初めて相対した時のことは、今も確かに覚えている。
調子づいたランサーの小娘を、軽くあしらい追い払ってから、何日か経った後の話だ。
その時、ボクは独りだった。
最初から独りだったのは確かだが、ともかくその時も相変わらず、独りで林の中にいた。
いつになれば終わるのか。どこに行き着けば終われるのか。少し開けた場所の只中、大きな石に腰掛けながら、そんなことを考えていた。
「――貴方ですね。此度の聖杯戦争における、アーチャークラスのサーヴァントは」
その時のことだ。ヤツが姿を現したのは。
音もなく、気付いた時にはたった一人で、ボクの目の前に現れていた、あのセイバーを目の当たりにしたのは。
白い和装に、鎧の女。漆のような黒髪を、風に揺らせたその下で、薄っすらと笑っていた背の高い女。
凛としながらも、儚げに。相反する美しさが共存した姿は、同族の人間共にとっては、さぞや麗しく見えたことだろう。
けれどもどこを見ているのやら、まるで分かったものではない、ふざけた青い眼差しが、癇に障る女の姿だった。
「また来たか。いい加減、そっとしておいてもらいたいんだけどね」
「それは叶わぬ望みというもの」
やれやれ、とボクはため息をつく。くすくす、と女はおかしげに笑う。
「祭りの終わりは二つに一つ。貴方が戦い天を掴むか――貴方が崩折れ、地に沈むか」
刹那、瞳が冷ややかに光った。
瞼を細めた紫の瞳が、ヤツの空色に映り、交わる。
そんなことだろうと、察してはいた。あれだけ派手に暴れたのだ。見逃すことなどとてもできまい。
特に力も勇気も持たぬ、臆病な人間風情にとっては。
「――!」
外套が躍る。金色が煌めく。
振り上げた両腕の裾から、放たれるものは爆裂百光。
天の鎖はその身こそが宝具だ。千変万化する無形の武器こそ、エルキドゥ・タイプの真の姿だ。
遊ぶつもりもない。早々に沈める。両手から放つ無数の鏃が、セイバー目掛けて殺到する。
どどっ――と爆音が弾けた。着弾する黄金は孕んだ力で、草を蹴散らし地をめくり、背後の木々をも薙ぎ倒していく。
その中にあってなお、セイバーは無傷。するりするりと足を運び、抜刀すらせず攻撃をかわす。
まるで亡霊を相手取る心地だ。実体のない影を前にし、もがき手探るような気分だ。
「さすがにこの程度では、浅いかッ!」
その余裕ぶりが癪に障った。
生意気をかましてと憤りを覚えた。
焼け付いた感情は黄金を鍛え、自在にしなるチェーンへと変える。
直線で駄目なら曲線でどうだ。両の手から伸ばした光色の鎖を、しならせ波打つようにセイバーへ放った。
ここでようやく、動きを見せる。くわと瞳を見開くと、剥き出しの腿に力を込め、跳ぶ。
舞い散る緑色の彼方、空に青い光が躍った。すぐさまセイバーは円弧を描き、ボクの視界から消え失せてみせた。
何のことはない。回り込んだだけだ。
ボクには着地の様が見える。たとえ背後であろうとも、敵が天地に連なる限り、大地の加護がその存在を伝える。
「!」
抜刀し、踏み込まんとする敵目掛けて、背後から更なる鎖を放った。
さながら尾のようにのたうつ、三本のチェーンがセイバーを襲った。
並の敵なら必殺のタイミングだ。ランサーならこれで死んだだろう。
それでも女はまだ止まらない。踏み出す足を即座にさばき、横合いに駆けてこれをかわす。
緑翠の大地を涼やかに疾駆し、迫り来る暴風を追い抜いてみせる。
追撃のチェーンも追いつかなかった。足を捕らえんとする連撃は、いずれも紙一重で届かず、虚しく大地を砕きえぐった。
「はぁっ!」
両の手を広げて、敵を狙う。
遂に再び正面へ回り、視線を向け合ったセイバー目掛けて、総計五本の鎖が迫る。
