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◎平和をつくるための本棚06Ⅳ - (2008/06/05 (木) 13:05:59) のソース

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*「正しい戦争」という思想●山内進
[掲載]2006年05月28日
[評者]山下範久(北海道大学助教授・歴史社会学)

 「正しい戦争」というフレーズだけで、拒絶反応を示される向きもあるかもしれないが、本書は、戦争の正当化や、まして美化を意図した作品ではない。むしろその逆である。

 本書を貫くのは、「正しい戦争」がありうる可能性を議論の正面に据えることで、二つの極端な立場を相対化する姿勢である。すなわち、一方の立場はすべての戦争を悪だとする絶対平和主義であり、他方の立場は戦争を利害だけで評価し、倫理的な正しさを問題としない「現実主義」である。なるほど両者はともに、眼前の戦争をめぐってしばしば喧(やかま)しく主張されるが、多くの場合に思考停止に陥りがちである。

 それに対して本書は、「正戦」や「聖戦」を称する戦争を前に、それが本当に正しい戦争であるのかと不断に問うための批判的枠組みとして「正しい戦争」を論ずる理論的・歴史的基礎を提供する。その問いかけこそが、普遍的価値や超越的価値に訴える戦争の言説がますます氾濫(はんらん)する今日において、より有効に戦争を抑止することにつながるからだ。

 憲法改正や在日米軍再編の論議が進むなか、広く読まれるに値する一書である。
出版社: 勁草書房 
ISBN: 4326450789 
価格: ¥ 2,940 
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200605300342.html

*陰謀国家アメリカの石油戦争●スティーブン・ペレティエ
[掲載]2006年05月07日
[評者]酒井啓子(東京外国語大学教授・中東現代政治)

 無知、無責任、非人道的、でたらめ、ナンセンス、おとり商法……と、アメリカの中東政策をクソミソにこき下ろした本書が面白いのは、反戦家や人権活動家の筆によるのではなくて、米中央情報局(CIA)上級分析官を務め陸軍大学でも教鞭(きょうべん)を執った、中東専門家が書いた点だ。

 石油のため、軍産複合体のため、自己欺瞞(ぎまん)に満ちた戦争をアメリカが中東に仕掛けたとの視点は、アメリカに振り回されたイラクのクルドを分析した四半世紀前の著作『クルド民族』から一貫している。イラン・イラク戦争以降つぶさに現地を見てきた著者ならではの情報は、重みがある。

 宗教勢力が中東の混乱の原因ではないし、サダム・フセインはイラクの高度成長を実現したし、イランの民族自決は理のあることだった。近年全く逆に喧伝(けんでん)されるこれらの事象は、70年代以降の中東を知っていれば当たり前の事実だ。自らの知識の蓄積を無視され失策が続くことに、ベテラン情報官たる著者は、憤懣(ふんまん)やる方ない。

 特にアメリカが、何でもイランのせいにすることの間違いを、繰り返し非難する。イランが脅威だと主張する今のブッシュ政権への、強烈なダメ出しだ。

    ◇

 荒井雅子訳
出版社: ビジネス社 
ISBN: 4828412638 
価格: ¥ 1,785 
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200605090291.html

*幻滅の資本主義●伊藤誠
[掲載]2006年05月07日
[評者]高橋伸彰(立命館大学教授・日本経済論)

 本書は著名なマルクス経済学者が、古希を迎えるに際して自ら編んだ論文集である。収録論文11のうち八つは01年以降に発表された新作であり、全体を貫く視点も資本主義の「逆流」と言われる新自由主義と、「グローバリゼーションの内実」に関する「批判的分析」と、刺激的だ。マルクスの理論や資本主義の歴史にくわえ、日本経済の現状にも関心を抱いてきた著者ならではの洞察の結晶と言える。

 著者はすでに過去の著作で、第2次世界大戦後の高成長をリードしたケインズ主義を「一定の歴史的文脈のもとで外見的成功を収めていたにすぎない」(『現代の資本主義』)と総括し、崩壊した社会主義についても「働く人びとを社会の主人公とする」理念が「ソ連型社会で十分実現されていなかった」(『現代の社会主義』)と批判している。各種の経済主義に重層的な幻滅を表明してきた著者が、本書で小泉構造改革が依拠する新自由主義にメスを入れたのは、それが「人間と自然を搾取し、疲弊・荒廃させる」傾向を強めているからだ。

