第一節:赫讐の伏魔殿(3)

 ジャックの治療自体は、そう時間が掛からずに終わった。
 幸いな事に、キャスターは魔術師としてかなり器用な部類らしい。
 奇妙な詠唱と共に若草色のそよ風を生み出し、それをヴェールのようにジャックに纏わせる事で傷を癒やす。
 回復の速度こそ遅く、十数分ほど掛かったものの、殆ど万全と言っていい状態まで回復する事が出来たので良しだ。

「んー、わたしのはちょっと特殊なの。真似しようと思って出来るものじゃないよ」

 その間、わたしはキャスターにある質問をしていた。
 それは、彼女が使っていた特殊な詠唱に基づく魔術についてだ。
 今まで、わたしも様々な魔術師を見てきた。
 でも、彼女のようにやりたい放題……もとい多様な戦い方を展開する英霊はいなかったように思う。

 カルデアで過ごす一年の中で、魔術師に必要な知識はある程度勝手に備わった。
 それこそキャスター達に教えてもらったり、スタッフの人達から話を聞いたり。
 そんなこともあって、少し興味が湧いてしまったのだ。
 あれは一体、どういう理論に基づいたものなのか。
 しかしキャスターは、難しい顔でうーんと唸り、上のように言った。

「名前は真名バレしちゃうからシークレットとして、原理程度なら教えてあげられるわよ」
「なんだ、けちんぼ。真名くらい教えてくれたっていいじゃんいいじゃん」
「だーめ」
「わたしとキャスターの仲じゃん?」
「出会って半日経ってないんですけど!? ……と、それはさておき。
 真面目な理由を言うと、あれよ。わたしの名前は、あると~~っても面倒臭い訳があって、此処じゃ超級の劇物なの」

 劇物? と首を傾げて問うも、それについては説明してくれないようだ。
 名前を口にしただけで魂を縛るだとか、そういう類だろうか。
 尤も、一介の作家キャスターでしかない彼女にそんな芸当が出来るかは定かではないが……
 とりあえず、今は明かせないというなら、あっちが明かしてくれるまで気長に待つとしよう。

「まあこれの説明なんてしたら、ちょっと知識のある人なら一発看破モノなんだけど……
 ま、それはいっか。マスターあんまり頭良くなさそうだし」
「は?」

 喧嘩を売られた。
 いや、悲しいことに間違ってないけど。
 これほどダ・ヴィンチちゃんやマシュの助言が恋しいと思ったことはない。

「あれはね、言葉と言葉を繋げて、それの持つ意味を合成してるの」
「ん……?」
「言葉と言葉、意味と意味、概念と概念――
 それをこううまいこと繋げて、"本来物理的に両立しない性質"を実現させてる、らしいのよね。
 もちろん無駄な手順を言葉の合体で省いてるから、詠唱の手間も大幅に減ってるってわけ」
「いやいやいや、待って待って」

 いや、幾ら何でも理屈が胡乱過ぎないか。
 魔術ってそんな単純で、ふわっとした理由で成り立っているものじゃないだろう。
 勿論それで理論が通るのなら、色々と楽になるのだろうけど。
 ただ、確かにキャスターがさっき見せてくれた術はそういう感じのものだった。
 あまりにも胡乱な説明なのに、不思議と納得している自分が居るのが解る。

「その……そんなんでいいの? そんな適当なアレで?」
「うーん。さっきも言ったんだけど、わたしって作家なの。作家サーヴァント。
 カルデアにはアンデルセンとかシェイクスピアとか、アレクサンドル・デュマとか、そういう英霊はいなかった?」
「最後以外はいたかな」
「実際に会った事はないけど、彼ら、自分の作品にちなむスキルなんか持ってたんじゃない?
 要するに、それ。わたしが作品の中で使った"ある言語"をね、こう、スキル扱いで引っ張ってきてるのよ。
 あの妙ちくりんでめちゃめちゃな魔術は、全部その創作言語由来の理屈ってわけ」

