――――シンリィの独白
私の名前はシンリィ。
性別は女、年齢と国籍は……秘密です。
ご主人様――荒島夷隅様に仕えさせていただいている、侍女の一人です。
侍女なのか、メイドなのか、お世話役なのか、実際どれなのかは自分でもわかりません。
ご主人様に仕えられればどれでも構わないので、特に気にしてはおりませんが。
我々の起床は、一般的な日本人に比べればかなり早いのです。なにより、ご主人様が起きていらっしゃる時間に寝ているわけにはいきませんので、とても気を遣っています。
朝起きたら、身なりを整え、仕事着に着替えて朝一番の仕事へと赴きます。
仕事着は、従者になった頃にご主人様から与えられたものです。我々従者一同は、揃ってこの服で仕事をこなします。作業には向きませんが、ご主人様がお選びになった服に文句などあろうはずがございません。私、エグザイルですし。
ご主人様のお食事をご用意する役目は、他の者とローテーションで行っています。
遅れましたが、ご主人様に仕える従者は、私を含めて三人います。
年上のランファンお姉様と、年下のメイリン、私を含めた三人がご主人様の従者です。
今日、ご主人様の朝食を用意するのは私です。ご主人様はどうやら、和食をご所望のご様子。《十徳指》を駆使し、最高の味付けを整えます。ご主人様が口にする食事です、少しのミスも許されません。
ご主人様には「旨かった、ありがとう」とおっしゃっていただけました。身に余る光栄、恐縮の至りです。ちなみに、ご主人様はお姉様の味付けが一番お好みのご様子。流石はお姉様、《無上厨師》と《万能器具》を用いたその腕前は、一流シェフのそれ。私にはとても真似できません。
朝食をとった後、ご主人様は外出されます。それにお付きとしてついていく者もローテーションで、本日は私がそれを担当させていただいております。
外出に使用する車は、ご主人様自慢のエキゾチックカー。レネゲイドに感染しているこの車、美しさ、出力、共に常軌を逸した一品となっております。その気になれば海の上を走れたり、空も飛べたりします。便利ですね。
運転するのは私なのですが、日本で私くらいの外見で車を運転すれば補導されてしまいますので、《擬態の仮面》は必須となります。戸籍はないので、お姉様の《文書偽造》で免許を捏造することも忘れていません
ご主人様が外出する目的とは、コレクションの収集です。
各地で開催されるオークションや博物館を回り、気に入った品を物色されます。たまに裏オークションを回って、レネゲイド関係の品を探すのも、ご主人様のライフワークの一つです。しかし、たまに商談相手が渋る場合もございます。その時は、私の《メンタルインベイション》で言うことを聞いていただきます。当然、対価はお支払いいたしますが。普段はご主人様ご自身がその優れた話術を駆使して商談に望みますが、耳を貸さぬ者やジャームもおりますので、私が前に出ねばならない時もございます。これもご主人様のコレクション充実のため、と思えば罪悪感もわきません。
ご主人様はその振る舞いから、敵を多くお抱えになっています。
ですので、外出の最中に襲撃を受けることもあります。
UGNやFHの中には、ご主人様を消してしまいたいと考える方も少なくありません。
そうして襲撃を受けた時こそ、護衛としての私が機能します。
実際、私よりご主人様の方がお強いので、護衛として私が働く意味は薄いのですが、有象無象のためにご主人様のお手を煩わせることはできません。そういった不届きな輩は、ご主人様に手が届く前に私が処理致します。
帰ればそろそろ、メイリンが昼食を用意している頃ですね。
ところで、ご主人様が執着されているもの、それが“闘争”です。
常に危ない橋を渡られるのも、トラブルを起こしたがるのも、コレクションでさえ、ご主人様が焦がれる“闘争”を楽しむための手段に過ぎません。
その一つとして、ご主人様は意図的に“事件”を起こされます。
手段は様々で、ある組織の情報を別組織に流したり、適当に捕縛したジャームを適当な市に放ったり、曰くつきのコレクションを人に渡したりなどされます。
館に帰った後、ご主人様はお姉様の《第三の瞳》と《ミッドナイトシネマ》で、ご自分で撒いた種がどのような結果になるかを観覧されます。ご主人様は一日の内、この時間をもっとも楽しみにしておられます。ご主人様の楽しみの一つを担えるお姉様には憧憬の念を禁じえませんが、同時に羨望をも抱いてしまいます。悪い従者です。
最近、ご主人様は新しい“玩具”を見つけられ、ご機嫌のご様子。
格好の標的になったのは、UGNのK市支部。強力なオーヴァードを多く抱えたかの支部を、ご主人様はいたくお気に入りのようです。
私が直接拝見した相手といえば、支部長の水橋様や嵐山様などが浮かびますが、確かに通常のオーヴァードとは一線を画す何かを感じました。とはいえ、多分に私見ですので、私めごときには何ら申し上げることなどございませんが。
最近では、成瀬様に“意志ある妖刀”をお渡しした事件が記憶に新しいでしょうか。あの時は水橋様と嵐山様が直接館に乗り込んでいらっしゃいましたね。お二方ともかなりお怒りのご様子でしたが、ご主人様の命ですので早々に退散させていただきました。コレクションに関しましては、お二方が乗り込んで来られる前にお姉様が《折り畳み》ですべて移動させました。《天使の絵の具》も使ったので、お二方にはコレクションが我々と同時に消えたように見えたでしょうね。
逃亡した先で新しい住居が必要になりますが、お姉様の《キングダム》がありますので、ご主人様が衣食住でお困りになることは一切ございません。流石はお姉様、と尊敬の念を禁じえません。