これまでで敵の速度は察した。ならばこの数、この密度ならば、確実に虫けらを叩き落とせる。
今度こそあの忌々しい面を、赤く塗り潰し粉々にしてやれる。
「――『■■■■■■■』」
その、はずだった。
ヤツがあの名を口にするまでは。
その身の宝具が発動するまでは。
「――ッ!?」
目の前の光景が信じられなかった。
できることなら、今であっても、思い出したいとは思えないほどに。
忌み名を唱えた幽玄の武者は、文字通り絶影となって駆けた。
あらゆる力も、あらゆる速さも、その前では意味をなさなかった。
「……オマエは……!」
喉元の冷たさなら、思い出せる。
頬を伝う汗の感触は、嫌というほどに追想できる。
苦々しげに呟いたのと同時に、足元の石が音を立て崩れた。
ばこん、と鈍い音を立てて、両足が支えとするものを失い、ふわりと宙に浮くのを覚えた。
緑の髪を広げさせ、大岩を粉砕せしめたものは――踏み込みと、抜き放つ刃の圧だ。
「間近で目にした感想はどうだ――アーチャー?」
鉄色の彼方で、氷が嗤う。
砕け散る石片と、緑の草葉。そして踏み砕いた黄金の彼方で、青色の妖光がせせら笑う。
その目の光で刀身さえも、ぬらりと輝かせるかのように。
首筋に抜いた刀を突きつけ、にやりと笑うセイバーの姿は、今でも、忘れられそうにない。
◆
ああ、そうだ。あの日己は負けたのだ。
驚くほどにあっさりと、首に刃を突きつけられて、キングゥは無様に敗北したのだ。
見上げていたのは、踏み込んだ青。見下ろしていたのは、たじろいだ紫。
ちょうど今とは真逆の形で、セイバーの女に深々と、死線へ踏み入られたのだった。
「意外と、いい顔をしないのですね」
いつ頃からのことなのだろう。蒸し暑い湿気を伴いながら、ざあざあと夕立が鳴り響いている。
夜になり、明かりは地へ沈み、灯籠だけが揺らめく中で、仰向けになったセイバーが言った。
僅か乱れた前髪が、上気した額に貼り付いた様を、きっと、妖艶と言うのだろう。
その様を、キングゥは間近で見ていた。女体を踏み荒らすように跨り、目鼻の先から見下ろしながらも、しかし心は驚くほどに、冷ややかに覚めきっていた。
「黒く濁った成れの果てを、わざわざ穢して何になる」
こういうことを望んだのだろうと、そう問いかけるセイバーに対して、吐き捨てながら身を起こした。
僅か衣を整えると、畳を踏んで立ち上がり、和室の障子の方を向く。セイバーが同じくする音を、耳だけで聞くような形だ。
「それは残念。たまには奉公の褒美でも、と思ったのですが」
「オマエ流に言い回すなら、むしろ躾と呼ぶべきだろうに」
「――何故、清須を攻めたのです。今は動くには尚早だと、あれほど話して聞かせたでしょう」
そうだ。そのことだ。
なればこそきっと、白々しくも、この女は苦痛を押し付けんとしたのだ。
藤丸立香の戦いに、キングゥが乗り込んだのは独断だった。
むしろ下々の潰し合いに、躍起になるような謂れはないと、傲慢極まる制止の言葉を、何度も言いつけられていたのだ。
にもかかわらず、何故無視したと。どうして不用意な動きを見せたと、セイバーがキングゥの背に問いかける。
「共に戦った者達相手に、僅かなり、情でも湧きましたか」
「まさか。バビロニアの遺産を食い潰して、なお敗れ去ったとかいう恥知らずを、気に食わないと思っただけさ」
指摘を、肩を竦めながら流した。
ペルシャ王たるダレイオス三世は、かの征服王との戦いの折、旧きバビロンの扉を開いたのだという。
しかし英雄王の遺産は、既にそこには存在しなかった。
