人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり。
武田信玄の在り方について、後世の歴史家が語った言葉である。
人を多く殺しもしたが、活かしもしたのが信玄だった。
なればこそ、甲斐の武田軍は、攻めるも守るも一級品の、無敵の軍隊として機能した。
なればこそ、堅固な城を建てずとも、決定的な敗北もなく、戦い続けられたのだろう。
無論、だからと言ってこの言葉が、城の存在自体を無用であると、そう解釈するのが誤用であるのは、今更言うまでもない。
天然の要塞である甲斐の地形を、的確に利用した成果が、不落の躑躅ヶ崎館であるというのは、言うまでもない。
仕掛けの整備を行ったのが、信頼し合える部下であることも、無論、言うまでもないことなのだが。
◆
岐阜の県境を跨いで、隣の県の長野のあたり。
かつて信濃と呼ばれた土地に、武田信玄の居館はあった。
本当ならば、本拠地である、甲斐に陣地を構えたかったそうだが、状況が状況だったために、召喚された土地で妥協したらしい。
「お城を想像してたんですけど、違ったんですね」
「大掛かりな城は手間を要する。おまけに悪目立ちもすると来た。期待に沿えなかったのは悪いが、故にこそ生前に倣わせてもらった」
生前の信玄の本拠・躑躅ヶ崎館は、文字通り天然の要塞であった。
山と川とに四方を囲まれ、的確に仕掛けを備えた館は、大掛かりな壁を要さずとも、攻め込み難い鉄壁を有するに至ったのだという。
まぁ、二回ほどボヤ騒ぎ起こしてるんだがな――とも、本人は苦笑気味に証言していたのだが。
ともあれかくして、藤丸一行は、武田軍との合流の末に、新生躑躅ヶ崎館へと案内されたのだった。
『信濃国には、ここの他にも、松代城というお城もあるそうです。調べたところ、終生のライバル・上杉謙信と、川中島というところで戦うために建造されたのだとか』
『この時代にも残っているのだろうけど、あれは前線基地だからね。こういう本拠地とは、求めるものが、恐らく違っているんだろうさ』
謁見の広間へと通され、小太郎、ランスロットと共に座す立香。
そんな彼に通信を送った、マシュとダ・ヴィンチのやり取りだ。
そうした考え方には、覚えがあった。確かにフランスやローマにおいても、様々な城を巡ったものだ。恐らくその松代城も、同じようなものなのだろう。
世界存亡の危機なんてものは、起きないに越したことはないのだが、こうした歴史観への理解が深まったのは、拾い物の一つなのかもしれない。
「いやぁ、待たせた! 遅くなったな」
そうこう話しているうちに、城の主がやって来た。
赤備えの派手な姿から一変、渋い色合いの着物を纏い、どっかと上座に腰を下ろしたのは、素顔を晒した信玄である。
たてがみで隠れていた地毛は、短めに切られたボーイッシュ・ヘアだ。窮屈なのか、着崩した胸元からは、案の定乳房の谷間が覗いていた。
どのあたりに感心したのかは謎だが、ほぅ、とランスロットが感嘆する。通信からマシュの咳払いが聞こえたので、直後にぴくりと背筋を伸ばす。
そんなやり取りを目の当たりにしてか、共に現れたアグラヴェインの視線は、以前に目の当たりにした時よりも、随分と白けたものに見えた。
そして加えてもう一人、立香とさほど変わらない、少年と呼べる歳の男が一人。彼らが信玄側に着き、三対三で向き合う形で、会談の場は整った。
「さて、改めて武田信玄だ。此度はライダーのサーヴァントとして、この聖杯戦争に当たっておる」
「藤丸立香です。人理を守るカルデアという組織で、サーヴァントのマスターをやってます」
「此奴のことは、もう知っておるのだったか。この時代で見つけたはぐれサーヴァントとやらでな。なんだったか、そう、鉄腕制裁オグラベインという」
「わざと言っているな貴公」
この後一通り、両陣営の、簡単な自己紹介を済ませる。
驚きだったのは、信玄側の残り一人が、かの小早川秀秋だったということだ。
本来あるべき関ヶ原の戦いを、傾けた一因であったと言われている、日本一有名な裏切り者の一人だ。
それ以上のことは知らなかったので、ここまで年若い武将であったというのは、正直なところ、意外だった。
『しかし今に始まったことじゃないが、まさか女性だったとはね』
「女だからと黙っておれぬと、そういう事情があったと思ってくれればよい。男と語り伝えられるのも、まぁ慣れた話ではあるさ。長尾の方が可愛げがあるくらいだからな」
あれはまた見ものだぞ、と、終生のライバルの名を挙げて、信玄はにやにやと下世話に笑った。
長尾景虎――上杉謙信は、そちらにこそ女性説がささやかれていたのだったが、事実は小説より奇なり、と言うべきか、机上の空論と言うのが正しいのか。
『落ち着いたところで、信玄さん。この時代に起きていることについて、詳しく教えていただけないでしょうか』
「そうさな。何から話すべきか……」
言いながら、ちらと信玄が秀秋を見やる。何やら後ろめたいことがあるのか、秀秋は実に不安げな顔だ。
忠義と恩義で板挟みになり、寝返りを即決できなかった秀秋は、とかく優柔不断に見られがちなのだが、実態も小心者だった、ということなのだろうか。
「まず、貴様らの認識から聞きたい。貴様らはこの時代の関ヶ原を、如何様な戦として捉えておる」
「えっと、まず豊臣秀吉が亡くなって……徳川家康と石田三成が、その後の日本の支配権を、争った戦いだったと教わってますけど」
「うむ、まぁその通りのようなんだがな。――そ奴ら二人共、既に死んでおる」
その一言を聞かされた時、立香は耳を疑った。
当事者の二人が、死んでいる?