その後は、水城様に人形の情報を流してクーデターを起こさせたり、黒乃様に情報を流したり、レネゲイドビーイングのタロットを萱姫様にお渡ししたり。どれもご主人様の目論見通り、大きな事件になりましたが、K市支部の方々により解決を見ています。水城様の時は私も直接手を出しましたが、さすがはK市支部の皆様はお強く、ランファンお姉様と共に敗北という醜態を晒してしまいました。しかしご主人様にはご満足いただけたようでなによりです。
「……大アルカナの一枚、“ホイール・オブ・フォーチュン”は倒されました。萱姫様もUGNに助けられ、日常生活に戻られた模様です」
「うむ、こちらからも観ていたよ。お前もご苦労だった」
「恐縮です」
現在、椅子に腰掛けたご主人様の背に向かって、“ホイール・オブ・フォーチュン”事件に関する報告を行っております。ご主人様が観劇された事件の報告は日々欠かせません。お姉様の能力で直接見ているとはいえ、事後の様子や相手方の対応など、報告することは多々ございますので。
ああ、そういえば。水橋様と右京様からメッセージをお預かりしておりましたね。お伝えしなくては。
「それと」
「うん?」
「水橋様と右京様から伝言が」
「なにかね」
「水橋様ですが……私ではなく、ご主人様と直接お話したいそうです」
実際にはもっとぶっきらぼうな口調の上に、剣呑な雰囲気でしたが、まあ要点は合っていますし、問題ありません。私の言葉に、ご主人様は「くっくっく」と楽しそうに笑っておいででした。
「案ずることはない。近い内に直接相見えることになろう」
「左様でございますか」
ご主人様はそうおっしゃるならば、問題はないのでしょう。
ああ、そうです、もう一つ。
「それともう一つ、右京様ですが……『女は年齢を重ねて、女として、人として深みが出てきてからが、本当に魅力を備えるもの』とおっしゃっていました。ご主人様にお伝えしろと」
一瞬の沈黙。伝言は義務としてお伝えしましたが、お気を悪くされたでしょうか。しかし、ご主人様はことさら面白そうに笑うだけでした。
「はっはっは……! なるほど、なるほどな。どうも、お前達の年若さが誤解を生んでいるようだ、いや、面白いな。今までそんなことを言ってくる者などいなかった」
「確かに、我々に対して私見を述べてくる者など、いらっしゃいませんでした」
「別に私の嗜好でお前達を使っているわけではないのだが……いや、恐らくはお前達に与えた服が原因か? 一番見栄えのする服を選んだつもりだったのだが……シンリィ、気に入らないなら好きな服を着てもかまわんぞ」
「我々の身命思考に至るまで、すべてはご主人様のもの。ご主人様がお命じになるまで、何一つ変えるつもりはございません」
「それでは意味がないのだがな。まあ、いい」
ご主人様が私に何を期待なさっているのか、凡百極まる私の思慮では図れるはずもございません。
「わかった、もう下がってよい」
「は、では失礼いたします」
役目を終えた私は一礼し、部屋を辞しました。
そのまま去るつもりだったのですが……何故かご主人様のお部屋の扉から、目を離せませんでした。思わず手が伸び、扉に触れてしまいます。
「……私は、ご主人様の従者……道具、コレクションの一つ、それでいい」
たびたび、従者として仕事をこなしている中で、たまにこんな考えが浮かんできてしまうことがあります。
なぜこんなことを考えてしまうのでしょう。
それ以上を求めてしまうなど。
人だからでしょうか、どこまでいっても、人だから。
私は、ご主人様の「大切なもの」になりたい。
こんなことを考える私は、きっと従者にはふさわしくないのでしょう。
ご主人様の思うとおりに働き、ご主人様の求める従者であり続けるためには、この感情は邪魔でしかない。
だから、私はこの先もこの感情に苦しめられる続けるのだろう。
きっと、お姉様も、メイリンも。
ご主人様にすべてを捧げ、ご主人様に「大切」に想ってもらいたい……これらを両立できないという苦しみに悶えながら、生きていくのだろう。
だから、私は仮面をかぶり続ける。
「感情のない人形のような従者」という仮面を。
仮面を演じ続けることで、自らの感情を欺いているという事実から、目を背けながら。
ようやく扉から目を離すと、そこにはランファンお姉様が立っていました。
ただじっと、こちらを見下ろしてきます。
「お姉様」
「ご主人様へのご報告は終わりましたか」
「はい」
短く告げ、頷いてみせました。お姉様も「そうですか」と短く返し、少し沈黙しました。
「シンリィ」
「はい」
「メイリンがケーキを用意したそうです。ご主人様をお呼びしなさい。それと、我々も休憩にしましょう。四人分、用意しているそうですから」
「わかりました」
従者とはいえ、人間ですから、何も食べないわけではありません。
そう言って踵を返すお姉様を見送りつつ、私はご主人様のお部屋を振り返ります。
『女は年齢を重ねて、女として、人として深みが出てきてからが、本当に魅力を備えるもの』
その言葉は、未来を想起させます。
年をとるということは、未来へ、将来へ、結果へ歩んでいくということなのでしょう。
ならば、私も年をとれば、人としての深みを得れば、わかるのでしょうか。
この感情との折り合いのつけ方が。
今はできなくとも、右京様のおっしゃる通り、大人になっていけば、そのうちに。
わかりません、何もわかりません、わかる必要はないのかもしれません。
ただ、今はこれでよいと思います。
お姉様と、メイリンと共に、ご主人様にお仕えするこの日々。
そんな日々に、私は満足しております。
だから、今はこれでよいのだと、思います。
未来、人として成熟した私が、どのような答えを導くか。
今の私には計りようもありませんが、答えを考えながら未来を待つのもいいかも知れません。
そんなことを考えつつ、私はご主人様のお部屋の扉に、手をかけた。
最終更新:2011年03月26日 19:32