 実際、労働者保護的な法律が次々と緩和される中で、パートや派遣にくわえ女性の深夜労働など企業にとって都合の良い雇用ばかりが増加する一方で、地球温暖化や都市環境の悪化、および生活の安全確保への取り組みには遅れが目立つ。また、累増する財政赤字のツケも多くは経済的強者よりも弱者に回されている。

 足元の景気回復に浮かれ、少子化や人口減少、あるいは年金、医療、教育などへの対応が手遅れになる前に、現在の日本では、良心までもが貨幣で売られるとマルクスが喝破した資本主義に内在する問題の理論的解明が、「強く要請されているのではなかろうか」。著者は、「土地の全人民所有と企業の公有制を基本とする」中国の社会主義市場経済に、環境破壊の防止や経済生活の安定に向けた「重要な学問的・実践的課題がふくまれている」と言う。この一見すると突飛(とっぴ)な指摘に、特定の経済体制(主義)に固執することなく、多様な可能性を求めてきた学者の慧眼(けいがん)が潜んでいるのではないだろうか。

   ◇

 いとう・まこと 36年生まれ。国学院大教授。経済学。著書に『信用と恐慌』など。
出版社: 大月書店 
ISBN: 4272111132 
価格: ¥ 2,520 
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200605090302.html

*感染爆発―鳥インフルエンザの脅威●マイク・デイヴィス
[掲載]2006年05月07日
[評者]山下範久(北海道大学助教授・歴史社会学)

 本書は、鳥インフルエンザの脅威を、医学的・技術的な観点にとどまらず、社会的・経済的・政治的構造の観点から、現下のグローバリゼーションに必然的にともなうリスクとして描き出した作品である。

 一般に、ヒトに寄生するウイルスにとって、ヒトの数が増えること、ヒト間の接触の種類と量が増えること、そしてそのようなヒトの接触の場が空間的に集中することは、いわば「餌」へのアクセスが増えることを意味している。しかも鳥インフルエンザのように、もともと鳥や豚に感染するウイルスが変異してヒトにも感染するような場合では、その「餌」の文脈には、それらの動物(とりわけ家畜)も含まれる。つまりグローバリゼーションにともなう人口爆発、ヒトの移動の激化、(特に第三世界のスラム化した)巨大都市の増殖、そして巨大資本によって「合理化」された食肉産業とそれに依存する生活様式の拡大といった現象は、いわば地球を巨大なウイルス培養槽にするようなものなのだ。

 くわえて、鳥インフルエンザがとりわけ危険なのは、そのウイルスがきわめて早い速度で進化するという性質を持つ点である。ウイルスの複製過程がきわめて変異を起こしやすい不安定なものであるうえ、ごくわずかの変異で劇的に感染力や毒性が高まる可能性がいくらでもあるからである。たとえるなら、無数のベンチャー企業が、爆発的なペースでイノベーションと淘汰(とうた)を繰り返すさまに近い。

 これに対して、ワクチンや抗ウイルス薬をつくる製薬企業は、ウイルスほどイノベーションが盛んではない。ウイルスのイノベーションは、生態システムにおける生存の論理だが、製薬企業のイノベーションは、市場システム(それも権力と癒着した巨大企業によって歪(ゆが)められた市場システム)における利潤の論理だからである。

 事態をさらに悪くしているのは、鳥インフルエンザの主要な発生地が集中している東アジア・東南アジア地域において、中国、タイ、インドネシアなど、疫学的監視体制が深刻なまでに貧弱な国が多く、しかもそれら各国の当局に新型インフルエンザの発生を隠蔽(いんぺい)する体質が蔓延(まんえん)していることである。そういった無責任は、ただでさえ急速で危険なウイルスの変異を加速するに任せるまま放置することにほかならず、事が明らかになるころには、事態は、取り返しのつかないことになってしまいかねない。

 著者が拾う専門家の多くの声からは、新型インフルエンザの感染爆発の危険性は、潜在的というより、まだ起こっていないのが不思議なくらいなところにまでいたっていることがわかる。そしてその危険が現実化したとき、最初に、そして集中的に犠牲になるのは、衛生状態・栄養状態の悪い幼児と老人、つまり文字通りの弱者である。

 これまでに多くの問題作をものしてきた著者は、フランスの歴史家フェルナン・ブローデルの影響を公言している。その筆致が暗示するのは、文明の危機、いわば現代のペストとしての鳥インフルエンザである。

