一つ、二つ、そして三つ。
静謐な闇の奥底に、ちろちろと灯る赤い光。
土の器に、葉のリング。部屋に置かれた装飾品に、金の照り返しは見られない。
一国一城の主にしては、あまりにも静かであり、質素だ。無論それは、この城を牛耳る人間の、生前の歴史事情もあるのだろうが。
「――そうですか。それを、アサシンが」
背後に現れた配下から、報告を受け、くすりと笑う。
薄明に照らし出された姿は、女性だ。顔立ちの若々しさと、線の細さは、少女とすら形容できるだろう。
白と赤とを基調とした、古めかしい装束に身を包む娘は、この城を支配する女王であった。
当然のように玉座につき、当然のように伝達を聞く。自然体であることこそが、あらゆる先入観を跳ね除ける、強固な理由として存在していた。
「であれば次にまみえる相手は、ライダーか、あるいはバーサーカー。二択のいずれかになるのでしょう」
手配をしなさい、と女王は言った。承知しました、と配下が言った。
古い白装束の背中が、振り返り、部屋を後にする。かくして女王の間にはまた、静かなる闇が訪れた。
「言葉が通じるのであれば、ライダーの方が好ましいのですが……」
まぁ、それくらいなら叶いましょう、と。
言いながら、女王は装飾へと向かう。手にした枝葉は神道で用いる、玉串と呼ばれるものにも似ていた。
であれば、器の数々も緑の輪も、いずれも飾りものではない。それは神具だ。儀式の道具だ。
城を治める女の王は、聖杯大戦争のサーヴァントが一騎――キャスターのクラスを冠する者だった。
「全ての未来は我が手のうちに。我が目に映したものこそが、来たるべき未来となるのですから」
静かに、優雅に、貞淑に。
されど言葉の選びには、微かな野心を滲ませて。
大きな鏡に映し出された、笑う魔術師の双眸は――透き通る緑に光っていた。
◆
清州城の小さな個室。そこに立香の姿がある。
いくらか顔色を悪くしながら、彼は畳に敷かれた布団に、その身を静かに預けていた。
思えば、七つの特異点はいずれも、日本とは異なる外国であった。新宿にしてもたどり着いた先は、ソファーを寝具とするようなアジトだ。
和室に敷かれた布団に転がり、床から天井を眺めるというのは、果たしていつぶりの体験だったろうか。
「失礼します……主殿」
程なくして、戸が開かれる。
現れた赤毛の少年は、作戦会議の席から戻った、アサシンのサーヴァント・小太郎だ。
自分が横になっている間に、彼を通信の中継役とすることで、ダ・ヴィンチ達が会議を進めていたらしい。
『大丈夫ですか、先輩? 健康状況については、常にモニターしているのですが……』
「ああ、もう平気だよ。病気で倒れたわけでもないしね」
『君自身が言うなら、まぁ信じよう。さて、それでは会議の内容を、今からこの場で話しても?』
ダ・ヴィンチの問いかけに、笑顔で応じる。
完全に納得したのかどうか。それは定かではないのだが、ともかくも彼女は、ひとまず了承し、作戦会議の内容を話してくれた。
信玄は増援の戦力を動員して、ダレイオス三世を追撃するつもりだということ。
キングゥの行動には不審な点があり、あるいはセイバーとの不仲に理由があるのではないかということ。
そしてカルデアの分析結果を合わせて、絞り込むことができた、セイバーの正体。
「……やっぱり、彼女か」
『知っていたんですか?』
「何となく。できれば見間違いであってほしかったんだけど、でも、面影はあったような気がしたから」
推定されるセイバーの真名を、立香は自分で想像していた以上に、至極冷静に受け止めていた。
あれは確かに恐るべき敵だ。正直な話、思い出すことも、憚られるような奴だったと思う。
それでも無理やりに掘り返すと、記憶の中のセイバーの顔は、確かに「彼女」に似ていたような気がするのだ。
