双方最低でも数百の数を抱えた、大軍勢同士が真正面から激突していた。
片や東洋の戦国時代を思わせる鎧に身を包んでいるのに、もう片方は異国の戦装束を纏っている。
質の低いB級映画のような光景を率いるのは、それぞれ一人の女と、一人の男だ。
アーチャーのサーヴァント・織田信長と、バーサーカーのサーヴァント・ベオウルフである。
魔の双刃を携えた竜殺しの闘鬼の形相は、歓喜と敵意が綯い交ぜとなった見るも恐ろしいもの。
にも関わらず、それと真っ向相対する事を強いられている戦国の魔王の口許には不敵な笑みが浮いていた。
純粋なスペックのみで考えれば、誰が見ても闘いの趨勢はベオウルフに傾くだろう。
だが、当のベオウルフはこれを決まりきった勝負とは認識していなかった。
「どうしたうつけ女よ、得意の奇策はもう尽きたのかァ!?」
空を断つ剛の斬撃。
信長はそれを己の刀で受け、返しに火縄銃の魔弾を見舞う。
完全に対処不能の間合いであるにも関わらず、当然のように叩き落としてのける辺りは流石の彼だ。
あの剛力と豪速で首筋などなぞられようものなら、信長のか細い首など一瞬で宙を舞おう。
誰の目から見ても明らかな信長劣勢の殺し合いは、然しもう十分余りも続いている。
信長が攻めあぐねているというのは簡単だが、それは無論、ベオウルフにも言える事だ。
彼ほどの戦闘に特化した英霊をして、詰みに繋がる一手を未だ打てていない。
彼の手が鈍っているのではなく、信長が、意図的にそうならないような戦闘運びを心掛けているからだ。
されど、ただ勝ち筋のない戦いを延々続けているのではない。
急所を一切の容赦なく狙い定めた弾幕で、隙あらば狂戦士を黄泉送りにせんと牙を剥く。
仮にベオウルフが信長を格下と侮って掛かっていたなら、勝負は既に決していただろう。
不可能を可能にする戦い。それこそ、織田信長という武将の真骨頂であるのだから。
「さて、どうじゃろうな?」
「ハッ、食えねえ女だ。極東の田舎モンと侮ってて悪かったな、期待以上だぜアンタ」
敵が只の凡愚ではない。
本来嘆くべきその事実こそが、ベオウルフの心を躍らせる。
狂気の片鱗すら見せない彼であるが、その真実はやはりバーサーカー。
闘争を愛し、没頭する魔獣じみた性根の持ち主だ。
目の前の好敵手をこの手で斃したい。
大気を震わせながら伝わってくる闘志に、信長の頬を一筋の汗が伝った。
こうして見ると互角に見えない事もないが、錯覚してはならない。
あくまで実力ではベオウルフが上なのだ。信長はそれに、あの手この手でどうにか食い付いているだけ。
(ぬう……この戦闘馬鹿、存外にしつこいのう。
余りダラダラ続ければ割を食うのは確実にわしじゃしなあ――)
勝ち筋としては、やはり宝具。
信長の持つ二つの宝具は、どちらも古き神秘に対し絶大な破壊力を持つ。
それがどの程度刺さるか――読み誤れば死ぬのは此方だろうと、信長は踏んでいた。
何より手の内はまだ伏せたい。敵はベオウルフだけに非ず、まだあちらには二体の英霊と、憎き獅子王が居るのだ。
切り札とはギリギリまで隠すからこそ最強の効き目を発揮する。
猟犬の如く最適な可能性を自動的に選び取ってくる魔剣と死ぬ思いで打ち合いながら、信長は選択肢を絞っていく。
安直な手に意味はない。狙うのは最善手、最上の形で戦闘を終わらせられるカードのみ。
……そして結論は、数秒の逡巡を経て弾き出された。
「のう、お主。今からでも、わしの軍門に下らんか?