それでもあるいは、先達の善王が、既にこれを簒奪し、民草へ振る舞ったのかもしれないと、そうした推察も存在している。
それを認めるなら、あの男は恥だ。バビロニアの財宝で栄えさせた国を、無様にも滅ぼさせた忌むべき愚劣だ。
かつて賢王ギルガメッシュの――その友として認められた、我が身としては。
「いずれにしても、人形の割に、随分と情が深いようで」
その言い訳を、セイバーは嗤った。
思うのが藤丸だとしても、あるいはギルガメッシュだったとしても。
どちらにしても、らしからぬ情で、愚かにも人のふりをしたことには、一切変わりはないのだろうと。
伽藍堂の人形風情が、道化芝居にも等しき様で、随分と笑わせてくれるじゃないかと。
「……!」
その言葉には、流石に滾った。
煮え上がる激情を抑えもせずに、向き直りその身へと組み付いた。
布団へとセイバーを押し倒す。肩を押さえる手で衣がめくれ、そこへもう一方の手が突き出される。谷間を晒した装束は、たやすく左の乳房を零した。
「これ以上戯言を囀るのなら、肺ごと喉を突き潰す」
かざした左手は犯すのではなく、殺すために開いたものだ。
生じた金色の切っ先が、薄暗闇でも見えるだろうと、冷たくキングゥが威嚇する。
「できると思うか、貴様ごときに」
それでも、セイバーに恐れはなかった。
不敵ににやりと笑いながら、悠然と指先をキングゥへ伸ばした。
何の変哲もない、無骨な飾りを。何も宿さないが故に、それを払わぬという屈服の証を、如実に物語る首輪を、転がす。
「犬風情が人並みに笑うか」
「そうか。私は好きだぞ。忠実で、決して裏切らない」
内側に人差し指を入れ、柔肌との間でくるくると転がす。
一息に殺せる姿勢にありながら、しかしキングゥは踏み込むことなく、首輪での戯れを許している。
何しろ生殺を握っているのは、彼一人だけの話ではない。瞬きの間に抜き放たれた、セイバーの銀の刃もまた、キングゥの懐を捉えている。
互いに握り合っているのは、互いの肌身だけではない。臓腑と臓腑を結びつけた、一本の命綱そのものだった。
「………」
やがて白けた表情になり、キングゥが刃を引っ込めた。
されどもそれは、殺せはしないと、そう観念したことが理由ではない。
「――申し上げます。バーサーカーのぐ……う、わぁっ!?」
研ぎ澄まされた聴覚が、こちらに迫る伝令の足音を、予め捉えていたからだ。
障子を開けて驚く武者に、マントで隠れた刀は見えない。さながら頬を赤くした彼には、己が女主人を手篭めにしようと、襲っているかのように見えたのだろう。
無論、先程のことを思い返すと、それもまた冗談ではないのだが。
「その、し、失礼しました!」
「構わん。むずがる子供も、一皮剥けば、男を見せるやもと思ったのだが……生憎、嫌われてしまったらしい」
くすくすと笑うのは、嘲笑のつもりか。
武士に見えないような形で、己の刀を引っ込めると、セイバーは悠然と立ち上がり、零れた胸を衣服へと仕舞う。
こうなれば、もう興醒めだ。殺しも犯しもあったものじゃない。
女がすり抜けたのを見届けると、キングゥもまた立ち上がり、武士とすれ違うようにして部屋の外へ出た。
「用事があるなら人を寄越せ。気が変わらないうちは、働いてやるよ」
「せいぜい、期待させてもらいますよ」
猫かぶりまで覚えていたかと。内心でそう毒づきながら、敬語のセイバーを一瞥すると、キングゥはそのまま廊下を進んだ。
響く雨音が鬱陶しい。帰りは濡れることだろう。嫌なものばかりまとわりつく日だ。一層不機嫌に、キングゥは思う。
(ああ……そうか)
それでも、学んだことはあったと。
