dunpoo @Wiki内検索 / 「★1956年」で検索した結果

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  • ★1956年
    1955年? から 1957年? へ 小選挙区制法案・教育委員会法改正 1月、吉田茂の後継者として旧自由党を率いてきた緒方竹虎が急死した。当面のライバルがいなくなったことから、4月の自民党臨時大会では、鳩山の総裁就任がすんなりと決まった。 党内基盤を確立した鳩山は悲願の憲法改正を実現しようと、小選挙区制を導入する法案を国会に提出した。さらに、教育委員会を公選制から自治体の首長の任命制に改める新教育委員会法案を提出した。両法案に野党は猛反発、国会外でも反対運動が広がった。結局、小選挙区制は、衆院可決の後審議未了で廃案に、教育委員会法は、本会議場に出動した警官隊に守られて強行採決、可決された。 7月、4回目の参議院選挙があり、自民61、社会49と、社会党が善戦して、当面憲法改正に着手することは不可能な状況となった。この参院選には、創価学会が初めて国政に候補者を立て、3名の当...
  • 【超われわれ史】
    ... ★1955年 ★1956年 ★1957年 ★1958年 ★1959年? ★1960年? ★1961年? ★1962年? ★1963年? ★1964年? ★1965年? ★1966年? ★1967年? ★1968年? ★1969年 ★1970年 ★1971年 ★1972年 ★1973年 ★1974年 ★1975年 ★1976年 ★1977年 ★1978年 ★1979年 ★1980年 ★1981年 ★1982年 ★1983年 ★1984年 ★1985年 ★1986年 ★1987年 ★1988年 ★1989年 ★1990年 ★1991年 ★1992年 ★1993年 ★1994年 ★1995年 ★1995年 ★1996年? ★1997年? ★1998年? ★1999年? ...
  • ★1957年
    1956年? から 1958年? へ 1957年 岸内閣始動 1957年 岸内閣始動 石橋の後継首班には岸が指名された。岸は、全閣僚を留任させ、石井光次郎を副総理に招き党内融和を図った。3月の党大会では、対抗馬松村謙三を471票対32票で破り総裁に選ばれた。 岸政権が最初に手がけたのは、防衛力の強化であった。防衛二法(自衛隊法・防衛庁設置法)を改正して自衛隊員1万人の増員を決め、前年7月に設置された国防会議を招集して「国防の基本方針」と「防衛力整備目標」(いわゆる一次防)を策定した。 続いて岸は、戦後首相として初めてアジア諸国の歴訪を行った。5月、ビルマ、インド、パキスタン、セイロン、タイ、台湾を訪れ、主として原水爆実験禁止とアジア開発基金構想を含む経済協力について各国首脳と意見を交わした。 6月には、アメリカを訪問し、アイゼンハワー大統領、ダレス...
  • ★1958年
    ★1957年 から ★1959年? へ 1958年 話し合い解散 1958年 勤評反対闘争 1958年 警職法 1958年 レバノン危機 1958年 アルジェリアの解放戦争 1958年 話し合い解散 58年4月、社会党は内閣不信任案を上程した。採決直前に解散という筋書きが自社の間でできていた。5月22日に行われた総選挙は、自社二大政党下の最初の総選挙であったが、特別な争点のない選挙であった。結果は自民287、社会166、共産1。社会党は得票率35.1%で、大きく得票を伸ばしたものの、伸び悩みという見方がされた(結局社会党は、これ以降の総選挙でこの166議席を上回ることはなかった)。 総選挙後発足した第二次岸内閣は、反主流・吉田系の池田勇人を国務相に取り込み、政治基盤を強化した。 9月、藤山外相がアメリカのダレス国務長官と会談し、日米安保改定交渉で合意した。しかし、自民党...
  • ★1955年
    1954年? から 1956年? へ ★1955年 保守合同 ★1955年 社会党の統一 ★1955年 共産党六全協 ★原水禁運動と基地反対闘争 ★原子力「平和利用」へ態勢固め ★1955年 東西冷戦体制の完成と新しい胎動 ★1955年 保守合同 前年12月に成立した民主党・鳩山内閣は少数与党政権だった。「鳩山ブーム」と言われるほど支持率の高いあいだに総選挙を行い与党の基盤を固めるため、鳩山は衆議院を解散した。鳩山が掲げた公約は、日ソ国交回復と憲法改正であった。鳩山は、民主党・自由党合わせて衆議院で憲法改正決議に必要な3分の2を確保する気でいた。 2月27日に行われた第27回総選挙の結果は、民主党が124議席から185議席に躍進、反対に自由党は180議席から112議席に減少し、第一党の地位が入れ替わっただけだった。左右両派の合同を協議中だった社会党は、両派合わせて156...
  • ★1977年
    ★1976年 から ★1978年 へ 福田内閣の事績 福田内閣の事績 党改革に執念を燃やしす三木を追い落とした自民党議員にも、参院選を控え、党改革なくしては自滅の道をたどるという認識はあった。福田総裁就任早々、自民党大会は、派閥の解消、総裁公選制の導入を決定した。 77年7月の参院選は、自民党の辛勝で、かろうじて与野党逆転は阻止された。 「経済の福田」を自認した福田であったが、77年に不況入りした日本経済は、数度の経済対策にもかかわらず、福田の任期中に浮揚することはなく、三木時代に始まった赤字国債への依存を続けざるを得なかった。
  • ★1975年
    ★1974年 から ★1976年 へ 政治改革・経済改革の挫折 政治改革・経済改革の挫折 74年12月9日発足した三木内閣は、典型的な派閥均衡内閣となった。福田は副総理兼経企庁長官、大平は蔵相。中曽根は幹事長となった。わずかに三木らしさを覗かせたのは、民間からの永井文相の登用であった。 三木は、金権政治打破のために総裁選挙改革・政治資金規正法改正・公職選挙法改正を、また狂乱物価に現われた大企業の横暴を抑制するために独占禁止法の抜本的改正を、政権発足当初の課題とした。 しかし、政治改革の方は党内の抵抗によってかなり骨抜きになってようやく成立、独禁法の方は、野党との修正合意までこぎ着けながら参院で審議未了、廃案となった。 三木は、改革に対する党内の抵抗を和らげ政権を維持するため、党内のタカ派との宥和策も図った。独禁法の再提出を諦めた。現職首相としてはじめて8月15日に靖国...