関ヶ原の戦いの結末が、歪められたというのならまだいい。家康が死んで三成が勝ったとか、そういうのならまだ分かる。
しかし二人共死んだとは、一体どういうことなのだ。
それでは関ヶ原はどうなった。まともに決着はついたのか。あるいはそもそも戦い自体――始まる前から終わっていたのか。
「あるべき関ヶ原は、起こらなかった。そこな小早川の話によるとな。戦が起こるその前に、大将二人が殺されたというのだ」
「あ……あいつだ! お前達と同じ、サーヴァント! 恐ろしき剣士のサーヴァントが、三成様を殺したんだ!」
思い出すのもおぞましいと、身の毛がよだつといった様子で、がたがたと震えながら秀秋が言う。
「そこから先は滅茶苦茶よ。セイバーを現界せしめた聖杯とやらは、わしら残る六騎をも呼び寄せ、新たな戦を起こすよう求めた。聖杯戦争という名のな」
ここまでの話をまとめると、こうだ。
藤丸達がレイシフトする以前に、徳川・石田両名は死亡。関ヶ原の戦いは起きることなく終わった。
その事態を招いた聖杯は、下手人たるセイバーを含めた、七騎のサーヴァントを召喚。
史実とは全く異なる形で、七騎のサーヴァント達による、関ヶ原での戦争を欲したというのだ。
無論、これまでの特異点のように、ランスロットやアグラヴェインなど、例外のはぐれサーヴァントも、同時に現界しているようだが。
「まるでイスラエルの再来だな……」
「三つ巴でなく、七つ巴だ。陣営の数だけを見るならば、あれよりも更に混沌としている」
沈痛な面持ちで呟くランスロットに、アグラヴェインが補足する。
第六特異点たるイスラエルは、立香達が来る前に崩壊していた。
他ならぬ円卓の騎士達が、十字軍を打倒したことによって、歴史の前提を崩してしまったのだ。
そうして打ち立てられたキャメロットと、同時に顕現したエジプトの軍勢、そして地元の暗殺教団による、三つ巴の大混戦こそが、第六特異点の様相である。
無論、ランスロットにとっては、未だ拭い難いトラウマの一つだった。
「そう、これは七つ巴の戦だ。どうも真っ当な聖杯戦争では、こうはならんようなのだがな……我ら七騎は、このわしのように、全員が軍隊を保有しておる」
『軍隊を……ですか? つまりこの聖杯戦争は、大勢対大勢の集団戦……!?』
『はぁ、これはまた本当に滅茶苦茶だね。現代社会で再現すれば、ありとあらゆる勢力図が、開幕と同時に崩壊だ』
これはもう、とんでもない話だ。
科学が台頭する現代においては、神秘は秘匿されなければならない。
故にこそ、かつての聖杯戦争は、サーヴァント七騎のみによる、個人競技として執り行われた。
しかし、誰に憚る必要もない、この特異点もどきの過去世界においては、その大前提が通用しない。
何百何千、何万の兵士が、合計七つの陣営に分かれて、超絶大乱戦を繰り広げているというのだ。
そこもキャメロットとの共通点ではあったが、倍以上の陣営数となると、もう考えるだけで頭痛がしそうになってきた。
「実際、先の戦も我が軍と、ランサーの軍によるものでな。ランサーめを打倒したわしが、敵将討ち取ったりと広め回っておったところで、貴様らに出くわしたというのが真相だったのだ」
「ランサーを!? もう一組目が、脱落しているんですか!?」
立香の問いに、信玄が頷く。
あの時既に、七騎のサーヴァントのうち、一騎がライダーによって討たれていた。
であればこの戦は、残り六騎だ。そしてその討たれた一騎とは、どのようなサーヴァントだったのだ。
「あれはなかなかに難敵であった。見る間に城を建てたかと思えば、やかましい騒音を撒き散らして、我が方の兵達をなぎ倒しておってな」
と、思ったのだが。
しかし実態を耳にした瞬間、疑問は即座に氷解した。
氷解したはしたのだが、これまでの緊迫がどこへやら、思いっきりやるせない気分に襲われることになった。