肉に刻まれたオリジナルの記憶と、現状との乖離を見比べて、キングゥは合点し、噛みしめる。
実感してみて、初めて分かった。かつての鮮血神殿で、魔獣を生産していた時の、人の気分をようやく解した。
愛すべき者との交わりというのは、それを嫌いな者に強いられた時、耐え難い苦痛へと成り果てるらしい――と。
◆
アグラヴェインの援軍が、清州城へと到着したのは、全ての事が片付いた後。
破壊の跡と人の血肉。そして物のついでにと、敵目掛け投げ落とさせたランサーの私物が、雨の戦地にひとしきり転がり、沈黙した後のことだった。
「信玄~~~っ!」
信玄にとって意外だったのは、いの一番に駆け寄ってきたのが、小早川秀秋の泣きっ面であったことだ。
てっきりサーヴァントの戦ともあれば、怯えて引きこもっているものと思っていたのだが、それでも勇気を振り絞ったのか、ここまで駆けつけてきてくれたらしい。
「おお、これはまた。それほど気を揉んでくれておったのか」
「そりゃあそうだ! 心配に決まってる! お前が死んだら一体誰が、僕を守ってくれるっていうのさ!」
「ああ……そう、そういうこと」
もっとも、実際に聞かされた理由は、色も情緒もあったものでない、ひどく即物的なものだったのだが。
わんわんと泣きながら、両手を掴み、ぶんぶんと振り回す秀秋の姿に、信玄は引きつり気味の笑みで応じた。
「火急と聞き及んでいたが、随分と手痛くやられたようだな」
「ああ、見事してやられたわ。戦国最強と持て囃されても、勝手が変われば、こんなものだ」
対照的に、冷静な声で、アグラヴェインが語りかける。
両手が塞がっているため、肩だけ竦めながら、信玄は彼の言葉に応えた。
最悪の事態こそ回避できたが、それでもこの命は拾ったようなものだ。
アーチャーが乱入してこなかったなら。セイバーがそれを引き止めなかったなら。今頃信玄の首はどうなっていたか、それこそ分かったものではない。
その上一度まみえたはずの、あのダレイオス三世相手に、この様だ。最強の名が笑わせると、信玄は自嘲気味に笑った。
「……仔細を確認したい。起きたこと、被害状況、その全てを話せ。包み隠さずにだ」
「今更、貴様に隠すものなどあるかよ」
ともかくも、事態の確認が急務だ。
今後を考えるためにも、現在に至るまでを精査しなければならない。
アグラヴェインの要請に頷くと、信玄はすがりつく秀秋を宥め、二人を城の奥へと通した。
◆
バーサーカー陣営の強襲。そこへ現れたアーチャーの攻撃。
更にはアーチャーを撤収させるため、遂に姿を現したセイバーの存在。
城の広間に一同を集め、始まった作戦会議の席。遅れて来た者達のために、そこでこれまでのあらましが、一通り信玄らの口から語られた。
「あいつだ……あいつに間違いない! 石田様を殺した、あいつが……!」
「落ち着け、小早川。ここにおるわけでもあるまい」
恐るべき仇敵の名前を耳にし、秀秋が恐怖に身震いする。
そうだ。恐らくは秀秋は既に、あのセイバーを目撃しているのだ。
百戦錬磨のサーヴァント達でも、あれの風格には肝を冷やした。年若い彼や、立香の受けた衝撃は、相当なものだったのだろう。
「……アーチャーは、藤丸立香に加勢したわけではないと、そう言ったのだな?」
そんな中、ただ一人アグラヴェインだけが、他に引っかかるものを覚えていたようだ。
彼が一番に口にしたのは、敵の総大将であるセイバーではなく、その腰巾着であるキングゥの名だった。
「ああ。人間の仲間になったつもりはないと言っていた。それがどうした、アグラヴェイン卿?」
「殺意があまりに薄すぎる。三つ巴を覚悟したのならば、もっと徹底して攻めるはずだ」
