UGN、K市支部。一見普通のマンションに見えるその建物。その地下には、広大な研究施設、訓練施設が存在している。当然、公的機関は知らないし、隣の道路で水道工事をしていてもぶち当たることはない。なんでかって、それが一般人の限界だから。
 1時間の早朝マラソンを終え、下の訓練施設に降りる。朝の稽古は5時から7時、エージェントとして働き出してからの日課だ。
「あ! やっと来たね! 今日こそはぶち倒してあげるよ!」
「やってみろよおっぱい狐。あと、一回倒されてるから俺」
 訓練施設の一室、戦闘管理室。校庭のグラウンドくらいの広さはあり、中で核が爆発しても外に影響はない、と売りの部屋だ。この支部でそこまでぶっぱする奴はいないのでどこまで本当かわからないが、それくらい強固でないとオーヴァードの力に耐えきれないだろう。たぶん、核以上の力を持つ奴とかいるだろうし。マスターレイスの奴とか。
 今までは一人で仮想訓練していたのだが、先日の魔術師の事件でレモンとか言う全裸の女が支部に居着いている。
 レネゲイドビーイングで、あの胡散臭い女の手下と言うけど、よくいえば純粋、普通にいえばバカ。しかし、組み手の相手として力量もちょうどいいので朝の稽古に付きあってもらっている。
「ルール確認。相手がリザレクトしたら終了。もしくはあのモニターから音がなったら終わり。OK?」
「つまりひっ倒すかぶーぶーなってからね! まかせて!」
 訓練中に過度の侵食が感じられた場合、アラームが鳴るようになっている。いわば、頭冷やし装置。自分で分かっていても止められない衝動を、よそに止めてもらうため。……訓練でジャーム化とかシャレならないしな。

「さあ、来な!」
「言われなくてもッ!!」

 恐ろしい勢いで飛び出してくる。ライフルの弾くらいなら掴めるが、さすがにそれ以上は厳しい。だが、一直線なら見切れる!
 一直線だったならッ!
 奴は直前で軌道を変え、フェイントを織り交ぜて近づいてくる。くそ、わかりづれぇ!
 勢いはそのままに、周りを旋回しながらタイミングを窺っている。最初はこの速さにかき回されたが、慣れればそこまでじゃない。
 背後から感じる空気。顔を向けずに背後に力を集中させる。間髪いれず、容赦ない一撃が背中に突き刺さる。
 その一撃は背骨ごとブチ折るつもりの一撃なのだろう。だが、その一撃は俺には浅すぎる。
 服の下は、既に人の体を成してない。人間にはあり得ないほどの強靭な皮膚、腱。キュマイラの力の本領、肉体の変貌。自分の力は多くのそれとは違い、姿はほとんど変わらない。しかし、確実に異形の容貌になる。童話にある鬼のようなゴツゴツとした皮膚を見て、同じ人間と思うやつはいないだろう。
 それはあの狐も同じこと。先ほどまでのおとなしい姿ではなく、凶暴な肉食獣を想わせる風貌に変わり、その眼は相手を打ち倒すことしか考えていない。
 ……狐って、肉食だっけ? 雑食じゃなかったか?
「うおらぁッ!!」
 振りかえりつつ、ポケットから万年筆を取りだし、相手めがけて投げつける。並の万年筆なら俺が握っただけで折れるし、投げても勢いに耐えきれず効果もない。
 羅刹と呼ばれる、キュマイラの中でも並々ならぬ力を持った物でも扱えるよう、特別に設計された万年筆だ。その頑丈さは半端じゃない。
「がぁっ」
 奴の肩を掠め、後ろの壁に突き刺さる。それでも万年筆は少し折れた程度で済んだようだ。うん、怒られない。

