【1】
"それ"は、何の前触れもなくやってきた。
昭和15年のとある朝、気付けば巨大な会場が完成していた。
前振りなどまるでなく、工事の音さえ聞こえてこなかった。
だというのに、それは我が物顔で東京の街に建っていたのである。
最初は誰もが、政府が始めた催し物と思っていた。
天皇陛下が御業でお造りになられたのだ。そんな説明が行われるのだろう。
そう民衆が想像したのも束の間、政府もあんな施設は知らないと言い出した。
西洋造りの建物などという反社会的な物、この御時世に建てる訳がない、との事だった。
じゃあ一体誰が造ったというのだ、そう皆が疑問を抱いた頃である。
会場の入り口から、中世の兵隊が大勢馬に乗ってやって来たのは。
彼等は民衆を見るなり、虐殺と略奪を開始した。
老若男女問わず襲われ、情け容赦なく尊厳を蹂躙していった。
家宝は奪われ、女は犯され、老人は殺され、子供は攫われた。
たった一晩の内に、東京の街は地獄に変貌してしまった。
当然だが、それを黙って見過ごす政府ではない。
彼等は軍隊を呼び出し、軍勢を駆逐する様指示を出した。
だが、同時期に起こった病の流行が、それを遮ってしまった。
天然痘――世間でそう呼ばれている疫病が、日本軍の悉くを蝕んだのである。
軍人だけではない。政府の人間も、果てには一般市民でさえ、病の標的となった。
おまけにその天然痘は、従来のものより遥かに殺傷性が高いときたではないか。
爆発的に広まったそれに治癒は追いつかず、屍の数は瞬く間に増えていく。
気付いた頃には、膿だらけの死体の山が幾つも出来上がっていた。
苦しむ日本人とは対照的に、外人たる騎士達は一人として病に罹らなかった。
それ故に、彼等から一方的に攻撃される結果となってしまうのであった。
会場が現れ、騎士が街に躍り出て、数か月経った頃には。
軍は壊滅し、政府は崩壊し、街はその機能の全てを停止させていた。
そんなある時、騎士のリーダー格であろう男がこう言った。
「奴隷として生涯を生きるのなら、病から遠ざけてあげましょう」、と。
まるで天然痘を流行らせたのは自分だ、そう言いたげな台詞だった。
訳も分からないまま、民衆はその要求を承諾した。
とにもかくにも、この疫病から助かりたかったのである。
奴隷になるという言葉の意味を、さして深く考える事もなく。
そこから、新しい地獄が幕を開けた。
騎士達は民衆を奴隷と見なし、非人間である事を強いてきたのだ。
待ってましたと言わんばかりに、彼等は更なる暴虐に乗り出したのである。
女は以前以上に乱暴に犯され、男は刃物の切れ味を確かめる道具にされた。
あれよあれよと言う間も無く、死体の山が新たに出来上がっていく。
山が造られる勢いたるや、天然痘の死者を上回りかねない程であった。
今やこの街に置いて、日本人の命は玩具と同価値である。
確かに天然痘の脅威は消え去ってくれたが、それが何だというのか。
ただ意味もなく破壊されていく命、これでは病に罹った方がまだマシというものだ。
夢なら醒めてほしいと願っても、この悪夢は終わらない。
この地に呼ばれし英霊の怨念が消えない限り、これは永遠に続いていく。
けれども、もしもその憎しみを掻き消す風が吹き荒れたのなら、その時は、きっと――。
【2】
少女はただただ、走る事に夢中になっていた。
追ってくる戦士達から逃げる為には、そうする他ないからだ。
脇目も振らず、素足を傷だらけにしながらも、少女は駆け続ける。
が、逃避行はそう長くは続かなかった。
少女が石に躓き、その場に倒れ込んでしまったからである。
彼女を追う男達の声が、加速的に近づいていくのが分かった。
「嬢ちゃんよ、鬼ごっこはお終いかァ?」
追いついた数人の兵士の内の一人が、口を開いた。
こちらを嘲笑するかの様な、下賤な声色をしている。