このわしを追い詰める程の実力者じゃ。ある程度の待遇は約束するぞ」
「何を言うかと思えば」
信長の勧誘を、ベオウルフは鼻で一笑に伏す。
微塵も考える事なく、問われる前から答えは決まっているとばかりに。
いや、事実決まっていたのだろう。
彼という男にとって、陣営だの待遇だの、そうした概念は総じて瑣末なものでしかない。
「獅子の姐さんとやり合いてえってのは確かに有るさ、其処は否定しねえよ。
だが、俺は今てめえとやり合ってんだよ織田信長。何だって、この唆る闘いを捨てなくちゃならねえ?」
「……はあ。そう答えると思ったわ、阿呆め」
一方信長の方も、ベオウルフの答えは分かり切っていた。
今のは、要は念の為聞いてみただけだ。
もし首を縦に振ってくれるなら万々歳。ベオウルフの剛力は獅子王と闘うにあたって言うまでもなく重宝する。
そして、首を振らなかったなら――
「では死ねいベオウルフ。第六天の火に焼かれる時じゃ」
――残念無念。打ち首獄門、魔王の名の下に極刑を言い渡そう。
「……何ッ!?」
刹那、ベオウルフの視界が闇に閉ざされた。
視力を奪われたのではなく、世界そのものが暗闇に染め上げられたのだ。
耳を澄ませば、そこかしこから部下達の混乱の声が響いてくるのが解る。
自軍全てが妙な術に掛けられたのか――そうベオウルフが推測した時には、既に混乱の声は悲鳴に変わりつつあった。
かく言うベオウルフの思考も、唐突に遮られる。
背後から迫ってきた、命を無慈悲に奪い去らんとする凶刃のせいだ。
当然、生粋の闘争者である彼はそれを鋭敏に察知し、魔剣を振るって打ち払う。
然し、一方を払えばその反対から、それを払えばまた反対、最終的には四方八方から攻撃が飛んでくる。
逃げ場なきキリングフィールド。
対応出来ているのは、ひとえにベオウルフが無双の英傑であるからに他ならない。
そしてその彼をも焼き払わんと、猛りをあげる阿鼻地獄の炎。
第六天魔王が下す焦熱刑が、逃れ得ぬ死の運命を突き付ける。
「く――はははッ! 魔王め、萎える真似しやがってッ!!」
事の詳細を悟って毒づきながらも笑うベオウルフを、地獄の火炎が包んでいき――
◇ ◇
……斯くして、今宵の闘いは織田軍の勝利に終わった。
結果的にベオウルフの討伐は敵わなかったものの、あの戦闘狂いを敗走させただけでも十分な戦果と言えよう。
藤丸立香とルイス・キャロルが、殺戮都市のバーサーカーから逃げ遂せた丁度その時の事である。
それから数時間後――異形特異点の平定を目指す藤丸一行は、戦乱都市へ足を踏み入れようとしていた。
◇ ◇
「ここが――戦乱都市?」
わたしが足を踏み入れた先は、都市と呼んでいいのかも解らない、荒廃した焼け野原だった。
建物があったような痕跡は確認できるものの、もの皆全て瓦礫の山と化しており、人の住む場所等皆無である。
戦乱都市というより、戦乱荒野と呼んだ方がいいのではないか。
そんなことを考えながら、わたしは硝煙の香りが混じった空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
「そうよ。まあ、昔は此処まで荒れ果ててはいなかったんだけど……」
懐かしそうに、キャロルも少し砂っぽい地面を踏みしめる。
よく目を凝らしてみれば、白骨やら肉片やら、物騒な闘いの痕跡も見て取れた。
……この光景に余り驚かない辺り、殺戮都市から攻略を始めたのはある意味正解だったかもしれないな。
嫌そうな顔をしてしがみついてくるキャロルの頭をぽふぽふとしながら、わたしはロビンの解説を仰ぐ。
「さっきも言ったが、織田が出張ってくる前は終始一方的な蹂躙だったんだ。
織田がなまじ強いもんだから、獅子王の方も攻撃の手を強めてきた。
それでもってまだ原型のあった都市はいよいよ完全崩壊。
今や、建物らしいもんはお互いの拠点くらいしかないって訳だな」
「地獄だなあ……」
まさに地獄絵図。
殺戮はあんなだったし、この調子だと冒涜も凄い事になってそうだ。
ただ――攻略の難度としては、少なくとも殺戮よりは下だろう。
ロビンやキャロルもそう言っていたし、何より最初から味方に出来そうな相手が居るというのは大きい。
織田信長。
彼女とは以前、あるそれはもうぐだぐだなイベントで縁を持った事がある。
あちらがわたしの事を覚えているかどうかはさておき、話の通じない相手ではない筈だ。
おまけに、信長は強い。火力に乏しいわたし達のパーティーでは、きっと大きな戦力になる。
「それじゃ、まずは織田城に向かうの?」
「うん、そうしようと思ってる。獅子王の方にいきなり向かったとして、それで穏便に済むわけもないしね」