  • ★1995年
    ★1994年 から ★1996年? へ 阪神淡路大震災 地下鉄サリン事件 戦後50年国会決議と村山談話 阪神淡路大震災 95年1月17日午前5時46分、兵庫県南部の淡路島、阪神地区を中心に、広く近畿圏に及ぶ大地震が発生した。震源は、淡路島北部沖の明石海峡深さ16kmで、M7.3。震度は7に達した。 無数の建物が倒壊し、下敷きになった人びとが犠牲になった。また、地震直後に火災が発生して焼死する人も出た。道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話などのライフラインは寸断されて広範囲において全く機能しなくなり、救出、消火、復旧は困難を極めた。死者は6000人余、負傷者は43,000人余に及び、関東大震災以来の大惨事となった。 政府は被害の実態把握に手間取り、自衛隊の投入などに迅速さを欠いたと後に批判された。 地下鉄サリン事件 95年3月20日午前8時ごろ、東京都内の営団地下鉄...
  • ★1976年
    ★1975年 から ★1977年 へ ロッキード事件と三木おろし 76年選挙と福田内閣の誕生 ロッキード事件と三木おろし 76年2月4日、外電が、ロッキード社副社長コーチャンの米上院外交委員会多国籍企業小委員会での証言を報じた。ロッキード社の日本に対する航空機売り込みのための口利き料が、右翼大物児玉誉士夫と日本での同社の代理店丸紅に渡り、それぞれ小佐野賢治国際興業社主と日本政府関係者に支払われたというのである。 三木は、早速議会で真相究明の決意を表明し、アメリカ政府に、高官名を含む一切の資料の提供を要請した。 6月、丸紅と全日空の最高幹部が相次いで逮捕された。そして7月27日、田中前首相が5億円の収賄容疑で逮捕された。 この間、恐慌を来した自民党政治家の意を受け椎名副総裁は三木の退陣に動き、大平・福田はそれに同調した。さらに田中逮捕後は、田中・大平・福田の三派連合が「...
  • ★1981年
    ★1980年 から ★1982年 へ
  • ★1984年
    ★1983年 から ★1985年 へ 二階堂擁立劇 二階堂擁立劇 第二次中曽根内閣は、大きく田中派に傾斜した内閣であり、それを不満に思っていた鈴木前首相は、中曽根失脚、田中派の分裂を策した。それが84年9月の、田中派の大番頭・二階堂進の擁立劇であった。福田・三木・河本が賛成し、公明党の竹入委員長、民社党の佐々木委員長も同調して、首相指名選挙で勝てる頭数はそろったが、田中の猛烈な反対で二階堂自身が腰砕けになり、中曽根は命脈を保った。
  • ★1985年
    ★1984年 から ★1986年 へ 創政会へ プラザ合意 創政会へ 復権への執念を持つ田中と、最大派閥でありながら総裁候補を出せないことで鬱屈する中派議員の間の溝は深まっていった。田中派議員は、自前の総裁候補として竹下登をかつぐ「創政会」を85年2月に立ち上げた。 田中はこれに激怒した。そのためか、直後、脳梗塞に倒れ、政界復帰は絶望的と伝えられる事態となった。 プラザ合意 レーガン政権は、景気浮揚を図って減税を実施し、その一方で物価上昇を抑えるため、FRBに通貨の供給をしぼらせていた。これによって金利が高騰し、ドル高に結びついた結果、輸出の不振と輸入の増加に見舞われ、財政と貿易の「双子の赤字」に苦しむようになった。特に、日本からの工業製品輸入に悲鳴を上げていた。 1985年9月22日、先進五か国の蔵相と中央銀行総裁が、観光客で賑わうニューヨークの五番街を見下ろ...
  • ★1986年
    ★1985年 から ★1987年 へ 死んだふり解散・総選挙 三大改革と売上税廃案 内需拡大政策 死んだふり解散・総選挙 田中派に支えられ党内基盤の弱かった中曽根だが、審議会を多用して政策をあげさせてそれをトップダウンで採用する改革者的スタイルが国民の一定の支持を受け、85年の政局は奇妙に安定していた。中曽根は、田中という重石がとれたことを機に、解散・総選挙に出て一挙に自らの党内基盤を強化し、翌年9月に切れる総裁任期後の続投を画策した。 おりしも、85年7月に、衆院定数の不均衡が「違憲状態」に達しているという最高裁判決がでて、定数是正が政治課題となっていた。与党も野党も、公選法改正後の周知期間と国会会期を考え合わせると解散は不可能と考え、中曽根も解散の意思を捨てたように見せかけていた。ところが、中曽根は国会閉会後すぐに臨時国会を召集し、本会議前の議院運営委員会の席上、衆院...