クラスは全然違うけれど。いくらか歳を取っていたけれど。
だとしても、あれに似た顔と声を、立香は過去の戦いの中で――七つの特異点の最中で、確かに見聞きしていたのだ。
「いや……違うな。見間違いにしたかったんだ。あんな風になっていた彼女を、同じ人だって認めたくなかった」
それでも未だ、胸の内には、大きなしこりが残っている。
あれを「彼女」だと認めたくないと、そう思っている自分がいるのだ。
根本的に別人だった、ジャンヌ・ダルク・オルタとも違う。
そもそも本当の顔を知らない、女神ロンゴミニアドとも違う。
恐ろしく思考を尖らせただけのエミヤ・オルタや、恐るべき単純思考化を見せただけの、クー・フー・リン・オルタとも恐らくは違う。
人を人とも思わない――害意すら見せようともしない空虚な瞳を、立香はこれまでに見たことがなかった。
殺してやろう、という恐るべき殺意も、今にして考えてもみれば、邪魔な壁を壊してやろうだとか、その程度の認識だったのかもしれない。
そしてそれほどにおぞましい、悪意ですらない虚無を、あれほどの傑物であった彼女が、ああして見せているという事実がある。
まさか、それこそまさか、あの泥に――ケイオスタイドの猛毒に、呑まれたわけでもあるまいに、だ。
『……先輩』
「まぁ、結局は証明されちゃったわけだけど。……それでも、まだ分からないことはあるよ。何でキングゥと通じているのか、どうやってキングゥに勝ったのか、とか」
『あー、確かに彼も気になるね。そもそもあのキングゥがどうして、サーヴァントとして現界したのか。そこから遡って精査したくなる』
「? そんな変なことなの?」
『いいかい、藤丸君。キングゥなんて英雄は、そもそも存在しないんだ。少なくともロマニが宝具によって、書き換えた今の人類史にはね』
言われてみれば、確かにそうだ。
ロマニ・アーキマンはあの神殿で、文字通り自らの存在を賭して、人類史の大改編を行っている。
ソロモン王がいなかった歴史に、ゲーティアが誕生することはない。
ゲーティアが蜂起しなかった歴史に、特異点が刻まれることはない。
であれば、特異点で初めて生まれた、あのキングゥという魂は、誕生した事実すらなかったことになる。
カルデアに七つの聖杯や、グランドオーダーの霊基記録が残されている以上、細かなタイム・パラドックスはあるかもしれない。
しかし、後世に語り継がれる術が、急速に失われている現在において、彼が英霊に数えられる可能性は、とことんまで低くなることだろう。
「ジャンヌ・オルタの時みたいに、理由・理屈付けをした可能性は?」
『あー、贋作事件だね。思えば彼女がサーヴァントとなり、新宿まで生き延びていたことは、モデルケースにはなり得るのだろう』
『ですがそれでも、キングゥ……さんのことを知っているのは、このカルデアにいる人達に限られます』
『寄辺と見なすにはあまりにも弱い。ただ一度の現界だけは、奇跡的に成ったとしても、二度三度の繰り返しは……』
「ないかもしれない……ってことか」
考えてみても、分からないことだらけだ。
そんな不確かな条件で、本当に召喚されたのだというのなら、そうまでして彼が招かれた理由は何だ。
セイバーと与しているという現状を、心底嫌がっているというのなら、首謀者であるというのも考えにくくなる。
もしや贋作事件と同じように、とも思ったのだが、やはり小早川秀秋が言った通り、今回の黒幕はキングゥではなく、セイバーと見て間違いないのだろう。
こんなことなら、あのウルクで、もっとキングゥと話していたら。
言葉を交わすための時間を、持つことができていたら、と思ってしまう。
そうすれば、現状を打開して、共闘するための糸口も、見つかったかもしれないというのに。
『まぁ、それよりも現状はダレイオスだ。戦い生き延び、解決を目指せば、他の敵ともかち合うだろう。キングゥとも……そして「彼女」ともね』
