私は、ただ普通に過ごしていただけだ。久しぶりに会えたお姉ちゃんと仲良くしていただけのはず。
 それが、何故。どうして、こんな、ことに!?
 今の私は両手足が拘束されて、仰向けに寝かされている。頭は動かせず、まぶたも何かで開いたまま、まばたきが許されない。視界は天井しか見えない。……この天井が、お姉ちゃんの寝室だということを物語っている。
「誰か! 助けて!! お姉ちゃん、どこなの!? 誰かッ!!」
「静香、私はここよ。静かにして頂戴。どれだけ叫んだって周りには聞こえないわよ」
 すぐ近くからお姉ちゃんの声が聞こえる。……顔が動かせない、お姉ちゃんの顔が見えない。
「ああ、可愛いわ。私の静香。私の大事な妹よ。この日をどれだけ夢見たことか」
 ……何を言っているかわからない。大事? この日? 
「お姉ちゃん!? 何を言ってるの、冗談はやめて!!」
 私は必死に抵抗するが、まったく体は動かない。
 お姉ちゃんが私の顔をのぞく。私はぞくりとした。

 何で、いつもの笑顔を、浮かべているの



 ゴールデンウィーク。その名の通りの黄金週間、学校はしばらくお休み。
 私も長い休みをどうしようかと考えていたところに、お姉ちゃんからの連絡があった。
 お姉ちゃんは就職で、都心のほうで一人暮らしをしている。2年ほどになるだろうか。そんなお姉ちゃんから、「こちらのほうに、遊びに来ないか」という連絡があった。

 私のことを想ってくれたお姉ちゃん。「眼の中に入れても痛くない」というほど、私のことを大事にしてくれたお姉ちゃん。いつも一緒にいてくれたお姉ちゃん。お姉ちゃんの笑顔は、私の宝物でもあった。
 怒ることはめったにない。いつも笑顔だったけれど。私にはひときわ明るい笑顔を向けてくれる。この特別な笑顔は、両親にも見せない、私だけが独占している笑顔だった。
 一人暮らしを始めるって言った時、離れることが嫌で、一番反対していたのは私だった。
 泣いて嫌がる私に、お姉ちゃんは約束してくれた。
「たまには帰ってくるし、休みとかになったら私のところに遊びに来てもいいのよ。……だから、泣かないで。私の大好きな静香は、そんなことで泣く子じゃないわ」
 そういって、私を慰めてくれた。いつまでも子供でいちゃダメ、と教えてくれた。
 そんなお姉ちゃんからのお誘い。私が断るはずがなかった。

 大きいビル、大きい駅。たくさんの人。迷子になってしまいそうな都会の喧騒にくらくらしながらも、私は懸命に駅の改札まで進む。
 やっとの思いで見つけた改札で、お姉ちゃんは待っていた。あの時と同じ、私だけに向けてくれる優しい笑顔を浮かべて。
 たくさんの嬉しさと少しの甘え、ほんのちょっとの悲しみ。私は、思わずお姉ちゃんに駆け寄った。
「お姉ちゃんっ!!」
「ちょ、静香……もう、高校生になっても、まだまだ子供ね。……会いたかったわよ」
 胸に飛び込んだ私を、抱きとめてくれた。広がる甘い香りが胸をいっぱいにする。
 お姉ちゃんのぬくもりを存分に味わった後、満面の笑みを浮かべて顔をあげる。それを受け止めてくれるのは。やはり満面の笑みを浮かべたお姉ちゃんの顔。
 やっぱり、私はお姉ちゃんが大好き!!

 広い街をいろいろ見回って、夕方にお姉ちゃんの暮らしてるマンションついた。泊まりの大きい荷物を持ちながらだったので、身体がくたくた。荷物を置いて、ソファーに身体をゆだねる。
 夕ご飯はお姉ちゃんの手造り。久しぶりの手料理に、胸をわくわくさせていた。
 部屋を見渡せば、整えられた家具の中、私たち家族の写真が飾ってあるのを見つけた。その横には、私とお姉ちゃんが一緒に写っている写真。
 私が離れている間も、お姉ちゃんは私のことを忘れていなかった。写真を見て、私のことを想っていてくれたのだろう。胸がいっぱいになるのと、目元が熱くなるのを感じる。

