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+沖縄戦終結60周年で記念式典、在沖縄米海兵隊など +硫黄島戦没者追悼式に小泉首相出席 現職首相では初 +終戦60年、沖縄慰霊の日 「平和の礎」に720人追記 +米軍実弾射撃訓練に反対、1万人抗議集会 沖縄・金武町 [朝日] +沖縄戦・集団自決記述で大江氏らを提訴 元軍人と遺族 +米軍ヘリ墜落1年、沖縄で抗議集会 市民ら400人参加 [朝日] +防衛庁前で「人間の鎖」 普天間の辺野古移設反対訴え [朝日] #comment(vsize=2,nsize=20,size=40) *防衛庁前で「人間の鎖」 普天間の辺野古移設反対訴え [朝日] 2005年09月04日18時56分  沖縄の普天間飛行場の即時閉鎖を求める人たち約700人が4日、東京都新宿区の防衛庁前で「人間の鎖」をつくった。「(沖縄県名護市の)辺野古での新基地建設を断念せよ」と何度も叫んだ後、辺野古移設のためのボーリング調査中止などを求める要請書を防衛施設庁職員に手渡した。  沖縄の市民団体「ヘリ基地反対協議会」などが主催。集まった人々は手を取り合い、防衛庁前の通りの歩道で長さ約600メートルの列をつくった。  呼びかけ人の一人で那覇市生まれの上原成信さん(78)=東京都中野区=は「沖縄の軍事基地は飽和状態。日米安保条約を支持する人も、なぜそうなっているのか考えてほしい」と語った。 TITLE:asahi.com: 防衛庁前で「人間の鎖」 普天間の辺野古移設反対訴え - 社会 DATE:2005/09/05 10:37 URL:http://www.asahi.com/national/update/0904/TKY200509040190.html *民主党:沖縄ビジョンを発表 米海兵隊は県外移設も [毎日]  民主党は12日、在沖米軍基地の大幅縮小などを柱とする「民主党沖縄ビジョン」を発表した。普天間飛行場に駐留する米海兵隊について「県外への機能分散をまず模索し、戦略環境の変化を踏まえて、国外への移転を目指す」との方針を打ち出したのが特徴。衆院選のマニフェスト(政権公約)に盛り込む予定。同党は当初、国外移転のみを軸に検討してきたが、現実的な選択肢として国内移転との併記とした。 毎日新聞 2005年8月12日 21時24分 TITLE:MSN-Mainichi INTERACTIVE その他 DATE:2005/08/14 07:39 URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/feature/news/20050813k0000m010099000c.html *米軍ヘリ墜落1年、沖縄で抗議集会 市民ら400人参加 [朝日] 2005年08月13日23時12分  沖縄県宜野湾市の沖縄国際大に米軍ヘリコプターが墜落して丸1年を迎えた13日、同大に隣接する米軍普天間飛行場の第2ゲート前で、市民団体や労組などが抗議集会を開いた。普天間爆音訴訟の原告ら約400人が参加し、基地の早期撤去を訴えた。  集会に参加した伊波洋一市長は「訪米して住宅地に囲まれた基地を写真で見せると、米政府関係者らはみんな『とんでもない』と驚いていた。もはや普天間の危険性は共通理解になっている」と話した。  一方、東京でも「沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック」など、米軍基地に反対する団体のメンバーら約70人が、防衛施設庁前で抗議行動をした。  「この1年、基地の閉鎖を求める市民の声を一切無視し、問題を風化させている」などと訴え、米軍普天間飛行場の閉鎖や名護市への移設中止を訴えた要請書を同庁職員に渡した。 TITLE:asahi.com: 米軍ヘリ墜落1年、沖縄で抗議集会 市民ら400人参加 - 社会 DATE:2005/08/14 07:52 URL:http://www.asahi.com/national/update/0813/TKY200508130237.html *沖縄戦・集団自決記述で大江氏らを提訴 元軍人と遺族 2005年08月05日23時45分  太平洋戦争の沖縄戦で起きた住民の「集団自決」を命令した、などとうその事実を書かれて名誉を傷つけられたとして、大阪府在住の元軍人と遺族が5日、「沖縄ノート」の著者で作家の大江健三郎氏と出版元の岩波書店(東京)を相手取り、総額2000万円の慰謝料と出版差し止めなどを求める訴訟を大阪地裁に起こした。  