「ふぅ……」
 大量の書類に目を通し終え、一段落ついたところで休憩をとることにした。
 軽く伸びをして外を向く。外は小雨が降っており、街を歩く人は傘を差す者、差さぬ者と入り乱れている。
外 は寒いのだろうか。室内には天然室温調整機が居るのでわからない。が、晴れていた昨日と比べると上着を羽織った人が多く見える。きっと、そういうことなのだろう。

 机の上に置いてある人形を手に取る。体の見てくれこそ悪いが、新しく宿った瞳は何とも言えぬ美しさがある。
 今日はどんな服を着せてあげようかしら。気分転換に、私は人形の洋服箱に手をかける。


 人形。そう、昔は私も人形だった。
下 卑た人間たちによる大人の人形遊び。私の人生の半分はその遊びの駒だった。
 鼻をつく異臭、耳を裂く嬌声。焼ける肉の音、刺す冷気の痛み。眼を焼く白い光、時間すら忘れるほどの暗闇。
 大人たちは、私が苦しみを叫べば笑い、私が喜びを浮かべれば哂い、私が助けを乞えば嗤った。
 人形達には何もできなかった。何かをしようとも、糸が無ければ何もできない。意図の切れた人形達はただただ目の前に起こることを受け入れることしかできなかったのだ。

 私が他の人形と比べてどこがよかったのかは分からない。だけど、「他と違って長持ちする」と、評価は高く、長く使われていた。意図が切れていても、切れた糸を繋げてもらえれば、人形は動きだすこともできる。
 ある時、いつもの人形遊びに使われていた時、相手が異様に早く果てることに気付いた。何がきっかけかは分からない。だけど、事の最中に耳元で囁くだけで、相手は快楽の笑みを浮かべる。
 技術だの、相性だのの問題ではなかった、この様子は。以前、私たちに使われた、奇妙な薬と同じ感じ。それを、一言囁くだけで与えられる。
 ……この出来事が、私が人形から人間に成るきっかけだった。


「……なぁ、また支部長が人形いじってるよ。アレ絶対何か企んでる眼だ、げびゃっ!?」
「し、篠原くーん!? どうしてそう言わなくていいこと言っちゃうのー!!」
 部下の一人が休憩を欲しかったようなので、30分ほど眠らせることにする。
 そう、私は人形ではない。一人の人間。身体が未熟であろうと、心が歪になっていようと人間なのだ。ヒトは、人を捨ててはならない。捨てた時点でヒトではなくなるのだ。私は過去の経験と、そこから続く今に、それを学んだ。
 人形から人間に導いてくれたあの人のためにも、私のこの力はヒトを救うために使おう。それが、今人間である私の生き様。

 ……首周りにチリチリとした感覚が走り、それと共にモニターに赤いランプが映る。ワーディングの気配と、巡回部隊がジャームを発見した合図。
 対象は1体、暴走直後、保護可能対象。簡素な情報がモニターにつらつらと打ち出される。
「応援要請ですね。私、行ってきましょうか?」
 エージェントの一人が立ち上がるが、私はそれを制し、
「私が行くわ。事務仕事に疲れてきたところよ。……それと、新人! あなた、まだ実戦経験乏しかったわね? 楽しい新人研修と行きましょうか」
 まだ少年である部下の一人に声をかける。今の私は人を束ねる立場にある。
 一度放したものの、再び掴んだこのヒトという人生。絶対に手放さないし、目の前に手放そうとする者がいるならそれすらも許さない。
 私には、その力があるのだから。

 外は小雨が続いている。傘を差し、携帯をいじくる、新人と同じ年ごろの少年が見える。
 あれが彼らの日常なら、こちら側は私たちの日常なのだ。

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最終更新:2010年10月22日 17:48