然し……獅子王、か。
第六特異点で、わたしはそれと同じ異名を持つある存在と相対した。
今思い出してもどうして生き延びられたのか解らないくらいの、規格外の敵だった。
まさかあの女神が再臨したなんて事はないだろうけど、それでも緊張は大きい。
「そういえば、獅子王のアーチャーってどんなサーヴァントなの?」
口にしたのは、興味本位の疑問だ。
冒涜都市のライダーもそうだけど、わたしはバーサーカー以外のサーヴァントの人となりを殆ど知らない。
ライダーの方は後で聞けばいいとしても、獅子王については知っておく必要があるだろう。
わたしの質問に対し、答えたのはキャロルだった。
「んー。頭の良さそうに見えるお馬鹿さん、かしら」
ロビンも、その形容にうんうんと頷いている。
それはつまり、どういうことなんだろう。
「頭は良いのに、肝心なところで外れてる……ってこと?」
「そんな感じね。実際、軍略とかのスキルも持ってるみたいだったし。
でも心の奥底は本当にぶっ飛んだお馬鹿さん。そこが一番厄介なサーヴァントって感じね」
「なるほど」
どうやら、わたしの知る獅子王とは名前が同じだけで、全く大違いの存在らしい。
何にせよ、厄介な相手であることは殺戮都市のバーサーカーと変わらなそうだ。
残る冒涜のライダーも、ロビン曰く"腐れ外道"だそうだし。
話し合いでの解決とか、そういう甘い考えは早い内に切り捨てた方がいいのだろう。
そんな事を話しながら歩いていると、不意に左隣を歩いていたジャックが足を止めた。
彼女の執着はあくまでバーサーカーにのみあり、他の話は退屈そうに聞いていたのだが。
何か見つけたのかと、わたしも釣られて足を止める。
それから口を開こうとして――しっ、とジャックに制止された。
「おかあさん、近くに誰かいるよ」
「えっ?」
「……たぶん、けっこう大勢。どうする? 切る?」
キャロル達の方に目を向けると、ロビンもジャックと同じことに気付いていたらしい。
「織田か獅子か……解らないが、どうする?」とわたしに問いかけてきた。
ちなみにキャロルさんはというと、さっぱり何も解っていないようで、しきりに首を傾げている。
このぽんこつに騒がれても困るので、わたしはそっと後ろから手でキャロルの口を塞ぎつつ、答えを出す。
「ジャック、行ってきてくれる?
この中では多分、最高ランクの気配遮断を持ってるきみが適任だと思うんだ」
「ん、わかった。いいよ。敵は切ってくればいい?」
「いや、もしかしたら味方かもしれないし、何より危ないからね。
ただ見て、帰ってくるだけでいい。どんな人がいたかによって、接触するかどうか決めたいから」
こく、と頷いて、ジャックはまさに影の如く未知勢力の偵察へと向かっていく。
情報抹消のスキルまで兼ね備える彼女は、まさに適任だ。
隠密行動をさせて、ジャック・ザ・リッパーの右に出るサーヴァントはそう居ない。
……とはいえ、自分で送り出しておいて何だが、それなりに不安だ。
ジャックがひどい目に遭うようなことがなく、無事に戻ってきてくれるのを祈りつつ、わたしは待つ。
ジャックが戻ってきたのは、それから数分した頃の事だった。
彼女は傷一つ負っておらず、戻ってくるなりわたしにただいまを言って、それから成果を報告してくれる。
「なんか、"わしの天下じゃ"だとか、"ぜひもないよね!"とか。
よくわかんないことを言ってるサーヴァントが、ひとりいたよ」
――よし。魔王確定だ。
◇ ◇
「わっはっはっはっ! そなた、さてはハチャメチャに運が無いのう!
ようやく人理とやらを救ったかと思えば、今度は見渡す限りの修羅道に放り込まれるとは!!」
「笑い事じゃないんですけど……」
織田軍への接触は、特に問題もなく成功した。
最初こそ彼女の部下達には警戒を示されたものの、信長はわたしの顔を見るなり、このように大笑いし始めたのだ。
辺りの兵士達(一応ホムンクルスらしいけど、とてもそうは見えない)も、そんな彼女の様子を見て警戒を解いている。
物騒という単語が裸足で逃げ出すような世紀末めいた世界でも、彼女はいつも通り愉快にやってるみたいだ。
「戦帰りかい? 織田のアーチャー。
この硝煙の臭いからして、つい何時間か前までは戦をやってたみたいだが――」
「うむ。獅子めの尖兵をばっちり追い返してやったわ。
流石のわしもちと肝を冷やしたが、三日前の光の御子に比べれば幾分か取っ付き易い相手じゃった」
光の御子――クー・フーリンか。
思わず、頭を抱えたくなる。
何しろクー・フーリンは、わたしにとっても浅からぬ縁のある英霊だ。
あの時、燃え盛る冬木でわたし達を助けてくれた彼が、またしても敵だなんて。