  • ★1971年
    ★1970年 から ★1972年 へ 沖縄返還 沖縄返還 71年10月に始まった沖縄国会では、社会党・公明党・民社党は、「核抜き本土並み」は欺瞞であるとして返還協定に反対し、再交渉を求めた。自民党は特別委員会で強行採決。国会空転に続いて院外活動が拡大した。沖縄ではゼネスト、東京では過激派が暴れた。本会議審議に戻るようにとの自民党の説得に対して、公明党が、「非核三原則及び沖縄基地縮小に対する決議案に政府・自民党が賛成するなら」という歩み寄りを示し、民社党がこれに同調。本会議は社共両党欠席で開かれ、返還協定は成立した。沖縄復帰が実現したのは、72年5月12日であった。
  • ★1973年
    ★1972年 から ★1974年 へ 田中内閣失速 田中内閣失速 72年の総選挙での自民党敗北から、田中は、自民党政権の安定のため、小選挙区制導入の必要性を痛感した。彼は猛烈な勢いで選挙制度改革のとりまとめにかかったが、野党は猛反対して、国会審議拒否に出、院外運動を進めた。与党内にも慎重論が出て、結局田中のもくろみは挫折した。空転ばかりのこの国会での法案成立率はさんざんであった。列島改造関係の法案はほとんど通らなかった。73年11月、田中内閣の支持率は22%にまで落ちていた。 狂乱物価のさなか、愛知蔵相の急死をきっかけに田中は内閣を改造、福田に蔵相就任を懇請した。福田は、田中から積極財政政策の転換の約束をとりつけて、蔵相就任を受け、「総需要抑制」へと舵を切った。
  • ★1982年
    ★1981年 から ★1983年 へ 財政再建の行き詰まり 中曽根内閣 財政再建の行き詰まり 行政改革への各省庁の抵抗は激しく、また景気の落ち込みで税の減収もあり、財政再建は難航した。公務員給与の引き上げをめぐっては野党が抵抗、国会審議拒否もあった。生産者米価の引き上げでは与党と土光会長が対立した。81、82年度と続いて政府は歳入欠陥に陥った。 臨調第三次答申(基本答申)は、84年度に赤字国債ゼロという当初目標を棚上げし、また間接税増税を容認するものとなった。また、国鉄、電電、専売の3公社の民営化を提言した。 党内では、田中派の数と影響力が増すにつれ、福田派など非主流派との軋轢も大きくなってきた。 財政再建の行き詰まりと、角福の怨念の闘争の再燃を危惧する鈴木首相は、総裁選を前にした82年10月、突然再選不出馬を表明した。 中曽根内閣 後継総裁選びでは、中曽根総...
  • ★1994年
    ★1993年 から ★1995年 へ 細川内閣の迷走 細川辞任 羽田内閣 自社さ内閣 新進党の誕生 細川内閣の迷走 政治改革関連法案が曲がりなりにも成立し、高い内閣支持率もそのまま維持して二年目に入った94年2月3日の未明、細川は突然記者会見を開き、消費税を福祉目的税に改め税率を3%から7%に引き上げる国民福祉税構想を発表した。 小沢一郎と大蔵事務次官の斎藤次郎の間で練った案であったが、根回しはまったくなされず、武村正義官房長官や与党諸党派の代表でさえ知らされていないことであった。結局翌日、これを撤回することになり、政権がぎくしゃくしただけのことであった。 社会党の村山委員長は、米の市場開放を発表した記者会見も深夜だったことをふまえて、「夜中によう騒ぐ男じゃのう」と皮肉った。 細川辞任 細川は、東京佐川急便から1億円借金していたことが明らかになっていた。本人はこ...
  • ★1987年
    ★1986年 から ★1988年 へ バブル景気へ 竹下新内閣の発足 バブル景気へ 80年代後半、米英では金融制度改革(金利の自由化、銀行・証券の業務規制緩和)と、金融商品の多様化、その売買のコンピュータ化が進み、いわゆる金融革命が起こった。このような変化を象徴するのが、87年10月19日に起こった「ブラックマンデー」である。金利引き上げ懸念からコンピュータ売買で売りが売りを呼び、NY市場で株が大暴落、世界同時株安となった。各国は利下げを続けることでこの影響を早期に克服したため、マネーゲームは世界的に拡大していった。 日本では、内需拡大策のもと、財政と金融両面から景気刺激を続けたことから、マネーサプライが増大していた。内部留保や資金調達手段が多様化した大企業が銀行からの借入を減らしたことから、銀行は住宅専門金融会社(住専)などノンバンクを設立して貸し出し、中小企業の...
  • ★1988年
    ★1987年 から ★1989年 へ 消費税の成立 リクルート事件 天皇下血 消費税の成立 88年1月、竹下首相は初の施政方針演説で税制改革に向けての意欲を表明したが、この国会では、税制改革の本格的審議にはいたらず、7月、いよいよ消費税導入のための臨時国会が召集された。 リクルート事件の追及と絡めて審議拒否で徹底抗戦する社共に対し、公・民両党は委員会、本会議に出席することで自民党に協力した。大幅な会期の延長によって、結局12月24日、社共議員の牛歩戦術による抵抗むなしく、3%消費税導入を含む税制改革6法案は可決成立した。 リクルート事件 88年6月、『朝日新聞』は川崎市の助役が川崎駅前への進出に便宜をはかった見返りとして店頭公開前のリクルートコスモス株を譲渡され、一億円の利益を得ていたと報道した。その後、同様にコスモス株が政官財界にばらまかれたことが明らかになり、...
  • ★1970年
    ★1969年 より ★1971年 へ 70年安保 昭和元禄 公害 70年安保 1970年(昭和45年)6月23日、日米安全保障条約は、自動延長された。新左翼諸党派は、これを絶 対阻止するとして街頭闘争を展開したが、前年の東大闘争鎮圧以来、大学への機動隊導入ー正常化が相次ぎ、新左翼運動の退潮は明らかであった。社共両党も反対を叫んだが、院外の運動では新左翼の動員と過激さに圧倒され、60年安保の時のような院内外の連携した闘争が組めず、結局、国会政治的には、「無風」で安保は延長されてしまった。 昭和元禄 ちまたでは、「人類の進歩と平和」をテーマにした大阪万博が話題となり、半年の期間中、6400万もの観客を集めた。「昭和元禄」=高度成長のユーフォリアは頂点に達していた。新左翼による騒動も、大衆にとってはそれにアクセントを添えるひとつの風俗であった。 公害 そこに影と...