たった一声聞くだけで、下種だと理解できる声だった。
「終わりだよなァどう見ても、転んじまったもんなァ」
「じゃあ俺達の勝ちだ、違いねェや」
「惜しいなァ嬢ちゃん、もう少しだったのによォ」
戦士達がゲラゲラと嗤うのを、少女は苦悩の表情で見上げる。
鍛えた大人数人が、素足の子供一人に追いつけない訳がない。
こうして彼女が転ぶまで、彼等はわざと手を抜いていたのだ。
「それでよォ、勝ったなら景品が無いと嘘だよなァ?」
兵士の一人である肥えた男が、少女の頭を掴み上げる。
そうして彼女を無理やり立たせると、その小さな顔に口元をぐっと近づけた。
生ごみめいた口臭に鼻腔を殴りつけられ、少女は大きく震え上がる。
それを見た男はぐへへと笑うと、その舌で彼女の頬をべろりと舐めてみせた。
「堪らねえ!堪らねえよォ!今此処でヤりてェ!俺が一番乗りだッ!」
男は少女を掴んでいた手を離すと、早速下半身に手を出した。
他の兵士達はというと、見世物が始まると言わんばかりに笑みを浮かべている。
これより起こる下種な凌辱を、誰一人として止める事は無かった。
少女には最早、逃げる気力など微塵も残ってはいなかった。
それはつまり、自らの生存を放棄したも同然である。
自分はこのまま、この気味の悪い男に酷い事をされるのだ。
そうして他の人達と同じ様に、あの山の一つに放り棄てられるに違いない。
そんな諦観が、既に彼女を支配してしまっていた。
少女は見ての通り、この兵士達から逃走した身である。
母子諸共彼等の玩具にされかけた所を、母親の機転でどうにか逃がしてもらったのだ。
「せめて貴方は生き延びて」――そう彼女から言葉を受け取って、少女は今まで逃げてきた。
だが結果はこの有様だ。結局の所、魔の手から逃れる術など無かったのである。
虚ろな瞳をして少女は思う、どうしてこんな目に遭うのだろうか、と。
普通に生きていただけなのに、何故ここまで酷い仕打ちを受けねばならないのか。
ここまで尊厳を踏み躙られる真似を、一体いつ行ったというのか?
答えは出ない。身に覚えなどない以上、そんなものが出る訳もない。
「さあお楽しみだァ、俺のをたっぷり味わってくれよォォ……!」
準備万端な様子で、いよいよ男が下半身の装備を解いた。
勢いよくズボンを下ろし、その醜悪な男性器を外気に晒さんとする。
「――――お?」
だがどうした事だろうか、肥えた男の自慢の男性器など、何処にも見当たらない。
その代わりと言わんばかりに、立派な刀身が股間に生えていた。
無論比喩でも何でもない、日本刀が後ろから秘部を貫いたのである。
「お、俺のチンポがァ、か、刀にィイイィイィイィイ゛イ゛イ゛イ゛イ゛!!??」
刹那、もう一度白刃が走り、男の肉を断つ。
股間から突き刺した刃は天に昇り、彼を真っ二つに両断した。
血しぶきと臓物をまき散らしながら、男の身体が地に落ちる。
男が沈んだ事で、少女の視界に刃の持ち主が露わとなる。
露出度の髙い鎧と白装束を纏った、鋭い目つきの女戦士である。
少女には分かる、彼女があの兵士達とは違う存在だという事が。
そしてもう一つ分かる事がある――彼女はきっと、"侍"だ。
「幼子を犯して愉しむか、外道め」
女戦士が踵を返し、兵士達をぎろりと睨み付ける。
その眼には、日本刀めいた鋭利な殺意が含まれていた。
少女の見立ては正しい。彼女は兵士達の敵であり、そもそも人間ですらない。
彼女はこの悪夢を終わらせる為、世界最後のマスターと共に呼ばれた"風"である。
この街で揺らめく憎悪の火を掻き消す、一陣の疾風なのだ。
女戦士のクラスはライダー、その真名は牛若丸。
源平合戦を駆け抜けた武士にして、カルデアのサーヴァントの一騎であった。
「貴様らの首など不要だ。悉く殺し尽くしてくれる」
最終更新:2017年07月16日 02:31