しかも信長の話によると、今日戦った相手は何とあのベオウルフだという。
それに加えて、あと一体。
中華の恐るべき槍使い、李書文までもが獅子王の軍勢に居るらしい。
誰一人として御し易い相手は居ない。信長達と協力出来るとはいえ、なかなかに絶望的な状況だった。
「なんだか愉快な人ね、マスター」
「うん……でも決める時はちゃんと決めてくれる人だから、その点は心配ないよ、キャロル」
ひそひそと耳打ちしてくるキャロルを安心させるように、わたしは答える。
どうやら相方(と言ったら本人は怒るだろうけど)のセイバー、沖田総司は居ないみたいだけど、そう、信長は強い。
戦国の風雲児、第六天魔王の二つ名は伊達ではないのだ。
彼女との協力は、後々必ず大きな力になる。
「それにしてもあの、何じゃったっけ? 時間神殿? 以来じゃな、藤丸立香よ」
「そうだね。あの時はありがとう、ノッブ」
「なあに、礼には及ばん。
寧ろあの場でわし達だけハブられてたら超哀しかったしネ! 是非もないネ!!」
冠位時間神殿。
それが、わたしの一年間の旅の終着点だった。
魔術王ソロモンとの最終決戦には、この信長も駆け付けてくれたのだ。
ソロモンを倒しても大変な事はまだ沢山あるとは思っていたけど、まさかまた特異点に放り込まれるなんて。
「ううん、本当に助かったよ。
ロビンも、ジャックも、言うのが遅れたけどありがとう。
みんなの力がなかったら、魔術王は――"ソロモン"はきっと倒せなかった」
……あの時のわたしが知ったら目を回しそうだ。
苦笑しつつ、わたしは顔を上げて――信長が、狐につままれたような顔をしているのを見た。
信長だけじゃない。ロビンもだ。ジャックは、なんだかよくわからない、といった顔をしていたけれど。
「……どうしたの?」
「いや――そうじゃな。何でもない」
ふ、と信長は微笑む。
「然し、思い出してもあれは激戦じゃったなあ。
わしらが相手取ったあの"バルバトス"とかいう柱にも、いやあ手こずらされた」
バルバトス――魔神柱の一柱だ。
魔神柱という存在も最早懐かしいけれど、彼らは一柱の例外もなく強敵だった。
ソロモンという存在の途方もなさを、相対する度に感じさせられたのをよく覚えている。
時間神殿のあの時も、信長達サーヴァントの救援がなければ、きっとカルデアは敗北していただろう。
「そうだったね。ノッブ達が助けに来てくれなかったら、どうなってたことやら」
「――――」
……あれ。
わたし、何かおかしなこと言ったっけ?
今度はわたしの方が、狐につままれたような顔をする番だった。
目の前の信長は絶句したような顔をしており、わたしには彼女にそんな顔をさせてしまう事の心当たりがない。
もしかして、どこかで地雷を踏んだか?
織田信長という英霊は基本的に愉快で与太話の権化みたいな性格をしているけど、彼女はれっきとした戦国の魔王だ。
戯れは許すけれど、侮りは許さない。
そんな彼女の地雷を意図せず踏んづけてしまったとしたら……大変だ。思わず緊張に背筋が寒くなる。
「ふ、はは」
信長が、笑う。
尾張の第六天魔王が、笑っている。
視界の端、ジャックがナイフをそっと構えるのが見えた。
ロビンも、態勢こそそのままだが、警戒の色を示しているのが解る。所謂、臨戦態勢というやつだ。
そしてわたしにも、"それ"が伝わってきた。
織田信長――歴史に反して可憐な少女の姿をしたアーチャーの英霊から迸る、敵意とも殺意とも付かない戦意。
殺気と一括りにしてしまうには複雑過ぎるオーラに、つい反射的に息を呑む。
……静寂を保っていた織田軍の兵士達がいつの間にか、一人また一人とその武器に手をかけていた。
「成程、そういうことか――ならば是非もなし。
悪いの、カルデアのマスター。わしはそなたらと盟は結べん」
「えっ――」
冷たい、冷えた巌みたいな重い声だった。
とてもじゃないけど、あの信長が出すとは思えない声。
その顔には笑みが浮いているが、これほど恐ろしい笑顔というものをわたしは久し振りに見た。
でも……いきなり態度がころっと変わった理由がわからない。
わたしは思わず、声を荒げて信長に問いを投げる。
「ちょっ、ちょっと待ってよ! わたし、何か怒らせるようなこと――」
「然し、そなたらがわしの力を借りたいというのは理解出来る。
何しろわしは強いからの。じゃが生憎と、わしからその気がなくなった。
であれば、どうするべきかは解るな? カルデアのマスター」
そう言って、ニヤリと口許を歪めながら、信長はわたしの胸へと銃を向けた。
「――戦じゃ」
開戦の号砲は、びっくりするほど陳腐な音だった。
最終更新:2017年07月02日 00:59