  • ★1983年
    ★1982年 から ★1984年 へ 外交の転換 ロッキード一審判決と83年総選挙 外交の転換 中曽根首相は、83年明け早々に訪韓した。日本の首相として戦後初の公式訪問であった。日韓間は、82年の教科書問題以来ぎくしゃくしていたが、首相は周到に訪韓を準備し、全斗煥大統領との間で「新次元の日韓関係」をうたう共同声明を出し、晩餐会では韓国語でスピーチするなど友好ムードを盛り上げた。 翌週には訪米、「日米は運命共同体」「日本列島を(対ソの)浮沈空母に」と発言。レーガン政権と一体になり東アジアにおける反ソ軍事同盟に積極的に関わる意思を鮮明にした。 ロッキード一審判決と83年総選挙 1983年10月12日、東京地裁は、田中の収賄を認め懲役4年の実刑判決を下した。野党は、田中の議員辞職勧告決議案を提出し、解散を要求した。中曽根首相は、野党と世論に押され、しぶしぶ田中邸を訪問...
  • ★1980年
    ★1979年 から ★1981年 へ 連合政権構想 大平の死と衆参同日選挙 鈴木内閣 連合政権構想 79年の総選挙で自信を深めた公明党と民社党は、同年12月、「中道連合政権構想」の合意に達した。一方、選挙に破れた社会党も公明党とのあいだで政権協議を進めたが、「全野党共闘」すなわち共産党を含めた野党の共闘路線を捨てることを公明党に迫られた、ついに翌80年1月、共産党を排除する形の「社公連合政権構想」に合意した。公明党を扇の要にして、三党は国会対策で共闘し、次の参議院選挙での選挙協力協議を進めていった。 大平の死と衆参同日選挙 40日抗争後も自民党反主流派は党執行部と対立したままだった。そこに、社会党が、臨時国会の会期延長問題から内閣不信任案を持ち出した。反主流派議員の大量欠席によって、不信任案は、社会党もまさかの成立。大平はただちに衆院を解散した。初の衆参同日選挙とな...
  • ★1974年
    ★1973年 から ★1975年 へ 田中退陣、三木政権誕生 田中退陣、三木政権誕生 74年7月の参議院選挙は、与野党逆転もあり得る情勢で、自民党は「自由社会を守れ」と呼号し、金をばらまき、企業に動員をかけた。多数のタレント候補を立てたが、結果はまたもや自民党の敗北であった。自民62、野党は60で、逆転は起こらなかったが、「保革伯仲」時代に突入した。 この敗北を受けて、まず三木が田中の金権体質を批判して副総理を辞任、福田蔵相が後に続いた。8月には、企業ぐるみ選挙・金権選挙批判に懲りた経団連(土光会長)が、自民党への政治献金をやめると発表した。 10月、立花隆執筆の「田中角栄研究 金脈と人脈」を掲載した文藝春秋11月号が発行された。田中のファミリー企業による土地転がしと裏金づくりのからくりを暴いたものだった。反響は意外にも日本のマスコミではなく海外のメディアから上がった。...
  • ★1978年
    ★1977年 から ★1979年 へ 日中平和友好条約 大福戦争 日中平和友好条約 福田政権は、78年8月、懸案であった日中平和友好条約の締結にこぎ着けることができた。 72年の田中内閣による国交回復後も、日本の政界では親台湾派を力が強く、また、反ソを意味する「覇権反対」に中国が同意を求めていることが障害となっていた。調印された条約では、「覇権反対」は明記されたが、「この条約は、第三国との関係に関する各締約国の立場に影響を及ぼすものではない」との文言が加えられた。 78年7月、統幕議長・栗栖弘臣が記者会見で「緊急時の法律のないわが国では、有事の際、自衛隊が超法規的に行動することもありえる」と述べたことで、伯仲国会は大騒ぎとなった。金丸防衛庁長官は、文民統制を破るものとして栗栖を解任し矛先を避けたが、福田は有事立法についての研究を防衛庁に指示した。 大福戦争 大平...
  • ★1969年
    ★1968年? から ★1970年 へ 沖縄返還交渉 沖縄返還交渉 1951年のサンフランシスコ講和条約では、その第3条で、沖縄・奄美大島・小笠原諸島などの地域に対して、日本に主権は存するが、米国が施政権を有することを定めていた。ただし、これらの地域の将来の地位に関しては、条約調印国すべての合意を必要とせず、日米間で協議が可能、という合意がなされていた。1953年に日米間の協議により奄美大島の返還が実現したが、沖縄については、米軍基地の戦略的重要性の観点から、米国は長期保有の意向であった。そして、日本本土の基地が整理縮小されるに伴い、沖縄の基地は拡大していった。 1965年、訪米した佐藤首相はラスク国務長官に対してはじめて沖縄問題に言及した。このときは、ラスクは中国の核実験に触れ、アジアの新たな緊張関係を強調し、返還を問題としなかった。 同年、戦後の首相としてはじめて沖...
  • ★1979年
    ★1978年 から ★1980年 へ 79年総選挙 40日間抗争 79年総選挙 79年4月、東京都知事選で自公民推薦の鈴木俊一が社共の太田薫を破って、12年間の革新都政に終止符を打ち、大阪府知事選では自社公民推薦の岸昌が共産推薦の現職・黒田了一を破った。 意気上がる自民党は、与野伯仲状態から抜け出すために、解散総選挙に打って出た(投票日10月7日)。ところが、期待に反して結果は自民党の前回につづく大敗で、選挙後無所属の10人を入党させてようやく過半数を確保することになった。大平首相は公約として掲げた「財政再建=一般消費税導入」を選挙途中から否定し、それが有権者の不信を買ったのである。 しかし、深刻なのはむしろ社会党であった。 社会党内では76年2月に江田副委員長が公明党書記長・矢野じゅんや、民社党書記長・佐々木良作と「新しい日本の会」をつくり、社公民連合の足場がためを...
  • ★1990年
    ★1989年 から ★1991年 へ 総選挙 バブル崩壊 イラク軍のクエート侵攻 国際貢献 総選挙 自民党が圧勝した前回の衆院選(1986年7月)から四年目を迎えた1990年、任期満了が近づいて、総選挙近しは既定の事実になっていた。世界では、天安門事件、ベルリンの壁崩壊など激動が続いていたが、日本の政界は、海部政権の支持率も比較的高く、奇妙に安定していた。海部首相は、1月24日に衆院を解散、2月28日の総選挙が決まった。 自民党の選挙戦を指揮するのは小沢幹事長である。小沢は、街頭に出て応援演説するよりも、財界など圧力団体を精力的に訪問して支持(とおそらく献金)を訴える動きをとった。 結果は、自民党が18議席減らして275(選挙後公認を含めて286)議席をとって安定多数を確保した。前回がとりすぎたので、まずまずの勝利といえた。野党では、社会党が86から139議席に増やす一...