「! ………」
『酷かもしれないが、それでも問おう。藤丸君、君にこの先へと挑み、戦い続けていく覚悟は?』
無理だというならそれでもいい。むしろ今は立てないというなら、気持ちの整理がつくまでの間、きちんと休息を取るべきだ。
半端な覚悟で戦いに臨めば、「彼女」と対峙する前に、ダレイオスの軍団に敗れ、命を落とすことになるだろう。
ダ・ヴィンチはそう言っているのだ。なればこそ、覚悟を口にしろというのだ。
顔見知りのダレイオス三世を、踏み越えていくだけの覚悟を。
その先に待つキングゥの真実に、挑戦していくだけの覚悟を。
そして一番最後に待つ、セイバーに向き合うだけの覚悟をだ。
「……大丈夫。俺は戦えるよ」
であれば、腹をくくるべきだろう。
ご厚意に甘えて、思考をまとめる。あちらとしてはその方が、本意であったのかもしれない。
だからといって、それだけ親身に、考えてくれる人がいるのなら、自分はそれに応えなければならない。
であれば、今だ。割り切り気持ちを固めるべきは、今をおいて他にはないのだ。
『あの……先輩、本当に大丈夫ですか? 無理をしているのでしたら……』
「言ったろ、マシュ。体の方なら問題ない。気持ちの方も、聞いてもらって、それでようやく落ち着いた感じだ」
だったら戦えるさと、立香は笑って、通信の向こうのマシュへと言った。
強がりではない。本心の笑みだ。そうだと信じたいのではなく、そうだと断言することができた。
「明日の作戦には、俺も出る。信玄公にそう伝えてくれないかな」
「分かりました……それでこそ藤丸立香、です」
小太郎に伝言を頼み、返事を受け取る。
彼が戸から廊下へと出て、遠ざかったのを確かめると、立香は再び真顔を作った。
いよいよもって、これからが佳境だ。靄がかかっていた情勢も、少しずつ、目に見える形を成してきた。
四方八方から狙われ続ける、この関ヶ原特異点での戦いは、必然厳しくもなるだろう。
それでも、戦わなければならないのだ。人理を、仲間を救うためにも。その中で自分が生きていくためにも。
あの謎多き
関ヶ原のセイバーと――この日本の歴史に語り継がれる、伝説の鬼武者に向き合うためにも。
◆
ダレイオス三世が逃走した方角は、しかと信玄の記憶に刻み込まれている。
先行する小太郎が、これの正確な所在を掴めば、追いつくことも可能となるだろう。
今や巨王は生前を超越し、不眠不休すら可能とするだろうが、手負いでそれを敢行する意味もあるまい。
こうして出陣の準備を始め、時を今かと待ちわびる信玄は、己が目指すべき方角を、しかと両目で見つめていた。
「僕は別に構わないんだけど……本当に、このまま躑躅ヶ崎館に帰ってもいいんだな?」
「本陣を守るための指揮官は、当然必要になるだろう。キャスターやアサシンが攻め入った時には、貴様こそが頼りとなる」
背後から話しかけてきた、小早川秀秋の問いに応じる。
この作戦に参加する将は、武田信玄とアグラヴェインだ。
秀秋は躑躅ヶ崎館に戻り、そちらに残された兵力をまとめて、襲撃に備える役割を担うことになった。
性格は頼りないが、若さと武功を考えれば、十分に才有りと見なせる男である。故に彼一人を残しても、十分に責務を果たすだろう。そう判断しての采配だ。
「その……セイバーや、アーチャーが攻めてくる可能性は?」
「有りえん話だ。断言してもよい」
「まさか、敵意はないっていう奴らの言葉を、そのまま鵜呑みにしてるってこと?」
「言葉だけなら信ずるには値せぬ。わしが見ておるのは、それを裏付ける根拠の方だ」
故にこそ、セイバー達は現れないと、信玄は強く言い切った。
されどそこに込めたものは、いつもの自信に満ちた力ではない。
苦虫を噛み潰したような、屈辱に対する憤りの力だ。