   ◇

 柴田裕之・斉藤隆央訳/Mike Davis 46年生まれ。アメリカの社会批評家。著書に『要塞都市LA』など。
出版社: 紀伊國屋書店 
ISBN: 4314010010 
価格: ¥ 1,680 
URL:http://book.asahi.com/review/TKY200605090307.html

*アジアを読む●張競・著
 (みすず書房・2940円)
山崎正和・評
 ◇今に生きる中国文人の精神

 よい書評の条件は三つあると、私はかねて考えている。第一に褒め上手であること、第二に粗筋を巧みに紹介すること、第三に褒めるに値する本を発見することである。張競さんの書評集『アジアを読む』は、驚くべきことに、この三条件をほぼ完全に満たしている。

 順序を逆にして述べれば、まずその博捜ぶりが並みたいていではない。渉猟されたのは一九九八年から二〇〇五年まで、八年間のおもに日本と中国に関する書物であるが、選ばれた数は優に八〇冊を超えている。この分野の新刊にこれほどの良書があったことを知って、私のような読者はまず蒙を啓かれる。

 選ばれた本が褒めるに値することを示すには、当然、その中身を説得的に説明しなければならない。その点について張競さんの技量は群を抜いていて、しばしば書評だけを見てもとの本を読んだような気分にさせられる。辰巳正明の『詩の起原-東アジア文化圏の恋愛詩』の紹介など、丹念で簡明な要約に評者の主題についての見識が滲(にじ)み出ている。

 ウェイリー『袁枚(えんばい)-十八世紀中国の詩人』のような近代古典から、『蛇女の伝説-「白蛇伝」を追って東へ西へ』、『近代中国官民の日本視察』など、文学、歴史の本が関心の中心になるが、『文化大革命に到る道』といった政治史的な題材も忘れられていない。ただその場合も、張競さんの目は文化的な側面に注がれていて、中国では政治的な攻撃がまず文学を武器とし、文学への攻撃の体裁をとって始まるという、比較文化論が紹介される。

 中国現代社会の苛烈な現実を告発した『神樹』を読んでも、評者は物語を克明に追ったうえで、ガルシア=マルケスなどラテン・アメリカ文学との比較も忘れない。都市化する中国の青春小説『上海ベイビー』を読めば、日本の『ベッドタイムアイズ』を想起しながら、原作の文体から日本語訳の質まで評価する。

 亡命中国人の苦難を描いた『ある男の聖書』を評しては、二人称と三人称しか使わない特異な自伝小説として、まずは文芸学的な分析を示したのちに、その技法が現代の「屈原」を描くためにいかに有効かを指摘する。文芸批評の正道だろう。

 こうして張競さんはつねに対象を分析的に読み解き、その結論として著者を暖かく褒める。批評とは評者が他人を借りて自分を誇示する手段ではなく、むしろ著者と読者を仲立ちしながら、ともに知的な共同体を築く仕事だと、この人は知っているからである。

 ちなみにこの書評集は、その独特の編集によってもひと目を惹く。八年間の書評を編年体に集め、一年ごとに一章をたてて、それぞれに年譜風の解説が添えられる。その年々の政治や経済や社会風俗のうちで、めだったものが付記されているのである。印象深いのは記録された事件の切実さと、それを横目に読書に耽(ふけ)る張競さんの態度との対照である。

 たとえば二〇〇一年、9・11事件が勃発して、アメリカはイラク攻撃を決断した。国連が人口爆発を予言する一方、日本では少子化が確実視され、にもかかわらず皮肉にも幼児虐待の報道が跡を絶たない。この過酷な現実を凝視しながら、著者は深く中国の古典やアジアの恋愛詩に没頭しているのである。

 これは書評の歴史的な背景を語るというより、それに惑わされない知識人の内面の強さを語るものではなかろうか。はしなくも感じるのは、日本人より厳しい現実を生き、四千年を閲(けみ)した中国の伝統的な文人の精神である。

毎日新聞 2006年4月30日 東京朝刊
URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/dokusho/news/20060430ddm015070049000c.html

*アフガニスタンから世界を見る●春日孝之・著
 (晶文社・2415円)

 元毎日新聞イスラマバード支局長が、アフガニスタン取材の成果をまとめた。当時の記事を交え、03年まで約7年間を語る。情報源は、タリバン幹部と内戦の裏で暗躍する隣国パキスタンの諜報機関。彼らの話から、米国などの包囲でタリバン政権が餓死者を出すほどに追い込まれ、アルカイダと結束する過程を淡々と描く。一方、映像を禁止したはずの同政権下で、実は映画「タイタニック」が流行していたことなど、庶民生活の思わぬ側面も取材している。