 ご飯を食べた後、一緒にお風呂に入ることになった。私は恥ずかしいからいいよと断ったのだが、「久しぶりに会ったのだから」と、押し切られてしまった。
 先にお風呂に入って、身体を洗いながらドキドキしていた。現実には起こるはずもない妄想が、頭の中をよぎって離れない。ああ、何で私はこんなに緊張しているのだろう!
 頭がぐるぐるしているうちに、お姉ちゃんが入ってきた。一糸纏わぬ、大人の女性の姿。他の女性の身体なんて、体育の着替えの時とかに友達のを見ているから、いつものことのはずなのに。
 ドキドキした心が、破裂してしまいそうな感じ。私はこんなにきれいな女性と、お風呂に入るんだ。
 小さな湯船に、二人はちょっと窮屈だ。お姉ちゃんに誘われてその小さな湯船に入る。そんな狭い中だから、どうしても身体がくっついてしまう。
 今の自分はこのお湯より体温が高くなっているんじゃないだろうか? 向かい合う大好きなお姉ちゃんの顔を見ることができない。こんなに真っ赤になってしまった自分の顔を見られたくない。
 そんな俯いた顔を、お姉ちゃんにくい、とあげさせられてしまう。互いの顔は、吐息がかかるほど近い。
「ねえ、静香。あなたは、私のことが好き?」
 私の眼をまっすぐ見て、聞いてくる。そんなの、答えは決まっている。
「うん。お姉ちゃんのこと、大好きだよ」
「咲、って呼んで。今、このときだけは」
 何を言っているんだろう、おねえちゃんは。わざわざ、そんなふうに。
「はい。わたしは、咲がだいすきです」
 じぃっと、じぃっと。おねえちゃんが、咲がわたしのことをみつめてくる。
「私、咲は静香とずっと居たい。静香は、咲とずっと一緒に居たいですか?」
 あたまがぼうっとしてくる。咲のかおが、ちかくにきているきがする。
「はい。静香は、咲とずっといっしょにいたいです」
 そのことばをきいたら、咲はわたしのかおにちかづいてくる。きれいなかおが、きれいなめがじぃっとわたしをみつめている。わたしとかおがくっつくくらいにちかづいてくる。

 私は恍惚の感情に包まれ、すっと記憶が途切れた。



 この異常事態に、お姉ちゃんはいつもの笑顔を浮かべている。わけがわからない。お姉ちゃんの姿は記憶が途切れる前のままの姿だ。
「そんな顔しないの。可愛い顔が台無しよ?」
 そう言って、私の頬に舌を這わせる。いつもの私だったら、くすぐったさとうれしさで、思わず顔がほころんでしまうだろう。
 でも今は、未知と恐怖の対象でしかない。顔を懸命に動かそうとするが、頭が万力に挟まれているように動かない。
「涙を流すってことは、眼を綺麗にすること。そう、私がこれからすること、なんとなくわかったのかしら? さすがは自慢の妹。そこまでしてくれるだなんて」
「うるさい、しゃべるな。大好きなお姉ちゃんの声で、そんなわけのわからないことを喋るな!」
 何も分からない。どうなってるかわからない。けど、こんなのは私の知ってるお姉ちゃんではない。私はお姉ちゃんの姿をした何かを、口汚く罵る。
 その口を、何かで塞がれる。何で塞がれたかはすぐにわかる。顔が触れ合い、まつ毛がくっつくくらいの近さ。唇の柔らかい感触。
「……ぷあ。さっきしたのと同じ感じだったかしら? 私は、あなたのよく知る大好きな人。秋山咲よ。私の愛する秋山静香」
 身体が震える。舌が痺れて言葉も出ない。何も考えたくない。けど、身体が確かに覚えている感触。目の前の存在を頭で否定しても、身体の記憶が肯定している。
「あなたは私とずっと一緒に居たいと言ってくれた。私は嬉しくってたまらなかった。……だから、一緒にいましょう? あなたのは、いつまでも綺麗に、大事にするわ」
 そう言って、私の目の前に手を伸ばす。……いや、目の前じゃない。私の眼に向かって、その指を伸ばしてくる。

 どれだけ暴れても身体は動かない。目を閉じようとも、まったくまぶたは動かない!
 やめろ、来るな。来るな、来るな!! 誰か、助けて! 誰か! 
――――お姉ちゃんッッ!!








 想像を絶する苦痛の中。ただ声をあげることでしか私は抵抗できない。
 その声も、ただの獣の叫びにしか聞こえない。
 私の残った眼に見えた映像は、取り出したばかりの眼に、いつもの笑顔を浮かべているお姉ちゃん。
 赤とか白とか、よくわからない液体を滴らせ、ぶらぶらと長い紐のようなものをぶら下げている、小さな珠。私だけの笑顔は、今それに向けられている。
 くるりとこちらに顔を向ける。そこにはその表情はない。
 まるで、最後に残しておいたデザートを食べるように、残った私の眼に指を伸ばしてくる。
 私は、感じた。


 あいつは、私のことが好きだったんじゃない。
 あいつの眼には、私の眼しか映っていなかったんだ。

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最終更新:2010年11月03日 01:04