「奴らはわしらを嘗め腐っておる。あの慢心がある限り、わしら下々の雑魚風情には、決して手出しはせんだろうよ」
敵意がないとセイバーは言った。それは決して、友好的に、協力をしたいからという理由ではない。
お前らごときはいつでも殺せる。ならばわざわざ兵力を割いて、手ずから敵として誅する意味はない。
こちらの手を煩わせることなく、雑魚同士で勝手に殺し合い、その数を減らすがいい――と、そう言っていたのだ、あの女は。
故にこそ、これからの戦いは、あくまでも残された四騎の戦い。剣と弓との二つの騎士は、汗を流す側ではなく、見物を決め込む側なのだ。
「信玄公!」
そこへ、もう一つの声が聞こえた。
振り返る先から駆けてきたのは、人類最後のマスター・立香だ。
つい昨夜まで、セイバーの恐るべき剣気にあてられ、寝込んでいたはずの人間だった。
「……よいのだな、本当に」
「覚悟の上です。俺も戦います……戦えます」
瞳の色に、偽りはない。
手足に震えも、見られない。
汗なり何なりは確かに見える。しかしそれは、命のやり取りをする上で、当然つき纏う緊張の範囲だ。
正直、小太郎の報告を受けても、あるいは来られないかもしれないと、どこかで疑ってはいたのだが。
「その決断に、敬意を表そう」
それでも、彼はやって来た。
侮りとも言える、信玄の気遣いを、こうして踏み越えてきたのだ。
であれば、相手を見誤ったと、反省しなければなるまい。
そして予想を超える力を、しかと示してきた彼に、敬意を示さずにはいられない。
「えっと……?」
「武士(もののふ)ならざる只人であると、正直下に見てはおった。しかし貴様は、それでもなお、こうして死地へ乗り込んだ。
世界を救いし英雄の名に、嘘偽りはなかったと、そう認めずにはいられぬよ」
柔和に笑み、されどたくましく。さながら母のごとき顔で。
籠手を嵌めた右の手を、なるべく優しく差し伸べると、信玄は己より僅か背の高い、立香の頭へと添えて、撫でた。
肉体的には脆弱だ。武器の心得も当然ない。故にこそこうして、幼子相手にするように、褒める形にはなってしまう。
それでも、この男には覚悟があるのだ。
サーヴァントが守ってくれるから、自分でも生きて帰れる、のではなく。
サーヴァントに戦ってもらうためには、自分も窮地に飛び込まなければ、と。
信頼だけでない、依存に成り果てない、本人の意志があってこそ、立ち直り戻ることができたのだ。
困惑する立香の顔を見ながら、よくぞここまでと信玄は思う。
そうした武士の魂を持つ、藤丸立香なればこそ、ここにいてくれてよかったと、感謝することもできるのだ。
「兵の準備が整った。ぐずぐずしてはおれんぞ」
「うむ……そうさな! では始めるか!」
アグラヴェインの報告を受け、信玄が兵へと向き直る。
風林火山が背負いしものは、幾千百の赤鉄の群れだ。
甲斐の虎とは孤高にあらず。この場に並びし無双の軍勢。最強武田騎馬軍の、一兵卒に至るまでが、等しく赤き猛虎であるのだ。
故にこそ、武田信玄は叫ぶ。たった一人の英雄ではなく、群れなす虎群の長として。
「敵は狂王・ダレイオス! 重ねて苦渋を舐めてきたが、三度の今こそ決着の時!
さあさ進むぞ、皆の者! 我ら最強騎馬軍の力、今こそ存分に見せつけてやれィ!!」
風林火山の軍配を手に、勇猛果敢に雄叫びを上げる。
赤き虎王の咆哮は、群れの全てを瞬く間に揺るがし、鬨の声の大合唱を奏でた。
士気は十分。気も見計らった。なれば勝てると驕るのではなく、次はないと決意せねばならぬ。
ここがいわゆる正念場。唯一確実な勝機を掴める、一世一代のタイミングは、絶対に逃してはならないのだ。
虎群の叫びを耳にしながら、誰もがそうするのと同様に、信玄もまた、気を引き締めた。
最終更新:2017年08月15日 02:01