確かに攻撃は派手だったのだろうが、その結果がこれではおかしいと言う。
実際、籠城戦を仕掛けただけあり、外に出て戦っていた武田軍の数は、それほど多かったわけではなかった。
そしてその中にあってなお、キングゥの攻撃でやられた者は、ダレイオスの亡者達がほとんどだ。
皆殺しを目的とするのなら、最短でダレイオスだけを狙うのではなく、もっと派手な戦果を望むはず。
それができる器のはずなのに、何故、と、アグラヴェインはそこを気にかけていたのだ。
被害状況のデータから、僅かな違和感を読み取り、疑問する。彼の頭の回転の、速さの賜物というものだろう。
「藤丸を庇っていた、と? 我らにも犠牲を強いながら」
「あるいはセイバーへの当てつけかもしれん。同盟関係にありながら、随分と不仲なようだからな」
何にせよ、楽観するのは早いが、完全な敵と見なすのも早計だろうと。
アグラヴェインはキングゥに対する、己の違和感をそう締めくくった。
セイバーの登場に際して、露骨に気を悪くしたというキングゥだ。今回の独断専行も、忠義を立てるためという可能性はまずない。
そこに悪意があるというなら、ゆくゆくは付け入る隙として、利用することもできるはずだ。
相変わらず恐ろしい男だと。そう思考するアグラヴェインを、横から見るランスロットは内心で評した。
『そう、セイバーだよ。映像越しでの確認だったけど、本当、凄まじい奴だったね、彼女は』
「恐らく、霊格そのものは、わしとそう変わらんだろう。それでアーチャーを討ったというのは、普通であれば信じられぬが……」
まぁ、やりかねんだろうなと。
あれほどの気配を放つものなら、やってもおかしくはないだろうなと。
信玄の言葉がそう続くのは、誰にとっても読めたことだ。何しろあの場にいた誰もが、そうかもしれないと痛感したのだから。
『上杉謙信、織田信長。あるいは本多忠勝あたりも。いずれにせよ、信玄公以上の武将となると、随分と数が限られてくるはずだ。誰か、知った顔に心当たりは?』
「いやぁ、違うだろう。忠勝なら槍の英霊だろうし、信長とは明らかに顔が違う。何よりあの織田信長だぞ。斯様な装いをする輩か、あれは?」
どうやら当事者達の間でも、織田信長という人間は、そういう認識だったらしい。
生前の印象を色濃く映す、それがサーヴァントの装いである。その上で、あの織田信長が、古めかしい烏帽子を被るというのは、あまりに想像し難いチョイスだ。
南蛮狂いの彼であるなら、それこそ洋物のマントだとか、そういうものでビシッと決めて、最先端気取りのドヤ顔をかますはずだろうに。
というか時間神殿で、そういうサーヴァントがうろついているのを、一人見かけたような気もするのだが、まぁそのあたりは、それはそれ。
『謙信は? 信玄公のライバルだし、何より、美人なんだろう?』
「バッカお前、あれが長尾なわけなかろうが! あ奴はついとるモノはついとるし、何よりこう、もっとちんまい! どちらかと言えば可愛い系だぞ!」
となると同格に数えられる、上杉謙信の可能性もあったが、これは妙にムキになった、信玄自身の口から否定された。
それはもう、思いっきりの全否定だった。先日は会ってのお楽しみとして、伏せていたはずの詳細を、べらべらと早口で語るほどに。
『ほう、ほう。上杉謙信はカワイイ系の男の子と』
「織田めは森蘭丸とかいうのを、大層自慢しておったようだがな! あれより断然に愛い! それこそ敵でなかったなら、わしの小姓にでもだな……って言わせるでないわ馬鹿!」
(信玄公、男性に関しては、そういう趣味だったのでしょうか……)
