――では、今回のミッションについておさらいしよう。
今回特異点化の兆しが見られたのは、西暦1600年の日本。
藤丸君に分かりやすいよう言うなら、東海地方の岐阜県あたりを、中心とした一帯だ。
この時代のこの場所においては、大きな戦争が起きている。
安土・桃山時代の終わり、そして江戸時代の幕開け――天下分け目の関ヶ原だ。
この地でかの徳川家康は、石田三成の一派を打倒し、日本を支配する江戸幕府を築き上げる。
その後日本がどうなったかについては、学校で教わっているはずだよね。
とはいったものの、この介入によって、歴史にどのような変化が起こるのかは、正直なところ不透明だ。
確かに徳川政権下の日本は、鎖国によって外国との接触を制限し、独自の文化を築き上げてきた。
しかしそれが成ったのは、徳川家康の体制から、二代も替わった後の話だ。
あるいは新宿の時のように、それ以上の何らかの変化を、起こそうとする意志がある……のかも、しれないけれどね。
ともあれ、下手人の意図が分からない以上、厄介を強いられることは覚悟した方がいい。
状況は過酷かもしれないが、それでも、成果を期待させてもらうよ。
それでは、レイシフトスタートだ。
頑張ってくれたまえ、藤丸君。
◆
剣戟が聞こえる。鬨の声が響く。
轟咆に込められるものは、闘志か憤怒か。赤く染まる土煙から、響き渡るものは勇気か怨嗟か。
具足の音は絶えることなく。斬撃の音は断ってなお続く。
いざ行け、進め、戦慄の大地を。矢を撃ち落とし、刃を退け、生存と使命を担保にかけて、地獄を踏破し疾走せよ。
この有りようこそ戦である。祈りと怒りと誇りと恨み、全てを煮詰めて坩堝と成した、この灼熱こそ戦場である。
『戦場です、先輩! そこは戦闘の真っ只中! レッドアラート・鉄火場・ナウです!』
「見れば分かるよそんなことぉ!」
そうだ。そうなのだ。
人類最後のマスター・藤丸立香は、目的地へレイシフトした矢先に、その戦場へ放り込まれたのだ。
似たようなことは前にもあった。永続狂気帝国・セプテムの旅も、最初は合戦からのスタートだった。
しかしながら、それにしたって、いきなり戦場のド真ん中に、投げ出されることはなかったはずだ。
オペレーター席のマシュの言葉に、悲鳴のような声を上げながら、立香は生存のためにひたすらに走った。
矢と鉄砲と怒号が飛び交い、血飛沫が乱れ飛ぶ戦乱の最中で、只人たる立香はまさしく、無力だった。
『うーん、しかしこれは妙だね。念のため、本来の合戦場からは、転移座標をずらしていたはずだ。加えて両軍いずれにも、徳川・石田の特徴は見られない』
通信システムの向こうでは、ダ・ヴィンチが首を捻っている。
どうにも今まさに起きているのは、本来の関ヶ原の戦いとは、また異なる戦であるようだ。
赤備えの鎧武者達が、挑む相手は人ではなく、かたかたと骨を鳴らす竜牙兵である。なるほど確かにこの合戦は、まともな戦国時代のそれではない。
『しかしその色で騎馬武者となると、どこかで……』
「どうだっていいよ! とにかく、何とかこの場を切り抜け――」
「貴様、一体何者だ!」
テンパる立香の敗走が、遂に武者達に見咎められた。
武器を構え立ちふさがる鎧に、立香は悲鳴と共に身を竦める。
「怪しい装いだ。さてはランサーの手の者だな!」
「ひっ捕らえよ! 抵抗するなら首を取れ!」
「うわぁあああっ!」
はぐれたサーヴァントの強制転移――駄目だ、命令が間に合わない。
槍と剣とを構えた武者は、ものすごい剣幕でこちらに迫り、今にも斬りかからんとしている。
こんなところで終わるのか。これまで窮地を切り抜けてきたというのに、こんな訳の分からない形で、呆気なく終わってしまうというのか。
サーヴァントでも魔神でもない、どこの誰かも分からない、人間の手にかかって死ぬというのか。
「――ッ!」
しかし、その時だ。
目を瞑らんとしたその直前に、紫の影が躍ったのは。
鋼が響く。刃金が唸る。光輝を放って迸る刃が、迫る赤鉄を次々と切り裂く。
その太刀筋を、知っていた。藤丸立香の前に飛び出し、剛剣を振るう男の姿を、彼は確かに、記憶していた。