訴えたのは45年3月の集団自決当時、座間味島の守備隊長だった梅沢裕(ゆたか)さん(88)と、渡嘉敷島の同隊長故赤松嘉次(よしつぐ)さんの弟、秀一さん(72)。  訴状によると、大江氏は「沖縄ノート」で集団自決を取り上げ、梅沢さんらについて、「責任者は今なお、沖縄に向けてなにひとつあがなっていない」「住民に集団自決を強制したと記憶される男」などと書いた。  梅沢さんらは、集団自決は住民の意思によるもので、生存者らが戦後、遺族年金を得るために「軍の命令だった」と証言したのが真相と主張。同書店発行の「太平洋戦争」(家永三郎著)など2冊についても同様の理由で差し止めを求めた。  大江氏は家族を通じ、「訴状が届いていないので詳しいことが分からない」、岩波書店は「見解は裁判で明らかにする」などと談話を出した。 TITLE:asahi.com: 沖縄戦・集団自決記述で大江氏らを提訴 元軍人と遺族 - 社会 DATE:2005/08/06 15:09 URL:http://www.asahi.com/national/update/0805/OSK200508050099.html *米軍実弾射撃訓練に反対、1万人抗議集会 沖縄・金武町 [朝日] 2005年07月19日21時20分 「県民集会」には、家族連れら大勢の人が参加した=19日午後6時30分、沖縄県金武町で  沖縄県金武(きん)町の米海兵隊キャンプ・ハンセンに新たに建設された都市型訓練施設(陸軍複合射撃訓練場)で、米軍が強行した実弾射撃訓練に抗議する超党派の「緊急抗議県民集会」が19日、同町の金武地区公園で開かれた。稲嶺恵一知事のほか、地元住民ら約9500人(主催者発表)が参加。日米両政府に対し、訓練の即時中止を求めて怒りの声を上げた。  県議会と町、町議会、施設に隣接する町伊芸(い・げい)区が主催した。基地問題をめぐって保革の枠を超え、県民ぐるみの抗議集会が開かれるのは、米兵による少女暴行事件に抗議した95年10月の「県民総決起大会」以来だ。この時は約8万5000人が集まった。  集会は午後6時半、キャンプ・ハンセンとフェンスを挟んで隣接する同公園で始まった。  稲嶺恵一知事は「今日訓練場を見て、改めて危険性を認識した。訓練場の使用を中止させ、伊芸区に静かな生活環境を取り戻すために全力を尽くす」と決意を表明した。  儀武剛(ぎぶ・つよし)町長は「訓練強行を断じて許すことはできない。我々の生命、財産を守るべき日本政府はどこを向いているのか」と厳しく批判した。  学生代表らが決意表明をした後、(1)訓練施設の即時閉鎖・撤去(2)伊芸地域の基地を全面撤去、の2点を要求する集会決議を採択した。参加者は集会後、稲嶺知事らを先頭にキャンプ・ハンセンのゲート前まで約300メートルを行進した。  施設から住宅地までの距離は約300メートル、高速道までは約200メートルと近く、伊芸区の住民らは危険性を訴えて反対運動を続けてきた。県議会は8日に抗議決議を可決したが、米軍は12日に初の射撃訓練を強行した。  県議会は20、21の両日、政府などに訓練の中止などを要請する。 TITLE:asahi.com: 米軍実弾射撃訓練に反対、1万人抗議集会 沖縄・金武町 - 社会 DATE:2005/07/19 19:25 URL:http://www.asahi.com/national/update/0719/SEB200507190034.html *終戦60年、沖縄慰霊の日 「平和の礎」に720人追記 2005年06月23日12時55分  太平洋戦争の沖縄戦終結から60年。沖縄は23日、戦争犠牲者を悼む「慰霊の日」を迎えた。激戦地の沖縄本島南部・糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では、小泉首相が出席して沖縄県主催の「沖縄全戦没者追悼式」が開かれた。戦没者らの名前を刻んできた同公園内の「平和の礎(いしじ)」には、新たに国内外の720人が追加刻銘され、総数は23万9801人になった。正午にはサイレンが鳴り響き、県内各地で犠牲者をしのんで黙祷(もくとう)がささげられた。  