 ……真っ当な魔術師には絶対聞かせられないし、見せられないな。
 わたしはキャスターの説明を聞きながら、自然とそう思った。
 何せ魔術師という人種が必死こいて作り上げた"基盤"を、まるっと全部無視して、自覚もなしに新生させているのだ。
 彼女にしてみれば災難な話だが、彼らの努力への冒涜と言ってもいい力だ。

 無論、今回はとてもありがたい。
 今のわたしが頼れるのは、彼女と、一応さっき和解したジャックだけなんだから。
 英霊は強ければいいなんて乱暴なことを言うつもりはないけど、強いに越したことはないのも現実問題確か。
 細かいことは置いといて、彼女のはちゃめちゃな術に今後も思う存分頼らせて貰おう。

「あ、ジャックはもう大丈夫?」

 思い出したように、キャスターが霧の暗殺者に視線をやった。
 ジャックはそれに、ややばつが悪そうにしながらこくりと頷いた。

「……うん。その、でも――」
「ふふ、別にいいのよ。元々わたし達は協力し合える間柄なんだもの」

 ジャック・ザ・リッパー。
 過去の戦いでは、分かり合えなかった哀しい少女。
 物騒な再会ではあったものの、こうして和解できた事を心から嬉しく思う。
 ただ――やはり彼女の方は、すっぱりこっちの味方になる、とは行かないようで。

「……わたしたちは、"あの子"を殺さなきゃいけない」
「……バーサーカーね」
「"あの子"は、わたしたちの成れの果て。
 だいじなことをぜんぶ、ぜんぶ忘れさせられた可哀想な"わたし"。
 "あの子"を殺してあげないと、わたしたちは止まれないから」

 殺戮都市のバーサーカー……同じく真名、ジャック・ザ・リッパー。
 やはり同じ真名を持つからか、アサシンの彼女にも思うところがあるらしい。

 いや――そんな次元ではない。
 あんなひどい姿になっても、一歩も引かずに突撃しようとするくらい、ジャックはジャックに執着している。
 譲れないところ、なのだろう。
 譲ってしまったら、何もかもが終わってしまう。
 そう言っても過言ではないくらいに、大事なことなのだろう。

 けれど、それは駄目だ。
 少なくとも、彼女独りで件のバーサーカーのところには行かせられない。
 そうしたらこの子はきっと死んでしまう、その確信がある。

 英霊には誰しも、譲れない何かがある。
 ジャックに限った話ではなく、皆、絶対に揺るがない何かを秘めている。
 それを曲げてしまうことは、その英霊に対する最大の侮辱であって愚弄だ。
 その観点から考えれば、此処でジャックを止めるのはまごうことなき彼女――"彼女達"への侮辱なのだろう。

「じゃあ、わたし達も手伝うよ」

 なら、否定はしない。
 ジャックを死なせたくないと思うなら、こっちも一緒に戦えばいい。
 そうすればきっと――

「そうすれば、ジャックは絶対勝てる。うん、勝たせてみせる」
「………」
「きみの意志は奪わない。だけど、その……わたしもキャスターも、ジャックに死んでほしくないんだよ」
「そんなの――でも、いいの……? これはわたしたちだけのおはなしで、あなたたちの問題じゃ……」

 彼女は目的を果たせて、わたし達もいずれ戦わなきゃならないだろう敵を倒せる。
 ウィン・ウィンと言って合っているかは解らないけど、限りなく近い筈だ。
 死んでも英霊の座に還るだけだなんて、そんな冷たい理屈で納得出来るほどわたしは大人じゃない。
 だって――確かな体を持ってそこにいるんだから。
 それはもう、生きているのと同じだとわたしは思う。
 だから、死んでほしくないと思い、行動するのは普通のことだ。
 自分で言うのも何だけど、間違ってはない。そう断言できる。

「此処に喚ばれた時点で、もう巻き込まれてるんだよ、わたしは。
 そこのぽんこつロリ娘のせいで、遠路はるばるこんな所まで引っ張ってこられたんだから」
「ぽんこつとは何よっ」
「わたしは自分の為にバーサーカーと戦う。きみも自分達の為にバーサーカーと戦う。それじゃ、ダメ?」

 ジャックはわたしがそう言うと、困ったように沈黙した。
 言えることは全部言った。
 後は、彼女がなんと言うかだ。
 十秒か、一分か。
 ジャックはひとしきり考えた後で――おず、と顔を上げた。

「……アサシンのサーヴァント、ジャック・ザ・リッパー」

 照れ臭そうに頬を染めながら、小さな口が綻ぶ。

「少しの間だけど――よろしくね、おかあさん」

 ほっと、肩の荷が下りる感覚があった。
 英霊と交渉するのは何度やっても慣れない。
 さて、何はともあれ、これで仲間が一人増えた。
 さあ、次はキャスターからこの世界について、色々聞かせてもらおう。

 ……。
 ………。
 …………。

 ――――お、おかあさん!?


