公でもない「共(コモン)」の創出は可能か。重い問いが、私たちの前に残された。(藤生京子) URL:http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200804060041.html *0403 児童文学者の石井桃子さん死去 101歳 [朝日] 2008年04月03日01時17分  「ノンちゃん雲に乗る」などの創作や「クマのプーさん」など数多くの翻訳で知られる児童文学者で、07年度の朝日賞を受けた石井桃子(いしい・ももこ)さんが、2日午後死去した。101歳だった。  埼玉県生まれ。日本女子大英文科卒。文芸春秋に勤めた後、新潮社に移り、「日本少国民文庫」編集に携わった。33年、家族ぐるみで交際のあった犬養毅・元首相宅で、英国児童文学の名作、A・A・ミルンの「クマのプーさん」の原著と出合い、40年に岩波書店から翻訳出版した。  戦争中から構想を立てていた「ノンちゃん雲に乗る」を敗戦後の47年に出版し、ベストセラーに。55年には鰐淵晴子と原節子の主演で映画化された。  50年から岩波書店で「岩波少年文庫」「岩波の子どもの本」シリーズなどの編集を担当。退社後、欧米の児童図書館や児童書出版の実情を学んだ。帰国後、共著による「子どもと文学」(60年)などで日本の児童文学の理論的な発展に貢献した。  また、自宅の一部を開放して、子ども図書館「かつら文庫」を開設。多くの子どもたちに親しまれた。その活動記録「子どもの図書館」(65年)は、子ども文庫の普及に大きな影響を与えた。  54年に児童文学の発展に尽くした功績で菊池寛賞。85年には第1回子ども文庫功労賞。93年には日本芸術院賞を受けた。  他の著書に「山のトムさん」「三月ひなのつき」「幼ものがたり」「児童文学の旅」「幻の朱い実」など。訳書に「ピーターラビットのおはなし」「子どもがはじめてであう本」などがある。99年には「石井桃子集」全7巻(岩波書店)が完結した。 URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/0403/TKY200804020363.html

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