  • ★1992年
    ★1991年 から ★1993年 へ PKO法 参院選 株も土地も暴落 東京佐川事件、皇民党事件 PKO法 宮沢政権の課題も、海部政権からの積み残しである政治改革と、自衛隊の海外派遣であった。 後者については、90年に国会で流れた「国連平和協力法案」を見直して、「国連平和維持活動協力法案」を91年に海部政権が国会に上程していた。宮沢政権成立後すぐに、衆院で成立したが、継続審議となった。6月、停戦監視などの軍事行動を伴うPKF活動を当面凍結するなどの自・公・民共同修正案が合意され、それに基づいて参院で修正可決となり、再び衆院に送られた。絶対反対の社共両党は牛歩戦術、全衆院議員の辞表提出(社党のみ)、閣僚個々の不信任案提出等で抵抗したが、辞表は議長に受け入れられず、不信任案提出は、与党による全閣僚信任投票で封じられ、万事休す、6月15日に成立した。 成立した「国際連合平和維...
  • ★1989年
    ★1988年 から ★1990年 へ 天皇の死と昭和の終焉 リクルート政局 宇野政権誕生 参議院選挙 海部政権誕生 小沢幹事長 天皇の死と昭和の終焉  89年1月7日午前6時33分、天皇は十二指腸乳頭周囲がんのために87歳で死亡した。ただちに皇太子明仁が即位し、政府は新元号を平成と決定した。 1月24日、大葬が行われ、外国元首ら要人多数が参列する中、63年間つづいた激動の昭和時代は幕を下ろした。 リクルート政局 2月から3月にかけて、江副浩正リクルート会長、真藤恒NTT元会長、加藤孝元労働事務次官らが相次いで逮捕された。国会では、野党がリクルート問題の追及を強め、中曽根元首相の証人喚問を要求、国会は空転し、年度内に予算が成立せず、暫定予算を組んだが、それでも予算成立のめどが立たなかった。ついに、竹下首相本人が、89年4月の3%の消費税導入を見届けてから辞意を表明、...
  • ★1991年
    ★1990年 から ★1992年 へ 湾岸戦争 「貢献」の評価 海部首相の立ち往生 宮沢政権の誕生 宮沢喜一 湾岸戦争 国連決議が示した撤退期限の1月15日が過ぎても、イラク軍はクエートから撤退しなかった。世界は、すでに湾岸に展開している米軍の動きを固唾を飲んで見守っていた。 1月17日、米軍を主力とする多国籍軍は、イラク、クエート爆撃を開始した。作戦は、「砂漠の嵐」と名付けられた。2月23日にはイラクに地上軍を投入、瞬く間にクエート・イラク南部を席巻した。たまらず、フセイン大統領はイラク軍の撤退を表明、27日にブッシュ大統領は勝利宣言を出した。4月3日に国連安保理は湾岸戦争の恒久的停戦決議を採択、5日にイラク政府はそれを正式に受諾した。 米国は、足並みの揃わない国連軍という形でなく、機動性の高い多国籍軍という形をとって戦争を遂行した。また、ハイテク兵器を駆使し、それを...
  • ★1972年
    ★1971年 から ★1973年 へ 佐藤退陣 田中政権誕生 日中国交正常化 日本列島改造論 72年総選挙 狂乱物価 佐藤退陣 1972年1月には日米繊維協定が米国サクラメントで調印された。田中角栄通産相の功績であった。懸案の処理も終わって、佐藤政権の終末を世論も政界も噂し始めた。佐藤政権ではどうにもならないもの、それは日中国交回復の問題だった。 機は徐々に熟しつつあった。70年の末には、超党派の国会議員379人による日中国交回復促進議連が立ち上がり、自民党内の国交回復派も増えて、野党とも連携して佐藤政権に揺さぶりをかけていた。72年の年初には初の超党派議員団が訪中、「国交回復をめざす共同声明」が発表された。 そして、2月21日、佐藤政権にとどめを刺す一撃が米国から放たれた。ニクソン大統領が中国を電撃訪問し、翌日、米中が国交正常化で合意したのであった(上海コミュニケ)。...
  • ★1993年
    ★1992年 から ★1994年 へ 宮沢政権崩壊 第40回衆院選と政権交代 細川 護熙 政治改革法の成立 ウルグアイ・ラウンド 田中角栄死去 1993年 宮沢政権崩壊 金丸事件の捜査から、不正献金事件が続々と上がってきて、PKOに続くもう一つの宮沢政権の宿題である政治改革で、いよいよ政権の尻に火がついてきた。小選挙区制度という方向性に、確実に議席が減る野党はもちろん、与党議員の間にも利害がからんで反対が多かったが、自民党はようやく93年4月に、単純小選挙区制の政治改革法案を提出した。社会・公明両党もそれぞれ小選挙区・比例並立の改革法案を出した。宮沢はテレビ番組で、この年の通常国会で「改革を必ず成し遂げる」と見得を切った。 ところが、梶山幹事長はじめ自民党執行部にまたも先送りの空気が出て、改革法案は廃案の雲行きとなってきたところから、野党は内閣不信任決議案を6月18...
  • ●沖縄
    0818 第2次琉球大事件:51年ぶり処分撤回「米の圧力だった」 [毎日] 1123 沖縄県知事選、負けていたら特措法も…防衛長官明かす [読売] ●沖縄06Ⅰ より続く 0818 第2次琉球大事件:51年ぶり処分撤回「米の圧力だった」 [毎日] 米国統治下の1956年8月、反米活動を理由に琉球大学生7人が退学・謹慎処分となった「第2次琉球大事件」で、同大は17日、「米国の圧力を受けたもので不当だった」として7人の処分を取り消し、岩政輝男学長が元学生たちに直接謝罪した。元学生たちは51年後の名誉回復に複雑な表情だった。  事件は、沖縄の米軍用地料の一括払いを勧告した「プライス勧告」に反対し、56年8月にあった琉球大学生による初のデモで中心的役割を果たしたとして、男子学生6人が退学に、女子学生1人が謹慎となった。  琉球大同窓会は05年4月、「処分は反米活動の広がりを...