 バーミヤン石仏の爆破直後には、現場に潜入を試みてタリバンに殺されかけた。それでも同時多発テロ後には、彼らの背景を指摘して「タリバンは悪か?」と書く。この記事が、現場と公平さを最重視する筆者の姿勢を象徴しているように思えた。(生)

毎日新聞 2006年4月23日 東京朝刊
URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/dokusho/archive/news/2006/04/23/20060423ddm015070159000c.html

*世界のなかの東アジア●国分良成・編
 (慶応義塾大学出版会・1890円)

 十一人の専門家による多角度からの分析と提言は、ふだんほとんど気付いていないことを想起させ、意表をつかれたところが少なくない。共時的な視点だけでなく、通時的な関係性にも目が行き届いている。

 情報量が多く、中身が濃いわりには、文章がわかりやすくて面白い。しかも、結論を押しつけるのではなく、考える糸口を与えるようになっている。

 東アジアについて語るとき、感情的になりやすい。しかし、本書では情緒性が一切排されている。厄介な問題についても、冷静な検討が行われている。この地域のことを考える際、いったん「東アジア」の外に出て眺める必要がある。書名には編者のそんな思いがこめられているのかもしれない。(競)

毎日新聞 2006年4月23日 東京朝刊
URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/dokusho/archive/news/2006/04/23/20060423ddm015070157000c.html

*戦後日本の防衛政策●中島信吾
出版社:慶応義塾大学出版会
発行:2006年1月
ISBN:476641215X
価格:¥5040 (本体¥4800+税)
「吉田路線」の功罪検証
 42年前、29歳の若き政治学者、高坂正堯が『中央公論』に発表した「宰相吉田茂論」は大きな衝撃を与えた。独善的でワンマンというマイナスイメージのみ強かった吉田の評価は一変し、吉田が選択した道は「吉田路線」として高く評価される契機となった。

 「吉田路線」とは、敗戦からの経済復興を最優先に、防衛費の急激な増加を抑え、日本の防衛をアメリカに依存するというものだった。その「吉田路線」はどのように展開したのか。国内政治の状況や米国の対応、軍事的側面から徹底分析を試みている。

 そこから意外な事実が浮かび上がってくる。高度成長で「吉田路線」の前提条件が崩れ、反吉田の鳩山、岸が政権を担当したにもかかわらず、吉田以上に経済優先政策を選択し、結果的に「吉田路線」を継承したというのだ。

 吉田にとって「吉田路線」は、一貫した哲学に基づくものではなかった。状況に対応するための選択だったが、池田政権になって目指すべき規範としての価値を与えられ、「吉田ドクトリン」へと昇華する。そこには当事者の意図を超えた歴史のダイナミズムがある。

 それでは米国は日本の防衛にどんな方針で臨んだのか。冷戦の進行や国際収支の状況で日本に対する防衛圧力の強弱はあった。ただ、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン政権を通じて「親米日本」になることが望ましいと考え、日本の国内事情や日本人自身のメンタリティーに細心の注意を払って政策立案していた。そのことがよくわかる。

 日本にとってそれ以外の選択肢はなかったにせよ、同盟関係の相手が米国だったことの幸運を思わざるを得なくなる。米国への過度の依存を改めつつ、日本の防衛はどうあるべきなのか、真摯(しんし)に議論する前提として、「吉田路線」の功罪の検証は必須なのであり、本書がそのための大事な一冊であることは疑いない。

 ◇なかじま・しんご=1971年、神奈川県生まれ。防衛庁防衛研究所戦史部教官。

慶応義塾大学出版会 4800円

評者・橋本 五郎(本社編集委員)

(2006年5月1日  読売新聞) 
URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20060501bk06.htm

*ポスト帝国●渡辺啓貴
出版社:駿河台出版社
発行:2006年1月
ISBN:441100366X
価格:¥2940 (本体¥2800+税)
フランスの対米外交描く
 政治・軍事・経済・文化とあらゆる分野におけるアメリカの圧倒的な優位を前にして、もはや「反米」は政策としてはあり得ない。だからといって、「勝ち馬にのる」式の「親米」に終始していてよいのか。本書は、フランスの対米外交の分析を通して、「反米か親米か」という図式を超える日本の新たな外交ビジョンを構想しようという、大変に刺激的な一冊である。