  ◇  ◇


「此処は"何もなかった"世界。
 誰が作ったのかも解らない、時空と因果から隔絶された世界。
 そこに何かの偶然で迷い込んだのが、この世界最初のサーヴァント――魔術師のアヴェンジャー」

 キャスターが語る世界の成り立ちは、またしても胡乱なものだった。
 "出現"したのか、"発生"したのか、或いは"創造"されたのか、それすら解らない魔境。
 人類史に存在しないからこその異形特異点。まさしく、そうとしか言い様のない異界だ。
 時空と因果から隔絶された、という言い方からして、知的存在が迷い込むという事態そのものが異常なのだろう。

 そんな異常事態の主役として現れたのが、アヴェンジャーのサーヴァント。
 キャスター曰く、この世界に三つの都市と伏魔殿を築き上げ、何かを成そうとしている黒幕。
 キャスター曰く、藤丸立香(わたし)の最大の敵。
 誰かの、生唾を飲み込む音が聞こえた。
 ……音は、わたしの喉から鳴っていた。

「彼は此処に時間概念が存在しないのを良いことに、時間と魔力を無尽蔵に使って三体のサーヴァントを召喚し、彼らが支配する三つの都市を作り上げた」

 冒涜都市。
 悪魔の如きライダーが統べる都。

 戦乱都市。
 獅子王の名を持つアーチャーが統べる都。

 そして此処、殺戮都市。
 暴食のバーサーカー、ジャック・ザ・リッパーが徘徊する都。

 何故都市が必要なのか、そもそも彼は何を目指しているのか。
 ただ、自分だけの王国を作りたいだけなのか……そこのところはわたしにも解らないと、キャスターは言う。
 そう前置いた上で彼女が言ったのは、衝撃的な事実だった。

「そしてわたしが、四体目のサーヴァント」
「――え? キャスター、が?」
「もちろん今は、アヴェンジャーの支配なんて受けちゃいないわ。
 それに甘んじるつもりもない。あっちにしてみれば、わたしは八つ裂きにしてやりたいくらいだろうけど」

 ……驚いた。
 なんとアヴェンジャーが都市と支配者を作り、その後に喚んだ四体目の英霊こそ、この作家キャスターだというのだ。
 どうも彼女はアヴェンジャーに反発し、"何か"をしでかしたらしい。

 この天真爛漫娘のことだ。
 それはもう、とんでもない事をやってきたんだろう。
 わたしは少しだけ、まだ見ぬアヴェンジャーに同情した。
 どうせそんな呑気なことを言ってられるのは今の内だろうから、言いたいだけ言っておく。

「アヴェンジャーお手製の英霊召喚システム。そこにね、"粉砂糖"をぶっかけてきてやったの!
 そのせいでジャックみたいに、野良サーヴァントが時たま召喚される状態になってるわけね。
 ぷぷっ、アヴェ公が青筋立ててる絵が浮かぶわ!!」
「アヴェ公て」
「そうこうしてわたしは上手く逃げてきたんだけど、でもきっと、アヴェンジャーの目論見はシステムを壊したくらいで止められるものじゃない。
 何しろあんな桁違い(・・・)の魔術師なんだもの、きっと十重二十重の策を張り巡らせている筈よ」

 桁違いの魔術師――か。
 そう聞くと、否応なくかの魔術王の名が浮かぶ。
 極まった魔術師が恐ろしいものだということは、わたしもよく知っている。
 だから、キャスターの考えには素直に納得出来た。
 こんなことが出来る魔術師が、たかが一回の不覚で再起不能になるわけがない。