 少し勢いを殺したものの、奴の攻撃は止まらない。尋常じゃない速度から繰り出される連撃は少しずつ俺の身体に傷を作っていく。
 その動きにまっすぐ追いつけるはずはない俺はカウンター狙い。奴の攻撃の時に生まれる隙を狙い続けて行く。
 しばらくの膠着、痺れを切らしたのはあちら側。
 より加速し、速度のついた蹴りを俺の腹めがけて飛ばしてくる。
 俺はそれを狙い、脚を受けつつ拳を返そうとした。
 だが!
 直前で足を止め、勢いに乗せて両手を振るう。そこから生まれた”何か”が、俺の顔を切りさく。
 (真空波か何かか、レイかよてめーはッ!!)
 とはいえ、傷は深刻だ。顔左半分が痛すぎてどうしようもない。血で眼も潰れている。喉も切り裂かれ、出血と呼吸困難。放っておけば意識が飛ぶ!
 とりあえず喉を強く押さえる。周囲の筋肉を動かし、傷をふさぐ。応急処置はこれでいい。2か所出血より1か所出血のほうが単純に失血速度は半分だ。
 相手はにやりと口を歪める。倒したと感じた余韻だろう。敵を打ち倒した時の何とも言えぬ喜び。
「それが隙だっつってんだろ!」
 喉が潰れてて声はうまく出ないがそんなことはどうでもいい。その一瞬で近づき、相手の脚をつかみ、素早く振り上げる。
 倒れると思っていた敵の行動に対応できなかったか、その身体は簡単に振り回せた。勢いに任せ、そのまま地面に振り下ろす。
 一度。地面が軽く陥没する。持ち手を通して伝わる感覚、相手の骨が折れる音。
 二度。掴んだ部分が砕け、相手の上半身もひしゃげるのが分かる。
 三度! 今度は下ではなく、壁面目がけ投げつけるッ!!
 全体が揺れるような衝撃。壁面に叩きつけられた異形はずり落ちない。たぶん万年筆に引っかかってる。
 すぐに動く様子もないし、少しずつ砕けた顔が修復されてきている。3勝1敗、今回も俺の勝ちだ。


「あー、篠原君、またすごい怪我してる! こんなになるまでやらないでよ!」
 誰か入ってくる。たぶん宮野だろう。
(ああ、すまねえ、つい夢中になっちゃって)
「何言ってるかわからないよ! あーもう、レモンちゃんもボロボロ!」
 自分ではちゃんと喋れているつもりだが、まったくだめらしい。もうちょっと喉を塞ごう。むぎぎ。
「喉より顔のほうやったげて! 左半分皮はがれて人体模型状態よ!」
 やっべ、思ったより重症だった。


「はい終わり、30分くらいすれば綺麗な顔になるよ」
「ああ、わりーな何回も」
「そう思うならここまで激しくやらないで! 医療用具作って使う側の気持ちにもね」
「訓練訓練。日々の積み重ねが結果に繋がるんだって。俺が戦って、お前は医療の腕上がって。ダブルでいい感じになるから」
「私は傷ついてるの見たくないのー!」
「あーもー悔しいまた負けたー!!」
 前門の宮野、後門の狐状態。ああ、女って何でこうやかましいんだ。宮野はぎゃんぎゃんと騒ぐし、レモンは足をバタバタさせて駄々っ子のように悔しがる。青少年の育成にまずい部分が丸見えだし、揺れてるし、落ちつけ。
「全く、これだから脳筋バカは! ……そうだ、新しい仕事が入ってるのよ。何でも”夜襲”っていうオーヴァードの調査だとか」
「さっそくか。日々の積み重ね、さっそく見せる時だぜー」
「こら! もう少し大人しくしててよー! ちゃんと治らなくてフランケンになっちゃうよ!!」
 適当に言ってさっさと立ち去るに限る、こういうときは。


 実力で言ったらウチの支部では中の下くらいだ、自分の力は。
 けど、守りたいモノがあるから、俺は戦う。

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最終更新:2010年12月21日 09:59