  • ■貧困と格差
    ■貧困と格差09 から 150403 子どもの貧困対策基金 民間資金で新設へ 政府 [朝日] 140824 「生活に不満」29%、6年ぶり増…内閣府調査 [読売] 130724 「生活苦しい」4割、収入減も5割…12年調査 [読売] 130619 子どもの貧困対策が成立 年内施行の見通し [朝日] 130217 孤立無業の働き盛り162万人 5年で4割増、就職難響く [東京] 121029 自治体職員、3人に1人「非正規」 低賃金労働広がる [朝日] 121022 日本の富裕層360万人世界2位 資産8千万以上 [東京] 110221 非正社員の割合34%、過去最大に 失業期間は長期化 [朝日] 0324 労働条件の8割違法か 連合がサイトで2.1万件診断 [朝日] 0304 生活保護、130万世帯を突破 厚労省報告 [朝日] 150403 子どもの貧困対策基金 民間資金で新設...
  • ●日本外交11
    ●日本外交08 から 最新の情報は、●日本外交 へ 111219 李大統領「慰安婦問題、優先的に解決を」 日韓首脳会談 [朝日] 111119 日中韓、早期FTA交渉入りを確認 [朝日] 110211 とんがった空気の日ロ外相会談 北方領土問題、進展なし [朝日] 101224 「北方領土はロシア領」大統領発言 2島返還取り下げか [朝日] 101101 ロシア大統領が北方領土訪問 ソ連時代含め初 [朝日] 100920 中国、「閣僚級の交流停止」 漁船長勾留延長で措置 [朝日] 0807 北方領土への人道支援受け入れ停止 ロシア外務省発表 [朝日] 0512 北方4島「あらゆる解決策」協議へ…日露首相が作業加速確認 [読売] 0430 中国に核軍縮求める 日中首脳会談 温首相は靖国に言及 [朝日] 0302 イラク 日本の官民合同代表団が初のバグダッド訪問 [毎日] 111...
  • ◎文化・出版07Ⅰ
    1106 日本翻訳文化賞は『カイエ 1957―1972』に [朝日] 1015 ノーベル経済学賞に米国の3教授 [朝日] 1012 建築家黒川紀章さん死去 参院選にも立候補 73歳 [読売] 1011 ノーベル文学賞、英女性作家ドリス・レッシング氏 [読売] 0923 パントマイム界の巨匠、マルセル・マルソーさん死去 [朝日] 0830 広がる本屋のポイント制 期待と不安が交錯 [朝日] 0830 中央公論文芸賞、角田光代氏「八日目の蝉」に [朝日] 0830 小林秀雄賞に、内田樹氏『私家版・ユダヤ文化論』 [朝日] 0827 谷崎潤一郎賞に青来有一さん [朝日] 0827 川端作品英訳のエドワード・サイデンステッカーさん死去 [朝日] 0818 太宰「人間失格」、人気漫画家の表紙にしたら売れて売れて [読売] 0814 「千の風」ミリオンセラー突破、クラシック歌手で初 [読売] 0816...
  • ●日露関係
    ●日露関係 ラインナップ 1118 日露外相会談:共通課題の「戦略対話」設置で合意 [毎日] 1003 銃撃・拿捕事件の坂下船長、根室港に帰還 [読売] 0906 サハリンのガス田、露が国際開発の停止求め提訴 [読売] 0904 坂下船長を起訴、国境侵犯と密漁の罪で [読売] 0830 漁船39隻の領海侵犯は「事実誤認」 ロシア外相認める [朝日] 0827 ロシア、漁船銃撃 鎌田慧さんに聞く [朝日] 0816 漁船拿捕 露警備艇が銃撃、乗組員1人死亡 貝殻島付近 [毎日] 0615 北方領土 未認知問題、超党派議連が秋の臨時国会で提案へ [毎日] 0327 プーチン大統領、領土問題解決に前向き姿勢 [朝日] 0223 外務省「指摘全くあたらず」 外相発言巡りロシアに反論 [朝日] 北方領土問題で「ヤルタ協定」言及 プーチン大統領 [朝日] 露、領空侵犯認める 「船舶追跡中の国境警...
  • ◎ミュージアムに行きたい
    ◎ミュージアムに行きたい07 より続く 130424 満蒙開拓民たちの軌跡展示 長野・阿智に全国初の記念館 [朝日] 121002 赤れんが駅舎、創建時の威容再び JR東京駅、全面開業 [東京] 111024 法然・親鸞ゆかりのお宝ずらり 東京・上野で特別展 [朝日] 0821 大阪「サントリーミュージアム天保山」が来年末で休館 [朝日] 0422 「世界デジタル図書館」ユネスコなど開設 [朝日] 1024 新薬師寺の巨大な金堂跡出土 奈良時代で最大級 [朝日] 1014 赤ちゃんシャチ生まれたよ!国内初、水族館生まれの親から [読売] 1015 応挙・若冲…江戸の書院、パリに再現 金刀比羅宮展開幕 [朝日] 0724 レノンの手書き歌詞、8900万円で落札 [朝日] 0625 モネ「睡蓮」、86億円で落札 クリスティーズ 0617 ヒトラー寄贈のベンツも展示へ ネパール王宮が博物館...