「アヴェンジャーの考えは解らないけど、それが途轍もなく不味い何かであるのは確かよ。
 だからわたしは藤丸立香(あなた)を召喚して、手伝ってもらうことにしたの」
「したの、じゃないんだけどな」
「大目に見てよぅ」

 袖をばたばたさせて目を「><」にするキャスターに、わたしは話の先を促す。
 このロリ娘は半端ではない与太話力を秘めているため、ペースに付き合っていると話がどこまでも逸れていく。
 そういうのはいろんなイベントでやっていただくとして、今はこの世界の話を聞かないと。

「アヴェンジャーを倒すには、まず三つの都市を攻略し、三騎の支配者を倒して塔の結界を外す必要があるわ。
 わたしも最初は一人で頑張るつもりで、殺戮都市(ここ)に踏み込んだんだけど――その。
 バーサーカーのジャックに散々追い回された挙句、やっとこさ逃げ切ったと思えばそこにいるアサシンのジャックとどんぱちする羽目になって、あっこりゃダメだなって……」
「あー……」

 踏んだり蹴ったりとはまさにこの事だろう。
 キャスターは奇天烈な魔術こそ使えるものの、やっぱりそこはキャスターだ。
 真っ向切っての戦闘は不得手。
 そんな彼女にとっては、さぞかし悪夢だったに違いない。

「ジャックはこの話知ってたの?」
「ううん。キャスターとはたしかに戦ったけど、ほかのことはぜんぜん」
「ふーん……あのさ、一個だけ――言いたくないかもだけど、聞いていい?」

 ジャックが頷くのを確認してから、わたしは一拍間を置いて、それを口に出した。

「バーサーカーのきみは――どういうサーヴァントなの?」
「……それは――、」

 やっぱりもう少し時間を置いてから聞くべきだったかなと後悔しつつ、答えを待つわたし。
 僅かな迷いの後、ゆっくりと口を開くジャック。
 その様子を、神妙な面持ちで見守っているキャスター。
 殺戮都市(ロンドン)の一角が、久方ぶりの静寂に包まれた――その時。



「此よりは地獄。"わたし"は滅び、毒、欲望――」



 声がした。
 ジャックの声だ。
 でも、目の前のジャックじゃない。
 なのに、それは紛れもなくジャック・ザ・リッパーの声で――



「――"暴食"を此処に」



 わたしが全てを理解した時、キャスターが何かを叫んだ。
 下がって、と言っていた。
 ジャックはわたしを庇うように、ナイフを抜いて立つ。
 幼い瞳には、最初に会った時のような殺意の光が満ちていて。



倫敦に暁はなく、我が悪霧は永遠なり(ロンディニウム・ザ・リッパーナイト)



 それが、襲撃者の正体を示していた。
 スコットランドヤードの壁が、外側からべりべりと粉砕されていく。
 まるでシュレッダーにかけたみたいに。
 強度とか、材質とか、そんな諸々を全部無視しながら溶かしていく。
 これが――そうなのか。
 なら、成程頷ける。
 これは確かに……バーサーカーとしか言い様がない。

「■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――■■■■ああああああああああああ!!!!!!」

 霧の怪物ジャック・ザ・リッパー。
 殺戮のバーサーカー、此処に出現。



此処までの登場人物まとめ

■藤丸立香
 ・ぐだ子。
 ・キャスターに召喚された不運のマスター。

■キャスター(真名不明)
 ・ファンシーな衣装のロリ娘。
 ・言葉と言葉を繋げた独自の言語に基づく魔術を使う。
 ・性格モチーフは美少女になったドラえもん。

■アサシン(ジャック・ザ・リッパー)
 ・可愛い

■バーサーカー(ジャック・ザ・リッパー)
 ・霧の怪物。外見は次回。
 ・アサシンのジャックと同一でありながら、絶対に交わらない魔物。

■アヴェンジャー(真名不明)
 ・黒幕。
 ・キャスターにめっちゃキレとる。


BACK TOP NEXT
第一節:赫讐の伏魔殿(2) 特異点トップ 第一節:赫讐の伏魔殿(4)

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2017年06月25日 17:54