小泉首相の参列は昨年に続き4度目。18万人余の遺骨が眠る国立沖縄戦没者墓苑で献花をした後、追悼式に出席した。式典には約5200人が参列した。  首相はあいさつで「私たちは二度と悲惨な戦争を経験することがないよう、将来にわたって平和を大切に守っていかなければならない」と述べた。基地削減への期待感が高まっている在日米軍の再編協議に関しては「在日米軍の抑止力を維持しつつ、沖縄をはじめ地元の負担軽減に向けて米政府との協議に臨んでいる」とし、具体的な軽減策や見通しには触れなかった。  稲嶺恵一知事は平和宣言の中で「戦後60年を経たにもかかわらず、沖縄は依然として過重な基地負担を強いられている」とした上で、「こうした現状と過去の体験を厳粛に受け止め、恒久平和の創造に努めることは私たちの責務」と話した。  「礎」に新たに加わったのは、マラリアなどの病気で死んだ人や戦艦大和の乗組員ら県内92人、県外619人。海外では朝鮮半島出身者が3人。うち2人は9年ぶりに在日韓国人遺族からの直接申請だった。台湾出身の6人も含まれている。  最初の刻銘から10年がたったが、戦没期間と区域の対象が前回拡大されたことが浸透し、追加刻銘としては2番目に多い数になった。  「慰霊の日」は旧日本軍の組織的抵抗が終わった日として、県が独自の休日として定めている。 TITLE:asahi.com: 終戦60年、沖縄慰霊の日 「平和の礎」に720人追記 - 社会 DATE:2005/06/22 10:59 URL:http://www.asahi.com/national/update/0623/SEB200506230013.html *硫黄島戦没者追悼式に小泉首相出席 現職首相では初 2005年06月19日19時47分  小泉首相は19日、太平洋戦争の激戦地として知られる小笠原諸島の硫黄島(東京都小笠原村)を訪れ、「硫黄島戦没者追悼式」に出席した。現職首相の訪問は戦後60年で初めて。首相は、遺族38人を含めた約100人の出席者とともに、2万8千人にものぼる戦死した日米両軍将兵の霊を慰めた。  追悼式は、改修工事が終わった「硫黄島戦没者の碑」のそばで行われた。首相は「悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、世界各国との友好関係を一層発展させ、国際社会の一員として、世界の恒久平和の確立に積極的に貢献してまいります」とあいさつ。尾辻厚生労働相も戦没者や遺族の心情を踏まえ、「悲痛の思いが胸に迫るのを禁じ得ない」と述べた。  遺族を代表して広島県の松村信子さん(86)が戦没者に対し、「故国と家族とを夢見ながら遠く離れたこの孤島で無念に世を去られた。心情をおもうとき、計り知れない深い悲しみにおそわれる」と語りかけた。  硫黄島は、東京都心から南南東に1250キロ離れた約22平方キロの島。終戦後も米軍占領下に置かれ、68年に返還された。52年以降延べ58回の遺骨収集が行われ、計約8500柱が見つかった。天皇皇后両陛下は94年、同島を訪れている。  参加者は、両軍が死闘を展開した摺鉢山(すりばちやま)や、米軍が「君を失うのは惜しい」と投降を呼びかけたとされる馬術の五輪金メダリスト、故西竹一氏をしのぶ「西大佐戦死の碑」などを巡拝した。  小泉首相は巡拝後、記者団に「二度と戦争はやってはならないと強く思った。米国はもちろん各国と、対立より和解が良いのだと示していかなきゃならない」と述べた。  首相は5月30日、千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)であった拝礼式に02年5月以来、3年ぶりに出席。硫黄島訪問に続き、今月23日には沖縄全戦没者追悼式にも出席する方針だ。 TITLE:asahi.com: 硫黄島戦没者追悼式に小泉首相出席 現職首相では初 - 政治 DATE:2005/06/19 11:22 URL:http://www.asahi.com/politics/update/0619/002.html *沖縄戦終結60周年で記念式典、在沖縄米海兵隊など  在沖縄米海兵隊などは17日、キャンプ瑞慶覧(同県北谷町など)で沖縄戦終結60周年記念式典を開催、沖縄戦に参加した退役軍人や遺族ら約300人が参加した。  沖縄県からは牧野浩隆副知事や外務省沖縄事務所の宮本雄二大使らのほか、自衛隊員が出席。  