第二節:『ドッグヴィル』(2)

【1】


 それは、一瞬の出来事だった。
 数人の兵士達が一斉に女戦士に襲い掛かったと思えば、次の瞬間には全員倒れ伏していたのだ。
 少女が瞬きする間に、彼女は兵士達全員を屠ってみせたのである。

 男の悲鳴を聞きつけたのか、他の兵士も慌てた様子で駆けつけてくるが、女戦士は動じなかった。
 彼女はどこからか黒い馬を一頭呼び出すと、少女と共にそれに乗って走り出した。
 大きく鼻を鳴らす駿馬の前では、鍛えた兵士の脚など止まっているも同然である。
 少女と女戦士は、あっさりと追手から逃げおおせる事が出来たのであった。

 そして今も、少女は女戦士と共に馬に乗って街を駆けていた。
 これまで感じた事のない勢いの風を感じながら、目の前の女戦士の背中を見つめていた。
 彼女は目の前の景色に集中していて、こちらの様子に目を配る気配などまるでない。

 少女はこの戦士の姿に、見覚えなどまるでなかった。
 侍である事は確かなのだろうけど、それ以外は皆目見当もつかない。
 それでも少女には、目の前の戦士があの兵士の様な悪党だとは思えなかった。
 自分を救ってくれたこの人は、きっといい人だ――そんな、根拠の薄い信頼を置いているのであった。

「あ、あの。ありがとう、ございます」

 助けられたからには、感謝の言葉は伝えないといけない。
 少女は母親からそう教わっていたし、彼女自身もそれが正しいと思っていた。
 言葉は届いただろうか、少女は女の背中を見つめていると、

「礼には及びません、武士として当然の事をしたまでの事です」

 凛としていたが、どこか温かみを感じさせる声色だった。
 それを聞いた少女は、ここに来てようやく安堵の表情を浮かべる事が出来た。
 へんてこな格好をした侍だけども、この人は紛れもなく味方なのだ、と。

「――ッ!止まれ、黒太夫!」

 女戦士がそう言った途端に、馬の脚が止まった。
 蹄の音も鳴り止み、さっきまで感じていた風も消えてしまう。
 何があったのだろうかと、少女が女の背中越しに前を見てみれば。
 そこには、先の傭兵達とは明らかの雰囲気の違う男が立っていた。

 遠くからでもはっきりとした威圧感を感じさせる、巨体の男であった。
 燃え盛る炎の様な赤い髪に、顔に着けている中将の仮面。
 身に纏っている服は、確か"すーつ"という名前の服だったか。

 少女でさえただ者ではないと分かる、そんな威圧感を出す男。
 女戦士は馬から飛び降りて、こちらを見つめる彼と相対する。

 少女は馬に乗ったまま、ただ沈黙を貫く事しか出来なかった。
 これから何かが起こる、そう無意識に感じ取っていたからである。



【2】


 我慢の限界というのが、今の牛若丸にある感情だった。
 本来ならば、主である立香を探すのが最優先事項な筈である。
 今何をしているのかさえ分からぬ彼を探さねば、心配で戦もままならなかった。

 だからこそ、必死になって牛若丸は立香を探していた。
 亡骸一つ弔えない事に歯を食いしばりながら、それでも探索を続けていた。
 だが、少女が犯されようとしたその瞬間、牛若丸の感情は爆発した。
 彼女を護らねばという義務と、外道への義憤が噴出したのである。

 断言していい、この街は正しく地獄であると。
 これ程の惨状を造り上げたのは、紛れもなく悪鬼羅刹の類であろう。
 最早首などいらぬと思わせる程度には、腐りきった外道と言っていい。
 決して生かしてはおけない――そんな怒りが、牛若丸の中で渦巻いていたのだ。

 そして、そうした憤怒を抱いたからには。
 目の前の如何にも怪しい男にも、同様の感情を向けずにはいられない。
 あの気配は、間違いなくサーヴァントのそれなのだから。

「手前か、うちの若い衆に手ェ出しやがったのは」
「あの下種共がお前の部下なら、それは私で相違ないな」

 牛若丸の読み通り、目の前の男は兵士達の仲間であった。
 そしてその言動から、彼は奴等の上官と呼べる存在だと認識できる。
 ともすれば、彼女には最早殺意を隠す理由も無かった。

「答えろ外道。何故この様な真似をする」
「初対面を外道呼ばわりたァ大した娘じゃねえか。理由だと?……ああ、そういう事か」

 男は馬に乗っている少女を一瞥し、何かを悟ったのか、

「んなもん、それが此処でのルールだからに決まってるだろうが」

 それが此処の決まりであると、男は躊躇いなくそう言ってみせた。
 原住民を虐殺し、弔わず塵の如く扱うのが、定められたルールだと言うのである。
 より殺意を滾らせた牛若丸の視線が、男のスーツを射抜いた。