 本書の出発点は、イラク戦争をめぐる国連安保理での米仏のつばぜりあいである。武力行使に対する支持決議を求めた米・英に対し、シラク大統領率いるフランスはこれに頑強に反対し、ついにブッシュ大統領は国連決議なしでの軍事攻撃に踏み切った。現在雇用政策でつまずいた感のあるドビルパン現仏首相も、当時外相として雄弁なアメリカ批判演説を繰り広げ、大喝采(かっさい)を浴びたものである。

 明確なビジョンに支えられたフランスのしたたかな外交戦略を示すことで、著者はなりゆきのままアメリカに追従するかにみえる小泉外交(「なる」外交)を厳しく批判する。だが、その批判はあくまでも政策志向型の建設的な批判であり、世間で流行するいわゆる「帝国」論の抽象的な論調とは一線を画す。

 著者によれば、米仏の対立の根底には、国際秩序についての認識の違いがある。自国の圧倒的優位をもとに一極支配をめざし、単独行動に走りがちなアメリカと、EUを通して世界の多極化を推し進め、多国間協調を志向するフランス。その違いは大きい。さらに本書はフランス外交の特質やその中東政策、またフランスにおける反アメリカ主義の系譜の解明へと分析を深めていく。ドゴールに代表される一見派手なフランス外交の実体は、限られた資源で最大の効果を狙う、かつての「大国」の生き残り戦術であるとされるなど、フランス現代史研究をリードしてきた著者ならではの精彩に富む分析が満載である。

 ◇わたなべ・ひろたか=東京外国語大学教授。著書に『ミッテラン時代のフランス』など。

駿河台出版社 2800円

評者・川出 良枝(東京大学教授)

(2006年4月17日  読売新聞) 
URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20060417bk06.htm

*ナチズムの歴史思想●フランク・ロタール・クロル
出版社:柏書房
発行:2006年2月
ISBN:4760128611
価格:¥5460 (本体¥5200+税)
妖しい“悪女”の素顔
 沢田研二のヒット曲「サムライ」(阿久悠作詞、1978年)は、いまでも記憶に生々しい。ギンギンのイントロのあとに右手を挙げる振りつけや「片手にピストル 心に花束」ではじまる歌詞もさることながら、親衛隊の軍帽、革のサスペンダー、そして鉤(かぎ)十字マークの腕章が鮮烈だった。鉤十字マークが物議を醸し、×印になった。しかし、鉤十字を×にしてぼかしたところでナチカル趣味はひきもきらない。ナチカルは、悪女であればこそ、我にもなくひきよせられてしまう妖(あや)しさに満ちている。

 なるほどナチズムの思想はせいぜいが半学問的な代物である。にもかかわらずではなく、であればこそただならぬ迫真性をもったのではないだろうか。だとしたら、ナチズムの知的貧弱さを嘲(あざけ)るだけではなく、内在的にその思想を腑分(ふわ)けして白日のもとにさらす作業が必要だろう。

 近年、ナチレジームは単頭制ではなく多頭制だったという説が有力である。本書の独自性はそうした多元性がナチのイデオロギーにおいてもみられるとするところにある。かくして五人のナチ指導者、ヒトラー、ローゼンベルク、ダレー、ヒムラー、ゲッベルスの思想がそれぞれに再構成される。

 アーリア人絶対主義といっても、「人種の魂」を措定する形而上(けいじじょう)学的人種論者ローゼンベルクと北方人種=「農民人種」を放浪人種と対置する生物学主義的人種論者ダレーとでは相当異なっている。ゲッベルスにいたっては、人種神話はなく、かわって国民的社会主義が強調されている。内部に立ち入れば、ナチズムは矛盾した志向性に満ちていた。にもかかわらず、ヒトラーの思想はこれらの相違と矛盾を棚上げし、統合する蝶番(ちょうつがい)になりえた。どうしてなのかについては推理小説の種明かしに似ているから、ここでは、ふれないでおこう。本書によって厚化粧以前のナチズムという悪女の歪(ゆが)んだ複数の素顔がはじめて再現されたのである。小野清美・原田一美訳。

 ◇フランク=ロタール・クロル=1959年生まれ。ケムニッツ工科大学教授。

柏書房 5200円

評者・竹内 洋(関西大学教授)

(2006年4月10日  読売新聞) 
URL:http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20060410bk06.htm
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