恐らく、本音だったのだろう。
後世に語られる宿敵として、互いに認め合う以前には、恐らくどこかでそう感じて、物にしようとしたことがあったのかもしれない。
珍しくムキになり、赤面する信玄の姿を目の当たりにして、カルデアのマシュはそう感じた。
『まぁ、そのあたりはともかくとして、だ。当事者に心当たりがないとすると、戦国時代の以前か以後……別の時代に正体を見出すほかない』
「別の時代の英霊、ですか……江戸以降は泰平の世として、武将個々人の印象は、必然薄くなっています」
ダ・ヴィンチの言葉に、小太郎が返す。
宮本武蔵、柳生十兵衛。沖田総司という例もある。戦国以後の江戸時代において、名のある英霊として語られているのは、将ではなく武芸者がほとんどだ。
それは戦争という概念が薄れ、闘争が個人の諍いにまで、グレードダウンしていることを意味する。
キングゥという例外もいるが、セイバーもそちら側と見なすのは、さすがに無理があるだろう。あれは恐らく、そうした類の、将ならざる英霊とは、違う。
「……そうなると、やはり、あれになるな」
難しい顔つきで、信玄が言った。
江戸以降があり得ないのなら、目を向けるべきは室町以前だ。
そこに武士という括りを加えるならば、想定される英雄は、恐らくは、ただ一人しかいない。
『やっぱり、あれか』
「あれの他にあるまいよ。そして恐らくは最悪の答えだ。日ノ本に将として育った者に、あれを恐れぬたわけはおらん」
英霊として現界したあの女を、張り子と嘲笑う者がいるなら、それはよほどの自信家か、ただの阿呆かのどちらかだろうよと。
予想されるただ一人を、そのように評しながら信玄は言った。
日本最強の英霊は誰か――現代でその解を求めた場合、想像しうる人間の名前は、間違いなく最上位に入る。
こと、最激戦区である戦国でなく、それ以前の時代にあって、なおもそう挙げられるほどだ。
であるならば、それは異常だ。時代にそぐわぬ才知を有した、尋常ならざる魔人の証左だ。彼女らはそういう人間と、刃を交えようとしているのだった。
『これは特異なケースなんだけどね。実を言うと、想定されるサーヴァントとは、一度共闘したことがある』
『年齢もクラスも違っていたため、当初は気付けなかったのですが……改めて照合してみたところ、同一人物である可能性は、大であるという結果が出ました』
「決まりだな」
ここにきて頭の痛む案件が増えたと、眉間を抑えながら信玄が言う。
話した通り、カルデアにおいても、推測結果は一致していた。敢えて信玄に尋ねたのは、その線を補強するためだ。
実際セイバーの正体が、想定する通りであったとするなら、なるほど確かに、キングゥにも勝ち得る。
彼女の持っていると思しき宝具は、あれを攻略するには都合がいいのだ。
もっともそれを実現するには、基礎スペックが足りていなかった。それをクラスチェンジか、あるいは、何らかの要因によって補ったとするなら。
かつて相対した少女よりも、遥かに強大な力を得て、この関ヶ原に降り立っていたとするなら――それは、想像を絶する脅威となるはずだ。
「セイバーもそうだが、当面の脅威はバーサーカーだ。信玄、貴公はこれにどう対処する」
ともあれ、いなくなった者について、あれこれ詮索しているだけでは、事が進まない。
アグラヴェインが信玄に対して、当面の問題への回答を促す。
撤収したダレイオス三世に対して、いかなるアプローチを取るつもりなのかと。
「無論、打って出る。今夜中に用意を済ませ、明日追撃を仕掛けて決戦だ」
信玄の答えはシンプルだった。