「大和の連中はどう扱おうが構わねえ、だからこうして好きに扱ってるだけだ。何がおかしい?」
「貴様は、幼子が凌辱されようが眉一つ動かす事はない、と」
「くどいな娘。大和人をどう扱おうが勝手だろうが」
「そうか、ならば死ね」

 刹那、牛若丸の四肢が動いた。
 得物である薄緑を抜き、一気に男へ肉薄する。
 自身の神速の太刀にて、一瞬の内に息の根を止めんとしたのだ。

 しかし、男はそれを読んでいた。
 迫りくる牛若丸の刃を、男は俊敏な動きで横に躱してみせた。
 その巨大な身体からは、想像もつかない動きである。

 男の行動はそれだけに終わらない。
 彼は刃を避けられた牛若丸の腹に、渾身の回し蹴りを叩き込まんとする。
 この一撃をまともに喰らえば、如何にサーヴァントと言えど無事では済まないだろう。
 されど、彼女は咄嗟に薄緑を盾にする事で、その一撃の直撃を回避した。

 それでもなお威力は甚大であり、牛若丸は大きく吹き飛ばされる。
 だが彼女は空中で受け身を取り、後方で見事に着地してみせた。
 天狗から教わったとされる身のこなしが、此処で活きた結果となった。

「手前と同じサーヴァントだ、そう簡単に首を渡すかよ」
「貴様の様な"いかれ"の首など、獲って誰が喜ぶか」
「いかれ、か。バーサーカーだから間違っちゃいねえか」

 牛若丸自身、男――バーサーカーがサーヴァントである事は知っていた。
 不意打ちならあるいはと考えていたが、そう甘くはいかないらしい。
 彼女は口を硬く結び、今一度刃を彼へ向ける。

「今度はこっちから行かせてもらうぜ」

 次は、バーサーカーが牛若丸に肉薄する番であった。
 やはり巨体らしからぬ動きで迫る彼の攻撃を、彼女は寸での所で回避する。
 彼の殴打や蹴りは確かに脅威だが、何より厄介なのはその動きである。
 ただ闇雲に拳を奮っている訳ではない、つまりは決して馬鹿ではないという事だ。

 牛若丸は猛攻を回避しながらも、目の前の敵を強者であると認識する。
 だからこそ、彼女にはどうしても解せない事があった。
 これ程の兵が、何故悪逆を吉としたのだろうか。

「答えろ。貴様ほど練り上げた身で、何故外道に堕ちた」
「何故かだァ?決まってんだろうがッ!手前らが憎いからだよォッ!」

 バーサーカーが吼えるのに呼応するかの如く、拳がうねりを上げた。
 これまで以上の速度と破壊力を帯びた一撃が、牛若丸の身体に直撃した。
 彼女はまるで紙屑の様に吹き飛ばされ、近くの民家に衝突する。
 先程から震えて黙っていた少女が、思わず悲鳴をあげた。

 派手な音を立てて破壊された壁からは、多量の土煙が舞っていた。
 これが晴れた先には、倒れ伏す少女の姿が見える筈である。
 しかしどうだろう、土煙が晴れる前に、立ち上がる人影が見えるではないか。

 土煙の中から出てきたのは、他でもない牛若丸であった。
 驚くべき事に、その身体には打撲の跡一つ付いていない。
 あの一撃を食らえば最期、意識の消失は免れないにも関わらず、だ。

「遮那王流離譚が、五景……弁慶・不動立地……」

 これこそ、牛若丸が有する宝具の一端である。
 武蔵坊弁慶の肉体のみを擬似的に再現する事で、自らを盾とする御業だ。
 これにより、直撃を受けてなお彼女は無傷なのである。

 一方で、バーサーカーの胸には真一文字の傷ができていた。
 拳の直撃を受ける一瞬、牛若丸が彼に与えたものである。
 しかし、そこからは血の一滴すら流れ出る気配はない。
 バーサーカーの堅牢な肉体は、刀さえも通さなかったのである。

「……化物、め」

 思わず牛若丸は、そう吐き捨てるように呟いた。
 怒りで頭に血が上っていた、そのせいで出てきた暴言だろう。
 その一言が、戦況を一変させるとも知らずに。

 途端、バーサーカーの身体がわなわなと震えだす。
 息遣いは急激に荒くなり、拳はこれまでになく強く握られる。
 身に纏う威圧感から、特濃の殺意が滲み出てくる。

「今、俺を、なんて、呼んだ」

 その瞬間、牛若丸は本能で理解してしまった。
 たった今、自分はバーサーカーの逆鱗に触れたのだ、と。





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最終更新:2017年10月12日 23:32