「久しいな、藤丸殿。マシュ・キリエライトは息災か?」
「ランスロット……キャメロットの、ランスロットか!」
鈍く光る紫の甲冑。短く切りそろえられた髪。涼やかな顔立ちでありながら、眼光は怜悧に、そして鋭く。
現れたのは円卓最強。かつて第六特異点にて、激しく火花を散らし合い、最後には共に戦った湖の騎士。
セイバーのサーヴァント、ランスロット――この場においては間違いなく、最高の援軍の姿が、そこにはあった。
『第一声でそれですか! ……ああいえ、今はそれどころではなく! 貴方も来ていたんですか、ランスロット卿!』
「うむ、息災で何よりだ」
思わず声を荒げるマシュに、ランスロットが冷静に応じる。英霊の力を失ったとはいえ、奇妙な宿縁は健在ということか。
かつてかの騎士の息子である、サー・ギャラハッドの魂を宿していたマシュは、唯一この男の前では、どうにも感情的になってしまうのだ。
「ともあれ、今はこの場を切り抜けるのが先か。突破するぞ、藤丸殿!」
「ああ、頼む!」
とはいえ、今はそうした些事にも、感慨にも囚われている場合ではない。
一度連携した仲だ。状況を把握してからの、互いの行動は素早かった。
謎の敵対者の姿を認め、襲いかかってくる武者達を前に、ランスロットが聖剣を構える。
湖光、炸裂。快刀乱麻。唸りを上げる『無毀なる湖光(アロンダイト)』が、青き光を剣閃と変えて、赤い鎧を鉄屑と砕いた。
「囲め、囲め! 敵は一人ぞ!」
一騎討ちでは敵わない。この男はそれほどに強い。
僅かな打ち合い斬り合いからでも、それはありありと察せられる。故にこそ赤鎧の軍団は、集団戦法による打倒を選んだ。
されどそれでも未だ足りぬ。そこらの手練は討てたとしても、円卓最強は止められぬ。
「フッ――!」
四方八方から刃が迫れど、空の一点には死角があった。
ランスロットは迷うことなく、蒼天目掛けた跳躍を見せた。
まるで鎧など無いかのごとく、湖の騎士は軽やかに舞う。目標を見失い、友軍とぶつかり、もみくちゃになった鎧武者達の、赤い甲冑をとんと蹴り逃れる。
一箇所に固まった標的に対し、魔力の斬撃波を、一閃。飛燕の刃は彼方の敵を、爆裂と共に吹き飛ばした。
「……!」
そして、敵はそれだけではない。敵の敵は味方ではないのだ。
正体不明の竜牙兵達も、立香の敵となり襲いかかった。無骨で不気味な武器を構えた、髑髏の軍団がその首を狙った。
されど、今なら問題ない。頼もしい味方の背中を見届け、余裕を取り戻した立香ならば、平静を取り戻し戦うことができる。
牙持たぬ彼の、彼なりの刃――絆を育んだサーヴァントを、呼び寄せ使役することによって。
「来い――風魔小太郎ッ!」
赤い令呪が光を放った。強制転移の命令を発した。
瞬間、ちゅどっ――と爆ぜるのは、熱と圧とを伴う爆風。藤丸立香の目の前で、忍の火薬弾が吼える。
灰色の煙の奥底から、躍り出るものは赤毛の戦士だ。されど身軽なその姿は、剣持つ鎧武者のそれではない。
侍の支配の影を疾駆し、戦い続けた異形の戦士――隠密集団・忍者の姿だ。
「せいッ!」
風魔が頭目、名を小太郎。
幼き少年の姿にあれど、研鑽悪辣全てを賭して、磨き上げられた力と技は、微塵の陰りも見せることなく。
クナイを手に取り、鈍く光らせ、骨の継ぎ目と継ぎ目を一撃。バラバラに砕けた竜牙兵から、剣を奪って掴み取ると、次なる標的目掛けて投げる。
電光石火の早業は、さながら闇夜の流星か。立香の言霊に呼応し、駆けつけたアサシンのサーヴァントは、見定めた敵を次から次へと、的確に迅速に打倒していった。
「――ははは! なかなかどうして、やるではないか!」
そして、その時だ。
獅子奮迅の二騎によって、敵の攻勢が崩れ始めた、その時にこそその声が響いた。
中性的。否、このトーンなら女性か。豪快に大笑する声は、遥か頭上から轟いてきた。
慌てて、その場から退く。何がやって来るかと思えば、降ってきたものはなんと馬だ。驚嘆に値する脚力によって、一跳びで乱入してきたのだ。