思案顔をきりりと引き締め、金の瞳をぎらつかせながら、奴を倒すとそう宣言したのだ。
「はぁ!? もう追いかけるのか!? もっとこう、万全を期して挑んだ方が……!」
「今がその万全だ。アグラヴェインは情勢をよく読み、十全以上の数を引き連れてくれた。敵が消耗しているならば、この状況こそが勝機となる」
動揺する秀秋の言を、切って捨てる。
『不死の一万騎兵(アタナトイ・テン・サウザンド)』は、総勢一万の不死者の群れだ。
アグラヴェインはそのことを、過去の交戦も踏まえた上で実感している。なればこそ、信玄の応援要請にも、最大の頭数を動員して応じたのだ。
であれば、この人数はそっくりそのまま、追撃戦に使うことができる。
あれだけの脅威を野放しにできない。信玄との戦いで魔力を浪費し、キングゥの攻撃で手勢を損なった今こそを、打倒の脅威と見なすしかない。
これを逃せば、散った同胞にも、顔向けできないともなれば、尚更だ。
『ダレイオス三世は、その逸話から、仕切り直しのスキルを有している。消耗状態からの立て直しは、並のサーヴァントより早いと見ていい』
「なればこそ、尚更急がねばならんな。回復する間を与えれば、それこそ同じ轍の踏み倒しだ」
『雨でぬかるんだ足場は、武田の騎兵には不利なのでは……』
「なめるなよ。腐っても我らは戦国最強。いかなる状況への備えも、十二分に練り上げたからこそ、その名で呼ばれる道理となるのだ」
にやりと笑って、信玄が言った。
なるほど確かに、並の武者なら、泥の大地に足を取られて、落馬することもあり得るだろう。
しかしながら、赤鉄の虎は、高速機動の専門集団。悪路での戦いも熟知し、相応の鍛錬でカバーするのは、当然のものとして備えてきている。
プロフェッショナルは強いからこそ、そう名乗っていられるのではない。負けないからこそ、ミスを犯さないからこそ、勝利に繋ぐことができるのだ。
今更この程度の雨など、恐れ備えることはあっても、引き下がる道理になどなるものか。
「では、決まりだな。兵に通達させよう」
「それはランスロットに頼みたい。アグラベインはここに残り、策の構築を手伝ってくれ。そうだな、小早川にも意見を聞こうか」
「はいはい、分かりましたよ。どうせ逃げの手を打っても、聞く耳持ってくれないんでしょう」
よく分かっておるではないかと、がははと笑う声を聞きながら。
ひとまずの一段落がついたところで、それぞれがそれぞれの役目についた。
アグラヴェインと秀秋は、信玄の側近くへと寄る。通達を引き受けたランスロットは、腰を上げ部屋の外へ向かう。
そして残された一人が、小太郎。藤丸立香の代理を預かり、通信の中継役として座っていた、カルデアの風魔小太郎だ。
「ああ、それと小太郎」
立ち去ろうとしたと背中へ、声をかけられ、びくりと震える。
やはり武田の武将から、話しかけられるというのは、未だに慣れない。
「藤丸に、無理はせぬよう伝えてくれ。あれは我らとは違う。我らが責める理由も勿論のこと、己を責める理由もまた、どこにもありはしないのだからな」
「……分かりました」
いつもより暗い顔で、頷いた。
そうだ。この重要な作戦会議に、藤丸立香は出られなかった。彼の居場所はここではなく、城内で見繕った個室だった。
姿を現したセイバーの気配(オーラ)に、立香は完全にあてられていた。
戦いの後、緊張が極限を突破し、そのまま過呼吸に陥った彼は、とても人の話を聞ける状況にはなかった。
故にこそ、今はこの場にはいない。傷ついた心を落ち着かせるため、平静を取り戻さんとするために、部屋で、床についているのだから。
最終更新:2017年07月02日 21:12