在沖縄米軍トップのロバート・ブラックマン司令官(中将)は「究極の犠牲を払った日米双方の式典」とあいさつ。  日米の国旗掲揚、国歌演奏の後、海兵隊を退役したウィリアム・マカラック元准将が沖縄戦での犠牲者を追悼する盾に花輪をささげた。  19歳で沖縄戦に参加し3人の戦友を失った元海兵隊員のエドワード・ウルゼダウスキさん(79)は「当時は双方とも生きることに必死だった。憎しみなどない。終戦後初めて沖縄に来られて感激している」と語った。また現役の海兵隊員は「父親が沖縄戦で歩いた道を毎日たどっている」と話した。  沖縄戦では米軍人1万2000人以上、沖縄県民の4人に1人が死亡、日米両国での犠牲者は20万人以上とされる。〔共同〕 (13:17) TITLE:NIKKEI NET:社会 ニュース DATE:2005/06/16 13:39 URL:http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20050617STXKF016517062005.html
#contents *0818 第2次琉球大事件:51年ぶり処分撤回「米の圧力だった」 [毎日] 米国統治下の1956年8月、反米活動を理由に琉球大学生7人が退学・謹慎処分となった「第2次琉球大事件」で、同大は17日、「米国の圧力を受けたもので不当だった」として7人の処分を取り消し、岩政輝男学長が元学生たちに直接謝罪した。元学生たちは51年後の名誉回復に複雑な表情だった。  事件は、沖縄の米軍用地料の一括払いを勧告した「プライス勧告」に反対し、56年8月にあった琉球大学生による初のデモで中心的役割を果たしたとして、男子学生6人が退学に、女子学生1人が謹慎となった。  琉球大同窓会は05年4月、「処分は反米活動の広がりを恐れた米国民政府の圧力によるもので不当だった」として処分取り消しを大学に要請。同大教授が06年、米国民政府の圧力を裏付ける資料を米国で見つけ、大学が調査委員会を設けて元学生らに事情を聴いていた。「当時の学長から『不本意ながら処分する。許してくれ』と言われた」などの証言があり、処分の取り消しを決めた。  大学は17日、処分取り消しの伝達式を大学内で開き、元学生3人が出席した。3人のうち、当時学生会長だった那覇市古島の古我知(こがち)勇さん(75)は「デモは当時の警察署長からもほめられるほど、整然としていた。処分取り消しには感謝の念もあるが、もっと早くできなかったのかとの思いもある」と胸の内を明かした。  退学処分になった6人のうち、5人は琉球大が本土の大学へ転学させ、1人は処分の3カ月後に復学させている。1人は04年に亡くなった。  この事件に先立つ53年4月には、学内民主化を求める運動をした学生4人を大学が謹慎処分にした「第1次琉球大事件」が起きている。【三森輝久】 毎日新聞 2007年8月18日 2時03分 (最終更新時間 8月18日 2時28分) URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070818k0000m040158000c.html *1123 沖縄県知事選、負けていたら特措法も…防衛長官明かす [読売]  久間防衛長官は23日、長崎市のホテルで講演し、沖縄県の米海兵隊普天間飛行場移設について、「知事選に負けたらどういう手でやるか、その時は法律を作り、一方的に県知事の権限を国に移してでもやらないといけないと思っていた。負けたら力づくでもやるという腹を持っていた」と述べた。  19日の知事選で与党推薦候補が敗れれば、代替施設建設に向け、公有水面埋め立てに関する知事の許認可権を国に移す特別措置法の制定を目指す考えだったことを明かしたものだ。  久間長官は「(知事選の勝利を信じて)沖縄に賭けてよかった。知事の意向を聞き、うまく調整しながらやっていく」と強調した。 (2006年11月23日19時43分 読売新聞) URL:http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061123i112.htm?from=main1 *[[●沖縄06Ⅰ]] より続く

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