  • ■公害06Ⅰ
    0611 「水俣病不知火患者会」与党の救済策拒否、訴訟継続へ [読売] 0608 公害被害 救済まだ 総行動30周年、政府に要請 [赤旗] 0604 ディーゼル排ガス 胎児に影響、自閉症発症の可能性 [毎日] 0601 水俣病政治決着「再開」打診へ、与党チームが被害者団体に [朝日] 0526 石綿被害:元従業員ら8人提訴 国相手取った集団訴訟は初 [毎日] 0523 石綿工場 健診の住民、17%病変 奈良「ニチアス」周辺 [毎日] 0522 神戸製鋼:データ改ざん NOxなど基準値超えて排出 [毎日] 0521 アスベスト クボタの関連死者が100人超える [毎日] 0514 アスベスト 大阪・泉南地域で被害の8人、国家賠償提訴へ [毎日] 0501 水俣病、公式確認50年…なお3900人認定申請 [読売] 0425 水俣病 確認50年、繰り返さぬ誓い--衆院が決議 [毎日] 0424 ...
  • ■公害05Ⅲ
    ■公害05Ⅱ より コメント アスベスト被害者遺族へ300万円、総合対策を決定 [読売] アスベスト クボタ「補償」 異例の早期決断 [毎日] クボタ、患者・遺族らに謝罪し補償へ アスベスト被害 [朝日] 民間大型建築、石綿露出1万3千棟 国交省まとめ [朝日] アスベスト:公共施設の除去費用 政府が補正予算で補助 [毎日] 政府、石綿救済新法案を公表 [朝日] アスベスト:労働者の遺族に年240万円給付 政府方針 [毎日] アスベスト 被害給付金、全事業者から徴収 政府方針 [毎日] アスベスト新法 遺族に一時金支給など、政府が方針提示 [毎日] 医療改革、厚労省試案に異論続々 与党で議論スタート [朝日] 石綿対策、基本法制定求め署名活動 100万人を目標 [朝日] アスベスト 中皮腫患者、労災対象外も全員救済 環境省 [毎日] アスベスト:労災認定基準見直し 厚労相が正式表明 ...
  • ●靖国問題06Ⅳ
    ●靖国問題06Ⅲ から ●靖国問題 へ 0808 参拝是非から「あり方」論へ 「靖国」新展開 [朝日] 0806 靖国神社の非宗教法人化法案を検討 自民・中川政調会長 [朝日] 0803 靖国参拝、「戦犯外せば容認」3割 日中世論調査 [朝日] 0802 日本遺族会、靖国「分祀」の議論を自民総裁選後に先送り [朝日] 0803 靖国参拝、「戦犯外せば容認」3割 日中世論調査 [朝日] 0802 日本遺族会、靖国「分祀」の議論を自民総裁選後に先送り [朝日] 0730 靖国「遊就館」の戦犯遺書、旧厚生省が収集依頼 [朝日] 0729 合祀、国が仕切り役 都道府県別にノルマ [朝日] 0729 靖国合祀、国主導の原案 「神社が決定」に変更 [朝日] 0727 A級戦犯、広田元首相の遺族 「靖国合祀合意してない」 [朝日] 0725 古賀氏、A級戦犯の分祀に強い意欲 [朝日] 0725 ...
  • ■警察
    1227 携帯電話・傘立てダメ 自転車教則、30年ぶり改正へ [朝日] 1228 交通事故死者が大幅減、51年ぶり6千人台前半へ [読売] 1227 携帯電話・傘立てダメ 自転車教則、30年ぶり改正へ [朝日] 2007年12月27日19時24分  警察庁は27日、自転車の正しい乗り方について教則を本格改正する方針を固めた。改正は来春ごろの予定で、自転車に関する教則の本格改正は78年以来の30年ぶりとなる。自転車が絡む事故は増える傾向にあり、悪質運転対策に取り組む同庁は、携帯電話の使用など最近の通行実態を反映させた禁止・注意事項を新たに加え、運転マナーの向上を図る考えだ。  改正されるのは、自動車や自転車、歩行者が安全に通行するための禁止・注意事項などを定めた「交通の方法に関する教則」。教則は、教育現場などで自転車の安全な乗り方を紹介する教本のもとになっている。6月に成立...
  • ◎文化・出版08Ⅲ
    ◎文化・出版08Ⅱ から ◎文化・出版09Ⅰ? へ 最新の情報は、◎文化・出版 へ 1222 M-1視聴率最高、関西35%・関東23% [朝日] 1222 大佛次郎賞に飯嶋和一氏の「出星前夜」 [朝日] 1219 上田哲氏=元社会党衆院議員 [読売] 1206 加藤周一氏=作家で評論家 [読売] 1214 大佛次郎論壇賞、湯浅誠氏の『反貧困』に [朝日] 1204 山田洋次さんら15人が日本芸術院新会員に [朝日] 1201 大賞に湯浅誠氏 平和・協同ジャーナリスト基金賞 [朝日] 1108 ニュースキャスター・筑紫哲也さん、肺がんで死去 [読売] 1031 上田耕一郎氏:金権腐敗「上田節」で追及 30日死去 [毎日] 名前 ...
  • ◎文化・出版08Ⅱ
    ◎文化・出版08Ⅰ より続く 1103 毎日出版文化賞に橋本治氏ら [朝日] 1029 読売ウイークリー、12月1日発売号で休刊 [朝日] 1014 ノーベル経済学賞、クルーグマン氏 国際貿易で新理論 [朝日] 1009 ノーベル文学賞に仏のル・クレジオさん [朝日] 1007 緒形拳さん死去 71歳 銀幕・TV・舞台…幅広く活躍 [朝日] 1001 優れた評論・吉田秀和賞に片山杜秀氏 [朝日] 0926 国文学者で文化功労者、西郷信綱さんが死去 [朝日] 0928 ポール・ニューマンさん死去 「明日に向って撃て!」 [朝日] 0912 亀山訳「カラマーゾフの兄弟」、ミリオンセラーに [朝日] 0907 訃報:寺内大吉さん 86歳 死去=直木賞作家、増上寺法主 [毎日] 0804 ソルジェニーツィン氏死去 ロシアのノーベル賞作家 [朝日] 0802 笑いと酒の人生、これでいいのだ 赤...