当然、獣は人語を話さぬ。であれば舞い降りた馬には、言葉を発する主がいる。
「御館様!」
「御館様だぞ!」
侍達が活気づく。もうもうと土煙を立て現れた、乱入者の姿を讃えて叫ぶ。
やはりと言うか、当然というか、馬上の女の姿も鎧だ。両の肩と膝のあたり、合計四ヶ所に備えられた、山吹色の水晶玉が、不思議と目を引く鎧だった。
女性にしては背の高い肢体を、一際剛健な赤備えに包み、存在感をアピールしている。
かと思えば、腿やら胸やら、随所には扇情的な露出も見られた。豪快に開かれた胸元は、くっきりと濃い谷間を築いていた。
「貴殿がこの部隊の長か。惜しいな。敵でなければゆっくりと、語らうことも叶ったのだが」
「死合う相手を口説くとは、くく、よほどの肝かあるいは阿呆か」
この惨状を見る限り、恐らくは前者なのだろうよ。
乱入者は悠然と構えながら、ランスロットを見定めた。
見た目にはアレな部分もあるが、だからといって油断ならない。二本の大角の甲の向こうで、犬歯と金眼を光らせる女は、まごうことなき強敵だ。
大国の神祖、ロムルス王。漆黒の凶王、クー・フー・リン。そして女神ロンゴミニアド。
これまで対峙した強敵達が、等しく発してきた恐るべき王気(オーラ)を、この女武者もまた兼ね備えている。
百獣の王を思わせる、白いたてがみをたなびかせる姿は、後光を発しているかのようだ。
『自重して下さいよ、ランスロット卿。あの方もまたサーヴァントです』
「然り。此度の流儀に沿うならば、ここはライダーと名乗らせてもらおうか」
にやりと笑うその姿は、確かに人のそれではなかった。
カルデアから観測を行っているマシュには、そしてマスターである立香には、目の前の存在がサーヴァントであると、確かに認識することができた。
これだけの気迫、風格である。恐らくはこの日ノ本においても、相当に名の知れた大英雄なのだろう。
それがモニター越しであっても、その恐るべき気配を察知していた、マシュ・キリエライトの推測だった。
「藤丸殿、ここは後ろに……藤丸殿?」
「………」
ああ、しかし。されどしかしだ。
立香には、ついでに小太郎には、それ以上のものが見えていた。
マシュにも、そしてランスロットにも、はたまた恐らくはダ・ヴィンチにすらも、見えていないものが見えていたのだ。
ぎょっと目を見開いた様子で、二人がぱくぱくと口を開く。何と言ったら分からないが、とにかく言いたいことが山ほどある。そういった類の動揺だ。
「うん? どうした、そこの細いの」
そして遂にその様子を、敵すらも不審に思ったのだろう。
気迫も風格も一時引っ込め、怪訝百パーセントといった様子で、ライダーが立香を気遣うように問うた。
「あの……その……ライダー、さん。俺、こんな格好してますけど、その、日本人なんです」
「ふむ、まぁそうだろうな。大陸や半島の者でないなら、必然同郷となるだろうよ」
「ええ、ですからその、知ってるんです。色々と」
「何を」
「有名なんですよ。そのアレとか、ソレとか、本当にもう、色々と」
何からどのように言っていいか。探るように口にする、藤丸立香のすぐ傍で、小太郎がかくかくと小刻みに頷く。
そうだ。有名なのだ、この女は。
ライダーと名乗って名を隠すのが、全く意味をなしていない。どう考えても日本人の前で、その真名を隠そうというのは、無理がありすぎる話なのだ。
何で女だったのかとか、色々疑問は尽きないのだが、それでも思い当たる節ばかりが目立つ。
何せ赤い鎧を纏って、その上馬に跨っている姿は。
巨大な二本角が印象的な上、たてがみまで生やしている兜飾りは。
これは後世には伝わっていないが、目元をバイザーのように覆っている、面当ての彩りが虎柄というのは。
そして何より、何よりも、その鎧の背後ででかでかと、掲げられている軍旗は。
風と林と火と山の、四文字が目立ちまくっているその旗印は――!
「……ああもう! そんな格好してる人は、貴方しかいないんですよ信玄公――――――っ!!!」
◆
真 名 開 放
関ヶ原のライダー
真名
武 田 信 玄
最終更新:2017年10月09日 22:57