『あのぅ、先輩、それってひょっとして……』
「何度も出てきて恥ずかしくないのかな、彼女……」
知っている。
そいつの顔は絶対に知っている。
ランサー軍の残党が、竜牙兵で占められていたのも、それを聞いてしまえば納得だった。
これで一体何度目だ。第一特異点にも現れ、第五特異点にも現れた。しかも今度は聖杯に乗せられ、戦争に参加していたのだという。
もう何なんだお前は。何を考えているんだ。まぁ霊基が継続していないのなら、また知らない彼女が現界していたのかもしれないが。
「しかし、アレがよくなかった。竜の娘を自称されては、さすがに黙ってはおれんからな。ついカッとなり『風林火山』を、全て使って叩きのめしてしまった」
『あー……まぁ確かに。越後の龍のことを思えば、同類を名乗られるのはいい気しないだろうね』
越後の龍、というのは言うまでもなく、前述した謙信公のことである。
元より彼の存在がなければ、竜虎相搏つの虎の異名が、信玄のものになることもなかったのだろう。
それほどに執心したライバルなのだ、であればどんな人間であれ、あのランサーに同類ヅラされるのは、たまったものではなかったに違いない。
「ともかく、これで残る敵は五つとなった。セイバー、アーチャー、キャスター、バーサーカー。そしてアサシンの五つの陣だ」
「うむ。我らはこれを打ち倒し、この状況を終わらせねばならん。故にこそ、アグラベインの進言に従い、貴様らをこの館へと招いたのだ」
アグラヴェインの名前を、上手く発音できないというのは、どうやら本当だったらしい。
どこか引っかかりのある呼び方をしながら、信玄は話をまとめにかかる。
要はこういうことを言いたいのだ。人理修復を成し遂げた手腕を、この状況の終結のために貸してほしいと。
「……戦いを終わらせるのが目的なら、聖杯は欲しくはない、ということなんですね?」
なればこそ、問わねばならなかった。微妙な言い回しに突っ込んで触れた。
武田信玄の思惑が、聖杯による人理の転覆であるなら、当然従うことはできない。
しかし信玄は、聖杯を欲しいと、自ら口にすることはなかった。
であるならばと、問うたのだ。自分とお前、二人の目線は、同じ方を向いているのかと。
「無論。願いを叶える万能の器、確かに惹かれるものではある。しかし我が身をも含めた、人の世そのものと引き換えては、本末転倒というものだろう」
即答する信玄の金の瞳は、まっすぐにこちらを見据えていた。
見るだけで分かる。立香にも分かる。何の嘘も偽りもない、本心からの言葉と瞳だ。
こういう目をした英雄達と、立香は何度も出会ってきた。彼らは例外なく高潔であった。だからこそ信じられるのだ。
きっと、手段は違っても、人類を生かそうとしていたアグラヴェインが、同じく彼女を信用したのも、同じ理由だったのだろう。
「主殿」
風魔小太郎が先を促す。ランスロットも無言で頷く。
申し出を断る理由などない。武田信玄は、信用できる。藤丸立香はそう判断した。
「俺が力になれるのなら、喜んで協力させてもらいます」
「成果を期待させてもらうぞ、人理救済の英雄よ」
世界を救ったのは確かだが、未だ本物の英雄達から、そのように呼ばれるのはむず痒い。
それでも、頷くことに対して、迷う気持ちは微塵もなかった。
こうして藤丸立香一行は、ライダー・信玄の陣営に、客将として身を寄せることになる。
本来あるべき聖杯戦争を、大きく逸脱した大いくさ――すなわち、聖杯大戦争。
これまでだってそうだったのだ。であれば、この未曾有の戦いを止めるためには、やはりカルデアだけの力では足りない。
故にこそ、世界を救うための、共同戦線の態勢が、今ここに敷かれたのであった。
最終更新:2017年06月11日 16:00