  • ■少子高齢社会
    140508 消滅可能性 自治体半数 2040年20〜39歳女性半減 [毎日] 140131 人口移動 東京圏転入超過9万人 景気回復で大幅増 [毎日] 111021 夫婦の生涯出産数、初めて2人を割る 平均1.96人 [朝日] 110918 65歳以上の高齢者、東京からの転出が最多 [朝日] 101105 生活の豊かさ 日本は世界11位 国連開発計画 [朝日] 0909 介護する側、1割が80歳以上 進む「老老介護」 [朝日] 0731 平均寿命、男性79.19歳、女性は世界一85.99歳 [朝日] 0731 人口3年ぶり増、「自然減」は最多3万人 総務省調査 [朝日] 0416 東京都の人口、28年ぶり全国の10%に [朝日] 0322 07年推計人口、2300人の自然減…1950年以降で初 [読売] 1122 日本の75歳以上、初めて総人口の1割に [読売] 1221 出生率1・26...
  • ■税制06Ⅰ
    ■税制05Ⅱ から ■税制06Ⅱ へ 消費税増税案「07年提出目標に」 谷垣財務相 [朝日] 消費税率上げ「8%までは我慢を」…自民・国対委員長 [読売] 消費税増税、論争は一時休戦 政府税調も当面は「封印」 [朝日] 竹中氏総務相、「消費税率10%も可能」 [朝日] 消費税含め新財源が必要・年金国庫負担増で竹中氏  [日経] 消費税引き上げ「07年度は見送り」 自・公政調会長 [朝日] 与党税制大綱 家計圧迫、増税メニューずらり [毎日] 与党、来年度税制改正大綱を決定・実質増税は2兆円超 [日経] 税源移譲:所得税減税で相殺し増税を回避 住民税増税の層 [毎日] 消費税増税案「07年提出目標に」 谷垣財務相 [朝日] 2006年01月14日11時07分  谷垣財務相は13日午後(日本時間14日午前)、訪問先のワシントンで朝日新聞などのインタビューに応じ、消費税率引き上...
  • ■日本社会
    130417 日本の総人口28万人減る…減少幅過去最大 [読売] 130327 高齢者人口、全都道府県で3割に 2040年の推計値 [朝日] 130314 自殺の原因、「経済・生活」が大幅減 12年の状況分析 [朝日] 130110 刑法犯32年ぶり140万件割れ 10年連続で減少 [東京] 130101 人口自然減、過去最大の21万人 12年の人口動態、厚労省推計 [東京] 130417 日本の総人口28万人減る…減少幅過去最大 [読売]  総務省は16日、日本の総人口が前年より28万4000人減少し、1億2751万5000人(前年比0・22%減)になったとする2012年10月1日現在の人口推計を発表した。  減少幅は比較可能な推計が残る1950年以降で過去最大となる。一方で、65歳以上の高齢者の人口は初めて3000万人を超え、全都道府県で高齢者数が14歳以下の年少者数を...
  • ◎文化・出版
    140226 本を読まない大学生、初めて4割超す…生協調査 [読売] 131210 英作家コリン・ウィルソンさん死去 「アウトサイダー」 [朝日] 131129 堤清二さん、作家・辻井喬としても多くの足跡 [読売] 131102 坂本龍馬の直筆資料など、ネットで公開 宮内庁 [朝日] 130824 民俗学者の谷川健一さん死去 日本人の死生観など探究 [朝日] 130809 考古学者・森浩一さん死去…天皇陵古墳を研究 [読売] 130115 映画監督の大島渚さん死去 「愛のコリーダ」「戦メリ」 [朝日] 121013 丸谷才一さん死去 作家・評論家・英文学者、87歳 [朝日] 121011 ノーベル文学賞に中国の莫言氏 [読売] 1210019 山中教授ノーベル賞 iPS細胞を開発 [東京] 120316 評論家の吉本隆明さん死去 戦後思想に大きな影響 [朝日] 111125 悲運の闘将 ...
  • ■談合06Ⅱ
    ■談合06Ⅱ ■談合06Ⅰ から ■談合06Ⅲ へ 0223 施設庁元審議官ら3人再逮捕、151億円談合主導か [読売] 0221 防衛施設庁談合、元審議官ら3人起訴…土木も詰め捜査 [読売] 0220 防衛施設庁元審議官ら再逮捕へ 岩国基地めぐる談合容疑 [朝日] 防衛施設庁談合:OB隠れみのに談合システムを温存 [毎日] 官製談合関与なら5年以下の懲役刑、与党が改正案合意 [読売] 施設庁談合:歴代の審議官から一斉聴取 東京地検特捜部 [毎日] WTO政府調達協定対象の191件、平均落札率98% [読売] 施設庁談合で全職員アンケート、OBからも聞き取りへ [読売] 防衛施設庁談合 建設・土木、空調、重電 66億円無駄に [毎日] 防衛施設庁談合 審議官が全国に、落札への「便宜」指示 [毎日] 防衛施設庁解体を明言 官製談合事件で額賀長官 [共同] 仕切り役にOB指名、工事配...
  • ■政治のカネ07
    ■政治のカネ06 から ■政治のカネ08Ⅰ? へ 1122 大阪初芝学園、裏金で献金 自民議員・大阪知事に [朝日] 1121 政治資金 必要経費、3億円と試算 全領収書公開で民主 [毎日] 1027 舛添・渡辺氏、不動産なし 会社所有で公開対象外 [朝日] 1024 法改正したのに「抜け道」 政治資金事務所費透明化 [朝日] 1003 民主・渡部氏の政治団体 名義借り、事務所費1.7億円 [朝日] 0928 寄付は過去最低、パーティー収入は最高 06年政治資金 [朝日] 0927 石破防衛相、上限超す寄付 入閣当日に訂正 [朝日] 0923 政党交付金 渡辺金融相、魚住副総務相が「自分」に支払う [毎日] 0919 政党交付金 自民5億円減額、民主は大幅増 参院選受け [朝日] 0920 横領額、3年で1490万円 塩崎前官房長官事務所職員 [朝日] 0915 政党交付金:自民「...
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